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コジキジゲン

「若非吾故人乎?」・・・

2016-07-31 23:39:38 | 古事記字源

 ・・・東京都知事選・・・「百合の花」は「ジャンヌ・ダルク」ほど「若い乙女」ではないらしいが、「鬼百合」で、エジプト学者で、国防なら現代の「ネフェフェルテイ女王」か、「クレオパトラ7世」・・・「エリザベス1世(ユリウス暦1533年9月7日~グレゴリオ暦1603年4月3日(ユリウス暦1602/3年3月24日)・イングランドとアイルランドの女王(在位1558年~1603年)・ヘンリー8世の次女)」や、「マーガレット・サッチャー」なら女海賊であったカナ・・・「エリザベス1世」は「乙女(処女)?」だったらしいが、「Ⅰ603-1533=70」歳のバァバァだが「鬼女の般若の智恵」でドウするんだか・・・
 「匿名(トクメイ)」の「匿(トク)」の漢字の構成がナゼ、「匸+若」→「若(艸+右)→艹(艸)+ナ+口)」であるのか?・・・「匿名(トクメイ)」・・・特命・徳明・徳命・・・「解く名」であるカナ・・・
 「日本国憲法第15条4項」で、選挙において「投票は匿名が義務」付けられ、「投票者の無答責(答えに責任をもたないこと)も明示」している?・・・戦前は「国家無答責の原則」とやらがあった。その意味は「行政権力の行使について国家は賠償の責任を負担しないという原則」であったらしい・・・国家が雇った公務員、その下請けの事業者の「個人的な犯罪」は「国家が責任」を有する・・・?
 「匿(かくす・かくまう・トク・隠して現さない・隠れる)」・・・「匿名・隠匿・竄匿(ザントク)・潜匿・蔵匿・秘匿」・・・マスゾエもアマリもだが・・・アマリが無起訴とは「検察の脳ミソ」を疑う・・・
 「匿=かくれる・ひそむ・かくす・つつみかくす・かくまう・にげる・のがれる・さける・かくれた悪事・よこしま・ニョク(表外)・ジョク」
 「得(トク・うる・える)=利益を得ること・もうけること・利益」
 「匚(はこがまえ)」+「若」
  or
 「匸(かくしがまえ)」+「若」
 「若」=わかい・もしくは・もし・ごとし
     ジャク・ニャク・ニャ
     若年・若輩
     …の ようだ
     …の ごとし
なんじ(汝)・あなた
 「もしくは・わかい・したがう・かくのごとく
  もし・ごとし・なんじ・若(し)かざる」
 「手を挙げて祈る巫女を象る物であり、「艸」(草)とは関係ない。髪をとく、体の柔らかい女性を象る(藤堂)。手や髪の部分が、草冠のように変形した。後に「口」を添え、「神託」の意を強くした(藤堂)、又は、神器を添えたものとも(白川)。神託から、「かく」「ごとし」の意が生じる。「わかい」巫女が祈ることから、「わかい」の意を生じたものか。音は、「女」(本当?)「如」「弱」「茹」等と同系で、「やわらかい」の意を含む。また音を借り、中称の代名詞、助詞や接続詞に用いられた」
 「若干・・・・・「わずか・いくらか・少しばかり・多少」
  若年
  若者
  若人
  自若・・・・・「落ち着き、動揺、乱れもない」
  泰然自若・・・「慌てず、驚かず、落ち着いて」
         「平常心を失わず」
  般若・・・・サンスクリット語=プラジュニャー
        パーリ語=パンニャー
        「漢訳の音写」
        「般若=斑若・鉢若・般羅若・鉢羅・枳嬢」
            智慧(チエ)・仏教の悟りの智慧
        「般若の面」=鬼女の容貌の面
  般若湯・・・知恵の飲み物・酒・清酒
  老若男女
  般惹・・・・惹=ひくひく・ひきつける・ジャク
          惹起・惹句
          ひく(引)・引きつける・引き寄せる
          乱れる
          まつわる・からみつく
          そばについていていく
  若非・・・・「若非吾故人乎」
        「若(なんぢ)は
         吾(わ)が
         故人(知り合い)にあらざるか」
  若即若离・・・「どっちつかず・つかず離れず」
  若明若暗・・・「黄昏・薄暗闇・ぼんやり」
  若是・・・・・「もし…であるなら」
  若无其事・・・「何事もなかったようである
          とぼける・さりげない」
  若要人不知、除非己莫為
  若有所思
  若有所失
  若有所悟」
ーーーーー
 ↓↑
 「詠み人知らず」
 歌の撰集で、作者が不明か、
 人物を明らかに示しにくい事情があるときに記載する語」
 ↓↑
 ・・・「匿名」・・・?
 ↓↑
 「古代、中世の日本の和歌集において、
  作者(よみ人)が不明、
  匿名であることを示す表現」
 「詠み人知らず、読み人知らず」
 とも書く
 ↓↑
 よみびとしらず・・・ヨミビト知らず
           黄泉(毘訳・秘訳)知らず?
 ↓↑
 作者不詳の場合
 読者である宮廷人には
 知られていない作者、
 低い身分(下級役人、民衆)である場合
 皇族に縁のある身分や出自の人物が
 失脚した人物など、
 名を載せることが
 政治的に憚られる場合
 勅を発した
 天皇・上皇自身が
 名前を伏して入撰させたもの
 家集時点で名前が伏されたもの
 万葉集では名前の記載があるが、
 撰歌当時名前が不明だったもの
 特定の歌人が
 多くなりすぎた場合など、
 編者の編集の都合による場合
 などが挙げられる・・・
 ↓↑
 ・・・「白地蔵」の訓読み?
ーーーーー
 平忠度・・・『千載和歌集』に
      「詠み人知らず」として入れられた
 後鳥羽上皇・・・『新古今和歌集』の
      夏歌に
      山部赤人の歌として撰歌したが、
      後撰和歌集の「よみ人知らずの歌」と
      同じである事が後で判明し、
      仮名序を書き替える訳にいかなかったため、
      古来よりあると
      藤原定家の提案により、
      後鳥羽院が
      本歌取りをして、
      よみ人知らずとして差し替えた
      ・・・摸倣・模倣・・・真似・・・盗作?
 大伴家持・・・『新古今和歌集』の
      賀歌に「よみ人知らず」として入撰
      だが、
      万葉集
      巻二十では
      大伴家持の歌・・・
ーーーーーー
 ・・・「白地蔵」の訓読み?、あるいは「カクレアソヒ・かくれあそび」に宛てた漢字?・・・「白痴(痴呆)」・「白地(白浜・新羅)=紙、布などの、まだ書いたり染めたりせず、白い ままのもの・しろじ・きむすめ=処女・法律上の調査、規制などのなされていない土地・更地(さらち・新地)」、「白地、青地、赤地、ドロ揚地とは、現況は存在するが、公図上で地番記載がない土地の呼称」、「白雉(白キジ→誌賂記事)」の「句等」・・・?・・・「記事の空白」だろう・・・
 ↓↑ ↓↑
 「かくれあそび=白地蔵」・・・「白地の蔵」・・・?
 院政時代の『色葉字類抄』に、
 白地蔵=カクレアソヒ
 かくれ‐あそび=隠遊
     かくれんぼう()
 宇津保物語=かくれあそびをやし侍らん
 色葉字類抄=白地蔵をカクレアソヒ
 人情本・春色玉襷=人に隠れて遊ぶこと
 栄花物語=つぼみ花「ともすれば
           御かくれあそびの程も
           童げたる心地して」
 かくれ‐あそび=遊廓などで遊興すること
 西洋道中膝栗毛(仮名垣魯文)=隠(カク)れあそび
 金色夜叉(尾崎紅葉)=隠遊(カクレアソビ)の風流
 隠れん坊
 かぐりあんびい=沖縄県与那国島
         学校へ行かずに隠れて遊ぶこと
 かくねあそび=千葉県市原郡
 白地蔵=隠遊
 院政時代の
 「色葉字類抄」に、
 「白地蔵(カクレアソヒ)」
 「白地蔵」の訓みを「カクレアソヒ」
 鎌倉時代の古写本である
 観智院本
 「類聚名義抄」
 にも、
 「白地蔵(カクレアソヒ)」
 「白地蔵」=「カクレアソヒ」
 二巻本『色葉字類抄』、
 古冩本『節用文字』、
    『世俗字類抄』二種、
 十巻本『伊呂波字類抄』
 に、
 白地蔵(カクレアソヒ)
 二巻本『世俗字類抄』(天理図書館藏)
 白地蔵=カタルアソヒ」
 室町時代の古辞書の
 『下學集』及び増刋『下學集』是心本『節用集』、増刋『節用集』系統、広本(文明本)『節用集』(雜字類書)に、
 白地蔵(カクレアソビ)=ハクチサウ
            シロシ・ツチ・カクス
 「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」
 平安時代末期に成立した古辞書
 橘忠兼編
 三巻本のほか二巻本の系統もあり
 十巻本『伊呂波字類抄』もある
「色葉字類抄」=和語・漢語を第一音節によって
        イロハ
        47部に分け、
        更に
        天象・地儀など
        21門の意義分類を施した発音引き辞書
 イロハ引きの日本語辞書として最古
 オとヲの区別はアクセントの高低によって
 区別されていると考えられており、
 オが平声(低)、
 ヲが上声(高)に偏るとされ、
 これは
 定家仮名遣への影響が指摘される・・・
 漢字表記の後に片仮名で訓みが注され、
 時に簡単な漢文で意味・用法が記されているものもある
ーーーーー
 ↓↑ ↓↑
 神仏
 色葉字類抄
 「祇園」の条
 色葉字類抄
 ↓↑ ↓↑
 院政期成立の国語辞書
 編者は
 橘忠兼(たちばなのただかね)
 2巻、3巻、10巻(『伊呂波字類抄』と表記)
 平安末期の日常実用の語を主に、
 漢文訓読語をもあわせて、
 和語・漢語を採録
 語の頭音によって全体を伊呂波47篇(へん)に分け、
 その各篇について、
 意義分類に従って天象・地儀など21部
 類聚した・・・
 当時普通に使用された
 漢文体の文章(漢詩文、記録、文書など)
 を作成するうえで
 心得るべき語、漢字表記を中心に、
 とくに漢語が豊富に集録
 ↓↑ ↓↑
 「釋日本紀」所引
 「備後国風土記逸文」
 備後の国の風土記に曰はく、
 疫隅の国社、昔、
 北の海に座しし武塔神、
 南の国の女子を
 よばいに出てまししに、
 日暮れぬ、
 彼の所に将来二人ありき、
 兄の蘇民将来は甚く貧窮しく、
 弟の巨旦将来は富饒みて、屋倉一百ありき、
 爰に武塔の神、宿處を借りたまふに、
 惜しみて借さず、
 兄の蘇民将来、借し奉りき、即ち、
 粟柄を以ちて座と為し、
 粟飯等を以ちて饗へ奉りき、
 爰に畢へて出でませる後に、
 年を経て、
 八柱のみ子率て還り来て詔りたまはく、
 「我、将来に報答為む、汝が子孫其の家にありや」
 と問ひたまひき、
 蘇民将来答へて申さく、
 『己が女子と斯婦と侍ふ』
 と申しき、
 即ち詔りしたまわく、
 『茅の輪を以ちて、腰の上に着けしめよ』
 とのりたまひき、
 詔の随に着けしむるに、
 即夜に
 蘇民の女子一人を置きて、
 皆悉にころしほろぼしてき、
 即ち詔したまく、
 『吾は速須佐雄の神なり、
  後の世に疫気あらば、
  汝、
  蘇民将来の子孫と云ひて、
  茅の輪を以ちて
  腰に着けたる人は
  免れなむ』
 と詔りたまひき。
ーーーーー
 ・・・「白地蔵(カクレアソヒ)」とはネッ・・・「隠れ阿蘇の秘」で、「石英の火山灰地」・・・そして「シロ」の同音異字漢字だろう・・・「新井白石」は「白石」だが、白石市は、宮城県の蔵王連峰の玄関口で、札幌区町の地名・・・「白州(白洲)」は何処にあるんだか、山梨県の北杜市、白州町の白須・・・「白州蒸溜所(はくしゅうじょうりゅうしょ)、山梨県の北杜市、白州町の鳥原(とりばら)地籍 2913番地1にあるサントリーホールディングスのウイスキーの製造所」・・・「般若湯=知恵の飲み物・酒・清酒」じゃないけれど、「琥珀色の whiskey」・・・
 ・・・「シラスジロウ」は何処で、ナニをしたんだか・・・放蕩息子・・・

