戯言三昧・・・囈・譫・たわごと=多(隋)倭語訳(厝)
・・・戯言三昧・・・囈・譫・たわごと=多(隋)倭語訳(厝)・・・
蜈=蜈蚣(むかで)=百足・・・百済の王?
蜈=虫+呉=中のムは呉・・・
蚣=虫+公=中のムは八のム・・・
蚣荶(ショウショ・きりぎりす・螽斯)
ナゼ「螽=冬+虫虫・・・
イソップ物語のキリギリス=螽斯
斯=このような・かくの如く」
誤解・・・解き方の誤り・・・
牛の角を刀で切り取るのは誤り
「誤解」という漢字はアヤマリを解くではなく
「呉」の言儀をトク(讀)であるカナ・・・
クレはボンヤリした夕闇だから・・・
・・・呉(くれ・ゴ)の・・・「呉=軍港」
↓↑
言語は・・・音声・音読
誤りである・・・ナゼか・・・?
↓↑
「呉=口+夨(ショク)
吳=口+㇉+大
𠯵=口+¬+一+ハ
吴=口+天
くれる・あたえる・大声で話す
さわがしい・かまびすしい
大きな声でさわぐ
「呉」の漢字形象は
「人が遠くの人に呼びかけている」
「人が出会いでヤァ!コンニチワッ」
「夕暮れ・黄昏れ」
で景色がボンヤリと霞んできたら
お互いが声を掛け合うだろう・・・
「秦王国=『隋書』の記録に倭の地域にあったとされる国」
「列傳第四十六 東夷 俀國」
「明年・・・・明年(608)
上遣・・・・遣(や)り上げるに・遣り遂げるさせるために
成就させるために
文林郎・・・文史を撰録する秘書省の属官・役人
「儒家文林」
詩歌・文章の詩文集・文苑
「洽聞記」
・・・洽=あまねし・広くゆきわたる
洽覧(コウラン)
うるおう・うるおす
洽汗(コウカン)
「唐の3代皇帝高宗(李治)
・・・郭務悰=忄+宗・・・?
務悰=務める心は高宗に?
が見事な
リンゴ(林檎・🍎・蘋果・Apple)を献上した
「蘋果日報(リンゴ日報)」
「王方言」を
「文林郎」の官に任じたという故事」・・・?
「裴世清」は隋王朝の
「煬帝の文林郎」だから
「唐王朝の官職」ではない・・・
裴清・・・・が見事な=名前=裴世清
使・・・・・使いとする
於・・・・・於いて
俀國・・・・俀國=倭国=日本
度・・・・・わたること・このたび
百濟・・・・くだら
行・・・・・行くに
至・・・・・いたる
竹嶋・・・・たけしま
南望・・・・南に望み
聃羅國=耼・耽・冉・𦕐・𨈜・𨈭
聃=耳 +畫=沉迷=惑溺・溺れる・夢中
耽溺・耽美
耳+冉=老人の相貌・・・白髪・皺くちゃ
道教の「老聃(ロウタン)」=老子
楚苦縣厲郷曲仁里人也
姓 李氏
名 耳
字 聃
周守 藏室之史也
↓↑
・・・聃牟羅・耽羅・儋羅・屯羅・都耽羅
済州島の古名
耽牟羅(たんむら)
忱弥多礼(とむたれ)
耽羅(とむら・日本書紀)
訓は「耽羅(とら)⇔虎・寅・彪・図羅」?
經・・・・・経て・経過して
都斯麻國・・「つしま」國
「對馬=対馬」國
・・「津嶋」國⇔香川県
三豊市
「津嶋神社」
愛知県
津島市
「津島神社」
津嶋町(愛媛県北宇和島市)
津島町(静岡県葵区)
津島(福島県浪江町の大字)
津島(福岡県筑後市の大字)
津島(福岡県飯塚市の大字)
津島
広島県(安芸国)
と
愛媛県(伊予国)に属している
・・・秦王国⇔新王国=新羅⇔呉(くれ)軍港
↓↑
朝鮮半島南部の
「嶋・嶌・嶼・㠀・島」の國
漢字の部首合字が
山+鳥=「しま」なのはナゼか?
サンチヨウ
山+與=「しま」
サンヨ
↓↑
斯麻(しま)宿禰?
