私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

須勢理毘売は、愛をこめて訴えます

2018-01-28 11:14:10 | 日記

 「お互いの腕をしっかりとから見合って抱き合い」と。それでもう十分に夫「オホクニ」の御足はその場に釘付けなっているのですが、更に、これでもかと云うようにとどめを刺すように、続けて、ヒメは歌います。

            “毛毛那賀邇<モモナガニ>伊遠斯那世<イヲシナセ>”

 と。
 「股をゆったりと長く伸ばして、ゆっくりと私の綺麗な柔らかな腕の中でお眠りなさい」と呼びかけたのです。この歌を聞くとオホクニは旅装束はそこら辺りに脱ぎ捨てるようにしてスセリヒメの元に飛んで行きます。すると、直ぐに、ヒメは手に持っていた盃

                  

 を差し出して、更に、歌います。

                    ”登與美岐<トヨミキ>多弖痲都良世<タテマツラセ>”

 「まづ、此処に持っておりますおいしいお酒を一口お飲みくださいませ。」
です。 
 なお、これは後の世で行われるようになった「仲直りの盃」の初めです。念のために!!!


「ことば」とは何でしょうかね???

2018-01-27 10:34:25 | 日記

 今朝の新聞によると

                    “何人死んだ”

 と云う国会でのヤジが問題になったと報道されております。一方、一面に掲載されている鷲田清一氏の「折々のことば」には

                    “あつまれ”

 と云う二歳児の言葉が紹介されております。此の二人の言葉ですが、考えてみますと、たった七字と四字の違いですが、その中にある言葉の意味は天と地の違いがあるように思われます。このどちらも、そんなに深く考えないで、その時に、とっさに口を衝いて出てきた思い付きの言葉だとは思いますが。皆さんはどう思われますか???
 前者の方は何の説明も要らないような、誠に幼稚な子供じみた短慮な考え方しかできない脳天気な者が言う言葉ですが、その言葉に対して、“あつまれ”と云う言葉の中にあるものは、誠に、真剣な研ぎ澄まされた清らかな心が精いっぱいに発せられた時の言葉です。

             ”ぼくのとくらべないで”

 と、お叱りを受けるかもしれませんが、言葉の持つ意義は大変重いのです、軽々しく例えヤジであろうと慎重にすべきことは言うまでもありません。私の平生の言動を痛く反省しながら書いております。
 ことばって大変な働きがあるものですね。人がこの言語を話すようになったことが世界の文明を生み育てたのですから。

 そんな意味を含めて、「言葉を大切に」と云う事を訴えたのが、今、書いている古事記の中に書かれている「沼河比売」と「須勢理毘売」の恋の歌なのではないでしょうか。
 「人をほめるのはいい事ですよ、それが人の世を平和にさせる第一の条件ですよ」と。

 そんなことを考えると、あのトランプ氏の言動はどうでしょうかね。亦、我が安倍さんのは???

                                  乞う!!!ご批判


須勢理毘売は歌います。

2018-01-26 18:22:24 | 日記

       ”多多伎<タタキ>麻那賀理<マナガリ>”

 と歌います。この<タタキ>の解釈に [手抱き]とする学者もいるようですが、これは、<タタキ>は「叩き」で、大変エッチな話ですが、胸をそっと撫でるように叩くと云う意味があるのです。そして、「お互いに組交(ま)じりまわして寝ましょう」と云う意味です。
 そして、更に毘売は訴えるように歌います。

                 “麻多麻傳<マタマデ>”

 は真玉手で、大変に美しい手でオホクニの手を指します。その手を私の”多麻傳<タマデ>”「か弱い手」とお互いに巻き合いながらです。<マク>は「枕にして」と云う意味です。

 沼河比売が言った言葉と全く同じですが、そう呼びかけたのです。そして、さらに・・・・此れも明日に・・・・


どうでしょうか????「天声人語」さん

2018-01-25 10:14:29 | 日記

  あの沼河比売の乳母か誰かが言った歌ではにかと前には書いたのですが、須勢理毘売がオホクニに歌った歌は、傍には乳母などような人もいませんので、本人の本心から出た言葉ではないかと考えられます。そのような大変卑猥な言葉がよくも口を附いて出たのだと感心するばかりです。

                  ”曾陀多岐<ソダタキ> 多多岐<タタキ> 麻那賀理<マナガリ>”

 です。
 「曾陀多岐<ソダタキ>」は、前にも書いたように、その胸を「そろりと優しく叩き」。そして、「乳房を撫でまわしながら互いに抱きあいましょう。」と云う意味だと宣長は説明しております。発禁になりかねないような、大変、卑猥なる言葉が、2度も使われているのです。余程、この言葉が稗田阿礼には気に行っていたのでしょうかね?????

 またまた話が反れますが、今朝の新聞コラムに、白根山の噴火に関連付けて、寺田寅彦の話として、「とりわけ、スサノウの神話について『火山現象を如実に連想させるものがはなはだ多い』と書いている」とありますが、それよりも、むしろ、その真実性をより深く感じさせる日本における火山活動とその災害の歴史的関連を物語るお話としては、今私が書いている「オホクニ」の話、あの八十神が山から火の玉を転がしてオホクニを焼け殺す話の方がより適切な話になるのではないでしょうかどうでしょうかね。「天声人語さん」???


斯多爾<シタニ>は「下に」です

2018-01-21 11:14:11 | 日記

暫らくコンピュータから離なれていましたが、ようやくその部屋に入ることができるようになりましたので、また、駄文を書き綴ってまいりますので宜しく。と云うのも、その部屋が古くなったものでから(築50年)、ちょっと大工さんに入っていただいておりました。

 さて。オホクニがその妻「須勢理毘売」の嫉妬深かさに嫌気がさして倭国へ逃げ出そうとした時の二人の間に取り交わした歌を紹介しているのですが、そのヒメから夫に呼びかけた歌です。

     「柔らかい絹の掛け布団や木綿の敷き布団の

             “斯多爾<シタニ>”

 一体、何をしようと云うのでしょうか。スセリヒメは???。それから、更にヒメは言います。

          “阿和由岐能<アワユキノ>和加夜流<ワカヤリ>牟泥遠<ムネヲ>”

 この歌は、先にも、一度見てきたのですが、あのオホクニが「高志の国の沼河比売」の返歌として歌われた歌と、全く同じ歌なのです。どうして人が違うのに同じ歌がうたわれたのでしょうか。ただ、その順序が「沼河比売」の場合は

              “栲綱の 白き腕(たたむき)
               沫雪の 若やる胸(むね)を”

 と。それが「須勢理毘売」では

              ”沫雪の 若やる胸(むね)を
               栲綱の 白き腕(たたむき)”

 となっております。この言い方の順序を変えるだけで同じ歌なのに二人の違う女性の歌にしてもかまわないと思う心が現れているのでしょうか。現代だったら著作権問題として、喧しく取り上げられそうに思われるのですが??この歌て、本当に、全く同じ内容の歌なのですが。、ちょとばかりエッチな歌なのです。