コメント
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妄想・空想・幻想・仮想・虚想・構想・想像・相思・実相

2016-07-30 19:05:16 | 古事記字源

 ・・・「語訳葉の転向・填納・転応」の「キク」の「妄想整理」の妄想・・・自由な妄想は「妄想次元」にとどめるべきが「人間」の生き方である・・・ムシ採りに夢中で、ムシ駕籠の虫の死にざまを「残酷」に弄びながら観察する夏休みの子供達にアイツの「刺青・入れ墨・文身・黥」を小刻みに剥ぎ取らせてヤレ・・・そして、「人間社会での我が身の痛さ」を教えてやれッ・・・マボロシは視えても喰えないコトも・・・幻影、幻想、幻覚、夢幻、幻獣、変幻・・・「変幻自在」にもなれないコトを・・・「幻=幺+𠃌」・・・
ーーーーー
 訳葉(訳葉転向)
 ↓↑
 鳥羽天皇
 (とばてんのう)=鳥の羽
         類字=刄刄・刃刃・・・𠃌+二+𠃌+二
            𠃌=(司)-(一口)=𠃌
            羽=𠃌+〃+𠃌+〃
            刁+一+刁+一
            刁=刀
           「石刁柏」=アスパラガス
            幻=幺+𠃌
            羽→翅・羽根・翼・刃
            𠃌=乙=乚=L・・・?
 康和五年一月十六日
 (1103年2月24日)
 ~
 保元元年七月二日
 (1156年7月20日)
 第74代天皇
 在位
 嘉承二年七月十九日
 (1107年8月9日)
  ~
 保安四年正月二十八日
 (1123年2月25日)
 諱は宗仁(むねひと)
 堀河天皇の皇子
 母は
 皇太后
 藤原苡子・・・苡=イ・シ・ワ・くさ(草)
          芣苡(フイ)=おおばこ
          薏苡(ヨクイ)=はとむぎ
       薏苡=ハト麦・白くて食用、薬用
          薏苡明珠(ヨクイメイシュ)
          無実の疑いをかけられること?
          故事
          後漢の馬援(バエン)が
          交趾(コウシ・ベトナム)
          に遠征し
          薬用に
         「薏苡」を持ち帰ったが、
         「苡明珠」の宝を私服していると
          讒言(ザンゲン)された
 子の
 崇徳天皇
 近衛天皇
 後白河天皇
 の
 3代28年に渡り院政
 ↓↑
 母の
 藤原苡子(ふじわら の いし)
 承保三年(1076年)
  ~
 康和五年一月二十五日(1103年3月5日)
 第73代堀河天皇女御
 第74代鳥羽天皇生母
 父は大納言
 藤原実季・・・・・・実は季(イ・すもも)
             禾+子
 母は
 藤原睦子
 (藤原経平女)・・・睦=目+坴
            坴(リク)=十一八十一
 同母兄は藤原公実・・・実を公(おおやけ)にするハム
  ↓↑
 承徳二年(1098年)
 堀河天皇に入内
 女御の宣旨
 康和二年(1100年)
 従四位下
 康和五年(1103年)
 第一皇子
 宗仁親王
 (鳥羽天皇)を出産し
 難産のため死去・・・・難産(ナンザン)
 同年
 従二位を追贈
 嘉承二年(1108年)
 鳥羽天皇の即位で
 皇太后を追贈
  ↓↑
 苡子は
 白河院の従姉妹で
 (院の生母茂子の姪)・・・茂子(もし)
 28歳で死亡・・・・・・・・二十八
 苡子の兄
 公実は
 鳥羽天皇の外戚
 姪の
 璋子は・・・・・・・・・・璋(王の章)子
 鳥羽天皇の中宮
 閑院流
 発展の元・・・
  ↓↑
 宗仁親王(鳥羽天皇)は
 祖父の
 白河法皇・・・・・・・・・白い河
              牛乳の河
              銀河・天河・漢河
              ミルキーウェイ (Milky Way)
 の下に引き取られて養育
 誕生から
 7ヶ月で立太子
 父
 堀河天皇の死後
 5歳で即位
  ↓↑
 摂関の
 藤原忠実は
 白河法皇の風下にあり、
 政務は白河法皇が執った
 永久五年(1117年)
 白河法皇の養女
 藤原璋子(待賢門院)が入内
 翌年には中宮
 5男2女を儲ける
 保安四年(1123年)一月二十三日
 第一皇子の
 崇徳天皇に譲位・・・・崇う徳
 実権は
 白河法皇
 堀河天皇の在位中、
 鳥羽天皇の治世において
 白河院政が本格化
 ↓↑
 鳥羽天皇は
 白河法皇崩御後
 大治四年(1129年)
 院政を敷く
 白河法皇の勅勘を受け
 宇治に
 蟄居していた
 前関白
 藤原忠実を
 天承元年(1131年)に呼び戻し
 娘の
 泰子(高陽院)を入内させ・・・泰の子
 上皇の妃として異例の皇后とした
 白河法皇の側近であった
 藤原長実・家保兄弟らを排除
 院の要職を自己の側近で固め
 藤原顕頼
 藤原家成
 有力な院司とし
 伊勢平氏の
 平忠盛の内昇殿をゆるし
 政権に近づけた
 白河法皇の後ろ盾を失った
 待賢門院璋子にかわり、
 鳥羽天皇は
 長承二年(1133年)頃
 藤原得子(美福門院)を寵愛・・・得の子
 永治元年(1141年)
 23歳の
 崇徳天皇を譲位させ
 得子所生の皇子
 体仁親王(近衛天皇)を
 3歳で即位させた
 康治元年(1142年)に
 東大寺戒壇院で受戒し
 鳥羽法皇となる
 ↓↑
 久寿二年(1155年)
 近衛天皇が早世
 第四皇子で
 崇徳上皇の同母弟である
 雅仁親王(後白河天皇)を即位させ
 崇徳上皇が
 院政を敷く
 可能性は失われ、
 崩御の直後に
 「保元の乱」が勃発
 ↓↑ ↓↑
 (71)後三条天皇
 ↓↑
 (72)白河天皇―(73)堀河天皇
 ↓↑
 (74)鳥羽天皇―(75)崇徳天皇―(76)近衛天皇
 ↓↑
 (77)後白河天皇―78 二条天皇―(79)六条天皇
 ↓↑
 (80)高倉天皇
 (81)安徳天皇
 ↓↑
 (82)後鳥羽天皇
 ↓↑
 (86)後堀河天皇
 (83)土御門天皇
 (84)順徳天皇
 (87)四条天皇
 (88)後嵯峨天皇
 (85)仲恭天皇
 ↓↑ ↓↑
 語訳葉の転向(ゴトバテンのコウ)
  ↓↑
 後鳥羽天皇
 治承四(1180)七月十四日
  ~
 延応一年(1239)二月二十二日
 第82代の天皇 (在位1183~1198)
 名は
 尊成 (たかひら)
 戒名は
 良然(りょうぜん)
 高倉天皇の
 第四皇子
 母は
 准后
 七条院
 藤原殖子・・・・・殖子(ショクのシ)
   (やすこ・坊門信隆の娘)
 高倉天皇の
 第四皇子、
 後白河天皇の孫、
 安徳天皇の異母弟
 ↓↑
 土御門(つちみかど)天皇に譲位後
 三代にわたって院政
 1221年(承久三)
 北条義時追討の院宣
 ↓↑
 安徳天皇が退位しないまま
 後鳥羽天皇即位
 寿永二年(1183年)
  ~
 平家滅亡の
 文治元年(1185年)
 まで在位期間が
 2年間重複
 ↓↑
 「壇ノ浦の戦い」で
 平家が滅亡した際
 神器のうち
 宝剣が海中に沈んだ
 文治三年(1187年)九月二十七日
 佐伯景弘
 の宝剣探索失敗の報告
 建久元年(1190年)一月三日
 再度の宝剣探索失敗
 承元四年(1210年)
 順徳天皇践祚に際して、
 上皇になっていた
 後鳥羽天皇は
 三種の神器が
 京都から持ち出される
 前月に伊勢神宮から
 後白河法皇に
 献上された剣を・・・・献上された?
 宝剣とみなし
 後鳥羽天皇は2年後の
 建暦二年(1212年)
 検非違使の
 藤原秀能を西国に派遣して
 宝剣探索をさせた
 ↓↑ ↓↑
 承久の乱
 承久三年(1221年)五月十四日
 後鳥羽上皇は、
 執権
