てんあんもんじけん・・・「秘密社会」、「隠蔽組織」、「虚偽団体」のアホらしさ・・・「情報」が「アル」のにそれを「支えているヒトビト」、「許してしまっているヒトビト」・・・「拘束」される前には「法律事務所」には「行列」をつくらないし、拘束されてからでは「行列」も出来ない・・・「ミンナが決めたコト」って、「ミンナ」って、だれ・・・
ーーーーー
枕草子
(一八〇段)・・・百八十段・壱佰八拾段・壱八零段・陌捌足段
1+8+0=9=九=玖
1×8×0=0=零
村上の・・・・村上(水軍)之
村=木+寸=十+八+寸
「おはこ」の寸
上=「ト+一」→トのハジメ
御時、・・・・村上天皇の時代?
ナゼ、「ムラカミ」なのか?・・・
ーーーーーーーー↓
村上天皇
延長四年六月二日(926年7月14日)
~
康保四年五月二十五日(967年7月5日)
第六十二代天皇
在位
天慶九年四月二十八日(946年5月31日)
~
康保四年五月二十五日(967年7月5日)
諱は成明(なりあきら)
天慶七年(944年)四月二十二日
皇太子
天慶九年四月十三日
朱雀天皇の譲位により践祚
四月二十八日即位
外舅
藤原忠平関白が
天暦三年(949年)に死去
後は
摂関を置かず、親政
実際には政治権力は
摂関家の藤原実頼・師輔兄弟
母の
穏子や
兄の
朱雀法皇も関与し、親政は名目
平将門・藤原純友の
承平天慶の乱(935年~940年)後、
朝廷の財政逼迫
倹約で物価安定させた・・・?
天暦五年(951年)
「後撰集」編纂の下命・・・・・互選拾
天徳四年(660年)三月
内裏歌合を催行
「清涼記」の著者
治績は「天暦の治」・・・・・転暦の字
として後世賞賛
四十二歳で崩御
村上天皇の後、
安徳天皇と後醍醐天皇を例外として
歴代の天皇は
院号をもって・・・・・・・・音合
呼ばれるようになった
↓ 再び
↓ 天皇号が復活するのは
↓ 約900年後、
↓ ↓
↓ 江戸時代後期の
↓ 光格天皇から・・・こうかく
↓ コウカクの同音異字のスベテ
↓ 交書く
↓ 降格・口角・甲殻
↓ 高格・高角・高閣
↓ 広角
↓ 孝書く・・・木戸孝允
↓ 考書く・・
↓ ↓
↓ 光格天皇(こうかくてんのう)
↓ 明和八年八月十五日
↓ (1771年9月23日)
↓ ~
↓ 天保十一年十一月十八日
↓ (1840年12月11日)
↓ 第百十九代天皇
↓ 在位
↓ 安永八年十一月二十五日
↓ (1780年1月1日)
↓ ~
↓ 文化十四年三月二十二日
↓ (1817年5月7日)
↓ 幼名は祐宮(さちのみや)
↓ 諱は師仁(もろひと)
↓ 後に
↓ 兼仁(ともひと)に改め
↓ 天明の大飢饉の際には幕府に
↓ 領民救済を申し入
↓ ゴローニン事件の経過を報告させる
↓ 尊号一件
↓ 天皇になったことのない父
↓ 典仁親王に、太上天皇号を贈号で
↓ 幕府の反対によって断念
↓ 尊王思想の発端
↓ 文化四年七月十八日
↓ (1807年8月21日)
↓ 恵仁親王(仁孝天皇)を治定
↓ 文化六年三月二十四日
↓ (1809年5月8日)
↓ に皇太子とした
↓ 文化十四年三月二十二日
↓ (1817年5月7日)
↓ 仁孝天皇に譲位
↓ 三月二十四日(5月9日)に
↓ 太上天皇となる(最後の太上天皇)
↓ 天保十一年十一月十八日
↓ (1840年12月11日)
↓ 崩御。69(六十九)歳
↓ 現在の皇統は、
↓ 光格天皇から続いているものである・・・?
