私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

瀬田の戦いです。

2020-12-16 10:12:27 | 日記
 その瀬田橋で東西に分かれて両軍が対峙していました。
 その時、近江軍は鉦や太鼓を打ち鳴らし大勢の軍勢で待っていました。更に、作戦的にも、その橋の中程の板を三尺ばかり切り取り、そこに綱を付けた別の板を張って待っていました。もし敵兵がその橋を渡ろうものならば、綱を引いて敵兵を河中に落とす作戦を取って完全な戦争態勢で待っていたのです。吉野軍の将「男依<オヨリ>」もその近江軍の作戦を察知していたのでしょうか、兵を勧めないで、その場に留まっていました。
 そこに、又、又、摩訶不思議な光景が展開されます。何とその時、吉野軍に勇敢者が一人進み出て、刀を抜いて橋を渡ってこちら目がけて突進してきますます。その名が書紀には書かれています。

     〝大分君<オホキタノキミ>稚臣<ワカオミ>”

 と。
 この、たった、一人の「稚臣」に恐れをなして、近江軍は、悉く、逃げ散じます。そんなことって考えられるでしょうかね????
 普通なら、近江軍はこちらの橋側に弩を連ねて待ち構えていたのでのですから、いくら勇敢者猛者だと云っても、たかが一人です。しかも、その場には「大友皇子」がいたにもかかわらずです。
 それが日本書紀だと行ってしまえばそれまでですが?これも天武天皇に対するね忖度でしょうかね