・・・毛虫が家の前の車道兼歩道のアスファルトの道を一所懸命に渡ろうとしている・・・さっさと渡らなくちゃぁ、命がアブナイ・・・「虫めづる姫(虫愛づる姫君を愛ずる右馬佐の物語・堤中納言物語・伝本は全て江戸期の写本)」さま、如何しよう・・・「この姫君ののたまふこと、「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、 まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ」とて、よろづの虫の、恐ろしげなるを 取り集めて、「これが、成らむさまを見む」とて、さまざまなる籠箱どもに入れさせたまふ」・・・「ムシめづるヒメ」・・・
昨日の朝は「健康診断」だったが、立ち眩みや、目眩が多くて血圧が低いと思っていたら数値が140以上だとか・・・胃癌検査の「バリューム」を飲まされ、レントゲン写真・・・その帰宅途中、スーパーで買い物、後はズゥ~ッと悪夢の「下痢の1日」でトイレとの往復・・・まるで水鉄砲症状・・・どうやら、今朝にはおさまったようで、まだ生きている・・・で、買ったタバコ(わかば)を一服しようと封を開けようとしたが開かない。タバコのハコの手触りが違う。ジィ~と見詰めていたら、外側がセロハン用紙で包まれているのだ。今までの「わかば(タバコ)」にはこの透明なセロハン紙の梱包が無く、詰め込まれたタバコの葉もスカスカだったのだが・・・どうやら他のタバコと平等な装いになったらしい。これって、今のところ、この「わかば(たばこ)」は1箱「250円」だが、「値上げの前兆」・・・価格は下がるか、少なくても現状の「膠着」状態を望みたいが・・・
生産された「生産物」が交換商品となれば、買い手と売り手の需要供給のバランス次第だが・・・脳ミソで「生産された数字」は電波、電線に乗って世界の人間をアタフタさせているようだ・・・
ーーーーー
↓↑
「経済(濟)」はナゼ「経が済(すくう・すむ)」で、「経(経緯・経過)の財」で、「経財」ではないんだか?・・・「経財界」と云う漢字があるのに・・・「経済」と「経財」、そして「計座位」、「軽罪」は意味が異なるらしい・・・
↓↑
「濟=氵(水)+亠
+
刀+Y(丫)+(爪-礀)
or(卯-卩)or(氏-一)
+)+礀+=」・・・
「済=濟=すむ・すます・すくう・たすける・なす・ザイ・サイ・セイ)」
と云う漢字になったんだか?・・・
「齊」は、「物が凸凹なくそろったさまで、水量を過不足なく調整すること」・・・
「斉」と通じて「斉しい」
「擠」と通じて「滅ぼす」
「霽」と通じて「晴れる」
という意味・・・
「説文解字・巻十一」に
「水なり。常山房子、贊皇山を出でて、東して泜に入す」
「爾雅・釈言」に
「濟は渡るなり・成すなり・益すなり」
とある・・・
旧字体は「濟」
異字体は「㴉」=「氵+ム+ム+ム+二」・・・水の三横島の二?
↓↑
「齋」=亠
+Y+刀
+(氏-一)or(ノ+丄+乀)
or(爪-礀)
or(卯-卩)
+
ノ+|+=
「穀物の穂がびっしりはえ揃(そろ)っている形、
揃(そろ)うの意味
髪に
三本の
同じ長さの𠂉𠂉
簪(かんざし)を挿した形」・・・かみさし
鈿・笄・簪・櫛・髪挿・ノ+一・=𠂉
毎=髪飾りをつけて結髪する婦人の象形
カミサシの母(毋=~するなかれ
勿れ・莫れ
毌=つらぬく・貫)
篸(かんざし・サン・シン)=竹+參(厽+𠆢+彡)
「卯=犠牲の肉を二つに分ける象形
卜辞は
祖
乙に羌(羊丌)・・・羌(えびす・ああ・キョウ)
十、
又、
五
を侑(すす)め、
羊を
卯(ころ)し、・・・・卯=さく・ころす・う・ボウ
ほぞあな=臍穴
一牛
を侑めんか」
のように、
牛や羊の犠牲を殺す時に使用、
肉を両分する象形・・・卯は叩き殺す刀、斤(おの)
卩=割符・セチ・セツ
・・・「劉」は殺す・・・「劉邦」
「留」はとどめるだが
「田(狩り)=狩り」用の斤、刀
「柳葉」はシナヤカの象だが
「柳の芽」は堅いスカーレットの
捲きつぼみ=蕾・蔀・莟
「柳絮=リュウジョ」は、
春に種の入った
白い綿毛を風で飛ばす
↓↑
累乗根(ルイジョウコン)= n√
冪根(ベキコン)=数 x の
冪根は
n√x
↓↑
「済世 (サイセイ)救民(キュウミン)」は「大塩平八郎」の旗印だったはずだが・・・「天保八年丁酉(ひのととり)の歳二月十九日の 暁方七つ時・・・(森鴎外)」・・・
大塩 平八郎
(1793年3月4日・寛政五年一月二十二日
~
1837年5月1日・天保八年三月二十七日)
大塩六兵衛成一から数えて八代目
平八郎の実の祖父は
大塩政之丞、
阿波国・・・・あわ=安房・安和
↓↑ 粟・沫・泡
愍・併・淡・閔・粱
澹=氵+詹(厃儿言)(厃八言)
あわい・おだやか・セン
「水厃八言」が
オダヤカとは思えないが?
勠=あわせる・力を合わせる・リク
翏+力・・・羽羽𠆢彡
𠆢=ひとやね・ひとがしら
彡=刷毛跡・毛羽痕
誤謬は間違いで
膠着は接合(くっつ)けるだが
↓↑ 膠=肉+翏
脇町の出身
大坂町奉行組与力
「大塩平八郎の乱
(天保八年・1837年」
の中心人物
通称は平八郎
諱は正高
後素(こうそ)
字は子起
号は中斎・・・
↓↑
双方が
「畳の上では死ねない人」とは・・・
↓↑
近藤 重蔵
明和八年(1771年)
~
文政十二年六月拾六日(1829年7月16日)
江戸時代後期の幕臣、探検家
寛政二年(1790年)
御先手組与力
火付盗賊改方
寛政六年(1794年)
松平定信の行った
湯島聖堂の学問吟味で最優秀の成績で合格
寛政七年(1795年)
長崎奉行手付出役
寛政九年(1797年)
江戸帰参し
支払勘定方
関東郡代付出役
寛政十年(1798年)
幕府に北方調査の意見書提出
松前蝦夷地御用取扱
4度蝦夷地(北海道)へ赴き、
最上徳内
と
千島列島、
択捉島を探検、
同地に
「大日本恵土呂府」
の木柱を立てる
松前奉行設置にも貢献
蝦夷地調査、開拓に従事
貿易商人の
高田屋嘉兵衛に
国後から択捉間の航路を調査させる
享和三年(1803年)
譴責により小普請方
文化四年(1807年)
ロシア人の北方侵入
(フヴォストフ事件、文化露寇)
再び松前奉行出役
五度目の蝦夷入り
利尻島や札幌周辺を探索
江戸に帰国後、
将軍・家斉に謁見
その際
札幌地域の重要性を説いた
文化五年(1808年)
江戸城
紅葉山文庫・・・・・・・紅葉山文庫は
の 「高橋景保」も
書物奉行 江戸城開場後は
「江藤新平」が書籍を没収
「森鴎外」は帝国図書館長
「安倍仲麻呂」は唐王朝の
図書館長
文政二年(1819年)
大坂勤番御弓奉行に左遷
この時、
大塩平八郎と会った
双方(大塩、重蔵)
「畳の上では死ねない人」
という印象・・・
文政四年(1821年)
小普請入差控
を命じられて
江戸
滝ノ川村に閉居・・・・・北海道の滝川市の地名
↓↑
「お経を済ます」とは?
