月刊 きのこ人

【ゲッカン・キノコビト】キノコ栽培しながらキノコ撮影を趣味とする、きのこ人のキノコな日常

『少女系きのこ図鑑』

2013-01-18 20:13:29 | キノコ本
『少女系きのこ図鑑』ッ !!

「図鑑がもっと私的で個性的だったっていいじゃん」と、つねづね主張していた私だが、時代はいきなり自分の頭を飛びこえ、それどころか、さらに数千歩の彼方へと走り去って、今なお全力疾走中らしい。しかも作者は平成生まれの女性ときた。いやはや、きのこ女子パワーおそるべし。

「キノコを少女の姿に擬人化して、図鑑をつくっちゃおう!」

ひと昔前だったら、確実に妄想の部類に入っていた話が現実化してしまう。それが現代という時代なのか。まあ恐れ入ったわ。ていうか、えー、図鑑ってそもそもなんだったっけ?


『少女系きのこ図鑑』   玉木えみ 著

監修のきのこ評論家・飯沢耕太郎氏いわく「少女の、少女による、少女のためのきのこイラスト集」。

おなじみの食用キノコや毒キノコ、さらに冬虫夏草や粘菌、カビまでも含む107種類のキノコを、そのキノコをイメージして描いた少女を介して紹介してゆく。イラストのタッチはゆるりとして地味な水彩ベースながら、レトロ風味で漫画チック(死語)かつ乙女チック(これも死語)。

少女たちは、擬したキノコとともに描かれているので、どのようにイメージをデザインに落としこんでいったのか、見比べながら楽しむことができる。キノコはもちろんデフォルメされているけど、表紙を見てわかるとおり、きちんと写実ベースで特徴がおさえられてて、決してなおざりにはしていない。著者の並々ならぬキノコ愛がうかがえる。

少女の多くは、スカートや帽子などの服飾や髪などで、擬しているキノコの色彩や風合いを直接表現している。ただ、その中にも、ムジナタケ少女にタヌキのしっぽをつけたり、ヤマブシタケ少女は山伏衣装で身を包んでいたりと、やわらかい想像力やウィットを感じさせるものがある。

女性らしいパステル調の色彩を、透明感のある水彩で描くことで、キノコの「ぼんやりとした暗いところにあって、ちょっとブキミで、でもかわいくて」みたいな雰囲気が表わせているようだ。

ちなみに各キノコは一応分類順にならんでるし、説明書きもちょろっとあるけど、まさかこの図鑑に実用性を期待する人はいないでしょ?

パラパラと全体を通して眺めてみると、各ページが統一された色彩(ハナオチバタケはピンク、ソライロタケは青、みたいな)で表現されているので、とてもリズミカルで心地よい。うん、いい出来じゃねーの?

キノコ本豊作の2012年を締めくくるような、そんな快著であった。



タマゴタケ少女



テキスト。イラストの邪魔にならないように最小限ってかんじだけど、ときどき文学作品に登場する一節が載ってたりする。



マイナー系のセレクションがかなり渋い。「ナシ赤星病菌」「ヌルデうどんこ病菌」まであるのには感動した。
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ちなみにキノコ擬人化といえば、コチラ方面もございやすぜ、旦那。

『oso的キノコ擬人化図鑑』

三重のキノコ同胞、oso氏の作品。キャラ設定こまかい!『少女系』とネタがかぶってたりするのもあって、そーいう点でもおもしろい。

実は擬人化っていうのはネット上のサブカルチャー方面の方たちにとって、ひとつの分野として成立しているらしく、ありとあらゆるものが擬人化されている(擬人化まとめ)。

どっちかって言ったらあきれる人の方が多いだろうけど、日本のサブカル文化すげー、と私は素直に思う。

『アリストピア』

2012-10-19 22:57:09 | キノコ本
『アリストピア』 文:天沼春樹 画:大竹茂夫

冬虫夏草フリークとしても知られる大竹茂夫氏の、率直に言ってブキミな絵本。

少女はいつまでも止まらない地下鉄から、いつしか迷宮へと迷い込んでいった……という調子で始まるストーリーは、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』をモチーフにしたもの。キノコの上の青虫やらチシャ猫やらトランプの女王やら、ちょっとイッてしまい気味のキャラクター達はまさしく奇想の画家の世界観にふさわしい。

まあそのアリスをもってしても、この絵柄は濃すぎる がな。

それぞれの絵に微妙に統一感がないな、と思ったら、大竹さんの連作の中から、天沼さんがピックアップして、アリスをモチーフにしたストーリーと文章をひねり出した、ということらしい。うん、よく頑張ったと思う。この絵に負けないくらいのテキストなんて、そうそう書けるわけないもん。逆にいえば、テキストを無視して大竹さんの画集として楽しむこともできる。


うわ。やめてほしい。奇想、というより来そう。グロい。気色悪い。(←褒め言葉です)こういうのって、逆にまじまじと眺めちゃうんだよねー。子供に見せたら意外に喜ぶかもな。


冬虫夏草やキノコをモチーフにした絵がちらほらと。特に冬虫夏草は日夜研究しているだけあって、かなりリアルに描かれている(種類まで同定できる)。


……現世とも幻ともつかない世界はキノコの暗黒面の魅力をじゅうぶんに引き出す。なにリアルなんてものは、あたかもそれが全てだみたいに威張ってるけれども、一度壊れてしまえばなんとも頼りないものなのだよ。さてそこのお嬢さん、ちょっとこっちへ来ないかね?

