藍染のスカーフが風に揺れ――文化を食べて人になる――
◎鳥取、安芸にて
今、鳥取での講演を終え、帰りの「スーパーはくと」の車中です。昨日、仕事を終え、朝から「鳥取民芸美術館」で豊かな時間を過ごし、電車に飛び乗ったところです。中国、朝鮮、日本などの名もなき職人たちの手による焼物、木工品、染物が、時間と場所を越えて静かに語りかけてくる空間でした。
ここには、竹島も尖閣諸島もない、深い民族のつながりがありました。民衆の暮らしのなかで喜びも悲しみも共にしてきた生活の品々は、民族を越えたふるさとの安らぎそのものでした。
つい先日は、広島の安芸で仕事があり、その帰り、熊野筆を求めて、熊野へ立ち寄って来ました。かねてから榊莫山や棟方志功の筆を作ってきたという「ほう古堂」を訪ねたかったのです。ラッキーなことに話を聞きに来てくださった方の中に、その店のご親戚の方がいらして、車を走らせて案内してくださったのです。そんなわけで、莫山を始め作家たちの作品や工房まで見せてくださったのです。ぞくぞくしました。
いい仕事をしている所は、工房もいきいきしていて、でき上がった筆に命を感じるのです。思わず何本も求めて帰って来ました。どんな字が生まれるか、新しい自分に出会えそうで、わくわくします(下手ですけど、今、長く莫山のもとで書の魂を鍛えてきた先生に書を習い修行中)。
◎元気のひけつ
ところで昨日、講演会場で出た質問です。
「先生はどうして元気なんですか。長く仕事を続けられた秘訣は?」
うーん、何でしょうね。そこで思ったのです。一番は、何と言っても子どもたちの明日に生きる命に元気をもらってきたのでしょう。そして、なかなかうまくいかない奥の深い教育という仕事に悩みもしながら、学び続けてきたからでしょうか。
そして、今思うのです。いろんな文化に触れ、自分の感性を鍛えながら、どこか子どもたちとも楽しみ、自分の生活をも楽しんできたからだろうと。
自分が書が好きだから、子どもたちと書を楽しみました。自分も絵を描くのが好きだから、図工の時間が楽しみでした。読んだり書いたりするのが好きだから、作文も楽しいし、文学の授業も面白いし、詩もたくさん読み合いました。花が好きだから、いっしょに花や野菜を育て、教室にはいつも花を生けていました。民芸品が好きだから各地を旅して、雪下駄もわら靴も焼物もおいてありました。歌もよく歌いました。
子どもたちと素敵な文化をともに楽しんでいたから、厳しい教育現場でしたが、仕事を楽しむ余裕が生まれたのでしょうね。
◎文化の風吹く教室に
「人は、文化を食べて人になる」。どなたかから聞いた言葉です。いじめ自殺が大きな問題になっている今日です。いじめの対策にばかり目が行っていますが、大切なのはいじめを生まない集団作り、いえ、いじめがあっても早めに発見され、解決していける力を育てる集団作りなのです。
そのためにも、文化の風が吹く教室を作っていくことが求められています。
あっ、あそこのクラスは、子どもたちがよく遊んでるな、先生が忙しい中で本の読み聞かせをなさってるな、朝から楽しそうな歌声が聞こえてくるな、こんな教室は風通しがいいのです。子ども同士の関係が柔らかくつながり合っているのです。
文化を食べて人になるのは、子どもばかりではありません。大人もまた文化を食べて人間らしく生きていくのです。
大阪からオーケストラも文楽も児童文学館も消えたら、大阪の街はどうなるでしょうか。木津川計さんは「都市格」という言葉を使って、「大阪の都市格が下がる」と書いていましたが、下がった街では、人間が病んでいくのです。
教育の目的を「人材育成」のためではなく「人格の完成」にするためには、文化の力が要るのです。先生たちの身体と心に文化の風が吹く、その余裕こそ教育再生の力になるのです。
鳥取に来る前日、藍染のスカーフを自分で染めました。今もまだ生藍の匂いのするスカーフが胸元で風に揺れ、私は元気です。
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)