予告映像で野生タモギタケを収穫するシーンがあった、というそれだけの理由で観に行ってきました、ジブリの最新作『思い出のマーニー』。
宮崎駿が抜けて、ジブリ存続の危機すらささやかれる中での公開だったが、なかなかどうして、いい出来だった。
あらすじ
主人公の杏奈(アンナ)は札幌の中学生。閉塞感の中で日々を過ごしていた彼女は、親元を離れ、海沿いの田舎町にしばらく滞在することになった。寄宿先の気さくでおおらかな夫婦のもとでも人間関係になじめないアンナだったが、ふとしたことで、入り江の奥に大きな屋敷があること気づき、それに惹かれる。「しめっち屋敷」と呼ばれる大きな洋館は、人の気配のない建物のはずなのに、潮が満ちるときだけ、人の姿が戻るのだ。
彼女はそこで、華やかで活発な金髪の少女・マーニーと出会う。現実の存在かさえ定かではないその少女に、しかし アンナは心を許していく・・・
ジブリといえば、どちらかというと娯楽重視で、これまで人間関係の負の側面を表に出すようなことはしてこなかったように思うが、この作品ではあえてその慣例を破っている。
アンナの背負った生きづらさ、息苦しさが全体の通奏低音となり、どことなく重苦しい雰囲気が全編を包むが、それがゆえに、入り江の屋敷をはじめ、北海道の森や水辺の景色の美しさ、静けさを引き立てているように思う。
さて、この映画の「しめっち屋敷」を見ていてイメージしたのは、『千と千尋の神隠し』だ。
水に囲まれて下界から隔離された湯屋。三途の川に代表される、生と死を隔てる水のイメージと、彼岸(いわゆるあの世)を象徴するものだと思うが、そのイメージは今回もまるまる生きているように思う。
屋敷でアンナは時間の感覚が失せたり、記憶があいまいになったり、性別があやふやになったり(マーニーに恋をしているように見える)しているが、それはやはり、屋敷が現世から離れた空間であることを示すものだろう。
その生い立ちゆえに自我を確立できないアンナは、そんな「あの世に近い空間」と現世を行き来する中で、自分という殻の中の、苦しみに満ちた自我を溶かして、新しい自我を作りなおそうとしているのかもしれない。彼女のそんなおぼつかない歩みは、悩み多き思春期の自らの足取りを思い起こさせ、ちょっと苦かったりもする。
マーニーはいったい何者なのか?そしてアンナは苦しみを克服できるのか?
まあその辺は、映画館で確かめていただきたい。
……ジブリ伝統の水面の描写はさすが。特に水辺の日没のシーンは美しい。植物や小動物の描写も手抜きがない(きちんと種類ごとに描きわけている)ので、生き物好きとしても楽しめる。
そして忘れてはならないのがキノコ!マーニーとキノコ狩りをするシーンでは、キノコが3種類登場!はっきりわかるのはマーニーがナイフで切りとる黄色いキノコ・タモギタケ。その前景でこのタモギタケと同じ倒木に生えているのが、これはツキヨタケ?あるいはムキタケ?(同時に生やすにはちょっと無理あるか?)
もうひとつ、茶色い傘のきのこも採集している。柄が白くて少しぬめりがあるように描かれていた気がするので、チャナメツムタケあたりかなぁ。
じつはこのキノコの森は、2人の関係が一変する重要な場所なんだよね、今気づいたけど。そういう心憎い脇役ぶりも発揮するのでありますよ、キノコは(笑)
宮崎駿が抜けて、ジブリ存続の危機すらささやかれる中での公開だったが、なかなかどうして、いい出来だった。
あらすじ
主人公の杏奈(アンナ)は札幌の中学生。閉塞感の中で日々を過ごしていた彼女は、親元を離れ、海沿いの田舎町にしばらく滞在することになった。寄宿先の気さくでおおらかな夫婦のもとでも人間関係になじめないアンナだったが、ふとしたことで、入り江の奥に大きな屋敷があること気づき、それに惹かれる。「しめっち屋敷」と呼ばれる大きな洋館は、人の気配のない建物のはずなのに、潮が満ちるときだけ、人の姿が戻るのだ。
彼女はそこで、華やかで活発な金髪の少女・マーニーと出会う。現実の存在かさえ定かではないその少女に、しかし アンナは心を許していく・・・
ジブリといえば、どちらかというと娯楽重視で、これまで人間関係の負の側面を表に出すようなことはしてこなかったように思うが、この作品ではあえてその慣例を破っている。
アンナの背負った生きづらさ、息苦しさが全体の通奏低音となり、どことなく重苦しい雰囲気が全編を包むが、それがゆえに、入り江の屋敷をはじめ、北海道の森や水辺の景色の美しさ、静けさを引き立てているように思う。
さて、この映画の「しめっち屋敷」を見ていてイメージしたのは、『千と千尋の神隠し』だ。
水に囲まれて下界から隔離された湯屋。三途の川に代表される、生と死を隔てる水のイメージと、彼岸(いわゆるあの世)を象徴するものだと思うが、そのイメージは今回もまるまる生きているように思う。
屋敷でアンナは時間の感覚が失せたり、記憶があいまいになったり、性別があやふやになったり(マーニーに恋をしているように見える)しているが、それはやはり、屋敷が現世から離れた空間であることを示すものだろう。
その生い立ちゆえに自我を確立できないアンナは、そんな「あの世に近い空間」と現世を行き来する中で、自分という殻の中の、苦しみに満ちた自我を溶かして、新しい自我を作りなおそうとしているのかもしれない。彼女のそんなおぼつかない歩みは、悩み多き思春期の自らの足取りを思い起こさせ、ちょっと苦かったりもする。
マーニーはいったい何者なのか?そしてアンナは苦しみを克服できるのか?
まあその辺は、映画館で確かめていただきたい。
……ジブリ伝統の水面の描写はさすが。特に水辺の日没のシーンは美しい。植物や小動物の描写も手抜きがない(きちんと種類ごとに描きわけている)ので、生き物好きとしても楽しめる。
そして忘れてはならないのがキノコ!マーニーとキノコ狩りをするシーンでは、キノコが3種類登場!はっきりわかるのはマーニーがナイフで切りとる黄色いキノコ・タモギタケ。その前景でこのタモギタケと同じ倒木に生えているのが、これはツキヨタケ?あるいはムキタケ?(同時に生やすにはちょっと無理あるか?)
もうひとつ、茶色い傘のきのこも採集している。柄が白くて少しぬめりがあるように描かれていた気がするので、チャナメツムタケあたりかなぁ。
じつはこのキノコの森は、2人の関係が一変する重要な場所なんだよね、今気づいたけど。そういう心憎い脇役ぶりも発揮するのでありますよ、キノコは(笑)