・・・「済し崩し」、「済まし経る」・・・?
「済度・済民・救済・共済」、
↓↑
「済ます・住ます・棲ます・清ます」
・・・「棲万素」が潜む「古事記」・・・?
↓↑
「しあげる・すます・皆済・既済・決済・返済・弁済・未済」、
「名のり」は、
「お・かた・さだ・すみ・ただ・とおる・なり・なる・まさ・ます・やす・よし・わたる」・・・
「等しい=同意語は斉)」
「入れる・数の多いさま(済済)・空気が重たくて、近寄りにくいさま(済済)・美しくて立派なさま(済済)・中国の川の名前(済水は黄河に注ぐ川、昔は黄河本流と並行して東流し、渤海(ボッカイ)に注いだ」・・・
「渡る・渡す・川を渡る」
「渡し場(船で人・車などを対岸へ渡す所)」
「救う・助ける・救済・経済」
「なす・成し遂げる」
「成る・出来上がる」
「すむ(終わる)・すます(終わらせる)・返済」
ーーーーー
四文字熟語の
「西(差異)国浄土」
「さいごくじょうど」
↓↑
志存濟物(シソンサイブツ)
仮公済私(かこうさいし)
救国済民(きゅうこくさいみん)
救世済民(きゅうせいさいみん)
経国済民(けいこくさいみん)
経世済民(けいせいさいみん)
衆生済度(しゅじょうさいど)
済済多士(せいせいたし)
多士済々(たしさいさい)
多士済済(たしさいさい)
多士済々(たしせいせい)
多士済済(たしせいせい)
博施済衆(はくしさいしゅう)
和衷共済(わちゅうきょうさい)
ーーーーー
・・・???・・・
・・・人間集団の怒りの感情が煽られて爆発すれば結果はどうなるのか?・・・EU離脱のイギリスは・・・過去にも英吉利は「阿片戦争(1840~42)~アロー戦争(第二次アヘン戦争)」の正当性(?)を、反対議員(グラッドストン=不義の戦争、コブデンらが開戦に反対)を無視して、その議会(戦争賛成271票、反対262票)でも認め、賛同したが・・・後に中国(清王朝)では「義和団の乱(1900年6月)」。帝国日本でも日露戦争後の「日比谷焼き討ち事件(1905年9月5日)」、そして「尖閣列島問題での大陸中国(2012年9月)」は煽られて暴動を起こしたのはダレだったか・・・モチロン、民衆暴動は煽られて「理不尽」に、主体的に「理尽・尽理」に、それらの「事情」にかかわらず勃発するが・・・
火山が「噴火」、「噴出」すれば、その地面の下の空間は「陥没」するのは自然の摂理である・・・「カンボツ(陥没)=落ち込むこと・沈み窪(くぼ)むこと」・・・「道路陥没・頭蓋骨陥没骨折」、「陥没湖」は「陥没した所に水がたまってできた湖・断層によってできたもので、琵琶(びわ)湖・諏訪(すわ)湖など、カルデラ湖も含む」・・・今夜のNHKスペシャル「古代史ミステリー・御柱、最後の縄文王国の謎」、スゴイねッ、「七年目ごとに行われる諏訪の御柱祭」、過去には祭りの最中に亡くなったヒトもいたが・・・「御柱とは何なのか?」・・・尾張名古屋に写本されてきた「現存・古事記」そのものの「キのロのク」だろう・・・
「諏訪湖(科野国-洲羽海)」は「大国主」の子供が逃げてきた場所でもある。「建御名方神(古事記)」、他では「南方刀美神」、「御名方富命」、「建御名方富命」等とも表記され、出雲から逃げてきた「大国主の次男」であり、「日本書紀」には記録が無い神である。諏訪には元々「石神(シャクジ、サクジ)=御左口の神」、「洩矢神(モレヤの神)」がいたらしいが仲良くしたらしい・・・「石の神」とは「黒曜石の産地」で、その「石器」である「鏃(矢尻)」など、そして「ストーン・サークル」があり、納得である・・・これに加え、諏訪湖周辺には「ウッド・サークル(環状木柱列)」、「御柱の木(タイボク)の神」の場所である。
「国譲り」とは随分と慎重なコトバではあるが・・・侵略されて領土を略奪され、その支配権を奪われたと云うコトだ・・・その「建御名方神」が逃げてきた場所には「御左口の神・洩矢の神」がいた・・・同族だったのだろう・・・
で、「カルデラ(caldera)=火山の活動でできた大きな凹地・釜、鍋というスペイン語に由来し、噴火により陥没地形が形成」した・・・「陥没地形」ですか・・・
「渤海国(大武芸王)←大震国←高句麗」の「渤海」の漢字は盛りあがった海水である。この海水は「津波」となって海岸を呑み込むのは自然の摂理である・・・
「渤(氵(水)+勃)」があれば、「陥(阝+旧)」である・・・
「陥(阝+旧)=陷(阝+臽)=おちいる・おとしいれる・地面がへこむ・攻め落とされる=陥落」
「おとし穴・陥穽(カンセイ)・不足する・欠陥、失陥」、
「段のついた土山の象形(丘)と人が落とし穴に落ちた象形(落とし穴、おちいる、おちこむ」
「陥溺=水の中に落ち、溺(おぼれ)ること・酒色に耽(ふけ)ること・理性を失って夢中、熱中すること・耽溺(タンデキ)」、「陥入=窮地に陥ること・はまりこむこと」
「陷(阝+臽)」の「臽」だが・・・「舀」との同意をなのか・・・「臽」は「勹の臼」で、「舀」は「爪の臼」だが・・・
ーーーーーー
「韜(つつむ・ゆごて・ゆみぶくろ)」
「韜(韋+舀)」=「鞱(革+舀(ヨウ)」
舀=爪+臼
舀 ヨウ・(トウ)篆文は、
中に穀物などをいれて
搗く道具である臼(うす)から、
爫(上からの手)で
中のものをすくいとる形
↓↑
舀=爪+臼(旧・舊)
稲(いね・トウ)
「舀・塪・搯・幍・滔・慆・嫍・瑫」
↓↑
蹈(ふむ)=𧾷+舀
謟(うたがう)=言+舀
滔(みなぎる・あふれる)=氵+舀
慆=忄+舀
稻(いね)=禾+舀=稲
搯(とりだす)=扌+舀・・・・扌=手・扌=才(才能)
熖(ほのお・ほむら)=火+舀=火焔・焰・㷔=燄=火炎
火 (ほ) 群 (むら)
↓↑
(說文)
解釋・・・舀、抒臼也・従、爪、臼
以沼切、穴堀(抭・掘)
舀、或手従穴(宂)
↓↑
稲(いね・いな・トウ)=禾部
禾=「小―小」=米=「…―…」=米
↓↑
解字
甲骨文字は、上部に稲の穂を描き下部に臼を描く
臼は先が尖(とが)っており、
地中にさして使った石臼・・・
イネの穂を
