・・・「本屋の本質」は「ENTERTAINMENT=エンターテイメント・娯楽」、「entertainment(エンターテインメント」は「entertai-n-ment」の「9文字目のn」は聞き取れない・・・「エンターテイメント」・・・書き言葉で「エンターテインメント」、話し言葉で「エンターテイメント・エンターテーメント」の使われ方が混在・・・「演者(エンターテイナー=entertainer)」=「entertain(もてなす)+ er(する人)」→芸人・大衆を楽しませることを信条とする芸能人の技能を鑑賞することを主体とした見せ物、出し物、余興などを指す語で、スポーツ・舞台演劇・演奏会・公演などを指す・・・「大衆」ってダレなんだろ・・・「enter=〈場所に〉入る」・・・「tain=保つ・含む」・・・「er=する人」・・・
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enter
〈とげ・弾丸などが体内などに)入り込む
〈考えなどが頭に)浮かぶ
〈新時代・新生活などに)入る
〈学校に)入学する
〈団体・クラブ・会などに)加入する、入会する
〈軍隊・教会に)入る
〈病院に)入る
〈競技などに)参加する
〈人を…に)入学、加入、入会させる (in,at)
〈人・動物を競技、コンテストに)出す (in,for)
enter oneself=参加を申し込む、応募する (for)
(名前・日付などを…に)記入する、載せる、載録する
〈データをコンピューターに)入れる、入力する
〈訴訟を)提起する
(…から)入る (at,by,through)
「Enter」=演劇で「登場する」
脚本の「ト書き」で3人称命令法で用いる=exit
用例
Enter Hamlet.→ハムレット登場
to be to be ten made to be
飛べ 飛べ 天 まで 飛べ
↓↑
第九代・開化天皇の
第三皇子の
第十代・崇神天皇
↓↑
御肇國天皇
(はつくにしらすすめらみこと)
御真木 入 日子
(みまき いり びこ)
はや、己が命を盗み死せむと〈記・中・歌謡〉
御間城 入 彦 五十瓊殖天皇(日本書記)
(みまき いり びこいにえのすめらのみこと)
御真木 入 日子印恵命(古事記)
(みまき いり ひこいにえ)
↓
イリ-クリニス
真摯(シンシ)=イリ-クリニス
ギリシャ語
(ειλικρινής・イリ-クリニス)
英語
(sincere・スィンスィア)
シンシ=紳士=ジェントルマン
a gentleman=紳士
gentlemanly=紳士的
gentlemanlike=紳士振る
pose as a gentleman
play the gentleman
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太陽=helios・ヘリオス・ヘリオ
「イリオス」=ギリシャ古代の都市
その王名イリオス
「イーリアス」=(Iλιάς・Ilias)
ホメーロスの「長編叙事詩」
イリ(이리)=オオカミ(狼)
大神・大上
第十代
崇神天皇
御眞木 入 日子印惠命
(みまき-イリ-ひこいにゑのみこと)
御間城 入 彦五十瓊殖
(みまき-イリ-ひこいにえ)
第十一代
垂仁天皇
活目 入 彦五十狭茅
(いくめ-イリ-ひこいさち)
伊久米 伊理 毘古伊佐知
(いくめ-イリ-びこいさち)
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西欧では「本(book)」とは、
「聖書(the Bible・ザ バイブル)」であった・・・
「書物の巻、編」
「Book I=第1巻(編)」
「the Book of Genesis=旧約聖書の創世記」
「聖書=the good Book」とも・・・
↓
ブック(book)とは、
「書物・書籍・図書・本・帳簿・著作・論集
脚本・台本・紙を数枚綴じこんだ物」
の意味する英単語・・・
元々は植物の一種「ブナの木」を
意味する単語
「bōc」が由来となっている・・・