斯麻王=百済第二十五代「武寧王」
木満致者 是 木羅斤資 討 新羅時
娶 其国 婦 而 所生 也
以其 父功、専於 任那
迥在・・・・迥=冋+辶
・・・冋⇔向⇔日向
「向歯会」⇔高野長英・渡辺崋山・関長英
はるか・とおい・遠くへだたる
在る
大海中・・・大海(おほあま)の中(なか)
又・・・・・また
東至・・・・東(あづま)に至(いた)る
一支國・・・壱岐島
又・・・・また
至・・・・いたる
竹斯國 ・・・・筑紫の國・福岡
又・・・・また
東至・・・・東(あづま)に至(いた)る
秦王國・・・秦王の國・・・
其人・・・・その人
同・・・・・おなじである
於・・・・・おいて
華夏・・・・中国・華=華美・夏=壮大さ・儀礼の大
・・・夏は暑い季節⇔華南=南方の中国
王都は河南省の二里頭遺跡・・・?
河南省登封県の城跡・・・?
以・・・・・もって・・・以上を以って
爲・・・・・なすも
夷州・・・・夷州=台湾
疑・・・・・うたがう
不能・・・・あたわず・不可能
明・・・・・明らかにするコト
也・・・・」
↓↑
「暮れ」る方角「西」から来た
帰化人(呉國人)・・・
江蘇省・浙江省一帯
「呉越・呉音・呉服」
技術を与えて「くれた」・・・
呉音禁止の理由・・・?
「呉越同舟」・・・同じ船で敵対か、協力か?
同じ地球で・・・コロナだけれど・・・
↓↑
音読み
呉音=ズイ・タ・ダ
建康(南京市)付近の「漢字音」
建=コン=たける=武
品=ホン
音=オン
金=コン
牛=ゴ
呉音は仏教用語
歴史上の古音言葉
鼻濁音有
「古事記」での「万葉仮名」の使用・・・?
漢音= スイ・タ
唐代、首都長安地域の音を「秦音」と呼んだ
建=ケン=たける=武
品=ヒン
音=イン
金=キン
牛=ギュウ
清音多
↓↑
零一二三四五六七八九十
零壱弐弎肆伍陸柒捌玖拾
漆 足
呉音 漢音 唐音
0=リヨウ レイ リン
1=イチ イツ イツ
2=二 ジ ルウ
3=サン サン サン
4=シ シ スウ
5=ゴ ゴ ウウ
6=ロク リク ロツ
7=シチ シツ ツエツ
8=ハチ ハツ パツ
9=キュウ ク キウ
10=ジュウ シュウ シツ
↓↑
・・・「隋・隨・陏・随」の音読は
「ズイ・タ・ダ・キ・スイ」・・・
「キ」?・・・「き」?
↓↑
『隋』=隋(ダ)・隋(タ)
隋(ズイ )・隋(スイ)
隋(キ)
少なくても5種の読み方が存在・・・?
by(https://mojinavi.com/d/u968b)
↓↑
・・・「隋=キ」なら・・・
ボクの妄想に都合がイイ「材料」けれど・・・?
何処の「出典記録」なんだか・・・「キ」音
↓↑
「䜏=言+隋」=狡賢い・狡猾
異体字「𧨪・𧩭・䜐」
・・・𤡪=スイ・ズイ=𤢍・𤢩
牝のブタ(豚)
𤡬=ケイ・キ=豷・𧴒
士冖一口ソ丷䒑豆壹
𥳔=𥶴=丨阜阝𠂇エ左月隋=𥳔
媠=女+左+月
タ・ダ
嫷=女+ナエ㠭工左月=媠
自堕落な女・・・?
↓↑
厝=厂+昔
厂+龷(㠭)+日
龷=卄+一=㠭(テン)
㠭+ハ=其・・・基=其+土⇔基本
㠭=干肉を重ねたモノ⇔共・供
木乃伊=ミイラ=mummy =マミー
サク・ ソ・ セキ・ ジャク
と・まじる(錯)・おく(措)・といし(砥石)
ひつぎ(柩・棺)
↓↑
借=イ+昔(龷日)・・・借金・貸借
ひと+むかし・・・イが人生で借りてきたモノ=肉体・身体?
借=亻+昔
亻+龷+日
亻+卄+一+日
亻+一+丨+日
シャク
シャ
かりる
かり・かりる
人のものを一時的にかりる
かりに・仮定
かす・貸し与える・力を貸す
↓↑
借りる(かりる)
貸し借り・貸借り(かしかり)
貸すことと借りること
金銭や恩義などについていう
↓↑
仮借(カシャ)
漢字の成り立ちを説明する六書の一
言葉を表す漢字がない場合
意味を考慮せずに
同じ音の漢字をあてる方法
↓↑
仮借(カシャク)
罪や失敗などを許すこと
↓↑
先借り・先借(さきがり)
給料などを
支給日より先の日に借り受けること
↓↑
借財(シャクザイ)
金銭を借りること
その借りたもの・借金
↓↑
借銭(シャクセン)
金銭を借りること
その借りたもの・借金
↓↑
借花献仏(しゃっかけんぶつ)
自分のやらなければいけないことを
人に頼って行うこと
仏に花を供えるために
人に花を借りるという意
「花を借りて仏に献ず」
↓↑
負わず借らずに子三人
人の世話にならず
借金もなく
子どもが
三人ぐらいいる家庭が
理想的で幸福
↓↑
貸し借りは他人
金銭の貸し借りについては
親子の間でも他人
「けじめ」をつけるべきだということ
「けじめ=数=けぢめ=分」
「個々の数列の数は、等差を謂ふ」
「ケチエン(掲焉)」?
