「強制や処分…広がる懸念 維新の会『職員基本条例案』発表」(毎日新聞、8月23日付)
あの君が代強制問題で、これを見せしめに政治の教育介入が始まることを懸念はしていたが、まさかここまで…と唖然、憤り、そして得体の知れない黒い雲が覆いかぶさってきたような大きな不安でいっぱいだ。どうなる?これからの大阪の教育!
■素直に謝れない子
大阪で教職員の5段階評価が始まり、しかも給料で格差がつく。評価をするのは校長だ。この制度が導入されてまもない頃のこと。
校長の指導力強化の空気の中で、忘れられない出来事に出合った。
悪いことをしても素直に謝らないという二年生の子どもを校長室に引きずりこんでいった教師がいた。しばらくしたら、校長の大きな怒鳴り声が聞こえてきた。私はいたたまれなかった。退職前にうれしくない話を同僚にしたくはなかったが、黙っていられなかった。
「子どもが自分のしたことを振り返って素直に謝るまでには時間がかかると思いますよ。校長の権威を借りて、形だけ謝らせても何も育たない。大人への不信だけが残ると思いますよ」と言うと、半ば興奮気味に「じゃあ、どうせよと言うんですか。あんな子ども担任してみてくださいよ」とまた迫ってきた。
「うちのクラスのかねちゃんだって、11月まで謝らへんかったよ。あの子、友だちの顔につばはかける、引っ掻くは、そりゃ格闘だったよ。でも、あの子のことをよく知らない校長に権威で叱ってもらおうとは思わへん。子どもって自分のことを自分なりに受け止める袋みたいなものが心の中にできないと素直に謝れないと思うんよ。でも友だちの顔につばをかけるなんて許せないから、私はそのとき『かねちゃんね、本当は悪いことしたって思ってるのよ。でもね、今は素直に謝られへんのよ。ごめんって言える日が必ず来るから、もうちょっと待ってやろうよ。今日は、先生が代わりに謝るわな』と言って、私が頭を下げました。手のひらにごめんと書いて謝れるようになったの11月やで。先生方がかねちゃんこの頃変わってきて、落ち着いてきたねって言ってくださったあの頃よ」
彼女は黙って聞いていました。
■安心と信頼の中でこそ
教育という営みは、安心と信頼という人間関係のなかで時間をかけて、ゆっくり育んでいくものなのです。
公募で校長を募り、その校長に評価者としてのみならず、人事権を与え、なんと教える中身を決定する教科書の決定権まで与える。そして、それに従わない教職員を知事がいつでも免職できるというのですから、教育現場は死に体になることまちがいありません。恐ろしいことです。
今日の新聞では「沖縄・八重山『侵略美化』の『つくる会』系教科書採択か」と報道されている。そら出てきた。島民の半数が侵略戦争で殺されたあの沖縄で侵略戦争を美化し日本軍による「集団自決」強制を否定する教科書が採択されるなんて信じられません。
大阪では「校長先生、そんな教科書で私は子どもに歴史の真実を教えることはできません」と楯突くと「はい、あなたは辞めてもらいます」と首を切られる条例案が出されているのです。
「基本条例」の「基本理念」には「愛国心と郷土を愛する心にあふれるとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する人材を育てる」と書かれています。
どこかで見たような文言でしょう。戦前、国民があの侵略戦争に駆り立てられたときの教育理念とそっくりではありませんか。
あの侵略戦争での2千万人ものアジアの人々の犠牲の上に、日本国憲法や教育基本法が生まれたのです。行政による教育の世界への直接支配を持ち込むことはしてはならぬ、と教育基本法は高らかにうたったのです。
文科省出身の寺脇氏は「教育への政治介入は教育制度の根幹に関わる問題で、非常に危機感を感じる。画一化されたロボットのような教員ばかりになれば、自ら考え判断する子どもは育たない。子どもの権利が奪われかねない」と語っています(毎日新聞、8月23日)。
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)