・・・「鶉・下鶉」・・・強制されるのも嫌だけれど・・・「自由=我儘=自由選択」の為に殺されるのはどうか?・・・「カミ」はコレを許さないらしい・・・小さい頃は「鶉(うずら)」と云う所で育った・・・パンを食べながら「黒パン」と伯母のコトや、中学時代バスケット部員でパンが大好きで「エイパン」の渾名で呼ばれていた床屋の先輩を想い出してしまった・・・で、「黒パン」を調べてみたら・・・ライ麦はもともとコ麦畑の雑草・・・ローマ帝国では貧困者が食べるモノ・・・寒冷地で栽培される「ライ麦」、「黒麦」・・・漢字の「来(來)」はムギをかたどってできた「來+夂=麥=麦」・・・
「マッツァー=種(酵母菌)なしのパン」→「種=酵母菌=イースト」・・・「出芽酵母(budding yeast)は出芽によって増える酵母の総称」・・・「酵母という単語は S. cerevisiae を指す訳語として明治時代に作られた」・・・「出芽酵母の中にも、プリオン(BSE=狂牛病・CJD=ヤコブ病)の振る舞いをするタンパク質がある」・・・「過ぎ越し祭り(ペサハ ・pesach) 期間」には「小麦、スペルト小麦(spelt)、大麦、ライ麦、エンバク」が禁止されていたが・・・「マッツァー(matzo)=種(酵母菌)なしのパン」のみ許されていた・・・「過ぎ越し(アビブ=ニサン)の月に起こった・大麦の収穫時期(秋に種蒔き、苗の状態で冬越、春に出穂(開花)・初夏に収穫)・ユダヤ暦の第七番目の月」とは、「神」が「エジプト人のスベテの初子(人間・家畜)を撃つ」というものであった。「戸口に印のない家(エジプト人)にその災いが降りかかり、戸口に印のあった家(イスラエル人)は災いを免れる(過ぎ越す)」・・・
・・・どうやら「カミ」は「細菌(酵母菌or麦角菌の1種?に相互作用する)兵器」をエジプト人の初子(人間・家畜)にばら撒いた・・・古代エジプトでは「堕胎」などに用いられ?・・・現代では「子宮収縮による流産」を引き起こすコトが知られている・・・
・・・「黒パンと伯母の想い出」とは伯母が黒パンを食べながら「これはロスケが食べるモノだが、労働者の腹には長持ちするからねッ」だった・・・「ダウアーブロート(長もちするパン)」らしい・・・ボクが食べたのはサッカリン入りの三角パン・・・
ーーーーー
↓
黒パン
ライ麦パン(rye bread)
日本では黒砂糖などで着色したパンを
黒パンと呼ぶこともある
本来は
ライ麦粉などを大量に含んだ
酸味のある重たいパン
↓
黒パンは、ライムギ粉に
野生酵母を働かせて、
ライムギを酸味で生かして
発酵させたパン
日本では、
糖蜜(とうみつ)やカラメルで着色したパン、
またはふすまを加えたものなども含めて、
色の黒いパンの総称
イギリスのライ・ブレッド
ドイツのシュワルツブロート
フランスのパン・ドゥ・セーグル
イタリアのパーネ・ディ・セガーレ
ライムギの種類の違いにより、
発酵法によって生成する有機酸が異なるため、
酸味とその強さにそれぞれ特徴がある
一般にライムギパンは
本生地の一部を残しておいて
種とする老麺(ろうめん)法が用いられる
ライムギが加熱の温度と時間に敏感なのを利用して、
焼き方も、
型焼き、
自由焼き
隣接(くっつけ)焼き
焼き込み時間も6~30時間かけ
外皮、香味が調整
ライムギは
グリアジンとグルテリンの含量が少なく、
コムギのグルテンのような
強い粘弾性をもたない
ライムギパンは気孔率が小さく、
口あたりも可塑的な食感
ライムギは産地によって
飼料にも用いられている
小麦白パンと違って
焼きたてはおいしくなく、
また消化も悪い
「ダウアーブロート(長もちするパン)」
としての特徴をもつ
ドイツのプンパーニッケル
↓
麦角菌が子房に寄生すると、菌核を形成
麦角アルカロイドと呼ばれる様々な
生理活性を示す
アルカロイドを含む
マイコトキシンが発生
麦角菌に寄生されたライムギは
黒い角状のものを実の間から生やし
これが麦角の名の由来
これが発生した畑からの収穫物には
種子にまぎれて麦角が混入し、
これを粉に挽いてパンなどに調理すると、
麦角アルカロイドの毒性によって
流産や
末梢血管の収縮による四肢の
組織の壊死、幻覚などの中毒症状を引き起こす
麦角菌中毒は中世に大流行し、
多くの人の命を奪った。
麦角中毒
麦角は
エルゴリン骨格を有する
麦角アルカロイドを含み、
循環器系や神経系に対して様々な毒性を示す
神経系に対しては、手足が燃えるような感覚
循環器系に対しては、血管収縮を引き起こし、
手足の壊死に至る
脳の血流が不足して
精神異常、
痙攣(けいれん)、
意識不明、
子宮収縮による流産など
微量の麦角は
古くから
堕胎や
出産後の止血にも用いられた
麦角成分のエルゴタミンが
偏頭痛の治療に用いられる
幻覚剤のLSD
アルベルト・ホフマンによって、
麦角成分の研究過程で発見
LSDは麦角に含まれるものではなく、
麦角成分である
リゼルグ酸の誘導体として
人工的に合成されたもの・・・
ーーーーー
旧約聖書
民数記
第9章
9:14
もし他国の人が、
あなたがたのうちに
寄留していて、
主に対して
過越の祭
を行おうとするならば、
過越の祭の定めにより、
その
掟(おきて・オキテ)・・・掟=手+定
オキ手
沖(縄)・隠岐
にしたがって、
これを行わなければならない。
あなたがたは
他国の人にも、
自国の人にも、
同一の定めを
用いなければならない』」。
9:15
幕屋を建てた日に、
雲は・・・・・・・・・雲=雨+云
幕屋をおおった。
それはすなわち、
あかしの幕屋であって、
夕には、
幕屋の上に、
雲は火のように見えて、
朝にまで及んだ。
9:16
常にそうであって、
昼は雲がそれをおおい、
夜は火のように見えた。
9:17
雲が幕屋を離れてのぼる時は、
イスラエルの人々は、
ただちに道に進んだ。
また
雲がとどまる所に、
イスラエルの人々は宿営した。
9:18
すなわち、
イスラエルの人々は、
主の命によって道に進み、
主の命によって宿営し、
幕屋の上に
雲がとどまっている間は、宿営していた。
9:19
幕屋の上に、
日久しく雲のとどまる時は、
イスラエルの人々は主の言いつけを守って、
道に進まなかった。
9:20
また
幕屋の上に、
雲のとどまる日の少ない時もあったが、
彼らは、
ただ
主の命にしたがって宿営し、
主の命にしたがって、道に進んだ。
9:21
また
雲は夕から朝まで、とどまることもあったが、
朝になって、
雲がのぼる時は、彼らは道に進んだ。
また
昼でも夜でも、
雲がのぼる時は、彼らは道に進んだ。
9:22
ふつかでも、一か月でも、
あるいはそれ以上でも、
幕屋の上に、雲がとどまっている間は、
イスラエルの人々は宿営していて、
道に進まなかったが、
それがのぼると道に進んだ。
9:23
すなわち、
彼らは
主の命にしたがって宿営し、
主の命にしたがって道に進み、
モーセによって、
主が命じられたとおりに、
主の言いつけを守った。
↓
第10章
10:1
主はモーセに言われた、
10:2
「銀のラッパを
二本つくりなさい。
すなわち、
打物造りとし、
それで
会衆を呼び集め、
また
宿営を進ませなさい。
10:3
この
二つを吹くときは、
全会衆が会見の幕屋の入口に、
あなたの所に集まってこなければならない。
10:4
もし、その
一つだけを吹くときは、
イスラエルの氏族の長である
司(つかさ)たちが、
あなたの所に集まってこなければならない。
10:5
またあなたがたが
警報を吹き鳴らす時は、
東の方の宿営が、
道に進まなければならない。
10:6
二度目の警報を吹き鳴らす時は、
南の方の宿営が、
道に進まなければならない。
すべて道に進む時は、
警報を吹き鳴らさなければならない。
10:7
また
会衆を集める時にも、
ラッパを吹き鳴らすが、
警報は吹き鳴らしてはならない。
10:8
アロンの子である祭司たちが、
ラッパを吹かなければならない。
これはあなたがたが、
代々ながく守るべき定めとしなければならない。
10:9
また、
あなたがたの国で、
あなたがたを虐(しえたげ・シイタゲ)る
あだとの戦いに出る時は、
ラッパをもって、
警報を吹き鳴らさなければならない。
そうするならば、
あなたがたは、
あなたがたの神、
主に覚えられて、
あなたがたの敵から救われるであろう。
10:10
また、
あなたがたの喜びの日、
あなたがたの祝いの時、
および月々の
第一日には、
あなたがたの
燔祭と酬恩祭の
犠牲をささげるに当って、
ラッパを吹き鳴らさなければならない。
そうするならば、
あなたがたの神は、
それによって、
あなたがたを覚えられるであろう。
わたしはあなたがたの神、主である」。
10:11
第二年の二月二十日に、
雲が
あかしの幕屋を
離れてのぼったので、
10:12
イスラエルの人々は、
シナイの荒野を出て、
その旅路に進んだが、
パラン
の荒野に至って、
雲はとどまった。
10:13
こうして彼らは、
主がモーセによって、
命じられたところにしたがって、
道に進むことを始めた。
10:14
先頭には、
ユダの子たちの宿営の旗が、
その部隊を従えて進んだ。
ユダの部隊の長は
アミナダブの子
ナション、
10:15
イッサカルの子たちの部族の
部隊の長は
ツアルの子
ネタニエル、
10:16
ゼブルンの子たちの部族の
部隊の長は
ヘロンの子
エリアブ
であった。
10:17
そして
幕屋は取りくずされ、
ゲルションの子たち、
および
メラリの子たちは
幕屋を運び進んだ。
10:18
次に
ルベンの宿営の旗が、
その部隊を従えて進んだ。
ルベンの部隊の長は
