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コジキジゲン

てんあんもん・・・「日本国」って、諸国家と比較して今の処、相対的にイイクニ

2013-10-30 11:38:37 | 古事記字源
 てんあんもんじけん・・・「秘密社会」、「隠蔽組織」、「虚偽団体」のアホらしさ・・・「情報」が「アル」のにそれを「支えているヒトビト」、「許してしまっているヒトビト」・・・「拘束」される前には「法律事務所」には「行列」をつくらないし、拘束されてからでは「行列」も出来ない・・・「ミンナが決めたコト」って、「ミンナ」って、だれ・・・
ーーーーー
 枕草子
 (一八〇段)・・・百八十段・壱佰八拾段・壱八零段・陌捌足段
          1+8+0=9=九=玖
          1×8×0=0=零
 村上の・・・・村上(水軍)之
        村=木+寸=十+八+寸
             「おはこ」の寸
        上=「ト+一」→トのハジメ
 御時、・・・・村上天皇の時代?
        ナゼ、「ムラカミ」なのか?・・・
ーーーーーーーー↓
      村上天皇
      延長四年六月二日(926年7月14日)
      ~
      康保四年五月二十五日(967年7月5日)
      第六十二代天皇
      在位
      天慶九年四月二十八日(946年5月31日)
      ~
康保四年五月二十五日(967年7月5日)
      諱は成明(なりあきら)
天慶七年(944年)四月二十二日
皇太子
天慶九年四月十三日
朱雀天皇の譲位により践祚
四月二十八日即位
外舅
藤原忠平関白が
      天暦三年(949年)に死去
      後は
      摂関を置かず、親政
      実際には政治権力は
      摂関家の藤原実頼・師輔兄弟
      母の
      穏子や
      兄の
      朱雀法皇も関与し、親政は名目
      平将門・藤原純友の
      承平天慶の乱(935年~940年)後、
      朝廷の財政逼迫
      倹約で物価安定させた・・・?
      天暦五年(951年)
     「後撰集」編纂の下命・・・・・互選拾
      天徳四年(660年)三月
      内裏歌合を催行
     「清涼記」の著者
      治績は「天暦の治」・・・・・転暦の字
      として後世賞賛
      四十二歳で崩御
      村上天皇の後、
      安徳天皇と後醍醐天皇を例外として
      歴代の天皇は
      院号をもって・・・・・・・・音合
      呼ばれるようになった
      ↓     再び
      ↓     天皇号が復活するのは
      ↓     約900年後、
      ↓      ↓
      ↓     江戸時代後期の
      ↓     光格天皇から・・・こうかく
      ↓     コウカクの同音異字のスベテ
      ↓     交書く
      ↓     降格・口角・甲殻
      ↓     高格・高角・高閣
      ↓     広角
      ↓     孝書く・・・木戸孝允
      ↓     考書く・・
      ↓     ↓
      ↓     光格天皇(こうかくてんのう)
      ↓     明和八年八月十五日
      ↓    (1771年9月23日)
      ↓      ~
      ↓     天保十一年十一月十八日
      ↓    (1840年12月11日)
      ↓     第百十九代天皇
      ↓     在位
      ↓     安永八年十一月二十五日
      ↓    (1780年1月1日)
      ↓      ~
      ↓     文化十四年三月二十二日
      ↓    (1817年5月7日)
      ↓     幼名は祐宮(さちのみや)
      ↓     諱は師仁(もろひと)
      ↓     後に
      ↓     兼仁(ともひと)に改め
      ↓     天明の大飢饉の際には幕府に
      ↓     領民救済を申し入
      ↓     ゴローニン事件の経過を報告させる
      ↓     尊号一件
      ↓     天皇になったことのない父
      ↓     典仁親王に、太上天皇号を贈号で
      ↓     幕府の反対によって断念
      ↓     尊王思想の発端
      ↓     文化四年七月十八日
      ↓    (1807年8月21日)
      ↓     恵仁親王(仁孝天皇)を治定
      ↓     文化六年三月二十四日
      ↓    (1809年5月8日)
      ↓     に皇太子とした
      ↓     文化十四年三月二十二日
      ↓    (1817年5月7日)
      ↓     仁孝天皇に譲位
      ↓     三月二十四日(5月9日)に
      ↓     太上天皇となる(最後の太上天皇)
      ↓     天保十一年十一月十八日
      ↓    (1840年12月11日)
      ↓     崩御。69(六十九)歳
      ↓     現在の皇統は、
      ↓     光格天皇から続いているものである・・・?
      ↓      ↓
      村上天皇の
      皇子
      具平親王の・・・・・・・・具表・虞兵・愚豹
      裔は
     「村上源氏」として、・・・・務等加味源字
      宮廷政治に影響力を有した・・・
      ↓
      もうヒトリ、後の
      ↓
      後村上天皇
      南北朝時代の
      第九十七代天皇
      南朝の
      第二代天皇
      在位
      延元四年=暦応二年八月十五日
     (1339年9月18日)
      ~
      正平二十三年=応安元年三月十一日
     (1368年3月29日)
      諱は義良(のりよし・のりなが)
      後に
      憲良に改めた・・・憲法の良
      父・後醍醐天皇の
      第七皇子
      南朝の京都回復を図り、
      大和(奈良県)の
      吉野・賀名生、
      摂津(大阪府)の住吉などを行宮
      明治四十四年(1911年)
      南朝が正統とされ
      歴代天皇として認定
      義良(後村上天皇)は
      北条氏の残党の討伐と東国武士の帰属を目的に
      北畠親房・顕家父子に奉じられて奥州多賀城へ
      建武元年(1334年)五月
      多賀城で親王となる
      建武二年(1335年)
      足利尊氏が新政から離反
      建武三年(1336年)三月
      比叡山で元服
      三品陸奥太守に叙任
      延元二年=建武四年(1337年)
      多賀城が襲撃
      霊山に難を避け、
      八月に再度上洛
      十二月に鎌倉を攻略
      延元三年=暦応元年(1338年)一月
      美濃国青野原の戦いで足利方を撃破
      伊勢・伊賀方面に転進した後、
      父天皇のいる大和の吉野行宮に入った
      天皇が全国の南朝勢力を結集するため各地に
      自らの皇子を派遣
      九月に
      義良親王も宗良親王とともに
      北畠親房・顕信に奉じられ、
      伊勢国大湊から
      三たび奥州を目指すが、暴風に遭って
      一行は離散し、親王の船は伊勢に漂着
      延元四年=暦応二年(1339年)三月
      吉野へ戻り、皇太子となった
      八月十五日に・・・・・・八月十五日は終戦記念日
      天皇の譲位を受けて
      践祚する
      ↓
      正平十四年=延文四年(1359年)十二月
      観心寺(大阪府河内長野市)に移り、翌年9月には住吉まで北上。
      正平十六年=康安元年(1361年)
      執事細川清氏の帰順
      十二月八日
      四条隆俊・楠木正儀らが京へ攻め、京を回復
      義詮軍の反撃で、十二月二十六日撤退
      正平二十二年=貞治六年(1367年)四月
      葉室光資をして幕府との和睦交渉
      和議は決裂
      翌正平二十三年=応安元年(1368年)
      三月十一日子刻
      住吉大社宮司津守氏の住之江殿にて崩御
      享年四十一
      奥羽に異常に関心を示した
      明治天皇は「後村上天皇」の末裔?・・・かも・・・
ーー↓枕草子
 雪の・・・説之
 いと・・・意図
 高う・・・
 降り・・・
 たり・・・
 けるを、・・・
 楊器に・・・ようき=様器・規定どおりに作られた
              儀式用の食器・・・・?
       ・・・字面からは「やなぎ(楊)のウツワ」
       「ヨウキ・」に
       「楊(貴)妃」似
        妖気・陽気・揚期
        容器・熔器→熔鉱炉・鎔鉱炉
        揚生・楊木(柳)→柳沢
           楊子→耶楊子(ヤン・ヨーステン)
              八重洲口の由来
           揚棄→アウフヘーベン(独逸語)=止揚
               ↓ 昜=日+一+勿
               ↓「昜(ひ・陽・ヨウ)」
               ↓「昜=日+一+勿
               ↓ 勿=なかれ・モチ・ブツ 
               ↓ 揚=扌(手)+昜
               ↓「易(かえる・エキ・ヤク)」
               ↓「昜」≠「易」・・・異字
           肯定(正)→否定(反)→高みに揚げる(合)
               ↓
           要は「天婦羅・天麩羅
              唐揚・空揚」、
