私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

 「虎に翼を・・・」と人は言う・・・

2020-12-04 09:30:58 | 日記
 大海人皇子が吉野に仏道修行のために旅立つ時、大友皇子の周辺にいた人々は、密かに、
        〝虎著翼放之”
 「仏道修行というのは名ばかりで、本心は、きっと、吉野でその力を蓄えて捲土重来の機会を伺うのは間違いない。虎に羽を著<ツ>けて野に放つようなものだ。」
 と思います。
 その年の十二月に天智天皇は崩御されます。この年大友皇子は天智天皇のために御陵を作ります。その為の人夫集めを「美濃国」や「尾張国」から集めています。これを見た大海人皇子の家臣「朴井連 雄君」という人が大海人皇子に告げます。
 「今頻りに大友皇子は天智天皇の御陵を造ると言って美濃や尾張から人夫を集めていますが、それは名ばかりで、実は、その人々は兵士です。それが何かということを考えれば大変危険なことです、早めに手を打っておかないと・・・。更に、近江は吉野に入るに道口に人を立てて、我々の食料が入るのを絶えさせています。どうぞ早めに手を打たないと大変なことになりますよ。」

 なお、この時の大友皇子の妃で大海人皇子の「十市皇女」からもその辺りの近江の様子を密かに知らせる手紙が届きます。その方法は、嘘か誠かは分かりませんが、言い伝えとして伝えられています。
   「天武は殺すべしと我が夫 大友達は計画しています。」
 と書いた手紙を魚の腹の中に入れて・・・(日本書紀には書いてはありませんが)

 今のコロナ禍で、政府が、「緊急事態宣言を、今、出そうか、どうしようか??」と迷っているような暇などあろうはずがありません。急を要します。大海人皇子は、すぐさまに行動に移します。