人間の視覚で確認出来る「物質」の「∞」~「・」
「極大・大・中・小・極小」・・・
???・・・

壱弐参四伍陸桼捌玖・零
壹貮參肆吾陸漆捌玖・零
一二三亖五六七八九・〇
囗丅亠一丿乙
儿ユハ乚乁丿
↓↑
㐅(古字)=五
五=丅+ユ=ー+/+ユ
伍(大字)
𫝀(俗字)=丅+ユ
㠪(古文)=̅+ト+̲≒正
𠄡(古文)=̅+乂(メ・✕)+̲
ご・ゴ・・・
語・碁・護・誤・期・娯
後・后・互・梧・醐・瑚
眞=匕+目+𠃊+八
匕+県
まこと
シン
異体字
眞 真 𠤛 𫞲
眞=人名
僊人なり
形を變へて天に登るなり
「𠤎」に従ひ
「目」に従ひ
「乚」に従ふ
「八」なるものは
「乘載」の所なり。(説文解字)
𠤎(カ)+県(ケン)
「𠤎=化」の初文で「死者」
「県=首の倒形」で「倒懸」の象
「顚死(テンシ)の人」
「顚死者」= 縊死者=絞死者
顛=眞+頁
てっぺん・山顚=山頂
はじめ・はじまり・顚末=始終
たおれる・ころぶ
「くつがえる」
「顚倒・顚覆」
「転」=転倒=ころぶ
「山顚 (サンテン)・絶顚 (ゼッテン)」
いただき・物のてっぺん
はじめ・はじまり
テン
いただき・・・頂・頂戴(ちょうだい)
与えて「ください」
くつがえる・・靴(沓・履・舃)かえす
改革
革=なめしがわ=韋
革命=覆(くつがえ)す
たおれる・・・倒れる・転ぶ・滅びる
小数(大きい数順)
分(ブ)
厘(リン)
毛(モウ)
糸(シ)
忽(コツ)
微(ビ)
繊(セン)
沙(シャ)
塵(ジン)
埃(アイ)
渺(ビョウ)
漠(バク)
百千万億兆京垓穣溝澗正載極
恒河沙・阿僧祇
那由他・不可思議
無量大数
一(イチ)
十(ジュウ)・拾(壱拾・壹拾)
百(ヒャク)・陌・佰
千(セン) ・阡・仟・・・仠(カン)
万(マン) ・萬
億(オク) ・憶・・・噫(アイ)
兆(チョウ)・佻(うすい)・咷・垗・桃(もも)
京(ケイ、キョウ)
垓(ガイ)
↓↑
𥝱(ジョ・禾+予)=十億=10²⁴
江戸時代に万進に統一され
日本統治下の
台湾・韓国も
秭=10²⁴
本来「秭=禾+𠂔」・・・・𠂔=𠥽=𪩲
杮(こけら)≠柿=かき=柹
市=一+巾 市=亠+巾
巿(フツ) 市(シ)
と書かれていたが
日本の
『塵劫記』で「𥝱」と誤って書かれ
旁(つくり)の「予」から
𥝱=和製漢字(国字)となり
読み方も「𥝱(ジョ)」となった
秭(シ・積み重ねる)
秭=𥞑=𥝱=秭=10⁹
↓↑
旁(右側の部分)
「巿(フツ)=十+冂」 「市(シ)=亠+巾」
「巿(フツ)=十+冂」 「市民・市街・市場」
始皇帝が召した
僊人=センニン=仙人 「市女笠・十市」
徐 福 「頂部に巾子(こじ)を造作した笠」
齊人徐「市=十+冂=ー+巾」・・・市=前掛け・医療白衣
「東海の彼方の三神山(蓬莱、方丈、瀛洲)」
↓↑
田「巿(フツ)」
?~紀元前206年)
秦末前漢初期の
斉の王
田儋の子
田儋の従弟の
田栄に斉王に擁立されたが
後に田栄に殺された
『史記・田儋列伝』
秦の二世二年(紀元前208年)6月
秦末期の騒乱で自立して
斉王となった
田巿
の父にあたる
田儋が
魏王の
魏咎の援軍に赴いた際に
秦軍の
章邯に敗れて戦死を遂げ
田儋の従弟の
田栄と田横は東阿にまで敗走
七月
新しい斉王に
田假(斉王建の弟)を擁立
東阿は秦軍により包囲された
八8月
東阿
は楚の
項梁
の救援で
章邯を敗り包囲から解かれた
田栄
は
田假
が斉王に擁立されたことを認めず
田假
を攻撃して楚に追放
従子の
田巿
を斉王に擁立し
田巿が王となり
田栄は斉の相となり
田栄の弟の
田横が将軍となり
田栄が斉の実権を握り平定
斉は
