家族のぬくもりを確かめ合う
■安心のふところ
五年生になった菜々子ちゃん。高学年になり勉強も難しくなって、友達関係にも気をつかいながら、自分という人間を見つめる思春期の入り口にさしかかっています。イラだちもあれば、焦りや不安もあり、自分を否定したくなる時もあるでしょう。自立への階段を登り始めても、甘えられる安心のふところを求めます。いえ、そのふところがあるからこそ、自立へ向かっていけるのです。ある日の作文です。
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わたしが乗っていたベビーカー
五年 菜々子
ある日、ろう下にお母さんが屋根うら部屋からいろいろ出してきました。わたしが「なんでこんなん出してんの?」と聞いたら、お母さんが「明日、燃えないゴミの日やから」と言いました。わたしは、その燃えないゴミを見てみたら、ベビーカーがありました。わたしは「これも捨てるん?」と聞いたら、お母さんが「うん」と言いました。わたしは「乗ってみたいー」と言って、乗れるかなあと思いながら乗ってみました。ふつうに乗れました。足をおろしてみたら、足が床に着きました。それを見ていたお母さんが「それハンドル前後にできんねんで」と言って、やってくれました。
それから、お母さんが「背中もたれれんねんけど」と言いながら何かさがしていると、「あっ、そうや、ここを引っぱんねんや」と言って、何やら引っぱったら、背もたれがゆっくり倒れていきました。それは、それは、すっごく気持ちがよくて、すっごくリラックスしました。しまいには寝そうになりました。ねむそうになっているところをお母さんが前へ押したり後に引いたりとしてくれました。
お母さんが「これは、りょうすけ(兄)が乗って、そうた(兄)が乗って、なな子にまわってきたんやでー。おぼえてる?」。「全然おぼえてない」と言いました。
そのばん、わたしが、お母さんに「これおもしろいから、まだおいといてくれへん」と言ったら、「わかったー」と言いました。
二日に一回ぐらいベビーカーに五分ぐらい乗ってリラックスしています。(樋口学級)
■愛された思い出を胸に
ああ、いい親子がいい時間を過ごしていますよね。今からゴミに出して片付けようと分かっているのに、乗って遊び出すんですから。「ええかげんにしいや」とベビーカーを取り上げてしまうのではないかと思いきや「前に押したり、後に引いたりとしてくれた」んですよね。
お母さんは小さく可愛いかった頃の菜々子を思い出し、大きくなったもんだと目を細めながら押したり引いたりされていたんでしょうね。菜々ちゃんも、あの日の安らかな気持ちと母のぬくもりを膚で感じながら揺られていたのでしょう。今も乗ってリラックスしながら心を休ませ、明日のエネルギーをつくっているのでしょう。親子にこんな時間がある、一幅の美しい絵を見るようです。
この作文を読んだ大学生が、次々と語り出しました。
「ランドセル、傷もそのままの状態で、少し小さくして、今も残してあるんですよ」
「野球のグローブ小さいのから歴代のやつを置いてくれています。中三の頃から父より僕の方が球が速くなり、今は、お前とやるのいややと言います」
「絵本が好きで、『どうぞのイス』の本を大切に残していて、今も読みます」
「お雛様を毎年出すのが楽しみで、小さい頃は見上げてたのに、今は足元にあるみたいで、私って大きくなったんだと思って眺めていました」
これを語り、聞いていた大学生の顔がまたなんとも可愛く、その場の空気は幸せそのものでした。愛されていることを確かめ合っているのでしょう。
家族が家族であり続けることに困難を抱えているこの時代です。菜々子ちゃんの作文が心に染みてきますね。
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)