↓↑
「ブナ=beech」の名は
「本」と「ブナの木」の両方の意味する
アングロサクソンの
「boc,bece」あるいは
「beoce」 の語に由来・・・
英語は「beechwood・beech」
「ぶな=山毛欅、橅、椈、桕」
「毛欅=けや木」である
「橅」は近年作られた日本文字
「椈」の中国漢字にブナの意味は無い
「柏」は「かしわ」
「ブナ」は
建材として腐りやすく、加工後に曲がって狂いやすい
「ブナ」は日本では漆器の椀・皿の普及品の材料
「ブナ」は生長するにしたがって、根から毒素を出していき
そのため、
一定の範囲に一番元気なブナだけが残り、
残りのブナは衰弱して枯れてしまう・・・らしい
↓
「the Old Testament (旧約)」
「the New Testament (新約)」
「ユダヤ教では(旧約)」
「イスラム教では(旧約)」
「聖書」を表す「バイブル」は、
ギリシア語の「ビブリオン」に由来し、書物
パピルスはエジプトのナイル川流域に自生した
「パピルス草の茎の随」を薄く裂いて作られた
この「パピルスの随」の部分を
「ビブリオン」といった
「聖書正典」は
「創世記」~「ヨハネの黙示録」まで
「66冊」の書物から成る
↓
「本(book)」とはホトンドが
「entertainment(エンターテイメント・娯楽)」である・・・
日本では「大衆娯楽」となったのは江戸時代である・・・
そして、文明開化の「明治時代」・・・
ボクの言いたいことを「理解」してくれるかな?・・・コジキ・・・
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以上も以下も参考、参照の原文は「ウイッキペデア」から・・・
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書類・書籍
古くは本文や図画の写本
書籍とは、原本を借りて
自分の手で写すことだった
書籍の印刷
八世紀の百万塔陀羅尼
春日版や
五山版と呼ばれる
室町時代末までの
旧刊本と呼ばれる
木版本
キリシタン版の
古活字本など
江戸時代の
金属活字は
慶長時代に朝鮮から持ち込まれ
朝廷や徳川家康が
『論語』や
『群書治要』
『日本書紀』
『吾妻鏡』
など
「活字」で印字した書籍が作られた
部数は100部程度の規模の印刷物
商品としての書籍
木版印刷の製本
本屋の店頭での売買
活字本
寛永のころまで作られ
版木1枚に文字をまとめて刻む
木版本が行われた
木版本=製版本
当初は仏典や四書、和漢の古典を出版
仮名草子や草双紙
浮世絵
などが出版
木版技術と出版流通システムの確立
多くの出版書籍が売買された
作家→出版元→版木職人→刷り職人→本屋の店頭
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江戸時代の本屋
書林、書肆、書物屋などと呼ばれ、
書店名は「何々堂」や「店主名」のものがあった
本文用紙に
薄い
「美濃紙」を使った袋綴じ
↓
寺尾(岐阜県関市寺尾)で生産される和紙
二折、三折の「美濃和紙」があり、
障子の格子幅に合わせて使用され
美濃「紋書院紙」は、
鹿子・紗綾形・菊唐草・七宝 ・亀甲などの
紋様を漉き込み、
障子以外にも灯籠用に使用された
702年(大宝二年)
正倉院文書に美濃の紙が記録
平安時代
朝廷から製紙用の役人が派遣され
宣命紙等の色紙や公用紙を生産
鎌倉時代・室町時代
鎌倉時代初期
美濃和紙は余り使用されていなかった
南北朝の動乱や
応仁の乱によって
安価な美濃和紙が使用された
美濃国守護の
土岐氏が
産業開発し、製紙業を後押しした
京都宝滋院を拠点とする
近江枝村の紙商人によって流通
江戸時代
専売制度の下に特産地として育成
大量生産
障子紙として使用され、
美濃判として障子の規格となり、
「みの(美濃)」と言えば
「しょうじ(障子)」
「すだれ(簾)」は伊予、
「たたみ(疊)」は近江が
代名詞となった
↓
養女奴隷
製紙のために少女を幼少時に養子にして、
製紙作業をさせる制度
