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コジキジゲン

ハゲのチンピラ・・・「童夢のジィジィ」・・・くたばれッ!

2022-02-28 21:37:21 | 古事記字源

  忽地笑・・・勹+〃+心+十+一+竹+ノ+一+人
 くたばれ、「腐有敒」・・・敒=イ+申+攵(攴)=理=治=伸
 「生きた心地」って、何処にアルのか・・・
 「怒れる拳、笑顔に当たらず」・・・
  優しい態度で接するほうが効果的である・・・?
 ダレが信じる・・・この言辞・・・
 「イカレタこぶし、笑顔を潰す」・・・だろう・・・
 くたばれ、「腐有敒」・・・

 ↓↑
 1952年 壬 辰(乙・癸・戊)
 0010月 己 酉(庚・ ・辛)
 0007日 丙 戌(辛・丁・戊)午未=空亡
 0000時 戊 子(壬・ ・癸)
 大運
 2013年3月(60歳)丙辰 比肩
 ~
 2023年3月(70歳)丁巳 劫財
 ↓↑
 2022年 壬 寅(己・丙・甲)年
 0002月 壬 寅(己・丙・甲)月
 0028日 壬 子(壬・ ・癸)日

 ↓↑
 「忽地笑」の分解・・・「勹+〃+心+十+一+也+竹+ノ+一+人」・・・
            「ノ+𠃌+〃+心+十+一+乜+丨+竹+ノ+一+人」・・・
  忽=ゆるがす・たちまち・コツ・ゴチ
  地=つち・ところ・ジ・チ=坔=埊=墬
  笑=わらう・えむ・ショウ=㗛
 ↓↑
 唖然失笑(アゼンシッショウ)
  突然の出来事に驚いて、思わず笑ってしまうこと
 「唖然」=予想外の出来事で驚いて呆れること
 「失笑」=無意識に笑ってしまうこと。
 一笑一顰(イッショウイッピン)
  顔をしかめたり笑ったりすること
  わずかな表情の変化のこと
  「顰」=顔をしかめること
 一笑千金(イッショウセンキン)
  美人のこと
   一度の微笑みが千金にも値すること
 一笑置之(イッショウチシ)
  いい加減に扱う・相手にしない
   軽く笑って別の場所に置く
 「一笑、之を置く」
 呵呵大笑(カカタイショウ)
  大きな声で思い切り笑うこと
  「呵呵」=「大笑」
 含笑入地(ガンショウニュウチ)
  悔いを残さず、心穏やかに死ぬこと
  「入地」=遺体の埋葬
  後漢の韓韶が贏県を治めていたときに
  難民に食べ物を与えたところ
  戸主に非難されたが
  韓韶は困っている人を助けて
  罰せられるのなら
  笑顔で死ねると言った
  「笑いを含んで地に入る」
     ↓↑
 ・・・金花石蒜
       蒜(にんにく
         ヒル=蛭
            昼・晌・肥留)
          別名・異名・別称・・・蔑称
          龍爪花
          忽地笑
          忽⇔忽
       ・・・葱(ねぎ)=艹+匆+心
          匆≠勿
          匆=ソウ・ス・忙しい
            勿=モチ・ブツ
              なかれ
             (毋=ブ・ム・なかれ・禁止の助字
                    无・莫・勿)
              毋⇔毌(貫・貫通)⇔母(ボ・はは)
              毌丘 倹
             (カンキュウ ケン
              ブ キュウ ケン)
              ?~正元二年閏一月二十一日
              255年3月16日
              三国時代の魏の武将
              字 仲恭
              河東郡
             「聞喜」県出身
              父 毌丘興
              妻 荀氏
                苟=艹+句
                 =卑(いや)しくも
                  賤しくも・賎しくも
                  癒やし句摸(模)?
                  異邪詞句摸倣?
                     相模=さがみ=佐賀視
                    「雑賀・相賀・嵯峨・性」身
              弟 毌丘秀
                緩急兼・武求件
              子 毌丘甸・毌丘宗
              娘 毌丘芝
              孫 毌丘重・毌丘奥
              ↓↑            
              毎=𠂉(髪挿し)+毋(なかれ)
                每=𠂉(髪挿し)+母(はは)
ー↓↑ーーーー
 237年
 高句麗や烏桓に援軍を求め
 「公孫淵」征伐
 「衛臻」から兵数に任せ用兵軽視と批判され
 「公孫淵」を攻めきれず撤退
 後
 「公孫淵」が「燕王」を自称
 238年
 7月29日
 ↓↑
 燕
 紹漢二年八月二十六日
 (238年8月23日)
 238年 戊午
  8月 庚申
  23日 乙卯
  12時 壬午
  ↓↑
 「公孫淵」
 遼東公孫氏の当主(燕王)
 死亡
 紹漢二年八月二十六日
  (238年8月23日)
 ↓↑
 238年
 干支     戊午
 日本
 神功皇后   摂政三十八年
 皇紀       898年

 魏      景初二年
 公孫淵(燕) 紹漢二年
 蜀(蜀漢)  延熙元年
 呉      嘉禾七年=赤烏元年
 ↓↑
 高句麗    東川王十二年
 新羅     助賁王 九年
 百済     古尓王 五年
 ↓↑
 卑弥呼の
 帯方郡遣使
 景初二年
 六月・・・女王は大夫「難升米」等を郡に派遣
      群の太守「劉夏」は洛陽に
     「難升米」等を役人に送らせた
 ~
 紹漢二年
 八月二十六日・・・ 「公孫淵」死亡
 (238年8月23日)
 ~
 十二月・・・大夫「難升米」・・・ナンジョウベイ⇔南城兵?
          率善中郎将  烏 城  兵衛?
       次使「都市牛利」・・トシゴリ⇔譯使語理?
          率善校尉   ㇳフツゴリ?   
       に  官位と
       銀印青綬を与え
       汝(卑弥呼)を
       親魏倭王に封じ
       金印紫綬を
       装封して
       帯方太守に託して授けさせる 
      (魏志倭人伝)
 238年
 魏の
 明帝=曹叡の治世
 「公孫淵」まだ滅んでいない・・・?
 「公・孫・淵」の漢字名から
 「天孫降臨」の「天津族」・・・
 「天津」は
 隋王朝「煬帝」の城内を
 流れる「天津川」と
 それに掛かる「天津橋」・・・
 「煬帝」の「運河」と巨大な「運航船⇔造船技術」・・・
 隋朝第二代皇帝(在位604年8月21日~618年4月11日)
 本名 楊広
 別名 英
 小字 阿𡡉・・・阿部・阿倍・阿武・海部⇔阿毎王朝
               阿武=則天武后=武照
  ↓↑
 「阿倍比羅夫」は「倭國の水軍提督」・・・
 斉明天皇四(658)年四月~六(660)年五月
 越国守「阿部比羅夫」が
 船軍180隻で
 蝦夷・粛慎征討
 「蝦夷」遠征航海と
 「白村江海戦(663年・天智天皇二年)」に参戦・・・?
 ↓↑
 姓  阿倍 引田臣
 冠位 大錦上
 越国守・後将軍
 大宰帥・・・阿毎王朝⇔阿倍
            阿部・安曇・海部・阿武
 を歴任
 父 阿倍目?・阿倍浄足?
 子 宿奈麻呂・引田広目・安麻呂
   船守・古尓王
 孫 阿倍仲麻呂=阿倍船守の子
 阿倍氏宗家 阿倍御主人の
      「布勢」氏・・・布施・伏せ・臥せ?
 ↓↑
   干支  丁巳     戊午    己未
   西暦  237年    238年   239年
   ↓↑   ↓↑     ↓↑     ↓↑
 魏 景初  元年  景初二年  景初三年
 蜀 建興 十五年  延熙元年  延熙二年
 呉 嘉禾  六年  嘉禾七年
   赤烏  元年  赤烏二年
 燕 紹漢  元年  紹漢二年
  ↓↑
 「司馬懿」の指揮下で
 「公孫淵」を破った
 (遼隧の戦い)
 この功績により
 安邑侯に昇進
 「曹叡(魏王)」は
 「司馬懿」
 に4万余の兵を与え
 「公孫淵」征伐を命じた
 「公孫淵」も
 「卑衍」
 「楊祚」
 らに数万の軍を与えて
 遼隧に派遣
 「司馬懿」は退却したとみせかけ
 国都の襄平に侵攻
 「胡遵」らを派遣して
 「卑衍」を破った
  ↓↑
 「公孫淵」は
 「孫権」に援軍を求め
 239年
 「羊衜・鄭冑・孫怡」
 を派遣
 「曹叡」が死去し
 その隙をついて
 「羊衜」らが遼東の
 「牧羊城(旅順口)」
 で魏の
 「張持」
 「高慮」
 らを破り男女を捕虜として帰国
 ↓↑
 魏が楽浪郡と帯方郡を設置
 高句麗の
 「東川王(憂位居)」
 は「公孫淵」討伐には協力的であったが
 242年以降
 魏と険悪な関係
 「毌丘倹」は高句麗への攻勢を強め
 244年
 高句麗の軍勢を大破
 都の
 「丸都」を蹂躙
 「東川王(憂位居)」は逃亡
  ↓↑
 「司馬師」が実権を握り
 「胡遵・王昶・諸葛誕・陳泰」
 と共に、四方の都督の一人
 252年
 鎮南将軍・豫州刺史の
 「毌丘倹」は
 「孫権」の死に乗じて
 「王昶・胡遵」
 と共に呉征伐を計画し上奏
 出征(東関の役)
 「毌丘倹」は「王昶」と共に
 荊州方面で陽動軍を率いて呉を牽制
 本隊を率いた揚州方面の
 「胡遵・諸葛誕」が
 呉の
 「諸葛恪」に敗れ失敗(東興の戦い)
 「毌丘倹」
 は鎮東将軍に転じ
 「諸葛誕」に代わり
 「文欽(揚州刺史)」
 と共に呉へ備え
 揚州に鎮した
 ↓↑
 253年
 「諸葛恪」が魏に侵攻したが
 「毌丘倹・文欽・司馬孚」
 合肥新城の
 「張特」と共に防戦
 撤退の
 「諸葛恪」を
 「司馬師」の指示に従い
 「文欽」と共に追撃(合肥新城の戦い)
 ↓↑
 254年
 「司馬師」が
 「夏侯玄・李豊」等のクーデターを鎮圧
 「曹芳(斉王)」を廃位
 255年
 「文欽」と共に6万の兵を率いて挙兵
 「司馬師」は
 「王基」の意見を容れ
 十数万の討伐軍で
 毌丘倹の本拠地、寿春を脅かさせ
 毌丘倹軍の将兵を次々に投降させた
 「鄧艾」が一万余の兵を率いて楽嘉に駐屯
 「文欽」と子の「文鴦」は楽嘉を攻めを画策
 「司馬師」らが大軍で楽嘉に駐屯
 「文欽・文鴦」らは戦線を東に下げた(楽嘉の戦い)
 「文鴦」が魏軍相手に善戦したが
 「司馬師」は近衛騎兵隊で追撃し
 「文欽」を破った
 「文欽・文鴦」らは呉へ亡命
 「毌丘倹」は軍勢を捨てて逃走
 弟の「毌丘秀」
 孫の「毌丘重」は呉への亡命
 「毌丘倹」は逃走
 安風津の都尉配下の
 「張属(宋白?)」なる者に討たれ
 首級は都で晒された
 ↓↑
 子の「毌丘甸」も在京から逃走を図ったが捕らえられ誅殺
 妻の「荀氏」も捕らえられたが
 縁戚の
 「荀顗・荀虞」の嘆願で助命された
 身重の娘も誅殺の対象だったが
 母の「荀氏」が「何曾」に助命嘆願し許された
 「毌丘倹」の子(毌丘甸の弟)で呉への使者
 「毌丘宗」は呉に仕えた
 西晋が呉を討伐し
 「毌丘宗」とその子の
 「毌丘奥」は許され
 西晋に出仕
ー↓↑ーーーー
          ↓↑
          忽地笑=英文名:Golden Stonegarlic
              石蒜科Amaryllidaceae
              鳞茎寬卵形
                寬=宀+艹+見
                  莧=カン・ケン
                    ひゆ
                 スベリヒユ(滑莧・滑り莧)
                 一年草
                 別名・異名
                 トンボグサ・チギリグサ
                 生薬名
                 馬歯莧(バシケン)・馬歯菜・五行草
                 酸莧・豬母菜・地馬菜・馬蛇子菜
                 長寿菜・老鼠耳・宝釧菜 
                異体字
               「寛(新字体)・㝟・完・𡘚・𡙤・𡩖・𥦀」
                幅が広い・幅がある
          鹿葱
          嚴大蒜・・・嚴⇔巖
                厳 巌
                  巗
                  磐・岩・石
          黄龍爪
          獨角蒜頭
          山金針
          萬羅花(台灣)
          老鴉蒜
          石蒜
 ↓↑
 大数
 一十百千万億兆京垓
 𥝱=秭
  「𠂔+α」
   姊・柹・胏・泲・秭・笫・牬・趀