子供の科学サイエンスブックス 『きのこの不思議』

2012-10-07 19:14:13 | キノコ本
『きのこの不思議 きのこの生態・進化・生きる環境』 保坂健太郎

誠文堂新光社「子供の科学・サイエンスブックスシリーズ」として今年出版された一冊。

著者は若手の菌類研究者・保坂健太郎氏。世界をまたにかけたキノコ採集とDNAによる系統分析で脚光を浴びている、現在ホットな人物だ。

(『はじめに』より引用)
『きのこの研究は名前を知ることで終わりではありません。むしろ、それ以外の大きな謎がたくさん隠されている、それがきのこの世界なのです。
この本では、まずきのこの生き方や体の構造、色や形の謎について説明します。それから、僕自身が行っている研究内容について、世界中での野外調査の様子を紹介しながら、体験してもらいます。最後に、実際にきのこを研究するためにはどうすればよいかを紹介します。』

うおっ、なんか志(こころざし)が高い!研究者育成が目的なのか!ちょっとワクワクしながらページをめくる。

生態、分類、進化、分布……以降、トリュフの謎や、キノコ化石など、並の図鑑では知ることができないようなきのこの秘密が明かされていく。ふおー、スゴイぜ!

保坂センセイ!ひとつだけいいですか?

子供にはムズカしすぎます!

『きのこでユニークなのは、菌糸が融合した後も、核は合体せずに、別々に居続けることです。』(二次菌糸の説明)
『アミノ酸配列は種間で異なるだけでなく、生物種が進化の過程で枝分かれした(分岐した)年代に相関がある、というのが基本的な考えになります。』(分子時計について)

ちょっと待った、これ小学生向けじゃなかったっけ?漢字に全部ルビふってくれるような本なのに、しれっと書いてあることが実は高校レベルって恐ろしい本だよなー。そういえば昔、NHKでやってた番組を思い出す。『ジーンダイバー』だったか。見た目は「子供の科学」的な甘めのSF実写×アニメなのに、シナリオがめちゃくちゃ気合入ってて、出てくるネタも、ゲノム解析で時空ワープとか生物コンピュータとか、超高度だった。もちろん意味分かんなくて、でもまあわかんなくても雰囲気はわかるっていう内容だったのが良かったんだけど。

そうか、それと同じなんだな。

子供だからって、甘アマな内容を書いていては子供に向上心がわかないし、できる子なら読んでてなんだか舐められているような気分がするに違いない。いや、それより何より、わからないからこそ燃えるのだ。ここはあえて子供に媚びずに難しいことをストレートに書き、その未知へ好奇心をかきたてる。ついでに学者のカッコ良さもアピールしちゃえ。「ボクも大きくなったらキノコ学者になる!」そう言わしめるために!

……て、ゴメン、自分でも言ってる意味がわかんなくなってきた。

本の後半では、「はじめに」での公約通り、センセイの研究生活を披露。ニューカレドニアやパプアニューギニアも探索!なんだかすげー内容だ。子供に読ますにはもったいない。こんなトコじゃなくて、一般書で書いておくれ。でもなんか研究生活がすごい楽しそうに書いてあるので、これを読んでキノコ研究者の道を志す子供も本当に出てくるかもしんない?



小学生の理科・副読本ライクなその外見に反して、まったく侮れない内容。うっかりすると大人でも厳しい。

それにしてもこれで本当によかったんだろうか、誠文堂新光社サン。子供のキノコ英才教育向けに本出すなんて、もう採算度外視もはなはだしい気がするんだけど……まあいいや、本自体は面白いからそれでかまわん事にしよう。



世界各地のキノコ紀行。もっと詳しい話聞きたい。あと、保坂先生が黄色い服好きなのがよくわかった。

『きのこ絵』

2012-10-03 22:40:17 | キノコ本
『きのこ絵』

きのこ絵とは何ぞや。

これらは決して美術品として作成されたものではない。ヨーロッパや日本の生物学者、あるいは博物学者が、野外で観察し、採集したキノコを、あくまでも学術的な目的で写しとり、著したものだ。それは、あくまでも科学的であり、客観的にして冷静な眼をもって、ありのまま写しとられた写生図、のはずなのだが……。

これがなぜだか、魅力的な美術品に見えてしまうことがある。それがまた、本職の美術家の描いたものを凌ぐほどに。

なぜだろう。

≪神が地上に創造した世界をまるごとすべて、精緻に、美しいままに極限の技法で本の中に再現させることが、当時の生物学者の使命であったのだろう。これらの図譜の制作者が、聖職者も兼ねていたことも無縁ではないのかもしれない。≫(吹春俊光氏のコラムから引用)