 北条義時追討の院宣
 「承久の乱」・・・何故、天皇なのに「乱」なのか?
 幕府の大軍に完敗
 7月9日
 19万の大軍を率いて上京した
 北条義時の嫡男
 北条泰時によって
 後鳥羽上皇は
 隠岐島(隠岐国海士郡の中ノ島=海士町)
 に配流
 父の計画に協力した
 順徳上皇は佐渡島に配流
 土御門上皇も自ら望んで
 土佐国に遷った
 三上皇のほかに、
 院の皇子
 雅成親王は但馬国
 頼仁親王は備前国
 に配流
 在位わずか3ヶ月足らずの
 仲恭天皇(当時4歳)も廃され
 代わりに
 高倉院の孫、
 茂仁王が皇位に就き
 その父で皇位を踏んでいない
 後高倉院が
 院政を行った
 ↓↑
 後鳥羽院は
 隠岐に流される直前に出家して
 法皇となった
 「明月記・文暦二年(1235年)」に
 春頃に
 摂政
 九条道家が
 後鳥羽院と順徳院の
 還京を提案したが、
 北条泰時は受け入れなかった
 ↓↑
 四条天皇代の
 延応元年(1239年)二月二十日
 配所にて崩御
 5月
 「顕徳院」と諡号が贈られた
 北条泰時が死亡した
 仁治三年(1242年)六月
 九条道家が追号を改めることを提案し、
 「後鳥羽院」の
 追号を贈ることとなった(平戸記)
 後高倉皇統の断絶によって
 後嵯峨天皇(土御門院皇子)
 の即位となった
 仁治三年(1242年)七月
 正式に
 「院号」が
 「後鳥羽院」・・・語訳葉隠(音)・・・?
 とされた・・・
 ↓↑
 歌人としての
 後鳥羽院(ごとばいん=ごとば の いん)
 歌作は後代にまで大きな影響を与えた
 建久九年(1198年)一月の譲位
 同八月の
 熊野御幸以降急速に和歌に志す
 正治元年(1199年)以降
 盛んに歌会・歌合などを行うよう
 新儀非拠達磨歌
 と
 毀誉褒貶
 相半ばしていた
 九条家歌壇
 の中心人物だった
 藤原定家の歌風に憧憬
 正治二年(1200年)七月に主宰した
 正治初度百首和歌で
 式子内親王
 九条良経
 藤原俊成
 慈円・・・・・ジエン
 寂蓮・・・・・ジャクレン
 藤原定家・・・テイカ
 藤原家隆・・・いえもり
 ら、
 九条家歌壇の
 御子左家系の歌人に詠進を求めた
 百首歌を機に、
 院は
 藤原俊成に師事
 藤原定家の作風の影響を受けた
 同年八月以降、
 正治後度百首和歌を召す
 対象となった歌人は
 飛鳥井雅経
 源具親
 鴨長明・・・
 後鳥羽院宮内卿
 ら院の近臣を中心とする新人
 院は新たな歌人を発掘して周囲に仕えさせ
 後に
 九条家歌壇
 御子左家
 の歌人らとともに代表的な
 新古今歌人として成長する
 院近臣一派の基盤となった・・・
 ↓↑
 二度の百首歌
 和歌に志を深めた院
 勅撰集の撰進
 建仁元年(1201年)七月
 和歌所を再興
 寄人は
 藤原良経
 慈円・・・・・・ジエン
 土御門通親
 源通具・・・・・源を通り具(そなえる)
 釈阿(俊成)・・シャクア・シャア
 藤原定家・・・・テイカ
 寂蓮・・・・・・ジャクレン
 藤原家隆
 藤原隆信
 藤原有家(六条藤家)
 源具親・・・・・源を具る親
 藤原雅経
 鴨長明・・・・・鴨の長の明(菊大夫)
 藤原秀能
 の14名
 (最後の3名は後に追加)
 開闔(かいこう)は
 源家長
 これ以前に
 歌合千五百番歌合を主宰
 当代の主要歌人
 30人に
 百首歌を召してこれを結番
 歌合形式で
 判詞を加えるという企画
 この歌合は
 新古今期の
 歌論の充実、
 新進歌人の成長
 同年十一月
 藤原定家
 藤原有家
 源通具
 藤原家隆
 藤原雅経
 寂蓮
 の6人に勅撰集の命を下し
 「新古今和歌集」撰進を始め
 実質的に
 後鳥羽院が
 撰者の一人であった(明月記)
 ↓↑ ↓↑
 室町時代の
 皇族
 貞成親王(後花園天皇実父)が著した日記
 「看聞日記
  応永三十一年二月二十九日条
 (高松宮家旧蔵本)」
 には
 後鳥羽院の
 「宸記(日記)」のうち・・・・宸記=日記
 建保三年五月十五日・十九日
 および
 十一月十一日条
 の一部が引用
 院が御忍びで
 地下連歌の席に出向き
 当時自らが出していた
 銭禁令(宋銭禁止令)に
 反して銭を賭けて勝利した
 後日、
 「見苦し」としながらも
 再び連歌で賭け事をした・・・「連(聯)歌の賭け」?
 ↓↑
 配流後の
 嘉禎三年(1237年)
 後鳥羽院は
 「万一にもこの世の妄念にひかれて
  魔縁(魔物)となることがあれば、
  この世に災いをなすだろう。
  我が子孫が世を取ることがあれば、
  それは全て我が力によるものである。
  もし我が子孫が世を取ることあれば、
  我が菩提を弔うように」
 との置文を記した・・・明治維新までは長かったが?・・・
 同時代の公家
 平経高の日記
 『平戸記』には・・・・なぜ、「平戸の記」なのか?
 三浦義村
 北条時房
 の死を
 後鳥羽院の
 怨霊が原因とする記述・・・
 ↓↑ ↓↑
 後鳥羽院
 御所焼・菊紋
 刀を打つことを好み、
 備前一文字派の
 則宗をはじめとして諸国から
 鍛冶を召して
 月番を定めて鍛刀させた・・・
 また
 自らも焼刃を入れそれに
 十六弁の
 菊紋を毛彫りした・・・
 「御所焼」、
 「菊御作」
 などと呼ぶ
 天皇家の菊紋のはじまり・・・語訳葉転応
 在位中の元号
 寿永 (1183年8月20日)~1184年4月16日
 元暦 1184年4月16日~1185年8月14日
 文治 1185年8月14日~1190年4月11日
 建久 1190年4月11日~1198年1月11日)
  ↓↑ ↓↑
 色葉字類抄(いろはじるいしょう)
 平安時代末期に成立した古辞書
 橘忠兼編
 三巻本のほか二巻本の系統もある
 十巻本『伊呂波字類抄』もある・・・
 ↓↑ ↓↑
 和語・漢語を第一音節によって
 イロハ
 47部に分け
 更に
 天象・地儀など
 21門
 の意義分類を施した
 発音引き辞書
 イロハ引きの日本語辞書として最古
 オとヲの区別は
 アクセントの
 高低によって区別されている・・・
 オが平声(低)、
 ヲが上声(高)
 に偏るとされ、
 これは
 藤原定家の
 仮名遣への影響が指摘されている・・・らしい・・・
 ↓↑
 当時の日常語が多く収録
 特に
 漢語が豊富に収録
 また
 社寺
 姓名
 など固有名詞も収録
 それらの
 漢字表記の後に
 片仮名で訓みが注され、
 時に簡単な漢文で
 意味・用法が記されるものもある・・・
 ↓↑
 天養年間~長寛年間
 (1144年~1165年)
 二巻本『色葉字類抄』が成立
 後、増補が行われ
 治承年間
 (1177年~1181年)までに
 三巻本『色葉字類抄』が成立
 その後
 大幅な増補が行われ
 十巻本『伊呂波字類抄』
 も鎌倉初期までに成立した・・・
 『世俗字類抄』
 『節用文字』
 も祖本の同じ異本とされる
 「前田尊経閣蔵六巻本」があり
 室町時代の語彙を増補・改編している
 花山院本(3冊本)は
 二巻本と十巻本の取り合わせ本
 後世に与えた影響としては、
 『字鏡集』
 『平他字類抄』
 『節用集』
 『塵袋』
 などが・・・・
 ↓↑
 諸本
 二巻本『色葉字類抄』
 尊経閣文庫蔵
 永禄八年(1565年)写本がある・・・
 三巻本『色葉字類抄』
 尊経閣文庫蔵
 鎌倉初期写本(前田本)
 中巻及び下巻の一部を欠く・・・
 黒川真三男蔵
 江戸中期写本(黒川本)・・・完本
 十巻本『伊呂波字類抄』
 学習院大学図書館蔵
 鎌倉初期写本・・・・・・・・零本・・・・?
 大東急記念文庫蔵
 室町初期写本・・・・・・・・完本
 その他
 江戸時代の
 写本多数・・・
ーーーーー
 ・・・「日本文学」の興隆は「木版の江戸時代」である・・・?

