「宮古湾海戦」
・・・箱館戦争・軍艦「回天」の奇襲
「寇=宀+元+攴」のカンジ
・・・冦(コウ・ク・あだ)=冖+元+攴=仇
寇(コウ・ク・あだ)=宀+元+攴=仇
㓂(コウ・ク・あだ)=宀+元+女=仇
𢽉(コウ・ク・あだ)=宀+元+攵=仇
寇=冦=㓂=𢽉
冠(カン・かんむり)=冖+元+寸
冠=𠜍=𠖌=𢃙=𠙙
寂(ジャク・さびしい)=冖+尗+又
蔲(コウ)=豆蔲・荳蔲(トウコウ)=植物の「ずく」
蒄(カン)=艹+冠=草名
↓↑
周の時代の
シナ(志那)の官名?・・・(品・司奈)
「法相」を意味する
「司寇」から
「寇」の字義は「敵=仇」
「害を加える・奪い取る」
・・・寇=法・・・?
=氵+去(土+ム)
水+十+一+ム
ミズの壹 拾 壱(士+冖+匕)+ム(私・己)
サンズイのイチ拾うイチの ヨコシマ
静岡県静岡市で
1998年2月4日
帰化名の記録あり
シナ音も「寇=コウ」・・・
侵寇(シンコウ)・外寇(ガイコウ)
元寇(ゲンコウ)・倭寇(ワコウ)
入寇(ニュウコウ)・来寇(ライコウ)
寇盗(コウトウ)
↓↑
姓名
寇英傑(1880年~?)=中華民国の軍人
寇遐(1884年~1953年)=清末~中華民国
にかけての政治家
寇謙之(365年~448年)=北魏の道士
寇恂(?~36年)=後漢初の武将、政治家
寇準(961年 ~1023年)=北宋の政治家
寇洛(487年~539年)=西魏の武将
寇烕=小説「水滸伝」の登場人物
↓↑
漢字
寇=宀+元+攴
仇・あだする
外国から侵入する敵・・・
究⇔敵=かたき=仇⇔宄=よこしま
反乱軍・盗賊
掠め取る・損なう
〔説文解字・巻三〕
「暴なり」
〔春秋左氏伝・文公七年〕
「內に亂を爲し、外に寇を爲す」
↓↑
字形
完+攴
完全なものを打ち破る意
廟中で虜囚を殴つ呪儀・・・とする説
「宀+元+攴」の会意で
家の中の人を撃つ・・・とする説
コウ(漢音)・ク
あだ・あだする・かたき
寇を声符とする漢字
「滱・蔻・䳹」・・・
↓↑
語彙
寇害・寇虐・寇讎・寇戎・寇抄・寇鈔
寇攘・寇賊・寇敵・寇盗・寇兵・寇乱
寇掠
↓↑
異体字=㓂=冖+元+女
𡯷=ハ+儿+立+口
𡨥=宀+元+攵
𢽉=完+攵
宀+元+攵
↓↑
仇=イ+九・・・宄=宀+九・究=宀+儿+九
𡧫=宀+九+心=宄・𡧌・𠬚
・・・邪=よこしま=横島
横縞=横並びの糸の高さ・左右の糸引き=身分公平
縦縞=縦並びの糸の高さ・上下の糸引き=身分格差
キ
よこしま
宄・𡧌・𠬚
正義や道義に反し乱れること
「姦宄・奸宄(カンキ)」
内部の乱れを「宄」
外部の乱れを「姦・奸」
あだ・あた・あだする・かたき・うらみ
キュウ(キウ)
「仇恨・仇敵」
enemy=敵・敵国・敵軍
foes(フォゥス・ フォウズ)=敵・敵
adversary(アドバーサリー)=敵・対審・敵対
opponent
villain
rival
an enemy of democracy=民主 主義 の 敵?
ally(アライ・アラァイ)=味方・・・新井・荒井・新居?
friend and enemy
リベンジ(revenge)=?利便字・利便辭・利便地?
