私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「吉備の昔話」(5) 朽ちもせでその名ばかりを留め起きてうらじゃ踊りの形にぞ見る

2020-09-05 16:49:35 | 日記
 「・・・ミコトは鵜となってこれを嚙み揚げた。そして、鬼の頭(こうべ)を刎ねて串に指してこれを曝した。ところが不思議なことに、この首は何年たっても大声を発して唸り響いてとまらない。・・・」

 その首を曝した処が、岡山市北区首部(こうべ)の白山神社と言い伝えられています。その白山神社に、今、写真のような塚が、ご丁寧に、作られています。

         

 さあ大変です。毎日毎晩、温羅のあの大きな唸り声が、その塚から、辺り一帯に響き渡るのです、人民はたまったものではありません。夜もろくろくその温羅の唸り声に悩まされ眠ることができません。どうにかしてほしいと、周りの人々はミカドに願い出ます。

 しかし、そのように凶暴であったと語られている温羅ですが、このの神社の案内書によりますと、

 ”温羅が、朝鮮半島からたたら製鉄技術を持ち込み、吉備農民に農耕の道具、鋤や鍬などを広め、農業の発展に尽力したことにより、吉備が米どころとなった。
温羅は、農民から大変感謝され、功績をたたえられ、米の神として祀られたものと推察されます。” 
 
 と云う。これからも分かるように、この地に伝わる温羅は、一般に言われているような、凶暴で邪悪な鬼ではなく、本当は吉備地方を豊かな国にした大変な功徳のあった人だったという面白い異説もこの首部の地方には伝わっています。

 このような温羅についての、また違った伝説に出合うと、どうもこの首部の伝説から、現在の岡山の夏の風物詩「うらじゃ」祭りが生まれたのではないでしょうか???

 そこで、西行流に、また駄洒落て

     ”朽ちもせぬ その名ばかりを 留め起きて 
                       温羅じゃ踊りの 形見にぞ見る

吉備の伝説(6)犬飼武は温羅の髑髏を・・・

2020-09-05 08:04:12 | 日記
 さて、首部の人々から
 「温羅の首から発せられる唸り声をどうにかしてくれ。」
 と嘆願されたミコトは部下の「犬飼武<イヌカイノタケル>」に命じて犬に食わせます。肉は尽きて髑髏だけになったのですが、まだ、温羅の首は吠え止まなかったのです。仕方なくミコトはその首を吉備津宮のお釜殿の竈の下八尺を掘って埋めます。しかし、それでも唸り声は十三年間も唸る続けます。
 この十三年間、ミコトもこの地に留まていたのですから、やはり我慢しておられたのでしょう。それを目耳する吉備津の人たちも、何も言わないでものすごい温羅の首から発せられる唸り声にもじっと我慢の子であったのでしょうか??

 なお「ミコト」の妃は”百田弓矢比売命<モモタユミヤヒメ>”という足守出身の女性ですし、その後のミコトについて藤井駿先生の「吉備津神社」には

 "吉備の中山の麓に「茅葺宮」を作ってこれに住み、吉備国の統治に当たったが、二百八十一歳の長寿を保って、ついにこの板葺宮に薨じ、御墓は吉備中山のいただきの茶臼山にある。”

 とありす。その「中山茶臼山古墳」です。

 

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