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小説、禰宜を背負う-接、「菊の名前」の下準備・・・

2016-07-29 22:00:09 | 古事記字源

 ・・・「漢字の音訓の読み方」は「日本人の文化」である・・・で、「喩母」って?・・・「中古音の影母・喩母・微母・疑母に由来する声母」・・・「声母・・・影母・喩母」・・・漢字の発音の意味らしい・・・「喩母(云母)」、「喩母かつi介音ありで開となれば、ヤ行のエになる」、「漢字音の研究の喩母」・・・「喩(諭)す母」だが、漢字からして母親の幼児、子供に対する喩(さとす・比喩)コトバだろう・・・「喉音(コウオン)=国語学で、国語音のア・ヤ・ワの3行の音の総称・声門音(セイモンオン)・中国音韻学で、五音 (ゴイン)、 または七音(シチイン)の一・喉頭(コウトウ)で調音される音(声)で、影母・暁母・匣母・喩母の総称」、「呼、喩母于、嗚(四)韻。則爲(容、烏、合)、而無其字。故成呉字。呼、喩母于汪韻。則爲(容、卭、合)、而無其字。故成昂字。(昂五剛切。今法爲恩・・・)」・・・?
 兎に角、「漢字」の「音読み」で、音声の発声、音声の出し方の説明らしい・・・漢字の読み方の「規矩(キク)」である・・・
 コンパス・定規(ジョウギ・行動や判断のよりどころの基準・手本・寸法や形・・・「規格・規準・規則・規定・規範・規模・規約・規律・軍規・条規・新規・正規・内規・法規」・・・
 四文字熟語
 規矩縄墨 (キクジョウボク)
 規矩標準 (キクヒョウジュン)
 規行矩歩 (キコウクホ)
 鉤縄規矩(クジョウキク)
 規矩準縄(キクジュンジョウ)
 規矩元法(キクゲンポウ)
 そして、
 同音異字漢字の「キク・きく」である・・・
 そして、
 「菊の名前」である
 「chrysanthemum name」
 「クリサンセマム 名前」
 「クリッサンスマム 名前」
 略称は「mum(マム)」・・・「魔夢」・・・?
 ↓↑
 キク
 危懼=危惧(キグ)
 奇句=奇抜な句・危言
 起句=漢詩の第1句・絶句の第1句
    起承転結・詩文の書き出しの句
 崎嶇=険しいこと・容易でないこと・辛苦
 喜懼=喜び、且つ、恐れること
 ↓↑
 きく
 利く=効く=効果・効き目・甲斐がある
 聞く=聴く=声を耳に受ける・耳に感じ取る
 訊く=尋ねる・訊問
 ↓↑
 キク
 菊=キク科の多年草
   菊花・寒菊・観菊・残菊・白菊・野菊
 掬=すくう・むすぶ・水をすくう
   掬水・一掬
 麹=こうじ・こうじ
   麹塵(キクジン)
   酒・麹君・麹車
 鞠=まり
   蹴鞠(シュウキク)
   身を丸くかがめる
 菊秋=きくあき
    陰暦九月の異称
    菊月(きくづき)
ーーーーー
 ↓↑
 人名の
 「菊(キク)」
 文禄四年七月二日(1595年8月7日)
  ~
 元和元年六月六日(1615年7月1日)
 豊臣秀次の娘
 母は
 淡輪徹斎隆重の娘の
 小督局
 文禄四年(1595年)八月二日
 他の38人の豊臣秀次の妻達と共に、
 31歳で京都の
 三条河原で処刑
 ↓↑ 
 お菊の皿
 古典落語の演目の一
 古典的な怪談である
 皿屋敷を下敷きとした噺
 別名「皿屋敷」
 上方落語で
 2代目
 桂枝雀
 3代目
 桂春団治
 などの得意演目
 東京では6代目
 三遊亭圓生が
 2代目
 桂三木助から教わった
 ↓↑
 お菊
 播州皿屋敷
 お菊井戸
 ↓↑
 真田幸村の側室
 堀田興重の娘、or 妹
 その長女の
 「阿菊=すへ」・・・ 石合重定=道定の室
 ↓↑
 趙州院(チョウシュウイン)
  ?~寛文六年五月十三日
   (1666年6月15日)
 名は一説に
 「於菊」
 ↓↑
 真田昌幸の五女で、
 真田信之
 真田信繁(幸村)
 らの妹
 はじめ
 宇多頼次(石田刑部少輔、河内守)に嫁いだ
 宇多頼次は
 石田三成の舅
 宇多頼忠の甥で、
 三成の
 父・正継の猶子となり、
 石田刑部少輔を称した。
 娘が
 宇多頼次に嫁いだ関係から、
 父の
 真田昌幸は
 関ヶ原の戦いの際に
 石田三成の西軍に加担
 ↓↑
 慶長五年(1600年)
 関ヶ原の戦い
 西軍が敗北
 宇多頼次は
 九月十七日
 石田三成の居城
 佐和山城で自刃
 ↓↑
 趙州院は離縁し
 逃た後に、
 滝川一積(三九郎、滝川一益の孫)
 に再嫁
 ↓↑
 大坂の陣の後、
 寛永九年(1632年)
 滝川一積は
 幕府から
 真田信繁の娘を
 養女として
 他家に嫁がせ
 幕府使番の職を解かれて除封
 その後は
 京六条付近に夫婦で隠棲
 その際、
 松代藩より500石の
 合力米が出された
 ↓↑
 寛永十九年(1642年)
 寿像(肖像画)が
 描かれ、
 東禅寺嶺南が賛を記した
 夫の死後、菩提寺として
 妙心寺に
 趙州院を建立し、
 甥の
 石禅を開山
 ↓↑
 寛文六年(1666年)に死去
 法名は
 趙州院殿
 瑚月妙珊大姉
 自らが建てた
 妙心寺趙州院に葬られた
 ↓↑
 お菊(阿菊、於菊、おきく)は人名。
 ↓↑
 お菊=豊臣秀次の娘
 お菊=怪談、皿屋敷に登場する人物、亡霊
 阿菊=真田信繁の娘。別名、すへ
 阿菊=上杉景勝の正室
    菊姫 (上杉景勝正室=阿菊御料人)
 於菊=真田太平記の登場人物
    史実における
    真田昌幸の五女(趙州院)
 於菊=豊臣秀次の側室
    伊丹忠親の孫
    於菊の前
 ↓↑ ↓↑
 菊
(文禄四年七月二日・1595年8月7日)
  ~
 元和元年六月六日・1615年7月1日)
 豊臣秀次の娘
 母は
 淡輪徹斎隆重の娘の
 小督局
 ↓↑
 母の小督局は
 文禄4年(1595年)8月2日
 に他の
 38人の
 豊臣秀次の妻達と共に、
 31歳で京都の三条河原で処刑
 しかし、
 菊はまだ生後一ヶ月で、女子で
 助命され、
 菊の祖父の
 弟の子供である
 後藤興義に預けられた
 ↓↑
 菊は、
 元和元年(1615年)4月20日
 紀伊国の代官である
 山口安弘=山口安弘喜内の嫡男
 山口朝安=山口朝安兵内の元に嫁いだ
 その年に
 大坂夏の陣が起こり、
 淡輪家・後藤家・山口家は豊臣方に味方し
 菊の夫の朝安はわずか結婚5日目に大坂城入
 山口の城は敵軍に囲まれ、
 援軍を求めるために
 菊は
 舅の安弘の命令により、
 密書を持ち農夫の姿になり
 敵軍の包囲を脱出
 風吹峠から尾根伝いに北へ向かい、
 信達山中で
 男装に変え、
 大坂城に入って使命を果たした
 その帰り、
 樫井川で敵方に返書を奪われた
 ↓↑
 大阪方は敗れ、
 菊の養父の
 後藤興義
 叔父の
 淡輪重政達は、
 樫井川の合戦で
 四月二十九日に討ち死
 菊の夫の
 朝安も
 五月七日に討ち死
 五月八日に大坂城落城
 後、
 菊は後藤家に身を隠したが、
 敵の
 浅野方に捕らえられ、
 同年の
 六月六日に
 紀伊南の河原で処刑
 享年20
 養母の静は
 菊を哀れみ、
 後藤家の菩提寺
 法福寺に
 菊の木像を納め、冥福を祈った
 ↓↑↓↑
 姫路城城主が
 木下家定であった頃、
 宮本武蔵は名前を隠し姫路で
 足軽奉公をしていた
 城内では天守に妖怪がでるという
 噂が広まった
 髪が伸びる
 「お菊人形」
 ↓↑
 番町に
 青山鉄山の武家屋敷があった
 腰元の
 お菊
 がおり
 鉄山は
 お菊に横惚れたが
 お菊に
 三平という夫が居た
 その為
 意趣返しと言う事で、
 10枚組の葵の皿を預け、1枚だけ隠した
 怪談・「皿屋敷」の「お菊」
 ↓↑ ↓↑
 姫路城内の
 播州皿屋敷
 お菊の
 井戸
 姫路城の
 上山里(かみのやまさと)
 曲輪に、
 お菊井戸があり
 播州皿屋敷で知られる
 お菊の井戸
 皿屋敷譚の主人公
 主人秘蔵の皿をわったため
 惨殺され
 井戸になげこまれた
 のちに
 怨霊となって
 皿をかぞえる
 物語は
 元和(ゲンナ)~元禄(ゲンロク・1615~1704)
 のころ
 江戸、播磨(はりま=兵庫県)
 をはじめ全国各地に伝承
ーーーーー
 菊の御紋・紋章
 ↓↑
 後鳥羽上皇(1183~1198)
 が
 身の回りのものに
 菊に関するモノを施し、
