今朝の朝刊に、”五濁の時代に”と言うコラムが月1回でます。
五濁とは・・・・仏教用語で、悪世において発生する避けがたい汚れのこと。劫濁(こうじょく・・・時代の汚れ)、見濁(けんじょく・・・
邪悪な見解や思想が栄えること)、煩悩濁(ぼんのうじょく・・・・・煩悩が盛んになり悪徳が横行する)、衆生濁(しゅうじょうじょく・・・人間の
資格が低下すること)、命濁(みょうじょく・・・寿命が短くなること)の五つである。
それに描かれていたことですが・・・・・・
春が来れば花が咲き、虫たちが活動し始めるのを当たり前に思ってるが、柳はどうして芽吹く時を知るのか、虫はどうして春の到来を
知るのか。春が近づいても寒い日もあれば暖かい日もある。それでも生き物は毎年きちんと間違わずに春の到来を知る。
人間は暦を見ながら「今年の冬は温暖だ」とか「例年よりも寒い」などと異常気象を話題にするが、昆虫や草花はそのような極端な気候に
惑わされることなく春を知る。
暦を持つ人間は「暦の上では春だが、まだ寒い」などと、暦と自分の体感の違いを話のタネにする。
植物だけでなく、昆虫も独自の方法で春の到来を察知して活動を始める。自然と共に生きてる動植物は春を知る不思議な能力を持ってる
のである。人間だけが自らの知識や技術を過信して大自然のはたらきを想定外と捉えているようだ。・・・・・
花の芽は、前年の夏に作らている。それが寒い冬のうちに蕾となり、春の暖かさで開花するのである。
花が咲く春だけでなく、芽を育む冬もまた尊い。・・・・・・
春が来て、・・・・・桜の開花を待ちどうしく思ってたが、春になれば、植物の花が咲くのは当たり前に思っていた。
それが、どうして、”春”を知るのだろう・・・とは、考えたことが無かった。
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