そうか。神の作りたもうた万物のひとつひとつを、見つめ、識別して、図譜・書物という人間だけの宝箱に収める。それはつまり、難解な神の示す道を一歩一歩たどり、少しずつ真理に近づくための行程なのだ。その道を行くには、好奇心だけでとか、仕事だからとか、そういうなまじな考えでは務まらない。「森羅万象を網羅したい!」そういう度の過ぎた情熱が詰まってるからこそ、逆に冷静さを失い、なぜか抒情的になってしまったり、喜びや驚きが表現されてしまったりするのだろう。

その情熱は、たとえ一神教を信奉しない身でも、変わらずそのうちに秘めている。南方熊楠の図譜を見ると、自然にそう思えてくる。この情熱は人類の遺伝子に組み込まれているのだ。

だから。

われわれ生活者の視点から見れば、ほとんど無用とも思われるキノコ図版に。力を入れ過ぎて、客観的などころか、下手をすれば優雅で魅惑的ともいえるキノコ図版に。私は敬意を表しながら、ページをめくる。


本の中身。極度に装飾を排したシンプルな内容。きのこ図譜を最大限に尊重したデザインだと言っていい。
≪見る人に対して、あたかも優雅にポーズをとっているようで、うっとりするほど魅力的である。≫(引用・上に同じ)
そこはかとない色気、感じられるだろうか。


豪奢な装丁につられ、きらびやかな絵を期待して、その地味な内容に失望した向きもあるだろうけど、それはお門違いというものだ。この図譜たちは、それを描いた学者たちにとっての宝箱なのだ。そこに注いだ情熱は、充分にきらびやかで、豪奢だ。昆虫少年の標本箱と同じ。中身はもはや飾る必要もない。箱の外側だけは、その情熱に見合うていどに豪奢であってもいいけど。


「日本の菌類図譜」のコーナーだけ、どういうわけかページが小さい。ただ、和紙テイストの紙が使用してあるので、オリジナルの風合いがよく表現されている。うしろ側に見えているのがコラム。全部で5篇あって、いろんな専門家の手による文だけれど、いずれも秀逸。


『ときめくきのこ図鑑』

2012-10-01 18:58:36 | キノコ本
『ときめくきのこ図鑑』 文:堀博美 写真:桝井亮 監修:吹春俊光

ときめくきのこ図鑑!いまだかつて「ときめく」と自称する図鑑などあったろうか?世の中も変わったもんだよねー。お堅いばかりが図鑑じゃありませんってこと。これからは女子的センスが世界を動かす!ってところかなー。

本書は、本邦初にして唯一のきのこライター・堀博美さんと、キノコ写真を手がける桝井亮さんの手によるビジュアル系キノコ本。図鑑と称しているが、実用はあまり前提としておらず、見て楽しみ読んで楽しむ、図鑑風写真エッセイという趣(おもむき)だ。

きのこ愛を煮詰めて人間のカタチに仕立てたような濃縮きのこ人・堀さんの、控えめで一直線な感じ(言ってる意味わかるかな?)の文章と、これまたきのこ愛あふれる桝井さんのアート系のキノコ写真を、余白を生かした落ち着きのある構成に仕上げたこの本は、やはりこれまでのきのこ図鑑とは一線を画した独自の空気を醸している。チャワンタケにダージリンティーを注ぎ、窓の外を眺めながら静かな午後を過ごしてる感じ?

ウン、いいんじゃないのぉ~。


メインになる図鑑コーナー。キノコの色や形のきれいさ、おもしろさを引き出した写真が目を引く。写真の色み、もーちょっとナチュラルな仕上がりの方がいいなー……ってのはオレ個人の趣味だけど。

合間合間には、カメラに直接万華鏡を装着して撮っちゃったという「きのこ万華鏡写真」が!地味なカイガラタケのなんか、ひそかにいい。


むろん、きのこグッズをはじめとしたキノコ周辺のよもやま話もたっぷりと。この辺はネタ探しや取材に労を惜しまないきのこライターの面目躍如だ。


イラストが多用されていて、やわらかく、暖かな雰囲気をうまくサポートしている。各章の頭に、あえて赤を持ってきたところなんかはプロの仕事だよなー。

ってなところで、本邦初の「ときめく」きのこ図鑑、興味のある方は是非ご覧あれ。

姉妹版で「ときめく星空図鑑」 「ときめく鉱物図鑑」もあるらしい。

 

『きのこシール』

2012-09-28 22:02:06 | キノコ本
『きのこシール』 大作晃一

きのこシール!リアルきのこをぺたぺた貼っちゃえ!以上!それ以外に何がある!


