月刊 きのこ人

【ゲッカン・キノコビト】キノコ栽培しながらキノコ撮影を趣味とする、きのこ人のキノコな日常

『ラムネ氏のこと』

2020-01-26 22:46:22 | キノコ本
『ラムネ氏のこと』  坂口安吾 著

『ラムネ氏のこと』は坂口安吾による随筆。ごく短い。青空文庫で無料で読めるので、読みたい方はこちら

【以下ネタバレ】
話は他愛もない話題から始まる。夏まつりの縁日とかに売られているラムネ。あのシュワシュワと冷たくて甘いヤツ。あの瓶のビー玉を発明したのは誰だろうかと。
ビー玉が入り口を見事にふさぐから、飲みかけでも炭酸が抜けずに済む。それはそれで大した発明かもしれないが、それを見出すために一生涯を費やした者がいたとしたなら、滑稽じゃないか、と。

いや待て。およそ世の中にある物は、多かれ少なかれ、そのような犠牲のもとに成り立っているかもしれぬと、坂口安吾は思いを巡らす。

たとえばキノコだ。
キノコを食するという行為もまた、毒による中毒があるゆえに犠牲なくしては語りえない。
坂口本人は、山奥の宿泊先で出された得体のしれないキノコ料理を『幾度となく茸に箸をふれようとしたが、植物辞典にふれないうちは安心ならぬといふ考へ』で、まったく食べることができなかった。

これは私の目から見てもまったく聡明な判断だと思うが、しかし安吾はこうも思う。
『私のやうに恐れて食はぬ者の中には、決してラムネ氏がひそんでゐないといふことだ。』

つまり、己の生涯を犠牲にしてまで新しい知見や発明を手に入れようとする者にしか、ものの在り方は変えられない、と。
それがたとえラムネのビー玉のように他愛のないことであっても、我々は敬意を表するべきなのだろう。
【要約終わり】


身につまされる話だ。私自身も、食えるかどうか判然としないキノコを幾度か食べたことがある。
べつに無一文というわけでもなし、今どき100円も出せば安全でおいしいキノコなぞどこでも買うことができる世の中である。
わざわざ危険を冒してまで、しかもたいして美味しくないキノコを食べることに、いったいどんな意味があるというのか。

理屈で考えれば、褒められるべきことなど何もない。無意味、阿呆。まったくもってその通りだと思う。でもね。それだけじゃない、それだけじゃないんだ。

私たちはできるだけ合理的にふるまう。むろん計算を間違えたり、感情的になってしまったりして不合理な決断を下してしまうことだってあるが、とりあえず損はしたくないし、なるたけラクをして、たくさんの利益を得たい。
たとえば高性能なAIを作って、決定をすべてそいつに委ねれば、人はつねに合理的な判断を下せるようになるだろう。そしたら絶対損しない。

でも、それって。人間やってる意味なくない?あなたがあなたである意味なくない?
完全に合理的な判断に身をゆだねた途端、あなたは取り換え可能な社会の部品に成り下がる。飯食って寝てCO2と糞尿を排出して。生まれて死ぬまで。それだけの機械だ。

だからね、私たちは人間であり続けるために、できるだけ不合理なこともしなくちゃならないのさ。

ということで!そう、ラムネ!ラムネを飲みましょう!!
そしてビー玉をどうにかして取り出せないものかと瓶をガラガラ振りませう!!
コメント (2)
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