↓ ↓
村上天皇の
皇子
具平親王の・・・・・・・・具表・虞兵・愚豹
裔は
「村上源氏」として、・・・・務等加味源字
宮廷政治に影響力を有した・・・
↓
もうヒトリ、後の
↓
後村上天皇
南北朝時代の
第九十七代天皇
南朝の
第二代天皇
在位
延元四年=暦応二年八月十五日
(1339年9月18日)
~
正平二十三年=応安元年三月十一日
(1368年3月29日)
諱は義良(のりよし・のりなが)
後に
憲良に改めた・・・憲法の良
父・後醍醐天皇の
第七皇子
南朝の京都回復を図り、
大和(奈良県)の
吉野・賀名生、
摂津(大阪府)の住吉などを行宮
明治四十四年(1911年)
南朝が正統とされ
歴代天皇として認定
義良(後村上天皇)は
北条氏の残党の討伐と東国武士の帰属を目的に
北畠親房・顕家父子に奉じられて奥州多賀城へ
建武元年(1334年)五月
多賀城で親王となる
建武二年(1335年)
足利尊氏が新政から離反
建武三年(1336年)三月
比叡山で元服
三品陸奥太守に叙任
延元二年=建武四年(1337年)
多賀城が襲撃
霊山に難を避け、
八月に再度上洛
十二月に鎌倉を攻略
延元三年=暦応元年(1338年)一月
美濃国青野原の戦いで足利方を撃破
伊勢・伊賀方面に転進した後、
父天皇のいる大和の吉野行宮に入った
天皇が全国の南朝勢力を結集するため各地に
自らの皇子を派遣
九月に
義良親王も宗良親王とともに
北畠親房・顕信に奉じられ、
伊勢国大湊から
三たび奥州を目指すが、暴風に遭って
一行は離散し、親王の船は伊勢に漂着
延元四年=暦応二年(1339年)三月
吉野へ戻り、皇太子となった
八月十五日に・・・・・・八月十五日は終戦記念日
天皇の譲位を受けて
践祚する
↓
正平十四年=延文四年(1359年)十二月
観心寺(大阪府河内長野市)に移り、翌年9月には住吉まで北上。
正平十六年=康安元年(1361年)
執事細川清氏の帰順
十二月八日
四条隆俊・楠木正儀らが京へ攻め、京を回復
義詮軍の反撃で、十二月二十六日撤退
正平二十二年=貞治六年(1367年)四月
葉室光資をして幕府との和睦交渉
和議は決裂
翌正平二十三年=応安元年(1368年)
三月十一日子刻
住吉大社宮司津守氏の住之江殿にて崩御
享年四十一
奥羽に異常に関心を示した
明治天皇は「後村上天皇」の末裔?・・・かも・・・
ーー↓枕草子
雪の・・・説之
いと・・・意図
高う・・・
降り・・・
たり・・・
けるを、・・・
楊器に・・・ようき=様器・規定どおりに作られた
儀式用の食器・・・・?
