私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「大和事始」その2

2018-02-04 10:51:11 | 日記

 脚摩乳・手麻乳老夫妻が作ったお酒は野ブドウなどの果実から作られたアルコール分の薄い酒だったのですが、「大和事始」(酒)に出ている次なる酒は

                   “天甜酒”

<アマノタムサケ>です。此のお酒は日本書紀には

     “時神吾田鹿葦津姫、以卜定田、號曰狹名田。以其田稻、釀天甜酒嘗之”

 と書かれております。「吾田鹿葦津姫」とは木花開耶姫のことです。ひめが狹名田「サナダ」に出来た稲を使って醸したお酒なのです。(以其田稻、釀天甜酒嘗之)ということは、日本で、最初に、米から作られたお酒は此の時からだと言う事を表しております。
 しかし、昨日書いたように「袖鑑」によると

                     

 米から酒が作られたのは十六代の応神天皇の時ですから、この日本書紀の記述とは随分時間的にかけ離れているのですが、どうでしょうかね???
 では、この。「吾田鹿葦津姫(木花開耶姫)」は何時頃の人でしょうか、それについては、此れも誠に複雑な関係で書紀にも書かれていますので、詳しくは明日にでも???


醸八塩折之酒

2018-02-03 10:12:32 | 日記

 「醸八塩折之酒」と書かれた古事記から、貝原好古は、日本で最初に作られたお酒だとしてあります。この「醸」を、古事記では、<カミ>と読んでおり、<カミ>は<カム>ですから、当然、口の中で噛むのかなと思ったのですが「豈 図らんや」で、「醸」は酒を作る事を云うのだそうです。麹に仕立ててかもす事から「カム」という云い方が生まれたのかも知れませんね。もしかして、此の言葉も「神」に通じる言葉かも????

 なお、スサノウの時代に造られた此の「八塩折之酒」は、純度が低いものですから、それを上げるために八度も醸す必要がり、出来るまでに相当な時間がかかって(一説によりますと、正月に仕込んで酒ができるのは八月になるという。)それだと、スサノウがクシイナダヒメを助けるオロチ退治には、到底、間に合わなかったのではないかという人もいるようですが???でも、何はともあれオロチ退治には、このお酒が使われたことには間違いないことなのだそうです。このように昔話には色々な場面が想定できた諸説ぷんぷんになるのが当り前なのですが????


宣長のすごさは!!!!!

2018-02-02 09:41:27 | 日記

 私は古い本を集めております、今、私が持っている一番古い時代の本は、元禄時代(1697年)に出版された本で、

   ・貝原好古著  「大和事始」

 という本です。

     
 この本に我が国の「酒」の事始が書いてあります。それを少々ご紹介します。

 この本によると『日本で最初に造られた「酒」は』

         ”素戔烏尊、脚摩乳、手麻乳をして、八醞八甕<ヤシホ ヤハラ>の酒を醸さしむと
                  あれば、是酒の始也。"

 と出ております。
 しかしながら、ここにある”是酒の始也”と昨日書いた「二千年袖鑑」にある「酒の始め」とを比べてみますと、そは内容も年代も随分の差異があります。
 ここにある貝原好古の「大和事始」の酒は黍などから作られたお酒ですから、その種類やアルコール分等には聊か違いがあるようです。この酒のアルコール分も「袖鑑」にある酒より随分と薄く、沢山の飲まなくては酔いが早く回りません。その為に製法が改善された製法によって作りだされたのが

             ”八醞<ヤシオ>” 

 の酒です。この「八醞<ヤシホ>」は、古事記では

              ”八塩折之酒<ヤシホオリノシホ>

 と書かれております。
 この酒は、一度醸し熟成させ、それを絞り、出来た糟をすてて、その汁を、再び、醸す。これを八回繰り返して酒にするので、此の時出来たお酒を「八塩折之酒」といったのだと宣長は説明しております。現在でも、にごり酒のことを「おり」と言っているのも其の名残なのかもしれませんよね。
 なお、宣長は続けて、この「シホ」について、布を染める時に言う『一しほ』『二しほ』 も、また「シボル」という言葉も、此の酒造り(八塩折之酒)の生成過程から生まれた言葉だと説明がしてあります。

 「折る」というのは酒を作る時の事を云う言葉で、「しぼる」も「しおおる」から生まれた言葉だとも

 まあ、何回ともなく書きますが、宣長のすごさが今更のように感じます。