シデウルの子
エリヅル、
10:19
シメオンの子たちの部族の
部隊の長は
ツリシャダイの子
シルミエル、
10:20
ガドの子たちの部族の
部隊の長は
デウエルの子
エリアサフ
であった。
10:21
そして
コハテびとは聖なる物を運び進んだ。
これが着くまでに、
人々は幕屋を建て終るのである。
10:22
次に
エフライムの子たちの宿営の旗が、
その部隊を従えて進んだ。
エフライムの部隊の長は
アミホデの子
エリシャマ、
10:23
マナセの子たちの部族の
部隊の長は
パダヅルの子
ガマリエル、
10:24
ベニヤミンの子たちの部族の
部隊の長は
ギデオニの子
アビダン
であった。
10:25
次に
ダンの子たちの宿営の旗が、
その部隊を従えて進んだ。
この部隊はすべての宿営の
殿(しんがり)であった。
ダンの部隊の長は
アミシャダイの子
アヒエゼル、
10:26
アセルの子たちの部族の
部隊の長は
オクランの子
パギエル、
10:27
ナフタリの子たちの部族の
部隊の長は
エナンの子
アヒラ
であった。
10:28
イスラエルの人々が、
その道に進む時は、
このように、その部隊に従って進んだ。
10:29
さて、
モーセは、
妻の父、
ミデヤンびと
リウエルの子
ホバブに言った、
「わたしたちは、
かつて主が
おまえたちに
与えると約束された所に
向かって進んでいます。
あなたも一緒においでください。
あなたが幸福になられるようにいたしましょう。
主がイスラエルに幸福を約束されたのですから」。
10:30
彼はモーセに言った、
「わたしは行きません。
わたしは国に帰って、
親族のもとに行きます」。
10:31
モーセはまた言った、
「どうか
わたしたちを見捨てないでください。
あなたは、
わたしたちが
荒野のどこに
宿営すべきかを御存じですから、
わたしたちの
目となってください。
10:32
もし
あなたが一緒においでくださるなら、
主がわたしたちに
賜わる幸福を
あなたにも及ぼしましょう」。
10:33
こうして彼らは主の山を去って、
三日の行程を進んだ。
主の契約の箱は、
その三日の行程の間、
彼らに先立って行き、
彼らのために休む所を尋ねもとめた。
10:34
彼らが宿営を出て、道に進むとき、
昼は
主の雲が彼らの上にあった。
10:35
契約の箱の進むときモーセは言った、
「主よ、立ちあがってください。
あなたの敵は打ち散らされ、
あなたを憎む者どもは、
あなたの前から逃げ去りますように」。
10:36
またそのとどまるとき、彼は言った、
「主よ、
帰ってきてください、
イスラエルの千萬(ちよろず)の人に」。
↓
第11章
11:1
さて、
民は災難に会っている人のように、
主の耳に呟(つぶや)いた。
主はこれを聞いて怒りを発せられ、
主の火が彼らのうちに燃えあがって、
宿営の端を焼いた。
11:2
そこで
民はモーセにむかって叫んだ。
モーセが主に祈ったので、
その火はしずまった。
11:3
主の火が
彼らのうちに燃えあがったことによって、
その所の名は
タベラ
と呼ばれた。
11:4
また
彼らのうちにいた
多くの寄り集まりびとは
欲心を起し、
イスラエルの人々も
また
再び泣いて言った、
「ああ、
肉が食べたい。
11:5
われわれは思い起すが、
エジプトでは、
ただで、
魚を食べた。
胡瓜(きゅうり)も、
西瓜(すいか)も、
韮(韭・にら)も、→「韮」=「艸(サ)+非+一」
「韭」=「非+一」
「古事記」では
「加美良(かみら)」
「万葉集」では
「久々美良(くくみら)」
「正倉院文書」には
「彌良(みら)」
と記載
古代においては
「みら」
と呼ばれていた
院政期頃から
不規則な転訛形「にら」が出現し、
「みら」を駆逐して
「にら(韮・韭)」が
現在に至っている?
玉葱(たまねぎ)も、
そして、
大蒜(葫・にんにく)も。
11:6
しかし、いま、
われわれの
精根は尽きた。
われわれの目の前には、
この
マナ・・・・・・・・・まな・眞名(仮名)=漢字
の
ほか何もない」。
11:7
マナ
は、
こえんどろ・・・・・・・コエンドロ・コズイシ(胡ズイ子)
ポルトガル語(coentro)=外来語
セリ科の一年草
葉は羽状に細かく裂け、互生
夏、小花が 多数集まってつく
実を香料や薬用
若葉は食用
胡荽(コスイ)・胡菜(コサイ)
チンゲンサイ(青梗菜)
タイサイ(体菜)の一品種
小白菜
シャンツァイ(香菜)
莞荽(カンサイ・いわき)
の実のようで、
色は
ブドラク・・・・・・・・「紅玉・水晶・真珠」など?
の色のようであった。
11:8
民は歩きまわって、
これを集め、
挽き臼(ひきうす)で・・・・
挽(ひ)き、
または、
臼(うす・碓)で・・・・
搗(つき)、
釜(かま)で・・・・
煮て、
これを
餅(もち)・・・・
とした。
その味は
油菓子・・・・・・
の味
のようであった。
11:9
夜、宿営の
露
がおりるとき、
マナ
はそれと共に降った。
11:10
モーセは、
民が家ごとに、
おのおのその天幕の入口で
泣くのを聞いた。
そこで主は激しく怒られ、
またモーセは不快に思った。
11:11
そして、
モーセは主に言った、
「あなたはなぜ、
しもべに悪い仕打ちをされるのですか。
どうして
わたしはあなたの前に恵みを得ないで、
この
すべての民の
重荷を負わされるのですか。
11:12
わたしがこのすべての民を、
孕(はらん)だのですか。
わたしがこれを生んだのですか。
そうではないのに、
あなたは
なぜ
わたしに
『養い親が乳児を抱くように、
彼らを懐(ふところ)に抱いて、
あなたが
彼らの先祖たちに誓われた地に行け』
と言われるのですか。
11:13
わたしはどこから
肉(にく・ジク)を獲て、
この
すべての民に
与えることができましょうか。
彼らは泣いて、
『肉を食べさせよ』
とわたしに言っているのです。
11:14
わたしひとりでは、
このすべての民を負うことができません。
それは
わたしには重過ぎます。
11:15
もし
わたしがあなたの前に恵みを得ますならば、
わたしに
このような仕打ちをされるよりは、
むしろ、
ひと思いに殺し、
このうえ
苦しみに会わせないでください」。
11:16
主はモーセに言われた、
「イスラエルの長老たちのうち、
民の長老となり、
司(つかさ)となるべきことを、
あなたが知っている者
七十人をわたしのもとに集め、
会見の幕屋に連れてきて、
そこに
あなたと共に立たせなさい。
11:17
わたしは下って、その所で、
あなたと語り、
また
わたしは
あなたの上にある霊を、
彼らにも分け与えるであろう。
彼らはあなたと共に、
民の重荷を負い、
あなたが、
ただひとりで、
それを負うことのないようにするであろう。
11:18
あなたはまた民に言いなさい、
『あなたがたは身を清めて、
あすを待ちなさい。
あなたがたは
肉を食べることができるであろう。
あなたがたが泣いて主の耳に、
わたしたちは肉が食べたい。
エジプトにいた時は
良かったと言ったからである。
それゆえ、
主はあなたがたに
肉を与えて
食べさせられるであろう。
11:19
あなたがたがそれを食べるのは、
一日や
二日や
五日や
十日や
二十日ではなく、
11:20
一か月に及び、
ついに
あなたがたの
鼻から出るようになり、
あなたがたは、
それに飽き果てるであろう。
それは
あなたがたのうちにおられる
主を軽んじて、
その前に泣き、
なぜ、
わたしたちは
エジプトから
出てきたのだろうと
言ったからである』」。
11:21
モーセは言った、
「わたしと共におる民は
徒歩の男子だけでも
六十万です。
ところがあなたは、
『わたしは彼らに
肉を与えて一か月のあいだ食べさせよう』
と言われます。
11:22
羊と牛の群れを
彼らのためにほふって、
彼らを飽きさせるというのですか。
海のすべての
魚を彼らのために集めて、
彼らを
飽きさせるというのですか」。
11:23
主はモーセに言われた、
「主の手は短かろうか。
あなたは、いま、
わたしの言葉の
成るかどうかを見るであろう」。
11:24
この時
モーセは出て、
主の言葉を民に告げ、
民の長老たち七十人を集めて、
幕屋の周囲に立たせた。
11:25
主は雲のうちにあって下り、
モーセと語られ、
モーセの上にある霊を、
その七十人の長老たちにも
分け与えられた。
その霊が彼らの上にとどまった時、
彼らは預言した。
ただし、
その後は
重ねて預言しなかった。
11:26
その時
ふたりの者が、
宿営にとどまっていたが、
ひとりの名は
エルダデ
と言い、
ひとりの名は
メダデ
といった。
彼らの上にも
霊がとどまった。
彼らは
名をしるされた者であったが、
幕屋に行かなかったので、
宿営のうちで預言した。
11:27
時に
ひとりの若者が走ってきて、
モーセに告げて言った、
「エルダデ
と
メダデ
とが宿営のうちで預言しています」。
11:28
若い時からモーセの従者であった
ヌンの子
ヨシュアは答えて言った、
「わが主、
モーセよ、
彼らを
さし止めてください」。
11:29
モーセは彼に言った、
「あなたは、
わたしのためを思って、
妬(ねたみ)を起しているのか。
主の民がみな預言者となり、
主がその霊を彼らに与えられることは、
願わしいことだ」。
11:30
こうして
モーセはイスラエルの長老たちと共に、
宿営に引きあげた。
11:31
さて、
主のもとから
風が起り、
海の向こうから、
鶉(うずら)・・・・・・鶉=享+鳥
享受の鳥
キジ(雉)科の一
「生地・木地・記事」化の一?
