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コジキジゲン

凝って思案に余る・・・沈思凝想・・・ムリ・・・浮思柔想・・・

2020-12-30 23:11:18 | 古事記字源
 悖と通じ、混乱する・勃と通じ、急に顔色を変える・・・
 ↓↑
 2021年1月4日23時(日本時間)・・・?
 ↓↑
 庚子(壬癸)偏印・劫財・帝旺⇔金 水鼠
 戊子(壬癸)偏官・劫財・帝旺⇔土 水鼠
 壬子(壬癸)  ・劫財・帝旺⇔水 水鼠
 壬子(壬癸)比肩・劫財・帝旺⇔水 水鼠
 角宿
 ↓↑
  ハーメルンの笛吹き男
 (独: Rattenfanger von Hameln
  英: Pied Piper of Hamelin)
 ドイツの街ハーメルンで
 1284 年6月26日に起きた事件
 甲申(己壬庚)
 己巳(戊庚丙)
 己丑(癸辛己)
 庚午(丙 丁)
 ↓↑
 街中に大量のネズミが発生
 「報酬をくれるなら
  町を荒らし回るネズミを退治してみせる」
 と持ちかけ
 ハーメルンの人々は男に報酬を約束
 男が笛を吹くと
 町じゅうのネズミが男のところに集まり
 男はそのままヴェーザー川に歩いてゆき
 ネズミを残らず溺死させた
 ネズミ退治が済むと
 ハーメルンの人々は
 笛吹き男との約束を破り
 報酬を払わなかった
 ↓↑
 怒った笛吹き男は
 「お前たちの大切なものを代わりにいただこう」
 と捨て台詞を吐き
 一旦ハーメルンの街から姿を消したが
 6月26日の朝
 再び現れ
 住民の大人達が教会にいる間に
 笛吹き男が笛を鳴らしながら通りを歩いていくと
 家から子供たちが出てきて
 男のあとをついていった
 130人の少年少女たちは
 笛吹き男の後に続いて町の外に出てゆき
 市外の山腹にある洞穴の中に入っていった
 穴は内側から岩で塞がれ
 笛吹き男も子供たちも
 二度と戻ってこなかった
 足が不自由でついていけなかった1人の子供
 盲目と聾唖の2人の子供だけが残された・・・
 原文は
 「ウィキペディア(Wikipedia)」

 水鼠
 水生に適応している齧歯(ゲツシ)目
          ネズミ科ミズネズミ亜科
          Hydromyinaeの哺乳類の総称
          オーストラリア・ニューギニア・フィリピン
          に分布

 大水鼠(Hydromys chrysogaster)
 ネズミ目(齧歯目) ネズミ科・・・移鼠・・・鼠が移動する・・・
 水棲生活の大型のネズミ類の1種
 ↓↑
 「渤海」の「渤=氵+孛(十冖了一)+力」のカンジ・・・
 「子」が合字されているのは「女・牝・♀」の
 「妊娠」→「膨張」→「分娩・踏ん張り」→「破水」→「出産」・・・?
 孛=十+冖+了+一
   彗星・・・彗=丰+丰+彐
          三+丨+ 三+丨+彐
        孛=彗・・・?
   バイ・ボチ・ハイ・ホツ
   異体字「勃・𡥇・𡥞・悖」・・・
   草木の盛んに茂るさま・・・ボウボウ(艸艸・茫々)の様
   悖と通じ、混乱する
   勃と通じ、急に顔色を変える・・・蒼褪める・・・蒼頡
   説文解字・巻六(段注本)
   𤱿孛なりとあり
   論語・郷党
   色、孛如なり
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
 「江藤新平」は
 「箕作 麟祥」に
 「我国に行ひ難き条項を除き」
 仏民法典を日本民法として翻訳させ
 「誤訳もまた妨げず、ただ速訳せよ」と促した・・・
 ↓↑
 廟堂用善無漢蕃 廟堂善を用いるに 漢蕃無し
 孛国勢振仏国蹲 孛国勢い振るいて 仏国蹲(うずくま)る
 孛=一+字=十+冖+了+一
 ↓↑
 仏国雖蹲其法美 仏国蹲ると雖も 其の法美なり
 哲人不惑敗成痕 哲人惑わず 敗成の痕
 の漢詩を記す
 ↓↑
 江藤新平
 天保五年二月九日
 1834年3月18日
 ~
 明治七年
 1874年4月13日
      大運1870年3月(36歳)辛未正官
 甲午(丙 丁)比肩・正財 死⇔甲戌比肩
  破
 丁卯(甲 乙)傷官・劫財帝旺⇔戊辰偏財
  害
 甲辰(乙癸戊)  ・偏財 衰⇔庚子偏官
 庚午(丙 丁)偏官・正財 死⇔壬午食神
  寅卯空亡
 ↓↑
 佐賀藩士
 政治家
 幼名 恒太郎・又蔵
 諱  胤雄・胤風
 号  南白
 名のり 平胤雄(たいら の たねお)朝臣
 ↓↑
 江戸城内の
 「紅葉山文庫」・・・「楓山文庫・楓山秘閣」
           「椛山・栬山・黄葉山・樺山」
           木 花 之佐久夜毘売
          (このはなのさくやびめ)
           木 花 之佐久夜姫
           このハナシ策句埜秘め(比米)
 から幕府所蔵の書籍を確保保管
 司法卿、参議と数々の役職を歴任

 孛=十+冖+了+一
 ↓↑
 説文解字・ 巻六(段注本)
 「彗星の色=孛なり」・・・勃発=突然に視界に現れる現象
 「論語・郷党」から「色、孛如なり」・・・蒙古斑?
 「ほうき星・箒星・帚星」・・・象形がホウキ(箒)
 ↓↑
 孛=(読み)ひころう・ひころふ
   彗星の光芒が「日光」のよう・・・?
  「日凝る」で光が集まっている意・・・凝縮・凝視・・・?
  「ひろごれり」の変化・・・?・・・氷の塊だろう・・・氷塊
 ↓↑   ↓↑
 凝=冫+疑・・・・氷を疑う・・・氷になるのを疑問に思う?
           日高を疑う   氷高を疑う
           氷高=元正天皇・新家(にいのみ)
           日本 根子高 瑞 浄 足  姫
          (やまとねこたかみずきよたらしひめ)
   冫+匕+矢+龴+疋
   冫+匕+矢+龴+乛+龰(ト人)
   冫+匕+矢+龴+乛+止
   ギョウ
   こらす
   こる・・・こおる(凍る・凍結)→氷?
   こごる
   しこり
   かためる・集中する・集める
   こる・こごる・かたまる
   とどまる・動かない・停滞する
   筋肉がこり固まる
   何かに集中したり熱中したりする
   しこり・わだかまり
   もやもやと残る気持ち・スッキリしない
 ↓↑
 凝(こら)す
 凝(こ)る
 凝(こご)る
 液体のものが冷えて固体になる・凝固、凝結する
 ↓↑                 凝血
 凝(しこ)り
 筋肉や皮下組織などの一部分が固くなること
 ↓↑
 肩凝(かたこ)り
 肩の筋肉がかたくなること
 その状態・痛みや不快感などを伴う
 ↓↑
 凝灰岩(ギョウカイガン)
 堆積岩の一種
 火山灰が凝結してできる
 ↓↑
 凝議(ギョウギ)
 懸命に相談すること
 ↓↑
 凝血(ギョウケツ)
 体の外に出た血液が固まること
 その固くなった血液
 ↓↑
 凝結(ギョウケツ)
 気体が液体になること。凝縮。
 ↓↑
 凝固(ギョウコ)
 考えや心などが凝り固まること
 ↓↑
 鳩首凝議(キュウシュギョウギ)
 人が集まって真剣に話し合うこと
 「鳩」は集めるという意
 「鳩首」は人が顔を合わせて集まること
 「凝議」は真剣に話合うこと
 ↓↑
 沈思凝想(チンシギョウソウ)
 しっかりと集中して考えること
 「沈思」は一心に考えること
 「凝想」はじっと考えること
 ↓↑
 息を凝らす
 緊張し呼吸を抑えてじっとしている
 ↓↑
 肩が凝る
 ひどく緊張したり堅苦しさを感じたりして
 疲れたような気分になることのたとえ
 「肩が張る」
 ↓↑
 凝っては思案に余る
 物事に熱中しすぎると
 よい考えも浮かばなくなり
 冷静な判断が出来なくなるということ
 ↓↑
 趣向を凝らす
 よりよくなるように工夫すること
 ↓↑
 丹精を凝らす
 真心を込めて物事を行うこと
 「丹精=丹誠」とも
 ↓↑
 瞳を凝らす
 瞬きせずに一つの所を集中して見ること
 ↓↑
  独逸皇帝    孛漏生  皇帝  ウイルレム 陛下
 (どいつこうてい ぷろしあ こうてい うぃるれむへいか)
         プロイセン=Prussia=普魯西
         1918年
         ドイツ革命で
         ヴァイマル共和政の
         プロイセン自由州  
 明治四年(1871年)
 岩倉具視・木戸孝允・伊藤博文
 ら明治新政府のリーダーが
 横浜を出航
 約1年10ヶ月をかけて
 1870年代初めの欧米を視察
 条約改正の予備交渉
 先進諸国の制度や文物の視察
 条約改正の予備交渉を変更し
 直ちに改正交渉に入ることを決定
 大久保利通と伊藤博文が
 一時帰国・・・一時帰国=イチジキコク=壱字記個句?
 明治5年5月14日
 条約改正を行う権限がある
 「国書委任状」
 の下付を受け
 再渡米・・・差異訳等意?
 ↓↑
 ウエスタン(Western)
 「西方・西側」という意味。
 「西部劇・Western(ウェスタン)」
 ↓↑
 「マクリントック(McLintock!)
 「大西部の男」
 ウィリアム・シェイクスピアの戯曲
 『じゃじゃ馬ならし』を基にしたコメディ映画
 1963年11月13日
 ↓↑
 マレーネ・ディートリヒ
 フレンチーは
 フランク・レッサー作詞
 フリードリヒ・ホレンダー作曲
 「裏部屋の男たち
  (See What the Boys in the Back Room Will Have)」
 「You've Got That Look」
 Marlene Dietrich "You've Got That Look" 1939
ーーーーー
 ・・・???・・・
 疑・儗・窽・凝・薿・擬・㠜・寲・㘈
 懝・嶷・礙・㽈・癡・籎・譺・觺・䰯
 ・・・???・・・礙=ガイ・ゲ・さまたげる・進行を邪魔して止める
 さまたげる・障礙・阻礙・妨礙・無礙(ムゲ・無碍)・・・
 碍子・・・高圧電線・・・


コメント
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「あなたは鶏が鳴く前に3度、私を知らないというだろう」・・・だからドウ・・・