 その時期に
 天皇および皇室の紋となった
 鎌倉時代には
 蒔絵や衣装の文様として流行
 日本の南北朝時代以降には
 天皇より下賜されることにより
 公家や武家の間で家紋として使用
 ↓↑
 九州豪族
 菊池氏も・・・本姓、藤原氏、本拠地
 ↓↑     久々智(鞠智)
        九州の肥後国菊池郡(熊本県菊池市)
        西郷隆盛も菊池一族の末裔
        藤原則隆が
        御三条天皇の
        延久二年
        肥後の国菊池郡に下向
        阿蘇山麓下流に流れている
        菊池川の畔深川の地に構え
        地名をとって
        菊池氏を称した
 ↓↑     菊池氏
        四代
        経宗
        五代
        経直は
        鳥羽院武者所に任じられ奉仕
        室町時代
        岩手への下った
        菊池氏の支流が「菊地」に改姓
        肥後の菊池は昔は
       「ククチ」と読んで
 ↓↑    「久々智(鞠智)」と書いた
 家紋に
 「菊花」
 もしくは
 「菊葉」
 を使用
 ↓↑
 宮中では
 菊の節句
 重陽の節句
 (旧暦九月九日)
 黄色の菊→記句⇒「おぼろげな思い出」
         「失恋」
 献花として菊が使用
 (慣習として故人への供花とされ、
  病室への見舞いの花としては忌避される)
 ↓↑
 「万葉集」には
 157種の植物が登場
 菊を詠んだ歌は一首もない・・・「菊の紋章=太陽?」は
                 オリエンタル
                 メソポタミア
 飛鳥時代・奈良時代の日本に
 菊がなかった・・・
 「古今和歌集(905年)」
 「枕草子(996年頃)」
 清少納言の随筆
 「源氏物語(1010年頃)」
 紫式部
 の時代になって登場・・・
 「源氏物語」に多く登場する草花は、
 ナデシコ(撫子)
 キク(菊)
 オミナエシ(女郎花)
 の順・・・
 ↓↑
 菊の
 異称
 ↓↑
 隠逸花(インイツカ)・・・「隠し逸(それる)花」?
 周敦頤の
 愛蓮説の一文
 「菊、花之隠逸者也」・・・
 陰君子(インクンシ)=隠遁する有徳の人
 菊の異称
 「逸=それる・はやる・イン・イツ
    ある場所からさっと抜け去る
    逸出・逸走・後逸
    横にそれて逃れる
    抜けて見えなくなる
    逸脱・散逸
    世間に知られていない
    逸事・逸聞・逸話」
 ↓↑
 星見草(ほしみぐさ)・・・菊の異称
 霜見草(しもみぐさ)・・・菊の異称
 特に「寒菊」の異称
 ↓↑
 千代見草(ちよみぐさ)
 菊、松の異称
 ↓↑ ↓↑
 花言葉
 「高貴」「高潔」「高尚」
 「清浄」・・・清(水の青)+浄(水の争)
        清の山水(纂隋)の争い?
 「真の愛」
  ↓↑
 菊の名前
 「窮まる(きわまる)」が語源・・・?
 「一年の最後に咲く花」という意味
 学名=「Chrysanthemum(クリサンセマム)」
 ギリシア語の
 「chrysos(黄金)」
 と
 「anthemon(花)」
 が語源・・・
 ↓↑
 「菊石」=アンモナイト・・・三笠ダム周辺から発掘多
 ↓↑ ↓↑
 春藤流(しゅんどう-りゅう)
 廃絶した
 能楽ワキ方の一流儀
 ↓↑
 金春流座付のワキ
 後にここから
 下掛宝生流が分流
 ワキ方
 高安流の初世
 高安重政が師事した
 下掛り系統の
 ワキの源流
 家譜では
 畠山家に仕えていた
 春藤六郎次郎長慶を初世
 長慶は金春流の脇の仕手
 金春源七郎に学んで一家を興し
 後に
 金春座の
 「虎-菊大夫」の子が・・・「虎の菊大夫」って?
 長慶の女婿となって
 春藤遊巽と名乗り(「隣忠見聞集」)
 師家金春源七郎家が廃絶し、
 同家は金春流の本ワキとなった
 ↓↑
 三世道覚
 「髭春藤」のアダ(綽・渾)名
 四世寿朴の代に至って、
 徳川綱吉の命により弟
 権七(祐玄)が
 別家して
 下掛宝生流を興し、
 宝生流の座付となった
 六世は
 五世道定の子で中興の祖
 ↓↑
 明治維新後
 十二世春藤高明が
 1893年に後嗣を欠いたまま没
 門弟の
 浅草
 鳥越神社神職
 鏑木祚胤が
 伝書・伝来品などを
 預かって芸系を守った
 1922年
 祚胤の子
 建男が宗家代理となるものの流勢ふるわず
 子の
 岑男の代からは
 下掛宝生流に転じ、
 同流は廃絶
ーーーーー
 ↓↑ ↓↑
 鴨長明
 賀茂御祖神社の
 禰宜の
 鴨長継の次男
 京都で生まれた
 高松院の愛護を受け、
 応保元年(1161年)
 従五位下に叙爵され
 承安二年(1172年)頃
 長継が没した後、
 安元元年(1175年)
 長継の後を継いだ
 禰宜・鴨祐季
 と
 延暦寺との間で土地争いで
 祐季が失脚
 長明は
 鴨祐兼とその後任を争うが、
 敗北
 ↓↑
 和歌を
 俊恵の門下として、
 琵琶を楽所預の
 中原有安に学ぶ
 歌人として活躍し、
 歌林苑の会衆として
 賀茂重保撰の
 『月詣和歌集』に入撰
 『千載和歌集』にも
 「よみ人知らず」・・・「よみ人知らず」とはナニか?
 として入集
 以降、
 石清水宮若宮社歌合
 正治後度百首、
 新宮撰歌合、
 和歌所撰歌合、
 三体和歌、
 俊成卿九十賀宴、
 元久詩歌合などに
 出詠し、
 建仁元年(1201年)八月
 和歌所寄人に任命された
 ↓↑
 元久元年(1204年)
 河合社(ただすのやしろ)の
 禰宜の職に欠員が生じ
 長明は就任を望み
 後鳥羽院から推挙の内意も得えたが
 賀茂御祖神社
 禰宜の
 鴨祐兼が長男の
 祐頼を推し
 長明の神職は閉ざされた
 長明は出家し、
 東山次いで大原、
 日野に閑居生活を行った
 出家後は
 蓮胤(レンイン)を名乗った
 建暦元年(1211年)
 飛鳥井雅経の推挙を受け
 将軍
 源実朝の和歌の師として
 鎌倉に下向したが、
 受け入られず失敗・・・
 ↓↑
 建暦二年(1212年)
 「方丈記」は和漢混淆文
 他に歌論書の
 「無名抄」
 説話の
 「発心集(1216年以前成立)」
 歌集の
 「鴨長明集(養和元年(1181年)」
 「千載和歌集(1首)」以下の
 勅撰和歌集に
 25首が入集
 ↓↑
 光行賀茂社の歌合で
 「石川やセミの小川」
 を出詠し、賀茂川の異名と顕昭に告げ、
 蟬(せみ・蝉)の小川を使用した歌を多作し
 禰宜の鴨祐兼から非難された
 ↓↑
 「文机談」
 長明が出家遁世した経緯の伝
 琵琶の師の死亡後
 演奏禁止の秘曲
 「啄木」を演奏したため・・・「啄木」?
 ↓↑
 建暦元年(1211)十月大十三日辛夘
 鴨社氏人
 菊大夫
 長明入道(蓮胤)
 依雅經朝臣之擧。此間下向。
 奉謁、將軍家。及度々云々。
 而今日當于幕下將軍御忌日。
 參彼法花堂。念誦讀經之間。
 懷舊之涙頻相催。
 註一首和歌於堂柱。
 「草モ木モ 靡シ秋ノ 霜消テ 空キ苔ヲ 拂ウ山風」
 ↓↑
 代表作品
 「方丈記」、
 その他に
 「発心集」、「無名抄」
 通称、
 「菊大夫(きくだゆう)」
 出家後の法名
 「蓮胤(レンイン)」
 ↓↑↓↑
 北極北米のオオカミ
 白い毛皮を持ち尾の先端が黒い
 (wolf of Arctic
  North America having white fur
  and a black-tipped tail)
 ↓↑
 北極狼
 ホッキョクオオカミ
 (学名:Canis lupus arctos)
 北極圏周辺に棲息するオオカミの亜種の一
 ↓↑
 the Arctic Ocean=北極海・北氷洋
 Arctic Circle=北極圏
         23°27′の圏内
 antarctic=南極
 語源はギリシャ語
 「大熊座に近い」の意・・・熊本・大隈・羆・月の輪熊
              熊襲
 「the Antarctic Pole=南極」.
 ギリシャ語「北と対をなす」の意
 「(ANTI‐+Arktikós =大熊座に近い・北の」
ーーーーー
 ・・・???・・・「キク(クク)のチの名前」・・・