「上砂川」の町名である
和名は
「蹲る(うずくまる)
埋る(うずる)」の
「ウズ」に接尾語「ら」を
付け加えたもの・・・?
江戸時代(慶長~寛永)
武士の間で鳴き声を競い合う
「鶉合わせ」が行われ、
大正時代まで行われた
鳴き声を
「聞きなし」として
「ゴキッチョー(御吉兆)」とし
珍重された
を運んできて、
これを宿営の近くに落した。
その落ちた範囲は、
宿営の周囲で、
こちら側も、
おおよそ一日の行程、
あちら側も、
おおよそ一日の行程、
地面から高さ
おおよそ二キュビトであった。
11:32
そこで
民は立ち上がって
その日は終日、
その夜は終夜、
また
その次の日も終日、
うずらを集めたが、
集める事の最も少ない者も、
十ホメルほど集めた。
彼らはみな、
それを宿営の周囲に広げておいた。
11:33
その肉がなお、
彼らの
歯の間にあって
食べつくさないうちに、
主は
民にむかって怒りを発し、
主は非常に激しい
疫病をもって
民を撃たれた。
11:34
これによって、
その所の名は
キブロテ・ハッタワ
と呼ばれた。
欲心を起した民を、
そこに埋めたからである。
11:35
キブロテ・ハッタワから、
民は
ハゼロテ
に進み、
ハゼロテ
ーーーーー
・・・お前らをエジプトの奴隷から解放して救ってやったのに、まだ文句をタラタラ・・・ユルセン、ッ・・・
「キブロテ・ハッタワ」・・・ナゼ「疫病」で殺したんだか?・・・鳥インフルエンザの感染・・・
「うつら・うづら」は「罹病・感染」の「うつら・うつり・うつる・うつれ・うつろ」だろう・・・ナ、ッ・・・
「記附賂手・張った話」・・・
・・・日米首脳会見・・・「バンサイカイ」・・・「ナジルの燔祭会」だろう・・・
ーーーーー
「燔祭」=「全焼の生贄(いけにえ)」
燔=火+番
「素祭」=「穀物の奉(ささげ)物」
素=主+糸
「酬恩祭」=「和解の生贄(いけにえ)」
酬=酉+州・・・報酬・むくいる
「罪祭」=「罪のための生贄(いけにえ)」
罪=罒(網)+非
「揺祭」=「過越祭後の最初の安息日の翌日に
穀物の初穂の束を揺り動かす」
「生贄(いけにえ)の
肉を前後に水平に揺り動かすこと」
揺=扌(手)+爫(爪)+缶(午凵)
「挙祭」=「奉納物」
挙=ツ+一+八
擧=與+手
選挙・挙手
類字は
「豢(カン)」・「拳(拳闘)」
豢=家畜を飼育する
豢=手先となる人間を養(飼・やしな)う
「魚豢(ギョカン)」は「魏略」の著者・・・
・・・当時、「養殖魚」があったとしたら「金魚・出目金」の類だろう・・・食べれないことはないが「富豪、権力者の観賞用の魚」だろう・・・多分、「魏略」は「欺略・偽略」だろう・・・「魚擧(ギョケン)」ならば「魚=まな→眞名(仮名)→漢字」である・・・「魏略」は、中国三国時代の魏を中心に書かれた歴史書で散逸(?)・・・
「清代」に
「王仁俊」が
「逸文」を集めて輯本を編したが、
「疎漏」であったため
「張鵬一」が
「民国十一年(1922年)に再編集した」らしい・・・
「十一」と「1922」である・・・詐欺(詐偽)師メ、ッが・・・「魚の手先」とは・・・
ーーーーー
以前も以下も参照の「原文」は
「聖書(口語)日本聖書協会・1955年」です・・・
↓
旧約聖書
民数記
第6章
6:1
主はまたモーセに言われた、
6:2
「イスラエルの人々に言いなさい、
『男または女が、
特に誓いを立て、
ナジルびと・・・・・・ナジル(詰る)
詰め寄る
詰問する
相手の非を責める批難(非難)
「なじる」を「いじる」
名字留 弄 る
となる誓願をして、
身を主に聖別する時は、
6:3
ぶどう酒と濃い酒を断ち、
ぶどう酒の酢となったもの、
濃い酒の酢となったものを飲まず、
また、
ぶどうの汁を飲まず、
また
生でも干したものでも、
ぶどうを
食べてはならない。・・・ナゼ、
葡萄は食べては駄目なのか?
葡萄牙(ポルトガル・Portugal)
6:4
ナジルびとである間は、
すべて、
葡萄(ぶどう)の木から
できるものは、
種も皮も
食べてはならない。
6:5
また、
ナジルびとたる
誓願を立てている間は、
すべて、
かみそりを
頭に当ててはならない。
身を主に聖別した日数の満ちるまで、
彼は聖なるものであるから、
髪の毛を
のばしておかなければならない。
6:6
身を主に聖別している間は、
すべて死体に近づいてはならない。
6:7
父母、兄弟、姉妹が死んだ時でも、
そのために身を汚してはならない。
神に聖別した
しるしが、
頭に・・・・・・頭=脳ミソの機能
催眠、洗脳?
あるからである。
6:8
彼は
ナジルびとである間は、
すべて主の聖なる者である。
6:9
もし人が
はからずも
彼のかたわらに死んで、
彼の聖別した頭を汚したならば、
彼は身を清める日に、
頭をそらなければならない。
すなわち、
七日目にそれを
剃(そら)なければならない。・・・ソラ
剃=弟+刀
音+形名
6:10
そして
八日目に
山ばと二羽、
または
家ばとのひな二羽を携えて、
会見の幕屋の入口におる
祭司の所に行かなければならない。
6:11
祭司はその
一羽を罪祭に、
一羽を燔祭にささげて、
彼が死体によって得た罪を
彼のために
贖(購・あがない)、・・・・贖=貝+賣(売)
購=貝+冓
その日に
彼の頭を
聖別しなければならない。
6:12
彼はまたナジルびとたる日の数を、
改めて主に聖別し、
一歳の雄の小羊を携えてきて、
愆祭(ケンサイ)・・・愆祭(ケンサイ)=彳+氵+亍+心
?・・・彳+(汙、汗)
汙=汚物
としなければならない。
それ以前の日は、
彼がその聖別を汚したので、
無効になるであろう。
6:13
これがナジルびとの律法である。
聖別の日数が満ちた時は、
その人を会見の
幕屋の入口に
連れてこなければならない。
↓
6:18
その
ナジルびとは
会見の幕屋の入口で、
聖別した頭をそり、
その聖別した
頭の髪を取って、
これを酬恩祭の犠牲の下にある
火の上に置かなければならない。
6:19
祭司はその雄羊の肩の煮えたものと、
かごから取った種入れぬ菓子一つと、
種入れぬ煎餅一つを取って、
これをナジルびとが、
その聖別した頭をそった後、
その手に授け、
6:20
祭司は主の前でこれを
揺り動かして
揺祭(ヨウサイ)としなければならない。
これは聖なる物であって、
その揺り動かした胸と、
ささげた
ももと共に、
祭司に帰するであろう。
こうして後、
そのナジルびとは、
ぶどう酒を飲むことができる。
6:21
これは誓願をする
ナジルびとと、
その
ナジルびとたる事のために、
主にささげる
彼の供え物についての律法である。
このほかに
その力の
及ぶ物をささげることができる。
すなわち、
彼はその誓う誓願のように、
ナジルびとの律法にしたがって
行わなければならない』」。
↓
第7章
7:12
第一日に供え物をささげた者は、
ユダの部族の
アミナダブの子
ナション
であった。
7:13
その供え物は
銀のさら一つ、
その重さは
百三十シケル、
銀の鉢一つ、
これは
七十シケル、
共に聖所のシケルによる。
この二つには
素祭に使う油を混ぜた
麦粉を満たしていた。
7:14
また
十シケルの
金の杯一つ。
これには
薫香を満たしていた。
7:15
また
燔祭に使う
若い
雄牛一頭、
雄羊一頭、
一歳の
雄の小羊一頭。
7:16
罪祭に使う
雄やぎ一頭。
7:17
酬恩祭の犠牲に使う
雄牛二頭、
雄羊五頭、
雄やぎ五頭、
一歳の
雄の小羊五頭であって、
これは
アミナダブの子
ナションの
供え物であった。
7:18
第二日には
イッサカルのつかさ、
ツアルの子
ネタニエル
がささげ物をした。
↓
7:24
第三日には
ゼブルンの子たちのつかさ、
ヘロンの子
エリアブ。
↓
7:30
第四日には
ルベンの子たちのつかさ、
シデウルの子
エリヅル。
↓
7:36
第五日には
シメオンの子たちのつかさ、
ツリシャダイの子
シルミエル。
↓
7:42
第六日には
ガドの子たちのつかさ、
デウエルの子
エリアサフ。
↓
7:48
第七日には
エフライムの子たちのつかさ、
アミホデの子
エリシャマ。
↓
7:54
第八日には
マナセの子たちのつかさ、
パダヅルの子
ガマリエル。
↓
7:60
第九日には
ベニヤミンの子らのつかさ、
ギデオニの子
アビダン。
↓
7:66
第十日には
ダンの子たちのつかさ、
アミシャダイの子
アヒエゼル。
↓
7:72
第十一日には
アセルの子たちのつかさ、
オクランの子
パギエル。
↓
7:78
第十二日には
ナフタリの子たちのつかさ、
エナンの子
アヒラ。
↓
7:84
以上は祭壇に油を注ぐ日に、
イスラエルのつかさたちが、
祭壇を奉納する供え物として、
ささげたものである。
すなわち、
銀のさら十二、
銀の鉢十二、
金の杯十二。
7:85
銀のさらはそれぞれ百三十シケル、
鉢はそれぞれ七十シケル、
聖所のシケルによれば、
この
銀の器は合わせて二千四百シケル。
7:86
また
薫香の満ちている十二の金の杯は、
聖所のシケルによれば、
それぞれ十シケル、
その杯の金は
合わせて百二十シケルであった。
7:87
また
燔祭に使う
雄牛は合わせて十二、
雄羊は十二、
一歳の
雄の小羊は十二、
このほかに
その素祭のものがあった。
また罪祭に使う
雄やぎは十二。
7:88
酬恩祭の犠牲に使う
雄牛は合わせて二十四、
雄羊は六十、
雄やぎは六十、
一歳の
雄の小羊は六十であって、
これは
祭壇に油を注いだ後に、
祭壇奉納の供え物としてささげたものである。
7:89
さて
モーセは主と語るために、
会見の幕屋にはいって、
あかしの箱の上の、
贖罪所の上、
二つの
ケルビム・・・・・ケルビム=伝達機器=無線機?
