大切な記録として記しておきたい。
11月11日の日曜日、谷6の「ほっとすてんしょん」で〈故 矢野周作を偲ぶ1周忌追悼音楽祭〉が行なわれた。矢野周作さんは関西大学混声合唱団「葦」の3年上の先輩で、学生時代はもちろん、私の結婚式の立会人を引き受けてもらうなど、社会人になってからもたいへんお世話になった人である。団内はもちろん、学生のうたごえ仲間内では通称・ケッサクさんと呼ばれ、たくさんの仲間に親しまれた人であった。
昨年の11月8日、53歳の若さで逝ってしまい1年が経過、夫人の純子さんの提案に応えてケッサクさんと親交の深かった人たちが賛同協力し、開催にこぎつけた。参加者は、合唱団「葦」の関係者、夫人の出身サークル旧大阪府立公衆衛生看護学院うたごえサークル「あざみ」の関係者、大阪学生うたごえ協議会つながりから大阪府立大学うたごえサークル「雑草」の関係者、大阪工業大学2部うたごえサークル「こぶし」関係者、旭区高殿学童保育関係者、旭区高殿キックベースボール関係者ほか、南は鹿児島から東は長野からも呼びかけに応えた80人あまりであった。
12時半、純子夫人のあいさつで音楽祭が始まった。
「本日は、夫、矢野周作の追悼音楽祭にご出席いただきありがとうございます。11月8日で夫、矢野周作が亡くなって1年が経過しました。この1年、長い1年だったように思えますし、早い1年であったようにも思えたりの1年でした。
今回の取り組みを計画し準備を進めていく中で新しい出会いがあり、懐かしい再会がありました。みなさんからたくさんのあたたかいお言葉や、優しいお気持ちをいただき嬉しくてたまりませんでした。歌が好きで、ギターが好きで、お酒が好きで、友達が好きで、にぎやかなことが好きなケッサクくんでした。今日は、お集まりいただいたみなさまとケッサクくんが好きだった歌をたっぷり歌ってにぎやかに思い出を語り合えればと思っております。
この1年のいろんな思いを支えてくださったみなさんに、今日の日の実現にご協力くださったみなさんに、お忙しい中、駆けつけてくださったみなさんに、心から感謝しお礼申し上げます。
この1年、同じ場所に立ち止まったままの私でしたが、みなさんに支えていただき見守っていただく中で、やっと次の1歩が踏み出せそうな、自分のためにも、子どもたちのためにも、そして夫、矢野周作のためにも、次の1歩を踏み出さなきゃいけないような、そんな気持ちで今日の日を迎えました。
これからも、どうか末永くお付き合いいただきますようお願い申し上げます。
本日は本当にありがとうございました」。
ギッシリの人で埋まった会場のほっとすてんしょん
オープニングはGさんとYさんの「今はもう誰も」
ライブ活動もしている獣医のNさんはオリジナルを披露
全国から仲間が集まった旧あざみコーラスのみなさん
久々に聴いた「大阪の子守唄」は当時のままでした
入院の知らせを聞いてお見舞いに行った。再訪を約束し帰ってから、亡くなったとの連絡が来たのはそんなにまだ日が経っていない時だった。聞いていたことと違うじゃないか。まさに突然訪れた死であった。葬式に参列したものの、もっと何か出来なかったのかという悔しさのような思いを抱きながら、その後の時間は過ぎていった。そんな時、純子夫人からこの音楽祭の呼びかけがあった。
音楽祭は成功した。一番に愛され、一番に身近な人たちが、その喪失感から前へ進んで行こうと思ってくれた。それが何よりではないだろうか。そして私を含む周りの人たちにとっては、この音楽祭に参加したことが故人への何よりの供養であり、またそれぞれにとっても納得のいくお別れ方となったのではないだろうか。
純子さん、ありがとう。
私のブログの第1回目記事は、純ちゃんからの電話の話です。
ケッサクちゃんファミリーのお陰で楽しいときを過ごし、懐かしい自分を見出し、新しく出会った人の人生を垣間見、そしてどこかまたちょっと新しい自分を
感じていけそうな気が、みんなしてるのではないかしら?
打ち上げの最中、初めて知らない人がコメントいれてくれました。「懐かしの歌声喫茶」の記事について。その方もうたごえのこと書いてられます。kemukemuさんです。よかったら、見てあげてください。
また、機会を作って集まりましょう!!