分け目・区分・区別
↓↑ ↓↑
磏=石+兼
丆+口+兼
・・・丆=面(つら・顔)は
口(くち・言葉)をも
兼(か)ねる
目は口ほどに物を言う?
字は口ほどに意味を言う?
↓↑
兼=䒑+⺕+‖+ハ
ケン
かねる
あわせる
複数のものをあわせる
一緒に
秝(レキ・二本の禾)
又(ユウ=右手)
二本の稲を手で掴む
併せ持つ・握る
兼任
↓↑
~しかねる
できない
できそうにない
「し兼ねる」
否定の言辞
あらかじめ
前もって
異体字
傔・謙・𠔥・𥡝・𠔥
↓↑ α+兼
嫌=女+兼・・・女形?
実行を渋ること?
嫌悪
濂=つつましい
うすい
浅い・浅い川の流れ
廉=广+兼
色々まとめて
区別する
簾=すだれ・埀簾
簾=竹+廉
竹+广+兼
兼=䒑+⺕+‖+ハ
秝+⺕
秝+ノ+千+干+ノ+⺕
ノ千コ千ノ
秝+ノ+肀+丨+丶
鎌=金+兼・・・藤原鎌足・中臣鎌足(鎌子)?
金(女真・女直)を兼ねる子・足?
藁(わら)・草(くさ)を
和羅=倭羅 人人
話覶
まとめて刈り取る刃物(はもの)
葉物・端物?
謙=言+兼
ケン
へりくだる
遜(孫+辶)る・・・天孫の道?
「儉下(へりくだる)」
・・・縁に下る・・・道端の縁に下る?
「儉=イ+僉(亼+吅+从)」
つましい・つづまやか
・・・「倹=イ+㑒(亼+央)」?
ケン=謙
音借の形声文字・・・?・・・懸・建
同音の文字であっても
文字の意義は象形の構成文字だろう・・・
謙譲・謙遜
漢字構成の部首が
「音借」だけと思うのは勝手だが
「漢字」は「形而(字)下」の学問である・・・
「形而(字)上」は脳ミソ機能の学問?
↓↑ ↓↑ ↓↑
磏=石+兼
丆+口+兼
一+丿+口+兼
レン
赤色の砥石
けじめを守る・けじめをつける
けヂめを守る・けヂめをつける
けチめを守る・けチめをつける
吝の目・吝嗇の極め=節約・質素・勿体無い
自分を磨いて鍛える
吝=文+口
亠+乂+口=音が交差する口
蓋を〆る口・・・飽食するな?
ケチはイザという時の蓄え
公務員の削減で
コロナも災害も人手不足
平時の自衛官+予備役官は
非常事態の絶対必要要員
ストックを無駄と思うな
もったいない=無駄なモノはない
↓↑ ↓↑
貸した物は忘れぬが
借りたものは忘れる
「人間は身勝手」と云う
たとえ(譬・例・喩・仮令)
他問え・多説重?