              油での揚げ物の作り方である
              1669年(寛文九年)の「食道記」
           要記・耀記→鳥居耀蔵
                ↓
               「てんぷら」の語原説
                ↓
        ポルトガル語の「temperar=調味料を加える」
        葡萄牙    「油を使用して硬くする」
               「三人称単数の temper
                tempero(調理あるいは調味料)」
               「templo (寺の精進料理)」
               「temporal (一時的な・臨時の)」
               「temporras(金曜日の祭り)」
        スペイン語・イタリア語の
        西班牙   伊太利亜
               「témporas(天上の日・斎日=Ember Days」
       「天婦羅・天麩羅」の漢字語原
                ↓
        山東京伝=「天竺浪人がふらりと江戸に出てきて始めた」
             「天麩羅阿希(あぶらあげ)」の
             「阿希」を端折った読み
       ・・・同音ならば英語の「temporary」か、
       ↓          「ten Emperor(s)」・・・?
       ↓          「tenth Emperor」・・・?
       ↓             ↓
       ↓  「朕は国家なり(ルイ14世)」
       ↓  「WE(朕)
           ARE
           THE STATES(国家)」の説明・・・?
「WE」は「国王」のみが使用できるコトバとは・・・?
           コレは「日本語」からの「逆解釈」ではないのか?
          「I」ではなく
          「WE」を「単数名称」として使用とは・・・?
           ・・・コレは、やっぱ「複数」の意味ではないのか・・・
          「WE」は「臣下・臣民」を含めた「王」・・・
          「私たち」は「国家」であるのは
          「STATE」が「領土内」の組織、構成の
          「状態・ありさま・様子」だから・・・
          「国王の権力(Emperor)」を云っているワケではない
           しかも、文法的にも
          「動詞」が「WE AM」ではなく「ARE」である・・・
           歴史的に「例外」は、ナンにでも「アル」か・・・
           では「WE」は領民にとって日常生活で
          「禁語・忌詞」だったのか?
          「WE」に代用されるコトバは何であったのか?
          「複数」が「名詞・動詞」の変化にうるさいのは
           西欧語である・・・
           日本語は「数詞」がクサルほどアルが
           「名詞・動詞」の変化は無い・・・
        で、ついでに
       スペイン語では「Te amoテ・アモ」と
              「Te quiero.(テ・キエロ)」は
              「君を愛している」で「te」は「君・あなた」
              「querer( ケレール)」は「欲しい」
       で、ボク的には「君」→「訓」か「黄身・黄味・木見」で
       「猿(猨)女君」で、「黄帝(姫)」である・・・
ーー
 もらせ・・・・盛らせ・洩らせ・漏らせ・守らせ
 給ひて、・・・たまひて
        ↓  給(キュウ)=糸+合
       「霊・魂」比出
       「珠・玉」妃出
       「多磨・多摩」被出
       「偶→偶々・偶然・偶数」比出
       「弾」射て
 梅の・・・・「うめ・バイ」之
        ↓  梅=木+毎
        梅園・梅山・梅里
 花を・・・・・はなを→(下駄・ゲタ)の鼻緒
             ゲタ=「〓」印刷のゲタ
 さして、・・・
 月・・・・・・つき・ゲツ
 いと・・・・・意図
 明きに、・・・明らか爾
 「これに・・・
  歌・・・・・
  よめ、・・・
  いかが・・・
  いふ・・・
  べき」・・・
 と・・・
 兵衞の・・・
 藏人に・・・
 賜び・・・たまわび・たまび・シ
      賜=貝+易
        目+人+日+勿
 たり・・・
 けれ・・・
 ば、・・・
 雪月花の・・・雪月花(せつげつか、せつげっか)は、
        白居易の詩「寄殷協律」の
        一句「雪月花時最憶君
          (雪月花の時 最も君を憶ふ)」
                 ↓
                 歳 組 重附
                 サイクンオク
                 再 訓 置
       「殷協律」は白居易の部下
        ↓    履虚位
        インキョウリツ
        音 共  立
        初出は
       「万葉集・巻十八」の
        ↓
        萬用習・換壱拾八
       「大伴家持」の歌
        ↓
        タイハンカジ
        大 藩 加地
        代 反 加字
        第 判 掛字
       「雪月花時最憶君」は
       「和漢朗詠集・交友の部」に前句に採用
        大伴家持の歌は
        天平勝宝元年(749年)三十二歳の作
        白居易の詩は
        宝暦元年(825年)五十四歳頃の作
        ・・・らしい?
        和語としては
       「月雪花(つきゆきはな)」の
        順で用いる・・・
        ↓
        付き(尽き)
        行き(由紀)
        葉名(鼻・塙)
        解通説掛
ーー↓
 時と・・・ときと・説き図
     「鴇・朱鷺」渡
     「とき・ジ」の同音異字のスベテ
 奏し・・・ソウシ
 たり・・・
 ける・・・
 こそ、・・・
 いみじう・・・意味字得
 めで・・・・・目出
 させ・・・
 給ひ・・・
 けれ。・・・
 「歌など・・・
  よまん・・・
  には・・・
  世の常なり・・・、ヨのジョウ(つね)
  かう・・・・・考・交・項・甲・庚
         公・孝・口
  折に・・・・・「折=手+斤」に
  あひたる・・・
  事なん、・・・
  言ひ難き」・・・
 と・・・
 こそ・・・
 仰せ・・・
 られ・・・
 けれ。・・・
 同じ・・・
 人を・・・
 御供・・・・おんとも・音伴
       オンキョウ・音響
 にて、・・・
 殿上に・・・伝条爾
 人・・・
 侍はざり・・・はべはざり
 ける・・・
 程、・・・・
ーー
 佇・・・・・たたずむ
       チョ・ジョ
 ませ・・・・(たたず)ませ
       「立たず・建たず
        断たず・絶たず
        経たず・起たず
        裁たず・発たず」
        増せ・真施
ーー↓
 おはします・・・
 に、・・・
 すびつの・・・炭櫃の
        素備通之
 烟の・・・・・けむい・けむる・エン
        煙・煙
       「けむり→懸務理・化無理」之
 立ち・・・
 ければ、・・・
 「かれは・・・
  何の烟ぞ、・・・
  見て來」・・・
 と・・・
 仰せ・・・
 られ・・・
 ければ、・・・
 見て・・・
 かへり・・・
 參りて、・・・
 わたつみの・・・「海神・棉摘・綿積」之
          ↓
          海人・海士・海女
          ↓
          海軍=水軍
          ↓
          灰燼・灰塵
          わたつみの
          話詫罪 之
 沖に・・・
 こがるる・・・焦臥留流・扱画留留
        漕がるる        
 物・・・
 見れば・・・
 あまの・・・
 釣・・・・・つるす
       チョウ
 して・・・・
 かへる・・・
 なり・・・
 けり・・・
 と・・・
 奏し・・・
 ける・・・
 こそ・・・
 をかしけれ。・・・
 蛙の・・・・・・・カエル之
 飛び・・・・・・・渡日・図備・賭尾
 入りて・・・・
 こがる・・・
 る・・・
 なり・・・
 けり。・・・
ーーーーー
 ・・・「海行かば」であるカナ、「大伴」君・・・海軍、軍船、軍艦の末路・・・
ーーーーー
(一八一段)・・・百八十一段・壱佰八拾壱段・壱八壱段・陌捌足壱段
          1+8+1=10=十=壱拾=一足
          1×8×1=8=八=捌
 御形の・・・「音形・音計」之
 宣旨、・・・センジ→千字・潜字・撰字
       戦 時
 五寸・・・・ごすん・語寸・後諏務・誤寸
 ばかり・・・秤
 なる・・・
 殿上・・・・伝條・伝情
       伝常→出ん常陸→水戸
          大日本史
 わらはの・・・稿葉之
 いと・・・・・
 をかしげ・・・
 なるを・・・
 つくりて、・・・
 髻結ひ、・・・かみゆひ→加味結意
        髻    神結比・上諭意
        ↓
        もとどり・たぶさ
 裝束・・・・・ショウゾク→小賊・商賊
        章  続・証足・症続
 など・・・・・等
 うるはしく・・・
 して、・・・
 名かきて・・・
 奉らせ・・・
 たり・・・
 けるに、・・・
 とも・・・・・伴
 あきらの・・「明・章・光・幌・憲・昭」之
        アキラの同音異字のスベテ
 おほきみ・・・
 と書き・・・・ト書き
 たり・・・
 ける・・・
 を・・・
 こそ、・・・
 いみじう・・・
 せ・・・
 させ・・・
 給ひ・・・
 けれ。・・・
ーーーーー
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灰至はチリ(塵・地利・地理・知里・散)に到る