・・・字面からは「やなぎ(楊)のウツワ」
「ヨウキ・」に
「楊(貴)妃」似
妖気・陽気・揚期
容器・熔器→熔鉱炉・鎔鉱炉
揚生・楊木(柳)→柳沢
楊子→耶楊子(ヤン・ヨーステン)
八重洲口の由来
揚棄→アウフヘーベン(独逸語)=止揚
↓ 昜=日+一+勿
↓「昜(ひ・陽・ヨウ)」
↓「昜=日+一+勿
↓ 勿=なかれ・モチ・ブツ
↓ 揚=扌(手)+昜
↓「易(かえる・エキ・ヤク)」
↓「昜」≠「易」・・・異字
肯定(正)→否定(反)→高みに揚げる(合)
↓
要は「天婦羅・天麩羅
唐揚・空揚」、
油での揚げ物の作り方である
1669年(寛文九年)の「食道記」
要記・耀記→鳥居耀蔵
↓
「てんぷら」の語原説
↓
ポルトガル語の「temperar=調味料を加える」
葡萄牙 「油を使用して硬くする」
「三人称単数の temper
tempero(調理あるいは調味料)」
「templo (寺の精進料理)」
「temporal (一時的な・臨時の)」
「temporras(金曜日の祭り)」
スペイン語・イタリア語の
西班牙 伊太利亜
「témporas(天上の日・斎日=Ember Days」
「天婦羅・天麩羅」の漢字語原
↓
山東京伝=「天竺浪人がふらりと江戸に出てきて始めた」
「天麩羅阿希(あぶらあげ)」の
「阿希」を端折った読み
・・・同音ならば英語の「temporary」か、
↓ 「ten Emperor(s)」・・・?
↓ 「tenth Emperor」・・・?
↓ ↓
↓ 「朕は国家なり(ルイ14世)」
↓ 「WE(朕)
ARE
THE STATES(国家)」の説明・・・?
「WE」は「国王」のみが使用できるコトバとは・・・?
コレは「日本語」からの「逆解釈」ではないのか?
「I」ではなく
「WE」を「単数名称」として使用とは・・・?
・・・コレは、やっぱ「複数」の意味ではないのか・・・
「WE」は「臣下・臣民」を含めた「王」・・・
「私たち」は「国家」であるのは
「STATE」が「領土内」の組織、構成の
「状態・ありさま・様子」だから・・・
「国王の権力(Emperor)」を云っているワケではない
しかも、文法的にも
「動詞」が「WE AM」ではなく「ARE」である・・・
歴史的に「例外」は、ナンにでも「アル」か・・・
では「WE」は領民にとって日常生活で
「禁語・忌詞」だったのか?
「WE」に代用されるコトバは何であったのか?
「複数」が「名詞・動詞」の変化にうるさいのは
西欧語である・・・
日本語は「数詞」がクサルほどアルが
「名詞・動詞」の変化は無い・・・
で、ついでに
スペイン語では「Te amoテ・アモ」と
「Te quiero.(テ・キエロ)」は
「君を愛している」で「te」は「君・あなた」
「querer( ケレール)」は「欲しい」
で、ボク的には「君」→「訓」か「黄身・黄味・木見」で
「猿(猨)女君」で、「黄帝(姫)」である・・・
ーー
もらせ・・・・盛らせ・洩らせ・漏らせ・守らせ
給ひて、・・・たまひて
↓ 給(キュウ)=糸+合
「霊・魂」比出
「珠・玉」妃出
「多磨・多摩」被出
「偶→偶々・偶然・偶数」比出
「弾」射て
梅の・・・・「うめ・バイ」之
↓ 梅=木+毎
梅園・梅山・梅里
花を・・・・・はなを→(下駄・ゲタ)の鼻緒
ゲタ=「〓」印刷のゲタ
さして、・・・
月・・・・・・つき・ゲツ
いと・・・・・意図
明きに、・・・明らか爾
「これに・・・
歌・・・・・
よめ、・・・
いかが・・・
いふ・・・
べき」・・・
と・・・
兵衞の・・・
藏人に・・・
賜び・・・たまわび・たまび・シ
賜=貝+易
目+人+日+勿
たり・・・
けれ・・・
ば、・・・
雪月花の・・・雪月花(せつげつか、せつげっか)は、
白居易の詩「寄殷協律」の
一句「雪月花時最憶君
(雪月花の時 最も君を憶ふ)」
↓
歳 組 重附
サイクンオク
再 訓 置
「殷協律」は白居易の部下
↓ 履虚位
インキョウリツ
音 共 立
初出は
「万葉集・巻十八」の
↓
萬用習・換壱拾八
「大伴家持」の歌
↓
タイハンカジ
大 藩 加地
代 反 加字
第 判 掛字
「雪月花時最憶君」は
「和漢朗詠集・交友の部」に前句に採用
大伴家持の歌は
天平勝宝元年(749年)三十二歳の作
白居易の詩は
宝暦元年(825年)五十四歳頃の作
・・・らしい?