田假を殺すことに
同意しない
項梁の援軍派遣要請を断わった
九月
斉からは
高陵君に封じられた
顕
を楚の項梁への使者として送るが
項梁は
章邯に敗れ、戦死
二世三年(紀元前207年)10月
斉の将
田都
が
趙(趙歇)
の援軍に向かう
宋義
を上将軍とする楚軍に入り
次将である
項羽を支援
十一月
安陽に楚の軍を留めた
宋義
の息子
宋襄
を斉の相とするが
宋義
と
宋襄
は
項羽により、殺害され
項羽は楚の上将軍となり
趙の救援に赴いた
十二月
項羽
が秦を滅ぼす
高祖元年(紀元前206年)正月頃
項羽
は叔父の
項梁に援軍を送らなかった田栄を恨み
斉は3つに分けられ
田巿
は斉王から遷されて
その一つ
膠東王に封じられ
即墨を都とした
田栄
は王になれなかった
五月
田栄
は斉王に封じられた
田都
田都は楚に逃亡
田巿は
田栄に留められ
膠東に行かせないように抑制された
六月
田巿の側近は
「項王(項羽)は、強く横暴です
王(田巿)は膠東にいくべきです
国に行かなければ
確実に危険でしょう」
と進言し
田巿
は恐れて
田栄のもとから逃亡して、膠東に赴いた
田栄は怒り、追撃して
田巿を即墨にて殺した
田栄
は三つに分かれた
三斉の地を統一
斉王を名乗った・・・
「田(デン) 巿(ハイ)」の名前・・・
↓↑ ↓↑
「沛 公=ハイコウ=劉邦=前漢の覇者」
「沛(ハイ)=㳈=伂」・・・朮=𠂔
ハイ・さわ・たおれる
雨や水流などの勢い
盛んなさま
澤=さわ・タク・ジャク=沢
一面に水草の生えている土地
湿地
倒(たお)れる
躓(つま)ずき倒れる
造次顛沛(ゾウジテンパイ)
顛沛流離(テンパイリュウリ)
顛沛流浪(テンパイルロウ)
↓↑
穣(ジョウ)
溝(コウ)
澗(カン)
正(セイ)
載(サイ)
極(ゴク)
恒河沙(ゴウガシャ)
阿僧祇(アソウギ)
那由他(ナユタ)
不可思議(フカシギ)
無量大数(ムリョウタイスウ)
↓↑
1光年=9460730472580800 m
概数
約9.46×1015 メートル(約9.46 ペタメートル)
1光年=9460730472580.8 km
1光秒=299792458 m
↓↑
既に存在していない「星」を
現在「光」として視ている
8.3分=光が太陽から地球到達速度
地球から
観測可能な宇宙の果てまでの共動距離は
約457億光年(14 ギガパーセク)
↓↑
観測できる宇宙の過去は
宇宙誕生の
138億年前
「138 億年~38 万年」前の光を発した空間が
「現在」は
「457 億光年先にまで進んでいる」という説明で
「457億光年先のその空間」で
何が起きたかを知る術はない
観測ができないモノ=理論証明不可
観測可能な宇宙
我々を中心に置いたこの半径 457 億光年の球体内
この球面が宇宙論の立場での
「宇宙の果て・宇宙の大きさ」
現在観測している「CMB の光」は
赤方偏移から逆算すると
共動距離で
「3600 万光年」しか進んでいないが
「3600 万光年」の距離を実測できているわけでもない
「共動距離」で起きた事象も観測できない
「時間の単位」であるとの
「誤解」
「年」がついているが
「時間の単位」ではなく
「距離の単位」である
↓↑
「移動手段」・・・物体の移動速度
が
移動距離間
をどれほどの
「時間消費」
するかで
距離
を測ってきた
↓↑
「魏志倭人伝」
に登場する
「黒歯国」
までの距離は
「船行一年」
船で航行した場合の
「1年間の時間」
「距離」
と移動に最低限必要な
「時間」
を明確に区別していない・・・
・・・そうですか・・・
時間=距離÷速度・・・の計算?