ラヂヲ・ラジオ
の間から
自分に語られる
声を聞いた。
すなわち、
主は彼に語られた。
↓
第8章
8:5
主はまたモーセに言われた、
8:6
「レビびとを
イスラエルの人々のうちから取って、
彼らを清めなさい。
8:7
あなたはこのようにして
彼らを清めなければならない。
すなわち、
罪を清める水を
彼らに
注ぎかけ、
彼らに
全身をそらせ、
衣服を洗わせて、
身を清めさせ、
8:8
そして
彼らに
若い雄牛一頭と、
油を混ぜた麦粉の
素祭とを取らせなさい。
あなたはまた、
ほかに若い雄牛を
罪祭のために取らなければならない。
8:9
そして、
あなたは
レビびとを会見の幕屋の前に連れてきて、
イスラエルの人々の全会衆を集め、
8:10
レビびとを主の前に進ませ、
イスラエルの人々をして、
手をレビびとの上に
置かせなければならない。
8:11
そして
アロンは、
レビびとを
イスラエルの人々の
ささげる
揺祭(ヨウサイ)として、・・・過越祭の後の
最初の安息日の翌日、
週の初めの日に、
穀物の初穂の束を
主の前で揺り動かす祭
主の前に
ささげなければならない。
これは
彼らに
主の務をさせるためである。
8:12
それから
あなたはレビびとをして、
手を
かの雄牛の頭の上に置かせ、
その
一つを罪祭とし、
一つを燔祭として
主にささげ、
レビびとのために
罪の贖(購・あがない)・・・・贖=貝+賣
購=貝+冓
をしなければならない。
8:13
あなたは
レビびとを、
アロンとその子たちの前に立たせ、
これを
揺祭(ヨウサイ)として
主にささげなければならない。
8:14
こうして、
あなたは
レビびとを
イスラエルの人々のうちから分かち、
レビびとを
わたしのものとしなければならない。
8:15
こうして後
レビびとは
会見の幕屋にはいって
務につくことができる。
あなたは彼らを清め、
彼らをささげて
揺祭(ヨウサイ)としなければならない。
8:16
彼らは
イスラエルの人々のうちから、
全く
わたしにささげられたものだからである。
イスラエルの人々のうちの
初めに生れた者、
すなわち、
すべての
初児(ういご)の代りに、
わたしは
彼らを取って
わたしのものとした。
8:17
イスラエルの人々のうちの
初児(ういご)は、
人も獣も、
みなわたしのものだからである。
わたしはエジプトの地で、
すべての
初児(ういご)を撃ち殺した日に、
彼らを聖別して
わたしのものとした。
8:18
それで
わたしはイスラエルの人々のうちの、
すべての
初児(ういご)の代りに
レビびとを取った。
8:19
わたしは
イスラエルの人々のうちから
レビびとを取って、
アロンとその子たちに与え、
彼らに
会見の幕屋で、
イスラエルの人々に代って務をさせ、
また
イスラエルの人々のために
罪の贖(購・あがない)をさせるであろう。
これはイスラエルの人々が、
聖所に近づいて、
イスラエルの人々のうちに
災の起ることのないようにするためである」。
8:20
モーセとアロン、
および
イスラエルの人々の全会衆は、
すべて
主が
レビびとの事につき、
モーセに命じられた所にしたがって、
レビびとに行った、
すなわち、
イスラエルの人々は、
そのように彼らに行った。
8:21
そこで
レビびとは
身を清め、
その衣服を洗った。
アロンは
彼らを主の前にささげて
揺祭(ヨウサイ)とした。
アロンはまた彼らのために、
罪の贖(購・あがない)をして
彼らを清めた。
8:22
こうして後、
レビびとは
会見の幕屋にはいって、
アロンとその子たちに仕えて務をした。
すなわち、
彼らは
レビびとの事について、
主がモーセに命じられた所にしたがって、
そのように彼らに行った。
8:23
主はまたモーセに言われた、
8:24
「レビびとは
次のようにしなければならない。
すなわち、
二十五歳以上の者は務につき、
会見の幕屋の働きをしなければならない。
8:25
しかし、
五十歳からは
務の働きを退き、・・・・退職年齢・定年退職
重ねて
務をしてはならない。
8:26
ただ、
会見の幕屋で
その兄弟たちの
務の助けをすることができる。
しかし、
務をしてはならない。
あなたがレビびとに
その務をさせるには、
このようにしなければならない」。
ーーーーー
・・・日米首脳会見・・・「ナジル」だろう・・・
・・・無理強いさせられるように咲いたサクラ(桜・櫻)・・・「櫻」=「木+貝貝+女」・・・「記を書いたのは二人のカイのオンナ」・・・「木(き・ボク・モク→摸句)+嬰児(みどりご・エイジ→英字)」・・・「赤ん坊」ではなく、「緑(みどり)ん坊」の「モンゴロイドの蒙古斑」・・・
「桜・櫻・さくら・ロウ」の語源って・・・?・・・「花(はな)」そのもので、「梅(うめ)=梅・ 烏梅・宇米・汗梅・有米・宇梅」か、「櫻(さくら)=佐久良・作楽・佐案」で、その固有名詞(梅・櫻)で、あまり歌われるコトはなく、前後のコトバで推理するしかない・・・「万葉集には梅の歌百十八首。桜の歌は四十四首」・・・「櫻」の字は「木+嬰」で、「嬰」=「ユスラウメ(梅桃、山桜桃梅)の実の首飾りをつけた女性・首飾りそれ自体(?)」らしいが、「ユスラ」とは何か?「ゆすり(強請る)、たかり(集る)」の「ゆすら(揺する)」・・・「喩素等」?・・・「サンオウトウ(山桜桃)・ イクリニン(郁李仁)」・・・「半音高い」の「嬰(シャープ・♯・sharp)記号」である・・・「Sagrada Familia」だろう。「サグラダ・ ファミリア贖罪聖堂」。「サグラダ-ファミリア」とは「聖家族」である。多分、「ゆすり家族」であったカモ・・・「レビ人のアロン」・・・
ーーーーー
旧約聖書
舊約(旧約)
↓
民數記=民数記(みんすうき)
第2章
2:32
これがイスラエルの人々の、
その父祖の家にしたがって
数えられた人々である。
もろもろの宿営の、
その部隊にしたがって
数えられた者は合わせて
六十万三千五百五十人であった。
2:33
しかし、
レビびとは
イスラエルの人々のうちに数えられなかった。
主がモーセに命じられたとおりである。
↓
第3章
3:44
主はモーセに言われた、
3:45
「あなたはイスラエルの人々のうちの、
すべての
初子(初児・ういご)の代りに、
レビびとを取り、
また彼らの家畜の代りに、
レビびとの家畜を取りなさい。
レビびとは
わたしのものとなる。
わたしは主である。
3:46
また
イスラエルの人々の
初子(初児・ういご)は、
レビびとの数を
二百七十三人超過しているから、
そのあがないのために、
3:47
その頭数(あたまかず)によって、
ひとりごとに
銀五シケルを取らなければならない。
すなわち、
聖所のシケルにしたがって、
それを取らなければならない。
一シケルは
二十ゲラである。
3:48
あなたは、
その超過した者を
あがなう金を、
アロンと、
その子たちに
渡さなければならない」。
3:49
そこでモーセは、
レビびとによって
あがなわれた者を
超過した人々から、
あがないの金を取った。
3:50
すなわち、
モーセは、
イスラエルの人々の
初子(初児・ういご)から、
聖所のシケルにしたがって
千三百六十五シケルの銀を取り、
3:51
そのあがないの金を、
主の言葉にしたがって、
アロンとその子たちに渡した。
主がモーセに命じられたとおりである。
↓
第4章
4:1
主はまたモーセとアロンに言われた、
4:2
「レビの子たちのうちから、
コハテの子たちの総数を、
その氏族により、
その父祖の家にしたがって調べ、
4:3
三十歳以上五十歳以下で、
務につき、
会見の幕屋で働くことのできる者を、
ことごとく数えなさい。
4:4
コハテの子たちの、
会見の幕屋の務は、
いと聖なる物に
かかわるものであって、
次のとおりである。
4:5
すなわち、
宿営の進む時に、
アロンとその子たちとは、
まず、はいって、
隔ての垂幕を取りおろし、
それをもって、
あかしの箱をおおい、
4:6
その上に、
じゅごん・・・・ジュゴン(Dugong dugon)
↓ 「儒艮」・・・艮卦は
止まる・山、手
などの象徴
丑寅(牛虎)
睨み合い(呪眼)
哺乳綱
カイギュウ目
(海牛目 or 海馬目)・・・?