2020-12-26 21:22:35 | 古事記字源
 サジを投げる・・・治療法がない・・・ウマで逃亡・・・
 ↓↑
 コロナ・・・サジを投げてもカネを拾う・・・スっからカン・・・
       ↓↑
 些事・瑣事・佐治・柶・・・サジを投げる・・・ウマで逃げる・・・?
       ↓↑
      「佐士布都神(さじふつのかみ)」
    ・・・佐治=サントリー(Suntory)=太陽+鳥居
       ↓↑ ・・・「纂・簒・篹」鳥居
              竄・戔・餐・湌・飡
            Sun=太陽
            tory=トーリー
               アイルランド語
              「追われる者・無法者」
               英国王党派
               米国独立戦争時の
               米国内王党派
            Whig=ホイッグ
                スコットランド語
               「馬を乗り回す・謀反人・馬泥棒」
       ↓↑      英国自由・自由民主党
       佐治 敬三(1919年11月1日~1999年11月3日)
              大運1997年7月(77歳)丙寅劫財
       ┏己┏未(丁乙己)食神・食神冠帯⇔己卯食神
       ┗甲┣戌(辛丁戊)印綬・傷官 養⇔甲戌印綬
        丁┣巳(戊庚丙)  ・劫財帝旺⇔己未食神
        丙┗午(丙 丁)劫財・比肩建禄⇔庚午正財
          子丑空亡       
       鳥井 信治郎の次男
ー↓↑ーーーーー↓↑ーーー
       鳥井 信治郎(1879年1月30日~1962年2月20日)
            大運1960年9月(81歳)甲戌傷官
       戊寅(戊丙甲)正官・傷官沐浴⇔壬寅劫財
       乙丑(癸辛己)食神・偏官冠帯⇔壬寅劫財
      ┏癸丑(癸辛己)  ・偏官冠帯⇔己丑偏官
      ┗戊午(丙 丁)正官・偏財 絶⇔庚午印綬
        寅卯空亡
       両替商・米穀商の
       鳥井忠兵衛の次男
       妻 阪急阪神
         東宝グループ創始者
         小林一三の娘、春子
       1906年(明治39年)
       27歳「壽屋洋酒店」設立
       スペイン人兄弟が大阪で経営していた
       セレース商会を買収

      「赤玉ポートワイン」を製造販売
       1921年(大正10年)
       42歳「株式会社 壽屋」設立
       1923年(大正12年) 44歳
       スコットランド
       キャンベルタウンで
       ウイスキー留学の経験の
      「竹鶴政孝」を招き・・・マッさん=余市(北海道)
                       ニッカウヰスキー
       大阪府
       島本村
       山崎にウイスキー蒸留所(山崎蒸溜所)を建設
       国産ウイスキー製造開始
       ↓↑
      「佐士布都神(さじふつのかみ)」
       ↓↑
      「神度剣(かむどのツルぎ)」・・・剣=つるぎ=鶴技?
      「布都御魂剣(韴霊剣)」
      「甕布都神(みかふつのかみ)」
      「布都斯魂剣」と共に
       石上神宮本殿内陣に御神体として奉安
 ↓↑
 ドウ仕様もない・・・「匙(さじ・佐治)加減」・・・東北遷都
 モノごとの諦めと断念・・・これ以上治療法がないと患者を見捨てる・・・
 共助・協助・互助・・・諦めて本人の自助に任せる・・・
 ・・・自然の流れに委ねる・・・自助治癒・・・?
 ↓↑
 「百折不撓(ヒャクセツ フトウ)」・・・百(百済)説は不当・・・?
 ・・・詞賂・?・白状・白杖・白條・狛声(阿吽の阿)・・・?
 ・・・史螺(新羅・斯蘆・秦羅・皎・暤・皓・皚)戯はドウかな・・・?
  暤=日+皋
    異体字「曍・暭・昊・皞・皥」・・・皐月(五月)晴れの空
  皚=白+豈=白+山+豆・・・白のアニ?
    しろい・雪や霜の白さ
  ↓↑
 「匙=薬を調合するspoon・🥄・・・是(これ)は牝の匕首・合口?
    患者の治療方法が見つからず
    医者(漢方医)がサジを投げ出すことから
    治療に見切りをつけること」
    ・・・見限る・・・後は坊主の仕事・・・
 「江戸後期の川柳集
  『誹風柳多留(はいふうやなぎだる』・・・厭(嫌)戯多留?
   「田舎医者 サジを投げては  馬で逃げ」・・・ナンで馬なのか?
         差字・差時・瑣事・些事
         柶=禮に柶有り
           柶は匕(さじ)なり
           木に従ひ
           四(シ)を聲
           ladle・箆(へら)・杓文字・柄杓
   ・・・馬太(馬竇・マタイ)or 馬耳谷( 馬可・マルコ)

    ↓↑
    パウロ(サウロ)
    彼は野心あり、修煉少く、霊想未だ真醇ならず
    思慮浅薄なる保羅(パウロ)なり
    ↓↑
    而して藤田は実に水戸派の保羅(パウロ)なり
    ・・・「吉田松陰」の批評のコトバですか・・・?
    吉田松陰(新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)・・・ふりがな文庫?

    ペトロ(岩・磐・シモン・シメオン)・・・黒田孝高=シメオン
        シモン=「聞く・耳を傾ける」  官兵衛・如水
        シメオン・バル・ヨナ      韓米  観ずの語解く?
       「ケファ=Kepa=岩の断片、石)・・・磐余=神武天皇
        漁師・・・眞魚=弘法大師・空海・・・魚座の時代
    いつかは屹度(きっと) 神様にお目に懸るでせうが
    その折 彼得(ペトロ)は・・・彼多羅(ペテロ)
    私を天国に上げる前に
    この五十弗の請取証を見せろといふに定つてゐます
    茶話=04 大正七(一九一八)年 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
                      ・・・ふりがな文庫?
    「あなたは鶏が鳴く前に3度、私を知らないというだろう」

 ↓↑
 牝=牛+匕=めす・・・mes・・・外科医執刀用のメス・・・knife
 ↓↑
 ヒ=さじ・スプーン
   食べ物などをすくう道具
   あいくち・鍔(つば)のない短剣
   ↓↑
  「佐士布都神」
  「さじ(佐士)=匙=さひ(佐比=刀の古語)」
   ↓↑     匙=是+匕(七・ヒ・匕)
   =日+下+人+七
    日の下の人は七(匕・牝)
    牝=メス=匕首・合口
     =メス(執刀)=オランダ語の mes・刃物
     =ナイフ=knife・・・
      内 府=天皇を常侍輔弼した内大臣
 ↓↑
 牝=牛+匕
 眞=匕+目+乚+八
 真=ナ(十)+目+一+八
 ↓↑
 塡=異体字「填」
   テン
   ふさぐ. ふさがる
   うずめる. うずまる
   はめる
   すきまや穴を詰めて満たす
   物に覆われて外から見えなくなる
   補填・充填
 ↓↑
 七=seven・是分・背分・施分
 ↓↑
 是⇔旻=秋空
 ↓↑
 「旻(ミン・ビン・そら・あきぞら)」
 白雉四年(?~653年)六月)
 渡来中国の学僧
 魏の陳思王・曹植の後裔・・・
 ↓↑
 推古天皇十六年(608年)
 遣隋使
 小野妹子に従って
 高向玄理
 南淵請安
 らとともに
 隋へ渡り
 24年間
 仏教・易学を学び
 舒明天皇四年(632年)八月
 日本に帰国
 蘇我入鹿
 藤原鎌足
 らに
 「周易」を講じた
 舒明天皇九年(637年
 流星を天狗の吠え声と主張し
 舒明天皇十一年(639年)
 彗星を飢饉の前兆と予告
 ↓↑
 大化元年(645年)
 大化の改新後
 「高向玄理」・・・高を向く玄(亠幺)理(王里)
          高 句麗系帰化人?
 とともに
 国博士に任じられ
 大化五年(649年)
 「高向玄理」と
 八省百官の制を立案
 大化六年(650年)
 穴戸(長門)国司
 草壁 醜経・・・醜(酉鬼・みにく)い
         経(糸又十一)・・・宗教・州境・周径?
 から
 「白雉」・・・白生地・白記事・白基地・白機知
 が献上され
 祥瑞を説明し
 「白雉」と改元
 白雉四年(653年)五月
 「旻」は
 病に伏し
 孝徳天皇(軽・かる)=天万豊日天皇
      皇極天皇(斉明天皇)の同母弟
    ・・・男弟皇子なのに
       姉の次に天皇に就く・・・?
 の見舞いを受けた
 翌月死没
 「旻=日+文」
 縦書きの「日文」を
 一文字の
 「旻」とみなした・・・?・・・日本文・日記文?