 穣溝澗正載極恒河沙阿
 僧祇那由他
 不可思議
 無量大数
 ↓↑
 小数
 分厘毛糸忽微繊沙塵埃
 渺漠模糊逡巡須臾瞬息
 弾指刹那六徳虚空清浄
 阿頼耶阿摩羅涅槃寂静
 ↓↑
 惚=忄+勿+心
   コツ・コチ
   ほれる
   ほうける・ぼける
   自惚・勿論・忽然
 ↓↑
 忽(コツ)=10-⁵(10万分の1)
       糸の1/10
       微の10倍
       0.01ミリ=10マイクロ
 ↓↑
 「忽=『孫子算経』」
 忽=にわかに=俄かに・突然・おろそかに・なおざりに」
   忽(たちま)ち・忽(ゆるが)せ
   忽焉(コツヱン)・忽然・忽略・軽忽・粗忽
 ↓↑
 惚=忄(心)+勿
     勿=吹き流しがゆらゆらとして
      はっきり見えないさま
   心持がはっきりしない状態
   おろそか・見過ごす・不注意
   ↓↑
  「いるかせ(忽)」の変化した語
  「ゆるかせ」
   物事をいい加減にする
   なおざりにするさま
 ↓↑
 たちまち・にわかに
 忽然・忽焉(コツエン)
 ゆるがせ・いいかげん
 忽略・粗忽
 「怱(ソウ)」は別字
 ↓↑
 軽忽(ケイコツ)・粗忽(ソコツ)・疎忽(ソコツ)
 「惚(コツ)」の原字
 ゆるがせにする・たちまち
「忽」
 忽焉(コツエン)
 忽忽(コツコツ)
 忽諸(コッショ)
 忽然(コツゼン)
 忽略(コツリャク)
 忽(たちま)ち
 忽比烈
 忽必烈(フビライ)
 忽布(ホップ)
 忽(ゆるが)せにする
 いいかげん
 忽略・粗忽
 軽忽(ケイコツ)・粗忽(ソコツ)・疎忽(ソコツ)
 ↓↑
 十 da(デカ) 10¹
 百 h(ヘクト) 10²
 千 k(キロ) 10³
 万       10⁴
 (百万) M(メガ) 10⁶
 億   10⁸
 (十億) G(ギガ) 10⁹
 兆 T(テラ) 10¹²
 (千兆) P(ペタ) 10¹⁵
 京(けい) 10¹⁶
 (百京) E(エクサ) 10¹⁸
 垓(がい) 10²⁰
 (十垓) Z(ゼタ) 10²¹
 ↓↑
 秭(し)・・シ
 ↓↑    稲の量をはかる
       一秭は二百秉(へい)
       億の一万倍
       or
       垓(がい)の一万倍
      「秭帰(しき)=ホトトギス」
       秭(し)=𥝱(じょ)
      「姊=姉=あね」
      「柹=柿=こけら」・・・杮落とし
       𠂔=㇒+㇞+ノ
         シ
         𪩲=市+ノ
         止める
         盛んに上に伸びようとする草木に
        「ノ」を加えて
        「伸びを止める」の意
         同「𠥽」

        𠂕=丿+夫
          シ
          や=矢
          弓を使って離れている獲物を
          仕留めるための棒状の武器
          竹矢は
         「箭(セン)」という {武器(弓箭)}
          まっすぐなさま・まっすぐに進むさま
          医=医学・・・
            匚の中の矢(メス・オランダ語の mes(ナイフ))
          醫=醫者・・・医+殳+酉(酒樽・酒壷・消毒液の臺)
          きっぱりと(ずばりと)言う
          誓(ちか)う
         「どこまでもまっすぐ」の意
          まっすぐに並ぶさま
          糞(くそ)、大便
         「馬矢(バシ)」
         「遺矢(イシ)」
          同「屎」
       ↓↑
      「徐芾・徐市・徐福」・・・徐𠂔
       徐市が居住した
       江蘇省
       徐阜村(徐福村)が発見・・・?
       徐福=徐市
       斉国
       琅邪 (山東省)
       江蘇省
       連雲港市
       贛(かん)楡(ゆい)県
       金山郷
       徐阜村(徐福村)
       発見(古来は琅邪郡)
       前漢に設置
       後漢時代に一時廃止され再設置
       三国時代の魏により廃止
       280年(太康元年)
       西晋により再設置
       南朝宋の
       明帝
       淮北を北魏に奪われ
       贛楡県に
       青州が僑置
       583年(開皇三年)
       隋により廃止
       南朝梁は
       懐仁県として設置
       1167年(大定七年)
       金朝が
       贛楡(カンユ)県と改称
       贛=章+夂+貢=贑=章+夂+貢
         立+早+夂+工+貝
         立+日+十+夂+工+貝
         コウ・ク・カン・コン
         たまう(賜う・給う・玉生・貺・賚)
       ↓↑
       1952年
       山東省より移管
       2014年5月
       贛楡区に改編・・・
       ↓↑
       𠂔=蔓の巻いた棒の上部
         𠂔=㇀+㇉+ノ
         異体字「𠥽・𪩲」
         声符「𠂔=シ・泲・笫・㾅・趀・秭」
      「上方の・上位の」を意味

       秭=禾+𠂔
         異体字「𥞑・𥝱」・・・「𥝱」は国字
         声符「シ・𠂔・泲・笫・㾅・趀」
         杮(こけら)落とし
    ↓↑
Y(ヨタ) 10²⁴
 ↓↑
 穣(じょう) 10²⁸
 溝(こう) 10³²
 澗(かん) 10³⁶
 正(せい) 10⁴⁰
 載(さい) 10⁴⁴
 極(ごく) 10⁴⁸
 ↓↑
 恒河沙(ごうがしゃ) 10⁵²
 阿僧祇(あそうぎ) 10⁵⁶
 那由他(なゆた) 10⁶⁰
 不可思議(ふかしぎ) 10⁶⁴
 無量大数(むりょうたいすう) 10⁶⁸
  ↓↑
 「塵劫記」の写本
  1恒河沙 = 1億極
  1阿僧祇 = 1億恒河沙
  恒河沙から8桁刻み
  1恒河沙 = 10⁵⁶
  1阿僧祇 = 10⁶⁴
  1那由他 = 10⁷²
  1不可思議 = 10⁸⁰
「無量大数」については
「大数」と「無量」に分けた写本も
  ↓↑
 小数
 分が1/100
 厘が1/1000
 と勘違いされることがある
 ↓↑
 分       d(デシ) 10-¹
 厘(りん)・釐 c(センチ) 10-²
 毛(もう)・毫(ごう)
      m(ミリ) 10-³
 糸(し)・絲            10-⁴
 忽(こつ)             10-⁵
 微(び)  μ(マイクロ) 10-⁶
 繊(せん)             10-⁷
 沙(しゃ)             10-⁸
 塵(じん) n(ナノ) 10-⁹
 埃(あい)             10-1⁰
 渺(びょう)            10-¹¹
 漠(ばく) p(ピコ)      10-¹²
 模糊(もこ)            10-¹³
 逡巡(しゅんじゅん)        10-¹⁴
 須臾(しゅゆ) f(フェムト)  10-¹⁵
 瞬息(しゅんそく)       10-¹⁶
 弾指(だんし)           10-¹⁷
 刹那(せつな) a(アト)     10-¹⁸
 六徳(りっとく)        10-¹⁹
 虚空(こくう)=空虚(くうきょ) 10-²⁰
 清浄(せいじょう)
         z(ゼプト)     10-²¹
 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
         y(ヨクト)    10-²⁴
ーーーーー
 ・・・???・・・
  ↓↑    ↓↑ 
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/2
 ↓↑
 干支歴
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「仁明天皇」は淡い黄色の菊花を愛した・・・「承和色(そがいろ)」?

2022-02-25 21:10:32 | 古事記字源

 ニホンヒキガエル・・・似本、引き換える・比記替える?
 ↓↑
 ニホンヒキガエル(Bufo japonicus)
 両生綱
 無尾目
 ヒキガエル科
 ヒキガエル属
 に分類

 日の本を引き換える
 寮生考?
 ム毘摸句
 引き換える咎
 引き替える俗
 に分類
  ↓↑
  金 華山
 (きんかさん )
    岐阜県岐阜市
 ↓↑ 千畳敷下257
   「金華山(標高329m)」
    旧称
   「稲葉山(いなばやま
       (因 幡山)」
    北緯35度26分
    東経136度46分
    美濃国
    井之口(いのくち)
 ↓↑ ↓↑
    第54代
   「仁明天皇」
    810年(弘仁元年)
    ~
    850年5月6日
   (嘉祥三年三月二十一日)
    在位
    833年3月22日
   (天長十年二月二十八日)
    ~
    850年5月4日
   (嘉祥三年三月十九日)
    諱 正良(まさら)
    諡 日本根子天璽豊聡慧尊
     (やまと
        ねこ=猫=ネコ=音子
          あまつ
           みしるし=璽=爾+玉
            とよさと
             の みこと)
    和風諡号を
    奉贈された「最後の天皇」
        猫好き天皇は
       「宇多(うだ)天皇」
        867年6月10日(貞観9年5月5日)
        ~
        931年9月3日(承平元年7月19日)
        大喪儀 仁和寺
        追号  宇多院(宇多天皇)
        諱    定省
        別称  寛平法皇・亭子院
            朱雀院太上天皇
            満徳法主天
            日本金剛覚大王
            日本金剛蔵王
            日本僧本・・・総べての本?
        父   光孝天皇
        母   班子女王
            ・・・班昭=後漢の才女
                  曹大家とも
                  班固,班超の妹
                  博学で兄の死後
                 『漢書』の
                 『表・八編』
                 『天文志』を完成
        女御  藤原温子
            藤原胤子
            橘 義子
            橘 房子
            菅原衍子
        更衣  源 貞子
            徳姫女王
        子女  醍醐天皇
            敦実親王
            斉世親王
        皇居  平安宮

