木版画あすなろう会

木版画を見てあんなのがつくれるといいなあ~と思う人

歴史

2020-02-29 20:37:55 | Weblog

  今まで”歴史”なんて~面白くもなかったが・・・・・実際、自分たちの地域の名前が出てきたりすると・・・・ついつい深読み

してしまう。図書館で郷土の歴史の本を何冊か借りてきて読んでる。

  浜黒崎村に”競馬場”があったらしい(明治時代)

  どこにあったのかと、娘と一緒に写真を撮りに行ってきた。

             

             

        ↑ 今は、畑になってるが広い敷地があった。近くで畑仕事をしてる男性に聞いたら、この場所だ。と

        言われたので、写真を撮ってきた。

        また、

        今のJR線(昔の国鉄)の今の東富山駅が昔は、「冨山岩瀬駅」という名前だったらしい。

        その岩瀬駅と水橋駅との間に常願寺川が流れていて、岩瀬駅と常願寺川との間に臨時に「浜黒崎駅」の停車場が

        できた。浜黒崎の海水浴場が夏場賑わっていたので、夏だけの臨時の駅が出来たらしい。

              

              

              ↑ 富山岩瀬駅方面(今の東富山駅)

              

              ↑ 水橋駅方面

              

              ↑ 踏切の傍に・・・・・なにかある?

              

              ↑ 野仏でした。この場所に臨時の駅があったのだろうか?(現在の中井踏切と明記されていた)

              

              ↑ 昔の道か?・・・・・今は横に舗装した広い道がある。

              

              

        そのあと・・・・・会社のホームページに載せるための現場の写真を撮りに行った。

                    娘のような若い子が現場に行くと・・・・・嬉しいのか?従業員たちは笑顔だった。

              

              

              

            ↑ 田んぼのドハ・・・・・上手に作るなあ~~~

              

          横の森の上では、巣作りが始まって・・・・・にぎやかに鳴いてる。

              

             ↑ これは、 鷺(サギ) か?

              

              

              

              

              

 

              

             


歯の磨き方

2020-02-28 14:10:16 | Weblog

 今日は歯医者の予約日でした。

AM11時からの予約でしたが、15分ほど早く着き、週刊誌を見ようとしたら、すぐ呼ばれて診察台に寝かされた。

が、・・・・・

診察台に寝かされたまま、25分も待たされた。

これなら待合室で待ってた方が、週刊誌も読めるのになあ~~~と思っていたら・・・・・・隣の治療台に寝かされている患者。

先生が

「見た目には、綺麗だけど・・・・・・ああ~歯ブラシ持参されていますね。ちょっと出してください。」と言われて、出した様子。

最初先生が磨き方を指導してる様子で、後は本人に磨いてみなさい。と指導してる様子。

「そうそう!うん。うん。・・・あ~歯ブラシの持ち方変えられませんか?」というってて・・・・

「うん、そうそう・・・左手の方が磨きやすいのですか?ま、どっちでもいいですけど・・・・今度来るまでに練習してきてください。手鏡

などを見ながら磨くといいですよ。」と・・・

歯医者で歯を磨いてもらったら、気持ちいいですよね。

歯磨き粉のいい臭いで騙されるのか?きちんと磨けていないことが多い。丁寧に磨いたら虫歯にならないのだろうけどねえ~


版画展

2020-02-27 19:56:48 | Weblog

   日展作家でもある 住吉由香子さんの個展を見に、朝日町のふるさと美術館まで行ってきました。

   道中、霰が降ってきて、あたり一面真っ白になりました。

           

     会場は撮影禁止でしたので、ポストカードを買ってきて写真に撮って載せています。

           

           

           

      ポストカードはこれくらいしか売ってなかったので、・・・・ですが、美術館にはもっと素晴らしい作品が展示されていました。

      俳句誌の挿絵にもなってる作品もガラスケースに入っていましたし・・・・

      新聞掲載された作品も数十点展示されて・・・・・とても素敵でした。

      「しだれ桜」の作品は、桜の粒をコルク版を使ってるらしく・・・・丸い粒が無数についていました。

      わたしは、まじめに版を彫っていましたが、こういうやり方もあるのだ。と勉強してきました。

 

   ふるさと美術館の前に・・・・・マンホールがありました。

             

         あさひまちと表示されています。

         真ん中のマークは、町章で、周りは 町の花 つつじのデザイン。

         朝日町道下 にこのマンホールのカラーがあるそうです。

         

             

        雨水の表示がある。

             

         汚水の表示がある。


水彩画の仕上がり

2020-02-26 08:26:07 | Weblog

      ずーっと描いてた「沢杉」の水彩画・・・・・・やっと、仕上がりました。

 今日、教室なので、先生に観てもらって、サインを入れるつもりです。

                  

 

     さて、次は何を描こうか?

            


手つくりデザート

2020-02-24 21:22:16 | Weblog

  娘が プリンを作ってくれた。

            

        取だし安いように周りに包丁をいれた。

            

         皿に明けたら、崩れてしまった。

         その間に、キャラメルソースを作る

            

        出来上がり

            

     形は崩れたけど、味は美味しい!

     また、作って!ってお願いする。

         


散歩中意外なものを見付ける

2020-02-23 08:18:53 | Weblog

    散歩してると・・・・・・・

         

      塀にトランプの模様が張り付けてある。

      そして

      マンホール

         

     亀甲模様の 弁水止

         

      カラー(黄色)の消火栓

        雪の結晶と立山、と雪溶け水の豊かな流れのデザイン

         

    これは面白い!