 ↓↑
 ヒ(音はヒ・横画が縦画を貫かない字形)字
   「さじ(匙・蓮華・散蓮華(ちりれんげ))」の形象
   「湯匙・匙子(chizi)・勺(shao)・勺子」
   「湯勺・匙羹」
 『説文解字』
 別の「匕部」
 匕(横画が縦画を貫く字形・音はカ(クヮ))字
 は人が転倒した様子に象り、「変化」を意味
 篆書体では字形が異なるため違う部首
 楷書体では同一部首にされた
 匕部は「さじ」
    「変化」の意符をもつ漢字
 「匕」を筆画の一部にもつ漢字に分類
 片仮名の「ヒ」は「匕・匕」に似ているが
 「ヒ」は「比」の一部
 「牝=牛+ヒ」・・・ヒ=めす・・・「乚(L・乙)+ノ」
 L+∕・㇜+/・<+-・ᐸ+-・∠+-・♀♁・♂♂⬋⬋⬃⬃ノ㇏
ーーーーー
 乙=乚=おつ・おつにょう・つりばり・・・ℓ
   L(エル・12番目)⇔K(ケイ・11番目)⇔J(ジェィ・10番目)
   L ギリシア文字のΛ(ラムダ)に由来・数字50・𝐋
   K ギリシア文字のK(カッパ)に由来・数字20・数字250
     1000倍を表す接頭辞「キロ(小文字・k)」
     キング (King)
     トランプのキング (13)
   J ギリシア文字のΙ(イオタ)に由来・数字19or18
     英語J=ヂェイ
   Japan
     トランプのジャック (11) ・・・片目のジャック
     ジョニー・バーネット
     片目のジャック 1962 / Ballad Of The One Eyes Jacks
     MARLON BRANDO One Eyed Jacks
     片目のジャック(One-eyed Jack)
     トランプにおける
     ハート[m:472]とスペード♤の
     ジャックの組み合わせ
ーーーーー
  艺=艹+乙=藝
    艺(う)える(う)
    艺(わざ)
    ゲイ
    うえる
    わざ
    技術・学問・知識・身につけた技能
    植(う)える・草木を植える
    種をまいて栽培する
  芸=艹+云
    艹+二+厶
    艹+一+厶
  兿=䒑+执+云
    丷+一+扌+丸+二+厶
    丷+一+扌+九+丶+厶
  藝=蓺+云
    艹+埶+二+厶
    艹+坴+丸+一+厶
    艹+圥+土+九+丶+一+厶
    艹+土+儿+九+丶+一+厶
ーーーーー
  α+云
  雲会転伝魂耘紜藝夽䰟䲰侌运䢵耺
  忶抎呍囩妘昙枟沄眃秐㙯凨动叆叇
  坛尝层纭酝囈襼讛
ーーーーー
 ???・・・sex・・・磁石・・・「+-」・・・母子・・・
 「磁石・・・慈愛の石・慈母のイシ
 『呂氏春秋』・・・金春秋=武烈王・・・・子供=文武王?
          天武✕持統=草壁・・・子供=文部天皇?
 「石鉄之母也 以有慈石 故能引其子」
 (鉄の石は母のように子を引き寄せる力を持つ)」・・・
 ↓↑
 金春秋=武烈王
 ↓↑
 父 第25代
   真智王の子の
   伊飡(2等官)の
   金龍春(文興葛文王)
 ↓↑
 母 第26代
   真平王の長女(or次女?)
   天明公主(文貞太后)
   実父は
   金龍春の兄の
   金龍樹
   ↓↑
  『旧唐書』『新唐書』には
  「真徳女王」の弟
  『三国史記』
  「新羅本紀・太宗武烈王紀」
   分注に誤りと記録
 ↓↑
 王妃 角干(1等官)の
    金舒玄の娘の
    文明夫人・文姫
    金庾信(『三国史記』黄帝の子の
        少昊金天氏の子孫)
    の妹
 ↓↑
 大化二年(646年)
 遣新羅使
 「高向玄理」
 を派遣
 新羅から
 任那への調を廃止
 647年(大化三年)
 新羅から日本へ人質として
 「高向玄理」
 は
 「金 春秋」
 を伴って帰国
 648年
 唐に派遣された
 「金春秋」は
 唐の
 太宗に厚遇され
 正二品の地位を与えられ
 新羅支援を得ることに成功
 (唐・新羅同盟)
 648年
 金春秋は唐への恭順を示し
 息子の
 金文王
 を唐に残し帰国
 高宗の
 永徽元年(650年)
 からは新羅独自の年号を廃止
 唐の元号を使用
 ↓↑
 652年
 金春秋=武烈王
 即位
 唐から
 「開府
  儀同三司
  新羅王」
 に封じられ
 楽浪郡王
 を増封された
 ↓↑
 654年5月
 理法府の令(長官)に命じて
 律令を詳しく調べさせ
 理法府格
 (律令の修正・補足のための法令・副法)
 60余条を制定
 唐風の律令制度の基盤を整備
 伊飡(2等官)の
 「金剛」
 を上大等に任命
 波珍飡(4等官)の
 「文忠」
 を中侍
 (真徳女王代に設置された執事部長官)
 に任命
 官位の低い貴族を能力本位で要職につけ
 旧来の中央貴族の
 上大等制度と
 新興の執事部による
 政治制度との競合を図り
 王権強化
 ↓↑
 655年1月
 高句麗・靺鞨・百済
 連合軍(麗済同盟)が
 新羅に攻め入り北部辺境の33城が奪われ
 唐に使者を送って救援を求めた
 唐は
 営州
 都督
 「程名振」
 右衛中太将
 「蘇定方」
 らを遣わし
 高句麗を攻撃
 ↓↑
 658年
 「文忠」を
 伊飡(2等官)に引き立て
 中侍には王子の
 「金文王(文武王)」を任命
 ↓↑
 659年
 百済が国境を超えて侵攻し
 唐に出兵を求める使者を派遣
 新羅の懇願に応え
 ↓↑
 660年
 1月
 上大等
 「金剛」
 死亡
 後任に
 「金庾信」
 任命
 ↓↑
 3月
 唐は水陸13万の兵を
 百済に送り
 「金春秋」
 も唐軍の総管として5万の兵でこれを迎え
 百済の
 義慈王を降し、滅ぼした
 11月
 「金春秋」
 凱旋し論功行賞
 位の低かった地方豪族や
 投降した旧百済の官人に
 重点を置き
 新羅王の直接支配できる軍事力の拡大を図った
 唐は百済を平定すると
 五つの
 「都督府」
 を置き
 唐に協力した地方豪族を各地の都督に任じ
 旧都の
 熊津には唐軍の鎮将
 「劉仁軌」が駐在
 ↓↑
 661年
 「金春秋」は
 唐の高句麗出兵に参加
 軍を北上途上で病に倒れ
 661年6月
 陣中で病死
 金城(慶尚北道慶州)
 永敬寺の北に埋葬
 「武烈王」の諡と
 「太宗」の廟号を贈られた
 唐の
 「高宗」は
 「金春秋」の死を悼み
 洛陽の城門で葬儀
 後に
 第36代
 「恵恭王」の時代
 祖廟を定め
 「恵恭王」の
 父  景徳王
 祖父 聖徳王
 あわせて金氏の始祖の
 13代
 味鄒尼師今
 三国統一の
 武烈王
 文武王
 を選んで五廟とし
 「味鄒尼師今」
 「武烈王」
 「文武王」
 の三者を代々不変の宗とした
ーーーーー
 ・・・???・・・

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・・・なんで「明智 小五郎」なのか?・・・江戸川 乱歩・・・

2020-12-24 04:01:17 | 古事記字源
  字はコン ウが解知る 皐月 仮名・・・哉=はじめ・・・
  ↓↑
 「時は今 雨が下しる 五月哉」
 「明智光秀 張行 百韻」
  ・・・なんで「明智 小五郎」なのか?
  ↓↑      ↓↑
     人相は「神田 伯龍」に似ている
    「神田 伯龍」=講釈師の名跡
     元々は東京から出た名跡
     一時期大阪に渡っていた
     神田派の開祖
     本名 戸塚岩太郎
        戸塚(塚・とつか)
       「戸(集落)+塚(古墳)」
        富塚(富塚古墳)
        冨塚・外塚・豚塚
        豊塚
        十塚
        十塚・・・塚=土+冢
               土+冖+豖
               土+冖+豕+丶
               十+一+冖+豕+丶
        土塚・・・塚=土+冢
               土+冖+豖
               土+冖+豕+丶
               豕(い)・豕(いのこ)
               豕(ぶた)
              「豬(猪)・豚」の原字 
        十束・・・
        十握=十束剣(とつかのつるぎ)
          「十握剣=十拳剣=十掬剣」
          「天之尾羽張(あめのおはばり)
           伊都之尾羽張(いつのおはばり)」
          「天羽々斬(あめのはばきり)」
           八岐大蛇=八俣遠呂智=八俣遠呂知の
           尾の中にあった
          「草薙剣」に当たって
           刃が欠け
           石上布都魂神社に祭られ
           崇神天皇の代に石上神宮に遷された
           石上神宮ではこの剣を
          「布都斯魂剣」と呼ぶ
          「大量(神度剣)=おほはかり」
          「天若日子=天稚彦」の葬儀に訪れた
          「阿遅鉏高日子根神=あぢすきたかひこね
        別名 阿遅志貴高日子根神
           阿治志貴高日子根神
           阿遅須枳高日子
           阿遅鋤高日子根神
           味耜高彦根命
           迦毛大御神
           阿遅鉏速雄命 等」
           アヂスキタカヒコネが怒って
          「十掬剣」で喪屋を切り倒した・・・ナゼ?
           ・・・ハナシ(鼻詞)が似ているから・・・
                  nose(ノゥズ・載せ?)
          「大量(おおはかり)」

              ↓↑
           ・・・New York=紐育の
             「自由の女神=Statue of Liberty
              Liberty Enlightening the World」
              ローマの
             「リーベルタース(Libertas)」
              Roman Goddess of Liberty
              自由市民を庇護する女神の天秤と剣?
              ギリシャの
             「アストライアー(Astraiā)」
             「星のごとく輝く者・星乙女」
              ↓↑
           ディケー(Dikē)=ギリシア神話の正義の女神
           と同一神
           ホーラ女神3姉妹の1人
          「ディケ」とも表記
           ゼウスとテミスの娘
           エウノミアー、エイレーネー
           と姉妹
           人類を見守り
           人類が不正を働いた時に
           ゼウスに訴える
           女神
           アストライアー
           ユースティティア
           と同一視
              ↓↑
             「神度剣(かむどのつるぎ)」
             「布都御魂剣(韴霊剣)」
             「佐士布都神(さじふつのかみ)」
             「甕布都神(みかふつのかみ)」
             「布都御魂(ふつのみたま)」
             「布都斯魂剣」と共に
              石上神宮本殿内陣に御神体として奉安
              ↓↑
             「布都御魂(ふつのみたま)」
             「韴霊剣
             「布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)」
             「佐士布都神(さじふつのかみ)」
             「甕布都神(みかふつのかみ)」
             「佐士布都神」
             「さじ(佐士)=匙=さひ(佐比=刀の古語)」
               ↓↑
               十司
               砥抦
               ↓↑
              「岩の太郎」・・・岩見重太郎・岩倉具視
                       出石・岩手・岩見沢
            代数も
            史料・書籍によって異なる
            明智小五郎は
            明智光秀の
            変名とされる
           「荒深小五郎」から採った
           「明智」+「桂小五郎(木戸孝允)」
       ↓↑         ↓↑
       木戸 孝允(きど たかよし)
         孝=土+ノ+子
           十+一+ノ+了+一  
         允=ム+儿
       ↓↑
       天保四年六月二十六日
       1833年8月11日
       ~
       明治十年
       1877年5月26日
             大運1884年9月(51歳)甲寅・劫財
       癸┏ 巳(戊庚丙)偏印・正財沐浴⇔丁丑・食神
        支合
      ┏庚┗ 申(戊壬庚)正官・正財 胎⇔乙巳・比肩
       干合
      ┗乙辛 丑(癸辛己) ・偏印 衰⇔己亥・偏財
       壬  午(丙 丁)印綬・傷官長生⇔庚午・正官
          戌亥空亡
          参宿・乙丑     房宿・己亥=衰
          干合化金格?
      ↓↑
      通称 小五郎・貫治・準一郎
         10種以上の変名を使用
      号  松菊・竿鈴・木圭・猫堂・鬼怒・広寒
         老梅書屋・干令
         長州藩士・手塚律蔵から英語を学び
         維新の三傑の中で
         木戸のみが英語で外国人と会話
             ↓↑
             明智小五郎
             なんで「明智 文代(妻)」なのか?
             なんで「小林 紋三(友人)」なのか?
             なんで「開化 アパート」なのか?
      ↓↑      ↓↑
             住居
             お茶の水
             文化アパートメント
             東京都
             文京区にあった共同住宅
             1922年(大正11年)
             森本厚吉が設立した財団法人
             文化普及会(文化普及會)によって建設
             日本初の洋式集合住宅
             1926年(大正15年)12月に開館
             1943年(昭和18年)3月に閉鎖
  ↓↑          ↓↑
 明智光秀・・・講習(コウシュウ)?
    十兵衛
  ↓↑ ↓↑
 幼名 彦太郎・明智光秀→惟任光秀
 通称 十兵衛・惟任日向守
 号  咲庵
 渾名 キンカ頭
    キンク天顋
    三日天下様
 戒名 秀岳院宗光禅定門
    前日洲条鉄光秀居士
    長存寺殿明窓玄智大禅定門
 墓所 谷性寺(京都府亀岡市)
    西教寺(滋賀県大津市)
    高野山奥の院(和歌山県伊都郡高野町)
    山県市中洞(岐阜県山県市中洞)
 官位 従五位下日向守
 主君 斎藤道三→朝倉義景→細川藤孝
    →足利義昭→織田信長
    or
    足利義輝→足利義昭→織田信長
 氏族 姓 土岐氏流明智氏(惟任賜姓)
 父  明智光綱
 母  お牧の方
 養父 明智光安 or 明智頼明
 兄弟 光秀・信教・進士貞連(作左衛門)
    康秀・定明・定衡
    御ツマキ
    ・・・異説多・・・
 正室 煕子(妻木範煕の女)
 子  光慶
    玉(細川忠興正室)
    自然
    ↓↑
 「天正十年 愛宕 百韻」
       ・・・なんで「少年探偵団」なのか?
          なんで「小林 芳雄」なのか?
          1936年(昭和11年)
         『少年倶楽部』・『怪人二十面相』
          明智小五郎
          ↓↑  
          活動拠点
          千代田区采女町(架空)
          赤井=明智の影武者
          事務員
          花崎 マユミ=文代の姪
          警視庁
          赤松警視総監
          捜査一課
          波越(鬼) 警部・・・アトムのタワシ警部
          中村 善四郎警部・・・アトム
  ↓↑
 十戒=Ten・・・テン・てん・・・添真理・テン手鞠(手毬)?
    Commandments
   =Moses'
    Ten
    Commandments
    モウゼ
    テン
    コマン
    ド
    メント
    ↓↑
    申せ
    天(典・転・顛・添)
    高麗武(狛務・駒務・巨摩務・独楽務)
    小間務
       怒(弩・土・都・斗・)
        免(面)
         頭(子)
    mozzle=不運・モザル
    muzzle(マズル)=動物の鼻口部
             口吻 (コウフン)
             犬の無駄吠え
             噛みつき防止の
             鼻口部にはめるカバー
             銃口・砲口
    Muzzled=銃口
    ↓↑
    シナイ契約・・・Sinai半島
            品意
            支那(しな、シナ)意
            竹刀・似内
            しな=品・科・階・姿
               支那(China)
               しない=撓い
                   竹刀
                   市内
                   Don't do
                   not to do
                   not doing
    ↓↑
    二枚の石板
    出エジプト(埃及)記 31:18・・・埃及の出石・出雲
   「あかしの板・石板・掟の板」
 ↓↑
 十戒=Ten(テン)のΧ(カイ)のCommandments
       天    海   小間 万   怒面頭 
 第5章
 ・・・
 15 あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが
   あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって
   そこからあなたを導き出されたことを
   覚えなければならない。
   それゆえ、あなたの神
   主は安息日を守ることを命じられるのである。