10センチ四方の正方形。ちっちゃくてかわいい。全24ページに238枚ものきのこシールが収められているぞ。写真は『きのこワンダーランド』や『おいしいきのこ毒きのこ』などにも写真提供してる大作さんの手によるもの。品質に間違いなし。

いちおう分類順に並んでて、図鑑の体裁をとっているのが少し切ない。シールとして使っちゃうと欠番の出る図鑑なんて!(悲哀)



美菌・タマゴタケとベニテングタケは1ページ貸し切りなのだ。うははははは

巻末には、偽キノコ切手や、すげー書くスペースの狭いきのこ付箋が。何に使ったらいいんだ!っていうかもったいなくて使えん!

とりあえず、使う用と見る用とで、二個買うのがデフォルトですな……


『カイエ・ソバージュ I 人類最古の哲学』

2012-09-22 00:39:30 | キノコ本
『カイエ・ソバージュI 人類最古の哲学』 中沢新一

宗教学者・中沢新一が「比較宗教論」の名でおこなった講義をまとめた「カイエ・ソバージュ」シリーズの一冊目。

なんだか小難しそうなテーマとタイトルの人文書だけれど、大学生にわかりやすいように組み立てられた講義をもとにしているので、わりとすんなり読めてしまう。

この本のテーマとするのは「神話」。神話と言えばギリシャやエジプトなどの古代文明に伝わっているもの、という先入観があるけど、ここでいう神話は、それよりもっと古くて、文字による記録を残していないようなもの、世界中で親から子へ口から口へと代々語り継がれてきた「神話のプロトタイプ」とでもいうようなもののことを指す。それは、万物を治める神や国を治める王の存在を権威づけるためといった不純なものではなく、もっと、人間の無意識の混沌から生まれたような、人類最古にして最高の純度を持つ「哲学」のエッセンスを含むものだ、と著者はいう。

「なに言ってんだワケわかんねえよ」という声が聞こえてきそうだけど、意外や意外、その“古”神話の原型を残したまま現代まで生き残っている物語を私たちは知っている。

「竹取物語」と「シンデレラ」。その中でも特にシンデレラ物語を論の中心に据えて、講義が展開されていく。
抽象的なテーマを誰もが知っている物語で解きあかしていくという著者のテクニックは鮮やかで、元になった講義もとてもスリリングなものであったろうな、ということがうかがえる。

まあそれはさておき、本書の終章にはベニテングタケが登場する。

古代インドの宗教儀式でトリップするために用いられた「ソーマ」の原料として有名なキノコと、そのキノコが登場するカムチャッカの神話を引きあいに出し、現代日本でバーチャル世界へ埋没しつつある人の姿を、キノコの誘惑に負けて現実を放りだす神話上の人物になぞらえる、といった内容だ。
神話的世界は、実は日本文化に色濃く残っていて、とりわけサブカルチャーの分野で開花している。ただ、バーチャル空間のように実体をともなわない文化は、ベニテングタケに似てとても危険だ、ということらしい。なんだかすごく説得力があるような……。

このベニテングタケの章以外にも興味深い話がたくさんあるんだけど、この人は文章力や構成力がハンパじゃなくて、読むとその手際にうなってしまう。これはもう学術というより、ちょっとエンターテインメントの世界に入ってるような気すらするが、文化人類学あたりに興味を持つ人にはお勧めの本だ。

B面に続く

『おさんぽきのこ』

2012-09-18 18:28:13 | キノコ本
『おさんぽきのこ』 石塚倉よし (「よし」は言べんに喜)

きのこ王国、信州から新機軸のきのこ図鑑登場。その名も「おさんぽきのこ」!

いや、全然図鑑ぽいタイトルじゃないし、そもそも最初に「本書は図鑑ではありません」と断ってるじゃないの……なんてそんな言い訳は聞きません!これは図鑑!なんたって図鑑!

この本で扱うのは、食用キノコを中心に、毒キノコや気になるキノコもとり混ぜての約100種。キノコ採りのベテラン・しもじサンが、その豊富な経験と、たっぷりな行動力を余すことなく詰め込んだ内容は風味濃厚で、その軽めの語り口やポップな編集と相まって、キノコを放り込みすぎて何が何だか分からなくなったチャンポンきのこ鍋的様相になっている。

あくまでも私的に書きたいことを書いただけで、図鑑を作りたいとか、そういうんじゃないんよ……という言い分もわからないわけじゃないけど、図鑑がワタクシ的でもいいじゃない!図鑑に思い入れを表現してもいいじゃない!……なんて思うわけであります。私個人としましては。


実を言うと私の地元の三重じゃ、ここで紹介されるようなおいしいキノコなんて、一本見つかればいい方で、美味キノコで袋いっぱいなんてのは、ほぼ妄想の世界。もう別世界のことだと割り切って読むしかないんだけど、それでもひとつひとつ経験に裏付けられたキノコの話は、楽しみながら読める。

写真もたっぷりで、図鑑顔負けの掲載量だけど、レイアウトもそれなりに練られている。チャナメさんのかわいいイラストがいい。キノコがシーズン別に配置されてるのと、「おやじクッキング」の情報もありがたいなー。

うらやましがるだけじゃなくて、自分も一度は本当の「きのこ狩り」をしてみたい!なんて思ってしまう一冊だ。

ちなみに、この図鑑ではハイカグラテングタケが食菌として掲載されている。マジであれを食べるのか?俺が当たったマツオウジも「ぜひ挑戦して」とか載ってるけどな……!もちろんキノコに当たるのは当たったヤツの責任!きのこ採りに栄光あれ!