和語としては
「月雪花(つきゆきはな)」の
順で用いる・・・
↓
付き(尽き)
行き(由紀)
葉名(鼻・塙)
解通説掛
ーー↓
時と・・・ときと・説き図
「鴇・朱鷺」渡
「とき・ジ」の同音異字のスベテ
奏し・・・ソウシ
たり・・・
ける・・・
こそ、・・・
いみじう・・・意味字得
めで・・・・・目出
させ・・・
給ひ・・・
けれ。・・・
「歌など・・・
よまん・・・
には・・・
世の常なり・・・、ヨのジョウ(つね)
かう・・・・・考・交・項・甲・庚
公・孝・口
折に・・・・・「折=手+斤」に
あひたる・・・
事なん、・・・
言ひ難き」・・・
と・・・
こそ・・・
仰せ・・・
られ・・・
けれ。・・・
同じ・・・
人を・・・
御供・・・・おんとも・音伴
オンキョウ・音響
にて、・・・
殿上に・・・伝条爾
人・・・
侍はざり・・・はべはざり
ける・・・
程、・・・・
ーー
佇・・・・・たたずむ
チョ・ジョ
ませ・・・・(たたず)ませ
「立たず・建たず
断たず・絶たず
経たず・起たず
裁たず・発たず」
増せ・真施
ーー↓
おはします・・・
に、・・・
すびつの・・・炭櫃の
素備通之
烟の・・・・・けむい・けむる・エン
煙・煙
「けむり→懸務理・化無理」之
立ち・・・
ければ、・・・
「かれは・・・
何の烟ぞ、・・・
見て來」・・・
と・・・
仰せ・・・
られ・・・
ければ、・・・
見て・・・
かへり・・・
參りて、・・・
わたつみの・・・「海神・棉摘・綿積」之
↓
海人・海士・海女
↓
海軍=水軍
↓
灰燼・灰塵
わたつみの
話詫罪 之
沖に・・・
こがるる・・・焦臥留流・扱画留留
漕がるる
物・・・
見れば・・・
あまの・・・
釣・・・・・つるす
チョウ
して・・・・
かへる・・・
なり・・・
けり・・・
と・・・
奏し・・・
ける・・・
こそ・・・
をかしけれ。・・・
蛙の・・・・・・・カエル之
飛び・・・・・・・渡日・図備・賭尾
入りて・・・・
こがる・・・
る・・・
なり・・・
けり。・・・
ーーーーー
・・・「海行かば」であるカナ、「大伴」君・・・海軍、軍船、軍艦の末路・・・
ーーーーー
(一八一段)・・・百八十一段・壱佰八拾壱段・壱八壱段・陌捌足壱段
1+8+1=10=十=壱拾=一足
1×8×1=8=八=捌
御形の・・・「音形・音計」之
宣旨、・・・センジ→千字・潜字・撰字
戦 時
五寸・・・・ごすん・語寸・後諏務・誤寸
ばかり・・・秤
なる・・・
殿上・・・・伝條・伝情
伝常→出ん常陸→水戸
大日本史
わらはの・・・稿葉之
いと・・・・・
をかしげ・・・
なるを・・・
つくりて、・・・
髻結ひ、・・・かみゆひ→加味結意
髻 神結比・上諭意
↓
もとどり・たぶさ
裝束・・・・・ショウゾク→小賊・商賊
章 続・証足・症続
など・・・・・等
うるはしく・・・
して、・・・
名かきて・・・
奉らせ・・・
たり・・・
けるに、・・・
とも・・・・・伴
あきらの・・「明・章・光・幌・憲・昭」之
アキラの同音異字のスベテ
おほきみ・・・
と書き・・・・ト書き
たり・・・
ける・・・
を・・・
こそ、・・・
いみじう・・・
せ・・・
させ・・・
給ひ・・・
けれ。・・・
ーーーーー
ーーーーー
枕草子
(一八〇段)・・・百八十段・壱佰八拾段・壱八零段・陌捌足段
1+8+0=9=九=玖
1×8×0=0=零
村上の・・・・村上(水軍)之
村=木+寸=十+八+寸
「おはこ」の寸
上=「ト+一」→トのハジメ
御時、・・・・村上天皇の時代?
