信じることから始めたい――青年教師の実践から――
先日、作文の会の例会で、青年教師の実践を胸を熱くして聞かせていただきました。
小中一貫校の取り組み、文部科学省研究指定校としての研究発表をひかえた六年生の一年間の実践報告でした。
「六年生は学校の顔、しっかりさせないとあかん。今年は、とりわけ大きな研究発表があるんだから…」という緊張した空気があったと言います。
多忙きわめる現場の中で、ついつい厳しい目線を子どもたちに向けてしまう自分と闘いながらの一年間でした。
◎まぁ、いっか
かずおくんの日記です。
「少しのことで父さんに怒られた。ただふざけただけやのに…。その日は、口をきかなかった。次の日、『おはよう』って勝手に言ってしまった。『ごめん』って言えなかったけど、まぁ、いっか」
こんな子どもの作文を読んで、自分を取り戻し、毎日反省の日々だけど、「まぁ、いっか」と自分を励ましてやってきたと言います。
ゆみの作文です。
「この前、通信のはじめらへんを見ていた。日記や作文を見ていたら、お母さんが来たので話しました。(中略)まゆがゆういちと青井に算数を教えてた時のことや、かずちゃんの意味のわからんおどりとか、かずちゃんがイスや机をなおしたこととか、田村が国語の一番初めの見出しをつけた時の経験者のように書いたこととかいろいろ話しました。母は大笑い、『アハハハ』と笑っていました。本当、結構笑っていました。」
母親が病気で、友達関係もうまく作れず、遠足にも行けなかったゆみが、一年間の通信を母親と読み直して、二人で笑っている、お母さんが大笑いしている。通信を出し続けてきて良かったなあと実感すると言います。作文教育を続けてきたことで、ゆみの心の中がみんなに見えてきたのです。
親の暮らしに心寄せ、親たちの苦労のわかる青年教師、山本先生です。山本先生は、子どもたちの日記や作文を通信にのせて読み合う日々を重ねることで、子どもたちのつながりが深まり合っていくのを実感していきます。
◎怒鳴らない運動会
六年間で最後の運動会、周りからの見栄えが気になり、大声で怒鳴りまくる運動会。山本先生は「子どもが主人公の運動会を!怒鳴らない運動会を心がけました。何よりも子どもを待とう」と。
なんと地域の方から「今年の組み立ては、練習からずっと、先生の怒鳴り声がなく、見ていてとてもすがすがしくて良かった」という声が届いたのです。
最後の全員ピラミッドが成功した時、山本先生は、壇上から思わず「みんなありがとう」と叫んで泣けてきたと言います。
「周りに良く見られよう、評価されようとする教育は破綻するということです。研究発表が近づくにつれ、先生は、子どもに管理の目で厳しくなります。子どもを追い立て追い詰めます。専科の先生が『発表前の1時間、子どもたちから表情が消えていた』と話していました。いったい教育って何なのか。教える側の満足で終わってしまっていないだろうか。結果を求められる現場…。この1年間、何度も周りのプレッシャーに子どもを厳しくしつけないと…、でもいいやと思いとどまらせてくれたのは、子どもたちの作文があったからだと思います」とレポートの最後を結んでいます。
彼の話には、職場の同僚のことがよく出てきます。失敗も迷いも気軽に話をしていて「いいよ、やまもっちゃんらしくやったらいいんや、大丈夫や」と励ましてくれるのです。乗り越えられる大きな力になりました。
そして、支援学級の子が厳しく叱られ、引きずられていくのを見て涙し、またある子のお母さんが「うちは、この子にお金かけられないし、学校で勉強のことほんまにお願いします」といわれ、親の思いに思いを馳せ、教師としての自分のすべきことを悩み考え、実践を重ねていったのです。
大阪の青年教師に拍手です、ホンマモンです、逆風の中でもへこたれていません。
(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)