鬼の城に岩屋という場所があり、そこに現在も大きな鉄製の釜があります。
現在では、それを「鬼の釜」として展示しています。その釜を柳北は
”山上に丈余の大鐺あり。その古色数千年の物たるよし”
と「航薇日記」に書いております。実際、それをわざわざ見に「岩屋」まで登ったのでしょうか、この写真を見ると一般に言われているように「釜」ではなく、この中に捕まえた人間を入れ、炊いて食べたという伝説の通りに「鍋」に近い物で、彼が書いている「鐺」という字が妥当ではないかと思うのですが???そうすると、あの歩くのが嫌いな柳北が、わざわざ、馬か何かでそこまで見に行ったのかもしれないという思いがしてならないのですが???
このような文章を見ると、成島柳北というお人は「何でも見てやろう」という意欲旺盛なお人だったのでしょうね。
現在では、それを「鬼の釜」として展示しています。その釜を柳北は
”山上に丈余の大鐺あり。その古色数千年の物たるよし”
と「航薇日記」に書いております。実際、それをわざわざ見に「岩屋」まで登ったのでしょうか、この写真を見ると一般に言われているように「釜」ではなく、この中に捕まえた人間を入れ、炊いて食べたという伝説の通りに「鍋」に近い物で、彼が書いている「鐺」という字が妥当ではないかと思うのですが???そうすると、あの歩くのが嫌いな柳北が、わざわざ、馬か何かでそこまで見に行ったのかもしれないという思いがしてならないのですが???
このような文章を見ると、成島柳北というお人は「何でも見てやろう」という意欲旺盛なお人だったのでしょうね。