ナゼ、「ムラカミ」なのか?・・・
ーーーーーーーー↓
村上天皇
延長四年六月二日(926年7月14日)
~
康保四年五月二十五日(967年7月5日)
第六十二代天皇
在位
天慶九年四月二十八日(946年5月31日)
~
康保四年五月二十五日(967年7月5日)
諱は成明(なりあきら)
天慶七年(944年)四月二十二日
皇太子
天慶九年四月十三日
朱雀天皇の譲位により践祚
四月二十八日即位
外舅
藤原忠平関白が
天暦三年(949年)に死去
後は
摂関を置かず、親政
実際には政治権力は
摂関家の藤原実頼・師輔兄弟
母の
穏子や
兄の
朱雀法皇も関与し、親政は名目
平将門・藤原純友の
承平天慶の乱(935年~940年)後、
朝廷の財政逼迫
倹約で物価安定させた・・・?
天暦五年(951年)
「後撰集」編纂の下命・・・・・互選拾
天徳四年(660年)三月
内裏歌合を催行
「清涼記」の著者
治績は「天暦の治」・・・・・転暦の字
として後世賞賛
四十二歳で崩御
村上天皇の後、
安徳天皇と後醍醐天皇を例外として
歴代の天皇は
院号をもって・・・・・・・・音合
呼ばれるようになった
↓ 再び
↓ 天皇号が復活するのは
↓ 約900年後、
↓ ↓
↓ 江戸時代後期の
↓ 光格天皇から・・・こうかく
↓ コウカクの同音異字のスベテ
↓ 交書く
↓ 降格・口角・甲殻
↓ 高格・高角・高閣
↓ 広角
↓ 孝書く・・・木戸孝允
↓ 考書く・・
↓ ↓
↓ 光格天皇(こうかくてんのう)
↓ 明和八年八月十五日
↓ (1771年9月23日)
↓ ~
↓ 天保十一年十一月十八日
↓ (1840年12月11日)
↓ 第百十九代天皇
↓ 在位
↓ 安永八年十一月二十五日
↓ (1780年1月1日)
↓ ~
↓ 文化十四年三月二十二日
↓ (1817年5月7日)
↓ 幼名は祐宮(さちのみや)
↓ 諱は師仁(もろひと)
↓ 後に
↓ 兼仁(ともひと)に改め
↓ 天明の大飢饉の際には幕府に
↓ 領民救済を申し入
↓ ゴローニン事件の経過を報告させる
↓ 尊号一件
↓ 天皇になったことのない父
↓ 典仁親王に、太上天皇号を贈号で
↓ 幕府の反対によって断念
↓ 尊王思想の発端
↓ 文化四年七月十八日
↓ (1807年8月21日)
↓ 恵仁親王(仁孝天皇)を治定
↓ 文化六年三月二十四日
↓ (1809年5月8日)
↓ に皇太子とした
↓ 文化十四年三月二十二日
↓ (1817年5月7日)
↓ 仁孝天皇に譲位
↓ 三月二十四日(5月9日)に
↓ 太上天皇となる(最後の太上天皇)
↓ 天保十一年十一月十八日
↓ (1840年12月11日)
↓ 崩御。69(六十九)歳
↓ 現在の皇統は、
↓ 光格天皇から続いているものである・・・?