↓↑
敵(かたき)の前より借金の前
敵の前では平然とできても
借金をしている相手の前では
頭が上がらないということ
↓↑
金の貸し借り不和の基
金の貸し借りは
仲たがいの原因になりがちである
↓↑
借り着より洗い着
人に頼って
贅沢な暮らしをするより
自分の力で
分相応な生活をするほうがいい
人に借りた晴れ着より
洗いざらしでも
自分の着物のほうがいい
↓↑
錯=金+昔=鍍金する・まじる・入り乱れる
錯綜(サクソウ)・交錯
あやま(誤)る・まちがえる
錯誤・錯覚・錯乱
錯角=Alternate angles
3直線交差(≠)の相対角度
↓↑
語性錯語=単語を間違える・A≠U・・・言語誤解
言辞誤解
同音異義
異字同音
・・・蛙=ア・かえる=替える=丫=ア
ア=烏=ウ・からす=鴉=ア・エ
↓↑
字性錯語=発音を間違える・A≠O・・・言い間違い
同字異音・・・倭訓
漢字音・呉字音・唐字音
・・・阿=アorお・・・阿国(おくに)
毎=マイorバイorブorベ=日毎(ひごと)
盧=ロ=鸕=う・鸕(う)野讃良
行燈(アンドン)=行灯(ギコウトウ
コウトウ)
↓↑ ↓↑
錯
おく・すえおく
↓↑
置く
埋葬の日までを安置する
仮埋葬する
安置・停柩・磨刀石
漢代の県名
黄廷参三落大厝=母屋が三つある建物
三合院住宅
異体字「𠪞・𥕉 ・疒+昔」
「厝止(サクシ)」=始末をつける
「厝置(ソチ)」=「措置」
↓↑
蘆竹厝=蘆竹区(區)
台湾桃園庁桃澗堡が管轄東北部
↓↑
蘇家宗祀古厝
五塊厝駅(ごかいせきえき)
林安泰古厝(邸宅)
↓↑
六塊厝(リウクワイツオ)
↓↑
台湾
台南州
斗六神社末社
渓邊厝神社
祭神=豊受大神・大国魂命・大己貴命・少彦名命・能久親王
創立年・鎮座年等:昭和16年2月10日
↓↑
出来るときにしようとしないものは、しようとするときに拒絶される
↓↑
あんた、カイになりたいの?・・・
あの「床屋さん」、あの「理髪店のおじさん」、あの「髪切り屋の旦那さん」・・・
トウキョウ、さいばん・・・問う匡、裁判・・・
匡=劻=匚+王+力
=匩(本字)=匚+山+王
・・・「正義を潰せとは、信じられないカモしれませんが?」・・・
「井の中の蛙 大海を知らず、されど空の深さを知る?」・・・
・・・「尚且つ、空の深さも知らず」では?・・・
・・・「意の中を交わす、他意解をしらす」?・・・
「かわす・かはす=躱す=巧みに避けて逃れる・逸らす・ソラす」・・・
「蛙=かえる=替える・換える・還る・変える
代える・返る・孵る・反る・帰る・買える」・・・
権力を金で買う・・・あきんど・・・
「五代友厚」・・・ゴを代える友の厚さ・・・?
ーーーー↓↑ーー
山本 五十六(やまもと いそろく)
明治十七年 サンボン 伍(吾)拾陸
1884年4月4日
~
昭和十八年
1943年4月18日
大運1934年5月(50歳)癸酉印綬
甲申(己壬庚)比肩・偏官 絶⇔癸未印綬
丁卯(甲 乙)傷官・劫財帝旺⇔丙辰食神
甲申(己壬庚) ・偏官 絶⇔丙午食神
庚午(丙 丁)偏官・傷官 死⇔甲午偏官
午未空亡
↓↑
海軍軍人・元帥海軍大将
第26、27代連合艦隊司令長官
海軍兵学校32期生
ソロモン諸島
ブーゲンビル島
上空で撃墜され戦死(海軍甲事件)
旧姓 高野
栄典 正三位 大勲位功一級
新潟県
古志郡
長岡
本町
玉蔵院町
(長岡市坂之上町3丁目付近)
旧 越後 長岡藩士
「高野貞吉」
の六男
少年時代
「米国宣教師」の元で
「聖書」勉強・・・?
↓↑
日露戦争中
1904年(明治三十七年)十一月
海軍兵学校を
192名中11番で卒業
少尉候補生として
練習艦
「韓崎丸」・・・韓崎(からさき)丸
海軍初の潜水母艦
対馬北端の地名
に乗船
元はロシア帝国の
義勇艦隊所属船
エカテリノスラフ号
オデッサ(ウクライナ)
~
ウラジオストクまで航行
その帰路で
日露間の国交断絶により
(日露戦争開始)
対馬の北方、釜山沖で
日本海軍巡洋艦
「済遠」に拿捕
対馬北端の地の名前が付けられた
↓↑
英国の造船所の建造
拿捕当時
船齢8年
後に
「潜水母艦」=潜水艦に接舷し
食料、燃料、魚雷
その他物資の補給任務
戦後
ポンツーン
(pontoon)=軍橋の舟橋・橋脚舟・平底舟
艀(はしけ)・浮船・箱船
浮台・浮桟橋
↓↑
1905年(明治三十八年)1月
少尉候補生
装甲巡洋艦「日進」配属
5月27日
日本海海戦に参加
「敵砲弾の炸裂or砲身内早発」
左手の人差指と中指を欠損
左大腿部に重傷
後
防護巡洋艦「須磨」
戦艦「鹿島」
海防艦「見島」