2013-10-29 10:40:29 | 古事記字源
 ・・・朝の十時からガン検診の日・・・自己申告の書き込用紙のタバコのラン・・・検尿の尿は忘れたコトにしたが、診察現場で採取を要請された・・・それ以前に検診場所を間違えてしまった・・・レンガ色の公民館・・・小さな町なのに、アイも変わらず方向音痴・・・カンジ音痴・・・
 ・・・そうですか・・・ボクのせいですか・・・「ウラミ」も「ノロイ」」も引き受けるョ・・・ナニをするにも、「生きて選択」するのは「君の勝手」で、「自由」である・・・それも「生きていればコソ」である・・・でも、その「選択」を生きて出来ないヒトもいる・・・今朝、オフクロが「おはよう」って看護婦さんに言葉をかけてくれたそうだが・・・
 ・・・ウラミを果たさずの・・・「灰死」は厭だろう・・・まいサン・・・

ーーーーー

 枕草子

 (一七九段)・・・百七十九段・壱佰七拾九段・壱七九段・陌漆足玖段

          1+7+9=17=十七=壱拾七=足漆

          1×7×9=63=六十三=六拾参=陸足参

 雪の・・・・ゆき・「行記・湯記・湯紀・喩記」之

       セツ・「節・説・切・設・接」之

 いと・・・・意図・異図

 高くは・・・たかくわ・他掛句葉

 あらで、・・新出

 うすら・・・得諏等

 か・・・・・化・掛

 に・・・・・爾・似

 降り・・・・ふり・譜理・振り

 たる・・・・他留・多留・詫留

 などは、・・名度葉

 いと・・・・異図

 こそ・・・・拠素・子祖・故蘇・児曾(會)・古遡

       虎措←於菟(オト)・於兎→虎蘇・古楚

 をかし

 けれ。

 又

 雪の・・・・説之・・・雪辱・・・

 いと

 高く

 降り

 積み・・・・ツミの同音異字のスベテ

 たる

 夕暮・・・・ゆうぐれ・夕繰・結う繰れ・又刳れ・夕昏

       セキボ・籍簿・・・鬼籍

 より、・・・撚り

 端・・・・・はた

 ちかう、・・違う

 同じ・・・・おなじ・同字・於名字・於詰

 心なる・・・ココロなる

 人・・・・・ヒト

 二三・・・・弐拾参

 人・・・・・ヒト・ジン・ニン

 ばかり、・・葉借り・計り・量り・測り・図り

       場借り・秤・謀り・諮り

 火桶・・・・ひおけ・比於懸

       カトウ・カツウ

 中に・・・・ナカに

 居ゑて、・・意重出

 物語

 など

 する

 ほどに、

 暗う・・・・・くろう・苦労・繰ろう

 なり

 ぬれば、・・・塗れば・濡れ場・ヌ例葉(場)

 こなた

 には

 火も

 ともさぬに、

 大かた

 雪の・・・・・蛍雪之

 光

 いと

 白う・・・・・しろう・史郎・詞漏・詩弄

 見え

 たるに、

 火箸・・・・・ひばし・比場史

        カチョ・カジョ

 して

 灰など・・・・「はい・葉意」等

        カイ・甲斐・歌意・化意

        ケ・化・ケの同音文字のスベテ

        熟語

        ↓

        灰暗・灰白・灰不喇唧・灰不喇唧的

        灰不溜丢・灰不溜丢的・灰尘・灰塵

        灰尘肺・灰沉沉・灰沉沉的・灰顶

        灰肥・灰分・灰膏・灰姑娘・灰浆・灰烬

        灰糊糊・灰糊糊的・灰化土・灰口铁

        灰溜溜・灰溜溜的・微塵粉灰

        乱離粉灰・・・飲灰洗胃

        灰色=にび色

           鈍色(にびいろ、にぶいろ)

ーー↓

 かき

 すさびて、

 あはれ

 なるも

 をかしきも、

 いひ

 あはする

 こそ

 をかしけれ。

 よひも

 過ぎぬ

 らんと

 思ふ

 ほどに、

 沓の・・・・くつ之・沓之←泉之上下置き換え字

 音近う・・・軍靴の音近う・・・

ーー↓

 聞ゆれば、

 怪しと

 見出し

 たるに、

 時々

 かやうの

 折、

 おぼえなく・・・

 見ゆる

 人・・・・・・・幽霊・英霊かも・・・

 なりけり。

ーー↓

 今日の

 雪を・・・・説を

 いかにと

 思ひ

 きこえ

 ながら、

 何

 でふ・・・・出附

 事に・・・・ジに・字爾

      「自・辞・時・次・児」邇

 さはり、・・障り・触り・作話理・差貼り

 そこに・・・底に・其処に・・・黄泉に

 暮し・・・・くらし・句等詞

 つる

 よし

 など

 いふ。

 今日

 來ん人を

 な・・・・納

 ど・・・・土

 やう・・・様・曜・耀・用

 の

 すぢを・・「素字・数字」於

 ぞ

 言ふ

 らん・・・乱

 かし。

 晝より

 ありつる

 事

 どもを

 うち

 はじめて、

 よろづの

 事を

 いひ

 笑ひ、・・・わらひ・和良比・話裸意

       和等比・倭等為

       稿 比

 圓座・・・・エンザ・円坐・塩座・猿座・宴座・延座

       sit in a circle

       円座←座=両替商・銀行→銀座

       ↓

       香川県高松市

       円座町

       円座駅=高松琴平電気鉄道琴平線の駅

       ↓     琴平街道=金毘羅五街道

       ↓  (丸亀、多度津、高松、阿波、伊予土佐街道)

