私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

再び「航薇日記」を・・・

2020-08-26 09:57:43 | 日記
 柳北は書いています。
 「祠傍に猿楽あり。荒廃して、ただ、落葉の狼藉たるを見る。」
 と。江戸の末期です。その時、その家屋はあったのでしょうが(現在の恵比寿殿辺りでは???)荒れ果てて朽ちるに任せているという状態だったのでしょうか???
 
 この吉備津神社の神楽座について、藤井俊先生の「吉備津神社」に詳しくその歴史が取り上げられています。それをちょこんと・・・

 "当社の神楽も古くからの伝統をもち、応永三十二年(1425年)の正遷宮の記録に「乱声」と共に「御神楽一座」が奏せられたという記事ある。室町時代を通じて巫女・神人によって行われているが、江戸時代に入ると、当社では神楽を専門とする社家たちが「神楽座」を組織して、神事に奉仕していた。・・・・・・・天和四年(1684年)の「社司賀陽兵部届書写」の記憶によると・・・神楽座社家二十四人・・明治4年の記録によると、神楽を専門とする社家が二十余戸、巫女三戸あり神楽座の組織がよくわかる・・・”
 と。
 
 昭和初期の吉備津神社の巫女による舞楽を!!!

 

 この書から見ると明治四年には楽人・巫女とも相当数いたことが伺われますから、その人たちの活動する場所(猿楽)も、当然、存在したと考えられますから、柳北の書いた「・・・荒廃してただ、落葉の狼藉たるを見る。・・・」は、どうも眉唾臭いのですが、何処の何を見て、そのようにかいたのでしょうかね??真実は神殿のお屋根のみが知っているのですが????