「楯筑墳丘墓」の遺跡が吉備の中山の真西約10kmの「西山(倉敷市日畑)」にあります。弥生時代後期末の全長が約80mの当時の我国では最も大きな墓です。(「吉備の弥生時代」)その形は円丘の両側に突出部があり円丘の上には大きな石が立てられており、その斜面には丸い小石が敷き詰められている他所とは全く異なった巨大な特別なお墓だったことがわかります。
この円丘の内部を発掘した時の写真がこの本に出ていますのでご紹介します。
丸形の穴を囲って S字状の帯が描かれた「孤帯石」です
胸に勾玉を付けている人形土製品
これなどの副葬品から「吉備の弥生時代」では
"このように楯築弥生墳丘墓の被葬者は吉備にとどまらず、広く東アジアを展望するような、”
と結んでいます。
この円丘の内部を発掘した時の写真がこの本に出ていますのでご紹介します。
丸形の穴を囲って S字状の帯が描かれた「孤帯石」です
胸に勾玉を付けている人形土製品
これなどの副葬品から「吉備の弥生時代」では
"このように楯築弥生墳丘墓の被葬者は吉備にとどまらず、広く東アジアを展望するような、”
と結んでいます。