長崎218年の水がめ・倉田水樋跡
所在地・長崎市伊良林1丁目1-3
新大工町電停から中島川に出るとすぐ右手に
銭屋橋が見える、この橋を渡ると30m川下に
倉田水樋跡の石碑が立っています、これは
1673年に本五島町在の回船問屋倉田次郎右衛門
が私財を投じて造った水源跡である、倉田はこの地
に湧き出す中島川の伏流水と、そこに流れ込む若宮
川の合流点に堰を築き水源地とした
この水は八幡町八幡神社付近まで地上を導かれ
その先は地下1.5mに埋めた水樋により東浜の町
西築町まで導水され更に堰で分岐して末端へ配られ
た、その給水区域は当時の長崎66ヶ町中50ヶ町余
に及び218年間市民の水がめとなった、1891年
(明治24年)本河内高部水源地の給水開始により
その役割を終えた、この水樋は私費を投じて造った
日本初の水道であり、倉田は奉行所から世襲で水樋
支配役に任ぜられ、立山の水道建設にも腕を振るった
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