「・・・ミコトは鵜となってこれを嚙み揚げた。そして、鬼の頭(こうべ)を刎ねて串に指してこれを曝した。ところが不思議なことに、この首は何年たっても大声を発して唸り響いてとまらない。・・・」
その首を曝した処が、岡山市北区首部(こうべ)の白山神社と言い伝えられています。その白山神社に、今、写真のような塚が、ご丁寧に、作られています。
さあ大変です。毎日毎晩、温羅のあの大きな唸り声が、その塚から、辺り一帯に響き渡るのです、人民はたまったものではありません。夜もろくろくその温羅の唸り声に悩まされ眠ることができません。どうにかしてほしいと、周りの人々はミカドに願い出ます。
しかし、そのように凶暴であったと語られている温羅ですが、このの神社の案内書によりますと、
”温羅が、朝鮮半島からたたら製鉄技術を持ち込み、吉備農民に農耕の道具、鋤や鍬などを広め、農業の発展に尽力したことにより、吉備が米どころとなった。
温羅は、農民から大変感謝され、功績をたたえられ、米の神として祀られたものと推察されます。”
と云う。これからも分かるように、この地に伝わる温羅は、一般に言われているような、凶暴で邪悪な鬼ではなく、本当は吉備地方を豊かな国にした大変な功徳のあった人だったという面白い異説もこの首部の地方には伝わっています。
このような温羅についての、また違った伝説に出合うと、どうもこの首部の伝説から、現在の岡山の夏の風物詩「うらじゃ」祭りが生まれたのではないでしょうか???
そこで、西行流に、また駄洒落て
”朽ちもせぬ その名ばかりを 留め起きて
温羅じゃ踊りの 形見にぞ見る
その首を曝した処が、岡山市北区首部(こうべ)の白山神社と言い伝えられています。その白山神社に、今、写真のような塚が、ご丁寧に、作られています。
さあ大変です。毎日毎晩、温羅のあの大きな唸り声が、その塚から、辺り一帯に響き渡るのです、人民はたまったものではありません。夜もろくろくその温羅の唸り声に悩まされ眠ることができません。どうにかしてほしいと、周りの人々はミカドに願い出ます。
しかし、そのように凶暴であったと語られている温羅ですが、このの神社の案内書によりますと、
”温羅が、朝鮮半島からたたら製鉄技術を持ち込み、吉備農民に農耕の道具、鋤や鍬などを広め、農業の発展に尽力したことにより、吉備が米どころとなった。
温羅は、農民から大変感謝され、功績をたたえられ、米の神として祀られたものと推察されます。”
と云う。これからも分かるように、この地に伝わる温羅は、一般に言われているような、凶暴で邪悪な鬼ではなく、本当は吉備地方を豊かな国にした大変な功徳のあった人だったという面白い異説もこの首部の地方には伝わっています。
このような温羅についての、また違った伝説に出合うと、どうもこの首部の伝説から、現在の岡山の夏の風物詩「うらじゃ」祭りが生まれたのではないでしょうか???
そこで、西行流に、また駄洒落て
”朽ちもせぬ その名ばかりを 留め起きて
温羅じゃ踊りの 形見にぞ見る