またまた例のお人から難癖が届きました。
「おめえが きのう けえたもんの なけえなあ。“阿多泥都岐<アタネツキ>”があり、せえが「茜」じゃというこたあ わかったんじゃけえどなあ、そのつぎに けえてある”曾米来賀<ソメキガ>”が どうもきにくわんのじゃ。<ソメキ>じゃけえ「染木」じゃろうが。茜は 草なんじゃけえ「木」ちゅうのは おかしかろうが」
と、言われるのです。私もそこら辺りは余り深く考えないで、茜を細かく砕いて、その汁に着けて染め上げて作った服だろうと考えていたのですが、ご指摘の通りです。「草」なのに、なぜ、ここでは染める「木」としたのでしょうかね???どうもよく分かりません。そこで、その事について、また、本居宣長先生はと、「古事記伝」を開いてみました。ありました。ご指摘の通り本居先生も、
“染木とは、即 上の茜にて、其を搗たる汁にといふなり。さて茜は草なるを、木と云るは、物染るには、今ノ世に木草ともに、凡ては染草と云如く、古ヘは草をも
凡て染木と云しか。”
と、説明しておられます。
これが茜は「草」でも「木」なる所以なのです。これもまた目から鱗です。読書とは、誠に、「奇なり」ですね。こんなことにも驚いている80老人です。
この「80老人について」、 又、ちょっと余残事ですが、私は、昨日、眼科に行きました、そこでまだうら若い先生から
「あなたは白内障が大分進んでいますよ」
と、言われました。即座に
「私が???そんな筈ではないのですが」
と、云いますと、先生は、即座に、それも大真面目に
「あなたは81歳です。何もそんなに驚くことではないのです」
と。・・・・・・・二の句が継げせんでした。