脱穀した籾(もみ)を
臼で
搗いて
精白する作業
↓↑
金文
「米(こめ)+舀(臼から手ですくいだす)」
精白した米を臼から「すくいだ」している形
・・・「臼」なら、その中の籾を搗いているか、餅(もち)を搗いている形象だが、漢字の楷書を書けば「爪+臼」である。ここでの「臼」は木の器のボールではないのか?「舀=爪+臼」ならば「爪で臼(器)の中」にあるモノは「米」である。「米は洗う」とは云わず「米を砥(と)ぐ」である・・・
↓↑
篆文から、
「禾(こくもつ)+舀(精白した米をすくいだす)」
で
精白した米
禾(こくもつ)のイネを表す
↓↑
新字体
臼⇒旧→稲
いね(稲)
イネ科の一年草
「稲作(いなサク)」
「稲田(いなだ)」
「水稲(スイトウ)」
「稲熱病(いもちビョウ)」
↓↑
蹈(ふむ・トウ)
解字
「足(あし)+舀(米を精白する)」
会意形声
足ふみ式の臼で、何回も踏んで米を精白すること
意味
ふむ(蹈む)・足ぶみする・踏とも書く・ふみおこなう
「蹈襲(トウシュウ)」
(前人のあとをそのまま受け継ぐこと=踏襲)
「蹈鞴(たたら)」
(足でふみ、風を送るふいご=踏鞴)
↓↑
同音代替
滔(はびこる・トウ) 氵部
解字
「氵(水)+舀(トウ)」の形声
トウは漛(トウ・水がわきあがる)
滔は水がわきあがり、勢いよく流れひろがる意
意味
はびこる(滔る)
水が勢いよくひろがる
広くおおきい
「滔滔(トウトウ)」=(水が勢いよく流れるさま)
「滔天(トウテン)」=(水が天までみなぎりわたる
勢いの盛んなさま)
↓↑
「韜光晦迹」
すぐれた才能を気付かれないように包み隠すこと
仏教のでは、悟りを開いたものが
俗世を離れてひっそりと生活すること
↓↑
「韜」は包み隠す、
「光」は人のすぐれた才能
「晦」は隠す、
「迹」は「跡」と同じで、痕跡という意味
「光を韜み、迹を晦ます」とも読む。
「韜光晦跡」とも書く。
「自己韜晦」
自身の才能や地位、本心など隠して表に出さないこと。
「韜晦」は才能や学識などを隠すという意味。
↓↑
舀 ヨウ・(トウ) 臼部
解字
篆文は、
中に穀物などをいれて
搗く道具である
臼(うす)から、
爫(上からの手)で
中のものを掬(すく)いとる形
「くむ=酙・酌
舀・組
汲・斟
挹・抒
戽」
ーーーーー
・・・???・・・
・・・「EU」からの分離独立の「エゲレス=大英帝国=英吉利=United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland=略称はUK」・・・なぜ、「ユナイテッド」なったのかは「夏目漱石」や「渡邊嘉一」に訊いてみたい・・・
「渡邊嘉一(1852~1932)」をウイッキペデアで調べれば、「スコットランドの世界遺産、フォース鉄道橋建設に携わった日本人・信濃国上伊那郡朝日村(辰野町)平出の生まれ」で、「カンチレバー(cantilever・片持ち梁)」とは「梁の一端が固定、他端は動くことができる構造の原理で設計した橋」で、3つの「菱形」をしたカンチレバー(片持ち梁)で「鋼鉄の怪物」と呼ばれた。TVでは「菱形」の橋は中国、日本式のモノで、この構想は「渡邊嘉一」のモノだったらしい・・・
この鉄橋がいつまでたっても建設が終わらないことを例えて
「フォース橋にペンキを塗る(Painting the Forth bridge)」
というコトバがあるらしい。
この橋は「トラス橋の一形式で発明者の名前をとってゲルバー-トラス橋・1890年完成)」と呼ばれ、「渡邊嘉一」は、建設現場の指揮監督者となり「2007年発行のスコットランド銀行の20ポンド紙幣」に載せられているらしい・・・
知らないコトがワンサカであるボクだが、「渡邊嘉一」の名前を先週のTVで見るまで知らなかった・・・
「マッサンの竹鶴政孝」は1918年にスコットランドに渡っているが、彼にも訊いてみたい「ユナイテッド」の意味を・・・「United=ユナイテッド・団結・団結・国などが合併した、連合した・統一された・結ばれた・結合・連合・合体・合併・結合して一つになった」・・・「由、啼(泣)意、弖通度」・・・?
「渡邊嘉一」は榎本武揚の「北海道(蝦夷)共和国」に参画した「大鳥圭介」に関係した人物でもあったらしい・・・
ボクにとっては
「カンチレバー」・・・・・・・・換知例葉蛙
「3つの菱形」をした鉄橋・・・・・比し臥多
「フォース橋にペンキを塗る」・・・塗料=漆→七
「トラス橋」・・・・・・・・・・・訳等諏葉詞→虎棲頗詞
などである・・・「bridge」・・・・高橋虫麻呂
↓↑
London Bridge Is Falling Down「ロンドン橋落ちた」
「ロンドン橋落ちた」
イギリス に古くからある
ナーサリーライム(童謡)
単に「ロンドン橋」とも
古くから、何度も橋が架けられては倒壊
回数の多さから
「ロンドン橋落ちた」という民謡が生まれた
1750年
ウェストミンスター・ブリッジ
が架けられるまで
ロンドン市内で
テムズ川に架かる橋としては唯一のものだった・・・
↓↑
「ブリタニア (Britannia) は、イギリスまたはグレートブリテン島の古称、特に、古代ローマの属州ブリタンニア(Britannia)があったグレートブリテン島南部のラテン語名である。
フランスの ブルターニュ(小ブリテン)を含むこともある」
「Prettanike」または「Brettaniai」
「ブリタニア (Britannia) とはイギリスを擬人化した女神であり、象徴とされる。由来はグレートブリテン島のラテン語名。フランスのマリアンヌと並び、風刺画などに描かれる。ユニオン フラッグを描いた盾とポセイドンの三叉戟を手にし、アテナの兜をかぶった姿で描かれる」
「元々は古代ブリトン人(Britons, Brythons)の名称」
↓↑
「Britain」→Bri-dge→e-dge(少しずつ進む・刃を研ぐ・端)
端=はし・ばた・タン
川端→仮和葉多
川端 康成?