速度=距離÷時間
距離=速度×時間
ー↓↑ーー
浦島太郎が
亀の背に乗り
乙姫の
竜宮城(蓬莱山・常世の國)で過ごした
↓↑
古代・中世とも
浦島と乙姫は「船」で異郷にたどりつく
↓↑
竜宮城=龍宮城=龍寓城
=竜寓城
での滞在期間「 三年間」
現世では 「七百年間」「参百年間」
『尋常小学国語読本』
帰国後「白髪の老人(おきな・ロウジン)」
or
「鶴(つる・カク)」になる
↓↑
宫=宀+吕
↓↑
宮=宀+口+丿+囗
↓↑
吕=口+囗=
呂=口+ノ+囗=
串=口+|+囗=
侣=イ+吕=
侶=イ+口+ノ+囗=
郘=呂+阝=
莒=艹+呂=
捛=扌+呂=
㛎=女+吕=
梠=木+呂=
焒=火+吕=
铝=金+吕=
稆=禾+吕=
㾔=疒+吕=
筥=竹+呂=
絽=糸+呂=
躳=身+呂=
閭=門+呂=
闾=门+吕
门+口+囗=
鋁=金+呂=
營=𤇾+呂=
𤇾+口+ノ+囗
炏+冖+口+ノ+囗
火+火+冖+口+ノ+囗=
麿=麻+呂=
广+林+口+ノ+囗=
↓↑
行宮(アングウ)
一宮(いちのみや)
一宮(イッキュウ)
王宮(オウキュウ)
御宮・お宮(おみや)
宮中(キュウチュウ)
宮廷(キュウテイ)
宮殿(キュウデン)
宮司(ぐうじ)
外宮(げくう)
後宮(コウキュウ)
皇宮(コウグウ)
子宮(シキュウ)
新宮(シングウ)
直宮(じきみや)
十二宮(ジュウニキュウ)
神宮(ジングウ)
遷宮(セングウ)
大神宮(ダイジングウ)
内宮(ナイクウ)
八幡宮(ハチマングウ)
姫宮(ひめみや)
本宮(ホングウ)
宮様(みやさま)
宮芝居(みやしばい)
宮相撲(みやずもう)
宮薗節(みやぞのぶし)
宮大工(みやだいく)
宮仕え(みやづかえ)
宮参り(みやまいり)
↓↑
宮車晏駕(キュウシャアンガ)
桂宮柏寝(ケイキュウハクシン)
桂殿蘭宮(ケイデンランキュウ)
↓↑
すまじきものは宮仕え
迷宮入り
↓↑
寓=庽
寓=宀+禺
宀+甲+冂+ム
グ・グウ
かこつける・・・(括弧)つける?
かり(仮・假)ずまい
やどる(宿る)
よる・よせる・身をよせる
よる・やどる・泊まる
↓↑
かりずまい・かりずまいする
かこつける・・・(過去)つける?
ことよせる
こじつける=故事つける・虎児つける?
↓↑
「託ける(かこつける)」
無理に理由を付けて
別のことに結びつける
かこつける
託ける
(他動詞)
あることを「口実」としてする・云う
関係のない他の事柄を理由とすること
↓↑
一時的に別の所に身を寄せる・仮住まい
寓居・仮寓・寄寓・流寓
↓↑
他の物を利用して気持ちを託する
寓意・寓言・寓話
↓↑
目をとめる
寓目
↓↑
説文解字
母猴(ボコウ)の屬
頭は鬼に似る
甶(シ・丿+田=甶=フツ)に従ひ
声符「甶」=畁(?)・畀(ヒ)
鬼や亡霊の頭
睥睨(ヘイゲイ)
囟(ヒン・ひよめき)=顖門(ヒンモン)
顖(ヒン・ひよめき)=恖+頁
䪿(ヒン・ひよめき)=囟+頁
幼児の頭蓋骨の
泉門 (センモン)
骨がまだ接合していないため
脈動に合わせてひくひく動く
頭頂のやわらかい部分
おどりこ・そうもん
顖=恖+頁
囟+心+頁
丿+龱+心+頁
丿+囗+㐅+心+頁
恖=思=田+心
シ・おもう・おぼしい・思考
↓↑
寓=宀+禺
宀+田+禸
宀+田+冂+ム
宀+甲+冂+ム
↓↑
禸=獣が後ろ足で踏む
獣の足跡
厹=九+ム=禸
ぐうの足・獣・獣の足
↓↑
禸+α
离=チ・リ・山の神
はなれる=離
禼=セツ・虫の名=卨
禽=キン・とら(える)
とり・鳥類の総称
いけどりにする
とりこにする
這禽=はっとり
縭=糸でくつを飾る
帯・飾りのついた腰帯
漓=リ・うすい・したたる・ながれる
璃=瑠璃=ガラス・硝子
摛=チ・述べる・しき述べる
広める・広く伝える
↓↑
禸(ジュウ・ム+冂)に従ふ
↓↑
字形
蛇形のものが相交わる形
禺貙(グチュ)は東海の海神
禺彊(グキョウ)は北海の海神
竜頭の神・・・
↓↑
大頭のサルの姿・・・
禺彊(グキヨウ・グキヤウ)
北海の神
(山海経、海外北経)
北方は
禺彊、人面鳥身
兩蛇を珥(みみかざり)とし
兩蛇を踐(ふ)む
(字通「禺」)
↓↑
通仮字 禺 偶
異体字 庽 𡪾 䴁 𩀍 𪃍
繁体字 庽
↓↑
「禸(ジュウ)」=獣の足跡
↓↑
類字
α+禺+β・・・木偶の某
木偶の坊
木彫りの操り人形の
「木偶(でく)」・・・ボクグ?