=復讐・報復・仇討ち
競技で
一度敗れたことのある相手を
打ち負かすこと・借りを返すこと
つれあい・相手
類=逑(キュウ・グ・連れ合い)=求+辶
憎らしい相手
あだ・仇怨・仇敵・復仇・報仇
仲間・連れ合い=「好仇」
万葉(8C後)二〇・四三三一
自分に向かって害を加えようとするもの
かたき・外敵
「しらぬひ筑紫の国は
安多(アタ)守る
押への城(き)そと」
江戸後期から明治にかけて
濁音化「あた→あだ」
↓↑
あた・む=仇
〘他マ四〙 (後世「あだむ」とも)・・・Adam?
「亜當(アダム)=Adam」
「夏娃(イヴ)=EVE(イヴ・エバ)」
「原罪の根源者⇔它・蛇・蝮・虺」・・・真夢視?
仇(あだ)と思う・敵視する・恨む〔新撰字鏡(898~901頃)〕
↓↑
源氏(1001~14頃)
「玉鬘(たまかずら)」・・・???
・・・玉鬘
䰋=髟+晏
镸+彡+日+安
E+云+彡+日+宀+女
バン・マン
かずら
かつら
髪かざり・花かんざし
髪の垂れさがるさま
髪の美しいさま
「この監(けむ)に
アタマれては・・・・・・・「あたま⇔あだむ」?
いささかの身じろきせむも
所せくなむあるべき」
↓↑
玉鬘(たまかずら)
『源氏物語』の巻名の一
第二十二帖
「夕顔」の娘
「玉鬘」の半生を中心に描かれた巻
巻名
「光源氏」が詠んだ和歌
「恋ひわたる身は
それなれど
玉かづら・・・「玉鬘」⇔「玉蔓」⇔「球葛」
いかなる筋を
尋ね来つらむ」
に因む
「玉鬘」・・・大日下王の暗殺・・・
より
「真木柱」・・・「新記・眞記(紀)・巻の柱=命」
までの
十帖を「玉鬘を主題」とした
「ひとまとまりの物語」
であるとして
まとめて
「玉鬘十帖」と呼ぶこともある
↓↑
押 木 珠 縵
おしき‐の‐たまかずら
「押木」=上代の髪飾りの一種
形の良い木の枝に玉を付けたもの・・・か
押 木 玉 鬘
(オシキノタマカズラ=飾り付の冠
金製の冠?)
装飾の腕輪=くしろ(釧)?
釧は古代日本 の装飾品で腕輪の一種
縄文時代 に
貝や骨、石、木、土などを
素材とする腕飾りなどが作られていた
万葉集
「振田向宿祢(ふるのたむけすくね)」が
筑紫国に下ったときの歌一首十六
1766
我妹子(わぎもこ)は
釧(くしろ)にあらなむ左手の・・・釧=腕輪
あらなむ=あってほしい
我(あ)が
奥の手に・・・奥の手=左手・二の腕
最後の手段
巻きて
去(い)なましを・・・行くのにな
ただむき=腕=臂(ひじ)
かいな=奥の手=二の腕=肱(肘・ひじ)
肩から肘=上腕=二の腕
肘から手首=前腕
手首から先=手
釧(くしろ)=腕輪は左手首に巻くのが一般的
抜気大首(ぬきけのおおびと)が
筑紫に任ぜられたとき
豊前国(ぶぜんのくに)の
乙女
紐児(ひものこ)を娶(めと)って作った歌三首
1767
豊国(とよくに)の・・・大分県と福岡県東部
香春(かはる)は・・・福岡県田川郡香春町(かわらまち)
我家(わぎえ)
紐児(ひものこ)に・・・紐児=チュウジ=注字
いつがり居(お)れば・・・い-つがり=つながる?