駆逐艦「陽炎」
各艦勤務
並行し
海軍砲術学校普通科学生
海軍水雷学校普通科学生
卒業後
駆逐艦「春雨」
装甲巡洋艦「阿蘇」
三等巡洋艦(練習艦)「宗谷」配属
「宗谷」で
37期少尉候補生訓練
井上成美
草鹿任一
小沢治三郎
鮫島具重
を指導
↓↑
1909年(明治四十二年)
アメリカ=亜米利加・米国に駐在
1911年(明治四十四年)
海軍大学校乙種学生卒業
海軍砲術学校
海軍経理学校
教官
兵器学講座担当
↓↑
1913年(大正二年)12月
海軍大学校入学
1915年(大正四年)
旧長岡藩家老の
山本家を相続
海軍省に対する
山本家入籍および改姓届出
9月20日付
↓↑
1916年(大正五年)12月
海軍大学校卒業
1917年(大正六年)1月
腸チフス罹患
虫垂炎
姪の看護師
「高野京」
が看病
1917年(大正六年)7月
海軍省軍務局員
海軍教育本部第一勤務
「三好礼子」
と
8月31日に結婚
↓↑
1919年(大正八年)4月5日
アメリカ駐在受命
ハーバード大学留学(~1921年5月5日)
砂糖と塩
アメリカでプラント大量生産され
市場で大量消費
されていること知った
山本はコーヒーに
多量の砂糖を入れて飲む
「甘党」だった・・・
↓↑
1921年(大正十年)7月19日
帰国後
軽巡洋艦「北上」副長
海軍大学校教官(軍政学担当)
1年後
海軍大学校教頭に
「山本英輔」
が着任し
海戦航空機観に影響された
1922年(大正十一年)
「井出謙治」
大将と共に欧州・米国を視察
ロンドン滞在中に
関東大震災が発生
↓↑
1922年
ワシントン海軍軍縮条約
八八艦隊計画により建造されていた
長門型戦艦二番艦「陸奥」が問題
アメリカが
コロラド級戦艦三隻
イギリスが
ネルソン級戦艦二隻を建造し
「陸奥一隻のために
アメリカとイギリスを強くしすぎた」
と皮肉・・・
↓↑
「山本英輔」
の推薦により
砲術から航空へ転科
1924年(大正十三年)
9月
霞ヶ浦航空隊付
12月
教頭兼副長に補
「三和義勇(副長付)」
から
航空機の操縦を学んだ
↓↑
1925年
日本初の空母
「鳳翔」完成
↓↑
1925年(大正十四年)12月
駐米大使館付武官
アメリカ滞在
航空隊在任は1年3ヶ月で
「天洋丸」
乗船の山本の頭上を
航空隊の部下達が編隊で見送る
↓↑
1927年(昭和二年)8月24日
「美保関事件」
軽巡洋艦「神通」艦長
「水城圭次」が自決し
「死を以て責に任ずるという事は
我が武士道の根本である」
と・・・
何百人、何千万人の死の責任を
お前一人の死で責任が取れると思うなョなッ!!
↓↑
1928年(昭和三年)
3月帰国後
8月
軽巡洋艦「五十鈴」艦長
水雷学校で
海軍は航空主兵
対米作戦で
ハワイ攻撃の発言・・・
4ヵ月後
多段式空母「赤城」艦長
↓↑
1929年(昭和四年)11月
海軍少将
ロンドン軍縮会議に
次席随員
山本と
「山口多聞」
は軍縮案に強硬に反対
↓↑
1930年(昭和五年)12月
海軍航空本部技術部長
1932年(昭和七年)
山本は海軍航空機の
国産、全金属、単葉機
の3つを掲げ
単葉機の着艦距離が
延びることが問題になったが
山本は
母艦発着甲板を長くせよと指導
↓↑
1933年(昭和8年)夏
横須賀海軍航空隊研究会において
「日高実保(大尉、海兵50期)」
が雷撃訓練に
対空砲火
敵戦闘機
の妨害の概念を取り入れるよう主張
遠距離での発射を見越した
高々度高速発射砲
魚雷の改善を求め
「柴田大尉」
が戦闘機の
機銃の射程延長
照準器
兵器弾薬
の発明の必要性を訴えると
山本が2人の意見を言語道断と否定
柴田は
「上に
山本のような
わけのわからないのがいると
必ず負ける
歴史を無視した精神偏重で
戦闘機や技術開発に
努めるべきだったのに
山本には能力も英知も欠けていた」
と批判・・・
10月
第一航空戦隊司令官
空母「赤城」に座乗
↓↑
1934年(昭和九年)
「赤城」の第一航空戦隊研究会で
横空分隊長
「源田実」大尉は
敵の航空母艦を先制制圧するため
急降下爆撃機を善用
航続距離の延伸
操縦性の軽快さ
戦闘機としての
流用等を考慮した
「単座急降下爆撃機」
を考案し
戦闘機と攻撃機の半数ずつを
これと入れ替える意見に
山本は
攻撃に使用すべきであるとしつつ
航法上の安全性から
二座になると却下
↓↑
9月20日
第二次ロンドン海軍軍縮会議予備交渉
海軍側首席代表
予備交渉は中断
↓↑
1935年(昭和十年)
2月
シベリア経由で日本に帰国
12月
海軍航空本部長
直接部下