↓↑
bri=気管支可逆性指数・建築研究所?
BRI=basic rate interface
bring=運ぶ・もたらす・移動させる
bri-ng?・・・
b-ring?・・・
br-ing?・・・
ブリッコ?・・・ぶりっ子?
↓↑
Bri-tain→「-ten-,-tin-,-tent-,-tain-」
tain=「持つ、保つ」の意味
「tain, tinent, tinue」は
「保つ、含む」の意味
attain(手に入れる,達成する)
attainable(達成可能な)
contain(含む, 収容する)
entertain(楽しませる)
retain(保持する)
detain(離して=de
保つ=tain)
で「拘留する」
sustainは(下から=sus
保つ=tain)
で「支える、耐える」
mountain(山・やま・サン)
tain=薄い錫(すず)板
鏡に裏張りする錫箔
tain-t=腐敗・堕落・汚点・汚名
と
「Northern の Ireland」
「Ireland」は
「イルランド神話
や
ケルト伝説の
Eriu(エリュー)女神の名前が起源
古代ローマ時代は
「Hibernia(ヒベルニア)」で
ラテン語の
「冬のような」という意味の
「hibernus」が語源
↓↑
Eire(エァル・エール)
Ireland=アイルランド(島)
↓↑
アイルランド共和国
(the Republic of Ireland)
と英国に属する
北部の北アイルランド
(Northern Ireland)」、
「バンヴァ」や「フォードラ」は雅称と使用
「エーリウ」=「エーレの土地」
で、英語の雅称では
「エーリン」
らしい・・・
↓↑
なぜ、国を分ける「国分」の地名なんだろう・・・元々あった「地域・領域」を分けたのか、分けられたのか・・・別けたのか、別けられたのか・・・アイヌ語では「ベツ(別)・PET」は川であり、「ナイ(内)NAY」も川である・・・「捌(ベツ)」の漢字は「8・八」だが・・・「わける」である・・・河川は領域の境目である・・・
「国分」は侵略、侵略された、と云うコトだろう・・・
ーーーーー
↓↑
国分・國分(こくぶん・こくぶ・くにわけ)
平安時代に
国衙、・・・・・・・・国衙(コクガ)が、日本律令制で
国司が地方政治を遂行した
役所が置かれてい た区画ならば
「国分」でなく「国衙」でよかったハズ
「国府」は「国衙」の
中心地であるコトは理解できるが・・・
国分寺が置かれた場所
またそれを指す地名
また、それを由来とする苗字
国分(くにわけ)とは、
戦国時代にに行われた
大名間の領土協定
ーーーーー
苗字
福島県郡山市付近に集中
本宮市では3番目に多い苗字
郡山市でも苗字軒数ベスト15
全国の国分さんの3分の1
↓↑
山形県尾花沢市
最上郡大蔵村
付近にも多い
三重県亀山市
福岡県久留米市付近にも多めに分布
↓↑
各地の国分地名より多く
国分氏が興った
下総国の国分氏が最も著名
下総国の国分氏は
下総国葛飾郡国分郷
(千葉県市川市国分)発祥
桓武平氏
千葉氏族
千葉常胤の5男
胤通が国分氏を称した
戦国時代は
後北条氏に属した
↓↑
陸奥の国分氏
下総国分氏の
国分胤通が
陸奥国
宮城郡国分荘
(宮城県仙台市青葉区国分町)
に領地を与えられた際、
陸奥国に下向
が、
藤原氏出自説など異説も
戦国時代末期
伊達氏に従ったが、
伊達政宗の不興を買い
伊達家を追放
↓↑
仙台藩士の
国分氏は
伊達氏の家臣であるが、
陸奥国分氏とは別の一族
藤原北家氏族で
信濃国小県郡国分
(長野県上田市国分)発祥
建武期に
出羽国置賜郡に移住し
後に伊達氏に仕えた
↓↑
相模国の国分氏
相模国高座郡国分
(神奈川県海老名市)発祥
武蔵七党
横山党
海老名氏族という
↓↑
肥前国の国分氏
肥前国佐嘉郡国分寺
(佐賀県佐賀市)発祥
龍造寺氏の一族
↓↑
薩摩国の国分氏
惟宗氏
執印氏の一族
薩摩国高城郡水引郷国分村
(鹿児島県薩摩川内市)発祥
執印友久が
国分寺留守職
天満宮別当職に任じられ、
国分氏を称した
↓↑
地名
宮城県仙台市青葉区国分町
茨城県日立市 国分町
茨城県土浦市 国分町
千葉県市川市 国分
千葉県館山市 国分
福井県小浜市 国分
長野県上田市 国分
石川県七尾市 国分町
三重県鈴鹿市 国分町
滋賀県大津市 国分
京都府宮津市 国分
愛媛県今治市 国分
大阪府大阪市天王寺区国分町
大阪府和泉市 国分町
島根県浜田市 国分町
高知県南国市 国分
福岡県太宰府市 国分
福岡県久留米市 国分町
福岡県京都郡みやこ町国分
大分県大分市 国分
長崎県長崎市 国分町
鹿児島県霧島市 国分・・・旧国分市
タバコ
(煙草・蔫・莨)の産地
ーーーーー
↓↑
瓢箪から駒(馬+句)だが、同音異字は「氷炭」である・・・
↓↑
氷炭相容れず
↓↑
薫蕕(クンユウ)、器を同じゅうせず
(孔子家語・致思)
君子と小人、 善人と悪人とは
同一の場所にいることができないこと
↓↑
「薫」=芳香のある草
「蕕」=悪臭のある草
蕕(かりがね草・不快な臭気がある
クマツヅラ科の多年草
なんで、「カリガネそう」なんだか?
猿(サルのような厭な臭いがする)?
