トウキョウゴリン・・・桃郷檎林・・・?
うわき・・・ほんき・・・うわさ・・・ほんとう・・・
・・・あんまりな「こじつけ」カモ・・・「小實家」?
↓↑
ヨウキヒ・・・おたふく・・・妖艶・・・?
・・・?・・・おかめ・・・楊貴妃・・・?
しもぶくれ(下膨れ)・・・顔の頬から下がふくれた輪郭=美人?
↓↑
唐王朝
玄宗皇帝時代
↓↑
「虢」国 夫人
(カク コクフジン)・・・描く故句布陣?
虢=虎の爪跡
生年不詳~至徳元載(756年)・・・史を解く言の差異?
元載=一年=元年⇔虤歳(ガンサイ)?
↓↑
「トラ(虎・寅・𢁺・乕・虤・彪・虝)=禽(とら)」
「トリ(禽・鳥・酉・鶏・隹)=禽(とら)」
「とら=禽(キン)=とり」
「禽(キン)=とら・とり」とも訓読
「トら・トり・トる・トれ・トろ」
「ト=占=卜占=易」・・・
・・・トランプはキエル・・・「マジックカード」?
↓↑
・・・徳に至る元を載(のせ)る?
七百五拾六年
漆 伍拾陸念
唐代
玄宗朝の・・・・幻想調之
「妃」・・・妃=女(おんな)+己(おのれ・よこしま)
である
「楊」貴妃
の姉
姓は「楊」
楊=十+八+昜(日一勿・ヨウ)
十+八+旦+勿(モチ・ブツ・なかれ)
昜≠易(日 勿・エキ・やすい)
名は不詳
「虢」国 夫人は
「楊」貴妃
の栄誉の恩恵を受け
豪奢に ふるまい
「楊貴妃」の死後殺された
↓↑
虢(カク)=爪+寸+虎
↓↑ 古代中国の都市国家
姫姓で
周の
「季歴」
↓↑
禾(のき)の子の女の歴史(履歴)
盧記・退きのオンナの子の厯(暦)詞
鸕戯の音名の履歴
の子で
「文王」・・・文(亠乂)の王(一土・一十一)
音交 壱土・壱拾壹
の弟の
「虢仲」
と
「虢叔」
↓↑ を祖とする
虢=カク=彠
↓↑
「武士彠(ブシカク・ブシヤク)」
577年~635年
隋末~唐初にかけての政治家
「武則天(武媚・武照=武曌)」
・・・「天照大神」?
の父
字は信明
本貫は并州-文水県・・・「汶水県」
↓↑
合併=併合・并=幷=ならぶ=並ぶ
・・・「日並皇子」
「奈良武」=天武天皇
日並皇子=草壁皇子(くさかべのみこ)
諡号 岡宮御宇天皇
(オカのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと
オカのみやぎょうてんのう)
岡宮天皇=長岡天皇
↓↑
天武天皇と鸕野讃良皇女(持統天皇)の皇子
妃は天智天皇の皇女で持統天皇の異母妹の
↓↑
「阿陪皇女(阿閉・阿閇・元明天皇)」・・・阿毎
阿国(おくに・アくに)
阿亀(おかめ)?・・・ひょっとこ(火男・非徳利)
うそぶき
カメレオン(chamaeleon)=咬め例音?
阿瓶(阿甕・阿壜)
瓶=ビン ・ ヘイ・・・ヘイ=閇・閉
かめ・甁・pot・urn
甕(オウ)=雍+瓦
雍=雝の略字
雝=邕(川邑)+隹(小鳥)
壷(コ)=壺(つぼ)
硝子瓶=ジャー(jar)=魔法瓶
「岡宮(おかみや)」・・・「おかめ」哉?
「草壁皇子」の「薨去(コウキョ・身罷る)」
「日並皇子(ひなみしのみこ)」=萬葉集(柿本人麻呂歌)
↓↑
宣仁親王妃 喜久子
高松宮宣仁親王の妃
旧名、徳川 喜久子
徳川慶久公爵令嬢
母 有栖川宮威仁親王の
第2王女・實枝子女王・親王妃
お印 結婚前 亀(かめ)
結婚後 撫子(なでしこ)
↓↑
「武士彠」は
財産家(木材業)の家に生まれ
隋末に
「鷹揚府」隊正・・・鷹(たか・ガン)を
揚(あ・ヨウ)げる
府(フ)の
隊(タイ)を
正(ただ)す
揚≠楊(やなぎ)
に任ぜられた
↓↑
「虢」国夫人は
「蜀州」司戸の
「楊玄淡」・・・ヤナギのクロ(もと)のアワさ?