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「ヤキとり」、「ヤキざかな」・・・イノチだったモノ・・・

2016-07-28 17:20:50 | 古事記字源

 

・・・「魚=さかな=作掛名」=「まな=魚=眞名(仮名)」の漢字は頭が腐るほど調べてきたが、思い出せる「魚」は、そう多くはない。多くは脳ミソから飛んで蒸発しているが、オフクロが「鮨屋(寿司屋)」から貰って飾っていた「湯飲み茶碗」にはサカナの漢字がワンサカだが、読み方を忘れて、勝手に「魚+??」の字形から音訓で「?」をヨンでしまう・・・「鮨」は好きだが。ホトンドの「生魚」の「骨の付いた料理」は嫌いである。ダイタイからして「骨」の多さである。太い骨はなんとか箸で選り分けられるが、「細い骨」となると口の中で舌で選別して吐き出すが、とても煩わしい。それに中途半端に焼いた「生魚の臭い」・・・好きな「お魚」は「シシャモ(柳葉魚・シシャモ・アイヌ語の(ススハム・シュシュハム)・柳葉魚=Spirinchus lanceolatus・キュウリウオ目キュウリウオ科に属する魚・北海道南部の太平洋沿岸の一部でしか獲れない・最近、漁獲の減少で輸入品のカラフトシシャモ(カペリン)・susu(スス・シュシュ)=柳で、ham=葉」で、柳の葉の魚」で、ホネまでそのまま食べれる・・・魚類としての分類漢字が、
 「顎口上綱-
  硬骨魚類条-
  鰭亜綱-
  新鰭区-
  新骨亜区-
  正新骨下区-
  側原棘鰭上目-
  サケ目-
  キュウリウオ科-
  キュウリウオ属」
 であるらしい・・・
 「外国名は英名=Arctic smelt」、
 「学名=Osmerus eperlanus mordax (Mitchill)」、
 「漢字=胡瓜魚」
 で、由来語源は
 「キュウリの香りがする魚」
 であるらしいが・・・生魚として「胡瓜(きゅうり)の匂い」として嗅いだコトはない・・・「子持ちシシャモ」は美味しい・・・ボク的には「究理、窮理」の「嗚意詞意」・・・であるが・・・
 そして、「柳葉魚=シシャモ=詞(試・史)写摸?」である。
 「柳=木+卯」の「卯」が「眞ッ二つに叩き切る」の漢字とはね・・・まさか「死者喪」・・・
 そして、旨いと思うのは「サバ(鯖=魚+逭(主+円)」で「サバ(鮄=魚+弗)」の煮付(につけ)などだが・・・
 20代の学生時代に先輩に「おまえ、日本人のくせに、サカナが嫌いとは可哀想な奴だな・・・」って、云われたが、アルバイト先の羽田空港の食堂で一緒に「鯖の煮付定食」を食べ、ボクの一言「サカナ、嫌いだったけれど、これ、旨いね」が切っ掛けで、彼は「焼き鯖はもっと旨いぞ」・・・その結論が「日本人のくせに・・・」だった・・・彼は静岡の「網元(あみもと)」の息子で、「猫」が嫌いなヒトだった・・・彼は民族主義者ではなかったが「日本人のクセに」・・・
 「くせに(癖に)・接助」は「くせ(癖)」+「格助詞-に」 で「活用語連体形、格助詞」に付く、「非難や不満の気持ちを込めて逆接条件を表す・・・~にもかかわらず・~のに・~くせして」・・・
 「逆接の確定条件を表わす」・・・知っているクセに・・・
 で、
 「鳥(チョウ)=とり=隹(スイ)=禽(キン)=鶏(ケイ)=酉(ユ・ユウ)」=「とり=採・捕・獲・執・摂・盗・撮・録」の「漢字」も随分と調べては考えてきたが、ブログ辞典に「鳥(トリ)」の漢字の羅列があったので、拝借して「鳥取(とっとり)=十鳥」・・・トリを逃がして「焦(あせ)」ったけれど・・・「鳥取県」は「安芸=安藝=広島県西半分、芸州・高知県東部の市、土佐湾に臨む」・・・「蕪木=あぎ(艹+無+八+十)→クサカンムリのムのキ)」・・・
 「第十一代・垂仁天皇=大帶日子淤斯呂和氣命」
  と
 「沙本毘賣=佐波遲比賣命」
 の息子
 「本牟都和気」だった・・・
  ↓↑
 「今聞、高往、
  鵠・・・・鵠=くげ・くぐい
         まと=弓の的の中心の星
            ずぼし(図星)
            的の中心の黒い点
            狙い目
            目当ての所・急所
         コク・コウ・ゴク・カク・ゴウ
         白鳥(ハクチョウ)
         鴻鵠
  之
  音、
  始、爲、
  阿藝、登比(古事記)」
  ↓↑
 「阿藝→安藝」と登比(啼・鳴・云)ったのは
  聾啞(おし)の
 「誉津別命(ほむつわけのみこと・日本書紀)
  本牟都和気命(古事記)
  本牟智和氣御子・本牟智和気命(古事記)
  品津別皇子(尾張国風土記)」
 「ホンツワケ?」・・・
  ↓↑
  応神天皇=第十五代天皇
       誉田別尊(ほむたわけ のみこと)
       誉田別命(ほんだわけのみこと)
       大鞆和気命(おおともわけのみこと)
       胎中天皇
  ↓↑
 またもや、オンナジことの繰り返しだが・・・「隹+?」の同類の漢字羅列は「漢文」として「推古を推理」して読み下せるが、「鳥+?」はその「種類」の羅列に「ヲわる」・・・鳥類図鑑の鳥名だが・・・「鴨長明」って、実在したんだか、ドウなんだか「鴨鳥名」・・・
 あまりにも、あまりにも、
 「出来過ぎで」であるカナ、
 「方丈記」・・・
ーーーーー
 「鴨長明」
  ↓↑
 久寿二年
 (1155年)
  ~
 建保四年
 閏六月十日
 (1216年
  7月26日)
  ↓↑
 ・・・この日本年号と西暦年号、そして「数字」に疑問はないのか?・・・
  ↓↑
 平安時代末期~鎌倉時代
 賀茂御祖 (みおや) 神社の
 禰宜(ねぎ・神主)の
 鴨長継の次男
 位階は従五位下
 号は
 菊大夫・・・
  ↓↑
 「行く川のながれは絶えずして、
  しかも
  本の水にあらず。
  よどみに浮ぶうたかたは、
  かつ消え
  かつ結びて
  久しくとゞまることなし。
  世の中にある
  人と棲家(すみか)と、
  また
  かくの如し。
  玉しきの都の中に
  棟(むね)をならべ
  甍(瓦・いらか)を
  あらそへる、
  たかき
  いやしき人
  の
  すまひ(住)は、
  代々を經て
  盡きせぬものなれど、
  これを
  まことかと尋ぬれば、
  昔ありし家は
  稀(希・まれ)なり。
  或は
  こぞ破れ(やけイ)て
  ことしは造り、
  あるは
  大家ほろびて小家となる。
  住む人もこれにおなじ。
  所もかはらず、
  人も多かれど、
  いにしへ見し人は、
  二三十人が中に、
  わづかに
  ひとり、ふたりなり。
  あしたに死し、
  ゆふべに生るゝならひ、
  たゞ
  水の泡にぞ
  似たりける。
  知らず、
  生れ死ぬる人、
  いづかたより來りて、
  いづかたへか去る。
  又、知らず、
  かりのやどり、
  誰が爲に
  心を惱まし、
  何によりてか
  目をよろこばしむる。
  その
  主(あるじ)と
  住処(すみか)と、
  無常を
  あらそひ去るさま、
  いはゞ
  朝顏の露にことならず。
  或は
  露おちて花のこれり。
  のこるといへども
  朝日に枯れぬ。
  或は
  花はしぼみて、