 16 あなたの神、主が命じられたように
   あなたの父と母とを敬え。
   あなたの神、主が賜わる地で
   あなたが長く命を保ち・・・・現実の寿命の長さの枠内である
   さいわいを得ることの・・・・幸いはアノ世ではないらしい・・・
   できるためである。

 17 あなたは殺してはならない。

 18 あなたは姦淫してはならない。

 19 あなたは盗んではならない。

 20 あなたは隣人について偽証してはならない。

 21 あなたは隣人の妻をむさぼってはならない。
   また隣人の家、畑、しもべ、はしため、牛、ろば
   またすべて隣人のものをほしがってはならない。

 「時は今 雨が下しる 五月哉」
  ↓↑
 発句の
 「あめが下しる」を
 「あめが下なる」に改めた・・・
 『群書類従』(ぐんしょるいじゅう)
 「塙保己一」が編纂した国学・国史

 ↓↑
 天正十一年
 『イエズス会日本年報』
 明智が信長に叛いて包囲したものだという報せが届いた
 本能寺では謀叛を予期していなかったので
 明智の兵たちは怪しまれること無く難なく寺に侵入
 ↓↑
 フロイスの『日本史』
 信長自身、酒を飲まなかった・・・是非に及ばず・・・

ーーーーー
 ・・・???・・・ヒトは「独裁を志向する」・・・
 イキテイルコトは「不自由」だから・・・「他人の自由」を買う?
 是非・・・是も非も、兎に角・・・命あってのモノ・・・だねッ・・・

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しらしめる・・・白い雪が大地を占める・・・東北奥州・蝦夷・・・?

2020-12-21 00:37:59 | 古事記字源
 ケイザイのカンジ「經世濟民(経世済民)」・・・軽罪?
 ケイバ・・・のカンジ・・・
 12月13日、阪神競馬場・阪神ジュベナイルフィリーズの
 競馬で「白馬」の「ソダシ」がG1制覇、優勝・・・?

 知らしめる・・・?・・・ナニを・・・?
 物事を大勢の人に知らせること
 知らしめる・周知させる・告示、周知する・連絡する
 伝達する・伝える・連絡網を回す・・・回覧
 報せる・広める・報知する・告げる
 思い知らせてやる・・・トッチメル・お灸を据えてやる
            懲(こ)らしめてやる
 知らせる
  is just to inform.
 知らしめる
  has a compulsive nuance.
 I recommend you shouldn't say 知らしめる easily
 ・・・だから・・・知ってナニすんの・・・三サル・・・?
 しらしめる・・・白い雪が大地を占める・・・東北奥州・蝦夷?
 白羅占める・・・新羅占める・・・源氏・・・白旗・・・?
 白村江の海戦(663)以後
 唐vs新羅戦争
 670年~676年
 唐と新羅は、同盟を結び
 660年に百済
 668年に高句麗
 を滅ぼしたが
 その後
 唐・新羅戦争
 676年
 新羅は
 伐浦で
 唐軍を破って
 唐軍排除掃討
 半島支配の新羅・・・「しらしめる」?

 ↓↑
 ケイザイのカンジ「經世濟民(経世済民)」・・・刑罪・刑剤・軽罪・・・?
 軽 座位・珂瑠皇子・・・刈追字・借往時・往事・王爾・黄示・・・?
      文武天皇=倭「根子(ねこ)」豐祖父(豊祖父)天皇
      天之眞宗豐祖父(豊祖父)天皇・・・葛野王
      豐= 丰+山+ 丰+豆
        異体字「丰(簡体字)・𣍈(説文解字)・𧯮(俗字)
        灃(俗字)・酆(俗字)・𤲊(俗字)
        豊(代用字(新字体)」
      母 阿閉(阿陪)皇女=元明天皇
      父 草壁皇子
        日下部皇子
 ↓↑     ↓↑
      安康天皇=穴穗御子(あなほのみこ)
      1614年(慶長19)
      再建された京都
      方広寺大仏殿の釣鐘の銘
     「国家安康」⇔大阪の冬夏の陣の
            イチャモンの銘字
        鮟鱇(華臍魚)=深海魚⇔新開衙?
                提灯鮟鱇=誘引突起から
                発光液を噴出
      雄略天皇の時代
      日下大王を殺したのは
      坂本の祖、根の臣
      と
      安康天皇(木梨軽皇子の同母弟)
      日下大王の妹
      日下王(草香幡梭姫皇女)
      を娶ったのは
      雄略天皇
      漢風諡号 雄略天皇
      和風諡号 大泊瀬幼武天皇
      御名 大泊瀬幼武・大泊瀬・幼武
      別称 大泊瀬幼武尊
         大長谷若建命
         大長谷王
 ↓↑
 役 小角(えん の おづぬ・おづの ・おつの)
 「役=やく=約=薬=譯=訳」の緒書く・・・?
 舒明天皇六年(634年)伝~大宝元年六 月七日(701年7月16日)伝
 呪術者・修験道の開祖
 姓 君
 役行者(えんのぎょうじゃ)・・・譯(訳)行の写
 役優婆塞(えんのうばそく)・・・訳が優(優れ・優秀)
                 婆=波(は)+女(おんな)
                     葉    音名
                 塞=サイ=差異
 加茂役君・・・化して模す訳(やく)の訓(よみ)
 賀茂役君(かも の えん の きみ)
 諡号 神變大菩薩
 尊称 役行者、役優婆塞(えんの うばそく)
 父  出雲から入り婿した大角(おほづ)・・・大隅・大須見
 母  白専女(刀良女=とらめ)・・・虎目・図羅目・寅目
 生地 大和國葛城上郡茅原郷
   (奈良県御所市茅原)
 没地 天上ヶ岳(箕面市)
 宗派 修験道