著者HP「きのこ好き」

『里山のきのこ』

2012-09-16 18:53:19 | キノコ本
『里山のきのこ』 本田尚子

身近な里山に生えるキノコを中心にあつかった画集。

ただ、画集といいながらも、キノコの形や色、大きさに着目したり、食毒やにおいに着目したりと、テーマごとに紹介してあり、少ないながらテキストもあるので、ちょっとした図鑑としての体裁も持っている。

絵は水彩画。筆致はやさしく、丁寧。生態図では里山の林床のほの暗い雰囲気までがきちんと表現されており、それを含めて、キノコを現場できちんと観察していなければ描けない絵だということが一目でわかる。著者のキノコに対する優しい眼差しまでが思い浮かぶようだ。

キノコのセレクションにまったく気取りが感じられないのも好感が持てる。私が普段フィールドにしている里山で、ごく当たり前に見かけるようなものばかりだ。美しいか、美味しいか、珍しいか、有名か。そういうのもあるけど、たとえそれらに無縁なキノコでも、それはそこに在る。そういうことをきちんと知っている人なんだと思う。

ええ、とっても素敵なキノコ本です。子供に持たせてやりたい。


地味菌大活躍。

『千と千尋の神隠し』

2012-07-06 23:59:59 | キノコ本
『千と千尋の神隠し』 宮崎 駿

おなじみスタジオジブリのアニメーション映画。『風の谷のナウシカ』の紹介の記事で、「人間と人ならざる者、自然と文明、大人と子供、生と死、そういった対立するものを結び付けるというのが、宮崎駿の一貫した方向性のような気がする」と書いたけれども、『千と千尋』もそういったメッセージが色濃くあれわれた作品だ。

ただ、『ナウシカ』や『もののけ姫』が自然と文明というはっきりとした対立軸の中で紡ぎだされる物語なのに対して、この作品は少々色合いが異なる。話の中で、千尋は家族とともに、やおよろずの神々の住まう世界に迷いこんでしまうのだけれど、ここでは神と人間は、対立するものではない。千尋たち人間は、よそ者か、せいぜい邪魔者という扱いである。

わかりやすい対立軸がないのにこの話がおもしろいのは、ここで登場する三人の主要キャラクターが、それぞれ宙ぶらりんの立場で、それぞれに欠落を抱える、中途半端な存在(トリックスター)として描かれているからである。
中途半端というのは普通、悪い意味と取られることが多いが、必ずしもそうではない。ここでは、宙ぶらりんな身の上であるがために、人間か神かとか、客側か使用人側かとか、湯婆婆側か銭婆婆側かとか、そういうワクを越えて混乱を招いたり、和をもたらしたりする力を発揮している。
そういう力を持つ三人が、それぞれ欠落を埋めるために奮闘、あるいは迷走することで、物語はきちんとした説得力を持ってスリリングに展開していく。

さてその三人というのが、以下。

千尋……どこにでもいる普通の子供だが、話のはじめでは、やや消極的で無気力な子供として描かれている。異界に迷い込んでから、両親が豚になってしまい、途方に暮れるが、湯屋で無心に働き、ハクをはじめとした周囲の者たちと絆を深めることで、積極的に行動するようになっていく。千尋は異界で両親を失っているが、彼女にほんとうに欠落しているのは、生きる力、ないし、生命そのもの。

ハク……なにかと千尋をたすける少年。魔法の力を授かるため、湯婆婆(ゆばーば)に仕えている。もとは川の神なのだが、婆に名前を奪われ、自分がもともと何であったかを完全に忘れてしまっている。彼は力もあり自立したしっかり者であるが、神でもなく人間でもない、浮いた存在として、孤独にさいなまれているようにも見える。力を欲しがって自分を見失ってしまっている姿は仕事に追われる現代人と重ね合わせていいのかもしれない。欠落しているものは、記憶と、それに基づくアイデンティティ。

カオナシ……たぶん神だと思うのだが、正体不明。宙ぶらりん、からっぽの権化。表情がなく、自分の声をもたない。千尋に恋でもしたのか、たびたびつきまとうが、思うように相手にされず、自我だけが肥大化して最終的に暴走することになる。コミュニケーション不全で人との関係性が築けない点で、「キレやすい若者」「引きこもり」を思い起こすが、それは社会全体の風潮そのものでもある。欠落しているものは、他人との関係性と、それに基づくアイデンティティ。

彼らは最終的にそれぞれの欠落を取り戻し、自分の場所へ帰っていく。特に千尋はさまざまな境界を越えて働き、異界全体に和をもたらした上、両親も取り戻して元の世界に戻るという活躍ぶり。胸がすく思いだ。