ジュゴン科ジュゴン属
哺乳類
全身は短い剛毛で
まばらに被われる
胸鰭を使って海底を徘徊し、
速く泳ぐ際には尾鰭を使う
有史以前から狩猟の対象
薬用や媚薬になる・・・
ヒトと同じく2つの乳頭が、
胸びれの付け根にある
「人魚」だから・・・
琉球、沖縄方言で、
「ザン・ザンヌイユー(ザンの魚)」
大和言葉化した
「ざんのいを」もある
「犀魚」の当て字する
「中日春秋」によれば、
沖縄の人々は
「ジャン・ザン・ヨナタマ」などとも
漁師は、
「アカングヮーイュー」とも呼ぶ
「アカングヮー=赤ん坊」
「イュー=魚」という意味らしい・・
↓ 「呪言(ジュゴン)」である
の皮の
おおいを施し、
またその上に
総青色の布・・・・・・ナゼ「青色」なのか?
ブルー
をうちかけ、
環にさおをさし入れる。
4:7
また供えのパンの机の上には、
青色の布をうちかけ、
その上に、さら、
乳香を盛る杯、鉢、
および
灌祭の瓶を並べ、
また絶やさず供えるパンを置き、
4:8
緋色の布・・・・・・ナゼ「緋色」なのか?
スカーレット
をその上にうちかけ、
じゅごん
の皮のおおいをもって、
これをおおい、
さおをさし入れる。
4:9
また
青色の布を取って、
燭台とそのともし火ざら、
芯切りばさみ、
芯取りざら、
およびそれに用いる
もろもろの油の器をおおい、
4:10
じゅごん
の皮のおおいのうちに、
燭台と
そのもろもろの器をいれて、
担架に載せる。
4:11
また、
金の祭壇の上に
青色の布をうちかけ、
じゅごんの皮のおおいで、
これをおおい、
そのさおをさし入れる。
4:12
また
聖所の務に用いる務の器をみな取り、
青色の布に包み、
じゅごんの皮のおおいで、
これをおおって、
担架に載せる。
4:13
また祭壇の灰を取り去って、
紫の布をその祭壇の上にうちかけ、
4:14
その上に、
務をするのに用いる
もろもろの器、・・・・・諸々の記
すなわち、
火皿、・・・比サラ
肉刺、・・・字句さし
十能、・・・ジュウノウ
鉢、 ・・・葉知
および
祭壇のすべての器を載せ、
また
その上に、
じゅごんの皮の
おおいをうちかけ、
そして
さおをさし入れる。
4:15
宿営の進むとき、
アロンとその子たちとが、
聖所と聖所のすべての器を
おおうことを終ったならば、
その後
コハテの子たちは、
それを運ぶために、
はいってこなければならない。
しかし、
彼らは
聖なる物に触れてはならない。
触れると死ぬであろう。・・・・?
会見の幕屋のうちの、
これらの物は、
コハテの子たちが運ぶものである。
4:17
主はまた、モーセとアロンに言われた、
4:18
「あなたがたは
コハテびとの一族を、
レビびとのうちから
絶えさせてはならない。
4:19
彼らが
いと聖なる物に近づく時、
死なないで、
命を保つために、・・・?
このようにしなさい、
すなわち、
アロンとその子たちが、
まず、はいり、
彼らをおのおのその働きにつかせ、
そのになうべきものを取らせなさい。
4:20
しかし、彼らは、はいって、
ひと目でも聖なる物を見てはならない。
見るならば
死ぬであろう」。・・・・ナゼ?
↓
第5章
5:1
主はまたモーセに言われた、
5:2
「イスラエルの人々に命じて、
癩(らい)病人、・・・・・
流出のある者、
死体にふれて汚れた者を、
ことごとく
宿営の外に出させなさい。
5:3
男でも女でも、
あなたがたは
彼らを宿営の外に出して
そこにおらせ、
彼らに宿営を汚させてはならない。
わたしが
その中に住んでいるからである」。
5:4
イスラエルの人々はそのようにして、
彼らを宿営の外に出した。
すなわち、
主がモーセに言われたように
イスラエルの人々は行った。
ーーーーー
↓↑
・・・「神」も「治療困難な難病で伝染病」だった?
↓
ハンセン病(Hansen's disease)
抗酸菌の一種である
らい菌(Mycobacterium leprae)の
皮膚のマクロファージ内寄生
および
末梢神経細胞内寄生による感染症
病名は、
1873年
ノルウェー人医師
アルマウェル・ハンセンの姓に由来
↓
英語の「leprosy」
日本語の「レプラ」
古代ギリシア語の「λέπρα (leprā)」
ラテン語の「lepra」
に由来
「λέπος (lepos)=皮・鱗」
「λεπερός (leperos)=皮・鱗を持った~」
「λεπρός (lepros)=鱗状の~、かさぶた状の~
レプラの~」
・・・「眼から鱗が落ちた」のは「サウル=パウロ」だった
女性形
「λέπρα (leprā)」
古代ギリシア
皮膚が鱗状・瘡蓋(かさぶた状になる症状群)
乾癬や湿疹など幅広い
「皮膚疾」がこの名で呼ばれていた
紀元前5~4世紀
ヘロドトス
「歴史・〈1巻138節〉」
アリストファネス
「アカルナイの人々・〈724行〉」など
ヒポクラテス集成の中の
「予知論 II・43章」などに記述
七十人訳聖書(ギリシア語訳の旧約聖書)
皮膚上の「צָרַעַת ツァーラアト・(レビ記13-14章 他)」
を「λέπρα」と訳
ヘブライ語の「ツァーラアト」は
具体的不明だが
「乾癬」説が有力・・・?
アリストテレスが
「サテュリア」と呼んだもの
「エフェソス
の
ルフス」は
ギリシアの医者
エラシストラトスの弟子
ストラトンが
「カコキミア」と
呼んだものは
「象皮病」であった・・・象皮病である・・・
前1世紀ころから、
ギリシア語。ラテン語で
「象=ἐλεφας , elephas」
「象皮病=ἐλεφαντίασις
elephantiasis」
と呼ばれていたものは、
ハンセン病であった・・・らしい
↓
「日本書紀」、
「令義解」には、
「白癩(ビャクライ・しらはたけ)」
と記録
「令義解」に
「悪疾所謂白癩、・・・白癩
此病有虫食五臓。
或眉睫堕落或鼻柱崩壊、
或語声嘶変或支節解落也、
亦能注染於傍人。
故不可与人同床也」
と記録・・・「虫が食う五臓」・・・
鎌倉時代
「癩(らい)」、
「癩病」
江戸時代
乞食を意味する
「かったい(かたい)」という言葉が使用
第二次世界大戦後まで使用された地域もあった
方言としては
「ドス・ナリ・クサレ・ヤブ・クンキャ」
などの蔑称で使用
昭和時代
ドイツ語またはラテン語の
「lepra(レプラ)」の言い換え語として使用
「ツァラアト(旧約聖書・レビ記13:47)」は
衣服につく「カビ」を指す・・・との説・・・
↓↑
大谷吉継(おおたによしつぐ)
(1559年~1600年)
戦国後期の武将
賤ヶ岳の戦いで武功
「業病」を患っており、顔が爛れていた
石田三成とは親友
関ヶ原の戦い(1600年)
三成と共に西軍に参戦
自刃
茶会で、
吉継が口をつけた茶碗の茶を
石田三成は飲み乾した
↓
明石海人(あかしかいじん)
(1901~1939)
本名は
野田勝太郎
静岡県沼津市出身
ハンセン病患者
「日本歌人」
「日本詩壇」
「文芸」
「短歌研究」
「水甕」
などに短歌を発表した歌人
ハンセン病発症前は小学校教師
ハンセン病の後遺症で
失明
発声障害
(喉頭機能障害で気管切開)
腸結核で
長島愛生園で死亡
1939年に
「白描(はくびょう)」
を発刊
ーーーーー
・・・
・・・突然の「夏」・・・何だこの暑さ。昨夜は灯油ストーブに炎を燃えさせていたのに・・・暑い・・・庭に出ると桜の木に桜の花・・・ニャんコの「モモ」もぐったり・・・
ーーーーー
旧約聖書
舊約(旧約)
↓
民數記=民数記(みんすうき)
聖書の
四番目の記録
出エジプトから
二年二ヶ月後に始まり、
ヨルダン川にたどりつく40年目までの記録
↓
イスラエルの民の人口の「数」の調査
七十人訳聖書
「アリスモイ=数」
「戸籍調査」はナゼ必要なのか・・・「税金徴収」と「徴兵」だろう・・・
↓
ナジル人など種々の規定(1章~10章10節)
シナイ山からモアブにいたる道中の記述(10章11節~21章20節)
カナンの民との戦い、ヨルダン川到着まで(21章21節~36章)
↓
1章 シナイの荒野における人口調査、レビ人の務め
2章 幕屋と宿営地に関する神の指示
3章 レビ人の祭司としての職務
4章~6章 レビ人の氏族の調査、汚れやナジル人に関する規定
7章~9章 祭壇の奉献と聖所の祝別
10章~12章 イスラエルの民の荒れ野の旅と不満、
モーセを蔑ろにしたアロンとミリアムへの罰
13章~14章 カナンを偵察した斥候の報告と民の嘆き
15章~17章 コラの反逆、アロンの杖
18章~19章 アロンの子孫とレビ人の祭司としての役割
20章~21章 メリバの出来事、
ミリアムとアロンの死、
カナン人アラドの王の死、
青銅の蛇による罰、
アモリの王シホンとオグとの戦い
22章~24章 バラクとバラムの物語、バラムとろば
25章~27章 カナン入りを前にした人口調査
後継者ヨシュアの任命
28章~29章 献げ物に関する規定
30章~32章 ミディアンへの勝利
逃れの街の規定
33章~36章 エジプトを出てからの旅程
イスラエルの嗣業の土地、
レビ人の町、
相続人が女性である場合の規定
↓
ーーーーー
旧約聖書
舊約(旧約)
第1章
1:1
エジプトの国を出た
次の年の二月一日に、
主はシナイの荒野において、
会見の幕屋で、モーセに言われた、
1:2
「あなたがたは、
イスラエルの人々の全会衆を、
その氏族により、
その父祖の家によって調査し、
その
すべての
