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コジキジゲン

波斯(ペルシャ)の位置葉と、「斯波(しば)」氏の位置場・・・織田・・・

2016-10-05 21:52:51 | 古事記字源

 ・・・自然災害の被災地では大変だろうナッ・・・「3・11」から5年7ケ月・・・ボクが蝦夷地に帰還してから5年2ケ月、昨日も今日も冬なみに寒い。愈々(いよいよいよ)ストーブ(stove)の出番である・・・引っ越しの移転でイランものはナニもなかったし、勿体(もったい)なく、捨てるモノはナニもなかったが・・・ノーベル賞、東京工業大学の「大隅良典」栄誉教授が受賞ですか。研究は、「オートファジー(Autophagy・自食、自浄作用の細胞内のタンパク質を分解とリサイクル)」、イランモノはナニもない・・・「イラン(Iran・伊蘭・義蘭・伊朗・以蘭・ギリシア語のArianan(アリアーナ)の転訛」=「ペルシャ(Persia・波斯・百児斯・巴社)人」?・・・「波斯→ペルシャ(波斯)人?」=「Perse、Persan(ペルシャ人が移住したイラン平原西南のギリシャ名)」・・・「1935年にペルシア(Persia)からイランに改称」・・・「イランの地にまつわる伝承・歴史の集大成といえる『シャー・ナーメ(王書)』=古代 ペルシャの神話や歴史の叙事詩の記録・サーマーン朝(875~999年)時代の詩人フィルドゥシーの著作」・・・
  ↓↑
 「ペルシャの市場・Ketelbey(ケテルビ)
  In a Persian Market」
https://www.youtube.com/watch?v=GK2g9FQfcZI
 1939 Larry Clinton - In A Persian Market
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 「イチバにナイもの」は倉庫にあるカモ・・・
 「いらん(む)」=余計な、ほしくない、「いらない」が略語化されて「いらん」になった?デスカ・・・王様の国宝は「イラン」だろうな。結果は「高倉(高床=多寡何処?)式の倉庫(東大寺の正倉院)」にシマイ込まれた・・・
 「天平勝宝八(756)年六月二十一日、聖武天皇の四十九日忌、光明皇后によって献納された天皇遺愛品600点余。これに平安時代の天暦四(950)年に東大寺-羂索院(ケンサクイン)の倉から移納された寺の什器類などを加え、約9000(九千)点が三倉に分納された」・・・
 「羂索院=不空羂索観音を祀る御堂であることから羂索堂(ケンサクドウ)と呼ばれ、付属建物を含めて「羂索院(ケンサクイン)」と称されていた。
  東大寺の
  法華堂(三月堂)本尊の立像
  東大寺の記録によると羂索院は、
  良弁が
  733年(天平五年)に
  不空羂索観音を本尊として創建した」・・・
 「不空羂索観音=アモーガパーシャ (amoghapāśa)
         不空=徒労で無い・無駄ではない
            報われる
            甲斐がある
            効果がある
         七観音の一尊
         多臂(多くの腕)を持ち、
            鹿の毛皮を身に纏(まと)う
            野獣の毛皮を纏(まと)う」
    羂索=古代インドで密猟や戦闘に使われた捕縛用の縄
       狩猟用の投げ縄、捕縛縄
       鳥獣等を捕らえる縄」
 「倉庫内に現存する宝物は約九千点
  1884(明治十七)年から国が管理」・・・
 漢字音の「同音」とするならば
 羂索観音(検索で観る音)・・・羂=罒(網目)+糸+口+月
 羂索院(検索の音、因)
 だろう・・・?・・・
 「良弁」は嬰児(エイジ・みどりご)の時に鷲(わし)に誘拐(さらわ)れ、東大寺のお水取り(修二会=しゅにえ・悔過作法)の二月堂(ニガツドウ)の杉(サン・すぎ)の木(もく・キ)に引っ掛けられた伝承の人物である・・・「英字(エイジ)の見取語(みどりご)」であるカナ?
 流石(さすが)に「法華経の比喩方便」であるかな、「華厳(経)思想=華厳宗」の「重々無尽の縁起」であるカナ?・・・
 「悔過(けか)作法= 仏事の法要名で、前行の「別火(べっか)」の後、「世の人々の過ちを悔い、今後の平安を祈る法要」・・・「十一面悔過法」・・・「罪障懺悔の唱句はない」ですか・・・
 「良弁」は
 「相模国の柒部(ぬりしべ・シツブ・漆(うるし)→柒の異体字)氏」の出身・・・「持統三年(689)〜宝亀四年(774)柒部氏(ぬりべし)=漆部氏=漆を塗る職業」の出身・・・別説で「近江の百済氏の出身」・・・
 「聖武天皇から羂索院を賜り、後に改名されて金鐘寺とした」・・・通称、「金鐘行者」・・・
 「天平十二年(740年)、
  華厳経の講師として
  金鐘寺に
  新羅の
  審祥(人名)を招いた」・・
  審祥=審祥・・・審=シン・つまびらか
            審議・審査・審判・審美
            裁判の審理
            一審・結審・原審・再審・終審・陪審
            不審判
          祥=示+羊=ショウ
            さち・きざし・あきらか
            めでたい
            清祥・多祥・不祥事
            めでたい兆し、前触れ
            嘉祥・瑞祥・発祥