        最古の
        飼い「猫」の名前の記録
       「一条天皇(980~1011年)」
        の愛猫の「命婦の御許」
       「命婦=五位の女官」
       「御許=高貴な女性の敬称」
        980年7月15日(天元3年6月1日)
        ~
        1011年7月25日(寛弘8年6月22日)
        一条院中殿
        大喪儀 円融寺北陵
        追号  一条院・一条天皇
        諱   懐仁
        別称  永延帝・・・永く延ばす綴り?
            精進覚・妙覚(法名)
        父親  円融天皇
        母親  藤原 詮子
        皇后  藤原 定子・・・清少納言
        中宮  藤原 彰子・・・紫式部
        女御  藤原 義子
            藤原 元子
            藤原 尊子
        子女  脩子内親王
            敦康親王
            媄子内親王
            後一条天皇
            後朱雀天皇
        皇居  平安宮・一条院
            東三条院
            枇杷殿
 ↓↑ ↓↑
   「仁明天皇」は
    御陵の在所をもって
    深草帝
   (ふかくさのみかど)とも
 ↓↑    ↓↑
      「嵯峨天皇」の第二皇子
       母は橘清友の娘の
       皇后橘嘉智子(檀林皇后)
 ↓↑    正子内親王は双子の妹
       承和色
      「仁明天皇」は菊の花を愛し
      「菊の花」のような淡い黄色を
       在位中の元号
      「承和(じょうわ)」にちなみ
      「承和色(そがいろ・じょうわいろ)」
       と呼ぶ

 ↓↑ ↓↑
   「仁明天皇」
    の頃
   「在原行平」
    が陸奥から
   「金花石」・・・「菊石」
    ↓↑ ・・・金花石蒜
             蒜(にんにく
               ヒル=蛭
                 ⇔昼・晌・肥留)
          別名・異名・別称・・・蔑称
          龍爪花
          忽地笑・・・葱(ねぎ)
          鹿葱
          嚴大蒜・・・嚴⇔巖
                厳 巌
                  巗
                  磐・岩・石
          黄龍爪
          獨角蒜頭
          山金針
          萬羅花(台灣)
          老鴉蒜
    ↓↑     石蒜
   「金花石」
    を引かせこの地に来て
    その石を残して上洛し
    後に石を
   「金(こがね)大明神」
    とした(『美濃国諸国記)
    鎌倉時代から山城
    戦国時代に
    斎藤道三・・・「まむし(蝮)の道三」
    が城を整備
    1567年
    織田信長が奪取し
 ↓↑ 岐阜城=金華山とした
 ↓↑
 金華山
 宮城県
 石巻市
 標高329mの山
 太平洋上沖に浮かぶ島山
 牡鹿諸島の一
 金華山の南東に
 「鮑荒崎
 (あわびあらさき・蛇穴崎)」
 と呼ばれる岬がある
 最高峰 金華山(444m)
 北緯38度17分
 東経141度34分
 恐山、出羽三山と並ぶ「奥州三霊場」
 ↓↑
 「ニホンヒキガエル」・・・似本引き換える?
  日本 ひきがえる
    (蟇・蟾蜍・蟇蛙)
 ↓↑
 が生息していない
 「ヤマカガシ(赤楝蛇・山楝蛇・蛇)」
       (爬虫綱
        有鱗目
        ナミヘビ科
        ヤマカガシ属)
 は
 「ヒキガエル(蟾蜍・蟇蛙)」
 を
 捕食して得られる
 「頸腺毒」を持たない
 ↓↑
 「渡辺崋山」
 「鳥居燿蔵」の
 「蛮社の獄」の冤罪関連地・・・「金華山」島
 ↓↑
 鳥居は
 「花井虎一」
 を使って崋山を内偵させ
 『戊戌夢物語』の著者
 「高野長英」
 の探索と
 蘭学に偏って
 風聞された知識人、町人たちともに
 「無人島渡海相企候一件」
 として起こされた「冤罪事件」・・・
 ↓↑
 「花井 虎一(はない とらいち・こいち)」
 幕臣・蘭学者
 通称
 「虎一」
 本名
 「花井 一好(はない かずよし)」
 号
 大巧・如拙道人[
 小人目付
 「小笠原貢蔵」の養女婿
 御小人頭
 「柳田勝三郎組の納戸口番(15俵1人扶持)」
 蘭学者の
 「宇田川榕庵」の弟子
 渡辺崋山宅にも出入り
 ガラスの研究者
 『和硝子製作編』の著者
 『減銅録』
 『神州論』
 『玻瓈(はり)製法訳説』・・・瓈=王+黎
             黎=禾+勹+丿+人+氺
 『船神之事』
 『謨児木子杜説』
 『琉球紀略』
 ↓↑
 「花井 虎一」
 の
 渡辺崋山告発の一条
 「無人島(小笠原諸島)渡航を計画」
 茨城県
 鹿島郡
 無量寿寺の住職
 順宣
 順道
 父子が
 「小笠原諸島」への
 無人島渡航計画仲間と交流
  ↓↑
 牡鹿郡の
 金華山・・・鳥居燿蔵
      「蛮社の獄」のデッチ上げ
       おとり捜査の比定現場
       遠山景元(金四郎)とも対立
 ↓↑  ↓↑
    花井 虎一(はない とらいち・こいち)
    幕臣、蘭学者
    本名 花井 一好(はない かずよし)
    号  大巧・如拙道人
    小人目付の
    小笠原貢蔵の養女婿
 ↓↑  ↓↑
   「蛮社の獄」で
    蘭学者
    渡辺崋山を
    小笠原とともに
    宮城県
    石巻市沖の・・・・石巻⇔菊石=アンモナイト?
    太平洋上に浮かぶ島
   「金華山(きんかさん)」島から
 ・・・無人島(小笠原諸島)への
    渡航を計画したと讒訴、告発・・・
 ↓↑  ↓↑
    花井 虎一は
    蘭学者の
    宇田川 榕庵の弟子で
    渡辺 崋山宅にも出入りし探索
 ↓↑  ↓↑
    花井 虎一は
    ガラスの研究の第一人者でもあり
    馬場佐十郎が訳した
   『ショメール百科事典』
    に影響を受け
   『和硝子製作編』を著
 ↓↑  ↓↑
   「鳥居耀蔵」から
   『戊戌夢物語』の著者の
   「渡辺崋山」の探索を命じられた
   「小笠原貢蔵」は
   「花井 虎一」
    から情報を得て
    「渡辺崋山」が
    金華山(きんかさん)から
    無人島渡航を
    計画しているとして告発
    ↓↑  ↓↑
    同名の
    岐阜の「金華山」=斎藤道三
             織田信長
 ↓↑
 2020年12月17日

「伊邪邊等 鳥・鶏・僧侶夫人
 イザベラ・バード・ビショップ」
 はジコクの現実を知らんかった?
 ↓↑
 「金華山」
 は
 「万葉集のみちのく山」
 ↓↑
 江戸時代後期
 文化七年(1810)
 伊勢
 白子
 の国学者
 「沖安海」は
 黄金山神社の地を踏査
 「延喜式内」の
 黄金山神社を
 この場所と比定
 多くの分野で
 産金地の研究が積み重ねられてきた・・・
 ↓↑
 以上の原文は
 涌谷町の
 企画財政課企画班
 から添付
 ↓↑
 宮城県
 遠田郡
 涌谷町
 字新町
 裏153番地2
ー↓↑ーー
 「小笠原貢蔵」は
 花井から情報を得て
 崋山が
 「金華山」から
 「無人島渡航」を計画していると告発
 取り調べ中、
 花井の虚偽証言が発覚
 直接取り調べにあたった町奉行の
 「大草高好」
 から叱責を受けた
 吟味方の
 「中島嘉右衛門」
 の取り調べで
 「無人島渡航計画」
 は花井の提案であることが明らかになった
  ↓↑
 「鳥居耀蔵」
 が、長崎の町年寄の
 「高島秋帆」
 を幕府に対する
 謀叛や
 密貿易の嫌疑で
 取り調べるため
 娘婿の
 「伊沢政義」
 を使嗾
 長崎奉行だった伊沢が長崎に下向する際
 花井は
 「小笠原貢蔵」とともに
 与力として
 伊沢に随行
 伊沢の命によって
 秋帆や関係者たちの罪状と証拠を探った
 「伊沢政義」
 から鳥居に宛てた書簡によれば
 「伊沢配下の組与力」
 に花井や小笠原を推挙したのは
 「鳥居燿蔵」であった
 ↓↑
 事件の審議の途中
 鳥居の上司の老中
 「水野忠邦」
 が失脚
 「鳥居」も幕閣を追われたが
 後、小笠原も花井も
 小普請入り・・・
  ↓↑
 「渡辺崋山」は師匠の
 「松崎慊堂」が老中
 「水野忠邦」に上申した
 「赦免建白書」には
 「崋山は一人物(花井虎一)の
  讒言によって罪に陥れられた」
 と記載
 だが
 「花井虎一」は
 「鳥居 燿蔵」
 に擁護され
 天保十二年四月
 学問所勤番(五十俵三人扶持)
 に抜擢された・・・
 ↓↑
 天保十二年(1841年)
 田原の
 池ノ原屋敷で謹慎
 「不忠不孝 渡辺登」
 の絶筆を遺して納屋で切腹自害
 ↓↑
 「渡辺崋山」
 時代 江戸時代後期
 生誕 寛政5年9月16日(1793年10月20日)
 死没 天保12年10月11日(1841年11月23日)
 改名 源之助、虎之助、登、定静
 別名 華山・伯登・子安・全楽堂・寓画堂
 戒名 文忠院崋山伯登居士
 墓所 弁天山城宝寺(愛知県田原市田原町稗田)
 官位 贈正四位
 主君 三宅康友→康和→康明→康直
 藩 三河田原藩
 氏族 渡辺氏
 父  渡辺定通
 母  栄
 兄弟 崋山・如山
 妻  たか
 子  かつ・一学・小崋
ーー↓↑ーー