サルは豊臣秀吉の綽名だったが「申年生まれ」
「禿げ鼠」は信長が彼に付けた綽名だが
「サルの臭い」とは?漢字では
「雁金草 (かりがねそう)」
「帆掛草(ほかけそう)」
と記録され、熊葛(くまつづら)科の草花だが
Caryopteris(カリオプテリス)は、
ギリシャ語の
「karyon(クルミ)+ pteryx(翼)」
が語源らしい・・・胡桃の臭い?
実に翼状のものがついていることからの
名称らしいが・・・?
↓↑
「くさみ・悪人」の意味
漢字分解では
艸(くさ) ・艹・艸(ソウコウ)
+
犭(いぬ・けもの・ケン・クヱン)
+
酋(おさ・シュウ・ジュウ)
である・・・
↓↑
薫蕕雑処 (クンユウザッショ)
悪が善を駆逐すること
善は消えやすく、
悪は除きがたく滔(蔓延・はびこり)やすい
↓↑ 六韜=兵法書で、武経七書の一
このうちの「三略」と併称
「韜」は剣や弓などを入れる袋の意味
「文韜・武韜・龍韜・虎韜・豹韜・犬韜」
の6巻60編
全編が
太公望「呂尚」が
周の
文王
武王に兵学を指南したモノ
↓↑
猶=尚=なを~である
以前の状態がそのまま続いている
相変わらず・やはり・まだ
さらに・もっと・いっそう
執行猶予
有罪判決の情状によって、
一定の期間刑罰を執り行わずに、
その期間に何の問題も起こさなかった時には
刑罰を執り行わないという制度
遵法(ジュンポウ)
↓↑
酋=八+酉
酋長(シュウチョウ)
樽(たる・多留・木+尊)・・・・・・酒樽
尊(みこと=命・ソン・酋+寸)・・・見コト
ーーーーー
・・・「以前の状態がそのまま続いている」とはナニのコトなのか・・・「国家間」の同盟、連合、離脱、脱退があろうが、なかろうが・・・「続いているモノ」とは・・・「プチブル意識」である・・・
・・・「大英帝国」が「EU」離脱ですか・・・「英=はな(花)・特に、咲いても実のならない花・英華=はなぶさ(花房・フジの花・ブドウの実のように、花が群がり垂れて咲く花)・ハナシべ(雄しべと雌しべ)・花弁(はなびら・落英)・芽生え」、「吉」の「利」・・・「国家」は「エゴの塊り」なのに、「イギリス国家領域の地方の人びと」が「離脱賛成」とはねッ・・・「ニュートン」が産んだ「国」であるのに・・・「引力のバランス」を理解していない人びとが多いんだろう・・・「允愚留蘇(数・素・棲・守・州・簀)」である・・・「大英帝国」、「EUを抜けてドンドコショ」である・・・今現在、「時空を超えて・パラレルワールド」を観ているが「反物質」ですか?これは「非物質」ではないらしい。だが、「物質」に対する「反物質」とは「物質の性質」の相違で、言語矛盾と思うのだが・・・「非物質=無物質」ではないから・・・しかも、「ビッグバン(Bigbang)」も「?」である。「ダークマター(dark matter)とは、天文学的現象を説明するために考えだされた質量は持つが、電磁相互作用をしないため光学的に直接観測できず、かつ色荷も持たない(仮説)」とされるらしい。ボク的には「理解困難」である・・・「ブラックホール(black hole・重力崩壊の結果できると考えられる強力な重力場をもつ天体・営倉・獄舎)」→「ワームホール (wormhole・リンゴの表面のある一点から裏側に行くには円周の半分を移動する穴が必要で、虫が中を掘り進むと短い距離の移動で済む穴の意(?)」→「ホワイトホール(Whitehall・落下不可能な反地平面を持つが、この反地平面は物理的にきわめて不安定であるためホワイトホールを仮定するようなワームホールはすぐに潰れてしまう・観測的にホワイトホールのような領域の存在を示唆する事実は全くない・London中央部にある官庁街・英国政府)」へと連続しているなら「別の宇宙」と云っても「宇宙」であるコトには変わりがないだろう・・・「世界」とは「生きている人間界の世界」であり、「別世界」であっても「人間(人類)世界の範疇」である・・・
昨日は「啄評(タクヒョウ)」と云う漢字熟語をブログ記事で発見したが、「3匹の子豚」の鳴き声ではないらしい・・・「一番上の子豚(長男)は藁(ワラ・稿・和良・稈・听・和羅)で家を建てた。二番目の子豚(次男)は木の家を建て。三番目の子豚(三男)は煉瓦(レンガ)家を建てた」・・・狼(オオカミ)に喰われた子豚の兄弟は・・・ダレ?・・・以下はウイッキペデアから・・・
↓↑
ーーーーー
おとぎ話は
1812年に初版
1857年まで複数の加稿された版が重ねられた
童話集
「グリム童話(Kinder- und Hausmärchen)
『狼と七匹の子山羊』と共通点がある
「三匹の子豚と狼の物語」
イギリスのシェイクスピア学者
ジェイムズ・オーチャード・ハリウェル=フィリップス
1843年に初版が発行
『Nursery Rhymes and Nursery Tales』
に収録され、19世紀後半に広まった
物語のバリエーションは、共に
ジョエル・チャンドラー・ハリス
による
1881年の
『ウサギどんとキツネどん』
(原題:Uncle Remus: His Songs and Sayings)
と、
1883年の
『Nights with Uncle Remus』
に見られ、
これらのバリエーションでは
子豚たちは
「ウサギどん
(ブレア・ラビット、Brer Rabbit)」
というキャラクターに置き換えられている。
最も知られたこの物語の形式は、
ジョセフ・ジェイコブスの
『English Fairy Tales』
によるものである。
1898年に初版が発刊され、
資料として
ハリウェル
の名が記されている
ーーーーー
で、
↓↑
古代新羅では
畿内の邑(むら・おおざと・ユウ)、
王城付近の村落を
啄評(タクヒョウ)・・・軍隊の駐屯地・・・
↓↑
「王城付近の村落」を「啄評(タクヒョウ)」
なんか、NHKスペシャルでは「N・K」では「平壌」の中心からクーデターを恐れて「軍体の駐屯地、宿営地」をかなり遠方の地に設置していたとか・・・これじゃぁ「啄評(タクヒョウ)」とは・・・「啄ばみ評(あげつらう)」の「反乱軍の宿営地・」かも・・・江戸時代は「外様大名」だが、コレラを監視する「直轄の天領」は徳川幕府配下の「旗本の代官」の領地だった・・・古代日本の地域の「評」とは・・・「?」だが「評」は「言」+「平」であり、「平(たいら)」は「平等・公平・平均・平行」で、「一+八+十」であるのだが・・・
ーーーーー
啄=ついばむ・くちばしでつつく・ついばむ
=口+豕(一乑・一豖)
「啄木」・・・・・石川啄木
啐啄
「啐」=雛(ひな)が
卵の殻を破って出ようとして鳴く声
「啄」=母鳥が殻をつつき割る音
禅宗で、
導く師家(しけ)と修行者との
呼吸が合うこと
息が合うこと・・・息が合ったのは
神功皇后で
仲哀天皇の皇后
息長帯比売命
気長足姫尊
大帯比売命
大足姫命
好機であること
千載一遇=千年に一度のchance
滅多に訪れそうもない機会
「啄(つい)ばむ」
「突き食(は)む」の転
中世末期頃まで「ついはむ」と清音
鳥がくちばしで物をつついてたべる
「永字八法の7番目の筆法」
側(ソク・点)
勒 (ロク・横画)
努 (ド・縦画)
趯 (テキ・跳ね)
策(サク・短・横画)
掠 (リャク・左へ払う)
啄 (タク・左へ短く払う)=筆運びで
左へ短く払う「字」は
「亅」だろう?
