私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

時鳥早やも来鳴きて・・・

2018-05-17 09:07:32 | 日記
 この『夏は来ぬ』は、作詞:佐佐木信綱、作曲:小山作之助により1896年に発表された歌です。もう120年も知らない人はいないくらい日本人の心の歌となっています。その歌は

     匂う垣根に時鳥、
     早も来鳴きて
     忍音もらす
     夏は来ぬ

 です。誰もが今の季節に自然と口を衝いて出てくる歌ではないと思いますが・・・
 そのホトトギスの初音を、今朝3、4時頃だと思いますが、吉備の中山あたりから、決して忍び音ではなく、さも、我は今此の時にここに来たよと云うよう強く自己主張をするように甲高く鳴き渡っていました。いよいよ夏本番です。その音色と一緒に夏を知らせてくれるものに育てている「花菖蒲」があります。毎年ホトトギスの初音を耳にすると、この花も堅いつぼみをそっと辺りを恥じらうように開きかけます。
初音はお届けできませんが、僅か1穂ですが出始めたたばかりの花菖蒲の花芽をどうぞ!!!!

              


  なお、こんな歌も古来より知られているのですが

                               




それよりももっと日本人に知られているのですよね。

リットン報告書

2018-05-15 14:46:41 | 日記
                


 此の本は『リットン報告書』です。1932年10月2日に、国際連盟の満州事変についての調査団が出した報告書です。この報告書作成の為に彼等がした日本や中国に関するで調査は、1932年3月から6月までの4ヶ月間です。その間に5・15事件が発生して、犬養木堂が暗殺されます。ですから、この事件は、犬養木堂を慮って、ある程度日本を同情的に取り扱ったのではないかともと云われていますが???
 しかし、この報告書の何処をどう読んだのかわ知りませんが「櫻井」とか言う、やや右翼的な発言が気になるのですが、元アナウンサーは
 「・・・リットン報告書は、もちろん満州国の独立は認めないが、80%日本が正しいと言っている。・・・」と書いています。「何処から80なる数字が」と云う疑念が浮かびますが。少々おかしいのではないでなしょうかね。思うのは自由ですが???貴方は如何に!!!!

 さて、この報告書を見て「犬養木堂」はと云う思いも。

この写真がどうして5・15事件と関連があるの???

2018-05-15 08:45:22 | 日記
               

 と云う問い合わせがありました。どうしてだと思いでしょうか。
 此の砲弾には次のような刻字が見られます。
                 

                 

 「満州事変南岺激戦記念」と「昭和6年9月19日」と言う字が彫り込まれております。ということは、此の砲弾は満州事変勃発の当時の朝、即ち、昭和6年9月19日の朝の戦闘で、満洲の南岺で、使用された砲弾であることが分かります。その戦いの終結を託された人が、当時、もう79歳になる信州へ引退していた木堂です。そして、その戦争終結とその後の日中平和、ひいては世界平和のための木堂の政治に不満なる青年将校によって、『話せば分かる』と云う言葉は生まれたのですが、彼の生命が、この言葉とは裏腹に、この世から消し去られたのです。
 なお、多分、此の砲弾は、現在、残っている満洲事変を物語ることができる日本に残っている数少ない貴重品ではないかと思いますが???

『話せば分かる』と云う言葉

2018-05-14 12:21:45 | 日記
昭和7年(1032)5月15日、所謂、5・15事件の記念日です。86年も昔の話です。当時の首相「犬養木堂」が青年将校による暗殺された日です。それを記念して、毎年、木堂の生家の近くに有る彼の墓地でシメヤカニ慰霊祭が行われております。私のその慰霊祭に毎年参加して選考を奉っております。それと並行して我が家でも、彼の記念の品を並べてささやかですが彼の為の慰霊をしております。その写真をどうぞ

  まずは
            

 「話せばわかる」の元になった書です
            
 その前年の岡田内閣の大臣たちの漫画から
            
 彼の青少年時代の先生、犬飼松窓の書です。
            
 その他満州事変と関連のある砲騨とリットン報告書です。
            
            

今諺云<イマ コトワザニ イウ>

2018-05-14 09:13:37 | 日記
 「今」現代と云う意味です。ずっと昔の神代の出来事だが、これが今までも『諺』になって伝わっている言うのです。
 この<コトワザ>ですが、本来は

          “許刀和邪<コトワザ>”
 
だ。と宣長先生は言います。「許刀<コト>」は「言」で、「和邪<ワザ>」は、神や死人霊がたたるのを物の<ワザ>と云っていたのです。それが、次第に、人の口を通して神様がお歌わせたのが「和邪歌<ワザウタ>」になり、更に、それが「言<コトバ>」によって言われるようになったものが「コトワザ}即ち『諺』なのだと。
 なお、「禍<ワザワヒ>」の「ワザ」も、この「コトワザ」と同類の言葉で、神などによる「ワザ」即ち、「崇る」ことから起る現象で、「ワザワウ」の用言とし「ワザワヒ」が出来たのだとあります。

 そのような言葉の根本からの説明がしてあり、「古事記伝」のすごさが、今更のように思われます。