 アズマヒキガエル
 と
 ニホンヒキガエル
 との交雑
 ↓↑
 体色は褐色、黄褐色、赤褐色など
 白や黒、褐色の帯模様が入る個体
 体側面に赤い斑点が入る個体が多く
 背にも斑点が入る個体もいる・・・
 ↓↑
 B. j. japonicus
 ニホンヒキガエル
 体長7~17.6センチメートル (cm)
 鼓膜は小型
 眼と鼓膜間の距離は鼓膜の直径とほぼ同じ
 B. j. formosus
 アズマヒキガエル
 体長6~18 cm
 鼓膜は大型で
 眼と鼓膜間の距離よりも
 鼓膜の直径の方が大きい
 亜種アズマヒキガエルの
 幼生(オタマジャクシ)は
 全長3 cm
 体色は黒色や濃褐色
 ↓↑
 四六のガマ
 前肢の指は4本、後肢の指は5本
 繁殖期の
 オスには
 メスを抱接する際に滑り止めとして
 後肢にコブ(婚姻瘤)ができ
 それを6本目の指と勘違いした・・・6ッ本指=豊臣秀吉
 ↓↑
 ホンヒキガエル
 サツマヒキガエル
 Bufo japonicus formosus Boulenger, 1883
 アズマヒキガエル
 北海道で
 1912年7月2日
 北海道庁立函館高等女学校(北海道函館西高等学校)
 で発見
 後
 旭川市・室蘭市でも繁殖が確認さ
 道内各地(札幌市・石狩市・江別市・深川市等)
 で次々と捕獲
 北海道固有亜種ではなく
 関東の個体群と同じで
 遺伝子解析結果から国内外来種
 道内では本種の天敵
 「ヤマカガシ」
 が生息しておらず
 本種の定着拡大や捕食による
 昆虫への悪影響が懸念
 ↓↑
 ヒキガエル類
 水域依存性の極めて低い両生類
 ↓↑
 動物食で
 昆虫、ミミズなどを食べる
 ブフォトキシン(ブホトキシン)
 毒を持つ有毒種
 天敵は少ないが
 ヤマカガシは本種の毒に耐性
 本種を好んで捕食
 ヤマカガシの頚部から分泌される毒は
 本種の毒を貯蓄して利用
 ↓↑
 繁殖形態は卵生
 大柄な姿に反して
 「ヒキガエル」
 の幼生期間は短く
 仔ガエル
 に変態した時の体長は5~8mm
  ↓↑
 「ガマの油」
 「ヒキガエル」
 の耳下腺分泌物には薬効
 小麦粉で練ったものは
 「蟾酥」
 強心や抗炎症などに用いた
 ↓↑
 アズマヒキガエル
 北海道で持ち込まれた種が繁殖したため
 2017年
 指定外来種に指定
 深川市などを中心に駆除
 2018年
 札幌市でも生息
 皮膚から分泌する
 アルカロイド系の強い毒
 北海道固有種の
 「エゾアカガエル」
 が
 「アズマヒキガエル」
 の孵化したばかりの幼生を食べた場合、100%死亡
ーーーーー
 ・・・???
  ↓↑    ↓↑ 
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/2
 ↓↑
 干支歴
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よし・あし・蘆・葭・葦・芦・reed・・・穿って考えてもフキ合えず

2022-02-22 16:57:12 | 古事記字源

 足柄・・・追加添加・・・添文、テンキ・・・

 揚げ足取り
 2013-06-19 23:20:46
 古事記字源
 映画なみ・・・「女性検察事務官」・・・でも「正義に加担する」女性ではなかった?・・・「云わなくてもイイことを言って」いるのは、ボクだけれど・・・ダレが「迷惑」しているんだかネッ・・・「トリチュム」・・・「ストロンチュウム」汚染洩れは2週間後の発表・・・「イランことは言わない」のがイイ・・・「揚げ足取り」ってコトバもあるが・・・「沈黙はキン」か?・・・
 ↓↑
 TPP→足柄山→金太郎→岡山→アベ←早良
 2013-06-17 20:13:16
  古事記字源
 ↓↑
 足柄山の金太郎・・・「金太郎」は江戸時代の出版業界の「カネのナル木」だったらしい・・・岡山県勝央町が「金太郎」が亡くなった場所らしいのだが・・・金塊、小判が外国流出・・・「日米修好通商条約(Treaty of Amity and Commerce)」は、「安政五年六月十九日(1858年7月29日・日本と亜米利加合衆国の間で締結された通商条約・日米通商条約」・・・「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」・・・不平等条約だろう・・・関わっていた、いるのはイズレも「アベ」・・・
ーー
 「足柄山」は「足軽山」が語源?

 「新編相模風土記」に記されているそうだが、では、「足軽山の語源」は何か?・・・「足柄」は「芦柄」との記載もある。「柄」なら「家紋」とか「着物の柄」で「芦の柄」である。芦名氏の家紋は、三浦で「丸に三引き両(○の中に≡)」である。「≡」→「合同」の数学記号である・・・「銅矛」のような形の「芦」そのものの図柄の家紋をブログで調べたら「人間は考える葦だ」のフランスの哲学・数学者の「パスカル」の記載と共に「家紋は武田氏支流の新見氏(一つ葦の葉・違い芦の葉)」、「小笠原氏支流の飯塚氏(葦丸)」、「清和源氏流の石川氏(違い芦の葉)」などがある、とあった。

 「よし・あし・ヨシ・アシ・蘆・葭・葦・芦」は英語では「reed」で、「パピルス(Papyrus)」は、「カヤツリグサ」科の植物の一種とあった。「萱・茅」は「ウガヤ葺きあえずのミコト」の「萱」である。

 ヒコナギサタケウガヤフキアエズ
 日子波限建鵜草葺不合命
 彦波瀲武盧茲草葺不合尊
 「天孫邇邇芸(天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命)」の
  子
 「ヒコホホデミ
 天津日高日子穂穂手見命
 彦火火出見尊(山幸彦)」
 と、
 海神の娘である
 豊玉姫の子
 「天津日高日子波限建鵜草葺不合命(古事記)」
 「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(日本書紀)」
 である
 「瓊々杵尊→彦火火出見尊→彦波瀲武盧茲草葺不合尊」の
  三代は
  日向三代
 ・・・エジプト(埃及)の「パピルス」は万葉仮名では「葉比留素・八ヒ婁州」だろう・・・?・・・
 「婁」=ひく・ずるずるとひっぱる・ひき寄せる・
     虚しい・から・中空
     鞴(ふいご・蹈鞴・踏鞴)
     アコーデオン形、蛇腹形の火力を強める送風器
 「婁絡(ルラク)」=纏わりつく・まとわりつくこと
 「巻婁(ケンル)」=手や足の引き攣り・甚大な疲労
 「離婁之明(リロウノメイ)」= 視力・眼力のすぐれていること
 「婁」=宿曜経、二十八宿の一の婁宿・西方の第二宿
     牡羊(おひつじ)座の頭部分の三星・たたら星
 「瘻」=ロ(ro)首に出来る腫瘍・ハレもの
 「芦=あし・よし・ロ」
ーー↓
 ・・・芦名氏は本姓桓武平氏で、三浦族佐原氏流。相模国の豪族三浦義明の子佐原義連がその祖であSるらしいが・・・石橋山の合戦で源頼朝を助け、平家追討で軍功、奥州藤原攻めに参陣し、「会津・河沼・耶麻」の諸郡を与えられ「佐原(さわら・さはら)」氏の惣領となったのは「光盛」で、彼は相模の芦名にちなんで、芦名氏を名乗った。足柄(あしがら、あしがり)とも訓むらしい・・・「足軽」は「豊臣秀吉」と「伊藤博文」だが・・・
 「触(さわ)らぬ神に祟りナシ」・・・
ーー↓
 「早良親王(さわらしんのう)」
 天平勝宝二年(750年)?
 ~
 延暦四年九月二十八日(785年11月8日)
 光仁天皇の皇子
 生母は
 高野新笠
 第五十代
 桓武天皇の弟・皇太子
 能登内親王の同母弟
 延暦四年(785年)
 造
 長岡宮使
  藤原種継暗殺事件に連座
 乙訓寺に幽閉
 冤罪を訴え絶食し、
 淡路国に配流の途中、
 河内国
 高瀬橋付近で憤死
 その後、
 桓武天皇の
 第一皇子
 安殿(あたか)親王(平城天皇)の発病
 桓武天皇妃
 藤原旅子
 藤原乙牟漏
 坂上又子が病死
 生母
 高野新笠の病死
 疫病、洪水などが早良親王の祟りとされた
 延暦十九年(800年)
 崇道天皇と追称
 ・・・このハナシは「崇神天皇」の「崇神天皇七年二月、大物主神、倭迹迹日百襲姫命に乗り移り託宣。十一月、大田田根子(種子?)を大物主神を祭る神主とし、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祭る神主としたところ、疫病は終息し、五穀豊穣」と重なる・・・それに追号の「崇道天皇」は、「舎人親王」も諡号は「崇道尽敬皇帝(スウドウジンケイこうてい)」だった・・・「舎人親王」も憤死したのかも・・・?
ーー↓
 足柄峠
 箱根
 外輪山から北に伸びた
 尾根上に位置し
 駿河国と
 相模国の国境の峠
 昔
 足柄坂(あしがらさか)と呼び、
 ここより東を
 坂東と称して足柄峠はその入り口
 富士山の
 延暦噴火(800年~802年)で
 交通不通になり
 箱根峠を通る箱根路が整備
 899年に関所設置
 1336年(建武二年・1335年)
 南北朝時代の
 「箱根・竹ノ下の戦い」
 足柄峠に陣取った
 足利尊氏の軍勢が
 新田義貞の分隊を指揮して
 西側から攻め寄せた
 脇屋義助を
 峠下の
 竹ノ下(竹之下)で破った
ーー↓金太郎
 江戸時代には浮世絵において金太郎図が数多く描かれ、新年には干支に添えた形で出版。美人画・役者絵を得意とする
 鳥居清長・・・鳥居耀蔵
 1752年(宝暦二年)~1815年(文化十二年)は
 天明・文化年間に数多くの金太郎図を描き、
 美人画の
 喜多川歌麿
 ?~1806年(文化三年)も
 山姥と組み合せの金太郎図を描いた
 歌川国芳
 1797年(寛政九年)~1861年(文久元年)も
 多くの金太郎図を描いた
ーー↓
 童謡の「金太郎」は、
 1900年(明治三十三年)に発表
 「幼年唱歌」に掲載
 作詞・石原和三郎
 作曲・田村虎蔵
ーーーーー↑↓ウイッキペデアからスベテ参照抜粋、少々改作添付
 静岡県
 駿東郡
 小山町
 金時神社
 天暦十年(956年)五月誕生
 彫物師
 十兵衛の娘、
 八重桐と
 坂田蔵人の子供
 金太郎は足柄山で育った
 天延四年三月二十一日(976年4月28日)
 源頼光の家来(随身)となる
 坂田金時(坂田公時)と改名
 渡辺綱、
 卜部季武、
 碓井貞光等と共に
 頼光の随身四天王の一人となる
 永祚二年三月二十六日(990年4月28日)
 丹波の国、大江山(福知山市)の酒呑童子を退治
 神変奇特酒(睡眠薬混合酒)で退治
 寛弘八年十二月十五日(1012年1月11日)
 作州路
 美作(みまさか)
 勝田壮(岡山県勝央町)で
 熱病で死去
 享年55歳
 勝田の人々は公時を慕い、
 倶利加(栗柄)羅神社を建てて葬った。
 倶利加羅(くりがら=剛勇の意)?
 第六天社は金太郎親子が深く信仰しており、
 母の八重桐が
 赤いごはんや
 魚を捧げたりするのを
 真似て、
 金太郎は
 メダカを捕らえ
 生きたまま器に入れ、
 社前に捧げた・・・らしい・・・
 山口県下関市北部、萩市、島根県西部県境の海では、
 「金太郎(ヒメジ)」という名称の魚が獲れる・・・らしい・・・
 宇治金時
 金太郎飴
 金時豆
 金平ゴボウ(牛蒡)は息子の「坂田金平」から
ーー
 鉞(まさかり、大斧)
 担いで
 熊の背に乗り、
 菱形の腹掛けを着けた金太郎
 乳幼児に着用させた
 菱形の腹掛けも
 また
 「金太郎」と呼ぶ
ーー
 藤原道長の日記
 「御堂関白記」には
 下毛野公時という
 近衛兵(随身)が
 道長に仕えていた
 この公時が脚色され、後に成立した
 「今昔物語集」で、
 公時の名の郎党が、頼光の家来として登場
 金太郎伝説が完成したのは江戸期
 浄瑠璃や歌舞伎を通して
 頼光
 四天王の怪力童子が定着
ーーーーー↓
 枕草子
 (五六段)・・・五拾六段・五十六段・伍足陸段
         5+6=11=十一=壱拾壱=壱足壱
         5×6=30=三十=参拾=参足
 男(おのこ)
 は
 また
 隨身・・・・・・隋視・隋審→隋書・随所・随処
ーーーーーーーーー↓
         随身=近衛兵
         ↓
        「隋書」
         二十四史の一
         第十三番目
ーーーーーーーーー↓
         266年
        「晋書」の
         安帝
         倭国関係記事
         413年(東晋・義熙九年)に
         倭国貢献の記録
ーーーーーーーーー↓
         隋王朝
         三十八年間の歴史書
         636年(貞観十)完成
         「五代史」の一
         唐初の
         魏徴が編集総裁
         南朝の
         梁・陳
         北朝の
         北斉・北周
         隋
         の各王朝の正史
ーーーーーーーーー↓
        「隋書・倭国伝」の記事
         倭國、在
         百濟、
         新羅
         東南、
         水陸三千里、
         於
         大海之中
         依
         山島
         而居。
         魏時、
         譯通中國、三十餘國、皆自稱王。
         夷人
         不知里數、
         但計
         以日。
         其
         國境
         東西
         五月行、
         南北
         三月行、
         各至於海。
         其
         地勢
         東高
         西下。
         都於
         邪靡堆、
         則
         魏志
         所謂
         邪馬臺
         者也。
         ↑↓
         「隋書・卷八十一・列傳第四十六・東夷傳・倭國」
         使者
         曰
         聞
         海西菩薩天子
         重
         興(与)
         佛法
         故
         遣
         朝拜
         兼
         沙門數十人
         來學佛法
         其
         國書
         曰
         日出處天子
         致書
         日没處天子
         無恙云云
         帝
         覧之
         不悦
         謂
         鴻臚卿
         曰
         蠻夷書
         有
         無禮者
         勿
         復
         以
         聞
ーー↓枕草子
 こそ
 あめれ。・・・・アメ例
 いみ
 じく
 美々しく
 をかしき
 公達(きんだち)も、
 隨身・・・・・・隋臣
 なきは
 いと
 しらじらし。・・・・白々しい・白地らしい
ーー
           しら=詞等・新羅・史等
           じらし=字等詞
ーー
 辨・・・・・・・・・わきまえる・和記真重留
           話記・和気・捌・分け・訳
ーー
 など・・・・・・・・等
 をかしく・・・・・・可変詞句
ーーーーーーーーーーー↓
           などを
           かしく→傾ぐ・炊ぐ→推古天皇
ーー
 よき
 官(つかさ)と
 思ひ
 たれ
 ども、
 下襲・・・・・・・解集
 (したがさね)の
 しり・・・・・・・私利・支離・後・尻
 短くて、・・・・・身字掛句出
 隨身・・・・・・・隋臣→輩
 なき・・・・・・・名紀
 ぞ
 いと
 わろ・・・・・・・話賂・倭賂→割賂
 きや。・・・・・・記也・記埜・紀哉
ーーーーー
 ・・・
  ↓↑    ↓↑ 
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/2
 ↓↑
 干支歴
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
 ↓↑

