今朝の朝刊のコラムに鷲田誠一氏は吉田健一氏の言葉を
”年を取るというのは年齢の殻が厚くなることではなく、水に落ちた物体のどこまでも拡がって行く波紋に似たものであるといい”
と、それについて「人生の黄昏に足を踏み入れると、今という瞬間に充実し、その刻々の変化に、生きているという感触を得る・・・」と説明しています。
わたしは、今、84歳です。一日のスタートを、まず、小さなmy菜園に足を運び、作っている野菜のもの云わぬ「生き」を確かめることから始めてます。そして野菜たちの生育の素晴らしさや辺りを流れる風の刻々の変化にも感動しながら、そっと山々に囲まれた狭い大空行く雲を眺めたりして、若き日々には決して無かった、無我ではないのですが、そんな日々を生きているといっても過言ではありません。鷲田氏の言うように「刻々の変化に生きてる感触」を確かめるように、毎日、「生きるって素晴らしい」と深呼吸をしながら・・・
でも、吉田の言う年寄りの「波紋」って、一体、何でしょうかね???
そんな今朝、朝刊の鷲田氏の文章に出合い、筆を取ってみました。
”年を取るというのは年齢の殻が厚くなることではなく、水に落ちた物体のどこまでも拡がって行く波紋に似たものであるといい”
と、それについて「人生の黄昏に足を踏み入れると、今という瞬間に充実し、その刻々の変化に、生きているという感触を得る・・・」と説明しています。
わたしは、今、84歳です。一日のスタートを、まず、小さなmy菜園に足を運び、作っている野菜のもの云わぬ「生き」を確かめることから始めてます。そして野菜たちの生育の素晴らしさや辺りを流れる風の刻々の変化にも感動しながら、そっと山々に囲まれた狭い大空行く雲を眺めたりして、若き日々には決して無かった、無我ではないのですが、そんな日々を生きているといっても過言ではありません。鷲田氏の言うように「刻々の変化に生きてる感触」を確かめるように、毎日、「生きるって素晴らしい」と深呼吸をしながら・・・
でも、吉田の言う年寄りの「波紋」って、一体、何でしょうかね???
そんな今朝、朝刊の鷲田氏の文章に出合い、筆を取ってみました。