       十一面円座観世音

       茨城県北浦の繁昌地区の

       金仙寺(曹洞宗)の十一面円座観世音

       安産子縁の仏様

       円座=藁縄で作った円形の座布団

       ↓

       円卓会議の騎士の12座席(アーサー王)

       魔術師マーリンが円卓にかけた魔法

       円卓にはイエス・キリストと

       12人の使徒を模して13の席があったとされる。

      「キリスト」に対応するアーサー自身が一つの席に座り、

       残りの席に一人ずつ騎士たちが座っていた

       13番目の席のみは例外的に誰も座っていなかった。

       13番目の席は

       イスカリオテのユダの席

       魔術師マーリンが席に呪いをかけ、

       座る者は呪いに冒され「危険な座」と呼ばれた

       新王が足を乗せると叫び声を上げるという、

       アイルランドのファルの石からできている

       円卓の騎士の一人である

       ランスロットの息子

       ガラハッドがこの席に座り、呪いに打ち勝って

       12番目の騎士になった

       彼が聖杯を手にして天に召されたのちは

       再び空席となった・・・?

   ・・・「最後の晩餐の絵」の席は

      「円卓=対等」ではない・・・「長卓」・・・?

       ↓

       日本銀行券=円(Yen)・・・?

            エン→ィエン

             円=つぶら・まるい

               螺=巻貝

       大同元年(1932年)

       満州国建国宣言の3ヵ月後の

       6月11日

       満州国貨幣法が施行

       され通貨単位として「圓(Yuan)」が規定

       旧来の中国の幣制に倣った銀本位制であったが、

       康徳二年(1935年)

       中華民国政府は不換紙幣である法幣を発行

       満州国圓は同年11月から金本位制に基づく

       日本の通貨に対し固定相場制として等価に定められた

       発行した紙幣(満州中央銀行券)は不換紙幣

       金本位制は名目上のものであった

ーー

 さし

 出し

 たれど、

 片つ方の・・・・偏通法之

 ↓       偏は漢字左の部首

 足は・・・・・・アシは・・・・

 ↓      「お足」とは「金・銭」

         中国晋時代の

        「翼なくして飛び、

         足なくして走る(銭神論)」・・・?

         別称

         交換要脚

         ゲル・ゲルト・先立つ物・銭こ

         黄白・ちゃんころ・お銭・金銭

         用脚・黄金・銀子・金子・丸物

         鳥目・阿堵物・用脚

         つぶ(粒)=小銭

               ムクロジ=無患子=木患子

                    石鹸の木

               むくろじ=無垢賂字?

         つぶ(螺)=巻貝→貝はカネ=宝貝

                  子安貝

         部首が「足→儿」の漢字

         跂趾趺跏跚跖跌跛跋跪跫跟跣跼踈踉

         跿踝踞踐踟蹂踵踰踴蹊蹇蹉蹌蹐蹈蹙

         蹤蹠踪蹣蹕蹶蹲蹼躁躇躅躄躋躊躓躑

         躔躙躪躡

         足の病はタギタギシイの

        「日本建」・・・アキレス・・・

ーー↓

 しもながら・・・下長柄・詞摸乍

         足=口+ト+人→人の字の右長

           下級の人物ながら=足軽・徒歩

 あるに、

 鐘の・・・・・・「鐘=金+童」之・・・兼ね・加ね

            混 同・金銅・金堂・近藤

 音の

 聞ゆる

 までに

 なり

 ぬれど、

 内にも・・・・・ウチにも・・・国内

 外にも、・・・・ソトにも・・・国外

 いふ

 事どもは

 飽かず・・・・・開かず・明かす

         銅事・閼伽事・垢事・赤事

 ぞ

 おぼゆる。

 昧爽の・・・・「マイソウ=明け方のほの暗い時

              昧旦(マイタン)」之

         まいそう・埋葬・毎想・米躁・舞奏

 ほどに

 歸るとて、・・・カエルとて

 雪

 何の山に・・・・伊吹山・息吹山

 滿てると

 うち

 誦じ

 たるは、

 いと

 をかしき

 ものなり。

ーー

 女の・・・・・・音名之

 かぎり・・・・・掛義理

         女の限り・・・閉経

ーー↓

 しては、

 さも

 え

 居・・・・・・・意

 明さざら

 ましを、

 ただ

 なる

 よりは

 いと

 をかしう、

 すき・・・・・・隙・数寄・数奇

         透き・鋤・鍬

         漉き・剥き

         梳き・・・髪を梳く

              紙・神

              加味

 たる

 有樣

 などを

 言ひ

 あはせ

 たる。

ーーーーー

 ・・・いひ合わせ他留・・・

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我審頌(公+頁)譚

2013-10-28 11:56:12 | 古事記字源
 臥薪嘗胆・・・野球、サッカー、勝負の世界はスポーツとゲームの中だけにして欲しい・・・それに、腕相撲ですかね、八重さん、大山巌君・・・「捨て松」もカッコいいけれど・・・「鹿鳴館」・・・ロック名換・・・
 「鹿鳴館(ロクメイカン)」・・・「録名鑑」・・・

 「六=亠+八=陸」の「名鑑・名換」・・・

 「鹿=deer・ディーア・ディアー」

 「親愛なる=dear・ディーア・ディアー」

 「6=six(スィクス→疾駆す→疾苦素)」

 「陸=land(ランド→覧度)・shore(ショァ→書亜) 」

    ・・・・・「陸亀=tortoise」→トォタス→十足す

    ローマ字読みなら「トぅトィス」→尊い主

 「鹿の鳴き声(bell・ベル→部留)」

 「館=palace→はれ素・城=castle→脚素留・伽諏留→お伽」

 「舞踏室=Dancehall→箪笥(団子)補於留・dance hall

      ballroom→ボールルーム=舞踏会場

          「玉・球・まり」の「部屋」

           望得留・暴得留・謀雨流

      バレ(ばれ)留得武」

      バレル(バーレル、barrel)=樽(木+尊)→足る

      バレー(volleyball・バレーボールの略)

          舞踏

          valley=谷

ーー

 ボクには「キキトレナイ、クベツデキナイ、ドウショウモナイ、ワカンナイ」英語です・・・で、以下はボクの「家頁の小説(novel・ノベル→述べる)」です・・・ヒマなら・・・トライ(渡来)してみる・・・

ーー

http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/hime12.htm

http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/hime12a.htm

http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/hime12a2.htm

ーー↓

 臥薪嘗胆の発端とエピソード

  ↓

 楚の霊王(在位・540年~前529年)

 諸侯や淮夷らと

 申で会盟したのを機会に

 淮夷は楚に朝貢し、盟を守った

 後に

 越が琅邪に遷都すると、

 越王の勾践は淮夷を征伐し、

 諸夏を撃って

 山東地方の小国を侵略した。

 秦が六国を併合して中国を統一(前221年)

 淮夷や泗夷はすべて分散し、

 秦の民戸となる。

 中国東北部の東夷

 陳勝・呉広の乱

 秦朝が滅ぶと(前207年)、

 燕人の

 衛満は避地である朝鮮に拠り(前195年)、

 その国の王となった

 (衛氏朝鮮

  100余年後、前漢 武帝によって衛氏朝鮮が滅ぼされると(前108年)、

  中国東北部の東夷諸族は漢王朝に朝貢)

