レンゲ畑。
レンゲ(正式にはゲンゲ)は、田植え前に田んぼにすき込んで肥料にする、いわゆる「緑肥作物」のひとつだ。根っこに飼っている根粒菌のおかげで、空中の窒素を栄養にかえることができるため、肥料としての威力は、そこいらの草とは比べ物にならない。
もっとも、最近は肥料が簡単に手に入るせいで、めったに見られなくなってしまった。田植えがどんどん前倒しになっていることも大きいようだ。レンゲは6月に田植えする前提で利用されてきたので、早生が主流の現代の稲作スタイルとはちょっとタイミングが合わない。
そんないきさつを知りながら、それでもレンゲ畑を見たいと思うのは、ワガママなんだろうか。この季節のうららかな太陽の下、そよ風になびく桃色の花は、外で泥んこになりながら遊びまわった子どものころを思い出させてくれる。
レンゲ(正式にはゲンゲ)は、田植え前に田んぼにすき込んで肥料にする、いわゆる「緑肥作物」のひとつだ。根っこに飼っている根粒菌のおかげで、空中の窒素を栄養にかえることができるため、肥料としての威力は、そこいらの草とは比べ物にならない。
もっとも、最近は肥料が簡単に手に入るせいで、めったに見られなくなってしまった。田植えがどんどん前倒しになっていることも大きいようだ。レンゲは6月に田植えする前提で利用されてきたので、早生が主流の現代の稲作スタイルとはちょっとタイミングが合わない。
そんないきさつを知りながら、それでもレンゲ畑を見たいと思うのは、ワガママなんだろうか。この季節のうららかな太陽の下、そよ風になびく桃色の花は、外で泥んこになりながら遊びまわった子どものころを思い出させてくれる。
公園の梅の木の下にハルシメジの群落を発見。せっかく見つけたけど、光の加減が悪かったので、一度その場をはずして後で撮ることにした。一時間ほどぶらぶらして戻ってみると、なんとハルシメジの生えてたところにビニール袋をぶら下げたおばあちゃんの姿が。
しまった、やられた!と、半ば呆然としながら遠目に見ていると、あれれ?どうも様子が違う。どうやらすぐそばの土手に生えているワラビか何かを採っているようだ。足元のキノコにはまったく気づいてない様子だけど、それにしても超ピンポイント。頼むから踏んづけないでおくれよー、とやきもきしながら、つかず離れず、さらに待つこと20分。おばあちゃんが去ったのを確認してから近づいてみると、ハルシメジは無事だった!……おばあちゃんについ感謝してしまったよ。
つば広帽子をかぶったようなキノコの姿があまりにかわいかったので、メルヘンチックに撮ってみた。
しまった、やられた!と、半ば呆然としながら遠目に見ていると、あれれ?どうも様子が違う。どうやらすぐそばの土手に生えているワラビか何かを採っているようだ。足元のキノコにはまったく気づいてない様子だけど、それにしても超ピンポイント。頼むから踏んづけないでおくれよー、とやきもきしながら、つかず離れず、さらに待つこと20分。おばあちゃんが去ったのを確認してから近づいてみると、ハルシメジは無事だった!……おばあちゃんについ感謝してしまったよ。
つば広帽子をかぶったようなキノコの姿があまりにかわいかったので、メルヘンチックに撮ってみた。
ムラサキケマンに近い仲間で姿も似ている。けっこう似たような環境で共存しているけど、葉の切れ込みがケマンほど細かくないので見分けることができる。
ジロボウもエンゴサクも妙な名前。ジロボウの由来は、スミレを太郎坊、エンゴサクを次郎坊として花をからませて引っぱりあうという伊勢の子どもの遊びから来たそうで、エンゴサクは「延胡索」、漢名をそのまんま輸入したっぽい……と図鑑に書いてある。
ムラサキケマンに比べるとだいぶ花の数が控え目で、だいたい2~6個くらい。かなり撮りづらくてアングルと絞りに悩んだ。
ジロボウもエンゴサクも妙な名前。ジロボウの由来は、スミレを太郎坊、エンゴサクを次郎坊として花をからませて引っぱりあうという伊勢の子どもの遊びから来たそうで、エンゴサクは「延胡索」、漢名をそのまんま輸入したっぽい……と図鑑に書いてある。
ムラサキケマンに比べるとだいぶ花の数が控え目で、だいたい2~6個くらい。かなり撮りづらくてアングルと絞りに悩んだ。
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな
伊勢大輔(いせのたいふ)の作。八重と九重(宮中の意)、奈良とけふ(京=今日)を掛けている。機知に富んでいて華やかな印象の歌だ。
なんか最近、百人一首で微妙に思いだせない歌とかが気になってしょーがない。中学校のカルタ大会で覚えたっきりなので、すごくあやしい記憶なのだけど、一度思い出してしまえば、すんなり出てくるのは童謡の歌詞なんかと一緒。風流なんてあんまり縁のない方だけど、リズムとか音の流れとかが心地よいのはよくわかる。さすが一流の歌だねー。こんなすごいもんがオモチャになって現代も生き残ってること自体、驚異だと思うんだけど。
八重桜が今、満開。
伊勢大輔(いせのたいふ)の作。八重と九重(宮中の意)、奈良とけふ(京=今日)を掛けている。機知に富んでいて華やかな印象の歌だ。
なんか最近、百人一首で微妙に思いだせない歌とかが気になってしょーがない。中学校のカルタ大会で覚えたっきりなので、すごくあやしい記憶なのだけど、一度思い出してしまえば、すんなり出てくるのは童謡の歌詞なんかと一緒。風流なんてあんまり縁のない方だけど、リズムとか音の流れとかが心地よいのはよくわかる。さすが一流の歌だねー。こんなすごいもんがオモチャになって現代も生き残ってること自体、驚異だと思うんだけど。
八重桜が今、満開。
ハルシメジだ!初夏のような陽気に誘われて出てきたようだ。いかにもキノコらしい丸っこい姿はホントかわいらしいなー。
実はハルシメジを見るのはこれが初めて。こんなキュートなキノコを今まで見落とし続けていたとは……かなり後悔。今回、ちびバッタ君に友情出演を願った。
実はハルシメジを見るのはこれが初めて。こんなキュートなキノコを今まで見落とし続けていたとは……かなり後悔。今回、ちびバッタ君に友情出演を願った。
頭だけで直径10センチはあろうかというオバケアミガサタケ。かわいく撮ったげたからそんな風に見えないけど、傘にひっついてる桜の花びらでそのサイズがわかるだろーか?
ウーン、これはさすがにちょっと気持ち悪いかも。
ウーン、これはさすがにちょっと気持ち悪いかも。
ん、なんか違うなー、と思って見てみると、がくの部分が反り返っていなかった。日本の在来タンポポだ。街じゃ探すのが難しいけど、ちょっと山沿いにいけばうじゃうじゃ生えているようだ。
花が小ぶりなので、カンサイタンポポでいいと思う。
花が小ぶりなので、カンサイタンポポでいいと思う。
トガリアミガサタケの二人組を見つけたのは金網フェンスの向こう側!
誰もいない空き地だしフェンス内に勝手に入っちゃおうかとも思ったんだけど、どの道こっち側からしか撮れないキノコポジション。ということで、フェンスにレンズフードをぐりぐり押しつけながらの撮影となった。写ってないよな?金網。しかもカメラが安定するので意外といいのだ、これが。おススメはしないけど。なんたってアヤシイし。
誰もいない空き地だしフェンス内に勝手に入っちゃおうかとも思ったんだけど、どの道こっち側からしか撮れないキノコポジション。ということで、フェンスにレンズフードをぐりぐり押しつけながらの撮影となった。写ってないよな?金網。しかもカメラが安定するので意外といいのだ、これが。おススメはしないけど。なんたってアヤシイし。
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に
百人一首でも有名な小野小町の句。春の喜びとはまた別に、桜の花に老いや滅びを見てとる日本人の感性のこまやかさは、世界に誇れるものだと思う。
私自身、桜は満開より散り際のほうが好き。山沿いの花も散り始めた。
百人一首でも有名な小野小町の句。春の喜びとはまた別に、桜の花に老いや滅びを見てとる日本人の感性のこまやかさは、世界に誇れるものだと思う。
私自身、桜は満開より散り際のほうが好き。山沿いの花も散り始めた。
『きのこの話』 新井文彦
人気ウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』(通称“ほぼ日”)において連載されているコンテンツ「きのこの話。」を元に誕生した、ちくまプリマー新書の一冊。