「草鹿龍之介」
手相骨相鑑定家
「水野義人」
を海軍航空本部嘱託に採用
航空搭乗員採用試験応募者の
手相・骨相を鑑定させ
採用・不採用の参考とした・・・
↓↑
航空本部
教育部長
「大西瀧治郎」大佐
の航空主兵論と
艦政本部長
「中村良三」大将
の大艦巨砲主義論
対立
1936年(昭和十一年)
2月
「二・二六事件」
11月25日
日独防共協定
12月1日
海軍次官
1937年(昭和十二年)12月
高松宮宣仁親王(海軍少佐)
軍令部着任
↓↑
盧溝橋事件
「支那事変」に拡大
「第二次上海事変」
8月
駐華イギリス大使
ナッチボルー・ヒューゲッセン
日本軍機の誤爆で負傷
12月
「パナイ号事件」
海軍航空隊が
米砲艦を誤爆
1938年(昭和13年)11月25日
米内が
南シナ海の
海南島占領計画を
五相会議で提案閣議了承
海軍軍令部
(次長・古賀峯一
第一部長・宇垣纏
第一部
第一(作戦)課長・草鹿龍之介)
も賛同し
1939年(昭和14年)
2月
日本軍は海南島を軍事占領
欧米列強との関係は悪化
4月
航空本部長兼務
↓↑
山本は
日独伊三国同盟
の締結に対し
米内光政
井上成美
らと共に反対
山本達の反対理由は
英米との関係が悪化し
支那事変解決が難しくなる
日ソ開戦の場合
ドイツは距離が遠すぎて
援助・支援が期待できない
ドイツとイタリアに
中国大陸の権益を要求される懸念
↓↑
「ノモンハン事件」
日本とソ連が軍事衝突
8月23日
ドイツはソ連と
独ソ不可侵条約を締結
日独伊三国同盟第一次交渉頓挫
↓↑
1939年(昭和14年)
8月30日
第26代連合艦隊司令長官
兼
第一艦隊司令長官
連合艦隊司令長官就任は
采配・指揮能力を買われたものではなく
三国同盟に
強硬に反対する山本が
軍部内の
三国同盟賛成派勢力
や
右翼勢力により
暗殺される可能性を
米内が危惧し
一時的に海軍中央から
遠ざけるための人事・・・
↓↑
1940年(昭和15年)
第二次世界大戦緒戦
ナチス・ドイツ
ヨーロッパ全域を掌握
日本海軍も親独傾向・・・
↓↑
9月15日
海軍首脳会議
調印賛成の方針が決定
9月27日
日独伊三国同盟に調印
日本海軍の海南島占領
北部仏印進駐
↓↑
1941年(昭和16年)
1月7日
海軍大臣
「及川古志郎」
への書簡『戦備ニ関スル意見』にて
「真珠湾攻撃構想は既に昨年11月下旬
一応口頭にて進言せる所と概ね重複す」
と真珠湾攻撃を検討していた
8月11日
連合艦隊司令長官再任
9月
「戦艦は2隻あればいい
戦力としてではなく
連合艦隊の旗艦と
その予備艦としてだ
通信施設と居住施設は
よくしなければいかん」
と語った
↓↑
第一航空艦隊参謀長
「草鹿龍之介」
は真珠湾攻撃に反対立場
戦艦「長門」にいた山本を訪れ
反対論を展開
山本は大西と草鹿に
「ハワイ奇襲作戦は断行する
両艦隊とも
幾多の無理や困難はあろうが
ハワイ奇襲作戦は
是非やるんだという
積極的な考えで
準備を進めてもらいたい」旨を述べた
山本は草鹿を「長門」の舷門まで見送り
「真珠湾攻撃は
最高指揮官たる私の信念だ
どうか私の信念を実現することに
全力を尽くしてくれ」
とを草鹿の肩を叩いた・・・
↓↑
1941年(昭和16年)
9月
海軍大学校で
真珠湾攻撃図上演習
第一航空艦隊は
空母3隻が沈没・1隻が大破
連合艦隊参謀長
「宇垣纏」
によって
沈判定は取り消し・・・
10月19日
空母4隻
赤城、加賀、蒼龍、飛龍
での奇襲作戦は承認
翔鶴型航空母艦2隻
翔鶴、瑞鶴
を含む6隻という
山本の希望は容認されず
連合艦隊参謀が軍令部に派遣され
「職を賭しても
断行する決意である」
と伝えられ
軍令部総長
「永野修身」
の一言で
軍令部側は6隻使用を認めた
海軍大臣
「嶋田繁太郎」
に対する
10月24日付の書簡で
「開戦劈頭有力な航空兵力によって
敵本営に斬り込み
米海軍をして
物心ともに
当分起ち難いまでの
痛撃を加えるほかなしと
考えることに立ち入った次第です」
と述べ嶋田は
「ハワイ奇襲攻撃作戦」に許可
山本は
「この作戦が採用されなければ
長官の職責を
遂行する自信ないから辞任する
この作戦に失敗すれば
戦争は終わりだ」
と漏らしていた・・・
↓↑
13日
呉にて
各艦隊指揮官に
大海令第一号
「X時=12月8日」
と明かし
12月2日
軍令部に事前の宣戦布告を確認
12月3日
昭和天皇に拝謁、勅語を賜り
侍従武官
「城英一郎」
が山本の奉答文を届けると
天皇は三度読み返し
満足げな表情を浮かべた・・・?
