私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

二の句が継げない???

2017-12-15 09:34:04 | 日記

 またまた例のお人から難癖が届きました。

 「おめえが きのう けえたもんの なけえなあ。“阿多泥都岐<アタネツキ>”があり、せえが「茜」じゃというこたあ わかったんじゃけえどなあ、そのつぎに けえてある”曾米来賀<ソメキガ>”が どうもきにくわんのじゃ。<ソメキ>じゃけえ「染木」じゃろうが。茜は 草なんじゃけえ「木」ちゅうのは おかしかろうが」

 と、言われるのです。私もそこら辺りは余り深く考えないで、茜を細かく砕いて、その汁に着けて染め上げて作った服だろうと考えていたのですが、ご指摘の通りです。「草」なのに、なぜ、ここでは染める「木」としたのでしょうかね???どうもよく分かりません。そこで、その事について、また、本居宣長先生はと、「古事記伝」を開いてみました。ありました。ご指摘の通り本居先生も、

   “染木とは、即 上の茜にて、其を搗たる汁にといふなり。さて茜は草なるを、木と云るは、物染るには、今ノ世に木草ともに、凡ては染草と云如く、古ヘは草をも
   凡て染木と云しか。”

と、説明しておられます。
 これが茜は「草」でも「木」なる所以なのです。これもまた目から鱗です。読書とは、誠に、「奇なり」ですね。こんなことにも驚いている80老人です。

 この「80老人について」、 又、ちょっと余残事ですが、私は、昨日、眼科に行きました、そこでまだうら若い先生から

 「あなたは白内障が大分進んでいますよ」

と、言われました。即座に

 「私が???そんな筈ではないのですが」

と、云いますと、先生は、即座に、それも大真面目に

 「あなたは81歳です。何もそんなに驚くことではないのです」

 と。・・・・・・・二の句が継げせんでした。


山縣に求(まき)し茜を・・・

2017-12-14 15:02:21 | 日記

 これから旅立とうとする時に、馬の鞍に手を置いて、オホクニは、しきりに スセリヒメに訴えるように

 「鈍色の服も青色の服も、どうも私には似合わない。そこで今度は、あなたと一緒に山縣に行って摘んだ茜(阿多泥<アタネ>)を搗いて染めた布で、落度なくきちんと整えて拵えた服を着てみました。そして、この服を着て、沖つ鳥が水の上に浮いて頻りに羽ばたき見せる胸のように見てみると」

 と歌います。
 これも、また、古事記の原文で書いておきますので、読んでみて下さい。

     “夜麻賀多邇<ヤマガタニ>麻岐斯<マギシ>阿多泥<アタメネ>都岐<ツキ>曾米来賀<ソメキガ>斯流邇<シルニ>
      斯米許呂母遠<シメコロモヲ>麻都夫佐邇<マツブサニ>登理與曾比<トリヨソヒ>
      游岐都登理<オキツトリ>牟那美流登岐<ムナミルトキ>波多多藝母<ハタタキモ>・・・” 

 と書かれております。原文を読んでみると、不思議ですが、その時々の様子が、辺りの風景までもが入り交じって、著名な役者が演じる演劇を見ているような心地さへしてきます。文字の中に秘められている不思議な力を感じずにはおられません。

 話は別ですが、日本生まれの英国人「イシグロ氏」が今年度のノーベル文学賞をいただいたそうですが、其の書評を読んでみますと、彼の描く作品には、人間の心が読者に迫りくるとたたえられています。、まだ読んだことはないのですが、図書館にでも行って、まだ見ぬ書物への対面をしたいものだと考えております。  


3度目に着た服は・・・

2017-12-12 14:59:06 | 日記

 鈍色や翠色の服はどうも私には似合わないので、3度目にまた違う服を着ます。

          ”夜麻賀多爾<ヤマガタニ>麻岐斯<マキシ>阿多泥都岐<アタネズキ>”

 此処にある「夜麻賀多爾<ヤマガタニ>麻岐斯<マキシ>」は「山県にまきし」ですが、これについてもまた少々横路へ

 あの「仁徳天皇」に仕えていた黒姫が大后の嫉妬に恐れをなして吉備に帰ますが、その後を慕って天皇は行幸され、暫らくその地に滞在されます。1カ月かそれぐらいはいたのではと思いますが、その間に黒姫と一緒に生活をなされるのですが、その中にも

        “夜麻賀多邇<ヤマガタニ>」麻礽流<マケル>阿袁那母<アオナモ>”

 とあります。
 普通なら、この「マキシ」と「マケル」は同じで、「蒔く」だと思われますが、宣長は、「マキシ」は「蒔きし」ではなく、「求(まぎ)し」だと。一方で「黒姫」の方の「マケル」は「蒔ける」だと説明があります。がどうでしょうかね???どうして、このように使い分けをわざわざ宣長はしたのでしょうか。

 それについて私は次のように推量していますが、どうでしょうか。

  この「マキシ」ものは「アタネズキ」です。これは「茜」の事で、種を植えて出来る野菜「菘<アオナ>」ではなく、自然に生えている茜ですから、それを「瀬須理毘売」と一緒に仲良く捜しに行って採ってきたと言う意味を表しているので、「求し」だと言っているのではないでしょうか?????????


オホクニが次に選んだ服装は・・・・・

2017-12-11 11:55:20 | 日記

 鈍色の服装はやめて、オホクニが次に選んだのは

                   “蘇邇杼能<ソニドリノ>阿遠岐<アオキ>美祁斯<ミケシ>”

 です。「ソニドリ」は鴗鳥で、翠鳥で「川世美<カはセミ>の事だと宣長は説明しております。
 「あの緑色をした美しい「カワセミ色」の服を着て、両手を得げて大きくかざしてみたが」です。そして

                  “許毌布佐波受<コモフサハズ>”

 「此亦不宜<コモ フサハズ>」で、どうもすっきりと私には似合わないので、鈍色の服と同じように渚に脱ぎ捨てたよ。」


宝くじを買いました

2017-12-09 11:58:56 | 日記

 私は、毎年、夏冬の2回、もう何年も10枚づつ買ってきたのですが、当たるのは、毎回、300円券が一枚だけです。そこで、今年から、資金も少なくなりましたので倹約して3枚づつ買うことにしております。ちなみに、今年の夏も300円があたりました。そこで、これからは3枚づづ買うことにしておりますが、どうでしょうかね〉この考え方は???ご批判を