温羅と吉備津彦命との吉備の伝説を長々と書いてきましたが、再び、柳北に戻ります。彼の著書「航薇日記」にある吉備津神社の参拝記です。その中で書いています。
"廻廊を左にめぐれば一宇あり・・”
と。
たったこれだけで、字の通り何の問題もありませんが、此の「左をめぐれば」という文からこの地区に住む私にはいろいろなことを思い浮かべることができます。まず最初は、彼は、この日、宮内のどこの宿に宿していたかということが気にかかります。彼が書いている日記を見ると、彼は必ずと言っていいほど、訪れた所々で、その土地土地の遊郭に上って一夜を饗しています。兵庫の室の津でも、また、吉備津神社の参拝する前にも金毘羅神社にお参りして、そこの遊郭で「遊女を買った。」と書き残していますので、この吉備津神社の時も、きっと、吉備津神社の周りにあった宮内の「じょろや」に上っていただろうと推測されます。当時この宮内きってのお店「米嘉」ではなかたかと、勝手に想像しておりますが?????このお店は、今では面影すらとどめてはいないのですが、吉備津神社の南鳥居の北側にあったのです。
だから、柳北はこのお店を出て、鳥居を潜り細谷を渡り、回廊をすぐ左に回り吉備津神社にお参りしたのだとわかります。
それが "廻廊を左にめぐれば一宇あり・・”です。
この回廊を向こうから柳北は進んできたのです。
"廻廊を左にめぐれば一宇あり・・”
と。
たったこれだけで、字の通り何の問題もありませんが、此の「左をめぐれば」という文からこの地区に住む私にはいろいろなことを思い浮かべることができます。まず最初は、彼は、この日、宮内のどこの宿に宿していたかということが気にかかります。彼が書いている日記を見ると、彼は必ずと言っていいほど、訪れた所々で、その土地土地の遊郭に上って一夜を饗しています。兵庫の室の津でも、また、吉備津神社の参拝する前にも金毘羅神社にお参りして、そこの遊郭で「遊女を買った。」と書き残していますので、この吉備津神社の時も、きっと、吉備津神社の周りにあった宮内の「じょろや」に上っていただろうと推測されます。当時この宮内きってのお店「米嘉」ではなかたかと、勝手に想像しておりますが?????このお店は、今では面影すらとどめてはいないのですが、吉備津神社の南鳥居の北側にあったのです。
だから、柳北はこのお店を出て、鳥居を潜り細谷を渡り、回廊をすぐ左に回り吉備津神社にお参りしたのだとわかります。
それが "廻廊を左にめぐれば一宇あり・・”です。
この回廊を向こうから柳北は進んできたのです。