1768
石上(いそのかみ)
布留(ふる)の・・・石上神宮から西方・布留のあたり
早稲田(わさだ)の
穂には出(い)でず・・・人目につかず
心の中(うち)に恋ふるこのころ
1769
かくのみし
恋ひし渡れば
たまきはる命も
↓↑
・・・魂極る(たまきわる)
玉切(たまきはる)
玉極・霊極・霊剋(たまきはる)
多麻岐波流(タマキハル)
多末伎波流(タマキハル)
↓↑
「手纏(たまき)を佩(は)く
内の朝臣(武内宿禰)」
↓↑
「内の朝臣」の「内」と同音でかかる
記紀の例は枕詞としない)
手纏(たまき)を佩く腕の意で
「腕」と類音でかかる
玉を刻む意で
「打ち」と同音でかかる
玉作りの本拠地である
「宇智」へかかる
玉の輪をきざむ意で
「わ」にかかる・・・・「わ=輪・倭・和・夬・話」
手纏=環=鐶(たまき)
手に巻くものの意
上代の装身具
玉や鈴に
紐(ひも)を通して手に巻いたもの
・・・紐育・帯方・・・包帯?
押=手+甲=手甲
手甲=手の平から前腕の前3分の2を
カバーする布で出来た装具
籠手(こて) などを含む手筒のこと
手の甲の部分は布が裏返らないように
中指を通す紐がついている
手の甲=手首から指のつけ根までの面
手を握ると外側になる部分
手甲=てこう・てさし・てっか・こて
手甲=手の甲から腕まで被うもので
籠手(こて) などを含む手筒・腕貫も意味
腕貫=汚れ防止の布製のもの
腕袋と腕に通す編み籠の筒の総称
脚絆=キャハン
踝の上から膝下までに巻きつける布
くしろ=釧=腕輪⇔手甲
↓↑
手纏=環=鐶(たまき)=釧(くしろ)
たまき=霊極・魂極
枕詞=命・世・うち(現)
わ(環・輪)
人生
などにかかる
紀伊山地の奥に十津川
十津川の中心の山上の神社が
「玉置(たまき)神社」
我(あれ)は
惜しけくもなし
↓↑
押木=頭を覆うモノ・・・押(収)の木(き・ボク)?
欧 州 記・拾う言葉?
押=扌+甲(囗+十)・(冂+十+丅)
甲=冂+ ǂ(‡=𠀆=キ)=⼁+⼆=十+一
甲=カン・コウ
かぶと
きのえ
つめ
よろい
十干の一番目・五行の木・東
こうら・亀のこうら(甲羅)・外面をおおう硬い皮
物事や等級の第一番目
からだを覆う武具=甲冑
声の調子の高いこと=甲高い声
船の甲板=カンパン=干犯・乾板・肝斑
乾パン(乾麺麭)
木=十+八=拾八
↓↑
二十代
安康天皇(穴穂皇子=あなほのみこ)・・・「国家安康」?
穴穂御子=あなほのみこ)
が
大日下王(大草香)を殺害
「目弱王(眉輪王)」
が父親(大日下王)の仇である
安康天皇を殺害し
「目弱王(眉輪王)」
は
「都夫良意富美=円大臣・圓大臣=葛城円」
の邸宅に逃れ
「雄略天皇」に殺害された「記紀の記事」
↓↑
履中天皇二年(401年)
・・・履歴
履(くつ=靴・沓・鞜・草履=ぞうり)
履=尸+復(彳+复)
尸+彳+𠂉+日+夂
𠂉=髪挿し・櫛・笄・簪
ーー↓↑ーーー
「履」の???