敵味方というわかりやすい構図をつかわずに、一件落着の大団円まで持っていった構成と、そのまとまりの良さは、ジブリでも屈指の名作だと思う。個人的には一番をつけたい。一貫したテーマとして「体を使って働け、心の入った言葉を送れ、人と触れあうことで絆をつくれ」と、まあそんなメッセージを感じた。共感するところだ。


ちなみに、この異界の道具立てがまた中途半端というか境界線上というか(個人的にキノコ的と呼ぶ)そういったカオス風味の造形がしてあって、この作品の大きな魅力となっている。


川、ないし海……本作品を通じて表わされる水のイメージを代表する。三途の川のように生死を隔てるものだが、同時に胎内の羊水にも通じる。宮崎作品はいずれも水の表現が巧み。

湯屋……同じく水のイメージ。老若男女、貴賎も善悪も問わない、全員すっぽんぽんは、正しく世界最強のボーダレス空間と言えよう。エロスのイメージも含み、これまたキノコ的。

釜……古来から釜は神聖視されていたそうで、呪術的空間として存在していた。火と水が共存する。灰にもまた呪術的な意味合いがある。余談だが、オール電化で家庭から火を奪うことは、現代人を生命の根源から遠ざけることにつながると思う。

街……和洋中・新旧ごちゃ混ぜになった、カオスなエキゾチック空間。懐かしくて、しかも新しいにおいがする。

龍……動物でもなく妖怪でもない、空をゆき水をゆく、洋の東西を問わず神聖視される架空の獣。余談だが、白い龍は『ネバーエンディングストーリー』の「ファルコン」を思い起こさせる。これもまたキノコ的良作だと思う。

沼……陸と水の境目。

電車……キノコ作家・宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を想起させる。一方通行、下車が死に通じるという列車だが、寂しさ・怖さとともに郷愁を感じる。

両親が豚……いや、これはあんまり関係ないけど。現生に染まり過ぎて神々と交感できなくなった大人は家畜レベルということか。神と食べ物を共にすることで生き物として純粋になれた、さらに神々に食べられることで神に近づける、といううがった見方もできる。


まさしくキノコ的意匠が盛りだくさん。おなか一杯。

『風の谷のナウシカ』

2012-06-14 20:39:58 | キノコ本
『風の谷のナウシカ』全7巻  宮崎駿

ストーリー:終末戦争後、科学文明は崩壊し、生き残った人類が住み暮らす世界。人間を寄せつけない特異な生態系「腐海」が徐々に広がり、人類の生活圏をおびやかしつつあった。
大国・トルメキア王国はドルク諸侯国にたいして開戦するにあたり、支配下の辺境自治国にも従軍指令を下す。「風の谷」の族長の娘・ナウシカもそれに加わっていた。ドルクは劣勢を覆すため、腐界の生物を兵器として用いはじめるが、やがて制御不能になり未曾有の大混乱を招く。戦争の非道に怒りを燃やし、それを止めるために孤軍奮闘するナウシカ。彼女の一途な想いはやがて、敵味方の壁を越えて多くの人を巻き込んでいく……
王蟲、巨神兵、ヒドラ…彼らに隠された秘密とは。風前のともしびに等しい人類の運命は。彼女自身が鍵となり、ナウシカは人々を世界の謎の中心へと導く。

……みなさんご存知、映画『風の谷のナウシカ』の原作漫画。

実は上映当時、この漫画は完成してなくて、それからも休んだり悩んだりいろいろあり、やっとこさ完結したのは映画を発表した10年も後のこと。それだけ難産した末に完成した大作だけに、宮崎駿の思想のエッセンスが存分に詰め込まれた中身の濃ゆ~い作品になっている。ちなみに映画部分はこの漫画版の四分の一ほど。



この漫画のすごいのは壮大なスケールの世界を作りあげながら、一方で細部まで手を抜かず、緻密に描き込んであるところ。「王蟲(オーム)」をはじめとした「腐海」の生物群や、多様な民族のもつ装束や道具、習俗から生活様式に至るまで、制作前の段階でイメージをよほど練り込んでおかなければ、ここまでのものは描けない。この作品だけで、日本の漫画文化が世界に誇れるものだと証明できそうだ。

ただ、中盤以降は重苦しい展開になるうえ、難解なやりとりもあるので、よほど覚悟しないと、ただのアニメファンにはつらいかも。まあでもここを読みこなせるようにならない限りは、真の宮崎駿ファンとは言えないか。私は時間をかけて何回も読んでるうちに、やっとこさ意味がとれるようになったけど、その時自分がすっごく賢くなったような気がした。



キノコ視点でいえば、やっぱり「腐海」の存在。この世界では菌類は背丈をはるかに超えて巨木のように生長し、光合成ができる、という設定になっている。すごいオリジナリティ!超巨大粘菌なんかも登場するし、キノコそのものの出番はないにしても、菌類(ないし粘菌)がストーリーを左右するほど活躍するという点に、話のスケール、知名度を加味すれば、これはもうキノコ漫画の最高峰といっていいんじゃないかな。

