昨日。寛文6年(1666年)に出版された
「標柱古文真宝」
を捲っておりますと、偶然に、そこに韓退之の
「送孟東野序」
の詩に出くわしました。
そこに次のような詩があり、目を驚かせます。
"擇其善鳴者而假之鳴(そのよくなるを選びて、これを借りて鳴る)”
とあります。続いて、更に、「是故<コノユエニ>」として
"以鳥鳴春。以雷鳴夏。以蟲鳴秋。以風鳴冬。"四時之相奪其必有不得其平者乎”
とあります。
この歌を知っていた岡西惟中は、韓退之は「冬に鳴るものは風であって、その他の太鼓や水や、まして、お釜が鳴るなんて想像にもつかないことだったのではないだろうか」と思い、このお釜殿の不思議な,恰も,雷の音のような鳴釜の音を耳にして、
「冬には風の音だけでなく、夏に鳴る雷のようなお釜殿の鳴釜の音もあるのだ。」
ということを、若し出来たなら、退之に教えてやりたいものだと思って歌にしたのではと・・・
"退之しらすや御釜の冬になるを以て”
「標柱古文真宝」
を捲っておりますと、偶然に、そこに韓退之の
「送孟東野序」
の詩に出くわしました。
そこに次のような詩があり、目を驚かせます。
"擇其善鳴者而假之鳴(そのよくなるを選びて、これを借りて鳴る)”
とあります。続いて、更に、「是故<コノユエニ>」として
"以鳥鳴春。以雷鳴夏。以蟲鳴秋。以風鳴冬。"四時之相奪其必有不得其平者乎”
とあります。
この歌を知っていた岡西惟中は、韓退之は「冬に鳴るものは風であって、その他の太鼓や水や、まして、お釜が鳴るなんて想像にもつかないことだったのではないだろうか」と思い、このお釜殿の不思議な,恰も,雷の音のような鳴釜の音を耳にして、
「冬には風の音だけでなく、夏に鳴る雷のようなお釜殿の鳴釜の音もあるのだ。」
ということを、若し出来たなら、退之に教えてやりたいものだと思って歌にしたのではと・・・
"退之しらすや御釜の冬になるを以て”