磔 (タク)
つつく
くちばし(嘴)で同じ所をつんつんと突(つつ)く
同じ所を刃物でつつき、
穴をあけたり、ほったりする
↓↑
キツツキ科の鳥
アリスイ類以外のものの総称
指は
前向きに二本、
後ろ向きに二本で、
鋭い爪がある
足と尾羽を用いて
木の幹に縦にとまり
強いくちばしで幹に穴をあけ、
中の虫を
長い舌で引き出して食べる
「啄」=ついば-む、つつ-く
はし、くちばし
タク・ツク・トク
↓↑
「琢」=みがく・あや・たか・みがき・みがく・タク
「豕の球(玉)を磨(研)く」とはナニか?
「猪・豚」のナニを「磨(研)く」のか?
「琢」は玉に孔(穴)を開けるコトだろう・・・
ーーーーー
以下は「ブログ記事」で見つけたモノの部分添付だが、以前にもボクは「ずいずいずっころばし」の唄を
「隋書」、「高麗」、「伊都・怡土」
にそれらの「音」を懸けたモノを書き込んだが・・・「豚」の漢字が出てき、興味深かったので・・・
↓↑
ずいずいずっころばし
ゴマ味噌ずい
茶壺に追われて
トッピンシャン
抜けたらドンドコショ
俵のネズミが
米くって
チュウ、チュウ、チュウ、チュウ
おっとさんが呼んでも
おっかさんが呼んでも
行きっこなあ~し~よ
井戸のまわりで
お茶碗欠いたの
だあれ
↓↑
『西條八十』
西條八十作詞
松平信博作曲
で、
「ズイズイズッコロ橋」という童謡
豚の親子を手始めに、
次々と動物たちが
山の
丸木橋から転げ落ちる
という内容
↓↑
西條 八十(さいじょう やそ)
1892年(明治25年)1月15日
~
1970年(昭和45年)8月12日)
日本の詩人、作詞家
仏文学者
↓↑
抜粋
ズイズイズッコロ橋、
どこの橋、
お山の奥の丸木橋
↓↑
宛字にとらわれることなく、
ゴマミソ、コマミソと仮名に直して考察
「胡麻味噌」という、
ズイの意味で
危ない橋を詠み
ズイコロリン
とし、
コロリンと落ちました
あわてて
子豚もズイコロリン
どこの橋、
お山の奥の丸木橋」
と、ハシを橋にした
親豚
童謡(コドモノクニ、昭和九年一月)
↓↑
歌意は、遊女と攻め合って、
戯れいちゃつき、
大騒ぎをしている・・・
(からすべにおわれてとっぴんしゃん)
(烏坊に追われてすっぽんちゃん)
「からすめはかへるにたかは見せを出し」
「比丘人はからすのわき称で、
船中で売春した比丘尼を指す隠語」
「烏のような黒い頭巾を被っているところから
この異名がついた」
「カラスベはカラスメと同じくカラスの蔑る」
↓↑
ずいずいずっころばし
ごまみそずい
なんべんやっても
とっぴっしゃん
やめたらどんどこしょ
こたつのこねこが
ころんで
ニャア、ニャア、ニュア、ニャア
とだなのねずみが
それきいてたまげて
こしぬかしたよ
↓↑
抜けたァら
との字の
どんどこしょ
鴉(からす)べいに
追われて
とち車
↓↑
ーーーーー
日本では「数学・幾何学・代数学」が時代的に盛んになったのは「寺子屋の江戸時代」である・・・その知識が明治維新へと引き継がれていった・・・「読み・書き・算盤(十露盤)」・・・そして、「江戸文化」は「読み物・浮世絵・からくり・歌舞伎」の町人文化で、その文化は地方に拡大していった・・・
↓↑
ーーーーー
「豕=一+𧰨=豖」は
「猪、豚の骨」・・・篆書体の字形の
篆=竹+彖
竹+彑+𧰨
彑=彐・ヨ
「ヨ」は数学記号の「存在」
漢字の
頭(かしら)の一
「語彙」の「彙」の
「彐・彑」
豚の頭
針鼠の頭
竹+刀+豕
竹+ヨ(々)+豕(一+𧰨・犭)
あるいは
「枯れ木の枝」・・・篆書体の字形=枯れ木、枯れ枝の
「一+𧰨=豖」・・・
「豖」の類字は
「相貌・邈」の「豸(チ)」で
豸部(チブ)
康熙字典214部首では153番目
7画の7番目、酉集の7番目
「豸」字は「説文解字」で
長い背骨をもち、
くねくねと動く獣で
獲物をねらって
殺そうとしている形に象る・・・
「豹(ひょう)・貂(てん)・貉(むじな)」
などの「豸」の称・・・
「豸」=爪+𧰨
であろう・・・「動物の骨のような篆書体文字」は、同時に「枯れ木、枯れ枝のような篆書体文字」に観えるし、思える・・・
豕・乑・・・
「涿=中国の河北省中部の都市
拒馬河の南
古くから燕国の要地
漢代には
涿県をおいて
涿郡の中心地
郡名を
范陽と改めて
隋代に至った
↓↑
三国志
涿領城
7戸数102218
人口633754
安定太守孟達は
涿郡 太守王雄を推薦する上表文で
涿郡の戸数は三千戸、
半数は孤児や寡婦の家
↓↑
涿鹿(タクロク)の戦い
古代中国の戦いで、
軒轅(黄帝)が
蚩尤を破った戦(史記・五帝本紀)」
「椓=釋義、古代の割去、男子の生殖器的刑法
即ち宮刑
「蠡=彖+虫+虫・にな・ひさご・ラ・ライ・リ
瓢箪を割った飲み物の器
瓢箪(8・g・∞)を割った器の形(3・ω)
連なるさま
法螺貝(巻き貝)の一
虫が木の芯(シン)を食い破る
むしばむ(蝕む・浸蝕・侵蝕)
木の芯(シン)を食い荒らす虫」
「瀦=氵+豕+者・みずたまり・たまる・チョ
瀦溜=貯留」
「豙=立+𧰨・そこなう・ギ・・・・毅=つよし・ギ
「貛=ささぐま・あなぐま・カン
狼牡貛・牝狼・狼・牡名貛は牝の狼
野豕(豚)也(説文)
狗貛=蜀人が呼ぶ天狗
太った小狗(小犬)
貒は、豬貛也
貛は、狗貛也
二種相似而略殊
遼東に海貛がおり、
この獣の毛皮で作った衣服とする」
「盠=古くは「蠡」と同字=瓢箪型の器(蠡)
虫蛀木
盠-銅駒尊=這件駒尊的背部、
頸部、胸部都鑄有銘文
記述に甲申日、周王執駒
並賞賜-盠兩匹駿馬
「瘃=釋義は手足の凍瘡(トウソウ)
身体の部位が低温によって損傷する
寒冷障害・凍傷(トウショウ)・しもやけ」
「凍(こお・トウ)る」が「氷の東(太陽・お日様)」
「逐=辶+豕・おう・チク
後を追う・追い払う
逐鹿(チクロク)・角逐・駆逐・放逐
