「航薇日記」
時は明治2年10月のことです。江戸の柳北が友人「戸川成斎」の故郷である「備中妹尾」に一緒にと請われて旅した時の日記です。彼らは江戸から神戸までアメリカの船で、神戸からは小船で妹尾まで瀬戸内海を行きます。総て船旅です。だから「航」です。すると、その後に見える「薇」ですが、何でしょうかね????
しばらくして「そうか・・・・。」と、前に吉備津神社のことについて触れた時に書いたあの「薇」だと気が付きます。
それがこの写真です
犬養木堂の書による吉備津神社の門柱です。神武天皇が命名したと伝えられている「黄薇<キビ>」(「吉備」の名の由来)という名を聞いて「吉備への船旅日記」だと言うことから、知ったかぶりしてではないにしても、この日記に、敢て、「航薇」という名を付けたのではないでしょうか????
<コウビニキ>と読むのでしょうかね???
時は明治2年10月のことです。江戸の柳北が友人「戸川成斎」の故郷である「備中妹尾」に一緒にと請われて旅した時の日記です。彼らは江戸から神戸までアメリカの船で、神戸からは小船で妹尾まで瀬戸内海を行きます。総て船旅です。だから「航」です。すると、その後に見える「薇」ですが、何でしょうかね????
しばらくして「そうか・・・・。」と、前に吉備津神社のことについて触れた時に書いたあの「薇」だと気が付きます。
それがこの写真です
犬養木堂の書による吉備津神社の門柱です。神武天皇が命名したと伝えられている「黄薇<キビ>」(「吉備」の名の由来)という名を聞いて「吉備への船旅日記」だと言うことから、知ったかぶりしてではないにしても、この日記に、敢て、「航薇」という名を付けたのではないでしょうか????
<コウビニキ>と読むのでしょうかね???