 

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「だいこんみずます=大・今・水・増の鑑」+「吾妻鏡」

2022-02-18 22:30:40 | 古事記字源

 「岩の女王」vs「氷の女王」
  ↓↑
 目出度い・芽出度い・・・愛でたい・・・メディア?
 氷上の戦い・・・フぅう~ッ・・・カンセン・・・心臓に悪い・・・
  ↓↑

  Frozen=フラウズン=freeze の過去分詞
      冷凍の・寒さで凍った・氷結した
      氷で覆われた・氷の張った
 ・・・氷は鏡になって自分の姿を映すことが出来る・・・?
 ・・・映ったものは歪んでいる・・・
 歴史記録の書籍は
 「だいこんみずます=大・今・水・増の鑑」+「吾妻鏡」

  ↓↑
  磐之媛命(いわのひめのみこと)
       ?~仁徳天皇35年6月
  石之日売(いはのひめ)
  磐姫・・・仁徳天皇の皇后
  葛城襲津彦・・・葛城を襲った津の比古(ひこ・びこ)
 (かつらぎのそつびこ)     (毘古・備古・美古・彌古)
  の娘で
 「武内宿禰(たけうちのすくね)」・・・禰=示+爾
  の孫

ーー↓↑ーー
 「岩媛(姫・嬪・比売)」&「石長比売」の秘密・・・
  ↓↑
 「お岩さん」の秘密
 四谷怪談・・・四国会談・詞語句會談・・・?
ーー↓↑ーー
 ヤルタ協定
 「・・・
  ソヴィエト連邦は
  中国を日本国の規範から解放する目的をもって
  自国の軍隊により
  中国を援助するため
  ソヴィエト社会主義共和国連邦
  と
  中国
  との間の
  友好同盟条約
  を中国政府と締結する用意が
  あることを表明する
  1945年2月11日
  N・スターリン
  フランクリン・D・ルーズヴェルト
  1945年2月11日
 「ヤルタ」会議において署名
  1946年2月11日
  米国国務省より発表
  ↓↑
  ミュンヘン
 「チェコスロバキア領
  ズデーテン地方」
 を
 ナチス・ドイツに割譲決定した
 四国
 イギリス・フランス・ドイツ・イタリア
 の会談
  ↓↑
 「四国首脳会談」
 ミュンヘン会談=ミュンヘン協定
 1938年9月29日~30日
 戊寅・辛酉・甲子・庚午~辛未
 ↓↑
 ドイツのズデーテン(チェコスロバキア)併合問題で
 英・チェンバレン
 仏・ダラディエ
 独・ヒトラー
 伊・ムッソリーニ
 ↓↑
 ポツダム宣言
  (1945年7月26日「ポツダム」において署名)
 1 吾等
   合衆国大統領
   中華民国政府首席
   及
  「グレート・ブリテン」国総理
   大臣ハ
   吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ
   協議ノ上
   日本国ニ対シ
   今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ
   与フルコトニ
   意見一致セリ
 2 合衆国
   英帝国
   及
   中華民国
   ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ
   西方ヨリ自国ノ
   陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ
   日本国ニ対シ
   最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ
   右軍事力ハ
   日本国カ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄
   同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ
   一切ノ連合国ノ決意ニ依リ
   支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ
 3 蹶起セル
   世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル
  「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ
   日本国国民ニ対スル
   先例ヲ
   極メテ明白ニ示スモノナリ
   現在
   日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ
   抵抗スル「ナチス」ニ対シ
   適用セラレタル場合ニ於テ
   全「ドイツ」国人民ノ
   土地、産業及生活様式ヲ
   必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ
   測リ知レサル程度ニ強大ナルモノナリ
   吾等ノ決意ニ支持セラルル
   吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ
   日本国軍隊ノ不可避
   且
   完全ナル壊滅ヲ意味スヘク
   又同様
   必然的ニ
   日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スヘシ
 4 無分別ナル打算ニ依リ
   日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル
   我儘ナル軍国主義的助言者に依リ
   日本国カ引続キ統御セラルヘキカ
   又ハ
   理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ
   日本国カ決定スヘキ時期ハ到来セリ
 5 吾等ノ条件ハ左ノ如シ
   吾等ハ右条件ヨリ
   離脱スルコトナカルヘシ
   右ニ代ル条件存在セス
   吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス
 6 吾等ハ無責任ナル軍国主義カ
   世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ
   平和、安全
   及
   正義ノ新秩序カ
   生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ
   日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ
   世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ
   犯サシメタル者ノ権力
   及
   勢力ハ
   永久ニ除去セラレサルヘカラス
 7 右ノ如キ新秩序カ建設セラレ
   且
   日本国ノ戦争遂行能力カ
   破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ
   連合国ノ指定スヘキ
   日本国領域内ノ諸地点ハ
   吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ
   達成ヲ確保スルタメ
   占領セラルヘシ
 8 カイロ 宣言ノ条項ハ
   履行セラルヘク
   又
   日本国ノ主権ハ
   本州、北海道 、九州及四国
   竝ニ
   吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ
 9 日本国軍隊ハ
   完全ニ武装ヲ解除セラレタル後
   各自ノ家庭ニ復帰シ平和的
   且
   生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ
 10 吾等ハ
   日本人ヲ
   民族トシテ奴隷化セントシ
   又ハ
   国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ
   有スルモノニ
   非サルモ
   吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム
   一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ
   厳重ナル処罰ヲ加ヘラルヘシ
   日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル
   民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル
   一切の障礙ヲ除去スヘシ
   言論、宗教
   及
   思想ノ自由
   竝ニ
   基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
 11 日本国ハ
   其ノ経済ヲ支持シ
   且
   公正ナル実物賠償ノ取立ヲ
   可能ナラシムルカ如キ産業ヲ
   維持スルコトヲ
   許サルヘシ
   但シ
   日本国ヲシテ戦争ノ為
   再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ
   産業ハ此ノ限ニ在ラス
   右目的ノ為原料ノ入手
  (其ノ支配トハ之ヲ区別ス)
   ヲ許サルヘシ
   日本国ハ将来
   世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ
 12 前記諸目的カ達成セラレレ
   且
   日本国国民ノ
   自由ニ表明セル意思ニ従ヒ
   平和的傾向ヲ有シ
   且
   責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ
   連合国ノ占領軍ハ
   直ニ
   日本国ヨリ撤収セラルヘシ
 13 吾等ハ
   日本国政府カ
   直ニ
   全日本国軍隊ノ
   無条件降伏ヲ
   宣言シ
   且
   右行動ニ於ケル
   同政府ノ誠意ニ付
   適当
   且
   充分ナル保障ヲ提供センコトヲ
   同政府ニ対シ要求ス
   右以外ノ日本国ノ選択ハ
   迅速
   且
   完全ナル
   壊滅アルノミトス
 ↓↑
 四国首脳会談・・・???
ーー↓↑ーー
 『四谷雑談集』
 (享保十二年(1727年)奥付)
 元禄時代に起きた事件記録
  ↓↑
 「曲亭馬琴」の
 『勧善常世物語』(文化三年・1806年)
  ↓↑
 「柳亭種彦」の
 『近世怪談霜夜星』(文化五年・1808年)
  ↓↑
 「鶴屋南北」
 の
 『東海道四谷怪談』の原典とされた
 ↓↑
 元禄時代
 江戸
 雑司ヶ谷四谷町(豊島区雑司が谷)
 が舞台
 「貞女・岩が
  夫・伊右衛門に惨殺され
  幽霊となって復讐を果たす」
 「鶴屋南北」の歌舞伎
 「三遊亭圓朝」の落語
 の演目
 ↓↑
 町年寄の
 「孫右衛門」
 と
 「茂八郎」
 という人物が
 文政十年(1827年)
 幕府に提出した「調査報告書」
 ↓↑
 四谷在住
 御先手
 鉄砲組同心の
 「田宮又左衛門」
 の一人娘
 「岩」
 は
 「容姿性格」共に難があり
 婿を得ることができなかった
 浪人の
 「伊右衛門」
 は田宮家に婿養子として岩を妻にした
 後