         平行四辺形の地模様の斜め分割式型蓋

         

    周りに青色。空気弁。真ん中の丸に「工水」と書かれている。 工業用水の空気弁。

         

         


歴史・・・・継続

2020-02-23 08:11:36 | Weblog

  浜黒崎競馬場 がどこに作られていたのかは・・・・・・探しても、地元の人に聞いてもわからなかった。

  まだ、私たちが生まれていなかった時代の話(?)だったからかーーーーー

  森のようになってる場所が、いくつかあるがーーーーーーー???

  岩瀬の競輪場

           

           

       手前は運河。

       奥に見える建物が、競輪場です。今も活躍中。(冬場はもっぱらテレビ中継らしい)

           

           

           


歴史

2020-02-22 13:49:55 | Weblog

浜黒崎村

    浜黒崎村は、1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴いそれまでの上新川郡浜黒崎村、高来村、針原横越村、

   平榎村、町田村、日方江村、日影村、針木村を総合して誕生し、1940年(昭和15年)9月1日に冨山市に統合された

   上新川郡の村であって、現在の浜黒崎小学校、即ち 冨山市浜黒崎、横越、平榎、高来、野田、日方江、針日、古志町

   の区域に相当する。

   浜黒崎という地名は、本村の海岸には、常願寺川上流に火山たる立山のあるため磁鉄鉱の多くそのため、浜が黒くなって

   見えたことが由来であるという。

 

   西側には、大広田村との境界にである村川が流れ、日方江には轡田豊後守の大村城の出城と伝えられる日方江城の遺構

   や、上杉謙信が大村城攻略の際の陣地となすために築いたとされる「そうけ塚」が残る。

            

            

            

            

            

       富山湾に面する北方の海岸には、越中舞子とも称される「古志の松原」を配置しており、並木の内には、親鸞の

       腰掛けと伝えられる「親鸞上人腰掛けの松」や、慶長6年、加賀藩主前田利長が命じて植えた松が残っており、中

       には、樹齢周囲6尺以上丈に達するのもあって、白砂青松の海浜には 日本の白砂青松100選の一つに選ばれ

       ており、ここよりの眺める立山の姿を賞して冨山市より”立山をあおぐ特等席”に指定されている。

            

            

            

            

            

            

        松並木植樹の理由には、参勤交代の折りに、積雪時の目印になすため、また、街道の美観を思ってのことで

        あると言われており、松並木は、保安林のためとも言われている。

        大村には、もと、東岩瀬町の地名である大村の古称であったが、後世に至って針木や日方江など4つ村がこれより

        村立される際に、その親村という意味で「大村」と名付けたのだという。

            

            

         岩瀬方面から浜黒崎方面の現在。

            

      1906年( 明治39年)12月

        鉄道作業局より、富山線敷設のため、浜黒崎村に、土地収用法適用を内閣に申請、西園寺公房内閣総理大臣

        はこれを許可する。

        現在のJR線

            

            

        1914年(大正3年) 8月

            県内大洪水。死者194名。負傷者33名。家屋884戸流出。北陸本線常願寺川橋梁上を走行中の

            8月13日上野発富山行列車が立ち往生し、東岩瀬駅より応援列車を派遣するも転覆、重傷者1名。

        1926年(大正15年) 7月

            浜黒崎海水浴場が人気を集めていたため、かねて金沢運輸局に出願していた北陸本線の臨時停車場

            設置が許可され、浜黒崎仮停車場を開設。

        1932年(昭和7年)4月

            満州事変以来の愛国的風潮の高揚により、県民の自主的募金によって制作された「立山号」が浜黒崎村に

            着陸。

          7月

            南弘大臣が飛行場候補として浜黒崎競馬場の視察を行うが、11月に誘致合戦の末、飛行場建設地は

            婦中町倉垣村に決定した。

 

 

            

            

            

            

            


どこでも ドア

2020-02-21 16:03:07 | Weblog

     新庄の田舎道の田んぼに・・・・・”どこでもドアが!!

             

             

          後ろに見える 土手は、常願寺川の土手です。

          昔、暴れ川で随分水没した村があったとか・・・・・・・・・

             

         ドラエモンのように・・・・このドアからどこへでも行けたらいいのにね!

         田んぼの整地をされるまで、ここに設置されてるとか・・・・・・


水彩画の進行

2020-02-20 12:40:06 | Weblog

       前回まで

            

            

      ここまで描いて・・・・先生に観てもらった。

      後ろの木々の遠近感を出すために、木の色に青を載せましょうか?と聞くと・・・・・先生は、暫く黙って見てて

      「マスキングテープ持ってますか?」と・・・持ってないと言うと、友人が貸してくださった。

      マスキングテープを画面の右上方左下へ数本貼り付けて、先生が、幅太筆に”インジゴ”を水で溶いた絵の具を

      バッサーっと塗られた。

      「こんな濃い色を載せてるが、乾いたら薄くなるから心配ないよ。」と・・・・・

      そーっと、マスキングテープを外すと・・・・・

           

       沢杉の木々の中、光が差し込んでるようにみえる。

       手前の木にも色がかかったところは、後で直すことにしよう。葉っぱと葉っぱの間を塗らないとならない。

       サインは、右下に”白”か、”葉っぱの色の青緑色”で。と・・・・・