 白雉元年(650年)・・・新羅の記事
 京に
 志明院を創建
 寺院 役行者霊蹟札所など
 弟子 韓國 廣足=韓国広足
    韓の国の広の足・・・典薬頭
   「外従五位下の韓国広足は小角を師としていたが
    その後に師の能力を妬んで讒言した」
    とする説・・・
   葛木山の神である
   ・・・葛野王(かどののおう
          かどののおほきみ)
      弘文天皇(大友皇子=伊賀皇子)
      の第一皇子
      光仁天皇の従兄
      淡海三船の祖父
      官位 正四位上・式部卿
     「葛野王」は
      文武天皇継承論議で
      親ー子ー孫の
      直系継承を主張し
     「弓削皇子」を一喝・・・・弓削氏⇔道鏡
  「一言主」が
     「葛野王」の「一言=一喝」
      父 弘文天皇(父 天智
             母 伊賀宅子娘)
      母 十市皇女(父 天武
             母 額田王)
      妹 壱志姫王
      子 池辺王=淡海三船の父
        藤並王
        田辺王
   ↓↑
   人に乗り憑依(う)って
   文武天皇に
   役の優婆塞の謀反を讒言・・・
  「一言主」は
  「役の優婆塞」の呪法で縛られて
   今(『日本霊異記』執筆の時点)
   になっても呪縛は解けない・・・
   ↓↑
   ・・・能の演目『葛城』では、「女神」・・・
   ↓↑
  『古事記(712年)・下つ巻』
   460年(雄略天皇四年)
   雄略天皇が名を問うと
  「吾は
   悪事も一言
   善事も一言
   言い離つ神
   葛城の一言主の大神なり」
   ↓↑
  『日本書紀(720年)・雄略天皇』
  「一事主神(一言主神)」・・・「一(壹・壱)字」
   797年に書かれた『続日本紀(797年)・巻25』
   高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争って
   天皇の怒りに触れて土佐国に流された
   ↓↑
  『日本霊異記(822年)』
   一語主(一言主)は
   役行者に使役される神
 ↓↑
 文武天皇三年(699年)五月二十四日
 讒言され
 「役小角」は
 「伊豆島」に流罪・・・「出雲」の島?
 小角が
 鬼神(キジン=記人)を
 使役して
 水(みづ=密・瑞・観ず?)を汲み
 薪(まき=巻・真紀?)を採らせていると噂
 ↓↑
 大宝元年(701年)一月
 大赦で
 茅原に帰る
 六月七日
 箕面山(みのおやま・みのおのやま)
 瀧安寺の
 奥の院にあたる
 天上ヶ岳にて入寂・享年68
 ↓↑
 中世
 金峰山、熊野山の縁起を
 合わせて作られた
 『両峰問答秘鈔』
 『修験指南鈔』
 などがあり
 詳細な
 『役行者本記』という
 小角の伝記が現れた
 寛政十一年(1799年)
 聖護院宮盈仁法親王が
 光格天皇へ
 役行者御遠忌(没後)1100年を迎えることを上表
 正月二十五日
 光格天皇は
 烏丸大納言を勅使として聖護院に遣わして
 神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡を贈った
 勅書は天皇の真筆で聖護院の寺宝
 大宝元年八月三日(701年9月9日)
 大宝律令が完成
 翌年公布
 初めて日本の国号が定められた
 遣唐使
 粟田真人に初めて節刀を与え
 唐との国交正常化を目指し
 日本の国号変更(倭→日本に漢字表記を変更)通告
 ↓↑
   「一言主」とは・・・「ことわざ(諺)」・・・?
   「一言居士」・・・
 ↓↑
 加減乗除の実数で説明できるモノ・・・読み書きソロバン(算盤・十露盤)
 壹・壱・移置・位置・位地・移置・市・・・イチ・・・
 初発(存在)の分裂(動的変化)の開始・・・
 個体(初・壹・壱・一)の分割は貳(二)から始まる・・・
 全体(全・零・0・〇)の分割は貳(一)から始まる・・・
 ↓↑
 はじめ
 一・紀・大・春・哉・吉・朝
 基・元・啓・玄・新・造・朔
 児・初・順・源・素・東・肇
 ↓↑
 肇=𢼄+聿
   聿(ふで)で
   書き「啓(はじめる)」こと
 ↓↑
 啓=戸+攵(攴)+口
   異体字「启(簡体字)・啟(旧字体)
       啔(異体字)・闙(異体字)」
  「戸+攴(手の動作)+口」
   戸を手でひらく
   口で言葉を発する
   ケ
   ケイ
   ひらく
   はじめる
   言葉を発する・説明する
   目上の者に申しあげる
   貴人の行動
   行啓
 ↓↑
 崇神天皇(すじんてんのう)
 開化天皇十年~崇神天皇六十八年十二月五日
 120歳
 第十代天皇
 在位 崇神天皇元年1月13日~同68年12月5日)
 『日本書紀』
 御間城入彦五十瓊殖天皇
 御肇国天皇
 諱  御間城尊
 別称 御肇國天皇
    御眞木入日子印恵命
    所知初國御眞木天皇
    美萬貴天皇
 父  親開化天皇
 母  親伊香色謎命
 ↓↑
 皇后 御間城姫
 ↓↑
 子女 垂仁天皇
    彦五十狭茅命
    国方姫命
    千千衝倭姫命
    倭彦命
    五十日鶴彦命
    豊城入彦命
    豊鍬入姫命
    大入杵命
    八坂入彦命
    渟名城入媛命
    十市瓊入媛命
 皇居 磯城瑞籬宮
  ↓↑
 「価値=value・worth・merit
     金銭に換算できる価値としてはvalueもworthも用いる
     value=主として有用性・重要性などに関する価値
     worth=精神的・道徳的など本質的な価値
     merit=賞讃に値するよさを表す・付加価値
     Different people have different values.
  ↓↑
 「使用価値=use value・utility value
       value in use」の説明
 「労働価値=labour of value」の説明
 「希少価値=rarity(レアラァティ) value
       scarcity(スケアシティー)value」の説明
 「交換価値=exchange value」の説明
  ↓↑
 経済学=人間社会における
     物質的な生活資料の
     生産と交換の
     諸法則性の論理
     ↓↑
     人間社会における
     生産関係と
     生産物の
     分析された本質説明を基礎に
     その交換市場に於ける
     商品(交換物となった生産物)の
     使用価値としての
     商品交換での
     需要供給関係で
     価値変化を変動させる
     交換媒介物(金)との関係の
     在り方を説明する理論・・・?
     ↓↑
     政治経済学(political economy)
     Economics
     ↓↑
     ギリシャ語
     οικονομία(家政術)に由来
     漢語の「経済」
    「世の中を治め
     人民を救う」
    「経世済民(経国済民)」の略語
     東晋の
    「葛洪」の・・・葛城・葛木・桂木
     『抱朴子(ホウボクシ)』
     の記述が初出
     祖父が三国時代の
     「呉」の国の大臣
     父が地方長官
    『抱朴子(ホウボクシ)』
     内篇20篇、外篇50篇
     内篇は仙人になる修行方法の記録
     東晋の
    「建武元年(317年)」に完成・・・317
     重視するのは
    「金丹」で、金丹の服用で
     不死の生命を得る(金丹篇)
     金丹は
     丹砂(天然の硫化水銀)を材料として得られる
     還丹と黄金を材料とする金液
    「黄白篇」で
     錬金術
     ↓↑
     内篇は神仙術に関する諸説を集大成
     後世の
    「道教」に強い影響を及ぼした
    『抱朴子』は緯書を引いて
     体内の
    「三尸の虫」が
    「庚申の日」に
    「司命神」に人の悪事を訴え
    「竈の神」も晦日に司命神に悪事を訴える
     という説を述べ
     司命神は訴えられた悪によって
     人の寿命を縮め
     仙術を行っても無効になる
    (微旨篇。司命神は対俗篇)
     道徳主義は
    『抱朴子』の特異な点で
     後に
    『太上感応篇』の「善書」に発展・・・?
     道蔵の太清部
    『太上感応篇』30巻
    「李昌齢」の伝
    「鄭清之」の賛
     李昌齢=「李石」
        =南宋の紹興・乾道年間(12世紀)の人
    「鄭清之(1176~1251)」少し後の人物
     30巻の大部分は
    「李昌齢=李石」の「伝(注釈文)」で
     本文は全文1274字
     ↓↑
    「李昌齢=李石」は
    「伝(注釈)」を書いた人で作者ではない
    『太上感応篇』
    「司過の神」が人間の罪の重さに応じて禍を与える
    「三台・北斗神君」が罪を記録し
    「三尸・竈神」などが罪を報告
     善行と悪行を羅列し
     悪行の方が多い
     内容は『抱朴子』の抜粋に近く
     内篇の対俗・微旨両編と関係が深い・・・
 ↓↑
 経=糸(幺小)+圣(又十一)
 済=氵+斉(亠乂丿二亅)
 ↓↑
 訳語の考案者
 「福澤諭吉」
 講義名として
 「経済」という語を
 用いた時点(1862年、1868年)で
 すでに
 1862年発行の辞書
 『英和対訳袖珍辞典』が・・・英・和・対訳
      袖珍=そでに入る小型な辞典・ ポケット型辞典
 「political economy」の訳語として
 「経済」「経済学」の訳語を記録
 同年
 「西 周」が手紙の中で
 「経済学」の語を使用
 訳語として同時期に
 「資生」も提唱された・・・「資生堂」?洗濯石鹸・・・
    シルヴィ・バルタン
    ドライウエイにハルがくりゃ・・・
    ワンサカ・わんさか・ィエィッ、ィエィッ、ィエィッ
    レナウン、レナウン、れなうん、Renown
    明治35年(1902)・創業者の佐々木八十八
    アラン・ドロン
   「D'urban c'est l'elegance de l'homme moderne.
   (ダーバン、現代を支える男のエレガンス)」
    山東如意グループ(山東省)の傘下・・・?
    ・・・なんで、潰れたんだか・・・大雪・・・
    コロナは雪の結晶に似ている・・・
 ↓↑
 「経済」=「世の中を治め、人民を救う」
      「経世済民=経国済民」の略語
       日本
       1729年
       太宰春台が『経済録』、経世論を著
       経済と意味が類似の古典的漢語
      「理財」・「食貨」・「貨殖(興利)」
       などがあった
 ↓↑
 市場経済(Market economy)
 企業や個人が
 自己利益を最優先し
 物財を生産し
 需要・供給の
 商品市場の枠内の仕組みの
 売買交換によって
 分配する形態の経済
 規範や指令もなく
 市場における消費の動向によって
 生産活動が規定される
 個人の自由度が高く
 意思決定が分散的で
 希少性の変化に柔軟に反応
 ↓↑
 経済理論が保証する市場経済の効率性は
 私有財産権
 取引の自由
 企業参入退出の自由
 完全情報公開などの条件が必要
 条件が満たされない場合に
 市場崩壊
 ↓↑
 計画経済 (Command economy)
 中央当局によって
 あらゆる
 経済活動が運営されている形態の経済
 指令経済とも
 産業への必要物資
 生産目標
 生産割り当てなどが定められ
 その計画に基づいて
 経済活動が遂行
 経済資源や労働力を
 計画的に運用することができ
 特定の産業を集中的に発展できる
 労働者の
 インセンティブが欠如しやすい
 インセンティブ(incentive)
 労働意欲を引き出す
 生産外部からの刺激
 「餌・ニンジン」
 生産性を上げる
 労働条件と結果の
 報酬・奨励・報奨
 「カネ、権力、名誉、仕事、自由・・・」
 ↓↑
 政治学=人間社会の協生論
 法律学=人間社会の約束論
 ↓↑
 経世済民(けいせいさいみん)
 世の中をよく治め
 人々を苦しみから救うこと
 「経」は治める、統治する
 「済民」は人民の難儀を救済
 「済」は救う、援助する
 「經世濟民(経世済民)」
 「世を經(をさ)め
  民を濟(すく)ふ」
 「経国済民」
 ↓↑
 東晋の
 「葛洪」・・・葛野王・葛城王・葛木皇子
 の著作
 『抱朴子』内篇(地眞篇)
        ・・・ウリ(朴)の子を抱く
        子(シ・ス・ツゥ)=了+一=書籍の終始・始終
        接頭・接尾の「子」・思想家の書籍の名 
 「經世濟俗」という語
 「經世濟民」とほぼ同義で用いられ
 隋代の
 「王通」
 『文中子』礼楽篇に
 「皆有經濟之道、謂經世濟民」
 「經濟」が「經世濟民」の略語として用いられていた
 『晋書』殷浩伝(唐)
 『宋史』王安石伝論(元)
 などに
 「經濟」の字句
 政治・統治・行政一般を意味する
 清末
 「戊戌の政変」後
 科挙の新科目
 「経済特科」は、この用法
 ↓↑
 近世以前の日本
 「経世済民(経国済民)」
 が一つの言葉として用いられることはあまりなく
 「経国」
 「済民」
 などがそれぞれ別個に用いられた
 江戸時代
 「経世済民(経済)」
 が用いられた
 明末清初の
 考証学者による
 「経世致用の学」の影響で
 日本でも
 儒学者・蘭学者などによる同種の
 「経世論(経世済民論)」が流行した
 初めて「經濟」の語を書名とした
 「太宰春台」
 『経済録』(18世紀前半)は
 「凡(およそ)天下國家を治むるを
  經濟と云、
  世を經め民を濟ふ義なり」とし
 「經世濟民(經濟)の學」は
 政治学・政策学・社会学
 などの広範な領域のコトバであった
 ↓↑
 戸後期
 貨幣経済が浸透し
 「經濟」のなかでも
 「社会生活を営むのに必要な
  生産・消費・売買などの活動」
 と強調
 ↓↑
 「堀達之助」らの
 『英和対訳袖珍辞書』で
 "economy"=「家事する、倹約する」
 とし
 "political economy"(古典派経済学で経済学を意味)
 に「経済学」の訳語を与えた
 「西 周」
 によると日本における
 最初の西洋経済学入門書
 「神田孝平」訳の
 『経済小学』(1867年(慶応三年)刊
 では
 「経済学」を
 「ポリチャー エコノミー」
 と読ませ
 同年末に刊行された
 「福沢諭吉」の
 『西洋事情 外篇』巻の3
 でも同様の用法として
 「経済学」の語が見える
 前年1866年(慶応二年)刊の
 『西洋事情 初篇』巻の1
 には
 「経済論」の語がある・・・
 ↓↑
 「経済(学)」が
 「エコノミー」
 「ポリティカル・エコノミー」
 の訳語として
 「西 周」は
 『百学連環』(1870年(明治3年)刊)で
 「エコノミー」
 と
 「ポリティカル・エコノミー」
 の区別を重視し
 前者に「家政」
 後者に国家の「活計」を意味するものとし
 津田の訳語「経済学」では
 「活計」の意味を尽くしていないとし
 「制産学」の訳語を与えてた
 個人(企業)の「家計・会計」
 と
 国家規模の経済運営を「理財」の訳語が用いられた
 1881年刊『哲学字彙』で
 "economics"の訳語
 明治初期の大学・専門学校の学科名としては
 「理財学」が用いられた
 しかし国家レベルと個人・企業レベルの
 「エコノミー」を包括して
 「経済」とする用法が次第に普及
 江戸時代以来の
 「貨殖興利」という用法も存続したため
 本来の
 「経済」
 の語に含まれていた
 「民を済ふ」
 という規範的な意味は稀薄となった
 新しい用法は
 本来の意味の
 「經濟」という語を
 生み出した
 「中国(清)」にも翻訳を通じ
 逆輸出され
 以後東アジア文化圏全域で定着した
 ↓↑
 「大塩平八郎の乱」
 ・・・権力を握る「目的=戦略」は脳外だった・・・
 ↓↑
 「大塩平八郎」
 寛政5年1月22日
 1793年3月4日
 ~
 天保8年3月27日
 1837年5月1日
 ↓↑
 別名 正高・後素
 通称 平八郎
 号  中斎
 平八郎の
 実の祖父・政之丞が
 阿波国・・・阿波・アワ・あわ・・・
       泡=氵+勹+己
        =液体に包まれた己(おのれ・よこしま・キ)
       あわ・あぶく・ホウ・foam・bubble
       泡沫(ホウマツ・うたかた)
       液体もしくは固体が
       その中に気体を含んで丸く膨らんだモノ
       気体を包む液体の表面張力により作られる
       固体の泡は
       液体の状態で形成され固体化されたモノ
 脇町の出身
 与力・・・與力
 大塩家に
 養子に入った
 祖父と混同された・・・
 ↓↑
 出生地
 大坂天満
 と
 阿波美馬郡
 の2説
 ↓↑
 幼名 文之助
 諱  正高・後素
 字  子起・士起
 与力退職後 連斎・中斎
 ↓↑
 『洗心洞箚記』・・・箚記(サツキ)=箚を札の義に用いた慣用音
           ものを書きしるす簡札
           読書したり、話を聞いたりしたときの
           感想・意見などを
           気のむくままに書き記すこと
           その記録・随想録
          『二十二史箚記』は
           箚記(読書雑記を箇条書きしたもの)の形式
           中国の正史二十二史の
           編纂形式や構成・内容について
           考証し論評した書
           清代の
          「趙翼」の著
           本編36巻と補遺1巻
           乾隆六十年(1795年)の
           自序
           嘉慶五年(1800年)の
           銭大昕等の序文がある
          「廿二史箚記」とも記される
 『古本大学刮目』
 『儒門空虚聚語』
 知(真の認識)と行(道徳的実践)とは表裏一体
 人間の知(認識)は
    行(行為・実践)の一部であって
 分けることはできない
 ↓↑
 天保八年
 二月十九日
 (1837年3月25日)
 大坂(大阪市)で
 大坂町奉行所の
 元与力
 大塩平八郎(中斎)と
 その門人らが起こした
 江戸幕府に対する反乱
ーーーーー
 ・・・???・・・
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岩倉使節団・・・「大久保利通」が観たロンドン(倫敦)の「スラム街」