 新の

 王莽が帝位を簒奪すると(8年)、

 貊人は辺境を寇した。

 後漢の建武(25年・56年)の初め、

 東夷諸国はふたたび朝貢

 遼東太守の

 祭肜の威勢は北方の諸族を畏れさせたため、

 その名声が海の向こうにまで届き

 濊

 貊

 倭

 韓

 諸族が中国に朝貢

 章帝・和帝以後は使節が往来

 安帝の永初年間(107年~114年)

 後漢の政治が多難になると、

 東夷諸族が初めて入寇

 桓帝・霊帝の失政

 後漢末期の動乱

 遼東地域には

 公孫氏が三代が割拠

 中国と東夷諸国との国交が断絶

 魏の

 景初年間(237年~240年)

 明帝(曹叡)は

 司馬懿 に命じて

 公孫淵の討伐

 楽浪郡や帯方郡までを支配(238年)

 東夷諸国は魏に屈服

 その歴史は

 二十四史の各『 東夷伝』に記録

 周代以前の「夷」は

 江蘇省や山東省付近の種族を指していた

 「夷」の意味

 「後漢書・東夷伝」

 初めの「夷」には侮蔑的な意味合いはない

 東夷と呼ばれた人々が漢民族に同化されていくと、

 「東夷」という言葉は

 中国東北部や朝鮮半島の

 「濊・貊・倭・韓」といった諸族を指す用語となった

 「東夷は一般に心穏やかに行動し、心に謹むことを慣習としている。

  これは他の三方の蛮夷(北狄・西戎・南蛮)と異なる」とし、

 「東夷諸国は夷狄の邦(くに)といえども、

  俎豆(そとう)の礼がある。

  中国ではすでにその礼を失ってしまったが、

  東夷ではそれがまだ信じられている」

 と記録

  日本では

 「夷」を「えびす・えみし・ころす・たいらげる」と訓読

 東国の武士を

 「蝦夷(えぞ・えびす)」や「東夷(あずまえびす)」

 と呼称・・・

ーーーーー

 枕草子

 (一七八段)・・・百七十八段・壱佰七拾八段・壱七八段・陌漆足捌段

          1+7+8=16=十六=壱拾六=足陸

          1×7×8=56=五十六=五拾六=伍足陸

 宮仕人の

 里なども、

 親ども

 二人

 あるはよし。

 人しげく出で入り、

 奧のかたに

 あまたさまざまの

 聲多く聞え、

 馬の音して

 騒しきまで

 あれど

 かなし。

 されど

 忍びても

 あらはれても、

 おのづから、

 「出で給ひけるを知らで」

 とも、

 「又いつか參り給ふ」

 なども

 いひに

 さし

 のぞく。

 心かけたる人は、

 「いかがは」

 と

 門あけなどするを、

 うたて

 騒しう

 あやふげに、

 夜半まで

 など

 思ひたる

 けしき、・・・・景色・気色・懸史記

 いと

 にくし。

 「大御門は・・・代音文葉

  さしつや」・・叉詞通哉

 など

 問は

 すれば、

 「まだ人の

  おはすれば」

 など、

 なま・・・・・・名真

 ふせ・・・・・・伏せ・臥せ・附せ・布施・譜施

 がし・・・・・・掛詞・賀史

 げ・・・・・・・解・気・下・外

 に

 思ひて

 答ふるに、

 「人

  出で

  給ひなば

  疾く・・・・・とく・読・説く・得・涜・解・匿

  させ。

  このごろは・・「此の頃・今頃・この語路」葉

  盗人・・・・・唐人・当人・読訊

  いと

  多かり」

 など

 いひ・・・・・・意比

 たる、

 いと

 むつかしう、・・「六つ・陸奥・睦・武都」可視得

 うち

 聞く

 人

 だに・・・・・・拿似

 あり。

 この人の供なるものども、

 この客今や出づると、

 絶えずさしのぞきて、

 けしき見るものどもを、

 わらふ・・・・・・・話等附

 べかめり。・・・・・部科目理

 眞似うちするも、

 聞きては

 いかに・・・・・・・異化似・如何に

 いとど・・・・・・・意図度・緯渡度

 嚴しう・・・・・・・きびしう・吉備史有

 いひ

 咎めん。・・・・・・とがめん・渡臥面・図画面

 いと

 色に

 出でて

 いはぬも、

 思ふ

 心なき人は、

 必來などやする。・・・筆記・比津基

 されど

 健なる・・・・すこやかなる

 かたは、

 「夜更けぬ、

  御門も

  あやふか

  なる」

 といひて・・問い出

 ぬる・・・・ヌル→間隙をヌル

 も

 あり。

 誠に

 志・・・・・・アンビシャス→札幌→農学校

        魏志倭人伝

 ことなる

 人は、

 「はや」

 など

 あまた

 度やらはるれど、

 猶

 居あかせば、・・・・意明かせば

 たびたび

 ありくに、

 あけぬ

 べき

 けしきを

 めづらかに

 思ひて、

 「いみじき・意味字記

 御門を、・・語文

 今宵ら・・・こよい羅・古与意等

 いさうと・・位座得図→伊邪有途

 あけ

 ひろげて」

 と

 聞え

 ごちて、・・・語知出

 あぢき・・・・味気・安食・阿字記

 なく

 曉に・・・・・あかつきに

       「赤・閼伽・垢・銅・淦・亜科」付き爾

 ぞ

 さす

 なる。

 いかが

 にくき。

 親

 そひ

 ぬるは・・・・塗る葉

 猶

 こそあれ。

 まして

 誠ならぬは、

 いかに

 思ふらんと

 さへ

 つつま・・・・津津摩・津通摩(摩=摩天楼=山)

 しうて。

 兄の・・・・・ケイの・罫之・あにの・エ之

 家

 なども、

 實に

 聞くには

 さぞあらん。

 夜中

 曉ともなく、

 門

 いと

 心がし

 こくも

 なく、

 何の宮、・・・南之視也・納埜視也

        名似の究(求・球→球磨)

 内裏・・・・・名意理

 わたりの・・「渉り・渡り・亘り・亙り」之

 殿ばらなる・・伝バラ名留

 人々の

 出で

 あひなどして、

 格子・・・・・合史

 なども・・・・等摸

 あげ・・・・「揚げ・挙げ・上げ」

 ながら・・・・長柄・乍・名臥等

 冬の・・・・・ふゆの・トウの

        附喩之

        不愉之

        トウの

        問之・島之・当之

        等之・読之・答之

 夜を・・・・・与緒・余於

 居・・・・・・意

 あかして、・・明かして→解き明かす

 人の出で・・・日渡之意出

 ぬる・・・・・塗る

 後も、・・・・語

 見出し

 たる

 こそ

 をかしけれ。

 有明・・・・・有明(海)

 などは

 まして

 いと

 をかし。・・・可笑しい・可変しい・お貸し

        御菓子→甘い

        侵し・犯し・冒し・丘氏・オカシ

 笛など

 吹きて

 出で

 ぬるを、

 我は

 急ぎても

 寢られず、

 人のうへなどもいひ、

 歌など

 語り

 聞くままに、

 寢いり

 ぬる

 こそ

 をかしけれ。

ーーーーー

 ・・・オカシ、懸例・・・

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砥部ッ!!フェニックス・・・

2013-10-26 20:26:34 | 古事記字源
 ・・・台風、地震・・・それでも「原発」・・・「自国民」を空洞化させてきたモノは「モウケ」の追求・・・「飛べ、フェニックス」ってアメリカ映画があったけれど・・・羽根が無くても跳べるもの・・・高飛び、幅跳び、三段跳び・・・the hop, step, and jump・・・triple jump(トリプル ジャンプ)・・・
 とべッ!!・・・ふェにッくす・・・