↓ ↓
村上天皇の
皇子
具平親王の・・・・・・・・具表・虞兵・愚豹
裔は
「村上源氏」として、・・・・務等加味源字
宮廷政治に影響力を有した・・・
↓
もうヒトリ、後の
↓
後村上天皇
南北朝時代の
第九十七代天皇
南朝の
第二代天皇
在位
延元四年=暦応二年八月十五日
(1339年9月18日)
~
正平二十三年=応安元年三月十一日
(1368年3月29日)
諱は義良(のりよし・のりなが)
後に
憲良に改めた・・・憲法の良
父・後醍醐天皇の
第七皇子
南朝の京都回復を図り、
大和(奈良県)の
吉野・賀名生、
摂津(大阪府)の住吉などを行宮
明治四十四年(1911年)
南朝が正統とされ
歴代天皇として認定
義良(後村上天皇)は
北条氏の残党の討伐と東国武士の帰属を目的に
北畠親房・顕家父子に奉じられて奥州多賀城へ
建武元年(1334年)五月
多賀城で親王となる
建武二年(1335年)
足利尊氏が新政から離反
建武三年(1336年)三月
比叡山で元服
三品陸奥太守に叙任
延元二年=建武四年(1337年)
多賀城が襲撃
霊山に難を避け、
八月に再度上洛
十二月に鎌倉を攻略
延元三年=暦応元年(1338年)一月
美濃国青野原の戦いで足利方を撃破
伊勢・伊賀方面に転進した後、
父天皇のいる大和の吉野行宮に入った
天皇が全国の南朝勢力を結集するため各地に
自らの皇子を派遣
九月に
義良親王も宗良親王とともに
北畠親房・顕信に奉じられ、
伊勢国大湊から
三たび奥州を目指すが、暴風に遭って
一行は離散し、親王の船は伊勢に漂着
延元四年=暦応二年(1339年)三月
吉野へ戻り、皇太子となった
八月十五日に・・・・・・八月十五日は終戦記念日
天皇の譲位を受けて
践祚する
↓
正平十四年=延文四年(1359年)十二月
観心寺(大阪府河内長野市)に移り、翌年9月には住吉まで北上。
正平十六年=康安元年(1361年)
執事細川清氏の帰順
十二月八日
四条隆俊・楠木正儀らが京へ攻め、京を回復
義詮軍の反撃で、十二月二十六日撤退
正平二十二年=貞治六年(1367年)四月
葉室光資をして幕府との和睦交渉
和議は決裂
翌正平二十三年=応安元年(1368年)
三月十一日子刻
住吉大社宮司津守氏の住之江殿にて崩御
享年四十一
奥羽に異常に関心を示した
明治天皇は「後村上天皇」の末裔?・・・かも・・・
ーー↓枕草子
雪の・・・説之
いと・・・意図
高う・・・
降り・・・
たり・・・
けるを、・・・
楊器に・・・ようき=様器・規定どおりに作られた
儀式用の食器・・・・?
・・・字面からは「やなぎ(楊)のウツワ」
「ヨウキ・」に
「楊(貴)妃」似
妖気・陽気・揚期
容器・熔器→熔鉱炉・鎔鉱炉
揚生・楊木(柳)→柳沢
楊子→耶楊子(ヤン・ヨーステン)
八重洲口の由来
揚棄→アウフヘーベン(独逸語)=止揚
↓ 昜=日+一+勿
↓「昜(ひ・陽・ヨウ)」
↓「昜=日+一+勿
↓ 勿=なかれ・モチ・ブツ
↓ 揚=扌(手)+昜
↓「易(かえる・エキ・ヤク)」
↓「昜」≠「易」・・・異字
肯定(正)→否定(反)→高みに揚げる(合)
↓
要は「天婦羅・天麩羅
唐揚・空揚」、
油での揚げ物の作り方である
1669年(寛文九年)の「食道記」
要記・耀記→鳥居耀蔵
↓
「てんぷら」の語原説
↓
ポルトガル語の「temperar=調味料を加える」
葡萄牙 「油を使用して硬くする」
「三人称単数の temper
tempero(調理あるいは調味料)」
「templo (寺の精進料理)」
「temporal (一時的な・臨時の)」
「temporras(金曜日の祭り)」
スペイン語・イタリア語の
西班牙 伊太利亜
「témporas(天上の日・斎日=Ember Days」
「天婦羅・天麩羅」の漢字語原
↓
山東京伝=「天竺浪人がふらりと江戸に出てきて始めた」
「天麩羅阿希(あぶらあげ)」の
「阿希」を端折った読み
・・・同音ならば英語の「temporary」か、
↓ 「ten Emperor(s)」・・・?
