(あ)
もう、松茸が出ている。そこいらで松茸の匂いがした。
今日は帰りに採って帰ろう。アレーナ自身は本当のことを言えば松茸の香りや美味しさはちゃんとは分からないのだけれど、アレーナが舅に教わった通りに作る吸い物を夫はひどく気に入っていた。
喜久枝も、濡れた和紙にくるんで軽く焦げ目がつくまでオーブンで焼いてやると、嬉しそうにそれを手で裂いて、すだちをかけて食べる。刻んで酢飯とあえると太郎もよく食べた。
舅は生前、すき焼きの鍋の中に松茸の刻んだのを豪快に、まるでネギかエノキのようにたっぷりと放り込んで食べるのが好きだった。
「都会なら贅沢だろうが、なあに、自然の分け前だに」
舅の自慢そうな笑い声が聞こえるようだ。
頭に血が上って、勢いで飛び出してきたのに、しばらく時間が経ってみれば、今夜の献立まで考えている自分が可笑しかった。
このところ雨が降らないのでせせらぎの水の量は少ない。近づけばいつも滝の音がし、マイナスイオンに満ちた風が向こうから吹いてくるのに今日はさほどではない。
その代わりに、別の音が聞こえた。
微かではあるが羽音がする。もう聞き慣れた羽音だ。
近づきながら胸がいっぱいになった。
蜂は確かにアレーナの巣箱に入っていた。
「ああ」
アレーナは巣箱の脇に崩れるようにしゃがみ込んだ。
大した数のミツバチがそこで生活をしていた。ただの木箱に生活の音が満ちていた。
この、去年舅が作った、そして夏に自分が置いた巣箱がもう蜂たちには、大切な大切な「家庭」なのだ。
思わず声をあげて泣いた。
「おとうさん」と大声で叫んだ。
それは遠い故郷の父のことか、義父のことか、アレーナ自身にも分からなかった。
誰もいない安心感だったろうか、巣箱を抱きかかえて子供のようにしゃくり上げながら泣いた。
蜂は刺さなかった。
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『解夏(げげ)』。ご存知、古参のシンガーソングライター・さだまさしの小説四本立て。そのなかの一編、「秋桜」より引用。
「秋桜(あきざくら)」……フィリピンから日本に渡り、長野県飯田の農家に嫁いだアレーナ。外国人である自分に常に味方し、たくさんのことを教えてくれた義父・春夫が他界した後、姑の喜久枝との仲がうまくいかずに、ただただ耐える日々を過ごすことになる。義父が生前に授けてくれた養蜂が、彼女の心のわずかな支えになっていた……
歌謡界で最強の
トリックスター・中島みゆきの古くからの友人だから、この人もキノコ的人物であるに違いない、という強引な連想で手に取った本だったが、読んでみて驚いた。彼がキノコ的かどうかはさておき、こんなに文章の巧い人だったとは。特に文体の飾りけのない美しさは、そのへんの小説家では太刀打ちできないレベル。
故郷、家族、絆。別離、喪失、そして、それを埋め合わせようと、もがく人の心。降参しました。さだまさし、超リスペクト。