私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

大海人皇子は吉野へ・・・万葉集にその時の歌が・・・

2020-12-03 09:36:46 | 日記
 大海人皇子が法師になって吉野に僧侶の修行と称して旅立ちま。その見送りに宇治まで、なんと、時の左大臣、右大臣そして大納言が付いて行っております。これは何を意味しているのでしょうかね????。この時、大海人皇子はご自分の持つ兵隊をすべて解任してから出発しているのにもかかわらず、でも、その途中での反逆を警戒したのでしょうか、大げさないで立ち風景です。
 なお、その旅の途中で 大海人皇子が詠った歌が万葉集にあります。その歌を・・

  〝み吉野の 耳我の嶺に 時なくそ 雪は降りける 間なくそ 雨は降りける 
   その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごとく 隅も落ちず 思ひつつぞ来し その山道を”

 その道すがらずっとです。「隅も落ちず 思ひつつぞ来し」です。これからの己の運命は如何に、自分は、今後、如何なる道を取り進めばいいのか、どうすればいいのが悩みに悩みながら進んだ吉野への道中での大海人皇子の心がこの歌によく表れています。

 この時大海人皇子と共にした人数は分らないのですが、大勢の人数がいたとは思われませんが、吉野に着いた大海人皇子は一緒に道中した家臣に対して
 「我れ今・入道して脩行せむとす。私と共に脩道したいと思う者は留まれ。若し大友皇子の下で名を為そうと思う者は還って司<オホヤケ>に仕へ。」
 と言います、すると、舎人たちの内半数が還ります。残った者の内には、天智天皇の女(後の持統天皇)である妃「菟野皇女<ウネノヒメミコ>」や「柿本人麻呂」がいたのは勿論です。