 「伊右衛門」は、上司である与力の
 「伊東喜兵衛」の妾に惹かれ
 「喜兵衛」は妊娠した妾を
 「伊右衛門」に押し付け
 二人は結託し
 「岩」を騙して田宮家から追い払い
 それを知った
 「岩」は狂乱して失踪
 失踪後、田宮家には不幸が続き断絶
 その跡地に怪異が発生し
 「於岩稲荷」が建てられた
 ↓↑
 貞享年間(1684年~1688年)
 四谷左門町
 婿養子の
 「田宮伊右衛門(31歳)」
 と妻の
 「お岩(21歳)」
 が住んでいて
 上役の娘と重婚して子を儲け
 その事を知った
 「お岩」
 は発狂し失踪
 「伊右衛門」
 の関係者が次々と
 「十八人」
 が死亡
 田宮家滅亡後
 元禄年間
 田宮家跡地に
 「市川直右衛門」
 という人物が越し
 正徳五年(1715年)
 「山浦甚平」
 が越して奇怪な事件が起き
 自らの菩提寺
 妙行寺に稲荷を勧請して
 追善仏事
 を行って怪異が止んだ
 ↓↑
 『東海道四谷怪談』
 「鶴屋南北」作の歌舞伎狂言
 全五幕
 文政八年(1825年)
 江戸中村座初演
 ↓↑
 「岩」が毒薬のために
 顔半分が醜く腫れ上がったまま
 髪を梳き
 悶え死ぬ場面(二幕目・伊右衛門内の場)
 「岩」
 と
 「小平」
 の死体を
 戸板1枚の
 「表裏」に釘付けにしたのが漂着し
 「伊右衛門」が
 その両面を反転して見て執念に驚く場面
 (三幕目・砂村隠亡堀の場の戸板返し)
 「蛇山」の庵室で
 「伊右衛門」
 がおびただしい数の
 「鼠」と
 「怨霊」に
 苦しめられる場面
 (大詰・蛇山庵室の場)
 ↓↑
 中村座
 初演時
 『仮名手本忠臣蔵』
 と合わせて
 二日にわたって上演
 ↓↑
 一日目
 『忠臣蔵』の六段目(勘平の腹切)まで
 『四谷怪談』の三幕目(隠亡堀の場)まで
 二日目
 『忠臣蔵』の七段目(祇園一力の場)以降
 『四谷怪談』の三幕以降
 『忠臣蔵』の討入り
 と続けて演じると
 「塩冶義士」
 「佐藤与茂七」
 が
 「伊右衛門」
 を討った後に
 「高師直」の館への討ち入り参加
ーー↓↑ーーー
 「石長比売」
  ・・・「いわ=磐・岩・違和・伊波・伊和・維和」
     「いは=謂話」・・・磐余例
     「なが=那賀・名賀・那加」
     「おさ=訳語・譯語」
 ↓↑
 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
 地神五代の3代目
 日向三代の初代
  ↓↑
  天 津彦 彦 火 瓊瓊杵 尊・・・『書紀』第九段第四の一書
 (あまつひこひこほのににぎのみこと)
 別名
  天饒石国饒石天津彦彦火瓊瓊杵尊
  ↓↑
  天 津彦 根火 瓊瓊杵 尊・・・『書紀』第九段第六の一書
 (あまつひこねほのににぎのみこと)
  火 瓊瓊杵 尊・・・『書紀』第九段第六の一書、第七の一書
 (ほのににぎのみこと)
  天 之杵火火置瀨 尊・・・『書紀』第九段第七の一書
 (あめのぎほほぎせのみこと)
  天  杵瀨 命・・・『書紀』第九段第七の一書
 (あめのきせのみこと)
  天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊・・・『書紀』第九段第八の一書
 (あめにぎしくににぎしあまつひこほのににぎのみこと)
  天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命・・・『古事記』
 (あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと)
  天津日高日子番能邇邇芸命・・・『古事記』
 (あまつひこひこほのににぎのみこと)
  天津日子番能邇邇芸命・・・『古事記』
 (あまつひこほのににぎのみこと)
  日子番能邇邇芸命・・・『古事記』
 (ひこほのににぎのみこと)
 ↓↑
 別称 皇孫・天孫
 陵所 可愛山陵
 ↓↑
 父  正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊・・・(書紀)
    正 哉吾勝 勝 速 日天  忍 穗耳  尊
   (まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)
 ↓↑
 母  栲 幡 千千姫  命
   (たくはたちぢひめのみこと)
    万幡豊秋津師比売命
    天 万  栲 幡 媛 命
   (アマヨロズタクハヒメノミコト)
    天 萬  栲 幡千幡 姫
   (アマヨロズタクハチハタヒメ)
 ↓↑
 配偶 鹿葦津姫(かしつひめ)
    木花開耶姫(このはなのさくやびめ)
    神吾田津姫
    ↓↑
    姉は
   「石長比売(いわながひめ)」
 ↓↑
 子  火闌降命
    火須勢理命(ほすせりのみこと)
    火照命(ほでりのみこと)
    瓊々杵尊と木花開耶姫の第二子
    神武天皇(初代天皇)の大伯父
   「海幸彦」
    ↓↑
    彦火火出見尊
    火折尊(ほおりのみこと、火遠理命)
    彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
    瓊々杵尊と木花開耶姫の子
    神武天皇(初代天皇=磐余彦)の祖父
   「山幸彦」
    ↓↑
    天火明命(あめのほあかりのみこと)
 ↓↑
 『古事記』
 瓊々杵尊
 と
 木花開耶姫
 の子
 ↓↑
 第一子が火照命(ホデリ=海幸彦)
 第二子が火須勢理命(ホスセリ)
 第三子が火遠理命(ホオリ=山幸彦 or 日子穂穂手見命)
 ↓↑
 『日本書紀』
 瓊々杵尊
 と
 木花開耶姫
 の子
 ↓↑
 第一子が火闌降命(ホスソリ=海幸彦)
 第二子が彦火火出見尊(ヒコホホデミ=山幸彦)
 第三子が火明命(ホアカリ)
 一書で
 海幸彦=火酢芹命(ホスセリ)
 山幸彦=彦火火出見尊(or 火折尊)
 ↓↑
 「海幸彦=火闌降命=隼人の祖=阿多君」
 ↓↑
 岩媛(姫・嬪・比売)の秘密・・・「お岩」さんの秘密
 ↓↑
 『古事記』で
 「石長比売」
 『日本書紀』・『先代旧事本紀』で
 「磐長姫」
 「苔牟須売神」
 とも称される
 ↓↑
 「大 山 津見 神」
 (おほやまつみのかみ)
 の娘で
 「木 花 之佐久夜 毘売
 (このはなのさくや びめ)」の姉
  このはなシさくヨルひめ?
  此の噺  作 撚る備愛?
 ↓↑
 「木花之佐久夜毘売」
 とともに
 「天孫邇邇芸命(ににぎ)」
 の元に嫁ぐが
 「石長比売」
 は醜く父の元に送り返された
 「大山津見神」は怒り
 「石長比売を差し上げたのは
  天孫が岩のように永遠のものとなるように
  木花之佐久夜毘売を差し上げたのは
  天孫が花のように繁栄するようにと
  誓約を立てたからである」
 「石長比売」を送り返したことで
 「天孫の寿命が短くなる」
 だろうと告げた・・・?
 ・・・「カミの子」も死ぬ・・・?
 ↓↑
 『日本書紀』に
 妊娠した
 「木花開耶姫」を
 「磐長姫」が呪ったと記述
 「人の短命」の起源
 ↓↑
 『古事記』
 「大山津見神」の娘
 「木花知流比売(このはなちるひめ)」
 は
 「須佐之男命」の子の
 「八島士奴美神」と結婚した
 「木花知流比売」=「石長比売」
 の別名・・・?
 このハナ
 (塙・鼻・洟・華・英・端・塙)を
  塙 保己一(はなわ ほきいち)
       葉名話 保記位置
             伊地・壹・聿・佚・軼
             移置・意知
 「木花 知流比売」
    知って
    流用し
    比較して売る・・・・?
    非買・・・肥培・・・?
 ↓↑
 塙 保己一(はなわ ほきいち)
 延享三年五月五日
 (1746年6月23日)
 ~
 文政四年九月十二日
 (1821年10月7日)
       大運1821年3月(74歳)壬寅食神
 丙┏寅(戊丙甲)偏官・偏財 絶⇔辛巳劫財
 甲┣午(丙 丁)偏財・印綬沐浴⇔丁酉正官
 庚┣子(壬 癸)  ・傷官 死⇔己未印綬
 壬┗午(丙 丁)食神・印綬沐浴⇔庚午比肩
   辰巳空亡
 ↓↑
 江戸時代の国学者
 幼名は丙寅にちなみ
 「寅之助(とらのすけ)」
 7歳の春に失明
 失明後
 「辰之助(たつのすけ)」
 「多聞房(たもんぼう)」
 「千弥(せんや)」
 「保木野一(ほきのいち)」
 「保己一(ほきいち)」
 と改名
 『群書類従(666冊)
  続群書類従(1885冊)』
 の編纂者
 総検校・贈正四位
 ↓↑
 四男は、国学者の塙忠宝
 ↓↑
 石長(いしなが・セキチヨウ)比売
 岩長(いわなが・ガンチヨウ)比売
 ↓↑
 岩(ペトロ)の長(おさ=訳語)
 ペトラ遺跡
 「ペトラ」=ギリシャ語「岩」
 岩=rock・・・lock(鍵=金+建)
 ↓↑
 英語 ロック(rock)
 独語 フェルゼン(Felsen
 仏語 ロッシュ(roche)
 仏語 ローク(roc・地中に根を張っている岩)
 仏語 ローシュ(roche・地上の岩、岩石)
 仏語 ロシェ(rocher・切り立った岩、岩壁、岩礁)
 伊語 ロッチャ(roccia)
 伊語 ロッチア(roccia)
 西語 ローカ(roca)
 西語 ロカ(roca)
 羅語 ルーペース(rupes)
 希語 ペトラー
 露語 スカラー
 蘭語 ロツ(ROTS)
 色語 セラア
 布哇語 ポーハク(pōhaku)
 土耳古語 カヤ(kaya)
 「永遠性」
 「岩のように
  長久に変わることのない女性」
・・・違和・伊波・維和・伊和・意倭・・・
 ↓↑
 「木花之佐久夜毘売」
 「石長比売」
 石(岩)がイワを名前に含んだ女性
 磐余=いわれ=謂われ
  神 倭  伊波礼 毘古=若御毛沼命=神武天皇
 (かむやまといわれ びこ)
 若御毛沼(わかみけぬ)命
 神倭伊波礼毘古(かむやまといわれびこ)命
 始馭天下之天皇(はつくにしらししすめらみこと)
 瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと) の曽孫
 ↓↑
 「石長比売」を祀る神社
 雲見浅間神社(静岡県賀茂郡松崎町)
 大室山(静岡県伊東市)の浅間神社
 伊豆神社(岐阜県岐阜市切通)
 その他の浅間神社では
 「木花之佐久夜毘売」
 と共に祀られている
 ↓↑
 本殿に祀る神社
 滋賀県草津市
 伊砂砂神社
 祭神
 石長比賣命
 寒川比古命・寒川比女命
 伊邪那岐命・素盞嗚命
 五神
 ↓↑
 雲見浅間神社
 大室山浅間神社
 に
 「石長比売」のみが祀られているのは
 富士山の
 「木花之佐久夜毘売」
 と対峙して祀られている
 ↓↑
 伊都国の中心
 福岡県糸島市三雲の
 細石(さざれいし)神社
 「木花之佐久夜毘売」
 と共に祀られている
 ↓↑
 貴船神社(京都市左京区)の
 結社(ゆいのやしろ)
 縁結びの神として祀られている
 ↓↑
 兵庫県尼崎市
 磐長姫神社は
 貴布禰神社に関係する・・・?
 ↓↑
 筑波山(茨城県つくば市)
 月水石神社
 「石長比売」が祀られ
 「石長比売」の歿した磐座がある
 ↓↑ 
 宮崎県西都市
 銀鏡神社
 「石長比売」
 が鏡に映った自分の醜い容姿を嘆き
 遠くに投げた鏡が
 ご神体・・・
 ↓↑