↓↑
「真珠湾攻撃の目標」
敵の主力機動部隊を
緒戦で壊滅させ
戦意をくじく
心理的効果と
敵の機動力の喪失
甲標的母艦
「千代田」艦長
「原田覚」
より真珠湾攻撃での
「甲標的」=日本海軍の特殊潜航艇
兵装として
魚雷2本を艦首に装備
鉛蓄電池によって行動する
小型潜航艇
潜水艦甲板から水中発進し
敵港湾の戦艦を攻撃
後に
ディーゼルエレクトリック
採用
の使用を具申されたが
攻撃後の収容困難で
不採用としたが
何度も陳情があり採用
真珠湾攻撃に赴く
甲標的搭乗員10名と対面し
山本は直筆の揮毫を渡した・・・
↓↑
1841年
真珠湾攻撃(12/8)
マレー沖海戦(12/10)・・・
↓↑
1942年
6月5日
ミッドウエイ海戦
(Battle of Midway)
日本軍はミッドウェー島攻撃中に
敵機動部隊から攻撃を受け
南雲艦隊の主力空母4隻他を喪失
↓↑
1942年(昭和17年)6月5日
アメリカ合衆国標準時
6月4日~7日(6月3日~5日)
中部太平洋上の
アメリカ合衆国領
ミッドウェー島付近の海戦
同島攻略をめざす
日本海軍を
アメリカ軍が迎撃
日本海軍空母機動部隊
と
アメリカ海軍空母機動部隊
および
同島基地航空部隊との航空戦の結果
日本海軍は投入
空母4隻と
艦載機約290機の全てを喪失
・・・
ガダルカナル島の戦い
1942年(昭和17年)
8月
アメリカ軍
ガダルカナル島に来襲
日本軍飛行場を占領
↓↑
1943年(昭和18年)
4月7日
ソロモン、ニューギニア方面
海軍航空兵力による
「い号作戦」
アメリカ海軍
駆逐艦、コルベット艦
油槽船、商船
航空機25を喪失
16日終了
↓↑
「海軍甲事件」
山本は
ブーゲンビル島
ショートランド島
の前線航空基地の将兵の労で
ラバウル~ブーゲンビル島
のブイン基地を経て
ショートランド島の近くにある
バラレ島基地に
赴く前線視察計画
艦隊司令部から関係方面に打電
↓↑
アメリカ海軍情報局
4月17日
「武蔵」から発信された
暗号電文を解読
前線視察の情報を得
ニミッツは
南太平洋方面軍司令官
ウィリアム・ハルゼー
命令書を作成
↓↑
4月18日午前6時
山本
連合艦隊司令部は
第七〇五航空隊の
一式陸上攻撃機2機に分乗し
ラバウル基地を発進
山本は1号機
宇垣は2号機
に搭乗
零式艦上戦闘機6機に護衛され
ブイン基地へ移動中
ブーゲンビル島上空で
アメリカ陸軍航空隊の
P-38ライトニング16機に
襲撃・撃墜され
戦死
翌日になって
山本機と山本らの遺体を発見
↓↑
粟=西+米=泡沫・・・西欧米国?