↓↑
麻裏草履(あさうらぞうり)
上履き・上履(うわばき)
下駄履き(げたばき)
下駄履き住宅
下駄履住宅(げたばきじゅうたく)
下履き・下履(したばき)
直穿き・直履き(じかばき)
長刀草履(なぎなたぞうり)
履き違える・穿き違える(はきちがえる)
履物・履き物(はきもの)
履(は)く
不履行(フリコウ)
弊履・敝履(ヘイリ)
木履(ぽっくり・ぼっくり)
靴・沓・履(くつ)
草履(ぞうり)
踏む・履む(ふむ)
履行(リコウ)
履修(リシュウ)
履歴(リレキ)
衣弊履穿(いへいりせん)
衣履弊穿(いりへいせん)
冠履顛倒(かんりてんとう)
冠履倒易(かんりとうえき)
屐履之間(げきりのあいだ)
削足適履(さくそくてきり)
隻履西帰(せきりせいき)
截趾適履(せっしてきり)
履霜堅氷(りそうけんぴょう)
履霜之戒(りそうのいましめ)
↓↑
足駄(あしだ)を履(は)いて首ったけ
瓜田(カデン)に履(くつ)を納れず
瓜田に履を納れず
李下に冠を正さず
下駄(げた)を履(は)かせる
霜(しも)を履(ふ)んで堅氷(ケンピョウ)至る
草履(ぞうり)に灸(キュウ)
草履(ぞうり)履(は)き際で仕損じる
伊達の素足もないから起こる
あれば天鵞絨(びろうど)の足袋も履く
二足の草鞋を履く
薄氷(ハクヒョウ)を履むが如し
弊履(ヘイリ)を棄(す)つるが如し
李下の冠
瓜田(カデン)の履(くつ)
ーー↓↑ーーー
履中天皇二年(401年)
「都夫良意富美=円大臣・圓大臣=葛城円」
が
国政に参加
安康天皇三年(456年)
「眉輪王(目弱王)」が
安康天皇を殺害
「眉輪王(目弱王)」
↓↑ 「目弱」?
「弱視」?・・・幕末の眼科医?
ものを見る訓練ができないと起こる
「斜視」=「斜視弱視」
斜視の成人はものが二重に見える
小児では二重に見え
脳が混乱しないように
斜視になっている目を
使わないようになり
弱視になる
「遠視」
遠視だと
近くを見るときも
遠くを見るときも
はっきりと見えず
視力が発達せず
弱視になる
「白内障」
生まれつき病気の
白内障がある場合
あるいは乳幼児期に
眼帯を長い間(3~7日間程度)
つけたりした場合
ものを見る訓練ができず
弱視になる
↓↑
幕末の眼科医?
ジェームス・カーティス・ヘボン
(James Curtis Hepburn)
アメリカ合衆国
ペンシルベニア州
ミルトン
出身
1815年3月13日
~
1911年9月21日
大運1907年12月(92歳)己巳・偏印
乙亥(戊甲壬)偏財・正財沐浴⇔辛亥・比肩
己卯(甲 乙)偏印・正財 絶⇔丁酉・偏官
辛酉(庚 辛) ・劫財建禄⇔甲午・正財
甲午(丙 丁)正財・正官 病⇔庚午・劫財
子丑空亡
↓↑
1863年(文久3年)
横浜居留地に男女共学の
「ヘボン塾」
を開設
「箕作秋坪」
の紹介で
眼病を患った
「岸田吟香」
を治療
計3500人の患者に処方箋を書き
瘢痕性内反の手術30回
翼状片の手術3回
眼球摘出1回
脳水腫の手術5回
背中のおでき切開1回
白内障の手術13回
痔ろうの手術6回
直腸炎1回
チフスの治療3回
白内障の手術も1回を除いて皆成功
(1861年9月8日の手紙)
名優
「澤村田之助」
の脱疽を起こした足を
麻酔剤を使用し切断手術
専門は脳外科医
ヘボンの弟子
日本で初の近代的な
「眼科病院」を創設した
「丸尾興堂」・・・丸尾 興堂(まるお こうどう)
二代目 丸尾 瞭益(りょうえき)
1840年《旧暦天保11年5月》
~
1914年《大正3年》1月18日)
弟子に
脚が不自由で学校に通えなかったが
眼科医になりたいと希望する