著者の新井さんは、きのこ写真家で、ライターかつコピーライターかつネイチャーガイド(どれが本業じゃ?)をしておられる方。北海道の阿寒をフィールドにして、美しいきのこ写真をたくさん撮っている、今いちばんホットなきのこ写真家だと思う。阿寒の森は、同じ日本とはとても思えないくらいに雄大だ。人里から遠く離れた奥深い森だからこその美しく豊かな自然は、もちろんキノコも豊富にもたらしてくれる。撮影をするには最高の環境だ、うらやましー!(寒くて不便なので住みたくはないが)
「ほぼ日」の連載では、キノコを毎回一種類ずつ、かんたんなエピソードやウンチクを添えながら、軽妙な語り口で紹介していく形式だったけど、本書ではその形を放棄して、まったく新しく文章を書き起こしている。ターゲットは、おそらく「ほぼ日」ではじめてキノコというものに興味を持った人たちなのだろう。キノコって何だろう?キノコの森はどんなふう?キノコにはどんなものがあるのか?など、そういったキノコ学序論みたいなものを、やさしい口調で語っていく。
連載をそのまままとめ上げただけでも、それなりの読み物になるところを、あえて新しく一冊の本に仕立て上げたところに、著者のキノコに対する意気込みと、読者に対する誠意が感じられる。
美しい写真ももちろん健在。望遠を生かして小さなキノコを可憐にとらえたもの、大きくひいて阿寒の幽玄な景色をバックに写しこんだもの、その他、キノコ以外の動植物も含め、さまざまな写真を文章の合い間合い間にたっぷりと楽しむことができる。構図は、観察に観察を重ねて、それぞれ最適なアングルを吟味したものだとの話。なるほど、キノコを含め、自然を愛していないとできないワザですなー、これは。
ただ、ちょっと残念なのは、多すぎる写真のために、読み物としての流れが途切れがちになってしまったことと、写真の美しさがフルに生かされていないこと。どちらも本の作り上、しかたない制約だ。
ここはもう新書なんてケチくさいことは言わずに、ハードカバーでデカくてガチッとしたものを上げてくださいよー。多少高くても買いますから。お願いしまーす。
アンコール!アンコール!
人気ウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』(通称“ほぼ日”)において連載されているコンテンツ「きのこの話。」を元に誕生した、ちくまプリマー新書の一冊。
著者の新井さんは、きのこ写真家で、ライターかつコピーライターかつネイチャーガイド(どれが本業じゃ?)をしておられる方。北海道の阿寒をフィールドにして、美しいきのこ写真をたくさん撮っている、今いちばんホットなきのこ写真家だと思う。阿寒の森は、同じ日本とはとても思えないくらいに雄大だ。人里から遠く離れた奥深い森だからこその美しく豊かな自然は、もちろんキノコも豊富にもたらしてくれる。撮影をするには最高の環境だ、うらやましー!(寒くて不便なので住みたくはないが)
「ほぼ日」の連載では、キノコを毎回一種類ずつ、かんたんなエピソードやウンチクを添えながら、軽妙な語り口で紹介していく形式だったけど、本書ではその形を放棄して、まったく新しく文章を書き起こしている。ターゲットは、おそらく「ほぼ日」ではじめてキノコというものに興味を持った人たちなのだろう。キノコって何だろう?キノコの森はどんなふう?キノコにはどんなものがあるのか?など、そういったキノコ学序論みたいなものを、やさしい口調で語っていく。
連載をそのまままとめ上げただけでも、それなりの読み物になるところを、あえて新しく一冊の本に仕立て上げたところに、著者のキノコに対する意気込みと、読者に対する誠意が感じられる。
美しい写真ももちろん健在。望遠を生かして小さなキノコを可憐にとらえたもの、大きくひいて阿寒の幽玄な景色をバックに写しこんだもの、その他、キノコ以外の動植物も含め、さまざまな写真を文章の合い間合い間にたっぷりと楽しむことができる。構図は、観察に観察を重ねて、それぞれ最適なアングルを吟味したものだとの話。なるほど、キノコを含め、自然を愛していないとできないワザですなー、これは。
ただ、ちょっと残念なのは、多すぎる写真のために、読み物としての流れが途切れがちになってしまったことと、写真の美しさがフルに生かされていないこと。どちらも本の作り上、しかたない制約だ。
ここはもう新書なんてケチくさいことは言わずに、ハードカバーでデカくてガチッとしたものを上げてくださいよー。多少高くても買いますから。お願いしまーす。
アンコール!アンコール!