↓↑
偶=木偶=でく=出句・偶数
遇=遭遇
隅=片隅・大隈・隅田川
嵎=くま
萬=萬葉=万葉
・・・さそり=蠆=萬+虫=蠍・蝎
よろず・マン・バン
㥥=グ・楽しむ
喁=あぎとう
堣=堣夷(グウイ)地名
媀=グ・ゴウ・ギョウ
庽=寓・龍寓城・竜宮城
湡=グ・ゴウ・川名
䦸=䦸
愚=愚鈍・愚者・愚か者
蠇=レイ・ライ
腢=ゴウ・ガイ・ゲ・グ
㬂=人名
㷒=グ・食べ物を煮る
㻦=王+禺
禑=ゴ・幸せ・幸・幸福
㼴=ゴウ・グ・ほとぎ・器・土器
耦=グ・グウ・ゴウ
二人が並んで耕す
仲間・相手
夫婦・配偶者・つれあい
あう・向き合う・合致する
歶=ガイ・銅魚・喪車の装飾
䚤=魚名
鍝=グ
顒=ギョウ・大頭・頭が大きい
穏やか・温和なさま
落ち着いているさま
仰ぎ慕う・つつしみ敬う
髃=グ・ゴウ・肩先・肩の前部の骨
鰅=えら=顋
齵=グ・ゴウ
歯が一度抜け落ちてから再生する
八重歯(やえば)
歯並びが悪い
↓↑
仮寓(カグウ)
寄寓(キグウ)
寓意(グウイ)
寓居(グウキョ)
寓言(グウゲン)
寓 (グウ)する
寓目(グウモク)
寓話(グウワ)
客寓(カクグウ)
寓詠(グウエイ)
流寓(リュウグウ)
旅寓(リョグウ)
↓↑
宮崎・・・宮嵜・宮﨑
宮城・・・宮岐
大分・・・大板・大阪・大坂・逢坂
豊前・・・憮然
豊後・・・文語
伯方・・・伯太・白太・博多
歯形・葉型・葉型
波形・浪方・行方
津波・綱巳・津名見
橒(きさ)・跪座
仮寓(カグウ)
寄寓(キグウ)
寓意(グウイ)
寓居(グウキョ)
寓言(グウゲン)
寓 (グウ)する
寓目(グウモク)
寓話(グウワ)
客寓(カクグウ)
寓詠(グウエイ)
流寓(リュウグウ)
旅寓(リョグウ)
宮のつく地名はワンサカ・・・
宮本(楍・㮺・𠂔=𠥽=𪩲)武蔵=二刀流
日 本(楍・㮺=本+𠱠・𡴡=山+本+吅・𠂔=𠥽=𪩲)
𠱠
㮺 从
𡴡𡴡・屮=テツ・テチ・ソウ=屮+ハ+‐+吅
吅
不从
𠱠
本=㮺・楍
𡴩=凵+人+十+𠱠
?
宮崎・・・宮嵜・宮﨑・宮前
宮城・・・宮岐
?
大分・・・大板・大阪・大坂・逢坂
豊前・・・憮然
豊後・・・文語
?
伯方・・・伯太・白太・博多
歯形・葉型・葉型
波形・浪方・行方
津波・綱巳・津名見
橒(きさ)・跪座
?
手宮・・・北海道
地名
アイヌ語
「テンムンヤ (海草が寄る 海岸の意)」・・・あまくさ・あまぎし?
に由来
1880年(明治十三年)
北海道の最初の鉄道
官営幌内鉄道
後の国鉄
手宮線
手宮―札幌間
小樽市街地の北東部に位置
小樽港に面する
南は色内、錦町
北は高島
西は末広町
に接する
1881年(明治十四年)
手宮村が
手宮町、手宮裏町に分割
1899年(明治三十二年)
小樽区の成立に伴い編入され一部となる
鉄道工事は着工から
11ヶ月で手宮・札幌間が開通
アメリカから輸入された2両の
蒸気機関車
義経号・・・ギケイ のゴウ?
弁慶号・・・ベンケイのゴウ?