このストーリーでナウシカは様々な壁をブチ壊し仲介する、トリックスター的役割を果たすんだけど、それこそまさにキノコ的役回りなのだと言ったら何の事だかわからないか。人間と人ならざる者、自然と文明、大人と子供、生と死、そういった対立するものを結び付けるというのが、宮崎駿の一貫した方向性のような気がする。


個人的にはナウシカよりクシャナの方が好き。優等生は疲れるんだよね……あとクロトワなんかもいい味出してるけど、やっぱヴ王かな。
「失政は政治の本質だ!!」と叫びながら坊主を蹴り飛ばすあたり、最高。王様ってこうじゃなくちゃーな。

トリックスター

2012-06-12 20:15:12 | キノコ本
≪トリックスターはこのように、策略にとみ、変幻自在であり、破壊と建設の両面を有している。アフリカの神話に活躍するトリックスターが案外、創造神話と結びついたりするのもこのためで、破壊によって古いものが崩れ、そこに思いがけない結びつきが生ずることによって、新しい創造が成立するのである。トリックスター的存在はどのようなところにもいるものである。敵対するグループの両方に属していて、片方の秘密を片方に流したりするので、大騒ぎが起こったりするが、そのような騒ぎを通じて案外、二つのグループが仲良くなったりするときもある。トリックスターは二つの世界の中間地帯を跳びまわり、そこに波乱を巻きおこす。失敗したときは人騒がせないたずら者であり、成功したときは新しい統合をもたらす英雄となるのである。≫

河合隼雄『無意識の構造』から引用

トリックスターっていう言葉がある。かなりひらたく言ってしまえば、あまのじゃく的な人物を表す類型のひとつだと思うんだけど、ちょっと言葉では言いにくい。上の引用でもわかりづらいだろうな。でもなんとなく、言わんとしていることわかるだろーか?

トリックスター的な人って、すごくキノコ的だと思うわけよ。善でもあり、悪でもある者。敵でもあり、味方でもある者。破壊者でもあり、創造者でもある者。仲立ちをする者。混乱を招く者。二律背反。天才バカ。

ハーメルンの笛吹き、ねずみ男、坂本竜馬、小泉純一郎。

あなたの周りにもいませんか?トリックスター。

『西の魔女が死んだ』

2012-06-09 20:39:53 | キノコ本
≪ここはいつか来たことがあるような気がする、とまいはぼんやり思った。
ふと、急に空が明るくなって陽が微かに射し込んだ。同時に何かとても甘やかな匂いがして、まいはその方角に瞳を凝らした。
沢の向こう側の山の斜面に、二、三十メートルはあろうかと思われる大きな木が、これもまた、二、三十センチはありそうな白い大きな花を、幾つも幾つもまるでぼんぼりを灯すようにしてつけているのが目に入った。花は泰山木を一回り大きくしたようでもあり、蓮の花のようでもあった。
そうだ、あれは空中に咲く蓮の花だ。おばあちゃんは、蓮の花は空中には咲かないと言っていたけれど。霧の中で夢のように咲いている。まいはすっかり魅了されて動けなかった。ああ、おばあちゃんの言うとおり、人間に魂があるのなら、その魂だけになってあの花の廻りをふわふわと飛遊していられたらどんなに素敵だろう。
引かれる気持ちが強すぎて、まいは怖くなった。例の、「自分が心から聞きたいと願ったわけではない声」が、また聞こえてきそうな気がしてきた。きびすを返してそこを立ち去ろうとし、まいは足を滑らした。そして大きく段がついているようになっている、穴の中に落ちてしまった。けがはしなかったが、すっかり泥だらけになった。立ち上がろうとして、まいは、あっと目をみはった。
穴の脇は更に深い洞のようになっていて、その一面に美しい銀色の花が咲いていたのだ。暗い林の奥の、そのまた暗い、ほとんど陽も届かないはずの場所に。その植物は、二十センチくらいの、葉を持たない銀白色の鱗をつけた茎の先に、やはり銀細工のような小さい蘭に似た花をつけていた。それが何十本となく、まるで茸かつくしのように地面から生えているのを見るのは不思議な光景だった。
まいはそこでしばらく我を忘れて見入っていたが、やがてかさこそと木々の合間を縫って雨の落ちる音を聞き、立ち上がった。膝が痛かった。その不思議な美しい花を一本採り、穴から出た。≫


『西の魔女が死んだ』梨木香歩

昨日の記事の引用部分から強く連想されたので紹介する。

悲しみ、ないし怒りにとらわれた女性が一人で森へ行く。『秋桜』でアレーナは松茸に誘われて、せせらぎの近くに蜂の住まう巣箱を見つけるが、『西の魔女が死んだ』では、ホオの木、穴、ギンリョウソウが同じ役割を果たす。これらは、ただ漫然と登場しているわけではなくて、現実の世界から少しはずれた場所を象徴している。その場所とは、すなわち死の世界・彼岸だ。
この引用部分では、『秋桜』よりもはっきりとした形でそのことを示している。