ーー

http://www.youtube.com/watch?v=IACjOvyx5hs

http://www.youtube.com/watch?v=gD2D83XNLHY

全編
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=pxaDOazi730

ーーーーー

 枕草子

 (一六九段)・・・・・百六十九段・壱佰六拾九段・壱六九段・陌陸足玖段

            1+6+9=16=十六=壱拾六=足陸

            1×6×9=54=五十四=五拾四=伍足肆

 經は・・・・キョウは

 不斷經。・・・・フダンキョウ

ーーーーー

 (一七〇段)・・・・・百七十段・壱佰七拾段・壱七拾段・陌漆足段

            1+7+0=8=八=捌

            1×7×0=0=零

 近くてとほきもの・・・・

 宮のほとりの祭。・・・・

 思はぬ兄弟、・・・・

 親族の中。・・・・

 鞍馬の九折といふ道。・・・・

 十二月の晦日、・・・・

 正月一日のほど。・・・・

ーーーーー

 (一七一段)・・・・・百七十一段・壱佰七拾壱段・壱七壱段・陌漆足壱段

            1+7+1=9=九=玖

            1×7×1=7=七=漆

 遠くて・・・・・・十句出(で・て)・闘苦で・等句で

               (て・氐・弖)

            出(で)=山+山→病が重なる・散々・纂竄

            弟(で)=八+弔(弓|)+ノ=乙=L

                   弓+|+ノ   Z

 ちかきもの・・・・知化記モノ

 極樂。・・・・・・語句等句・局等苦・曲樂・旭絡

 船の道。・・・・・附音の同(如何・みち=未知・満・路・途)

          航路は蝦夷地か、海路(カイロ)は世界か

             渡島   エジプト(埃及)カイロ

                (Cairo・改羅・開羅・該禄)

 男女の中。・・・・「おとこ(音拠)」と「おんな(音名)」の「名化」

ーーーーー

 (一七二段)・・・・・百七十二段・壱佰七拾弐段・壱七弐段・陌漆足仁段

            1+7+2=10=十=壱拾=足

            1×7×2=14=十四=壱拾四=足肆

 井は・・・・・・・異葉・・・イの同音異字のスベテ

 堀兼の井。・・・・ほりがねのゐ(い)・クツケン之意・履兼の意

          保理を兼、之、意

          堀=十+一+尸+出

 走井は・・・・・・はしりいは・ソウイは=「相違・相異・創痍・装威」葉

          葉史理意葉

 逢阪・・・・・・・おうさか・あうさか・ホウハン

 なるが・・・・・・名留賀(臥)

 をかしき。・・・・可笑しき・尾化誌記

          冒し記・丘如き・岡敷・於掛史記

          於カジキ(梶木・舵木・旗魚)

          於化時期・於化敷き

          措化(佳)字記・・・持統女帝(女皇)

 山の井、・・・・・サンのイ・やま之い

 さしも・・・・・・さし(差指)摸・・・物差・物指←測定器

          差詞摸・査史母(簿)

          挿し艾(御灸)・・・燃える恋

          射し艾葉=もぐさ・させもぐさ

 あさき・・・・・・朝紀・・・古事記・日本書記・六国史

 ためしに・・・・・他召し爾・多目詞爾

         「矯詞・溜史・為志」爾0

          試し似・例し爾

 なり・・・・・・・名理

 はじめけん。・・・葉字目兼

ーーーーー

 (一七三段)・・・・・百七十三段・壱佰七拾参段・壱七参段・陌漆足参段

            1+7+3=11=十一=壱拾壱=足壱

            1×7×3=21=二十一=弐拾壱=仁足壱

 受領は・・・・・・ず(づ)りょうは

         「図領・頭領・事漁」葉(頗)

 紀伊守。・・・・ナゼ、「キイ之守」なのかは、以下・・・

         和銅六年(713年)

         雅字(佳字)二文字で国名をとの勅令が出され

         紀伊国と表記

         斉明天皇の658年(斉明四年)

         紀温湯(牟呂温湯)行幸の記録

         十一月に有馬皇子事件

         ↓

        「ルイス・フロイス」の報告

        「紀州の地には四つ五つの共和国的な存在」

         雑賀衆の国人衆や寺社勢力が支配

         1585年(天正十三年)

         羽柴秀吉の紀州征伐で終焉

         秀吉方は三月二十日に出兵

         和泉の諸城を落とし紀州に攻め入り、

         二十三日に根来寺を焼き討ち

         残党は太田城で抵抗したが、

         秀吉は水攻めで約一ヶ月後に降伏させた

         平定後は刀狩りを命じ、

         後、秀長に任せ、和歌山城を築造

         関ヶ原の戦いの後

         浅野幸長が入封した(紀州藩)

         1619年

         浅野氏が

         安芸広島へ転封

         後、

         徳川家康の

         十男

         徳川頼宣が和歌山に入封

         幕末まで紀州徳川家が統治

         明治維新期の廃藩置県

         高野山領と田辺藩、新宮藩を

         除く地域(紀州藩領)が

         和歌山県となり、

         高野山領が五條県、

         田辺藩領が田辺県、

         新宮藩領が新宮県となった

         後、府県再編により

         紀伊国のうち

         熊野川(北山川)以西が和歌山県

         以東が

         度会県に編入

         後、度会県は

         三重県と合併

         ↓

         武家官位としての紀伊守

         浅野幸長=浅野宗家初代当主・紀伊和歌山藩初代藩主

         浅野光晟=浅野宗家三代当主・安芸広島藩第二代藩主

         浅野長勲=浅野宗家十三代当主・広島藩第十二代藩主

         ↓

         越後村上藩内藤家

         ↓

         本多家

         本多正納=本多正重系本多家九代

              田中藩第七代藩主

              安房長尾藩初代藩主

         ↓

         丹波亀山藩形原松平家

         松平家信=亀山藩形原松平家初代

              形原松平家第六代当主

              三河形原藩主、摂津高槻藩主、

              下総佐倉藩初代藩主

         松平信豪=亀山藩形原松平家十一代

              亀山藩第六代藩主

              井伊直弼の舅

         ↓

         大岡忠宜=三河西大平藩第二代藩主

              大岡忠相の次男

         大岡忠愛=西大平藩第六代藩主

         ↓

         相良頼之=肥後人吉藩第十三代藩主

         ↓

         伊達宗贇=伊予宇和島藩第三代藩主

ーー↓

 和泉。・・・・圧せば命のイズミワク・・・蘭学者・・・

ーーーーー

 (一七四段)・・・・・百七十四段・壱佰七拾四段・壱七四段・陌漆足肆段

            1+7+4=12=十二=壱拾弐=足仁

            1×7×4=28=二十八=弐拾八=念捌

 やどりの・・・・

 つかさの・・・・

 權の・・・・カイの

       会(会津)・蝦夷

       カイの同音異字のスベテ

 守は・・・・モリは・喪理・摸里

 下野。・・・しもつけ・栃木県

 甲斐。・・・かい・山梨県

 越後。・・・えちご・新潟県

 筑後。・・・ちくご・福岡県

       福岡県の南部地域

       久留米市・大牟田市・柳川市

       久留米市が最大の都市

 阿波。・・・あわ・徳島県・・・

       蛙話

       安房・安和・泡・沫・粟

ーーーーー

 (一七五段)・・・・・百七十五段・壱佰七拾五段・壱七五段・陌漆足伍段

            1+7+5=13=十三=壱拾参=足参

            1×7×5=35=三十五=参拾五=参足伍

 大夫は・・・・

 式部大夫。・・・・

 左衛門大夫。・・・・

 史大夫。・・・・

ーーーーー

 (一七六段)・・・・・百七十六段・壱佰七拾六段・壱七六段・陌漆足陸段

            1+7+6=14=十四=壱拾四=足肆

            1×7×6=42=四十二=四拾弐=肆足仁

 六位藏人、・・・・「ろくい・録句意」蔵比賭

 おもひ・・・・

 かくべき事・・・・

 にも・・・・

 あらず・・・・

 かうぶりえて、・・「項(交・考・口・庚・甲・公)振り得て」

 何の大夫、・・・・たゆう・たいふ

          神主・禰宜(ねぎ)などの神職の称

          御師(おし)の称

          芸能をもって神事に奉仕する者の称号

          猿楽座の座長

          江戸時代以降は、

          観世・金春・宝生・金剛の四座の家元

          律令制で

          中宮職(しき)・大膳(だいぜん)職

          左右京職

          修理(しゆり)職

          東宮坊(とうぐうぼう)の長官

         「大輔(たいふ)」と区別するために濁って読む

          ↓

          太夫(たゆう)

