脚摩乳・手麻乳老夫妻が作ったお酒は野ブドウなどの果実から作られたアルコール分の薄い酒だったのですが、「大和事始」(酒)に出ている次なる酒は
“天甜酒”
<アマノタムサケ>です。此のお酒は日本書紀には
“時神吾田鹿葦津姫、以卜定田、號曰狹名田。以其田稻、釀天甜酒嘗之”
と書かれております。「吾田鹿葦津姫」とは木花開耶姫のことです。ひめが狹名田「サナダ」に出来た稲を使って醸したお酒なのです。(以其田稻、釀天甜酒嘗之)ということは、日本で、最初に、米から作られたお酒は此の時からだと言う事を表しております。
しかし、昨日書いたように「袖鑑」によると
米から酒が作られたのは十六代の応神天皇の時ですから、この日本書紀の記述とは随分時間的にかけ離れているのですが、どうでしょうかね???
では、この。「吾田鹿葦津姫(木花開耶姫)」は何時頃の人でしょうか、それについては、此れも誠に複雑な関係で書紀にも書かれていますので、詳しくは明日にでも???