完成し
11月28日
運転式が挙行
後
豊平川の架橋など
明治五(1882)年
十一月十三日
手宮・幌内が全通
明治六(1883)9月17日
開業式典
「極大・大・中・小・極小」・・・
???・・・

壱弐参四伍陸桼捌玖・零
壹貮參肆吾陸漆捌玖・零
一二三亖五六七八九・〇
囗丅亠一丿乙
儿ユハ乚乁丿
↓↑
㐅(古字)=五
五=丅+ユ=ー+/+ユ
伍(大字)
𫝀(俗字)=丅+ユ
㠪(古文)=̅+ト+̲≒正
𠄡(古文)=̅+乂(メ・✕)+̲
ご・ゴ・・・
語・碁・護・誤・期・娯
後・后・互・梧・醐・瑚
眞=匕+目+𠃊+八
匕+県
まこと
シン
異体字
眞 真 𠤛 𫞲
眞=人名
僊人なり
形を變へて天に登るなり
「𠤎」に従ひ
「目」に従ひ
「乚」に従ふ
「八」なるものは
「乘載」の所なり。(説文解字)
𠤎(カ)+県(ケン)
「𠤎=化」の初文で「死者」
「県=首の倒形」で「倒懸」の象
「顚死(テンシ)の人」
「顚死者」= 縊死者=絞死者
顛=眞+頁
てっぺん・山顚=山頂
はじめ・はじまり・顚末=始終
たおれる・ころぶ
「くつがえる」
「顚倒・顚覆」
「転」=転倒=ころぶ
「山顚 (サンテン)・絶顚 (ゼッテン)」
いただき・物のてっぺん
はじめ・はじまり
テン
いただき・・・頂・頂戴(ちょうだい)
与えて「ください」
くつがえる・・靴(沓・履・舃)かえす
改革
革=なめしがわ=韋
革命=覆(くつがえ)す
たおれる・・・倒れる・転ぶ・滅びる
小数(大きい数順)
分(ブ)
厘(リン)
毛(モウ)
糸(シ)
忽(コツ)
微(ビ)
繊(セン)
沙(シャ)
塵(ジン)
埃(アイ)
渺(ビョウ)
漠(バク)
百千万億兆京垓穣溝澗正載極
恒河沙・阿僧祇
那由他・不可思議
無量大数
一(イチ)
十(ジュウ)・拾(壱拾・壹拾)
百(ヒャク)・陌・佰
千(セン) ・阡・仟・・・仠(カン)
万(マン) ・萬
億(オク) ・憶・・・噫(アイ)
兆(チョウ)・佻(うすい)・咷・垗・桃(もも)
京(ケイ、キョウ)
垓(ガイ)
↓↑
𥝱(ジョ・禾+予)=十億=10²⁴
江戸時代に万進に統一され
日本統治下の
台湾・韓国も
秭=10²⁴
本来「秭=禾+𠂔」・・・・𠂔=𠥽=𪩲
杮(こけら)≠柿=かき=柹
市=一+巾 市=亠+巾
巿(フツ) 市(シ)
と書かれていたが
日本の
『塵劫記』で「𥝱」と誤って書かれ
旁(つくり)の「予」から
𥝱=和製漢字(国字)となり
読み方も「𥝱(ジョ)」となった
秭(シ・積み重ねる)
秭=𥞑=𥝱=秭=10⁹
↓↑
旁(右側の部分)
「巿(フツ)=十+冂」 「市(シ)=亠+巾」
「巿(フツ)=十+冂」 「市民・市街・市場」
始皇帝が召した
僊人=センニン=仙人 「市女笠・十市」
徐 福 「頂部に巾子(こじ)を造作した笠」
齊人徐「市=十+冂=ー+巾」・・・市=前掛け・医療白衣
「東海の彼方の三神山(蓬莱、方丈、瀛洲)」
↓↑
田「巿(フツ)」
?~紀元前206年)
秦末前漢初期の
斉の王
田儋の子
田儋の従弟の
田栄に斉王に擁立されたが
後に田栄に殺された
『史記・田儋列伝』
秦の二世二年(紀元前208年)6月
秦末期の騒乱で自立して
斉王となった
田巿
の父にあたる
田儋が
魏王の
魏咎の援軍に赴いた際に
秦軍の
章邯に敗れて戦死を遂げ
田儋の従弟の
田栄と田横は東阿にまで敗走
七月
新しい斉王に
田假(斉王建の弟)を擁立
東阿は秦軍により包囲された
八8月
東阿
は楚の
項梁
の救援で
章邯を敗り包囲から解かれた
田栄
は
田假
が斉王に擁立されたことを認めず
田假
を攻撃して楚に追放
従子の
田巿
を斉王に擁立し
田巿が王となり
田栄は斉の相となり
田栄の弟の
