私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

スセリヒメが言った“阿波母與 <アワモヨ>”は

2018-01-08 09:43:45 | 日記

 「阿波母與 <アワモヨ>」。「私は」と急に声を落としてスセリヒメは歌います。多分、しばらくは十分の間をおいて、更に声を落として歌うのです。不思議なのですが万葉仮名で書かれてある古事記の中の歌を、読むでなく、見るでなく、眺めるように一字づつたどれば、すると、自然に「スセリヒメ」の声が何処からともなく私の耳に届いてくるような感じがするのです。その歌を書いてみますので声に出して句ださい。

               “  ・・・・・・
                奴斯許曾浪   遠邇伊麻世婆           ヌシコソハ   ヲニイマセバ
                宇知微流  斯麻能佐岐邪岐            ウチミル    シマノサキザキ
                加岐微流  伊蘇能佐岐淤知受          カキミル    イソノサキオチズ
                和加久佐能  都麻母多勢良米          ワカクサノ  ツマモタセラメ           
                           
                 阿波母與  売邇斯阿禮婆             アワモヨ  メニシアレバ
                ・・・・・・・・              ”               

 このように、先ず、「オホクニ」の立派な御姿を歌ってから、それに比べて自分の持つオホクニに対する心を歌っています。それは恋の駆け引きとしては最上級の方策なのです。


 ”阿波母與”の<モヨ>とは

2018-01-07 09:53:01 | 日記

  ”阿波母與 <アワモヨ>”ですが、「吾。私は」です。その後にある「モヨ」についてですが、これについて、今日も又、少々横道にそれて考えてみたいと思います。なお、これを本居宣長は「助辞」だとしております。この「モヨ」ですが、万葉集の最初にある歌に、「籠モヨ ミ籠モチ」がありますが、この「モヨ」と同じ用法の言葉ではないかと思い、念のために、契沖の「万葉代匠記」を開いてみました。我々が、その昔習ったのは

    ”籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この丘に・・・”

ですが そこには驚くべき読み方が記されておりました。それを書いておきますので、ついでながらお読みいただけららと思います。

 

   “・・・・是にては七字、四字、七字と三句によむべしいへども、古風を思ふに二句なるべし。上の句は、「こも」の二字を心に切やうににて、「よみこももち」までを一句によみ下句は「ふくしも」の四句を切るようにて、「よみふぐしもち」の七字をよみつづくべし。「こもよみ」とつづけて「こもち」とよみ、「ふぐしもよみ」とつづけて、「ふぐしもち」とよむべからず。・・・・”

とあります。どうでしょうかね・・・・「アワヨモ」とは何なら関係はありませんが、そんなことを正月早々に思いました。「くだらん」とお思いでしょうが???


須勢理毘売の変身か???

2018-01-06 11:10:39 | 日記

 オホクニは妻であるセスリヒメの

              “甚為嫉妬<イタク ウハナリ ネタミ タマヒキ>”

 そうです。あまりにもひどい妻の嫉妬に辟易して、出雲から倭へ逃避されようとしたのです。その時に妻からの返歌です。

  「我が夫よ。あなたは凛々しくて男の中の男です。何処へ行っても、遠くの島に行っても、国境の辺鄙な御崎辺りに行かれても、どこでも若草のような美しい乙女を妻に屹度なさるでしょう。」
 と歌います

             “和加久佐能。都麻 母多勢 良米<ワカクサノ ツマ モタセ ラメ>”

 「良米<ラメ>」は、助動詞「らむ」の已然形で、『するでしょう』です。あなたはそれぐらい男の中の男です。ここまでは、はっきりとその夫に向って大きな声で言います。
 「あなたは大変立派なお方です。」
 と。
 
 でも、古事記の文章にはそれらしい説明は無いのですが、その毘売の歌った次の歌を見ていると、何となくそこら辺りの文字の中から、声の大きさも聞こえるか聞こえないか分からないような小声で、上代の女性のしなやかと云いまそうか奥ゆかしさといいましょうか、女性らしさと云いましょうか、そのような小声で下向きに歌っているような姿が読みとれるように思うのですが。その歌は

            ”阿波母與 売邇斯阿禮婆<アワモヨ メニシアレバ>”

 です。


遠邇伊麻世婆

2018-01-05 18:02:57 | 日記

 スセリヒメはオホクニに盃を差し出しながら歌います。「吾がオホクニこそは」

               “遠邇伊麻世婆”

 と。<ヲニオマセバ>と読みます。「ヲ」とは「男」です。「あなたは男でしょう。」と呼びかけます。男でしょう、とっても凛々しい男ですこと。と、褒め称えております。その凛々しさでもって大海原の島々にある御崎に行って、又、其にある渚を駈け廻ってみなさい。どのようなことがまちうけているでしょうかと。呼びかけております。

 先にオホクニがスセルヒメに呼びかけた 「あなたは、きっと、私が倭の国に旅立つと、物陰で泣くでしょう」

 と呼びかけたことにたいする返事です。さて、それからがまた面白くなりますが・・・・・“


「玉杯というのがあろうが・・・」

2018-01-04 10:04:23 | 日記

 またまた新年の御挨拶です。

 「おめえのおかざりは そげえに じまんせんでも どけえでも ころばりょうるかなあ めずらしゅうも なんでも ねんじゃ ええかげんにせえよ」

 と。そして、この前から私が書いている「さかずき」について、

 「おめえが でえれえ たからもんのように ぎょうさん けえとる さかずき じゃがなあ ほかに、ぎょくへえ ちゅうもんも あるんじゃあねえかなあ。そうすりゃあなあ、おほくにに だしたんは ぎょくへえじゃあ ねんじゃろうかなあ」

と書いてお送り頂きました。そうです。あの鉄幹が作ったと言われている一高寮歌

         嗚呼(ああ)玉杯に花うけて
       緑酒(りょくしゅ)に月の影宿(やど)

 と ある「玉杯」があるのですが、太古の日本には、翡翠などの鉱物で出来た勾玉などの祭器はありますが、酒器はまだ見たことはありません。それに「スセリヒメ」がオホクニに差しだした「さかずき」は“大御酒坏”だったのですから玉ではなかったはずです。

 なお、その玉に似たさかずきとしてつくられたのが青磁のさかずきです。それも持っていますのでお見せします。