吉備津神社の鳴釜神事(温羅の唸り声)の伝説が、上田秋声の
"雨月物語”
に書かれています。「吉備津の釜」と題して・・・
「そもそも当社に祈祷(いのり)する人は、数の祓物を供へて、御湯を奉り、吉祥凶祥(よきさがあしきさが)を占ふ。巫女(かんなぎ)祝詞をはり、湯の湧き上がるにおよびて、吉祥には釜の鳴音牛の吼ゆるが如し。凶きは釜の音なし。これを吉備津の御釜祓(みかまはらい)といふ。」
と、藤井俊先生は「吉備津神社」に書かれています。
その吉備津神社のお竈殿です。
ここで行われている「鳴釜神事」を少々説明してみます。
その御竈殿の内部には、写真のような土竈があり、その上に鉄釜が左右に2つ掛けられ、その左の釜の上に木製の甑がのせられています(上の写真)。阿曾女と呼ばれている巫女が二人奉仕していて、普通は毎朝、神饌(おごくう)を作り、本殿の神前にそなえているのです。氏子や信者が病気平癒・商売繁盛・結婚成就などを祈祷してもらう時(下の写真)は、神官がお釜の前で平伏し、巫女の一人が竈の口から松葉を入れて焚き、もう一人の巫女は、少量のお米を入れた掻笥(かいけ=わっぱで作っ木製の入れ物)を甑の中で振ります。それに合わすように神官が祝詞を奏すると、やがて釜が鳴り響き、神官の祝詞が終わると釜おの鳴る音も鳴り止みます。
この時に鳴り響いた釜の音の強弱や大小によって、自らの吉凶禍福を占います。これを「お釜さまのおどうじ」と呼んでいますが、なお、この「おどうじ」は、何を意味するかは分かってはいません。私は「どうじ」は「どうず=動ず」で、「事の良し悪しを動いて知らしめる」という意味ではないだろかと推察していますが???
"雨月物語”
に書かれています。「吉備津の釜」と題して・・・
「そもそも当社に祈祷(いのり)する人は、数の祓物を供へて、御湯を奉り、吉祥凶祥(よきさがあしきさが)を占ふ。巫女(かんなぎ)祝詞をはり、湯の湧き上がるにおよびて、吉祥には釜の鳴音牛の吼ゆるが如し。凶きは釜の音なし。これを吉備津の御釜祓(みかまはらい)といふ。」
と、藤井俊先生は「吉備津神社」に書かれています。
その吉備津神社のお竈殿です。
ここで行われている「鳴釜神事」を少々説明してみます。
その御竈殿の内部には、写真のような土竈があり、その上に鉄釜が左右に2つ掛けられ、その左の釜の上に木製の甑がのせられています(上の写真)。阿曾女と呼ばれている巫女が二人奉仕していて、普通は毎朝、神饌(おごくう)を作り、本殿の神前にそなえているのです。氏子や信者が病気平癒・商売繁盛・結婚成就などを祈祷してもらう時(下の写真)は、神官がお釜の前で平伏し、巫女の一人が竈の口から松葉を入れて焚き、もう一人の巫女は、少量のお米を入れた掻笥(かいけ=わっぱで作っ木製の入れ物)を甑の中で振ります。それに合わすように神官が祝詞を奏すると、やがて釜が鳴り響き、神官の祝詞が終わると釜おの鳴る音も鳴り止みます。
この時に鳴り響いた釜の音の強弱や大小によって、自らの吉凶禍福を占います。これを「お釜さまのおどうじ」と呼んでいますが、なお、この「おどうじ」は、何を意味するかは分かってはいません。私は「どうじ」は「どうず=動ず」で、「事の良し悪しを動いて知らしめる」という意味ではないだろかと推察していますが???