男子の名の数を、
ひとりびとり数えて、
その総数を得なさい。
1:3
イスラエルのうちで、
すべて戦争に出ることのできる
二十歳以上の者を、
あなたとアロンとは、
その部隊にしたがって
数えなければならない。
1:4
また、
すべての部族は、
おのおの
父祖の家の長たるものを、
ひとりずつ出して、
あなたがたと協力させなければならない。
↓
1:16
これらは会衆のうちから選び出された人々で、
その父祖の部族のつかさたち、
またイスラエルの氏族のかしらたちである。
1:17
こうして、モーセとアロンが、
ここに名を掲げた人々を引き連れて、
1:18
二月一日に会衆をことごとく集めたので、
彼らはその氏族により、
その父祖の家により、
その名の数にしたがって
二十歳以上のものが、
ひとりびとり登録した。
1:19
主が命じられたように、
モーセはシナイの荒野で彼らを数えた。
1:20
すなわち、
イスラエルの長子
ルベンの子たちから生れたものを、
その氏族により、
その父祖の家によって調べ、
すべて戦争に出ることのできる
二十歳以上の男子の名の数を、
ひとりびとり得たが、
1:21
ルベンの部族のうちで、
数えられたものは
四万六千五百人であった。
1:22
また
シメオンの子たちから生れたものを、
その氏族により、
その父祖の家によって調べ、
すべて戦争に出ることのできる
二十歳以上の男子の名の数を、
ひとりびとり得たが、
1:23
シメオンの部族のうちで、
数えられたものは
五万九千三百人であった。
1:25
ガドの部族のうちで、
数えられたものは
四万五千六百五十人であった。
1:27
ユダの部族のうちで、
数えられたものは
七万四千六百人であった。
1:29
イッサカルの部族のうちで、
数えられたものは
五万四千四百人であった。
1:31
ゼブルンの部族のうちで、
数えられたものは
五万七千四百人であった。
1:33
エフライムの部族のうちで、
数えられたものは
四万五百人であった。
1:35
マナセの部族のうちで、
数えられたものは
三万二千二百人であった。
1:37
ベニヤミンの部族のうちで、
数えられたものは
三万五千四百人であった。
1:39
ダンの部族のうちで、
数えられたものは
六万二千七百人であった。
1:41
アセルの部族のうちで、
数えられたものは
四万一千五百人であった。
1:43
ナフタリの部族のうちで、
数えられたものは、
五万三千四百人であった。
1:44
これらが数えられた人々であって、
モーセとアロンと
イスラエルのつかさたちとが数えた人々である。
そのつかさたちは
十二人であって、
おのおのその父祖の家のために出たものである。
1:45
そして
イスラエルの人々のうち、
その父祖の家にしたがって数えられた者は、
すべてイスラエルのうち、
戦争に出ることのできる
二十歳以上の者であって、
1:46
その数えられた者は合わせて
六十万三千五百五十人であった。
1:47
しかし、
レビびとは、
その父祖の部族にしたがって、
そのうちに数えられなかった。
1:48
すなわち、
主はモーセに言われた、
1:49
「あなたはレビの部族だけは
数えてはならない。
またその総数を
イスラエルの人々のうちに
数えあげてはならない。
1:50
あなたは
レビびとに、
あかしの幕屋と、
そのもろもろの器と、
れに附属するもろもろの物を管理させなさい。
彼らは幕屋と、
そのもろもろの器とを持ち運び、
またそこで務をし、
幕屋のまわりに宿営しなければならない。
1:51
幕屋が進む時は、
レビびとがこれを取りくずし、
幕屋を張る時は、
レビびとが
これを組み立てなければならない。
ほかの人がこれに近づく時は
殺されるであろう。
1:52
イスラエルの人々は
その部隊にしたがって、
おのおのその宿営に、
おのおのその旗のもとに
その天幕を張らなければならない。
1:53
しかし、
レビびとは、
あかしの幕屋の
まわりに宿営しなければならない。
そうすれば、
主の怒りは
イスラエルの人々の
会衆の上に臨むことがないであろう。
レビびとは、
あかしの幕屋の務を守らなければならない」。
1:54
イスラエルの人々はこのようにして、
すべて
主がモーセに命じられたように行った。
ーーーーー
・・・「あかしの幕屋」と「幕屋の務」とは・・・「情報機関」・・・移動用の「ペンタゴン」・・・それとも、「明石」の標準時間・・・「赤石元二郎」大佐のロシア革命への加担工作か・・・「あかしの幕屋」とは「あかしそ」の「マクヤ」・・・梅干し工場・・・?
禁止の終助詞「な」
禁止の副詞「な」と呼応した「な」…「そ」
「な、あかし-そ」・・・「レビびとは、な数えそ」・・・?
↓
赤紫蘇
日本では梅干しなどの色づけに使う
葉を乾燥させ香辛料として
七味唐辛子に配合
カロテン、ビタミンB、カルシウム、
食物繊維、カリウムなどの栄養素を含み、
β-カロテンの含有量は多い
香りの元
ペリルアルデヒドは、
臭覚神経を刺激し
胃液の分泌を促し、
健胃作用や食中毒に予防効果
漢方医学
赤紫蘇の葉を
「蘇葉(ソヨ)
「紫蘇葉(シソヨウ)」といい、
理気薬(精神を安定効果)
神秘湯、半夏厚朴湯、香蘇散などに配合
チリメンジソの葉
及び
枝先を「蘇葉」としている
熟した果実は
「蘇子(ソシ)といい、
咳、喘息、便秘などの治療に用いる
シソの葉は
ロズマリン酸、
葉と実には
ルテオリン(フラボノイド・酵素)を含み、
アレルギー疾患に有用
↓
明石
明石市を通る
東経135度の経度が
日本標準時の
子午線
645年 - 大化の改新により
明石国が
針間国に編入され
播磨国となる
645年 - 如意寺が建立
811年 - 空海が
楊柳寺を建立
877年 - 覚証が
楊柳寺を
月照寺に改名
901年 - 九州左遷の
菅原道真が立ち寄り、
明石の駅に一泊
1578年 - 別所長治が
魚住に魚住城を築城
1580年 - 羽柴秀吉が
三木を攻め、
明石も巻き込む
1585年 - 高山右近が領主
1587年 - 高山右近追放
羽柴秀吉の直轄領
1617年 - 小笠原忠真が明石城主
1619年 - 明石城の築城が始まる
1622年 - 小笠原忠真、
明石城内にあった
人丸神社と
月照寺を現在の位置に移設
1601年 - 明石港が作られる
1680年頃 - 岩岡が開墾される
1871年7月14日 - 廃藩置県により
明石藩から明石県
1871年11月 - 明石県は姫路県に編入後、
飾磨県に名称変更
1876年8月 - 府県大統合により
飾磨県は
兵庫県に併合
1879年1月 - 郡区町村編制法により明石郡
1888年11月1日 - 山陽鉄道が兵庫-明石間で開通
1888年12月23日 - 山陽鉄道、明石-姫路間が開通
1889年4月 - 明治二十二年
市制町村制が敷かれ
1町11村
(明石町
伊川谷、岩岡、
魚住、大久保、
押部谷、神出、
玉津、垂水、
櫨谷、林崎、
平野の各村)が出来る
1917年 - 兵庫電気軌道の兵庫-明石間が開通
1919年11月1日 - 明石町が明石市となる
1923年 - 神姫鉄道の明石-姫路間が開通
1928年10月 - 垂水村が垂水町となる
1938年4月1日 - 大久保村が大久保町となる
1941年7月1日 - 垂水町が神戸市須磨区に編入
1942年 - 林崎村が明石市に編入
1943年 - 明石市は
玉津村を合併しようと
兵庫県に申請するが不成立
1946年11月 - 旧垂水町が神戸市垂水区となる
・・・「ファイターズが勝った」、深夜のTV、「UFO」ですか・・・
朝、「2011年3月11日」のTVのドキュメンタリー映像を観ていて、ナゼか「なみだ=泪・涕・涙」が目がしらに込み上げてくる・・・今現在、「なみだ」を流しながら映像を観ていて「なみだ」の意味が重なった。「なみだ」は「事件、震災」遭遇時には出てはこない。そんな暇はない。状況判断の空白、そして無我夢中、必死、自分が生きているコトを自覚したら、家族友人の安否である・・・「なみだ」が出る理由は様々だが、「悲しいナミダ・悔しいナミダ」は事後の思いで感情が押し上げさせて出てくるモノだ。「ナミダ=波だ、ッ」のコトバには「危険な警告」が重なっている・・・地震、津波で家族を失って、生き残り、ボー然とはしては居られなかった震災後の人々・・・震災後の情報を現地で生き残った人々に知らせ続けた役場の人や、現地のボランティア、消防団、警察、自衛隊、そして被災地県外の救援者、「友達作戦のアメリカ軍」、外国から救援部隊・・・本当に「有り難いコト」だった・・・「難事の隣人を愛せ」である。「難事の遠方の異邦人も愛せ」である。
最近は世界規模で「自然災害」が多いと感じる・・・「人間」が人間をいとも簡単に殺傷する事件も多い・・・TV番組で「他人を嘲笑する人間」も多い・・・ドラマの殆んどは「エゴな殺人事件」・・・
「カミ」が怒るのも尤(もっと)もである・・・
ーーーーー
昨日の「つづき」の「石上宅継」の「藝亭」の漢字にコダワル・・・参考原文は例の如く「ウイッキペデア」・・・
↓
石上 宅嗣(いそのかみ の やかつぐ)
天平元年(729年)
~
天応元年六月二十四日(781年7月 23日)
姓は
石上朝臣
物部朝臣
石上大朝臣
左大臣
石上麻呂の孫
中納言
石上乙麻呂の子
官位は正三位
大納言
贈正二位
↓↑
天平勝宝三年(751年)・・・ナゼ「天平勝宝」?