2020-12-17 21:14:10 | 古事記字源
 英(はな)和(わ)対(つい)訳(やく)袖(ふりそで)珍
 ↓↑
 「confess =告白する・白状する」・・・?
 「Patti Page sings CONFESS」・・・
 「Tennessee Waltz」・・・
  出音思惟・・・倭(和・輪・環・話)留通・・・?
 ↓↑
 「大久保利通」のロンドンの「スラム街」を観た感想を・・・
 「イザベラ・バード・ビショップ」は知らんかったんだろう・・・???
 ↓↑
 岩倉使節団
 明治4年7月(1871年8月)
 廃藩置県を断行直後の11月に結成
 岩倉具視、木戸孝允、大久保利通
 伊藤博文
 らを正・副使として
 各省理事官と随員含め
 46名からなる大使節団
 60名近くの留学生
 米欧回覧の壮途
 目的
 条約締結各国への
 国書奉呈
 聘門の礼を修め
 欧米先進諸国の制度・文物
 を見聞し
 明治国家の「国のかたち」を考えること
 条約改定期限(明治5年5月26日・1872年7月1日)
 に向けた締結国との予備交渉
 ↓↑
 計画
 大隈重信と伊藤博文の建言
 背景には政府顧問の
 グイド・フルベッキ
 による
 ブリーフ・スケッチの存在
 ↓↑
 グイド・ヘルマン・フリドリン・フェルベック
 (Guido Herman Fridolin Verbeck、Verbeek)
 1830年1月23日~1898年3月10日
 オランダ出身
 アメリカ合衆国に移民
 日本にキリスト教オランダ改革派宣教師として派遣
 法学者・神学者・宣教師
 ↓↑
 1868年6月
 フルベッキは
 大隈重信に、日本の近代化についての
 進言(ブリーフ・スケッチ)を行った
 大隈が翻訳し
 岩倉具視に見せ
 1871年11月に欧米視察のために
 使節団を派遣することになった(岩倉使節団)
 フルベッキが岩倉に助言
 1877年
 日本政府より勲三等旭日章を授与
 ↓↑
 久米邦武
 ↓↑
 佐賀藩士
 久米邦郷の三男
 佐賀藩校
 弘道館に学び
 大隈重信とも親交
 ↓↑
 「イザベラ・バード・ビショップ」は
 産業革命のロンドン市内の「不潔」さを観察していなかった・・・
 身近な現実的情景も状況も知らなかった・・・
 遠くは見えた、足元は見えない・・・隣の芝生は枯れているってか?
 ・・・英(はなしべ)の語(かたり)・・・かたりべ=もののべ・・・?
    英国婦人・・・
    イザベラ・バード・ビショップ
   (Isabella  Bird  Bishop)
    伊邪邊等 鳥・鶏 坊主夫人・僧侶夫人?
    1831年10月15日
    ~
    1904年10月7日
           1899年10月(68歳)乙巳偏官
    辛┏卯(甲 乙)食神・正官 病⇔甲辰正官・支合
    戊┣戌(辛丁戊)劫財・食神 養⇔癸酉偏財・害
    己┣未(丁乙己)  ・偏印冠帯⇔甲戌正官・破
    庚┗午(丙 丁)傷官・印綬建禄⇔庚午傷官・自刑
      子丑空亡
    ↓↑
    1878年(明治11年)6月から9月
   『日本奥地紀行』は執筆
    1880年(明治13年)
    "Unbeaten Tracks in Japan"
   (日本における人跡未踏の道)
    として刊行
    ↓↑
  『朝鮮紀行』
  「Korea and Her Neighbours」
   4度にわたり
   最末期の李氏朝鮮(朝鮮王朝)
   を訪れた旅行の記録
    ↓↑
    英国(栄国)夫人・・・則天武后(幼名・媚娘)の母
               隋王朝の内史、楊達の娘
               楊達
               武則天の母方の祖父
               内史侍郎=首都近郊の行政長官
               諡は懿・・・懿徳天皇?
    ↓↑
    武士彠
    と
    楊夫人(栄国夫人・英国夫人?)
    隋王朝・楊氏の女性(楊達の娘)
    ↓↑
    長女
    韓国夫人
    ↓↑
    三女は
    郭孝慎の夫人
   『郭素慎 婦人』
   ・・・「纂序・纂所・蒜如・讃女」?
   ・・・則天武后の妹の夫は
     「郭素慎」⇔「郭務悰」は血縁?
    ↓↑
    次女
    則天武后=媚びる娘・・・袁天綱・人相占師の予言
   「猫=ねこ=根子」を懼(怖・恐・畏)れた
   「鼠=ねずみ=子」だった・・・「子年」生まれ?
   「貞観二年(628)」生まれ・・・?
    貞観二年(628年02月17日)
    ~
    神龍元年(705年12月16日)
    ↓↑       大運703年4月(75歳)丙午・傷官
    戊子(壬 癸)⇔正財・印綬  病⇔乙巳・比肩
    甲寅(己丙甲)⇔劫財・正財 帝旺⇔戊子・正財
    乙卯(甲 乙)⇔  ・比肩 建禄⇔壬寅・印綬
    壬午(丙 丁)⇔印綬・偏財 長生⇔丙午・傷官・自刑
     子丑=空亡
    ↓↑
    or
   「猿女」だったら・・・「蛇(巳=邪=横島)」と合した
   「猿田彦」を溺死させた「申年」生まれの「宇受女」?
    武徳七年一月二十三日
    624年2月17日
    ~
    神龍元年十一月二十六日
    705年12月16日
          大運699年3月(75歳)戊午・偏財
    甲┏申(戊壬庚)比肩・偏官 絶⇔乙巳・劫財・支合
    丙┣寅(戊丙甲)食神・比肩建禄⇔戊子・偏財
    甲┣午(丙 丁)  ・正財 死⇔壬寅・偏印・三合
    庚┗午(丙 丁)偏官・正財 死⇔丙午・食神・自刑
      辰巳空亡
    在位期間
    690年10月16日~705年2月22日
    庚┏寅(己丙甲)偏官・冲
    丙┣戌(辛丁戊)食神・三合
    壬┣午(丙 丁)偏印・自刑
    丙┗午(丙 丁)食神・自刑
    ↓↑
    則天武后(幼名・媚娘)・・・媚=女+眉
            ↓↑
            眉輪王・・・鼻輪・鼻和・塙
            目弱王   鼻から生まれた素戔嗚
            ・・・目弱=弱視・色盲・色弱・盲目の人
            父
            大草香(日下)皇子・・・久坂玄瑞(隋)?
           (おおくさかのみこ)・・・日下数馬
                        日下義雄
                        日下誠
            母
            中蒂姫命・・・蔕(へた)
           (なかしひめのみこと)

    円大使主(つぶらのおほみ) 『日本書紀』履中天皇二年条
    円大臣 (つぶらのおおおみ)『日本書紀』雄略天皇元年条
    都夫良意富美(つぶらのおほみ)『古事記』安康天皇
    葛城 円(かつらぎ の つぶら)