順を追って進む
逐一・逐次・逐条・逐年・逐語訳」
「貔=貔貅(ヒキュウ)=豼貅
伝説上の猛獣の名
貔が雄で、貅が雌
貔貅は一般に勇ましい兵卒のたとえ
「家=宀+豕・いえ・ヤ・カ」
「冡=冖+一+豕」
「蒙=おお-う・こうむ-る・おかす・くらい
モウ・ボウ
艹+冡(冖+一+豕)・・・蒙古
濛・懞・矇」・・・・・・獰猛・猛獣
「冢=冖+豕・塚・大きな墓」
「塚=つか・・・・手塚・耳塚・鬼塚」
ーーーーー
ーーーーー
・・・瓢箪(ヒョウタン)=ウリ科の植物・胡盧(コロ・葫盧・壺盧とも表記)・俗にひさご・ふくべ(瓢、瓠、匏)・植物のヒョウタンの実を加工して作られる容器も「ひょうたん」・・・「氷炭」・・・「ズイキ(芋茎・ずいき)=サトイモやハスイモの葉柄、食用。芋苗とも表記」・・・「肥後ずいき(ひごずいき、肥後随喜、肥後芋茎)」・・・
・・・「邪馬台国」と「幾何学」と「代数」・・・「キカ臥句(勾)」と「ダイ数得」・・・ナゼ、「隋書俀(倭)人伝・636年・六三六年)に成立」なのか・・・今年(2016年)は「丙申年」であるが、「636年=六三六年=陸参陸年)」も「干支=丙申年」であった・・・60年周期の干支で、なんら、不思議ではないが、「疑念」がムラムラと沸き起こる・・・ムラと云えば「邑=むら=村・叢・屯・斑・群」だが、律令日本の古い漢字は「木札→木簡」で・・・「郡(こおり)=君+阝」と云う漢字が使用される以前は「評(はかる・ただす・さだめる)=言+平」だが、「物のよしあしをはかる・品定めをする」、熟語は「評価・評議・評者・評釈・評定・評伝・評判・ 評論・合評・月評・講評・酷評・書評・寸評・選評・総評・批評・品評・論評・評価・評判」・・・「X」+「平」は「評(品評)・坪(一坪・壱坪・坪数)・秤(天秤)」である・・・そして「郡」も「評」も「こおり」と訓んでいるが、「評」は「こおり」なのか?・・・「郡(こおり)=君+邑(阝)」で、「人びとの集落」は当然、「子(こ)が居(お)る里(さと)」である・・・そして地名末尾は「字(あざ)=宀+子(一了=始終)」である・・・
↓↑
636年(西暦)
↓↑
干支=「丙申」年
日本=舒明天皇八(捌・8)年
皇紀=壱千弐百九拾六(1296)年
中国=唐=貞観十(拾・足・10)年
太宗治世に使われた
(六百弐拾七・627年~六百四拾九・649年)
朝鮮=新羅=仁平三(参・3)年
第弐拾七(27)代の
善徳女王の参(3年・634年)
~
第弐拾八(28)代
真徳女王元年(647年)七(漆・7)月まで
用いられ
647年7月に
太和と改元・・・・太和→大和?
新羅=日本・・・?
ーーーーー
↓↑
2012/6/12
福岡県太宰府市
市内の
国分松本遺跡で、
人名や身分など戸籍の内容を
7世紀末(飛鳥時代)に記録した
日本最古の木簡が見つかったと発表した
律令国家体制が整う
大宝律令の施行(8世紀初め)に先駆けて、
統治の基本となる
戸籍制度が完成していたことを示す貴重な発見
木簡には
行政単位の
「嶋評(しまのひょう)」
や
冠位を表す
「進大弐(しんだいに)」
などの
漢字が両面に墨で書かれていた。
「評」は
大宝律令以前の
地方行政単位
「国・評・里」の一つで
「郡」に相当し、
「嶋評」は
現在の
福岡県糸島市や福岡市西区に当たる
現存する最古の戸籍
奈良・東大寺の正倉院に伝わった文書
「筑前国嶋郡川辺里戸籍(702年)」などだが、
それ以前の戸籍の具体的な姿は不明だった
出土した
↓↑
木簡は
701年に
「評」・・・・・評(あげつらう・ヒョウ)=言+平
が
「郡」・・・・・郡(こおり・グン)=君+阝(邑)
に変更された
↓↑
685年に
「進大弐」の冠位使用が始まった
理由に、
市は685~701年の作成とみている
↓↑
木簡には
「建部身麻呂(たけるべのみまろ)」・・・「建の部」
↓↑
など少なくとも
16人分の名前が載っているほか
「兵士」や
「丁女(成年女性)」
等の身分や性別も記載。
「老女之子」など続き柄が分かる表現や、
正倉院の戸籍と共通する
「川部里」という
里の名
もあった
「嶋評」のある里を対象に、
1年間の人の異動を記録した帳簿
筆跡から同一人物が書いた可能性・・・
↓↑
木簡は
長さ31センチ、
幅8.2センチ、
厚さ0.8センチ。
最大で
長さ60センチ程度、
幅20センチ程度だったものを
折って遺棄したとみられる
↓↑
出土場所は
大宰府政庁跡の
北西1.2キロにある
河川跡で、
市は近くに
筑前国を掌握する役所があったとしている。
↓↑
遺跡では、ほかにも
飛鳥時代から奈良時代にかけての
木簡9点が出土。
24枚の木簡を束ねたものに
付けた札とみられる
珍しい木簡も見つかった。
↓↑
古代の戸籍
戸と呼ばれる
家族集団単位で人を
登録、
管理する公文書
↓↑
古代日本の根幹的な
支配制度の一つだった
最古の全国的な戸籍は
670年の
「庚午年籍(こうごねんじゃく)」
続いて
初の法典
「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」
に従って
690年に
「庚寅(こういん)年籍」が整備されたが、
いずれも
実物は残っていない
大宝律令に基づき
702年に作られた戸籍は、
美濃国(岐阜県)
筑前国(福岡県)
豊後国(大分県)
などのものが現存
〔共同〕
ーーーーー
隋書俀(倭)人伝
↓↑
「亠意・図意・事意・捨意」書
「瑞書」和人伝・・・高野長英・号は瑞皐(ズイコウ)
久坂通武・号は玄瑞(ゲンズイ)
幼名は秀三郎
通称は実甫、誠、義助
妻は文(杉 文)
↓↑