「岩﨑照吉」
日本初の
女性眼科医
「右田アサ」
ヘボン塾の出身者に
「高橋是清」
「林董」
「益田孝」
など多くの優れた人材育成
ーー↓↑ーー
で、
「都夫良意富美=円大臣・圓大臣=葛城円」
は
「眉輪王(目弱王)」
と
坂合黒彦皇子(さかあいのくろひこのみこ)
を屋敷にかくまい
雄略天皇に屋敷を包囲され
娘の
「韓媛(からひめ)」
と
「葛城宅七区=葛城の屯倉(みやけ)七ヶ所?」
を差出して許しを乞うたが
認められず
焼き殺された(『日本書紀』)
↓↑
安康天皇が后となった
「長田大郎女(ながたのおおいらつめ)」
と元の夫
「大日下王(仁徳天皇が父)」
の連れ子
「目弱王(まよわのみこ)」に殺され
「目弱王(まよわのみこ)」は
「坂合黒彦皇子」
と
「都夫良意富美=円大臣・圓大臣=葛城円」
に逃げこむが
「坂合黒彦皇子」は途中で討たれた
「都夫良意富美=円大臣・圓大臣=葛城円」
が差出した屯倉は五ヶ所を申し出たが
拒否されので
「目弱王=眉輪王」を殺し
自害(『古事記』)
↓↑
天皇(安康天皇)
爲
伊呂
大長谷(雄略天皇)
王子而
ー↓↑ーー
坂本・・・「坂本龍馬」?・・・親類は釧路に移民
郷士坂本家は五代目当主
坂本直寛(姉・千鶴の次男で龍馬の甥)
明治30年(1897年)
一族を挙げて北海道に移住(土佐訣別)
現在は高知には郷士坂本家の人々はいない
↓↑
「坂本龍馬」
紀 姓
「紀貫之=きのつらゆき」
の子孫と称した
墓石に
「坂本龍馬 紀直柔」
と彫られている
坂本家が主君に差し出した
『先祖書指出控』
には
「先祖
坂本太郎五郎
生国
山城国
郡村未だ詳らかならず
仕声弓戦之難を避け
長岡郡
才谷村に来住す。
但し年歴、妻之里
且つ
病死之年月等
未詳」
とある
天正十六年(1588年)
才谷村の検地で
村の3番目の百姓として登録
3代目
「太郎左衛門」
までは公認の名字を持たない百姓身分
2代目
「彦三郎」
3代目
「太郎左衛門」
まで才谷村で農業
4代目
「守之」
5代目
「正禎」
の頃に豪農としての頭角
「才谷」村の字の一つである
「大浜」を家名として名乗り始めた
寛文六年(1666年)
3代目
「太郎左衛門」
の次男
「八兵衛」
は高知城下にて
質屋・・・「質屋」は「猶太(ユダヤ)」の専業?
を開業し(屋号は才谷屋)
酒屋、呉服などを扱う豪商となる
享保十五年(1730年)ごろ
本町筋の年寄役となり
藩主に拝謁を許される
明和七年(1770年)
六代目
「直益」
は郷士の株を買い
長男
「直海」
を郷士「坂本」家の初代とし分家させ
名字帯刀を許され
次男
「直清」
には商家「才谷屋」を継がせた
郷士
坂本家
三代目
「直足」
は
「白札郷士(上士)」・・・白札
「山本信固(覚右衛門)」
の次男として生まれ
坂本家へ養子として入った
「直足」の次男が
「直柔(坂本龍馬)」
妻は
「お龍(楢崎龍)」
また
「千葉さな子」
は婚約者
龍馬には子がいなく
甥(姉・千鶴の長男)の
「直」
が家督を継いだ
明治30年(1897年)
郷士
坂本家は
五代目当主
「直寛(姉・千鶴の次男で龍馬の甥)」
のときの一族を挙げて
北海道に移住した(土佐訣別)
↓↑
「直寛」
は
「武市半平太」
の後に
武市家を継承した
「武市安哉」
らとともに
キリスト教精神に基づく活動や自由民権運動を行い
理想を夢見て
新天地である
北海道に移住
北海道開拓は
「龍馬の夢」
だった・・・?
ーー↓↑ーー
根(ね・コン)+臣(おみ・ジン・シン)
根室=ねむろ?⇔釧路=くしろ
根室(ねむろ)・・・根の国⇔音の句爾⇔子の苦荷?