Midway=中途・中央の半端・・・
日付変更線近くの敗戦で・・・
泡沫(あわ・ホウマツ)となる・・・
↓↑
「阿波=安房」の國
↓↑
日付変更線
国際日付変更線
(International Date Line・略IDL)
↓↑
12/31←西経←経度000度→東経→1/1
ほぼ
経度180度の
01/01←西経←経度180度→東経→1/2
↓↑
1月2日
午前10時~23時間をマイナスすると
1月1日
午前11時になり
日付が1日ずれる
経度180度あたりに
日付変更線を設定
↓↑
1878年(明治十一年)
『実測東京全図』
葵町を通る
子午線が
本初子午線とされた
↓↑
1884年
国際子午線会議
1886年(明治19年)
7月13日の勅令
「本初子午線
經度計算方及標準時ノ件」で
「グリニッジ子午線」
を
「本初子午線」と設定
京都 東経135度74分
東京 東経139度45分10秒
↓↑
世界各地の標準時のずれによって
暦の日付に違いが生じないように
取り決めた太平洋上の線
経度180度近辺に沿って設定
↓↑
世界で一番早く一日を迎える国
「キリバス」国
太平洋に浮かぶ
33の島々で構成された小国
↓↑
ーーーーー
・・・???
妄想を申そうすれば「申=さる=猨・猿」
=上海
・・・「上海帰りのリル」を知らないカナ・・・
溺死した「サルタびこ」って?
↓↑
・・・猨田毘古=底度久 御魂
(度久 二字 以音)⇔テイトク
=綴讀(説句)=提督?
=都夫多都 御魂
(自都下 四字 以音)
⇔トブタト=説部他説
=飛(翔)無發?
=阿和佐久 御魂
(自阿至久 以音)
⇔アワサク
=併作
=粟(西米)策?
↓↑
爾
日子番能邇邇藝 命
將 天降之時
居 天之八衢而
上光 高天原
下光 葦原中國之神
於是有。
故 爾
天照大御神
高木神之命
以
詔
天宇受賣神
「汝者、
雖 有 手弱女人
與 伊牟迦布神
(自伊至布以音)
面勝神
故
專 汝 往
將
問者
『吾御子
爲
天降之道
誰如
此而居』」
故
問
賜 之時
答
白
「僕者 國神
名 猨田毘古 神也
所
以
出居者
聞
天神 御子
天降坐故
仕奉
御前而
參向之侍」
故其
天忍日命
此者
大伴連
等之祖
天津久米命
此者
久米 直
等之祖也
於
是詔之
「此地者
向
韓國 眞來通
笠紗 之 御前而
朝日 之 直刺國
夕日 之 日照國也
故
此地 甚吉地」
詔而
於
底津石根 宮柱
布斗斯理
於
高天原
氷椽 多迦 斯理
而坐也。
故
爾詔
天 宇受賣 命
「此立 御前 所仕奉
猨田 毘古 大神者
專
所顯申之汝
送奉
亦
其神
御名者
汝
負仕奉」
是以
猨女君等
負其
猨田毘古
之 男神 名而
女呼
猨女君
之 事是也
故其
猨田 毘古 神
坐
阿邪訶
(此三字 以音)
地名
時
爲
漁而
於
比良夫貝
(自比至夫以音)
其手
見咋合而
沈溺
海鹽
故其
沈居 底之時名、
謂
底度久御魂(度久二字以音)、
其海水 之 都夫多都 時名、
謂
都夫多都 御魂(自都下四字以音)、
其
阿和佐久 時名、
謂
阿和佐久 御魂。(自阿至久以音)。
於是
送
猨田毘古 神 而還到、
乃
悉 追聚
鰭 廣物
鰭 狹物
以問言
「汝者 天神御子 仕奉耶。」
之時
諸魚皆
「仕奉」
白之中
海鼠 不白
爾
天 宇受賣 命
謂
海鼠
云
「此口乎
不答
之口」而
以
紐小刀
拆
其口
故
於今
海鼠 口 拆也
是以
御世
嶋 之 速贄獻 之時、
給
猨女君等也。
↓↑
ーーーーー
サンボン(簒本)
五十六(5+6=11)・・・
「山本五十六」?
・・・
↓↑ ↓↑
移転したボクの「HP」の(中途半端な)目次
http://meisiki.bake-neko.net/kkmokuji.htm
ボクの動画・YouTube
http://www.youtube.com/user/merikiri
「プラトン古事記をカタル」は少しづつ移転
http://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/tag/%E3%82%B3%E3%82%B8%E3%82%AD%E3%81%AE%E6%96%87%E5%AD%97%E6%8E%A2%E7%B4%A2
「プラトン古事記をカタル」+〈表紙・画像・音楽」
https://haa98940.wixsite.com/mysite
本日の「干支歴」⇔移転したボクの「HP」に連係・連繋
http://meisiki.bake-neko.net/
旧「HP」の移転住所
http://meisiki.bake-neko.net/kkmokuji.htm
モウ君の総合目次(倉庫入り昔のぺ-ジです)では若干覗(覘)けるカモ・・・
http://web.archive.org/web/20090607215808/http://www1.odn.ne.jp:80/~haa98940/jyobun/jyobun.htm
・・・興味があるなら・・・ドウゾ・・・