          遊女・芸妓の位階の最高位

          遊女、芸妓における太夫の

          称号は江戸時代初期に誕生

          女歌舞伎の芸達者の役者が「太夫」と呼ばれた

          遊廓で遊女の階級性が確立

          美貌と教養を兼ね備え

          最高位の遊女に与えられた

          京の嶋原、江戸の吉原、大坂の新町に配置

          上流階級を相手にし、

          吉野太夫・夕霧太夫・高尾太夫ら

          寛永三名妓が輩出

          宝暦年間に吉原で太夫が消滅し

          代わって

         「散茶(さんちゃ)」と呼ばれる遊女が

         「花魁(おいらん)」と呼ばれた

          京・大坂では「太夫」の名は残り、

         「こったい」と呼ばれた

ーー↓          

 權の守など・・・・

 いふ人の、・・・・

 板屋・・・・

 せばき・・・・

 家・・・・

 もたりて、・・・・

 また・・・・

 小桧垣・・・・

 など・・・・

 新しくし、・・・・

 車・・・・

 やどりに・・・・

 車ひきたて、・・・・

 前ちかく・・・・

 木・・・・・・・記・紀

 おほくして、・・

 牛・・・・・・・うし・ぬし

 つながせて、・・

 草など・・・・

 かはする・・・・

 こそ・・・・

 いと・・・・

 にくけれ。・・・

 庭・・・・

 いと・・・・

 清げにて、・・・・

 紫革して、・・・・

 伊豫簾・・・・イヨのス

 かけ・・・・・

 わたして、・・・・

 布障子・・・・

 はりて・・・・

 住居たる。・・・・

 夜は・・・・

 「門強くさせ」・・・

 など・・・・・・・・

 事行ひたる、・・・「字行・次行・地形・事業」比たる

           ひたる=浸る

 いみじう・・・・・・意味字得

 おひさきなく・・・・老い先無く

           於意前無く

 こころづき・・・・・心付け・記憶・気配り・注意

 なし。・・・・・・・無し

 親の家、・・・・

 舅はさらなり、・・・・

 伯父兄などの・・・・

 住まぬ家、・・・・

 その・・・・

 さるべき人の・・・・

 なからんは、・・・・

 おのづから・・・・

 むつましう、・・・・睦ましう・陸奥真衆(間州)

 うち知りたる・・・・

 受領、・・・・

 又・・・・

 國へ行きて・・・・

 いたづらなる、・・・・

 さらずば・・・・

 女院、・・・・

 宮腹などの・・・・

 屋・・・・

 あ・・・・

 また・・・

 あるに、・・・・

 官まち・・・・

 出でて後、・・・・

 いつしかと・・・・

 よき所・・・・

 尋ね出でて・・・・

 住み・・・・

 たる・・・・

 こそ・・・・

 よけれ。・・・・

ーーーーー

 (一七七段)・・・・・百七十七段・壱佰七拾七段・壱七七段・陌漆足漆段

            1+7+7=15=十五=壱拾五=足伍

            1×7×7=49=四十九=四拾九=肆足玖

 女のひとり住む家などは、

 (音名・・・)

 唯いたう荒れて、

 (只・徒・他拿・多打・多蛇)

 築土なども

 (筑紫十一等摸)

 またからず、

 (又からず→あしからず)

 池などのある所は、

 (意懸)

 水草ゐ、

 (「水葬・吹奏・水槽」ゐ)

 庭なども、

 (「似話・爾和」等摸)

 いと蓬茂りなどこそせねども、

 (意図・・・)

 所々砂の中より青き草見え、

 (トコロドコロ・処々・諸書・・・すな→差・・・)

 淋しげなるこそあはれなれ。

 (寂しいげ・)

 物かしこげに、

 (モノ)

 なだらかに修理して、

 (名拿等化似・・・)

 門

 (モン→「文・問・紋・聞・悶」・かど→過度・鹿渡)

 いとう

 (意問う・意当・意等・・・・)

 かため、

 (加太目・片目)

 きは

 (記葉)

 ぎは

 (紀葉)

 しきは、

 (史記葉)

 いと

 (意図)

 うたて

 (得他出・歌手)

 こそ

 (コソ)

 覺ゆれ。

 (おぼゆれ)

ーーーーー

 ・・・

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ニッポンが本、浦安?←新井甚佐衛門=伊邪那岐命?

2013-10-25 18:27:23 | 古事記字源
 ・・・「(三二三段+奥書)」・・・「一六八段」・・・残りが「166段」・・・「数字=Numbers」にコダワル・・・「人口調査」・・・「人間の数」・・・「老人化」、「少子化」は「国力」に影響するか?
 ・・・「国力」を「国勢=人口数」と考える「国家=支配階級、一族郎党」が存在し、国家内の「被支配階級」の「生殺与奪」をコントロール出来ると幻想をばら撒いている限り「影響」する・・・それも「食える権利=殺される義務」があってのコトである・・・
 「縄張り争い=国家間戦争」は「支配地の拡大」だが、階級国家にとって「支配地の拡大」に「体力の無い老人の数」は無用である。体力が無くても「コンピュータ操作能力のアル老人」はロボット兵器の遠隔操作に有用かもしれないが、その「能力維持」にもイズレ限界がくる・・・
 「人口の増加」は「国力も寿命も保障」しないのはアフリカ諸国のエイズ罹患者や、栄養失調での「短命の多さ」みれば解る。「種の保存のバランス」は「自然界の生死の掟」である。だが、これを「壊し続けてきた」のが「ヨクバリな人間の階級社会」である・・・
 「古事記」でも「イザナギ」は「イザナミ」に「人口増加」を誇ったが・・・単純計算で「一日に500人の人口」は増えるがダレが養育するんだか・・・「絞殺千頭」の「年代・年齢」、「性別」は決まっていない・・・「伊邪那岐命」は「蝸牛」のような「両性具有」でもないくせに、「男」にもかかわらず「男女の子供」を産んだ不思議・・・産まれたのは彼自身の「遺伝子コピー」の「クローン(複製)」ではなかった・・・しかも、「カミ」のくせに「一日絞殺千頭」の一人になってしまた。「籠もっている場所」は「淡海(近江)の多賀(滋賀県犬上郡多賀町)」、「淡道(淡路島、淡路市)の多賀」らしい・・・

 彼は「日本」を「浦安」と名付けた、って・・・?・・・「ホアン・簿案・模按・簿行・保安」・・・初代浦安村村長である「新井甚佐衛門」が「浦(海)やすかれ」と言った・・・?