北海道本島の最東端
東経145°21'~146°11'
北緯43°09'~43°38'
東西に70 km
南北に10 km
東西に細長く根室半島の全域と
北方領土の歯舞群島を市域
根室半島の太平洋沖合約3 kmに
ユルリ島
モユルリ島
↓↑
寛政二年(1790年)
松前藩の運上所が
ノッカマップ(根室市牧の内)から
根室に移って集落となった
根室は
「子モロ(子はネの変体仮名)」
「根諸」などと記録
河口に流木が寄り集まる小川からとられた
アイヌ語の
「ニムオロ(木の繁るところ)」・・・説
運上所の
ノッカマップは、前年の
「クナシリ・メナシの戦い」
の首謀者が処刑された場所
↓↑
寛政十一年(1799年)
東蝦夷地が天領になり
根室の運上所は
根室会所と改められた
文政四年(1821年)松前藩領に復帰
安政二年(1855年)再び天領・仙台藩が出張陣屋を築き警固
明治二年(1869年)
8月 北海道11ヶ国86郡が制定
根室国に含まれ
花咲郡と根室郡が設置
9月 開拓使の松本判官が属僚とともに移住民130人を率いて来住
開拓使役所を根室に設置
和田地区が根室開拓使役所の管轄
10月 開拓使根室出張所が設置
↓↑
明治三年6月東京府に編入
10月19日付けで根室国3郡の東京府管轄を廃止
明治四年(1871年)5月根室出張開拓支庁と改称
明治五年(1872年)4月28日:6月3日
首長 「蛯子 源之助」
9月根室支庁と改称
明治十年(1877年)漁場持制が廃止
明治十三年(1880年)戸長役場設置
明治十五年(1882年)~明治19年(1886年)根室県の県庁所在地
明治十九年(1886年)1月北海道庁が設置
根室県は廃止
12月まで一時的に根室支庁設置
明治三十年(1897年)根室支庁が設置置
昭和六年(1931年)8月24日
リンドバーグ夫妻が北太平洋を飛行機で横断し根室に到着
昭和二十年(1945年)7月14日北海道空襲
アメリカ軍による軍事攻撃
昭和三十二年(1957年)8月1日根室郡和田村と合併し市制を施行
根室市が発足
昭和三十四年(1959年)4月1日花咲郡歯舞村を編入合併
↓↑
初代首長
1872年6月3日(明治五年四月二十八日)
蛯子 源之助・・・蛯子(ひるこ=蛭子)=ゑびす=夷子・戎子?
二代目首長
1875年(明治八年)
三浦 嘉蔵・・・「三浦按針」?
ーー↓↑ーー
坂本・・・「建内宿禰」の子は九人
「次に木角宿禰は〔木臣、都奴臣、坂本臣の祖〕」
臣等之祖。
根臣。 ・・・根(ね・コン)+臣(おみ・ジン・シン)
遣
大日下王
之許。
令詔者。
↓↑
汝命之妹。
若日下王。
欲婚
大長谷王子。・・・雄略天皇
↓↑
爾
大日下王。
四拜
白之。
若疑有
如此大命。
故。
不出外以置也。
是恐。
隨
大命奉進。」
↓↑
然言以白事。
其思 无禮。
其妹 之禮物。
令持
↓↑
押木・・・・おしき
押=扌+甲
木=十+八
之・・・・・の
玉縵而
・・・玉縵=たまかずら=玉鬘
手纏=環=鐶(たまき)=釧(くしろ)
纏=糸+廛=纒=緾
幺+小+广+里+儿+土
幺+小+广+里+八+土
幺+小+广+甲+二+儿+土
幺+小+广+甲+二+八+土
幺+小+广+甲+一+儿+土
幺+小+广+甲+一+八+土
テン
まつる
まつわる
まとい
まとう
まとめる
めぐらす・からまる・たばねる
まとい=さおの先に飾りをつけたもの
火消しのしるし
大纏 =おおまとい
御纏 =おまとい
足手(あしで)纏い(まとい)
取りまとめる・取纏める(とりまとめる)
這纏わる・這い纏わる(はいまつわる)
纏(まつ)る
纏(まつ)わる
纏(まと)う
纏(まと)まる
纏(まと)める
印半纏(しるしばんてん)
付きまとう・付纏う(つきまとう)
纏足(テンソク)
纏綿(テンメン)
半纏・袢纏(ハンテン)
一纏(ひとまと)め
纏(まとい)
纏わり付く(まとわりつく)
情緒纏綿(ジョウショテンメン)
腰纏万金(ヨウテンバンキン)
一糸纏わず
一糸も纏わない=全裸
↓↑
貢獻。
↓↑
根臣。
即
盜取
其禮物之
玉縵。
讒・・・讒(よこしまつりて)=讒言・讒訴
大日下王曰。
大日下王者。
不受
勅命。
曰己妹乎。
爲
等族之
下席而。
取
横刀之手上
而怒歟。
↓↑
故天皇。
大怒。
殺
大日下王而。
取持來。
其王之嫡妻。
長田大郎女。
爲
皇后。・・・殺した男(大日下王)の妻を皇后と為す?