 Frozen=フラウズン=freeze の過去分詞
      冷凍の・寒さで凍った・氷結した
      氷で覆われた・氷の張った
 「氷高姫=氷高皇女
      元正天皇日本根子高瑞浄足姫天皇
      第44代 ; 694年, 持統8年, 15歳, 藤原京遷都
      697年, 文武元年, 18歳, 持統天皇
      氷高の弟「珂瑠皇子」に譲位→文武天皇即位(15歳)
      氷高皇女(ひだかのひめみこ)
      諱 氷高(日高)、新家(にいのみ)内親王
      諡号 日本 根子 高瑞  浄 足  姫  天皇
        (やまとねこ たかみずきよたらしひめのすめらみこと) 
      生没年 680(天武九)~748(天平二十)
      父 草壁皇子
      母 阿閉皇女(元明天皇)
 ↓↑
    天照大神
    ┏━┻━┓
 天穂日命 天忍穂耳尊
   ┃   ┃
 出雲氏 瓊瓊杵尊┳木花之佐久夜毘売
┏━━━━━━╋━━━━━━┓
 天火明命  火折尊     火須勢理命
  ┃     ┃      ┃
 尾張氏   鸕鶿草葺不合尊  隼人
         ┃
        神武天皇

ーー↓↑ーー
 シュメール人の自称=黒頭人(saĝ-gig・𒂵・saĝ-gig-ga)人・・・
               佐賀-字具   雑賀-字具-画・・・?
       黒髪人=玆髪・・・コクハツジン=告発訊・語句捌字務?
              =玄(くろ・黔・黯
                 黭・黮・黰・𡉕)
               かみ
               ジン・・・訊・塵・壬・儘・尋・秦?

 シュメール=アッカド語由来・・・諏目會留?
       1869年
       フランス学者
       ジュール・オッペール
       がこの楔形文字を発明した未知の民族を
      「シュメール人」と名付けた

 シュメルム地域=キエンギル・Kiengir
         カラム(kalam・国土・土地)・・・絡む・加羅母
         非文明的な東方の
         クルクル(Kurkur・外の国々・外国)
         と対立語
         前5500年頃
         ウバイド文化 は
         メソポタミア・・・
             目素保多見(たみ)蛙(亜・阿・婀・倦・丫・蛙)?
         に誕生した先史文化
         イラク南部ジーカール県の
         ウル遺跡の西6キロメートルに
         テル・アル=ウバイド という遺丘(テル)で発見
         新石器時代~銅器時代の遺跡の文化
         前3500年頃~前3100年頃
         ウル文化・・・雨流・宇留・有婁(瑠)?
         ウルク期の後期
         都市ウルクで初めて
         粘土板に
         記号(絵文字)を刻んだ記録システム登場
         文字の発明は「シュメール人」・・・

        「シュメール王名表」
         古代メソポタミアで
         シュメール人、及びセム系などの
         他の民族の王朝の王を
         シュメール語で列記した古代のテキスト
         後世のバビロニア王名表
            アッシリア王名表もこれと同様のもの
         王名表
        「公式な」王権や王の推移が
         王の在位年数とともに記録・・・
         アッカド帝国
         メソポタミア最初の古代帝国
         アッカド市が中心の周辺地域は
         聖書においてもアッカドと呼ばれ
         アッカド語とシュメール語の話者が
         この国の下に統一された
         サルゴン(Sargon)・・・猿権
         アッカド語表記は
         シャル・キン(Sharru kin)・・・猿金武?
         在位 紀元前2334年頃~紀元前2279年頃
         アッカド帝国を建国

 ↓↑
 メディア情報・・・メディア=目出易蛙?・・・
         「遮光土偶の目」=goggles=ゴーグル
         『シュメールシュメール(Sumer)人』の目・・・
          まん丸?
          ↓↑
          富登多多良伊須須岐比売
          ほとたたらいすすき(ぎ)ひめ)
          富登多多良伊須須岐比売
          ヒメタタライスズヒメ
         (媛蹈鞴五十鈴媛)
          媛=女+爰
          蹈=足+舀
          韛=韋+艹+厂+用
              艹+丆+用・・・丆=面の略字?
              艹+一+丿+用
              矢をいれる「えびら」・・・
            吉備(きび)
            備前(びぜん)
            備中(びちゅう)
            備後(びんご)
            備前=吉備道前国(きびのみちのくち)
            ↓↑
            備前権守任官
            源 直
            寛平七年二月十一日(895年3月11日)
            ~
            寛平九年五月二十五日(897年6月28日)
            備前権守任官
            藤原道長 - 永延元年七月十一日(987年8月8日)
            ↓↑
            備=異体字・・・備=亻+𤰇(𠀗+用・龷+丿+用)
             「僃・俻・偹・㑲・㣁・㸢・葡・𠃰
              𠈍(古字)・𠏆・𤖤・𤰅・𤰇・𤰈・𦯞・𪝌」
             困憊・・・憊=備+心
韛(ハイ・フク・えびら=箙・ふいごう)⇔備
              韊     不意合 韋⇔イ(人)
          ↓↑
          五=丆+ユ=一+丿+ユ
          十=拾・足・Ⅹ
          鈴=金+令
          媛=女+爰
          命=亼+叩=𠆢+一+口+卩
          ↓↑
          ヒメタタライスケヨリヒメ
         (比売多多良伊須気余理比売)
          比売多多良伊須気余理比売命
               伊須気余理比売
             父=事代主神=「八尋熊鰐」
               大物主
             母=玉櫛媛=玉依媛(たまよりひめ)
               勢夜陀多良比売
          が驚いたのは
         「大久米命」の「丸い目」・・・?
 ↓↑        ↓↑
 「大久米命(おおくめ の みこと)」
 久米直(くめのあたい)の祖(古事記)
 「大来目」(日本書紀)
 大久米命の祖先
 天津久米命(あまつくめのみこと)古事記
 天槵津大来目(あめくしつおおくめ)書記
 『古事記』では
 「大久米命」と「道臣命」は対等
 『書紀』では
 道臣命が久米部に司令
 後
 大伴氏が久米部を管轄・・・
  ↓↑
 『古事記』
 「大久米命」
 は結婚前の神武天皇の皇后
 「伊須気余理比売」
 に歌で呼びかけ
 天皇との媒介をつとめ
 その中で歌われた
 旋頭歌で
 「黥(さ)ける利目(とめ)」
 とあり
 「目のまわりに入れ墨」をしていた・・・ 
 ↓↑
 夜麻登能=やまとの(倭の)
 多加佐士怒袁=たかさじぬを(高佐士野)
 那那由久=ななゆく(七行く)
 袁登賣杼母=をとめども(媛女ども)
 多禮袁志摩加牟=たれをしまかむ(誰をしまかむ)
 ↓↑
 大和国の川の畔の高台をゆく
 七人の乙女のうち誰を妻とするか
 ↓↑
 加都賀都母=かつがつも(かつがつも)
 伊夜佐岐陀弖流=いやさきだてる(いや先立てる)
 延袁斯麻加牟=えをしまかむ(兄をしまかむ)
 ↓↑
 先頭をいく年長者(イスケヨリヒメ)にしよう
 ↓↑
 阿米都都=あめつつ(天地)
 知杼理麻斯登登=ちどりましとと(千鳥真鵐)
 那杼佐祁流斗米=などさけるとめ(など黥ける利目)
 ↓↑
 あなたはなぜ
 いろいろな鳥のように
 目のまわりに入れ墨をして
 鋭い目つきをしているのか
 ↓↑
 袁登賣爾=をとめに(媛女に)
 多陀爾阿波牟登=ただにあはむと(直に逢わんと)
 和加佐祁流斗米=わがさけるとめ(我が黥ける利目)
 ↓↑
 あなたのことを直接よくみるために
 鋭い目つきをしているのです
 ↓↑
 イスケヨリヒメは嫁入りを承諾
 阿斯波良能=あしはらの(葦原の)
 志祁志岐袁夜邇=しねしきをやに(穢しき小屋に)
 須賀多多美=すかたたみ(菅畳)
 伊夜佐夜斯岐弖=いやさやしきて(いや清敷きて)
 和賀布多理泥斯=わかふたりねし(我が二人寝し)
 ↓↑
 河原の草むらにある
 むさ苦しい小屋に
 スゲの畳をきれいに敷いて
 二人で寝た
  ↓↑
 「佐祁流斗米=さけるとめ」・・・「黥(さ)ける利目」なのか???
           「鯨面・入墨・黥=いれずみ・ゲイ・ケイ」
                    入墨・文身・刺青
  佐=イ+ナ+工
  祁=示+阝(邑)=キ・ギ=礻+阝
           おおいに・おおきい・さかんに・はなはだ 
  流=氵+云+丿+丨+乚=氵+二+ム+儿+丨
   =㳅=氵+不・・・根拠のないこと
            いいかげんなこと
            確かでない
            流言飛語
     㐬=亠+厶+川
       トツ
       リュウ
       子が生まれる
       突出する=突
       はたあし=旒
     ↓↑
     疏=疋+㐬・・・梳・・・髪を梳く櫛
       乛+龰+亠+厶+川
       乛+止+亠+厶+川
       ショ
       ソ
       あらい
       うとい
       うとむ
       おろそか
       とおす
       とおる
       まばら
       うとい・親しくない
       よく知らない=疎・・・疎通
       とおざける=疎・・・疎遠・疎開
       愚か・おろそか=疎・・・粗末・粗雑
       あらい・・・荒い
       おおまか・おおざっぱ・まばら=疎
       とおる・通ずる・通じさせる=疎
       分ける・分かれる・分かつ=疎
       除く・取り除く・洗い去る=疎
       わけて示す・箇条書きにする
       ときあかす
      「三経義疏」
  ↓↑
  斗=ン+十・・・・・北斗七星
  米=八+十+八・・・八十八夜(はちじゅうはちや)は雑節の一
           立春を起算日(第1日目)として
           八十八日目(立春の八十七日後の日)
  ↓↑
 goggle=ぎょろぎょろする・驚いて目を丸くして見る
     to goggle one's eyes
 goggles=安全めがね・ゴッグル(ちりよけ眼鏡・保護めがね)
      保護眼がね・溶接保護めがね

