私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

高御産巣日神の矢は現代でもあるんです???

2018-05-12 10:55:18 | 日記
 地上から飛んできた矢を高御産須日神は、

         “自其矢衝返下者<ソノヤノ アナヨリ ツキカエシタマヒキ>”

 します。地上から飛んで来た時に出来た天にある穴からその矢を「衝返」たのです。穴の中へ入れるだけでその矢は元来た方向に道を過たずに飛んで行くのです。神の矢は本当に不思議な力があるのです。傳承物語ですから当然ですが。その矢は、高御産巣日神の云った通りに邪心<キタナキココロ>の天若日子に飛んで行きます。丁度、その時ワカヒコは、

          “寝胡床<アグラニ ネタル>”

 しております。
 <アグラ>とは、今でも「胡坐(あぐら)をかいて坐る」と使われているように。ここでは寝ているのですから、座ってはいなかったのでしょうが、椅子か何かに腰かけた状態で胸を上向きにして???あの麻生さんが何時も座っている国会での大臣席でのようなあのような座り方をして寝ていたのでしょう。兎に角、そのような状態で寝ている天若日子の胸に、飛び帰って来た矢が当たり死んでしまうのです。

 この「邪心」は<ジャシン>ではなく、此処では、特別に<キタナキココロ>と読ましております。ちょっと話が外れますが、昨日の柳瀬氏の国会喚問でのあの発言や近頃の麻生氏の数々の発言を耳にしたり目にしたりしておりますと、彼等の心はこの<キタナキココロ>そのものではないかと思うのですが???、一般的な常識とはケタはずれに違ったものではないのではないでしょうか。高御産巣日神が天から投げかけたあの「波波矢」は、彼等の胸には当たらないのでしょうね。かえって我々の胸に突き当たったかのように、何か胸糞が悪いような気分に朝からしてしようがありません????。皆さんはどうお思いでしょうかね。

           八十老人のひとり言です。

北朝鮮のミサイルみたいに

2018-05-11 11:39:30 | 日記
 天若日子が湯津楓<ユヅカツラ>に止まっていた雉を持っていた、昨日累々と説明した、弓矢で撃ち殺します。あろうことか、その矢は雉の胸を通り越して、更に

              “逆射上<サカサマニ イ アゲラエテ>”

 とあります。北朝鮮の弾道ミサイルのように天まで飛び上ったのです。今を去る事、数千年も昔のことですよ。驚くべき力のある弓矢だったのでしょうね。この『波士弓』と『加久矢』はです。液体燃料など無くてもよいのですが、弓矢ですから原子爆弾は飛ばせないでしょうから、これが世界平和を揺るがすもとにはならなかったのですが。
 その矢がアマテラスなどが集まっていた「天安河之河原」まで届いたのです。アポロンやヘラクレスの弓矢とは、また、違った強力な弓矢だったのでしょうか???

 その飛んできた矢を見られた「高御産巣日神」は云います。
 「此の矢の羽に血が付いておる。先に天若日子に授けた矢だ。」
 と。そして多くの神にその矢を見せて云います。
 「此の矢がワカヒコが荒らぶる神を射た矢であったなら、此の矢には当たらない。もし、彼が邪心を起こして射た矢ならば

     “此矢麻賀禮<コノヤマガレ>”

 とあります。即ち、<マガ>(凶悪なこと)の用言で、<マガレ>になり、禍に合うことで、「死ね」と云う意味になると宣長の説明です。「此の矢に当たって死する」だと。

古文の巧みさ面白さ!!!!!

2018-05-10 10:38:08 | 日記
古事記には詳しく雉を射殺すまでの過程をくわしく書いていますが、書紀では簡単に

  “時、天探女、見而謂天稚彥曰「奇鳥來、居杜杪。」”
 <トキニ アマノサグメ ミテ アメノワカヒコニ イイテイワク。「クシキトリキテ カツラノスエニオリ>

 と。昨日書いたように、古事記の記述の方が詳しくその様子を書き現わしております。
 書紀には「奇鳥來、居杜杪」に続いて

      “天稚彥、乃取高皇産靈尊所賜天鹿兒弓・天羽羽矢、射雉斃之”