  露なほ消えず。
  消えずといへども、
  ゆふべを待つことなし。
  およそ物の心を知れりしよりこのかた、
  四十あまりの春秋をおくれる間に、
  世のふしぎを見ること
  やゝたびたびになりぬ。」
 ↓↑
ーーーーー
 またもや、オンナジことの繰り返しだが・・・
 「隹+?」の同類の漢字羅列は「漢文」として
 「推古を推理」して読み下せるが、
 「鳥+?」はその「種類」の羅列に「ヲわる」が・・・例外もあるし、「鳥偏」を省いた(除いた)漢字の羅列は読み下し出来る・・・
 ↓↑
 鳥=トリ=隹=鵻=鳥+焦
 ↓↑
 隹+?
 ↓↑
 隻進集
 售(シュウ・うる)・・・売り切れ=售完・・・
 雋(シュン・セン・すぐれる)
 蕉
 蒦
 准淮
 堆
 錐
 維
 雎推雉
 唯
 雄雌
 雇
 雑
 奞
 ↓↑
 鳥+?
 ↓↑
 鳥=白+一+丂+「灬(火)」or「⺗(下心)=⺗」
         焼鳥      背反・思惑
   ↓↑
 「可、丂、号(號)
  子曰、朝聞道、夕死可矣
  子曰く、朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」
 「可」は「口+丂」・・・ではなく、「可=丁+一+口」である・・・ここは近代的、現代的な「楷書」の字形としての研究であるから、勘違いしないよう。もちろん、添書金文の漢字も参考にするが、基本的には「許慎(キョシン・つつしんでユルス)」の「説文」以降の漢字の構成である・・・「可=是・認可・許可・可能」である・・・「丂」は「曲がる・つかえて曲がる」である。「丂→考・拷・号・號・巧・朽」・・・「巧み」は「工(職人)の丂(曲る技・技術)」である・・・製作目的物の原材料の「木・石・土・金・水」の加工技術だろう・・・「考=十+一+ノ+丂」で、脳ミソの「農業技術、技能・智恵・知識」の示唆の漢字だろう・・・参考ブログは以下の「みんなの便利帳」・・・
http://www.benricho.org/kanji/kanji_tori.html     
 ↓↑  
 鳦=乙=イツ・つばめ・鷰・燕
 鳫=厂=ガン・ゲン・かり
 鳩=九=キュウ・ク・はと
 鳧=几=フ・ブ・けり=鳬・かも=鴨
 鳰=入=にお
 鳶=弋=エン・とび・とんび
 鳲=尸=シ
 鳳=几一=ホウ・ブ・おおとり
 鳴=口=メイ・ミョウ・なく・なる
 鴉=牙=ア・エ・からす・烏
 鴈=厂イ=ガン・ゲン・贋・雁
 鳹=今=キン・しめ・ひめ
 鴃=夬=ケキ・ゲキ・もず・百舌鳥・鵙
 鴂=夬=ケツ
 鳷=支=シ
 鴆=冘=チン・ジン
 鴇=ヒ十==ホウ・とき・朱鷺・鴾
 鴋=方=ホウ
 鴪=穴=イツ・イチ
 鴛=夘=エン・オン・おしどり
 鴎=区=オウ・ウ・かもめ
 鴦=宊=宀大=オウ・ヨウ・おしどり
 鴨=甲=オウ・ヨウ・かも
 鴬=ツ冖=オウ・ヨウ・うぐいす・鶯・𪀯
 鴞=号=キョウ
 鴝=句=ク
 鴣=古=コ・ク
 鴟=氐=シ・とび・鳶・鵈・鵄
 鴕=它=タ・ダ・駝鳥
 鴑=奴=ド
 鴘=弁=ヘン
 鴗=立=リュウ・そにどり・かわせみ・翡翠
 鴒=令=リョウ・レイ
 鴫=田=しぎ
 鴳=安=アン
 鴰=舌=カツ
 鵂=休=キュウ・みみずく・鵩・鶹・梟
 鴴=行=コウ・ちどり・千鳥・鵆・鴴
 鴻=江=コウ・グ・おおとり
 鴿=合=コウ・はと・鳩
 鵁=交=コウ・キョウ
 鴜=此=シ
 鴲=旨=シ・しめ
 鵄=至=シ・とび・鳶・鵈
 鴯=而=ジ
 鴽=如=ジョ
 鵃=舟=チョウ
 鴺=夷=テイ・イ
 鴾=牟=ボウ・ム・とき・朱鷺
 鵅=各=ラク
 鴼=各=ロ
 鵆=行=ちどり・千鳥
 鵇=年=とき・朱鷺・鴾
 鵈=耳=とび・鵄・鳶
 鵝=我=ガ
 鵞=我=ガ
 鵟=狂=キョウ・のすり・よたか
 鵙=貝=ケキ・ゲキ・もず・百舌鳥・鴃・鶪
 鵑=肙=口月=ケン
 鵊=火=コウ
 鵠=告=コク・ゴク・くぐい
 鵔=蘸=シュン
 鵢=身=シン
 鵜=弟=テイ・ダイ・う・鶖・鸕・鄔・鴎
 鵐=巫=ブ・ム・しとど
 鵓=孛=ボツ
 鵡=武=ム・ブ・鸚鵡
 鵣=束=ライ
 鵤=角=いかるが・いかる・斑鳩
 鵥=判=かけす
 鵶=亞=ア
 鵪=奄=アン
 鵷=宛=エン
 鶏=奚(爪夫)=ケイ・にわとり・とり
 鶃=兒=ゲキ
 鵼=空=コウ・ぬえ
 鶊=庚=コウ
 鵾=昆=コン・とうまる
 鵲=昔=シャク・ジャク・かささぎ
 鶉=享=シュン・ジュン・うずら
 鵻=隹=スイ
 鶄=逭=セイ
 鳥馬=馬=チョウ・わし
 鶇=東=ツウ・トウ・つぐみ
 鄔=卓=トウ
 鵯=卑=ヒ・ヒツ・ひよどり
 鵩=服=フク・みみずく・鵂・鶹
 鵬=朋=ホウ・ボウ・おおとり
 鵺=夜=ヤ・ぬえ
 鶆=来=ライ
 鶍=易=いすか
 鶎=宗=きくいただき
 鶕=音=アン
 鶚=咢=ガク・みさご
 鶡=曷=カツ・やまどり
 鶪=目犬=ケキ・もず
 鶘=胡=コ
 鶤=軍=コン・ウン
 鶖=秋=シュウ・ウ
 鶒=勅=チョク
 鶗=是=テイ
 鶓=苗=ビョウ
 鶩=敄=矛攵=ブ・ボク・あひる
 鷃=晏=アン・かやくき
 鶯=𤇾=火火ワ=オウ・ヨウ・うぐいす
 鶲=翁=オウ・オ・ひたき
 鶴=寉=カク・ガク・つる
 鷄=奚=ケイ・にわとり・とり
 鷁=益=ゲキ・ギャク
 鷊=鬲=ゲキ
 鶱=𡨄=ケン・とぶ
 鶼=兼=ケン
 鷇=殳=コウ・ひな
 鶮=高=コク
 鶻=骨=コツ・コチ・はやぶさ
 鶿=茲=ジ
 鶸=弱=ジャク・ニャク・ひわ
 鷆=眞=シン・テン
 鷏=真=シン・テン
 鶵=芻=スウ・ひな
 鶺=脊=セキ,シャク
 鶬=倉=ソウ・まなづる
 鷉=虒=テイ・シ・・・虒=角虎・トラに似た角のある
               空想の獣=委虒(イシ)
 鷂=䍃=ヨウ・はしたか・はいたか
 鶹=留=リュウ・みみずく
 鷖=殹=エイ・かもめ
 鷗=區=オウ・かもめ
 鶴=寉=カク・ガク
 鷠=魚=ギョ
 鷔=敖=ゴウ
 鷟=族=サク
 鷙=執=シ
 鷓=庶=シャ
 鷞=夾=ソウ
 鷕=唯=ヨウ
 鷚=翏=リュウ
 鷧=壹=イ
 鷸=矞=イツ・イチ・しぎ
 鷰=燕・北甘口=エン・つばめ
 鷳=輭=カン・しらきじ
 鷴=閑=カン
 鷮=喬=キョウ
 鷥=虒=シ
 鷲=就=ジュ・シュウ・わし
 鷦=焦=ショウ
 鷭=番=ハン・バン
 鷩=敝=ヘツ
 鷯=寮=リョウ
 鷾=意=イ
 鷹=广イ隹=オウ・ヨウ・たか
 鷽=𦥯=(臼爻冖)=ガク・カク・うそ
 鸂=渓=ケイ
 鷫=盡=シュク
 鸇=壹=セン・はやぶさ
 鸊=辟=ヘキ
 鸒=鸒=ヨ
 鷺=路=ロ・ル・さぎ
 鸎=貝貝=オウ
 鸑=獄=ガク
 鸐=翟=テキ・やまどり・きじ
 鸖=霍=カク
 鸕=盧=ロ
 鸚=嬰=オウ・ヨウ
 鸛=雚=カン・こうのとり・・・雚=梟
 鄖=龠=ヤク・ひばり
 鸜=瞿 =ク・ケン
 鸞=䜌=糸言糸=ラン
 鸝=麗=リ
 ↓↑
 嶋=山=トウ・しま
 嶌=山=トウ・しま
 蔦=艸=チョウ・つた
ーーーーー
 ↓↑
 鄥=阝=キョウ
 阝鳥=阝=トウ・しま
 樢=木=チョウ・ボク・つた
 ↓↑
 鶙=帝=テイ・ダイ・タイ・・・大鷹
ーーーーー
 ・・・「霄(おおぞら・ショウ・セウ・大空・はるかな天)」にハバタク・・・「ペンギン・penguin・企鵝・人鳥・片吟」の天敵は「鷗・鴎」と「鯱と鮫」と、かっては「人間」だった・・・

