月刊 きのこ人

【ゲッカン・キノコビト】キノコ栽培しながらキノコ撮影を趣味とする、きのこ人のキノコな日常

『きのこ絵』

2012-10-03 22:40:17 | キノコ本
『きのこ絵』

きのこ絵とは何ぞや。

これらは決して美術品として作成されたものではない。ヨーロッパや日本の生物学者、あるいは博物学者が、野外で観察し、採集したキノコを、あくまでも学術的な目的で写しとり、著したものだ。それは、あくまでも科学的であり、客観的にして冷静な眼をもって、ありのまま写しとられた写生図、のはずなのだが……。

これがなぜだか、魅力的な美術品に見えてしまうことがある。それがまた、本職の美術家の描いたものを凌ぐほどに。

なぜだろう。

≪神が地上に創造した世界をまるごとすべて、精緻に、美しいままに極限の技法で本の中に再現させることが、当時の生物学者の使命であったのだろう。これらの図譜の制作者が、聖職者も兼ねていたことも無縁ではないのかもしれない。≫(吹春俊光氏のコラムから引用)

そうか。神の作りたもうた万物のひとつひとつを、見つめ、識別して、図譜・書物という人間だけの宝箱に収める。それはつまり、難解な神の示す道を一歩一歩たどり、少しずつ真理に近づくための行程なのだ。その道を行くには、好奇心だけでとか、仕事だからとか、そういうなまじな考えでは務まらない。「森羅万象を網羅したい!」そういう度の過ぎた情熱が詰まってるからこそ、逆に冷静さを失い、なぜか抒情的になってしまったり、喜びや驚きが表現されてしまったりするのだろう。

その情熱は、たとえ一神教を信奉しない身でも、変わらずそのうちに秘めている。南方熊楠の図譜を見ると、自然にそう思えてくる。この情熱は人類の遺伝子に組み込まれているのだ。

だから。

われわれ生活者の視点から見れば、ほとんど無用とも思われるキノコ図版に。力を入れ過ぎて、客観的などころか、下手をすれば優雅で魅惑的ともいえるキノコ図版に。私は敬意を表しながら、ページをめくる。


本の中身。極度に装飾を排したシンプルな内容。きのこ図譜を最大限に尊重したデザインだと言っていい。
≪見る人に対して、あたかも優雅にポーズをとっているようで、うっとりするほど魅力的である。≫(引用・上に同じ)
そこはかとない色気、感じられるだろうか。


豪奢な装丁につられ、きらびやかな絵を期待して、その地味な内容に失望した向きもあるだろうけど、それはお門違いというものだ。この図譜たちは、それを描いた学者たちにとっての宝箱なのだ。そこに注いだ情熱は、充分にきらびやかで、豪奢だ。昆虫少年の標本箱と同じ。中身はもはや飾る必要もない。箱の外側だけは、その情熱に見合うていどに豪奢であってもいいけど。


「日本の菌類図譜」のコーナーだけ、どういうわけかページが小さい。ただ、和紙テイストの紙が使用してあるので、オリジナルの風合いがよく表現されている。うしろ側に見えているのがコラム。全部で5篇あって、いろんな専門家の手による文だけれど、いずれも秀逸。


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