 と。
 ここでは雉を射ち殺した弓矢を“天鹿兒弓・天羽羽矢”と書いておりますが、それについてまた少々。
 この弓矢について古事記には

       “天之波士弓、天之加久矢”

 とあり、弓と矢の名前が、なぜだかは分からないのですが、逆になっております。なお、天若日子が地上に来る時に手渡された弓矢は

       “天之麻迦古弓、天之波波矢”
  
 です。ここでも弓と矢の名前は逆になっております。これについて宣長は

“真鹿児弓と波士弓と一ツにして、別物に非ず、波波矢と真鹿児矢とも一ツにして、別ならず・・・”
 
として、弓と矢の「用」と「体」を夫々に違えて同一のものであることを暗に知らしめるために、敢て、このような書き方をした古文ならではの巧みさ面白さだと説明があります。苦しい言い訳でしょうか???

 是も、どうでもいいことでしょうが、時間がいくらでもありますから、敢て、不要な文章にして見ました。笑読ください!!!!、

 






天之波士弓、天之加久矢

2018-05-09 09:52:51 | 日記
 天若日子は「天佐具売<アマノアサグメ>」の云う通りに湯津楓に止まっている雉を持っていた弓矢で打ち殺してしまいます。その弓と矢ですが
       
       “天之波士弓<アメノハジユミ>天之加久矢<アメノカクヤ>”

とあります。
 でも、「しばらく御待ちなさい。」よと云われそうですが、それは天若日子が思金神から水穂国に出発する時に与えられた弓と矢の名前は

       “天之麻迦古弓<アメノマカコユミ>天之波波矢<アメノハハヤ>”

 であったはずですが、此の時使った弓矢は、思金神から与えられた弓矢とは違うのを使ったのでしょうか、名前が違います。どうしたことでしょうか。そこで、再び、宣長先生の出番になります。先生によりますと

      “天麻迦古弓は「用」を云る名、天之波士弓は体を云る「名」にて、同じ弓になりこと”

 と有りました。天之波士弓の「波士」は、木の名前で、波士の木で作られた弓で「体」を云る名で、天之麻迦古弓の「麻」は「真」で、「迦古」は「鹿児」で、鹿を射つ時に使う弓で「用」と云る名だと。また、同じように矢も「波波」は「羽羽」で、鳥の羽の広くて大きいのを矢で、「体」を表し、天之加久矢については「加久<カク>」は「迦古<カコ>」で、鹿を射つ矢と云う意味があり「用」を表す、と説明があり、それぞれその「体」と「用」から付けられた名前で、同じ弓矢だ・・・・・とありますが、そこら辺りはよく理解しかねるように私には思われますが、どうでしょうか???? 

天佐具売は報告します

2018-05-08 10:39:54 | 日記
 鳴女の復誦する詞を聞いた「天佐具売」はそれを、早速、天若日子に告げます。彼女は巫子ですから占いを本業としております。それゆえ、庭の木に止まっている雉の鳴女の言っている言葉そのものよりはむしろ、その声を

          “其鳴音甚悪<ナクコエ イトアシ>”

 と読みとったのです。「これは甚だしく悪い知らせだ。」と、詞そのものよりも、むしろ、その声からその善し悪しを判断したのです。だから、若日子には

           “故可射殺云進<イコロシタマヒネ ト イイススムル>”

 「庭の湯津楓<ユヅカツラ>の木に、誠に奇妙な雉が止まっております。あんな不吉な雉など早く弓で撃ち殺してしまわれたらどうでしょう」
 と進言します。
 この「天佐具売<アマノサグメ>」について、宣長は「讒女<ザンメ>」のような女性ではないかと云っております。ちなみに「讒」とは「言葉巧みに告げ口をして人を陥れる人」と云う意味があるそうです。
 この女性が云いますのですから、天若日子は、早速、此の水穂国に来る時天神から授かった

     “天之波士弓<アメノハジユミ>天之加久矢<アメノカムヤ>”

 で、其の雉を射殺してしまいます。

 ここで、又、「ちょっと待った。おかしいのでは???」の声がかかります。どうしてだと思われますか。鈍行列車で恐縮ですが、明日またその横道へ・・・・・