田横が将軍となり
田栄が斉の実権を握り平定
斉は
田假を殺すことに
同意しない
項梁の援軍派遣要請を断わった
九月
斉からは
高陵君に封じられた
顕
を楚の項梁への使者として送るが
項梁は
章邯に敗れ、戦死
二世三年(紀元前207年)10月
斉の将
田都
が
趙(趙歇)
の援軍に向かう
宋義
を上将軍とする楚軍に入り
次将である
項羽を支援
十一月
安陽に楚の軍を留めた
宋義
の息子
宋襄
を斉の相とするが
宋義
と
宋襄
は
項羽により、殺害され
項羽は楚の上将軍となり
趙の救援に赴いた
十二月
項羽
が秦を滅ぼす
高祖元年(紀元前206年)正月頃
項羽
は叔父の
項梁に援軍を送らなかった田栄を恨み
斉は3つに分けられ
田巿
は斉王から遷されて
その一つ
膠東王に封じられ
即墨を都とした
田栄
は王になれなかった
五月
田栄
は斉王に封じられた
田都
田都は楚に逃亡
田巿は
田栄に留められ
膠東に行かせないように抑制された
六月
田巿の側近は
「項王(項羽)は、強く横暴です
王(田巿)は膠東にいくべきです
国に行かなければ
確実に危険でしょう」
と進言し
田巿
は恐れて
田栄のもとから逃亡して、膠東に赴いた
田栄は怒り、追撃して
田巿を即墨にて殺した
田栄
は三つに分かれた
三斉の地を統一
斉王を名乗った・・・
「田(デン) 巿(ハイ)」の名前・・・
↓↑ ↓↑
「沛 公=ハイコウ=劉邦=前漢の覇者」
「沛(ハイ)=㳈=伂」・・・朮=𠂔
ハイ・さわ・たおれる
雨や水流などの勢い
盛んなさま
澤=さわ・タク・ジャク=沢
一面に水草の生えている土地
湿地
倒(たお)れる
躓(つま)ずき倒れる
造次顛沛(ゾウジテンパイ)
顛沛流離(テンパイリュウリ)
顛沛流浪(テンパイルロウ)
↓↑
穣(ジョウ)
溝(コウ)
澗(カン)
正(セイ)
載(サイ)
極(ゴク)
恒河沙(ゴウガシャ)
阿僧祇(アソウギ)
那由他(ナユタ)
不可思議(フカシギ)
無量大数(ムリョウタイスウ)
↓↑
1光年=9460730472580800 m
概数
約9.46×1015 メートル(約9.46 ペタメートル)
1光年=9460730472580.8 km
1光秒=299792458 m
↓↑
既に存在していない「星」を
現在「光」として視ている
8.3分=光が太陽から地球到達速度
地球から
観測可能な宇宙の果てまでの共動距離は
約457億光年(14 ギガパーセク)
↓↑
観測できる宇宙の過去は
宇宙誕生の
138億年前
「138 億年~38 万年」前の光を発した空間が
「現在」は
「457 億光年先にまで進んでいる」という説明で
「457億光年先のその空間」で
何が起きたかを知る術はない
観測ができないモノ=理論証明不可
観測可能な宇宙
我々を中心に置いたこの半径 457 億光年の球体内
この球面が宇宙論の立場での
「宇宙の果て・宇宙の大きさ」
現在観測している「CMB の光」は
赤方偏移から逆算すると
共動距離で
「3600 万光年」しか進んでいないが
「3600 万光年」の距離を実測できているわけでもない
「共動距離」で起きた事象も観測できない
「時間の単位」であるとの
「誤解」
「年」がついているが
「時間の単位」ではなく
「距離の単位」である
↓↑
「移動手段」・・・物体の移動速度
が
移動距離間
をどれほどの
「時間消費」
するかで
距離
を測ってきた
↓↑
「魏志倭人伝」
に登場する
「黒歯国」
までの距離は
「船行一年」
船で航行した場合の
「1年間の時間」
「距離」
と移動に最低限必要な
「時間」
を明確に区別していない・・・
・・・そうですか・・・
時間=距離÷速度・・・の計算?