奴隷と言っても、
実の娘と区別はない
↓
紙問屋
美濃では和紙の原料を
余所から輸入して生産
製紙業の家庭も
紙問屋の奴隷
↓
徳川幕府御用の製紙職人
市右衛門、五右衛門、平八、重兵衛
など
ーーー
出版の商業活動
慶長八年(1603年)
京の冨春堂が
古活字版の
『太平記』が初版行・・・
その後
七十二軒、
十哲とも称された本屋の店が現れ、
京都の本屋は当初は
「物の本屋」とも呼ばれ、
仏典や漢籍などの教養書を販売
大坂の本屋は
京都で製作された本を仕入れて売買
寛文のころより
大坂でも製本
本屋は心斎橋などで繁盛した
↓
江戸では寛永のころ
江戸でよそから本を仕入れずに
自前で製本販売し始めた時期は不明
書籍の例では
正保四年(1647年)刊行のものが最も古い
江戸の本屋も出版物の内容は京大坂同様多岐
錦絵
江戸の出版物の中でも、絵入りの読み物の
「草双紙」の類などは「地本(じほん)」と呼ばれた
↓
江戸の地本問屋
草双紙・絵入り本=「行成表紙」・「からかみ表紙」
赤本=丹色、赤い表紙で、桃太郎、猿蟹合戦などの
「お伽噺」で、享保のころ盛ん
黒本=歴史物語、軍記、浄瑠璃などを抄録
青本=萌黄色で、江戸中期から出た
内容は黒本に同
黄表紙=18世紀末~19世紀初めの大人向け
表紙の色が青色だったのが退色して黄色になった
合巻=草双紙数冊を合わせて一巻とし、
さらに編を重ねて構成した長編
のちには表紙が錦絵になっているものが出て、
これを「摺付表紙」という
仮名草子=元禄以降初期の小説。仮名文、啓蒙、娯楽物
人情本=男女の情愛を描く
読本=中期、後期の小説。口絵挿絵がある
談義本=滑稽読物。講談口調で、
おかしみと教訓で社会を揶揄したもの
狂歌本=狂歌集
戯作本=中期以降の江戸の
小説、読物、黄表紙、合巻、洒落本、
談義本、滑稽本、人情本の総称
滑稽本=江戸後期の小説
庶民の日常を笑いを交えて記したもの
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』
式亭三馬の『浮世風呂』など。
咄(はなし)本=小咄を記したもの。
芝居番付=歌舞伎興行における番付
興行の内容や出演する役者について記す
ポスターのように貼って人に見せる辻番付
芝居の筋を絵で説明する絵本番付
出演する役者とその役割を記した役割番付
絵本番付と役割番付は表紙も本文も
同じ紙の冊子形態で、
二つ折りにして紙縒りで綴じる装丁
長唄正本=歌舞伎の舞台で上演された
長唄所作事の歌詞を版行したもの
豊後節系浄瑠璃の正本=上演された豊後節系浄瑠璃の
歌詞を版行
常磐津節、富本節、清元節
浮世絵、芝居絵、義太夫節の抜本(ぬきほん)も売った
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17世紀前期(慶長〜寛永頃)
京都で
慶長十四年(1609年)
本屋新七が商業出版を創始
『信長公記』、『本朝画史』、『醒睡笑』出版
大坂で
『和漢三才図絵』が出版
キリスト教関連書籍の流入を防ぐために
長崎に書物改役が設置
17世紀中期(寛文頃)
菱川師宣が
江戸で
木版墨摺り絵本を数多く手がけた
『伊勢物語』、『源氏物語』などの古典の木版本
17世紀後期(元禄頃)
木版製版発展。町人文化
上方文化成熟期。大坂で浮世草子出版
井原西鶴の『好色一代男』、『日本永代蔵』、
近松門左衛門の浄瑠璃本が出版
『明智軍記』出版
荻生徂徠が漢籍解説本を出版
怪談『古今百物語評判』出版
18世紀前期(享保頃)
幕府は風紀取締りに、
同業組合である本屋仲間を公認
『女大学』出版
貝原益軒の『養生訓』
新井白石の『折たく柴の記』、
松尾芭蕉の『奥の細道』、『野ざらし紀行』出版
18世紀中期(明和頃)
鈴木春信が錦絵を完成
大坂で
『絵本太閤記』出版
18世紀後期(天明寛政頃)
錦絵の交流と江戸文化全盛期
天明期
江戸に浮世絵師、彫師、摺師、
紙屋、儒学、国学、
蘭学などの学者が集まる
江戸で、浮世絵や書籍が売れる
江戸地本の書籍の流通。大手地本問屋が隆盛
蔦屋重三郎のもと