                  公
                  孫
       圓=エン=延・猿・燕・淵・袁=長袖(Long sleeves)
            長・女・國・  世 長州 論愚 素理意部   
                    凱 聴衆・徴集・兆周
                      兆民(中江兆民)
     ↓↑
  中江 兆民
  ↓↑  1847年12月8日
     ~
     1901年12月13日
          大運1898年1月(50歳)丙午劫財
                    ┣害
   ┏丁┏未(丁乙己)比肩・比肩冠帯⇔辛丑偏財・冲
   干合┃
   ┣壬┣子(壬 癸)正官・正官 絶⇔庚子正財
   干合支合
   ┗丁┣丑(癸辛己)  ・偏官 墓⇔乙丑偏印
     害
    丙┗午(丙 丁)劫財・劫財建禄⇔壬午正官・自刑
     申酉空亡
  ↓↑
    思想家・ジャーナリスト
    政治家・自由民権論者
    第1回
    衆議院議員総選挙当選者 
  ↓↑
  中  蒂 姫  命
 (なか し ひめのみこと)
     蔕=艹+ナ+廿+匕+冖+巾=蒂=艹+帝
       タイ・テイ
       へた・うてな・ねもと・とげ
       異体字「蒂=艹+帝」
       へた=果実が枝や茎につくところ
          トマト・柿などの
          実についている「萼(がく)」
       うてな=花の「がく(萼・蕚・calyx)」
           いちご(苺)のヘタ=hull=ハル
       へた=stem(ステム)
          花弁 (petal)
          萼片 (sepal)
       ねもと・ね
       とげ(棘)
       さしさわり(差障り)
       ↓↑
       わかめ
       若布・和布・稚海藻
       裙帯菜
       裙蔕菜=わかめ