の二女(三女?)
父が死に
代わりに
「楊国忠」・・・楊は
国に
忠(中+心
誠実・誠意・真面目)
が家を守っていた時
「虢」国夫人は
「楊国忠」と
「私通」・・・
↓↑
「虢」国夫人は
「裴」氏・・・「裴世清(隋王朝煬帝の使者)」の縁戚?
「裴世清=裴清」
隋の「鴻臚寺」掌客・文林郎
608年(推古十六年・隋の大業四年)
隋の「煬帝」による命令で
「小野妹子(蘇因高)」と共に
来日
↓↑
「俀國(倭国)」を訪れた
↓↑
に嫁ぎ、子の
「裴徽」・・・「楊貴妃」の甥
と
娘を一人を生んだ
↓↑
「楊貴妃=楊玉環」が
「寿王・李蒯(玄宗・隆基の皇子)」
の妃であったが
「玄宗」の皇后
737年
「武恵妃」が死亡し
740年
玄宗の寵愛を得て
の妃になった
↓↑
「虢」国夫人は
開元二十三年(735年)
「貴妃」に冊され
天宝四載(745年)までに
夫の裴氏に死なれ
寡婦となり
兄の
「楊銛」・・・楊の銛(金+舌・もり)
従兄弟の
「楊褧」
姉妹とともに
蜀州=四川省成都市北西部に設置
686年(垂拱2年)
唐により益州の4県を分割し
蜀州を設置
742年(天宝元年)
唐安郡と改称
から
都・長安に移った・・・
↓↑
「虢国」夫人は
他の姉妹同様に優れた容貌
この頃
又従兄弟の
「楊国忠」
の来訪を受け
屋敷に泊まらせ
「玄宗」に推薦した
↓↑
天宝七載(748年)
「虢国」夫人に封じられ
姉が
「韓国」夫人
妹が
「秦国」夫人
に封じられ
毎年
千貫の
化粧代を支給
「虢国」夫人は美貌で
化粧をせずに
「玄宗」の前に出
宮廷に頻繁に出入りして
姉妹たちとともに
「楊貴妃」の
「琵琶」の弟子になった・・・
民間で神格化されて
「梨の花の神」とされた・・・
子の
「裴徽」
は
「延光」公主と婚姻
↓↑
「虢国」夫人は
「楊国忠」
との密通・・・
「韓国」夫人
と三人で馬に乗りながら
背後の百人以上の宮女に灯りを持たせ
参内・・・
杜甫の詩にも
「虢国夫人」や「麗人行」に唱われている
(虢国夫人は別人作説あり?)
↓↑
「張萱」・・・張萱(チヨウケン・(チャン・シュアン))
宮廷画家・京兆府万年県の出身
「搗練図 」の作者
の
『虢国夫人遊春図』
は「虢国」夫人を題材にしたもので
男装をして馬に乗り
列の先頭を行く彼女の姿が描かれている
↓↑
楊一族の中で最も豪奢と横暴
官人の家に入り込み
家を壊して新しい自宅を造り
隅っこの土地だけを返し
↓↑
蟻(あり・くろい=玆・玄・ギ)=虫+義
や
蜥蜴(とかげ)=虫+析+虫+易
が出られないほどの精緻な屋敷を建てた・・・
↓↑
「韓国」夫人
「楊玄淡」の長女
「崔峋」に嫁いで
「韓国」夫人に封じられた
「韓国」夫人
や
「虢国」夫人
に賄賂を贈れば思い通りになった・・・
至徳元載(756年)
「楊国忠」が殺された後
「陳玄礼」
率いる兵士たちに殺された
↓↑
「秦国」夫人
「楊玄淡」の三女
「楊貴妃」の姉
(排行は八番目)
「柳澄」
という男に嫁いでいたが
死に別れ
子は
「柳鈞」
といった
↓↑
「秦国」夫人
に封じられる
天宝六載(747年)
彼女が宮中に侍女の
「明珠」
を連れてきたことが
「楊慎矜」
失脚の原因の一・・・
↓↑
「玄宗」と「楊貴妃」が主催した演奏会において
「秦国」夫人は
唯一の聞き手となり
300万銭の祝儀を出した・・・
天宝十三~十四載頃に死去
↓↑
楊氏五家
楊銛
楊褧
韓国夫人
虢国夫人
秦国夫人
の五家
楊氏五家
「楊国忠」を含めて
「楊氏六家」という場合もある
彼らの邸宅には
四方からの賄賂
玄宗からの贈り物の使者が絶えず訪れ
彼らの生活は奢侈を極めた・・・
↓↑
by 「ウィキペディア・虢国夫人」
ー↓↑ーーー
・・・ハナの命は短くて・・・
生きている間こその人生・・・
階級社会・・・
身分、金銭財貨、狡猾な知識と知恵
暴力掌握、行使・・・相応の多寡こその人生・・・?