 「浦安」って、千葉県北西部で「東京ディズニーリゾート」・・・

 東北地方太平洋沖地震(2011年・震度5強)で液状化現象の被害地・・・

  ↑

 1157年(保元二年)  浦安集落誕生

 1415年(応永二十二年)猫真(猫実)に中山法華経寺傘下の講

 1603年(慶長八年)  堀江・猫実・当代島の三村が幕府天領

 1873年(明治六年)  千葉県に編入

 1889年(明治二十二年)四月

              堀江・猫実(ねこざね)・当代島の

              三村が合併し浦安村・浦安小学校開校

 1910年(明治四十三年)

      八月十一日   大洪水

 1917年(大正六年)

      九月三十日   高潮水害(大正六年大津波)

 1919年(大正八年)  高潮水没する(大正6年の大津波)

 ・・・「新話で請話」・・・「振話・震話・浸話・津話」だから?・・・

ーーーー↓古事記原文

 ・・・其石置中、各對立而、度事戸之時、

    伊邪那美命言、愛我那勢命、・・・・「那勢=国勢」?

    ↓      アイガ        生せ・成せ・為せ

    ↓                 名施

    爲如此者、

    汝國之人草、

    一日絞殺千頭。

    爾伊邪那岐命詔、愛我那邇妹命、・・「那邇=国邇」?

    ↓         ナニモ     邇=ちかい・ジ・ニ

    ↓         ナジモ     在邇求遠

    ↓                (ザイジキュウエン)

    ↓                 舎近求遠

    ↓                (シャキンキュウエン)

    ↓                 名字

    汝爲然者、

    吾

    一日立千五百產屋。

    是以

    一日必千人死、・・・・・・・壱千

    一日必千五百人生也。・・・・壱千五百

ーー

 以下、ウイッキペデアより参考抜粋・・・

ーーー

 旧約聖書

 「民数記(みんすうき・英語=Numbers)」・・・視ん数紀・・・

  旧約聖書中の一書

  四番目に置かれた

  モーセ五書の一書

  イスラエルの民の

  人口調査に関する記述

  七十人訳聖書では

 「アリスモイ=数」→「民数記」と呼ばれる

 「ヘブライ語」=「ベミドバル=荒れ野」

  物語

 「出エジプト」の出来事から

 「二年二ヶ月」後に始まり、

 「ヨルダン川」にたどりつくまで

 「40年」

  シナイ山における

 「人口調査」と出発

  ナジル人など種々の規定(1章~10章10節)

  シナイ山から

  モアブにいたる道中

  カナンへの斥候報告に

  うろたえる民(10章11節~21章20節)

  カナンの民との戦い

  ヨルダン川に到達まで(21章21節~36章)

  ↓ 

  1章    シナイの荒野における人口調査、レビ人の務め

  2章    幕屋と宿営地に関する神の指示

  3章    レビ人の祭司としての職務

  4章~6章 レビ人の氏族の調査、汚れやナジル人に関する規定

  7章~9章 祭壇の奉献と聖所の祝別

 10章~12章

         イスラエルの民の荒れ野の旅と不満、

         モーセを蔑ろにした

         アロンとミリアムへの罰

 13章~14章 カナンを偵察した斥候の報告と民の嘆き

 15章~17章 コラの反逆、アロンの杖

 18章~19章 アロンの子孫と

         レビ人の祭司としての役割

 20章~21章 メリバの出来事、

         ミリアムとアロンの死、

         カナン人

         アラドの王の死、

         青銅の蛇による罰、

         アモリの王シホンと

         オグとの戦い

 22章~24章 バラクとバラムの物語

         バラムとろば

 25章~27章 カナン入りを前にした人口調査

         後継者ヨシュアの任命

 28章~29章 献げ物に関する規定

 30章~32章 ミディアンへの勝利

         逃れの街の規定

 33章~36章 エジプトを出てからの旅程

         イスラエルの嗣業の土地

         レビ人の町

         相続人が女性である場合の規定

ーーーーー

 枕草子

 (一六八段)・・・百六十八段・壱佰六拾八段・壱六八段・陌陸足捌段

          1+6+8=15=十五=壱拾五=足伍

          1×6×8=48=四十八=四拾八=肆足捌

 たのもし・・・頼母子(たのもし)

        頼母子講(たのもしこう)

        無尽講(むじんこう)

        金銭の融通を目的とする民間互助組織

        一定の期日に構成員が掛け金を出し、

        くじや入札で決めた当選者に一定の金額を給付し、

        全構成員に行き渡ったとき解散

        鎌倉時代に始まり、江戸時代に流行

 げ・・・・・・解・下・外

 なき・・・

 もの・・・

 心・・・

 みじ・・・

 かくて・・・

 人・・・

 忘れ・・・

 がち・・・

 なる。・・・

 聟の・・・・むこ=婿(女+疋+月)

              疋=ひき・あし・ショ・ソ

          聟(矢+口+耳)

            矢=(ノ一+一+人)

          壻(十+一+疋+月)

                疋=¬+ト+人

       結婚して妻の家系に入った男

 夜・・・・・代・與・預・ヨの同音異字のスベテ

 がれ・・・・臥例

 がち・・・・臥知(地)・雅薙→カラスの記事

 なる。・・・

 六位の・・・・・録意之・陸異之

         麓畏(ふもとのクマ)埜

 頭しろき。・・・カシラ、しろき

         化史等・代幾→八代

             新羅・代義

 虚言する・・・

 人の、・・・

 さすがに・・・・流石爾

 人の・・・

 こと・・・・・・言・異・糊塗

 なし・・・

 がほ・・・・・・臥補・雅補

 に・・・

 大事・・・・・・題字・題辞・大字・大辞

 うけ・・・

 たる。・・・

 一番に・・・

 勝つ・・・

 雙六。・・・・・すごろく・双六・ダイス・「波羅塞戯」

         素語録

         ソウム→双務・総務・躁ム・相務

         ↓   叢務・瀧夢・騒鵡・巣鵡

         蘇有無→措有無・・・

ーー↓

 六七八十・・・・陸 漆 捌足

         六千七百八拾

         ↓

         六=録(鹿=覇者)を

         陸=理句

         ↓

         千=選(撰・択)び、→鰓尾→蝦→蝦夷

         仟→仠(カン)=人+干→于(ここに・ゆく・ウ)

         ↓

         七=史を知り・詞を知り・死を知り

         ↓ 七→匕(めす)→ヒ(さじ・匙)

         漆(うるし)→得る詞・売る誌→読売

         ↓

         漆黒・漆喰・漆塗り→被れる(かぶれる)

         ↓      ↓

         ↓     糊塗(コト)=塗り潰す・左官

         百=秘鑰(ヒヤク)→比訳・比約

         ↓

         八=捌(さば)いて・葉(言葉・詞)

         十=拾う・足

         ↓

         六 千  七     百  八  拾

         録に潜む、胡が留る史、秘訳を捌いて拾う

ーー↓

 なる・・・

 人の、・・・

 心地・・・

 あしう・・・悪しう→足得

       亜衆・亜州・亜襲・亜囚・亜集

 して・・・・

 日・・・・・比

 ごろに・・・「語呂・語路・語賂・比・頃」爾

 なり・・・

 ぬる。・・・

 風・・・・・かぜ・風邪

       化是・掛施・枷・加勢

 はやきに・・疾きに・早記爾・速記似

       葉埜紀似

 帆・・・・・捕

 あげ・・・・挙げ・安芸・揚げ・亜解

 たる・・・

 船。・・・・ふね・・・船(セン)=舟+八+口

       ↓          ↓     

       ↓          シュウ・シュ

       譜音

ーーーーー

 ・・・

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