「図意書和尋伝」・・・「楕円図形」の難解だが、「コペルニックス(的転回・転換)」、「ヨハネス・ケプラー(の法則)」・・・ケプラーは、惑星の運動を歪んだ円、楕円とし、惑星の軌道を「楕円と仮定」、「距離の二乗に反比例する力によって、惑星が太陽に引かれている」、「ティコ・ブラーエの観測記録から、太陽に対する火星の運動を推定し、定式化した・・・
↓↑
第1法則(楕円軌道の法則)
惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く
第2法則(面積速度一定の法則)
惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積は、
一定である(面 積速度一定)
第3法則(調和の法則)
惑星の公転周期の2乗は、軌道の長半径の3乗に比例する
↓↑
1609年
第1法則および第2法則が発見されて発表
1619年
第3法則が発見されて発表された」
・・・その他、
↓↑
「光の逆2乗の法則
(強さが光源からの距離の二乗に反比例する)を証明」
「1631年の水星の太陽面通過を予言
ピエール・ガッサンディにより証明」
「ケプラー多面体を2つ発見」
「1607年の彗星(ハレー)を観測し記録
「1604年の超新星を発見・観測」
「雪の結晶が必ず
正6角形になることを発見」
「ケプラー問題を提起」
「ケプラー予想=等しい大きさの球で
空間を充填(パッキング)するとき、
平均密度が
立方最密充填配置(面心立方)
ならびに
六方最密充填配置を越えることはない。
これらの配置の密度は
およそ74.05%」
「ケプラーの八角星を発見」
↓↑
フゥ~ンッ、スゴイねッ・・・
ボクが「幾何学」の「用語」と、その「命題」、それを「仮定・推論」して「証名・結論」自体を理解するのには未だであるが、デアル・・・
「キ科学」の同音異字漢字の「ショウメイ=背負う名」である・・・「古代日本」は「銅鐸・銅鏡・古墳」などの「幾何学的形体」がワンサではあるが・・・「△▼□■○●」は人為的な計算(規矩=キク)」での図形、すなわち、「規(コンパス・compass)=分回し・差し金・金指(差)→紊回し?」、「物差し・物指し・定規・yardstick・foot ruler・メジャー(measure)=スケール(巻尺)=scale)」での図形であり、多分、自然界には存在しない図形であり、自然界では殆んどは「類似的、近似的な図形」であるだろう・・・対象認識物←視覚(眼)→視神経→思考→認識記憶・・・正確な数字での図形計算は「楕円・隋宛→図意円」に到るまでは「隋書(都-於-邪靡堆、則-魏志-所謂-邪馬臺-者也)の編集者(魏徴、長孫無忌)」はその「随所」で苦労しただろう。「今に云う倭人の知識(漢字=靡・俀・圀)が、隋書の編集者(魏徴、長孫無忌)にとっては昔に記録された知識(漢字=馬・倭・國」の「卑弥呼の國」であった・・・「壹(イチ)の國」、「臺(ダイ)の國」、「倭(ワ)の人」、「俀(タイ)の人」、「拿の國」・・・・これはナニも「日本的事情」に限ったコトではない・・・人類発生~現代社会まで、「人為的、人工的な同形の形体」の「作製」には「情報伝達」、そして、それらを踏まえた「作成計画」が必要とされてきた・・・「口伝、文字」はその「手段」でもあった・・・人間の経験と記憶、その知識の時間的、世代への伝承には、当然ながら「欠落」が生じる・・・その「欠落」をもたらすモノが「自然災害・戦争・事故」である・・・唯一避けられるモノは「人間の戦争」であるハズだが・・・?・・・
で、「隋書」の「志第十一・律暦上」「志第十二・律暦中」「志第十三・律暦下」・・・この「隋書・志第十一・律暦上・祖冲之の円周率計算の結果が記録」がある・・・「祖冲之」ですか・・・「祖」は「冲=冫(氷・こおり)」+「中(あてる)」・・・「冲」は12支の「対中」のコトバである。氷を溶かすと水になるが、「沖(おき)=氵(水)+中」で・・・水(山水・出水・泉水・河川・海水)の中には「魚」・・・?・・・「瑞(みず)=王+山+而」は「さかな・うお・まな・ギョ」・・・まったく、ギョギョギョ、ッであるカナ・・・
↓↑
ーーーーー
古代朝鮮と日本の地方行政区画
朝鮮では国によって
内評・外評
啄評(たくひょう)
などがあり
軍事的な地域編成単位・・・
日本では
649年
評制が敷かれたと考えられるが
国造(くにのみやつこ)制との関係、
官制など明確でない・・・
↓↑
古代の朝鮮、日本の行政区画の名称
「梁書・新羅伝」には
畿内の邑、
王城付近の村落を
啄評(たくひよう)
畿外の邑を
邑勒(ユウロク?)
と呼び
全国に
六啄評
五十二邑勒
があったとあり
「北史・高句麗伝」、
「隋書・高麗伝」
には
内評(ないひよう=畿内の評)
外評(がいひよう=畿外の評)
の区別があったと記録(内評・外評)
これらは
中国の郡県制に相当するもので
軍営の所在地であった・・・
「日本書紀・継体天皇二十四年九月条」
に
「任那の地名として
背評(へこほり?)」
の名が見え
またの名を
「能備己富利(ゆびこほり?)」
ともいったとある・・・
・・・「能(よく)、備える、己(おのれ)の富の利」・・・
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朝鮮の6~7世紀の高句麗における行政区画
「隋書・高麗伝」に
12等の官名につづき
また
内評
外評
には
五部の
「褥薩(じよくさつ=長官)がいる・・・?
褥=しとね(寝床)・蒲団・布団
薩=救う・菩薩・薩埵・薩摩
・・・薩=艸+阝+文+厂+生
内評は畿内
外評は地方をいい
それぞれ
5部に分かれていた(五族・五部)・・・
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「ダエン」・・・楕円・拿円・雫円・田円・太円・妥円?
楕=木(十八)+左+月(肉)
随所→随処→隋書→髄処・・・