「・・・さすがの温羅もミコトの一矢に辟易し、たちまち雉と化して山中に隠れたが、きびんなるミコトは鷹になってこれを追っかけたので、温羅はまた鯉と化して血吸川に入って跡を晦ました。ミコトはたちまち鵜となってこれを嚙み揚げた。・・・」
「雉と鷹」と「鯉と鵜」、この二つの対象は何を物語るのでしょうか???これは戦う前からの鬼とミコトの勢力の差を言い表していて、如何に吉備国の力が強いといっても、たかが「雉」や「鯉」程度の力しかなく、それに対してミコトの、言い換えれば、倭の勢力は強大で、他の如何なる勢力の抵抗しても倭に立ち向かう力は微弱しかなかったのだよということを暗示していると言い伝えられています。しかし、「雉」や「鯉」などで言い表されるように、それほど吉備の勢力が微力だったのでしょうか????
「雉」はあのモノタロウの家来になった鳥です。そんなに鷹に簡単に追いかけられるほどのひ弱い鳥ではないはずです。鯉にしてそうです。鵜に簡単に嚙み殺されるような魚ではないはずです。このお話は、「雉」や「鯉」という吉備を象徴するような知的で優美な動物の名前を借りて、吉備の強かな勇者を言い表したのではないでしょうか???
当時の吉備について、「古事記」には
”針間為道口以。言向和吉備国也”
と記されているのです。「言向和<コトムケヤシタマヒキ>」(戦いよし話し合いによる解決)と記されているように、大吉備津彦命の吉備への進駐は、何処までも「言向和」を優先させた戦術だったはずですから、この鯉と鵜のお話は、何処までもおとぎ話の作り話のような匂いがしてたまりません。
「雉と鷹」と「鯉と鵜」、この二つの対象は何を物語るのでしょうか???これは戦う前からの鬼とミコトの勢力の差を言い表していて、如何に吉備国の力が強いといっても、たかが「雉」や「鯉」程度の力しかなく、それに対してミコトの、言い換えれば、倭の勢力は強大で、他の如何なる勢力の抵抗しても倭に立ち向かう力は微弱しかなかったのだよということを暗示していると言い伝えられています。しかし、「雉」や「鯉」などで言い表されるように、それほど吉備の勢力が微力だったのでしょうか????
「雉」はあのモノタロウの家来になった鳥です。そんなに鷹に簡単に追いかけられるほどのひ弱い鳥ではないはずです。鯉にしてそうです。鵜に簡単に嚙み殺されるような魚ではないはずです。このお話は、「雉」や「鯉」という吉備を象徴するような知的で優美な動物の名前を借りて、吉備の強かな勇者を言い表したのではないでしょうか???
当時の吉備について、「古事記」には
”針間為道口以。言向和吉備国也”
と記されているのです。「言向和<コトムケヤシタマヒキ>」(戦いよし話し合いによる解決)と記されているように、大吉備津彦命の吉備への進駐は、何処までも「言向和」を優先させた戦術だったはずですから、この鯉と鵜のお話は、何処までもおとぎ話の作り話のような匂いがしてたまりません。