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「誕生」した人間・・・

2016-07-27 23:11:52 | 古事記字源

 ・・・「精神異常を装った(?)精神正常の殺人者」である・・・お前には「殺すと云う目的意志」と「殺すコトの手段」があった・・・だが、「国防意識」の「軍人」でも「兵士」でもない。「育てた命」で「命」を大切にする「・屠畜」人でもない・・・「死刑の価値」もない「人間」である・・・他人の命を奪ったエゴ意識過剰な「通り魔・愉快犯」である・・・「カッコーの巣の上で(One Flew Over the Cuckoo's Nest・郭公の巣)・1975年のアメリカ映画・原作は1962年・ケン・キージーの小説」・・・「精神異常を装って刑務所での強制労働を逃れた男が、患者の人間性までを統制(?)しようとする病院から自由を勝ちとろうと試みるというハナシ」のカケラもない・・・「人間」は「釈迦」にも、「キリスト」にもなれない。この地球上では唯単に「食物連鎖の頂点」にいるだけである・・・そして、社会生活で「ヒトの命を救うコト」は難しく、「救われるコト」も難しいが、瞬時に「ヒトを殺傷するコト」は「意識的にも、無自覚的にも簡単」である・・・
 「欠缺(ケンケツ)とは、欠けていること・主に法学で用いられる(意思の欠缺、意思能力の欠缺、登記の欠缺、訴訟条件の欠缺など)が、近時は「不存在」に言い換えられる・民法101条は現代語化の際に、「意思の欠缺」を「意思の不存在」に改めた・・・
ーーーーー
  マザーグースの詩
 「カッコウの巣の上に」
 Vintery, mintery, cutery, corn,
 Apple seed and apple thorn
 Wire(ワイヤー),briar(ブライア),limber(リンバー)lock,
 Three geese in a flock.
 One flew east,
 And one flew west,
 And one flew over the cuckoo's nest
ーーーーー
 「the cuckoo's nest」、「托卵」する「郭公・閑古鳥」には「巣」があるのか・・・「郭務悰(忄+宗)」・・・
 ・・・Wire(ワイヤー=倭意埜蛙),briar(ブライア=武等意蛙),limber(リンバー=臨葉蛙)lock(ロック=鸕椄句)・・・
 「市民社会」の「悲惨」である・・・
ーーーーー
 ・・・以下はウイッキペデアから添付・・・
  ↓↑
 「欠缺(ケンケツ)とは、欠けていること・主に法学で用いられる(意思の欠缺、意思能力の欠缺、登記の欠缺、訴訟条件の欠缺など)が、近時は「不存在」に言い換えられる・民法101条は現代語化の際に、「意思の欠缺」を「意思の不存在」に改めた)
  ↓↑
 欠缺=ある問題に対して適用する法規が欠けている
 (存在しない)状態にあることを指す。
 成文法においては、文章で法規が書かれているため、
 その文章の範囲内でしか適用する事が出来ない。
 立法当時の配慮の不足や
 立法後に
 生じた当時においては
 全く予想も出来なかった事例の発生がある。
 法の欠缺が問題になるのは、
 いわゆる上乗せ・横だし条例の制定・運用の時である。
 こうした事態に対しては
 民事裁判においては
 類推適用や慣習法、
 条理によって事態が解決される事が
 裁判官に求められる
 (スイス民法典では、限定して判例による決定に
  法的効力を持たせて
  事実上立法の役割を果たすことを認めている)
 逆に
 刑事裁判
 においてこうした措置を取る事は
 「罪刑法定主義」に違反する行為として
 固く禁じられている。
 罪刑法定主義の成立以前の世界において、
 時の君主や権力者が
 政敵やその他疎ましい人物を陥れるために
 「法の欠缺」を理由に
 その人物を犯罪者とするための罪を
 特別に規定して逮捕・処刑する場合が多かった
 中国・西晋に仕えた
 劉頌が
 君主(皇帝)によるそうした
 風潮を憂慮する文章を残している(晋書)
ーーーーー
 権力を握った「人間」、そして
 「一般人の欠陥」でもある・・・
 「人間」とは
 紙一重のところで「豹変」するかどうかの生きモノである・・・?
ーーーーー
 ・・・「己」が「誕生し、今現在も生きて来ている」と云うコトの「命の不思議」・・・漢字の「誕生」の「誕」だが・・・生まれてきた人間は「コトバ(言語)」の知識を「社会的な人間関係の中」で脳ミソ神経細胞に「延長」し、「増延」していく存在でアルコトの形象だと思うが・・・
ーーーーー
  ↓↑
 「誕」=「言+延」の名前を有する人物は
  ↓↑
 韋誕(イタン)・・・イタンとは「異端」?
  ↓↑       韋=なめしがわ・そむく・イ
             相い背くなり、
             舛に従ひ、囗を聲とす
             獸皮の韋
             束ねて枉戻(おうれい)し
             相ひ韋背す可し、
             故に借りて以て
             皮韋と為す、
  ↓↑         凡そ韋の屬は皆な韋に従ふ
 179年~251年
 後漢末期~三国時代の魏にかけての人物
 字は仲将
 司隷京兆郡杜陵県(陝西省西安の南)の出身
 父は韋端(イタン)
 兄は韋康(イコウ)
 建安年間に
 上計吏となり、・・・上計吏=毎年九月に
               人口や収支、
               盗賊の多少などの
               報告書を所属郡へ提出する
               官吏・役人
 郎中に任ぜられ
 太和年間に
 武都太守・・・・・・武都の戦い
           218年
           劉備は漢中を攻め、
           別働隊として
           呉蘭・雷銅・張飛・馬超の部隊
           二万を派遣して武都を攻略
           氐族の酋長の
           強端の
           伏兵にあい斬り殺され敗北
  ↓↑
 劉誕(リュウタン・?~194年)
 後漢末期の人物
 父は劉焉
 兄は劉範
 弟(異母弟)は劉璋
 父の命で兄と共に長安に駐屯
 董卓から
 治書御史に任命
 初平三年(192年)
 董卓が殺害され
 董卓の腹心の
 李傕が権力を握る
  ↓↑
 劉誕 (南朝宋)
 劉誕(433年~459年)
 南朝宋の皇族
 竟陵王
 文帝
 劉義隆
 と
 殷修華
 の六男
 字は休文
 443年(元嘉二十年)4月
 広陵王に封じられ
 444年(元嘉二十一年)2月
 監南兗州諸軍事
 北中郎将・南兗州
  ↓↑
 中国の歴史上の名前には
 「日本書紀」の
 「?」を示唆する不思議な名が多いが・・・
  ↓↑
 ソモソモも、であるが、漢字の
 「誕」の由来が・・・「?」である・・・
 「誕、
  彌月(三月)の
  厥
 (コチ・ケツ(クヱツ)・・・朔望月=月の満ち欠け
  ↓↑  ↓↑      朔は「屰+月」
              欮は「屰+欠」
      ↓↑     「屰(さからう・ゲキ)」
              の部首構成の漢字は
              逆・溯
      ↓↑      遡・塑
  ↓↑ 厥=その・それ
     息が詰まる・卒倒する
     つかえてもどす
     のぼせる病状
     くぼみにひっかかる
     かぎ型にくぼむ
     まげる
     石弓をかぎ型のくぼみに
  ↓↑ ひっかけて石をはね飛ばすこと)
  先づ
  生まるること達の如し(詩経・大雅・生民)」
  ・・・コレって、ナニを云っているんだか?
  ↓↑
 「誕」の意味
 ↓↑
 騙す・欺く・妄言
 ほしいままにする
 おおいに・大きい・ひろく
 育てる・生まれる
 また発語として使われ、
 まことに・ここに
 と読む・・・?・・・これなら、
           聖母マリアの処女懐胎
           キリスト誕生の
           奇蹟「譚」である・・・
 「詞、
  誕(おほ)ひなるなり(説文解字)」
 形声で声符は
 延(タン・ダン・エン)。
 いつわる・うまれる・いつわる
 あざむく・おおきい
 異体字
 𧥡(廴+言)・・・(説文の籀文)
 「唌」は
 「誕と同じ(集韻)」
 「訑」は、
 ほしいままという意味で
 「誕」と同じ(正韻)
 語彙
 誕生=生まれる・出産・創立
 「誕(ここ)に
  彌(そ)の月を
  厥(を)え、・・・「厥」は既に調べて添付したが
            ・・・「もれる(漏)?」と
            文庫本の「日本書紀」のルビに
            あったような記憶があるが?
            欠→欮・闕・厥
            欠缺(ケンケツ)=不存在
            「缺」を旧字体とし、
            対応する新字体として
            「欠」とした・・・
            欠=かける・あくび・カク・ケツ
              一部分が壊れる
              必要なものが足りない
  先づ生まるること
  達・・・・・・・・・障りなく通じる
            道がとおる
            闊達・四通八達
            目的・目標に達する
            達成・栄達・窮達
            到達・発達
            物事によく通じる
            命令・・・伝達
            人数が複数であること
  の如し
 (詩経・大雅・生民)」
 とある
 誕育・誕淫・誕譎・誕傲・誕辞
 誕縦・誕辰・誕詐・誕蕩・誕放
 誕謾・誕妄
 虚誕(キョタン)・荒誕(コウタン)
 降誕(コウタン)・生誕(セイタン)
 聖誕(セイタン)・放誕(ホウタン)
 妄誕(ボウタン・モウタン)
 「誕」は
 「言」(ことば)と
 「延」(引き延ばす)
 事実を引き延ばし、大げさにいう
 「タン」が
 「旦(元旦に生まれる)」
 意味となった・・・
  ↓↑
 「説文解字(許慎)」
 「詞(ことば)の誕(いつわり・大げさなウソ)
  言に従い延の声」
 「みだりに大言して、人を欺くこと」
  ↓↑
 「延」は「喩母(ユボ・たとえ)」・・・?
 「誕生」=「生まれること」
 「誕生日」
 「誕生」は生きている人に使い、
 「生誕」は既に亡くなっている人に使う・・・?
 「降誕=出生」
 「降誕」は、神仏・君主・聖人・高僧
 など
 「出世」は一般人・・・?
  ↓↑
 大げさなうそを言う・でたらめ
 虚誕・荒誕・妄誕
 子供が生まれる
 誕生・降誕・生誕
 ・・・・
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コメント
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