月刊 きのこ人

【ゲッカン・キノコビト】キノコ栽培しながらキノコ撮影を趣味とする、きのこ人のキノコな日常

『西の魔女が死んだ』

2012-06-09 20:39:53 | キノコ本
≪ここはいつか来たことがあるような気がする、とまいはぼんやり思った。
ふと、急に空が明るくなって陽が微かに射し込んだ。同時に何かとても甘やかな匂いがして、まいはその方角に瞳を凝らした。
沢の向こう側の山の斜面に、二、三十メートルはあろうかと思われる大きな木が、これもまた、二、三十センチはありそうな白い大きな花を、幾つも幾つもまるでぼんぼりを灯すようにしてつけているのが目に入った。花は泰山木を一回り大きくしたようでもあり、蓮の花のようでもあった。
そうだ、あれは空中に咲く蓮の花だ。おばあちゃんは、蓮の花は空中には咲かないと言っていたけれど。霧の中で夢のように咲いている。まいはすっかり魅了されて動けなかった。ああ、おばあちゃんの言うとおり、人間に魂があるのなら、その魂だけになってあの花の廻りをふわふわと飛遊していられたらどんなに素敵だろう。
引かれる気持ちが強すぎて、まいは怖くなった。例の、「自分が心から聞きたいと願ったわけではない声」が、また聞こえてきそうな気がしてきた。きびすを返してそこを立ち去ろうとし、まいは足を滑らした。そして大きく段がついているようになっている、穴の中に落ちてしまった。けがはしなかったが、すっかり泥だらけになった。立ち上がろうとして、まいは、あっと目をみはった。
穴の脇は更に深い洞のようになっていて、その一面に美しい銀色の花が咲いていたのだ。暗い林の奥の、そのまた暗い、ほとんど陽も届かないはずの場所に。その植物は、二十センチくらいの、葉を持たない銀白色の鱗をつけた茎の先に、やはり銀細工のような小さい蘭に似た花をつけていた。それが何十本となく、まるで茸かつくしのように地面から生えているのを見るのは不思議な光景だった。
まいはそこでしばらく我を忘れて見入っていたが、やがてかさこそと木々の合間を縫って雨の落ちる音を聞き、立ち上がった。膝が痛かった。その不思議な美しい花を一本採り、穴から出た。≫


『西の魔女が死んだ』梨木香歩

昨日の記事の引用部分から強く連想されたので紹介する。

悲しみ、ないし怒りにとらわれた女性が一人で森へ行く。『秋桜』でアレーナは松茸に誘われて、せせらぎの近くに蜂の住まう巣箱を見つけるが、『西の魔女が死んだ』では、ホオの木、穴、ギンリョウソウが同じ役割を果たす。これらは、ただ漫然と登場しているわけではなくて、現実の世界から少しはずれた場所を象徴している。その場所とは、すなわち死の世界・彼岸だ。
この引用部分では、『秋桜』よりもはっきりとした形でそのことを示している。

彼女たちはこの場所で、それぞれに抽象的な形で死の世界の者たちからメッセージを受け取り、これを転機として再生を果たす。死せる者から生ける者たちへ。この二つの話が、魂の輪廻というテーマを共通して持っているのがよくわかる。

キノコは生と死をつなぐもの。生の世界に住む我々にとって、死の玄関口に立つ彼らは不吉なものとして目に映るが、死の世界に住む者にとっては、彼らと彼らが残した者たちとをつなぎとめる、貴重な仲立ちとなる。

ゆめ忘るるなかれ