 ↓↑
 萼(がく・蕚は異体字・英: calyx)
 植物用語
 花冠(花弁orその集まり)の外側の部分
 ひらがな書きで「がく」
 萼の個々の部分を
 萼片(がくへん・英: sepal)
 花弁(花びら)の付け根にある
 緑色の小さい葉のようなもの
 萼は花全体を支える
 果実に残り付いている萼は
 蔕(へた)と呼ばれる
 花被(かひ・英: perianth)
 萼と花冠が同じように見える場合
 ↓↑
 英(はな)の和(わ)・・・英=はなぶさ・ひいでる・エイ)
 対(つい)の訳(やく)
 袖(ふりそで)の珍(めずらし)
 ↓↑
 『英 和対 訳 袖  珍 辞書
 (えいわたいやくしゅうちんじしょ)』
 堀達之助
 が編纂した
 日本初の刊本英和辞典
 ↓↑
 箕作 麟祥(みつくり リンショウ・あきよ)
 1846年9月19日
 弘化3年7月29日
 ~
 1897年(明治30年)11月29日
 幕臣・官僚
 洋学者、法学者
 男爵、法学博士
 元老院議官、司法次官
 貴族院勅選議員
 行政裁判所長官
 和仏法律学校(法政大学)初代校長
 民法・商法編纂委員
 法律取調委員会委員
 法典調査会主査委員
 ↓↑
 祖父
 蘭学者の
 箕作阮甫
 ↓↑
 父
 箕作省吾 阮甫の婿養子
 母
 しん 阮甫の四女
 父・省吾が若死し
 祖父・阮甫に養育
 阮甫の死後
 家督相続
 従兄 数学者 の菊池大麓
    動物学者の箕作佳吉
    歴史学者の箕作元八
 大叔父 蘭学者の箕作秋坪
 ↓↑
 藤森天山・安積艮斎に漢学
 蕃書調所(東京大学)で蘭学
 ジョン万次郎(中浜万次郎)に英学
 1861年8月5日(文久元年6月29日)
 15歳
 蕃書調所
 英学教授手伝並出役
 家塾で
 乙骨太郎乙・鈴木唯一・外山正一
 菊池大麓・箕作佳吉・大島貞益
 らに英学を教授
 1864年(元治元年)
 外国奉行支配翻訳御用頭取
 福澤諭吉・福地源一郎
 らとともに
 英文外交文書の翻訳に従事
 フランス法学者
 英学者
 ドイツ語文献も理解
 ↓↑
 1867年(慶応3年)
 ナポレオン3世の
 パリ万国博覧会
 将軍の名代の
 徳川慶喜の弟
 徳川昭武に
 渋沢栄一
 らと一緒に随行
 2月15日横浜を出発
 後
 徳川昭武・・・照武⇔武照(曌)
 とともに
 フランスに留学
 ↓↑
 1868年
 明治元年2月24日の帰国後の
 明治新政府の下
 開成所御用掛から
 兵庫県御用掛
 新設の
 神戸洋学校教授
 時の兵庫県令
 伊藤博文(伊藤俊介)は
 騎馬で出迎え歓迎
 翌1869年(明治2年)
 外国官(外務省)翻訳御用掛
 大学南校(東京大学)大学中博士
 開いた私塾
 共学社には
 岸本辰雄らが学んだ
 明治2年5月ころ
 家塾で
 中江兆民
 大井憲太郎
 らが入塾
 明治4年2月頃中止
 ↓↑
 1869年(明治2年)
 参議
 副島種臣から
 フランス刑法典の
 翻訳を命じられ
 1870年(明治3年)
 制度取調局長官(司法卿)
 江藤新平から
 フランス民法典(ナポレオン法典)
 の翻訳を命じられた
 1871年(明治4年)
 文部省
 設置の基礎固めに参画
 学制の起草・制定で
 主導的役割を果たした
 ↓↑
 日本で初めて
 「権利」
 「義務」
 という訳語を用いた
 「動産・不動産・治罪法・義務相殺・未必條件」
 などの訳語を新規創作
 フランス諸法典を全訳
 『仏蘭西法律書』(1874年)
 ↓↑
 Constitution(国家の根本の法)
 を
 「憲法」と訳した
 福澤 諭吉は「律例」
 加藤 弘之は「国憲」
 井上  毅は「建国法」
 とそれぞれ訳していた
 1874年
 フランスの
 モロー・ド・ジョンネ
 の統計学の本を翻訳
 「統計学」を出版
 明治4年8月
 フランスの倫理道徳教科書の翻訳(原典は米書)
 『泰西 勧善訓蒙』前編刊行
 後編は
 1873年9月刊。1873年3月~1874年8月
 ウールジー著
 箕作訳
 『国際法、一名万国公法』刊行
 ↓↑
 1873年(明治6年)
 ボアソナードが来日
 彼の下で法典の編纂に従事
 1877年(明治10年)
 民法編纂委員
 商法編纂委員
 ↓↑
 民法典論争
 実施断行を主張
 旧民法典(ボアソナード民法典)
 の施行延期が決まった後
 法典調査会の
 主査委員に任命
 新民法典の編纂に関わった
 1894年(明治27年)10月
 法典調査会の副総裁
 西園寺公望は
 総裁
 伊藤博文に対し
 副総裁を
 箕作に譲りたいと願い出てた
 ↓↑
 1889年(明治22年)
 司法次官
 和仏法律学校(法政大学)
 初代校長に就任
 1897年(明治30年)
 死去
 ↓↑
 森有礼、福澤諭吉、西周、加藤弘之
 らとともに創立した
 明六社において
 啓蒙活動
 1897年(明治30年)
 狭心症で急逝・51歳
ー↓↑ーーー
 以下の原文は
 「地学雑誌
 Journal of Geography
 103 (2) 166-185 1994
 西 洋地 学 の導 入(明 治 元年 ~ 明治24年)<そ の3>
 -「 日本地学史」稿抄日本地学史編纂委員会*
 東京地学協会」
 から添付
 ↓↑
 地質論
 慕維廉(W.Muirhead)
 『地理全志』の翻刻本が刊行
 安政六年(1859)
 実地の地質学的調査研究
 お雇い外国人
 文久二年(1862)来日の
 2人のアメリカ人
 ブレーク(W.P.Blake)
 パンペリー(R.Pumpelly)
 による
 北海道
 南西部の
 渡島
 後志地方
 の地質調査
 調査には
 武田斐三郎
 大島高任
 が助手として随行
 ブレークの報告書は
 明治七年(1874)
 北海道
 開拓使から刊行
 調査後
 ブレークは上海に赴い
 アラスカ経由で帰国
 パンペリーは清国政府の依頼で
 北京郊外の炭田を調査した後
 冬のシベリアを横断し
 パリを経て帰国
 渡島・後志地方の地質
 古期
 岩類として
 珪岩・粘板岩・緑岩・石灰岩
 片状岩(函館東方に分布)
 花崗岩類(久遠・瀬棚付近に分布)
 新第三系の
 火山礫岩・軽石凝灰岩・石炭(岩内付近)
 第四系の
 段丘堆積物・沖積層・火山灰・河床礫
 などから形成
 調査の途次
 駒ケ岳・恵山・岩雄登
 などの火山を観察
 クンヌイ金山
 ユーラップ鉛山
 イチノワタリ鉛山
 などの鉱山も調査
 ↓↑
 北海道南部
 から始まった日本列島の地質調査は
 北海道全域に及ぶ
 開拓使に招かれて来日したアメリカの
 ライマン(B.S.Lyman)は
 明治六年(1873)~八年まで
 助手の
 マンロー(H.S.Munroe)
 や仮学校の生徒らとともに
 毎年
 北海道各地の地質調査を行ない
 18編に及ぶ報告書を提出
 ライマンは炭田地域では
 5,000分の1
 地質図のほか
 100分の1
 地質柱状図
 等高線地形図に
 石炭の地下賦存在状態を示す
 地下等深線図を描いている
 ライマンらは炭田開発に貢献
 明治九年(1876)
 北海道の地質を総括した
 200万分の1
 「日本蝦夷地質要略之図」
 を著した
 日本で最初の広域地質図
 翌年に
 その説明書ともいうべき
 "Ageneral report on the geology of Yesso"
 を著
 これは
 明治十一年・・・11年
 開拓使により
 『北海道地質総論』として刊行
 ライマンは
 北海道の層序を次のように示した
 新沈積層(沖積層・火山灰層)
 古沈積層(段丘堆積物)
 新火山石層(第四紀火山岩類)
 登志別石層(新第三系)
 古火山石層(第三紀火山岩類)
 幌向石層(含炭古第三系および白亜系)
 鴨居古丹石層(変成岩および古期岩類)
 北海道南西部地域
 がとくに詳しい
 ライマンによって
 初めて北海道の地質の大勢が判明
 ライマンらは
 明治九年に内務省勧業寮に移り
 明治10年~12年
 本州・四国・九州の大予察旅行
 明治十三年(1880)暮れ
 日本を離れ
 十五年八月
 「日本油田之地質及地形図」を著
 これは
 200万分の1
 日本地図に鉱産地を記入
 薩摩藩に招かれた
 フランスの鉱山地質学者
 コワニエ(F.Coignet)は
 慶応三年(1867)来日
 薩摩・大隅・日向
 3国の鉱産地調査
 後
 明治政府に雇われ
 生野鉱山の開発にあたり
 その間
 九州・四国・中国・近畿・東北・北海道
 の諸鉱山を調査
 明治七年に
 "NotesurlarichessemineraledeJapon"
 を著
 1.日本地質構造 の概観
 2.日本鉱業の現況
 3.日本古来の採鉱冶金法 の概観
ー↓↑ーー
 661年2月11日00時
 斉明天皇七年一月四日
 辛酉
 庚寅
 庚子
 月曜日
 ↓↑
 ユリウス暦
 661年2月08日00時
 辛酉
 庚寅
 庚子
 丙子
 ↓↑
 グレゴリオ歴
 661年2月11日00時
 辛酉
 庚寅
 癸卯
 壬子
 ↓↑
 唐 顕慶六年、龍朔元年
 ↓↑
 斉明天皇七年
 5月
 白村江の戦い第一派出発・1万余人
 船舶170余隻
 指揮官
 安曇 比羅夫
 狭井 檳榔
 朴市 秦造 田来津
 豊璋王
 を護送する先遣隊
 ↓↑
 斉明天皇七年
 6月
 新羅国
 武烈王七年
 武烈王(金春秋)
 高句麗遠征途中で陣中にて死去
 ↓↑
 ムアーウィヤ
 単独のカリフとなり
 ウマイヤ朝がはじまる
 ↓↑
 百済の遺臣は
 鬼室福信・・・記史通符句審
 黒歯常之・・・国史条詞
 らを中心として
 百済復興の兵をあげ
 倭国に滞在の
 百済王の太子
 豊璋王
 の擁立と
 倭国に救援を要請
 中大兄皇子(天智天皇・葛城皇子)
 承諾
 ↓↑
 斉明天皇七年
 2月10日
 斉明天皇七年一月六日
 斉明天皇
 百済救済のため船団に乗り
 筑紫へ出港
 ↓↑
 2月12日
 斉明天皇七年一月八日
 船団が
 備前の
 大伯海に停泊
 大田皇女
 が
 大来皇女
 を出産
 ↓↑
 2月18日
 斉明天皇七年一月十四日
 船団が
 伊予の
 熟田津に寄港
 額田王が歌を詠む
 ↓↑
 4月29日
 斉明天皇七年三月二十五日
 船団が
 筑紫の
 那の大津に到着
 ↓↑
 6月11日
 斉明天皇七年五月九日
 斉明天皇
 朝倉宮に布陣
 周辺の神社を壊し
 その材木で宮殿を建てる
 ↓↑
 8月24日
 斉明天皇七年七月二十四日
 斉明天皇崩御
 第38代天皇
 天智天皇が即位(称制)
 ↓↑
 11月4日
 斉明天皇七年十月七日
 天智天皇
 斉明天皇の遺体を
 難波へ葬送
 挽歌を詠む
 ↓↑
 11月20日
 斉明天皇七年十月二十三日
 斉明天皇の遺体が難波到着
 ↓↑
 12月3日
 斉明天皇七年十一月七日
 斉明天皇の殯の儀が
 飛鳥川原宮で始まる
 ↓↑
 誕生
 2月12日
 斉明天皇七年一月八日
 大来皇女、天武天皇皇女
 元明天皇、第43代天皇
 劉知幾、唐の歴史家
 ↓↑
 死去
 6月
 武烈王(金春秋)、第29代新羅王
 8月24日
 斉明天皇七年七月二十四日
 皇極天皇(斉明天皇)
 第35・37代天皇
ー↓↑ーーー
 和銅
 日本元号
 慶雲→「和銅」→霊亀
 708年~715年
 元明天皇
 ↓↑
 慶雲五年一月十一日(708年2月7日)
 和銅が献じられ改元
 和銅八年九月二日(715年10月3日)
 霊亀に改元
 武蔵国秩父郡(埼玉県
        秩父市黒谷)
 から
 和銅(ニギアカガネ)
 銅塊が発見され
 朝廷に献上され
 慶雲から
 和銅に改められた
 ↓↑
 和銅元年
 二月
 新都造営の詔
 十月
 伊勢神宮に
 平城宮造営を告げる
 和銅元年
 五月
 和同開珎 鋳造
 和銅三年三月
 藤原京~平城京に遷都
 藤原氏
 興福寺の造営を発願
 和銅四年十月
 蓄銭 叙位令
 ↓↑
 和銅五年・・・和同語撚?
 一月
 太安万侶が
 古事記を完成、撰上
 九月二十八日
 出羽国・・・出話(ワ・倭・和・輪・環・吾)語句
 を建てる
 ↓↑
 和銅六年
 四月三日
 丹後国・美作国・大隅国を建てる
 五月
 風土記の編纂を命じる
 郡・郷名に
 好字を付けさせる
 和銅七年六月
 首皇子、立太子
 九月
 元明天皇(阿閉皇女)譲位
 氷高内親王
 が
 元正天皇
 として即位
 ↓↑
 『続日本記』
 奈良東大寺
 大仏
 天平二十一年(749)
 鍍金の量が不足
 二月
 陸奥守(むつのかみ)
 百済王(くだらのこにきし)
 敬福(きょうふく)
 が
 小田郡で
 黄金発見の報告
 大赦
 二度の改元
 天平感宝
 天平勝宝
 田租・調庸の減免
 四月
 聖武天皇は
 東大寺で
 黄金産金を大仏に報告
 「陸奥国の小田郡に出た」
 ↓↑
 万葉歌碑
 越中守
 大伴家持
 ↓↑
 天皇の御代
 栄えむと
 東なる
 陸奥山に金花咲く
 「万葉集」
 ↓↑
 天平勝宝四年(752)
 多賀城以北の諸郡に
 金の貢輪令
 同年四月
 聖武太上天皇
 光明皇太后
 孝謙天皇
 「大仏開眼会」
 挙行
 ↓↑
 天平二十一年
 百済王 敬福
 献上の金の産出地
 陸奥国
 小田郡
 黄金山
 箟岳山
 黄金山神社付近
 成沢地区に
 「モチ石」があり
 「白い石」は
 「金」を含む石英塊
 ↓↑
 大仏鍍金は金を水銀に溶かし
 金アマルガムを
 銅像の表面に塗りつけ
 木炭で350度ぐらいに熱し
 水銀を蒸発させて
 金を銅の表面に鍍金
 ↓↑
 黄金山神社
 天平の仏道
 古瓦出土状態
 叙勲された
 神主
 僧侶
 「金を出せる山の神主
  日下部 深淵」
 「私度の沙弥(官の許可のない僧)
  丸子  連  宮 麻呂
 (まりこのむらじみやまろ)」
 ↓↑
 黄金山神社
 現在の拝殿
 天保八年(1837)竣工
 本殿は
 明治四十二年(1909)
 愛宕・月山両社を合祀の後
 愛宕神社の神殿を移建
 ↓↑
 丸子 連 宮麻呂
 天平の仏堂
 仏堂は直径10m程の
 六角円堂
 屋根は「天平」の年号の瓦を含む瓦葺き
 文様瓦は
 多賀城や
 陸奥国分寺など
 陸奥国府系統の瓦と同じ
 ↓↑
 牡鹿郡の
 金華山・・・鳥居燿蔵
      「蛮社の獄」のデッチ上げ
       おとり捜査の比定現場
       遠山景元(金四郎)とも対立
 ↓↑  ↓↑
    花井 虎一(はない とらいち・こいち)
    幕臣、蘭学者
    本名 花井 一好(はない かずよし)
    号  大巧・如拙道人
    小人目付の
    小笠原貢蔵の養女婿
 ↓↑  ↓↑
   「蛮社の獄」で
    蘭学者
    渡辺崋山を
    小笠原とともに
    宮城県
    石巻市沖の・・・・石巻⇔菊石=アンモナイト?
    太平洋上に浮かぶ島
    金華山(きんかさん)島から
 ・・・無人島(小笠原諸島)への
    渡航を計画したと讒訴、告発
 ↓↑  ↓↑
    花井 虎一は
    蘭学者の
    宇田川 榕庵の弟子で
    渡辺 崋山宅にも出入りし探索
 ↓↑  ↓↑
    花井 虎一は
    ガラスの研究の第一人者でもあり
    馬場佐十郎が訳した
   『ショメール百科事典』
    に影響を受け
   『和硝子製作編』を著
 ↓↑  ↓↑
    鳥居耀蔵から
   『戊戌夢物語』の著者の
    渡辺崋山の探索を命じられた
    小笠原貢蔵は
    花井 虎一から情報を得て
    渡辺崋山が
    金華山(きんかさん)から
    無人島渡航を
    計画しているとして告発
    ↓↑  ↓↑
    同名の
    岐阜の「金華山」=斎藤道三
             織田信長
 ↓↑
 金華山
 は
 「万葉集のみちのく山」
 ↓↑
 江戸時代後期
 文化七年(1810)
 伊勢
 白子
 の国学者
 「沖安海」は
 黄金山神社の地を踏査
 「延喜式内」の
 黄金山神社を
 この場所と比定
 多くの分野で
 産金地の研究が積み重ねられてきた・・・
 ↓↑
 以上の原文は
 涌谷町の
 企画財政課企画班
 から添付
 ↓↑
 宮城県
 遠田郡
 涌谷町
 字新町
 裏153番地2
ー↓↑ーー
 蒼頡=蒼=艹+倉=苍=艹+𠆢+㔾(卩)
          㔾(卩)=割符・しるし
            厄=くるしむ
              わざわい(災い・禍)
      艹+亼+日+丿+口
      蒼(あお)
      三原色の一
      同系統の色の総称
      晴れた空の色・深い海の色
      ソウ
      あお
      あおい
      しげる
      草のあおい色・深い青色
      草木が青くしげるさま
      年老いたさま・・・蒼穹?
      古びる・白髪のまじるさま
      アワただしいさま
      アワてる
      あお=青・蒼・碧
      蒼古・蒼枯(そうこ)
      長い時間がたったもの(骨董・legend)に
      奥深い趣がある様子
 ↓↑    ↓↑
      顔面蒼白(がんめんそうはく)
      血の気が失せた顔色
      古色蒼然(こしょくそうぜん)
      古びていて趣のあること
      蒼狗白衣(そうくはくい)
      変化が速い時世のこと
     「蒼狗」=青い犬or黒い犬
      空に浮かぶ雲は
      犬に見えたかと思えば
      白衣に見えるよう
      変化が速いという意
      蒼然暮色(そうぜんぼしょく)
      夕暮れの少しずつ暗くなっていく
      gradation
     「蒼然」=日没で薄暗い様子
     「暮色」=日が沈んで薄暗い景色
      蒼蠅驥尾(そうようきび)
      普通の人でも
      賢者の指示に従って行動すれば
      功績をあげれること
     「蒼蠅」=青ばえ
     「驥」=駿馬
         一日で千里を走る馬
         駿馬の尾に止まれば
         青ばえも千里を移動することが出来る
        「青蠅驥尾に付す」
         謙遜する表現
        「驥尾に付す」
      天下蒼生(てんかそうせい)
      世界の全ての人々
     「蒼生」=青々と生い茂っている草木
          たくさんの人々
 ↓↑  ↓↑
    頡=吉+頁
      十+一+口+一+丿+目+ハ
      カツ
      キツ
      ケツ
      鳥が舞いあがる・飛びあがる
      首をまっすぐにする
      まっすぐな首すじ
      人に屈しないさま
      かすめる・かすめとる
 ↓↑    ↓↑

 ↓↑
 サロメ
 猿女=さるめ=宇受女・・・鵜(鸕)重女
 ↓↑
 ペテロ=岩
 パウロ=葉
 ヨハネ=豫
 ↓↑
 余白音
 余波子
 猿田彦=青面金剛・・・製綿混合・・・混紡(ブレンド) 生地?
            ジーンズ・・・???
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「プラトン古事記をカタル」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog-1
 「月間の日干支サイクル」
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
 「年月日時×大運干支命式表の組織化」
http://meisiki.bake-neko.net/meisikau/meiww35a2.html

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