正六位下から
従五位下に昇叙
治部少輔
天平勝宝九年(757年)
従五位上
相模守
天平宝字三年(759年)・・・ナゼ「天平宝字」?
三河守
天平宝字五年(761年)
上総守
遣唐使の副使に任命
天平宝字六年(762年)
藤原田麻呂
に交代して
遣唐使を辞任
天平宝字七年(763年)
文部大輔・・・・・・文部大臣
藤原宿奈麻呂
大伴家持
佐伯今毛人
とともに、
太師(太政大臣)・・・・「大師」は坊主への贈号だが
ここでは「太師」である?
恵美押勝(藤原仲麻呂)
を除こうとして失敗
天平宝字八年(764年)正月
大宰少弐に左遷
九月
「藤原仲麻呂の乱」により
「恵美押勝(藤原仲麻呂)」が失脚
宅嗣は復権し
十月正五位上
常陸守
道鏡政権下で
天平神護元年(765年)・・・ナゼ「天平神護」?
従四位下・中衛中将
天平神護二年(766年)
参議として公卿
正四位下に昇叙
神護景雲二年(768年)・・・ナゼ「神護景雲」?
従三位
宝亀元年(770年)・・・・・年号が「宝亀」の
二文字に戻った?
称徳天皇の崩御
参議として
藤原永手らとともに
光仁天皇を擁立
宝亀二年(771年)
中納言
宝亀十一年(780年)
大納言
右大臣大
中臣清麻呂
内大臣
藤原魚名に次いで、
太政官で第三位の地位
大宰帥・式部卿・中務卿・皇太子傅を歴任
宝亀六年(775年)
物部朝臣
宝亀十年(779年)
石上大朝臣に改姓・・・・ナゼか「石上」に改姓?
天応元年(781年)四月
正三位
六月に死亡
後に
正二位の位階を贈
↓↑
「芸亭(うんてい)=藝亭」
日本で最初の公開図書館
「石上宅嗣」によって
平城京(奈良県奈良市)に設置
された。
「藝(芸)亭院(うんていいん)」
「綜芸種智院(しゅゲイしゅちいん)
天長五年十二月十五日(829年1月23日)
「弘法大師=空海」が
庶民 教育や各種学芸の綜合的教育を目的に、
天長五年十二月十五日(829年1月23日)
「藤原三守」から譲り受けた京都の
左京九条の邸宅に設置した私立学校・・・?
「綜藝(ゲイ・芸)種智院式并序(性霊集・巻十)」
「手藝(ウン・芸)種智院」?
↓
「藝」=サ+坴+丸+云
↓
「坴」→圥+土(十一)
「坴」の類字「堯」=垚(土土土)+兀(丌)
垚(ギョウ)
兀(ゴツ・ゴチ)
丌(キ)
元(ゲン・ガン)
「元(もと)」=一+兀
坴=「六」十「六」→「亠八」+「亠八」
亠(トウ・ズ)=鍋蓋冠
「亠」=音の字の略字
「圥(ロク)」+「土(ド)」
「圥」=「十」+「一」+「儿(ニン・ジン)」
「陸(リク)」+「陸(リク)」
「陸前・陸中・陸後」=三陸=奥羽=東北
↓↑
芸術(希臘語 τεχνη techné(テクネー)
羅語 ars
英語 art)
表現、創作、創造などの技術と技能
表現物と、その享受、鑑賞する者の
相互関係作用での
精神的・感覚的な認識、表現活動
↓↑
対象←認識思惟→表現、造形作品←観賞・享受→批評
↓
学芸(学問や芸術
学問=学+問←答えではない疑いの問
文化=文+化←記録文の
具体化、表現、造形化)
↓↑
文芸(言語記録芸術)
武芸(武闘芸術)
舞芸(舞踏芸術)
曲芸(サーカス・見世物芸術)
農芸(農業芸術)
園芸(造園芸術)
縫芸(縫製芸術)
陶芸(焼き物・陶器芸術)
美術(絵画造形芸術)
楽芸(音声、楽器演奏、音響芸術)
演芸(演劇芸術)
話芸(噺芸術)
映画(総合映像芸術)など
土木建築、道具、工業機器の
構造設計、
商業広告など
デザイン表現と、それらの造形活動など
↓↑
「芸」=「藝術」の略式表記(腹芸も含む)
↓↑ 「遊芸」は?「芸妓の伎」
「佐久間象山」は
「東洋道徳西洋芸術
(山先生七絶=題地球儀詩・象山撰)」
「芸術は技術のこと(和魂洋才と同様の意味?)」
「芸道・芸能」として
「藝術(芸術)=ゲイジュツ」は
明治になって
「新しい語」として使用された・・・
↓↑
石上神宮・石上振神宮
石上振神宮、石上坐布都御魂神社、石上布都御魂神社、石上布都大神社、石上神社、石上社、布留社、岩上大明神、布留大明神などがある。
幕末~明治期には地元で
「いわがみさん」と呼ばれた・・・「いそのかみ」ではない?
主祭神
布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)
神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊
配神
布留御魂大神(ふるのみたま-)
十種神宝に宿る神霊
布都斯魂大神(ふつしみたま-)
天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)に宿る神霊
宇摩志麻治命(うましまじのみこと)
五十瓊敷命(いにしきのみこと)
白河天皇
市川臣命(いちかわおみのみこと)
天足彦国押人命(孝昭天皇の皇子)後裔
七支刀(シチシトウ、
ななつさやのたち)・・・さや(鞘)か?
利率の差を表す相場用語のさや(差也)か?
干支の支→枝・・・七支族のカタナ?
石上神宮に伝世した上古刀
両刃の剣の左右に
3つずつの小枝を突出させたような形状
金象嵌で記された銘文の中に
「泰□四年」の年紀
西暦369年
「泰和四年」?・・・第287回
オリンピュア祭
(古代オリンピック最期の大会)
or
西暦268年
「泰始四年」?・・・「ガリア帝国」=僭称皇帝の政権
ポストゥムスは軍内の兵士によって殺害
「泰」=「三+人+水」→「二+大+水」
「𡗗+水」
「水から人を救い出し安らかであること
両手でたっぷりと水を流す様(掬う様?)」
「第十一番目の卦・乾下坤上」
「地天泰・一月に配される・泰は通じる」
「天下泰平・泰然自若・安泰」
「泰」の類字「秦・奉・奏・春・実」
「秦」=「三+人+禾」
三人の禾
三韓の一つの「辰韓」も、「秦」と表記
「太秦(うずまさ)」
禹豆麻佐(うつまさ)→「太秦」
兎豆満佐
↓
禹(ウ)
紀元前2070年頃
夏王朝の創始者
名は、文命(ブンメイ)
大禹、夏禹、戎禹
「伯禹」とも記される
姓は姒(ジ)=女+以
夏王朝創始後、
国号、氏を
「夏后」とした
↓
三皇五帝・・・三皇は
燧人 (スイジン)
伏羲 (フクギ・フッキ)
神農
or
伏羲・女媧(ジョカ)・神農
別に「天皇・地皇・人皇」とも
「伏羲は易をつくり」
「女媧は人類を生み」
「神農は民に農業を教えた」
五帝は
黄帝(コウテイ)=姫・軒轅
顓頊(センギョク)=高陽
帝嚳(テイコク)=高辛
帝堯(テイギョウ)=伊祁・放勲
陶・陶唐
帝舜(テイシュン)=姚・媯
重華
↓ 虞・有虞
の一人で
「禹」の血統は
「顓頊(高陽)」→鯀→禹
の孫で
父の
「鯀(コン)」=魚+系
の業を継いで
治水に功
舜より禅譲され、
帝位に就く前の地位は
「司空」
禹は
「熊」の姿に変身して
治水工事し
妻は
「塗山」氏の女(娘)で、
禹の熊の姿をみて
「石」になった
「会稽」の地で死亡
禹は
「人面にして足無し」
と記されている
禹=「人面魚身」の洪水神
・・・「熊(羆)」の姿と「人面魚身」は
どのように繋がるのだろう?