水に流(なが)され翻弄(ホンロウ)の浮き沈み・・・
個々人の末路は大海の藻屑、アワの如し・・・?
↓↑
山津波・・・無惨(無残)・・・
生きたればコソ・・・逆流に抗するヒトビトも・・・
↓↑
なでしこ(撫子・瞿麦)・・・名出詞故?
瞿=䀠+隹
目+目+隹
䀠=きょろきょろと見る
左右を見る・見回す
ク
みる
おそれる
目を見はる
驚(おどろ)く=敬+馬・・・敬う馬?
苟+攵+馬
艹+句+攵+馬
艹+勹+口+攵+馬
苟も(いやしくも)
苟(かりそめ・仮初・苟且)
苟に(まことに)
一糸不苟(イッシフコウ)
何事にも手を抜かないこと
因循苟且(インジュンコウショ)
昔からの習慣や方法に
必要以上にこだわって
改めることをせずに
その場その場でやり過ごすこと
決断できず曖昧な態度とる
「因循」=昔からの慣習
「苟且」=その場だけの取り繕い
苟且偸安(コウショトウアン)
一時の楽に逃げること
「苟・且」=いい加減な態度
「偸安」=目前の楽なことだけを選択
↓↑
懼(おそ)れる・・・恐れる・怖れる・恐怖
畏れる・畏敬
驚き・驚愕・ドッキリ
↓↑
瞿瞿・瞿然・・・懼(ク)
瞿(おそ)れる
瞿然(クゼン)
びっくりする
見まわす
するどい目つきで見る・驚愕の眼の貌
おどろく・おそれる・驚きおそれる
瞿曇=ゴータマ(瞿曇仏陀・Gautama・クドン)
釈迦の姓
↓↑
ナデシコ(なでしこ・撫子・瞿麦・牛麦)
ナデシコ科ナデシコ属(Dianthus)
河原撫子(カワラナデシコ)の異名
「常夏」も異名
ナデシコ属の植物の総称
蘧麦(キョバク)とも
秋の七草の一
↓↑
ヒメハマナデシコ
姫浜撫子=琉球寒撫子
(リュウキュウカンナデシコ)」
シナノナデシコ
信濃撫子=深山撫子
(ミヤマナデシコ)
↓↑
カワラナデシコ
異名
大和撫子
(ヤマトナデシコ)
セキチク(chinensis L)
を古くは
唐撫子(カラナデシコ)⇔大和撫子
ナデシコ=常夏(とこなつ)
↓↑
蝦夷河原撫子
エゾカワラナデシコ
カワラナデシコの変種
↓↑
高嶺撫子
タカネナデシコ
↓↑
姫浜撫子
ヒメハマナデシコ
↓↑
浜撫子
ハマナデシコ
藤撫子
フジナデシコ
↓↑
信濃撫子
シナノナデシコ
深山撫子
ミヤマナデシコ
↓↑
ナデシコ属の園芸品種
ダイアンサス (Dianthus)
↓↑
カーネーション
(和名 阿蘭陀撫子
麝香撫子)
↓↑
カーネーション・・・母子重処務?
(carnation)
ナデシコ科ナデシコ属の多年草
↓↑
江戸時代初期以前に輸入されたものは
アンジャベル
アンジャ(蘭: anjelier)
と呼ばれた
『地錦抄録』(1733年)
徳川家光の時代
正保年間にオランダから
カーネーション伝来の記録
寛文年間に再伝来
14種の品種が紹介
『花壇綱目』に
「あんしやべる」・・・案、喋る?
の名で記録
宝暦年間
『絵本野山草』(1755年)
ナデシコなどとともに紹介記事
ーーーーー
・・・???・・・ナデ指呼・・・名出詞故(胡)・・・
楊貴妃・虢国夫人・韓国夫人・秦国夫人・・・「おかめ」?
醜女(しこめ)・・・ugly woman・・・?
試雇・四股・四顧・四庫・史子・志子・師子・資子・・・
お亀=阿亀(おかめ)=お多福=阿多福(おたふく)・・・
・・・???・・・「オタフク風邪」・・・平安女子・・・?