「長田大郎女=中磯皇女(なかしのひめみこ)=
中蒂姫命(なかしひめのみこと)=長田大娘皇女」
「『古事記』
安康天皇の同母姉の
長田大郎女=名形大娘皇女」
と同名?・・・「漢字名」は異なる
は
「天皇の王権」にとって
必要な「存在=斎王」だった?
↓↑
古事記
下巻五
二十代
安康天皇
↓↑
ウイリ アム・アダムス
初意理 按務 仇務素(蒸す・夢州)
三浦 按針
みうら あんじん
↓↑
dock(ドック)=船渠・船台=造船工場・・・dok=犬・狗・戌
Boat canals
ドック(蘭: dok、英: dock)
船の建造、修理、係船、荷役作業などのために
海岸、河岸、湖岸等を
掘り込みまたは埋め立てて築造された
湾入状・袋状の平面形の土木構造物
同様な目的の
浮体構造物である浮ドックも含まれる
船渠(センキョ)
単にドックと言った場合は
乾ドック(ドライドック)を指す
船体を水から上げることは
「上架(ジョウカ)」と呼ばれ
船体を載せる台は
「船台(センダイ)」と呼ばれる
乾ドック(カンドック・dry dock=ドライドック)
船体の検査や修理などのために
水を抜くことができる
ドック=船渠(センキョ)
=乾船渠(カンセンキョ)=dry doc
船台=船 の建造や修理のために
海や川などの岸に設けられた斜面
船渠=dock
乾船渠=乾船渠かんせんきょかんどっくdry dock
船渠費=dock charge
修理船渠= repairing dock
満潮船渠=tidal basin
繋岸浮船渠=繋岸浮船渠offshore dock[機械]
船渠使用料=dock charge
船渠設備=dock equipment
船渠現場主任=dockmaster
船渠を設ける〔~に〕 =【他動】dockize
船殻=船殻hull[化学]; hull[機械]; hull skin[化学]
船歌=ふなうた=sailor's songchantey
船橋設計=ship bridge design
船橋甲板室=bridge house
船橋甲板=船橋甲板=bridge deck
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ヤン・ヨーステン
ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン
(Jan Joosten van Lodensteyn 〈Lodensteijn〉
1556年?~1623年
オランダ の航海士
朱印船 貿易家
日本名 耶 揚子 (や ようす)
東京駅 周辺の
八重洲 の地名の由来になった人物
オランダ船
リーフデ号
に乗り込み
航海長であるイングランド人
ウィリアム・アダムス
(三浦按針)
とともに
1600年(慶長五年)4月19日
豊後
に漂着した
徳川家康
に信任され
江戸城の内堀沿いに邸を貰い
日本人と結婚
屋敷の場所は千代田区にあたり
現在の中央区八重洲の地名は
1954年に成立したもの
「ヤン=ヨーステン」
が訛った日本名
「耶楊子(やようす)」⇔「邪楊子(やようす)」
と呼ばれるようになり
後に
「八代洲」(やよす)となり
「八重洲」(やえす)になったとされる
東南アジア方面での
朱印船貿易を行い
その後帰国しようと
「バタヴィア(ジャカルタ)」
に渡ったが帰国交渉がはかどらず
結局あきらめて
日本への帰途の途中
乗船していた船が
インドシナで座礁して
溺死・・・・・・・・・・・・「猿田彦」の溺死
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%A4%96%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%81%AE%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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エメラルドブルーの謎 (碧き眼の人形伝説) 奈井江 五郎
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古事記と虎関師錬
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鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・
オジタリアンと「鉄腕あとむ」の「ポルカ」 (haa98940.wixsite.com)