            忌み明けの祭(祀)り
            祥月=死亡月(日)と同じ月(日)
               小祥・大祥
               儒教で、先祖が亡くなって
               十三月目の祭りは小祥忌
               十五月目の祭りは大祥忌
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 「波斯(ペルシャ)」が
 「斯波」と関係あるとするのは「漢字文字」からのボクの妄想的(?)なカンジ的な説だが、「妄(亡+女)想(木+目+心)」的には、彼ら(波斯人)の「帰化人の家系」は平家も、足利も、加賀も重なるカモ?・・・「木の目」とは年輪である。そして「記紀の目」とは「年代の数」で、その「こころ(心)=個々(此処)賂」である・・・カナ・・・?
  ↓↑
 「破斯(はし・波斯)清通」・・・「?」である・・・が、
 「波斯(ハシ)→斯波(しば)」の(前後・上下)の「波」と「斯」の配置文字「斯波(しば)=織田氏の主人筋」と関係あるとするはボクの説だったが?・・・
 「破斯清通」・・・?・・・室町幕府将軍足利氏の有力一門、細川氏・畠山氏と交替で管領に任ぜられた「守護大名」、越前・尾張・遠江などの守護を世襲し、分家の「大崎氏は奥州探題」、「最上氏羽州探題」を世襲・・・
 以前には「シバ」は「岩手県盛岡の一部」である「紫波」に関しても書き込んだが・・・
ーーーーー
 「読売新聞10月5日(水)6時0分」のニュース添付・・・
  ↓↑
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/1005/ym_161005_1663197879.html
  ↓↑
 ペルシャ(波斯)人?・・・「斯波→織田」と関係あるとするのはボクの説だったが?・・・「破斯清通」・・・?
  ↓↑
 奈良の都にペルシャ人役人がいた…木簡に名前
 読売新聞10月5日(水)6時0分
 奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の
 木簡に、
 ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する
 「破斯はし」という
 名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、
 奈良文化財研究所の調査でわかった。
 国内で
 ペルシャ人の名前を記した
 出土遺物が確認されたのは初めてで、
 奈良時代の日本の国際性を裏付ける成果となる。
 木簡は1966年、
 人事を扱う
 式部省があった
 平城宮跡東南隅の発掘調査で出土した。
 文字が薄く肉眼では一部が判読不能だったが、
 今年8月、
 赤外線撮影をした結果、
 役人を養成する「大学寮」での
 ペルシャ人役人の宿直に関する
 勤務記録とわかった。
 表側の上部に
 「大学寮解
  申宿直官人事」、
 下部に、
 定員外の特別枠で任じられた役人
 「員外大属(いんがいだいさかん)」という役職名、
 中国語で
 ペルシャを表す
 「波斯(はし)」と同じ読み・意味の
 「破斯」という名字を持つ
 「破斯清通」という人名と、
 「天平神護元年(765年)」
 という年号が書かれていた。
ーーーーー
 ・・・「ウイキイペデア」によれば・・・
 斯波氏
 鎌倉時代
 足利泰氏の長男
 足利家氏が
 陸奥国
 斯波郡(しわぐん・岩手県盛岡市の一部、紫波郡)
 を所領
 家氏の同母弟
 足利兼氏(義顕)は、
 室町時代に
 九州探題を世襲する
 渋川氏の祖・・・
 家氏の母は、
 執権北条氏の有力一門
 名越氏の出身
 当初は泰氏の正室
 しかし、兄の
 名越光時らが
 嫡流の
 北条得宗家に反乱を起こし
 母は側室に退き、
 家氏も嫡子から庶子へと改められ
 代わって
 得宗家の
 北条時氏の娘が
 泰氏の正室となって
 頼氏を儲け、
 足利氏嫡流を継承・・・
 足利宗家とは別に
 将軍直臣たる御家人となった
 家氏は、
 宗家の家人・・・
 他の足利氏庶流(仁木氏・細川氏など)とは
 一線を画した存在
 家氏は、弟の
 頼氏の死後宗家を相続した
 家時の幼少時にその後見人となって
 惣領を代行・・・宗家に準ずる格を有した・・・
 この子孫が代々
 尾張守に叙任され、
 足利尾張家と呼ばれ
 鎌倉時代には
 足利姓を称する別流の扱いで
 斯波を名字とするのは
 室町時代になってからのこと・・・
 「斯波」姓で記されたものでは、
 『荒暦』応永二年七月二十六日条
 「管領-斯波禅門(義将)」
 とある・・・
 古記録では
 「満済准后日記(応永二十九年十一月二十日条の
 「斯波武衛(義淳)」が初見・・・
 「斯波」の読み方についても
 「斯和」
 「志王」などの別表記から、
 「しわ」が後に
 「しば」に変化したとする説・・・
ーーーーー
 ???・・・

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先進的科学市民として (哲学研究家)
2024-09-17 03:57:56
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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