彼女たちはこの場所で、それぞれに抽象的な形で死の世界の者たちからメッセージを受け取り、これを転機として再生を果たす。死せる者から生ける者たちへ。この二つの話が、魂の輪廻というテーマを共通して持っているのがよくわかる。

キノコは生と死をつなぐもの。生の世界に住む我々にとって、死の玄関口に立つ彼らは不吉なものとして目に映るが、死の世界に住む者にとっては、彼らと彼らが残した者たちとをつなぎとめる、貴重な仲立ちとなる。

ゆめ忘るるなかれ

『解夏』(げげ)

2012-06-08 22:06:38 | キノコ本
(あ)
もう、松茸が出ている。そこいらで松茸の匂いがした。
今日は帰りに採って帰ろう。アレーナ自身は本当のことを言えば松茸の香りや美味しさはちゃんとは分からないのだけれど、アレーナが舅に教わった通りに作る吸い物を夫はひどく気に入っていた。
喜久枝も、濡れた和紙にくるんで軽く焦げ目がつくまでオーブンで焼いてやると、嬉しそうにそれを手で裂いて、すだちをかけて食べる。刻んで酢飯とあえると太郎もよく食べた。
舅は生前、すき焼きの鍋の中に松茸の刻んだのを豪快に、まるでネギかエノキのようにたっぷりと放り込んで食べるのが好きだった。
「都会なら贅沢だろうが、なあに、自然の分け前だに」
舅の自慢そうな笑い声が聞こえるようだ。
頭に血が上って、勢いで飛び出してきたのに、しばらく時間が経ってみれば、今夜の献立まで考えている自分が可笑しかった。
このところ雨が降らないのでせせらぎの水の量は少ない。近づけばいつも滝の音がし、マイナスイオンに満ちた風が向こうから吹いてくるのに今日はさほどではない。
その代わりに、別の音が聞こえた。
微かではあるが羽音がする。もう聞き慣れた羽音だ。
近づきながら胸がいっぱいになった。

蜂は確かにアレーナの巣箱に入っていた。
「ああ」
アレーナは巣箱の脇に崩れるようにしゃがみ込んだ。
大した数のミツバチがそこで生活をしていた。ただの木箱に生活の音が満ちていた。
この、去年舅が作った、そして夏に自分が置いた巣箱がもう蜂たちには、大切な大切な「家庭」なのだ。
思わず声をあげて泣いた。
「おとうさん」と大声で叫んだ。
それは遠い故郷の父のことか、義父のことか、アレーナ自身にも分からなかった。
誰もいない安心感だったろうか、巣箱を抱きかかえて子供のようにしゃくり上げながら泣いた。
蜂は刺さなかった。


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『解夏(げげ)』。ご存知、古参のシンガーソングライター・さだまさしの小説四本立て。そのなかの一編、「秋桜」より引用。

「秋桜(あきざくら)」……フィリピンから日本に渡り、長野県飯田の農家に嫁いだアレーナ。外国人である自分に常に味方し、たくさんのことを教えてくれた義父・春夫が他界した後、姑の喜久枝との仲がうまくいかずに、ただただ耐える日々を過ごすことになる。義父が生前に授けてくれた養蜂が、彼女の心のわずかな支えになっていた……


歌謡界で最強のトリックスター・中島みゆきの古くからの友人だから、この人もキノコ的人物であるに違いない、という強引な連想で手に取った本だったが、読んでみて驚いた。彼がキノコ的かどうかはさておき、こんなに文章の巧い人だったとは。特に文体の飾りけのない美しさは、そのへんの小説家では太刀打ちできないレベル。

故郷、家族、絆。別離、喪失、そして、それを埋め合わせようと、もがく人の心。降参しました。さだまさし、超リスペクト。

『ハルシオン・ランチ』追記

2012-06-01 20:57:39 | キノコ本
ヒマなので『ハルシオン・ランチ』を追撃してみる。





海の向こうの某独裁国家をネタにした一節。ギャグを隠れ蓑にして、これをちゃんと一話描き切ってるのはすごい。フツーヤラネーダロ……

それはさておき、読者を選びすぎるギャグやネタで隠れて分かりづらいのだけど、ストーリーの骨組みがしっかりしているのには感心する。ギャグ漫画として描かなくても十分に作品になるくらい。あとがきによれば、『くいしんぼうのあおむしくん』という絵本から構想を得たそうだ。

それにしてもこの人が描く作品に登場するのはアウトローとか落ちぶれ者とか、そんなんばかりだ。しかし、はずれ者にしかできないことも、世の中にはある。難物のリグニンやセルロースをバリバリ分解してしまったり、植物と共生関係をつくり生態系の地盤を支えたりするキノコのように!

って、かなり無理やりなこじつけだがな。まあ気にしなさんな。



埋めくさ四コマ。二つだけのオマケ四コマ漫画が両方ともキノコがらみだから、さっきのこじつけも、そんなにマトはずれじゃないかも?



もうひとつ。だからそういう危ないネタ使うなってーの!