↓ 「tenth Emperor」・・・?
↓ ↓
↓ 「朕は国家なり(ルイ14世)」
↓ 「WE(朕)
ARE
THE STATES(国家)」の説明・・・?
「WE」は「国王」のみが使用できるコトバとは・・・?
コレは「日本語」からの「逆解釈」ではないのか?
「I」ではなく
「WE」を「単数名称」として使用とは・・・?
・・・コレは、やっぱ「複数」の意味ではないのか・・・
「WE」は「臣下・臣民」を含めた「王」・・・
「私たち」は「国家」であるのは
「STATE」が「領土内」の組織、構成の
「状態・ありさま・様子」だから・・・
「国王の権力(Emperor)」を云っているワケではない
しかも、文法的にも
「動詞」が「WE AM」ではなく「ARE」である・・・
歴史的に「例外」は、ナンにでも「アル」か・・・
では「WE」は領民にとって日常生活で
「禁語・忌詞」だったのか?
「WE」に代用されるコトバは何であったのか?
「複数」が「名詞・動詞」の変化にうるさいのは
西欧語である・・・
日本語は「数詞」がクサルほどアルが
「名詞・動詞」の変化は無い・・・
で、ついでに
スペイン語では「Te amoテ・アモ」と
「Te quiero.(テ・キエロ)」は
「君を愛している」で「te」は「君・あなた」
「querer( ケレール)」は「欲しい」
で、ボク的には「君」→「訓」か「黄身・黄味・木見」で
「猿(猨)女君」で、「黄帝(姫)」である・・・
ーー
もらせ・・・・盛らせ・洩らせ・漏らせ・守らせ
給ひて、・・・たまひて
↓ 給(キュウ)=糸+合
「霊・魂」比出
「珠・玉」妃出
「多磨・多摩」被出
「偶→偶々・偶然・偶数」比出
「弾」射て
梅の・・・・「うめ・バイ」之
↓ 梅=木+毎
梅園・梅山・梅里
花を・・・・・はなを→(下駄・ゲタ)の鼻緒
ゲタ=「〓」印刷のゲタ
さして、・・・
月・・・・・・つき・ゲツ
いと・・・・・意図
明きに、・・・明らか爾
「これに・・・
歌・・・・・
よめ、・・・
いかが・・・
いふ・・・
べき」・・・
と・・・
兵衞の・・・
藏人に・・・
賜び・・・たまわび・たまび・シ
賜=貝+易
目+人+日+勿
たり・・・
けれ・・・
ば、・・・
雪月花の・・・雪月花(せつげつか、せつげっか)は、
白居易の詩「寄殷協律」の
一句「雪月花時最憶君
(雪月花の時 最も君を憶ふ)」
↓
歳 組 重附
サイクンオク
再 訓 置
「殷協律」は白居易の部下
↓ 履虚位
インキョウリツ
音 共 立
初出は
「万葉集・巻十八」の
↓
萬用習・換壱拾八
「大伴家持」の歌
↓
タイハンカジ
大 藩 加地
代 反 加字
第 判 掛字
「雪月花時最憶君」は
「和漢朗詠集・交友の部」に前句に採用
大伴家持の歌は
天平勝宝元年(749年)三十二歳の作
白居易の詩は
宝暦元年(825年)五十四歳頃の作
・・・らしい?