速度=距離÷時間
距離=速度×時間
ー↓↑ーー
浦島太郎が
亀の背に乗り
乙姫の
竜宮城(蓬莱山・常世の國)で過ごした
↓↑
古代・中世とも
浦島と乙姫は「船」で異郷にたどりつく
↓↑
竜宮城=龍宮城=龍寓城
=竜寓城
での滞在期間「 三年間」
現世では 「七百年間」「参百年間」
『尋常小学国語読本』
帰国後「白髪の老人(おきな・ロウジン)」
or
「鶴(つる・カク)」になる
↓↑
宫=宀+吕
↓↑
宮=宀+口+丿+囗
↓↑
吕=口+囗=
呂=口+ノ+囗=
串=口+|+囗=
侣=イ+吕=
侶=イ+口+ノ+囗=
郘=呂+阝=
莒=艹+呂=
捛=扌+呂=
㛎=女+吕=
梠=木+呂=
焒=火+吕=
铝=金+吕=
稆=禾+吕=
㾔=疒+吕=
筥=竹+呂=
絽=糸+呂=
躳=身+呂=
閭=門+呂=
闾=门+吕
门+口+囗=
鋁=金+呂=
營=𤇾+呂=
𤇾+口+ノ+囗
炏+冖+口+ノ+囗
火+火+冖+口+ノ+囗=
麿=麻+呂=
广+林+口+ノ+囗=
↓↑
行宮(アングウ)
一宮(いちのみや)
一宮(イッキュウ)
王宮(オウキュウ)
御宮・お宮(おみや)
宮中(キュウチュウ)
宮廷(キュウテイ)
宮殿(キュウデン)
宮司(ぐうじ)
外宮(げくう)
後宮(コウキュウ)
皇宮(コウグウ)
子宮(シキュウ)
新宮(シングウ)
直宮(じきみや)
十二宮(ジュウニキュウ)
神宮(ジングウ)
遷宮(セングウ)
大神宮(ダイジングウ)
内宮(ナイクウ)
八幡宮(ハチマングウ)
姫宮(ひめみや)
本宮(ホングウ)
宮様(みやさま)
宮芝居(みやしばい)
宮相撲(みやずもう)
宮薗節(みやぞのぶし)
宮大工(みやだいく)
宮仕え(みやづかえ)
宮参り(みやまいり)
↓↑
宮車晏駕(キュウシャアンガ)
桂宮柏寝(ケイキュウハクシン)
桂殿蘭宮(ケイデンランキュウ)
↓↑
すまじきものは宮仕え
迷宮入り
↓↑
寓=庽
寓=宀+禺
宀+甲+冂+ム
グ・グウ
かこつける・・・(括弧)つける?
かり(仮・假)ずまい
やどる(宿る)
よる・よせる・身をよせる
よる・やどる・泊まる
↓↑
かりずまい・かりずまいする
かこつける・・・(過去)つける?
ことよせる
こじつける=故事つける・虎児つける?
↓↑
「託ける(かこつける)」
無理に理由を付けて
別のことに結びつける
かこつける
託ける
(他動詞)
あることを「口実」としてする・云う
関係のない他の事柄を理由とすること
↓↑
一時的に別の所に身を寄せる・仮住まい
寓居・仮寓・寄寓・流寓
↓↑
他の物を利用して気持ちを託する
寓意・寓言・寓話
↓↑
目をとめる
寓目
↓↑
説文解字
母猴(ボコウ)の屬
頭は鬼に似る
甶(シ・丿+田=甶=フツ)に従ひ
声符「甶」=畁(?)・畀(ヒ)
鬼や亡霊の頭
睥睨(ヘイゲイ)
囟(ヒン・ひよめき)=顖門(ヒンモン)
顖(ヒン・ひよめき)=恖+頁
䪿(ヒン・ひよめき)=囟+頁
幼児の頭蓋骨の
泉門 (センモン)
骨がまだ接合していないため
脈動に合わせてひくひく動く
頭頂のやわらかい部分
おどりこ・そうもん
顖=恖+頁
囟+心+頁
丿+龱+心+頁
丿+囗+㐅+心+頁
恖=思=田+心
シ・おもう・おぼしい・思考
↓↑
寓=宀+禺
宀+田+禸
宀+田+冂+ム
宀+甲+冂+ム
↓↑
禸=獣が後ろ足で踏む
獣の足跡
厹=九+ム=禸
ぐうの足・獣・獣の足
↓↑
禸+α
离=チ・リ・山の神
はなれる=離
禼=セツ・虫の名=卨
禽=キン・とら(える)
とり・鳥類の総称
いけどりにする
とりこにする
這禽=はっとり
縭=糸でくつを飾る
帯・飾りのついた腰帯
漓=リ・うすい・したたる・ながれる
璃=瑠璃=ガラス・硝子
摛=チ・述べる・しき述べる
広める・広く伝える
↓↑
禸(ジュウ・ム+冂)に従ふ
↓↑
字形
蛇形のものが相交わる形
禺貙(グチュ)は東海の海神
禺彊(グキョウ)は北海の海神
竜頭の神・・・
↓↑
大頭のサルの姿・・・
禺彊(グキヨウ・グキヤウ)
北海の神
(山海経、海外北経)
北方は
禺彊、人面鳥身
兩蛇を珥(みみかざり)とし
兩蛇を踐(ふ)む
(字通「禺」)
↓↑
通仮字 禺 偶
異体字 庽 𡪾 䴁 𩀍 𪃍
繁体字 庽
↓↑
「禸(ジュウ)」=獣の足跡
↓↑
類字
α+禺+β・・・木偶の某
木偶の坊
木彫りの操り人形の
「木偶(でく)」・・・ボクグ?
