今日は暑い。出勤後素早く発送作業を終えて、岬町へ戦跡取材に向かう。いやあ~、大阪府最南端だけに遠い。
みさき公園駅から多奈川線に乗り換え終点の多奈川に向かう。おお、2つの車両だがお客さんはわずか2人! まあ平日の昼間ですからね。 pic.twitter.com/kpju8N1uLW
多奈川駅出てスグのところにある岬町生涯教育課のに行き、地元の町史を入手。窓口の人に幾つか質問しながら確認できる戦跡について話を聞き、有力な情報を得る。ちょうど昼時なので、まずは腹ごしらえということで駅前を見渡すが食堂がまったくない! じぇじぇ! どうしたものか?
しばらく府道沿に歩いていたら魚屋さんを発見。おお、隣に食堂もやってるやないの、と喜んで入店。地元、深日港で上がった新鮮な刺身定食は700円也。気分が落ち着いたところで、戦前、川崎重工の軍艦造船所だった一帯=現在は関電が占有している区域に沿う道をブラブラと取材地目指して歩いて行く。
関電エリアの雑木林が道にグッと近づく辺りに最初の戦跡を発見。海軍川重造船所関連のトンネル跡だ。周囲を草木が囲んでいるので判別しにくいが、コンクリートのトンネル入り口が目視できる。人間魚雷「回天」の基地にする予定だったという説もある。 pic.twitter.com/PbTC05hMaV
少し離れた場所にも同様のトンネルがある。入り口に岩が崩れていて危険なためフェンスで囲ってある。中はかなりの広さあるそうだ。 pic.twitter.com/zs2zqgSG6h
資料とiPadでポイントを探しながらウロウロ。なにせ、70年も前のことでそう簡単にわかる場所ではない。一帯を巡る遊歩道を歩きながら資料に書かれた文章を確認していく。時に林の中に足を踏み入れながらあっちへこっちへ。困ったもんだと思いながら歩いていると、遊歩道を掃除中のご婦人に遭遇!
「すみませんが…」と声をかけて尋ねてみる。かくかくしかじか。ご本人は話でしか聞いたことはないがと断られながらも、バッチリと教えていただいた! 先ほどの駐車場の舞い戻り、教えてもらった歩道を海側に下っていくと右手林の斜面に巨大なコンクリート遺構を発見した!
幅10mはあるだろうか、斜面にドッシリと据えられた砲台跡だ。紀淡海峡を睨み続けたのだろう。それにしてもこの砲台跡は今まで見た資料には載っていなかった。もしや新発見か? pic.twitter.com/tLPdCcmP2E
駐車場に戻り、教えられた辺りに向けて道も無い草むらの中に足を踏み入れる。確かこの辺ではと思いながら暫く進んでみたが、これ以上は進めないと引き返す。汗をかいてきたので駐車場に戻り、顔を洗って上着を脱ぎ、暫し呆然。どこなんやろうと考えていたら犬と散歩中のおばあちゃんがやって来た。
さっそく声をかけてかくかくしかじか。おお、そうでしたか、とお礼を言って教えられた場所へと向かうと、ああ、なるほど、こういうことやねと資料の記述に納得。ここが川重造船所に強制連行されていた朝鮮人たちが住んでいた遺構なのだった。 pic.twitter.com/s48WqbwOza
今は多奈川小学校や住宅地がある一帯が収容所があった場所だが、確認できる遺構は残っていないようだ。まあ、この辺り一体ということで写真をパチリ。
次は米軍が爆弾を投下した墓地を訪ねていく。なぜ墓地なんかに投下したのか、諸説あるようだが、投下したのは事実だからとにかく確認していくことにしよう。爆弾で吹き飛ばされた墓石が近くの民家の屋根を突き破ったというから、じぇじぇじぇなのだ。 pic.twitter.com/jCB8FjsZNP
この墓地に来るにも2人のおばあちゃんに道を尋ねた。いやあ、岬町の人は本当に親切です! さて次は、多奈川駅からみさき公園駅、そして南海本線の孝子駅へと向かう。(たかこ駅ではない。きょうし駅と呼ぶ)。
随分歩いたのだろうか。足の裏が痛い! 豆でも出来てしまったか? ゆっくりした歩調で孝子駅を降りて目指すポイントへ。が、しかし、どうやら当てが外れたようだ。近くの「岬町歴史館」へ行き、教えを乞うことにするが、ここでもわからないことのようで、諦めるとする。では、大阪へ引き上げるか。