和語としては
「月雪花(つきゆきはな)」の
順で用いる・・・
↓
付き(尽き)
行き(由紀)
葉名(鼻・塙)
解通説掛
ーー↓
時と・・・ときと・説き図
「鴇・朱鷺」渡
「とき・ジ」の同音異字のスベテ
奏し・・・ソウシ
たり・・・
ける・・・
こそ、・・・
いみじう・・・意味字得
めで・・・・・目出
させ・・・
給ひ・・・
けれ。・・・
「歌など・・・
よまん・・・
には・・・
世の常なり・・・、ヨのジョウ(つね)
かう・・・・・考・交・項・甲・庚
公・孝・口
折に・・・・・「折=手+斤」に
あひたる・・・
事なん、・・・
言ひ難き」・・・
と・・・
こそ・・・
仰せ・・・
られ・・・
けれ。・・・
同じ・・・
人を・・・
御供・・・・おんとも・音伴
オンキョウ・音響
にて、・・・
殿上に・・・伝条爾
人・・・
侍はざり・・・はべはざり
ける・・・
程、・・・・
ーー
佇・・・・・たたずむ
チョ・ジョ
ませ・・・・(たたず)ませ
「立たず・建たず
断たず・絶たず
経たず・起たず
裁たず・発たず」
増せ・真施
ーー↓
おはします・・・
に、・・・
すびつの・・・炭櫃の
素備通之
烟の・・・・・けむい・けむる・エン
煙・煙
「けむり→懸務理・化無理」之
立ち・・・
ければ、・・・
「かれは・・・
何の烟ぞ、・・・
見て來」・・・
と・・・
仰せ・・・
られ・・・
ければ、・・・
見て・・・
かへり・・・
參りて、・・・
わたつみの・・・「海神・棉摘・綿積」之
↓
海人・海士・海女
↓
海軍=水軍
↓
灰燼・灰塵
わたつみの
話詫罪 之
沖に・・・
こがるる・・・焦臥留流・扱画留留
漕がるる
物・・・
見れば・・・
あまの・・・
釣・・・・・つるす
チョウ
して・・・・
かへる・・・
なり・・・
けり・・・
と・・・
奏し・・・
ける・・・
こそ・・・
をかしけれ。・・・
蛙の・・・・・・・カエル之
飛び・・・・・・・渡日・図備・賭尾
入りて・・・・
こがる・・・
る・・・
なり・・・
けり。・・・
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・・・「海行かば」であるカナ、「大伴」君・・・海軍、軍船、軍艦の末路・・・
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(一八一段)・・・百八十一段・壱佰八拾壱段・壱八壱段・陌捌足壱段
1+8+1=10=十=壱拾=一足
1×8×1=8=八=捌
御形の・・・「音形・音計」之
宣旨、・・・センジ→千字・潜字・撰字
戦 時
五寸・・・・ごすん・語寸・後諏務・誤寸
ばかり・・・秤
なる・・・
殿上・・・・伝條・伝情
伝常→出ん常陸→水戸
大日本史
わらはの・・・稿葉之
いと・・・・・
をかしげ・・・
なるを・・・
つくりて、・・・
髻結ひ、・・・かみゆひ→加味結意
髻 神結比・上諭意
↓
もとどり・たぶさ
裝束・・・・・ショウゾク→小賊・商賊
章 続・証足・症続
など・・・・・等
うるはしく・・・
して、・・・
名かきて・・・
奉らせ・・・
たり・・・
けるに、・・・
とも・・・・・伴
あきらの・・「明・章・光・幌・憲・昭」之
アキラの同音異字のスベテ
おほきみ・・・
と書き・・・・ト書き
たり・・・
ける・・・
を・・・
こそ、・・・
いみじう・・・
せ・・・
させ・・・
給ひ・・・
けれ。・・・
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