喜多川歌麿が美人画で人気を博し、
重三郎は本居宣長を訪ね、地方視察
寛政の改革
山東京伝の黄表紙が摘発
蔦屋重三郎は財産の半分を没収
天明期
あらゆる分野の学問、実用書、文芸書が出版
塙保己一の『群書類従』、
本居宣長が『古事記伝』を出版
上田秋成の『雨月物語』、『春雨物語』出版
山東京伝の黄表紙『時代世話二挺鼓』、
『江戸生艶気樺焼』出版
川柳句集『柳多留』
19世紀前期(文化文政頃)
全国に書籍流通市場形成
江戸、大坂、京都を中心に本が出され、
名古屋も続く
頼山陽の『日本外史』、
和歌集の三代集出版
曲亭馬琴が絵入りの読み物
江戸貸本屋
800軒を超え、戯作作家、
曲亭馬琴、山東京伝、式亭三馬、柳亭種彦等、文壇の主流
長編小説
式亭三馬の『浮世風呂』、
曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』108冊
『椿説弓張月』、『傾城水滸伝』
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』43冊
合巻が開発
葛飾北斎の画
柳亭種彦の『北越奇談』、
歌川国貞挿絵の『偐紫田舎源氏』38編
柳亭種彦と笠亭仙果の『邯鄲諸国物語』
絵入り春画本
北斎漫画、
小林一茶の『浅黄空』、
私小説『父の終焉日記』。『以貴小伝』
為永春水の『春色梅児誉美』
草双紙『釈迦八相倭文庫』出版
19世紀中期(安政頃)
柳下亭種員作(歌川豊国挿絵)の合巻『白縫譚』出版
『児雷也豪傑譚』、奇談集『絵本百物語』、
『狂歌百物語』出版
安政三年(1856年)
歌川広重の名所江戸百景、
北斎挿絵の『通俗三国志』出版
19世紀後期(幕末明治初年頃)
『名将言行録』出版
幕末の混乱期
見聞、教育のために、
歴史小説の古典の
新版、史書、技術書、博物誌、辞典、海外紹介ものが出版
『慶安太平記』、『絵本楠公記』、『大岡政談』出版
明治三年(1870年)
日本で初めての新聞
『横浜毎日新聞』が鋳造活字で印刷
明治六年(1873年)
本屋仲間は解散令
明治二十年ごろ
木版から
活版印刷技術の革新、思想の変革、新しい雑誌の登場で
書物問屋は消滅し、近代出版へ移行
↓↑
書物問屋
学問書など書籍を扱った
仏教、歴史、伝記、暦、医学書、漢籍、教養書など
上方では本屋とも呼び、上方発祥で、江戸に支店も出した
地本問屋
草双紙、人情本、細見(地図案内書)、
狂歌絵本、洒落本、長唄
など
音曲類の正本、
歌舞伎の絵本、
浮世絵など学術書以外のモノを扱った
板木屋
本を印刷するための板木を彫ってつくる板木屋も、
書店を通さずに本を売買
屋号は「板木屋」とするものがあり、
板木屋が直接本を頒布する形態
表紙屋
印刷して塵断ち下綴じまでした本に表紙をつける
寛永のころから表紙屋でも本を売買
経師屋
本の装丁や掛け軸を誂えたりする
経師屋も本を売買
京の経師屋で大経師と呼ばれる家は
毎年の
暦を製作配布
暦は当時三都のいずれも、
決められた店や家以外では製作販売は禁止された
貸本屋、古本屋でも書籍を取扱ったが、
古本屋も新刊本を製作し売買
露天商、行商、荒物屋(家庭用雑貨)などからも
全国に書籍が流通
江戸地本の老舗
鶴屋喜右衛門の
仙鶴堂と
蔦屋重三郎の
耕書堂は寛政の改革以降、
山東京伝や曲亭馬琴を作者として独占
江戸では
日本橋、神田、馬喰町、浅草、
深川、下谷、両国、芝神明前などに本屋が出店
地本問屋、書物問屋半々で「天保の改革」までに
50軒以上あった
江戸、大坂、京都が三大書籍流通
が、
「田舎版」と呼ばれる
三都および名古屋以外で
製版刊行された書籍も存在
本屋仲間(組合)
享保七年(1722年)
江戸で幕府より公認
大坂では翌年享保八年
本屋仲間は
天保十二年(1841年)
株仲間(同業者組合)の
買い占めなどで物価が高騰し風紀上問題ありとして、
ほかの問屋仲間とともに
「解散令」で一旦は廃止されたが、
嘉永四年(1851年)
再結成され、新規参入で
本屋仲間の数が
125軒まで増えた・・・
ーーーーー
・・・だから、ドウだって・・・