↓↑
偶=木偶=でく=出句・偶数
遇=遭遇
隅=片隅・大隈・隅田川
嵎=くま
萬=萬葉=万葉
・・・さそり=蠆=萬+虫=蠍・蝎
よろず・マン・バン
㥥=グ・楽しむ
喁=あぎとう
堣=堣夷(グウイ)地名
媀=グ・ゴウ・ギョウ
庽=寓・龍寓城・竜宮城
湡=グ・ゴウ・川名
䦸=䦸
愚=愚鈍・愚者・愚か者
蠇=レイ・ライ
腢=ゴウ・ガイ・ゲ・グ
㬂=人名
㷒=グ・食べ物を煮る
㻦=王+禺
禑=ゴ・幸せ・幸・幸福
㼴=ゴウ・グ・ほとぎ・器・土器
耦=グ・グウ・ゴウ
二人が並んで耕す
仲間・相手
夫婦・配偶者・つれあい
あう・向き合う・合致する
歶=ガイ・銅魚・喪車の装飾
䚤=魚名
鍝=グ
顒=ギョウ・大頭・頭が大きい
穏やか・温和なさま
落ち着いているさま
仰ぎ慕う・つつしみ敬う
髃=グ・ゴウ・肩先・肩の前部の骨
鰅=えら=顋
齵=グ・ゴウ
歯が一度抜け落ちてから再生する
八重歯(やえば)
歯並びが悪い
↓↑
仮寓(カグウ)
寄寓(キグウ)
寓意(グウイ)
寓居(グウキョ)
寓言(グウゲン)
寓 (グウ)する
寓目(グウモク)
寓話(グウワ)
客寓(カクグウ)
寓詠(グウエイ)
流寓(リュウグウ)
旅寓(リョグウ)
↓↑
宮崎・・・宮嵜・宮﨑
宮城・・・宮岐
大分・・・大板・大阪・大坂・逢坂
豊前・・・憮然
豊後・・・文語
伯方・・・伯太・白太・博多
歯形・葉型・葉型
波形・浪方・行方
津波・綱巳・津名見
橒(きさ)・跪座
仮寓(カグウ)
寄寓(キグウ)
寓意(グウイ)
寓居(グウキョ)
寓言(グウゲン)
寓 (グウ)する
寓目(グウモク)
寓話(グウワ)
客寓(カクグウ)
寓詠(グウエイ)
流寓(リュウグウ)
旅寓(リョグウ)
宮のつく地名はワンサカ・・・
宮本(楍・㮺・𠂔=𠥽=𪩲)武蔵=二刀流
日 本(楍・㮺=本+𠱠・𡴡=山+本+吅・𠂔=𠥽=𪩲)
𠱠
㮺 从
𡴡𡴡・屮=テツ・テチ・ソウ=屮+ハ+‐+吅
吅
不从
𠱠
本=㮺・楍
𡴩=凵+人+十+𠱠
?
宮崎・・・宮嵜・宮﨑・宮前
宮城・・・宮岐
?
大分・・・大板・大阪・大坂・逢坂
豊前・・・憮然
豊後・・・文語
?
伯方・・・伯太・白太・博多
歯形・葉型・葉型
波形・浪方・行方
津波・綱巳・津名見
橒(きさ)・跪座
?
手宮・・・北海道
地名
アイヌ語
「テンムンヤ (海草が寄る 海岸の意)」・・・あまくさ・あまぎし?
に由来
1880年(明治十三年)
北海道の最初の鉄道
官営幌内鉄道
後の国鉄
手宮線
手宮―札幌間
小樽市街地の北東部に位置
小樽港に面する
南は色内、錦町
北は高島
西は末広町
に接する
1881年(明治十四年)
手宮村が
手宮町、手宮裏町に分割
1899年(明治三十二年)
小樽区の成立に伴い編入され一部となる
鉄道工事は着工から
11ヶ月で手宮・札幌間が開通
アメリカから輸入された2両の
蒸気機関車
義経号・・・ギケイ のゴウ?
弁慶号・・・ベンケイのゴウ?
完成し
11月28日
運転式が挙行
後
豊平川の架橋など
明治五(1882)年
十一月十三日
手宮・幌内が全通
明治六(1883)9月17日
開業式典