 ↓↑
 メディア情報
 media information
 メディア=Media・media=ミーディア
 メディア(media)=情報の記録、伝達、保管
           などに用いられる物や装置
 medium=ミディアム(単数)
 media blackout
 報道管制単語帳
 media blitz
 大々的なメディアキャンペーン
 media blunder
 メディアの誤り、マスコミの失態、報道のミス、報道の間違い
 マスメディア=mass medium
        新聞、出版、放送などの大量伝達手段
 ↓↑
 メデア=Medea
 アルジェリア北部
 アルジェリア県の県都
 首都アルジェ南西 60km
 テルアトラス (アトラステリエン) 山脈
 と
 カビリア地方を分ける標高 900mの高地
 アルジェとサハラ地方を結ぶ交通路
 東西に
 シェリフ平野
 イセル平野
 結ぶ交通路の交差
 ローマ時代
 軍事基地
 10世紀
 ベルベルのジール朝
 ユースフ・ブルッギーン・イブン・ジーリー
 によって再建
 14世紀
 オスマン帝国の太守の居城
 1835年
 アブドゥル・カーディル
 がここでフランス軍に抵抗
 1840年
 フランス軍によって占領
 ↓↑
 medea
 メーデイア(古希: Μήδεια, Mēdeia)
 ギリシア神話
 コルキス(グルジア西部)の王女
 イアーソーン率いる
 アルゴナウタイの冒険を成功に導いた
 ↓↑
 太陽神
 ヘーリオスの孫
 魔女
 キルケーの姪
 ↓↑
 タウリケー王
 ペルセースの娘
 ヘカテー
 と
 アイエーテース
 の娘・・・キルケー、アイギアレウスと兄弟説
 ↓↑
 メーデイアは
 イアーソーンとの間に
 メーデイオス
 メルメロスとペレース
 あるいは双生児の
 テッサロスとアルキメネース
 ティーサンドロス
 を生んだ
 アテーナイ王
 アイゲウスとの間に
 メードスを生んだ・・・
 ↓↑
 メーデイア=眼輝く乙女
 メーデイア
 キルケー
 がヘーリオスの子孫の証の
 黄金色の光を発する輝く瞳を持つ
 ヘカテー神殿に仕える巫女
 ヘカテーの魔術に長けていた
 その名は
 「慮る、統治する女性」
 を意味
 コリントスで崇められた主女神
 ↓↑
 メーデイア
 女神ヘカテーからあらゆる
 魔法の薬草とその扱い方を教わった
 月の女神
 セレーネーを恋の魔法で
 エンデュミオーンのいる地上に引き下ろし
 夜空から月明かりを消し去った
 ↓↑
 メーデイアの薬草の知識
 「プロメーテイオン」と呼ばれる薬草
 コーカサスの山頂に縛られた
 プロメーテウス
 が不死身の大鷲に肝臓を食われた際
 大地に飛び散った
 イーコールから生まれ
 この薬草から作った魔法の薬を
 真夜中にヘカテーに供儀した後
 身体や武器・盾に塗りつけると
 1日の間だけ刃や火から身を護り
 ↓↑
 眠りの魔法
 若返りの魔法
 ・・・
ーーーーー
 「魔法」ではなく、カンジの選択・・・???
 どんなカンジも・・・「片仮名言語」のその意味で当て字出来る・・・
 ・・・???
  ↓↑    ↓↑ 
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/2
 ↓↑
 干支歴
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
 ↓↑

 

コメント
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ファン大変、選手迷惑・あぁ君、観ずや感激の涙に噎ぶ我が選手

2022-02-15 22:59:33 | 古事記字源

 迷惑「腐有鴆」、「烏克蘭」大変・・・天変地異・・・
 2022/2/15・火曜日・・・
 朝の7時半~寒気の流れる交差点でタチんぼう・・・
 毎月15日は交通安全委員の任務義務・・・
 登校の子供達と「おはようございます」の挨拶交換・・・
 ↓↑
 ・・・残念・・・ナミダの悔しさ・・・
 報われないこともアルが・・・
 個々人の
 喜怒哀楽、悔しさのレベルには
 「主観的な質」がある・・・
 ↓↑
 鑑賞、観客で
 大きな、過大な他者への期待は、自己破滅の前兆カモ・・・
 スポーツは視るというよりヤルもの・・・
 そして規則遵守、礼節・・・
 でも、ファン・・・不安・・・
 ファン(fan)大変、選手(athlete)迷惑・・・
 「あぁ、君、みずや、感激の涙に噎ぶ我が選手」
 ↓↑
 選手大変、忖度収賄審判迷惑・・・誤倫ではない
 選手大変、ルール審判の迷惑・・・黒い虚倫・・・
 ↓↑
 ハンニチ迷惑、1000年愚民
 ピープル大変、liar taiga tundra president もっと大変・・・
 ↓↑
 蚊 在 tundra
 1953年1月24日
     大運2016年8月(63歳)庚申・正官
 壬辰(乙癸戊)印綬・正財冠帯⇔壬寅・印綬
 癸丑(癸辛己)偏印・偏財 衰⇔壬寅・印綬
 乙亥(戊甲壬)  ・印綬 死⇔庚子・正官
 壬午(丙 丁)印綬・偏財長生⇔壬午・印綬
  申酉空亡
 ↓↑
 迷惑「腐有鴆」、「烏克蘭」大変・・・
 ↓↑
 ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン
 裏 字意視留 裏 示威視魯武威痴 腐有鴆?
 (Vladimir Vladimirovich Putin)
 1952年10月7日
        大運2013年1月(60歳)丙辰比肩
          2023年1月(70歳)丁巳劫財
 壬┏辰(乙癸戊)偏官・食神冠帯⇔壬寅・偏官(2022)
  合辛
 己┣酉(庚 辛)傷官・正財 死⇔壬寅・偏官(02)
  害 
 丙┣戌(辛丁戊)  ・食神 墓⇔庚子・偏財(16)
  半合
 甲┗午(丙 丁)偏印・劫財帝旺⇔壬午・偏官(12)
   午未空亡
 センソウ大変、people迷惑・・・
 ↓↑
 2022/2/18:3~5・・・?
 壬 寅(己・丙・甲)
 壬 寅(己・丙・甲)
 壬 寅(己・丙・甲)
 壬 寅(己・丙・甲)

 ↓↑
 天変地異・・・島原大変、肥後迷惑・・・
 ↓↑
 1792年5月21日(寛政四年四月一日)
 壬子(壬 癸)正財・偏財 絶
 乙巳(戊庚丙)偏官・印綬帝旺
 己巳(戊庚丙)  ・印綬帝旺
 庚午(丙 丁)傷官・比肩建禄
  ↓↑
 「島原大変、肥後迷惑」
 死者・行方不明者
 合計15,000人
 約3分の1が肥後領側
 ↓↑
 九十九島 (島原市)
 山体崩壊
 眉山 (島原市)
 ↓↑
  島 原 大 変 肥後迷 惑
 (しまばらたいへんひごめいわく)
  肥前国島原(長崎県)
  雲仙岳
  火山性地震
  眉山の
  山体崩壊(島原大変)
  津波が島原や対岸の肥後国(熊本県)を襲った
  新月の夜
  大潮
 ↓↑
 前駆地震群
 1791年(寛政参年)十一月ごろから
 雲仙岳西側で有感地震が多発
 震源が徐々に
 普賢岳に向かう
 ↓↑
 普賢祠前の噴火
 新焼溶岩の流出
 1792年2月10日(寛政四年一月十八日)
 普賢岳噴火
 溶岩流・火山ガスの噴出
 溶岩は2か月掛けて2キロメートル
 千本木と呼ばれた部落まで流れた
 穴迫谷(あなさこたに)
 の谷を埋めた
 ↓↑
 三月朔
 地震群
 今村の地下水位上昇
 1792年4月1日(寛政四年三月一日)から
 地震が群発
 普賢岳、噴火
 噴石で
 眉岳・天狗岳(708メートル)に落石
 地割れ
 島原の近くに震源移動
 4月21日~
 地震活発
 ↓↑
 四月朔
 地震
 眉山山体崩壊
 5月21日の夜
 2度の地震
 眉山の南側部分が崩壊
 3億4000万立方メートルの土砂が
 島原城下を通り有明海へ流れ込む
 崩壊前には楠平で地下水の上昇
 ↓↑
 地震と湧水変化
 崩壊後
 上の原に自噴井
 眉山は
 「六筋の堅割」が生じ
 泥水が噴き出す
 六月朔日
 普賢岳山頂で再噴火
 地震の度に眉山が2次崩壊
 ↓↑
 崩壊原因・・・諸説
ーーーーー
 ・・・???
 二月十五日
 ↓↑
 涅槃会(ネハンエ)=涅槃講・涅槃忌
          =常楽会(ジョウラクエ)
 釈迦の入滅の日に行われる法要
 本来は
 旧暦2月15日
 十大弟子
 諸菩薩
 天部
 獣畜
 虫類
 などまでが嘆き悲しむ日
 ・・・「クモのナミダはアメ」・・・?
 ↓↑
 春分日
 ユリウス暦3月25日
 ↓↑
 1582年の最も適当な月に10日間を省く
 1582年2月24日発布
 ユリウス暦
 1582年10月4日木曜日の翌日を
 曜日を連続させ
 グレゴリオ暦
 1582年10月15日金曜日
 とした
 10月4日木曜日→・・・・・・・・・・・・→10月15日金曜日
         「5 6 7 8 9 10 11 12 13 14」日を除去
 ↓↑
 1582年10月15日金曜日から
 「グレゴリオ暦」
 を行用
 ↓↑
 ニサン14日(過越の準備の日)
 「ナザレ」・・・名戯れ・・・名(拿・納・奈)戯言?
 の
 「イエス(Jesus・移鼠・基督)」が処刑された日
 ↓↑
 春分後の最初の
 太陰月14日の直後の
 日曜日を
 復活日とした
  ↓↑
 「復活祭」
 ニサン月14日の
 ・・・二サン=「二・貳・貮・弐・仁・邇・爾・似」纂?
     壱拾四(亖・肆)日(ニチ・似値)?
 満月の日の直後の
 日曜日
 ↓↑
 猶太(ユダヤ)歴
 「ニサン月15日」=正月・大麦収穫の始まりを祝う月
         =別名「アビブの月」
          バビロニア語「ニサンヌ」に由来
          太陰太陽暦で
          第13月(閏月)の挿入を
          19年に7回の頻度(メトン周期)
          中国の陰暦で
          仲春(旧暦2月)
          季春(旧暦3月)
          グレゴリオ暦の
          3月末~4月頃の
          満月(十五夜)の日
  ↓↑
 「過越祭(除酵祭)」
 ユダヤ暦の
 「ニサン15日」
 から始まる一週間
 「ペサハ」
 と呼ばれるユダヤ教の三大祭りの一
  ↓↑
 「過ぎ越しの日」
 「すべての初子を殺す(撃つ)」
 二本の門、鴨居に
 子羊の血のついている家は
 災厄から免れた
 ↓↑
 「過越祭(除酵祭)」
 西暦 没後開始 過越祭  21日の日没前終
 2022年 4月15日 4月16日 4月22日
 ↓↑
 1564年
 2月15日(ユリウス暦)
 ガリレオ・ガリレイ
 (Galileo Galilei)
 ユリウス暦
 1564年2月15日・・・???
  ↓↑  ~
  ↓↑  グレゴリオ暦
  ↓↑  1642年1月8日
  ↓↑    大運1639年8月(75歳) 丁巳比肩
  癸 亥(戊甲壬)偏官・正官 胎⇔辛巳偏財(1642)
  甲 子(壬 癸)印綬・偏官 絶⇔辛巳偏財
  ↓↑
  乙┏丑(癸辛己)偏印・食神 墓⇔辛丑偏財(01)
  丙 寅(己丙甲)劫財・印綬 死⇔辛巳偏財
  ↓↑
  丁┗未(丁乙己)  ・食神冠帯⇔己酉食神(08)
  ↓↑
  丙┗午(丙 丁)劫財・食神建禄⇔庚午正財(12)
    寅卯空亡

 ↓↑
 1942年2月15日
 第二次世界大戦・太平洋戦争
 シンガポールのイギリス軍
 山下奉文中将
 率いる日本軍に無条件降伏
ーーーーー
 ・・・???
  ↓↑    ↓↑ 
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/2
 ↓↑
 干支歴
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
 ↓↑

 

コメント
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