「星座」の
「北斗七星(熊←北極の熊=白熊)」と
「魚座の双魚宮」である・・・
「北極熊」
動物園などに飼育されている白クマは
体毛の空洞に汚れが入り込み
「黄色っぽく変色」
毛の空洞内に藻が発生し
緑みがかかった色になり
この状態を俗に
「緑熊(ミドリグマ)」と呼ぶ・・・
↓
「禹」の
父親の名が「鯀=魚+系」だが、
「魚類」と云うコトだろうが、
羽山で誅殺された時に
「黄色い熊に姿を変えて、
羽山の麓の
泉の中に没した(国語)」という
「黄色い熊」である・・・
「羆(ひぐま)」は黄金色だった・・・
↓
顓頊→鯀→禹
で、
「禹」は
「洪水神=顓頊(センギョク)」
の後とされ「孫」である
「顓頊」は
「死して蘇(よみがえ)る神」
であった・・・「蘇我」・・・
「死して蘇った」のは
ギリシャ神話では
「バッカス」で
半魚、半山羊に変身して逃げた
新約聖書では
十字架上で磔刑にされた
「キリスト」は三日後に岩の祠で蘇った
キリストの時代は
「魚座」である
古事記では
「天照大御神」は
「天(あま=海)の岩戸」から蘇った
↓
「禹歩」は
「兎の歩き方」ではなく、
「魚の尾鰭」で
クネクネと蛇行前進だろう
「匍匐(ホフク)前進で
伏せた状態で移動」するコトだ
長い身体を有するモノは蛇行、這行
植物では蔓の「匍匐(ホフク)」である
↓
体毛が光を透過し、毛の内部が空洞の
「白クマ」も
海面の氷結した氷の穴から
頭を出して氷上に這い上がる
「アザラシ」を捕獲する時に
「匍匐(ホフク)」する・・・
おおむね、犬科、猫科に属する
肉食獣が狩りで
獲物を狙う時の姿である
息を殺してユックリと・・・
↓
天皇、貴人が外出時、
道中の無事を祈って
陰陽家が呪いを唱えながら
舞踏する作法
「反閇(ヘンバイ)・返閉・反陪」
能芸、舞踏などの特殊な
足の踏み方と同じ意味
歩き方が大股
これは「ペンギン(penguin)」かも
語源は
ウェールズ語「白い 頭」の意・・・
「皇帝ペンギン」との分類名称もある
「新井白石(1657~1725)」の
「菜覧異言(サイライイゲン)」には
「ペフイエゥン」と記録
後、
「堀田禽譜(キンプ)」に紹介された
ペンギンの剥製の写生に
「ピングイン」との表記
明治十年(1877年)発行の
文部省教科書
「具氏(グシ)博物学・巻1-10
グードリッチ 著」
須川賢久 翻訳で
出版元は
愛知県の
「梶田勘助」
その本の
漢字表記のペンギンは
「企鵝(ペンジュン)」
or
「人鳥(じんちょう)」である
↓↑
足の不自由な人で、
「扁枯」とも云われる
中風などの半身不随の症状
↓
「ヤマトタケル」の
舟の「櫂(かい)=艪(ロ)」
の様になった
三重のタギタギしとなった歩行?
パドル(paddle)
オール(all)
オール(oar=船の櫂・艪)での推進
和船では、
「櫂」は船尾に1つだけ備えて船頭が漕ぐ
「櫂」から発展した
「練り櫂(ねりがい、ねりかい)」
と呼ばれる櫂に似た道具を使用
↓
「尭は不慈、舜は不孝、禹は偏枯」
↓
「禹湯文武」とは
夏の禹王、
殷の湯王、
周の文王
と
武王
↓
「奉」=「三+人+キ」
三人がキ
「奏」=「三+人+夭」
三人が夭(若)
「春」=「三+人+日」
三人の日(陽)
「泰」・・・「三人の水」とは?
三皇の「三皇」の「水」の難事であり
五皇帝の治水、水路工事を完成させた
「禹」王の功績は
「洪範九疇(こうはんきゅうちゅう)」
↓
・・・「耳の穴が三つ」あり、「大通」とも・・「大通」とは「異言語」を聴き分ける「偉大な通訳」であるな・・・
「兎豆満佐」=うづまさ=「太秦」の
「兎(ト)の豆(トウ)が満(マン)ちて佐(サ・助)ける」
とは
「渡島・渡唐・徒党・戸等・杜等・賭問」の「満ちる=充ちる」
が「佐(援・助)ける=イ+左(たくみ)」で
「ワニ」を騙して「有詐欺を問うの万座」であるかな・・・「一心太助」とはダレなんだか・・・
「一心太助、天下の一大事」でござる・・・
「三河物語」・・・大久保彦左衛門と。「一心如鏡、一心白道」の刺青の天秤のサカナ売りの商い人・・・
小田原の老舗魚問屋 「鮑屋」・・・中村(萬屋)金之助なのか、板垣退助なのか・・・裁判の「一審」で「助けたい」・・・
ーーーーー
ハナシがトンだ・・・
・・・デーメーテールは「女媧(ジョカ)」で、ハーデスに冥界に拉致誘拐された娘の「コレー(ペルセポネー)」は「季節である春、夏の穀物、野菜である食物の再生・蘇生」の女神で、この母と娘が習合されたのが「天照大御神」である・・・
ーーーーー
「268年」なのか、「369年」なのか?
「七支刀」の制作年代が跳んだ・・・「死地死闘」・・・
↓↑
百済で製作・・・
古代軍事氏族である
物部氏が祭祀
ヤマト政権の武器庫・・・
斎宮に
布都姫
神宮号を記録上では
伊勢神宮と同じく一番古い・・・
伊勢神宮の古名とされる
「磯宮(いそのみや)」
と
「いそのかみ」とに何らかの関係がある・・・
布都御魂剣は
武甕槌・経津主二神による
葦原中国平定の際に使われた剣
神武東征で熊野において
神武天皇が危機に陥った時に、
高倉下
(夢に天照大神、高木神、建御雷神)
が現れ
天皇の元に渡った
後
物部氏の祖
宇摩志麻治命により宮中で祀られていた
崇神天皇七年
勅命により物部氏の
伊香色雄命が現在地に遷し、
「石上大神」として祀った
一方
「素盞嗚」尊が
「八岐大蛇」を斬ったときの
「十握剣」が、
石上布都魂神社(岡山県赤磐市)から
当社へ遷された・・・
この剣は
石上布都魂神社では
明治以前には
「布都御魂剣」としていた・・・
↓
「死者も蘇らせる」
「十種神宝の呪術」も有名・・・
↓
「柿本人麻呂」歌碑がある・・・?
↓
未通女等之・・・・・未だ通じず序の等しい由紀
おとめらが
↓
袖 振 山 乃・・・素出、フル、纂の
そでふるやまの
乃(ナイ・ノ・ダイ
お・なんじ・すなわち・のり・おさむ)
↓
水 垣 之・・・・・見ず書きの詞(史)
みずがきの
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久 時 従・・・旧字(事)に従い
ひさしきときゆ
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憶 寸吾者・・・・憬(あこが)れ、はかる我の葉
おもいきわれは) 諮る 誤写
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・・・「植芸・養殖芸・畜産芸・酪農芸」のコトバは見当たらないが、「芸」=「ウン」=「藝」は「植物をウエル芸」である・・・一般的には「農林業」の「有用草木を植えて育てる技術と伎」だろう・・・「遊芸」の「遊技」は「遊び、趣味」のワザではなく、「遊女の業(わざ)の伎(ワザ)」であった・・・「和座・話差・倭差」は「郭(廓・くるわ)」の「山葵(わさび)」のウエ(植・飢・餓・上)方である・・・かな・・・「和の寂び」とは悲しい・・・茶柱の客待ちの「遊女」・・・東北飢饉の身売りの娘たち・・・
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「寛永の大飢饉」
寛永十九年(1642年)
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寛永二十年(1643年)
東日本日本海側の被害が甚大
異常気象
大雨、洪水、旱魃、霜、虫害
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「天明の大飢饉」
天明二年(1782年)
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天明七年(1787年)
東北地方被害甚大
浅間山、
アイスランドの
ラキ火山等の噴火
エルニーニョ現象による冷害
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「天保の大飢饉」
天保四年(1833年)
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天保十年(1839年)
東北、陸奥国・出羽国の被害甚大
大雨、洪水
冷夏(稲刈りの時期に雪)
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「昭和-東北大飢饉」
1930年(昭和五年)
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1934年( 昭和九年)
東北地方を中心に発生
やませ(山背・平野に濃霧を発生)での被害
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津波
1640年(寛永十七年)の北海道駒ケ岳噴火
1792年(寛政四年)の雲仙岳の火山活動
眉山の山体崩壊
15,000人が犠牲
有明海の津波
安政東海地震
1854年12月23日
(嘉永七年十一月四日)に発生
1883年
インドネシアの
クラカタウ火山の爆発
津波
36,000人が死亡
明治三陸地震
三陸沖で発生
1896年(明治二十九年)
6月15日午後7時32分30秒
昭和三陸地震
1933年(昭和八年)
3月3日午前2時30分48秒
昭和東南海地震
1944年(昭和十九年)
12月7日午後1時36分
1979年
インドネシア津波
700人~1,000人の犠牲者
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地震、多いね・・・「震源地は茨城県沖・平成27年04月27日07時04分 気象庁発表・27日07時01分頃地震」・・・チリ火山、ネパール地震・・・襟裳みさき隆起・・・