・・・「国を売るような首相」→「神戸大震災で国民を殺したのは」→「村山元首相」だろう。「自民党」と結託し、「日本国首相」になり、「自衛隊」を謁見したのは「村山」だろう・・・パチンコ屋のカネを貢がれて「日本国衆議院議長」にフンずりカエッていたのは「土井」だろう・・・彼等は「国際主義者」でもなく、「国家主義者」でもない。ましてや「日本国憲法主義者」でもない。「本人(村山&土井)の気持ちを守るために日本国憲法を歪曲した」のはオマエらだろう。いや、「気持ち」なんかでは無い。「政治屋の自己保身を守るため」である。彼らの「気持ち」は「労働者の社会党」なんかではない。本質は、自己保身のタメ、情況に応じてコロッと身を替え「資本=カネ」に寄生する「プチブル寄生虫」である・・・「労働組合の成り上がり幹部の裏切り」は「日本国際資本家」と一心同体である・・・貿易商売で儲けるタメには国境が必要だ・・・だが、日本国内の産業、「雇用市場」を空洞化させ、外国に「日本資本」の「現地生産工場」を建て、現地低賃金労働者を雇用し、貿易を介さず現地市場で直接販売するのは「国家主義者」から視れば「売国奴」である。国際的に資本(カネ)を動かす商売人にとって「国家」は利権防衛の梃子であるに過ぎない・・・
ーー
1972年、ボクがドイツ・ケルンに下宿留学していた友人を訪問した時、友人の隣室には何かに怯え、ノイローゼに罹ってしまっている「韓国人留学生」がいた・・・
1970年代、西ドイツに留学していた「韓国人留学生」を秘密裏に韓国へ拉致していたのは「韓国大統領の朴正煕(パク・チョンヒ=高木正雄)のKCIA」であった。南北、北緯38度線分断の朝鮮半島「韓国・国家主義者」の「国家維持政策」は当然の仕業である。そして、「韓国自立を目指した(明治)維新の追行」だったのだ。
つまるところ、「大陸共産中国」、「北朝鮮」、「大韓民国」の「階級指導者」も、「国家主義者」として「日本帝国国家の明治維新」を目指したのである・・・その「意識」とは、「プチブル国家枠主義」である・・・目指すところは「帝国主義」列強諸国に対する「独立国家」としての「対等意識」である・・・だが、「プライドを歪曲」し、「事実を歪曲」し、結果はカネの有る、無しで自国民を煽り立て、右往左往しながら「自国民の命を売る」のだ・・・国家権力を握ったモノには「私的なカネ」はいらない。「私的なカネ」は「権力の自由な枠内」にあるからだ・・・一族郎党に使おうが、人民に使おうが、権力者の「カネの使い道」は「自由」である・・・
ーー↓
朴正煕(高木正雄)は
「国家主義者」として「カネ」を使った
1961年5月16日
軍事クーデターで、
国家再建最高会議議長に就任
1962年3月24日
大統領権限代行
1963年10月15日
韓国大統領に就任
1965年6月22日
日本と国交条約締結(日韓基本条約)
1968年1月21日
北朝鮮のゲリラ部隊による
大統領官邸襲撃
青瓦台襲撃未遂事件
1970年8月15日
南北平和共存を提案
1972年7月4日
南北共同声明を発表
10月17日
非常戒厳令を宣布(十月維新)
大統領の任期を
6年延長の憲法改正
第四共和国に移行
1974年8月15日
文世光(在日韓国人)の
大統領
暗殺未遂で
陸英修(朴の夫人)が被弾で死去
・・・「文世光」は「安重根」なのか?
・・・「陸英修」とは象徴的な名前の漢字である・・・
1975年11月22日
「学園浸透スパイ団事件」
朝日、読売新聞の韓国への輸入禁止
1979年10月26日
側近の「KCIA」部長
金載圭に射殺
・・・「金載圭」は「安重根」なのか?
朴正煕大統領暗殺・享年61
ーーーー
朴正煕=高木正雄
清廉、質素の元「共産主義者(?)」
1946年10月
大邱で共産党が指導した
10・1暴動事件
兄の朴相煕が共産党幹部として警察に殺害
南朝鮮労働党(共産党)に入党
軍内党細胞の指導者であったことが
粛軍運動で発覚、逮捕され、死刑宣告
しかし、南朝鮮労働党の内部情報を提供し、
北朝鮮に通じていることが
アメリカ軍当局に評価されて釈放・・・
ーー↓
独裁者ではあるが
カネは「国家主義」的に使われ、
私腹はなかった
セイジは「国家枠内」の
産業資本育成を目指した
↓
「独立国家領域」を維持するためには
「韓国維新思想」を基盤に、
「現実」的な
「文明・文化」、「近代化」として
「カネ」を使った・・・?
いずれにしても
「(維新)国家」には
カネ(資本)が必要だった・・・
カネの出所
↓
アメリカの要請に応じて
韓国軍将兵を
ベトナムへ派遣
西ドイツへ
炭鉱労働者と看護婦を派遣
その給与を担保に借款
日韓基本条約締結の資金でインフラ整備
ベトナム参戦の韓国特需で経済育成
高等学校の増設と進学を薦める教育政策
独自の「自主国防計画」推進
・・・だが、今や、「帝国日本下級軍人」で、「昭和維新・1936年(昭和十一年)・2・26」の「磯部浅一・安藤輝三」の理想(幻想)を重ね、権力奪取に成功した「朴」が「目指した清廉で、軍事独裁時代」とは異なるのである。
↓
1932年大邱師範学校入学
1936年最初の結婚→昭和維新・昭和十一年・2月26日
1937年3月大邱師範学校卒業
1940年4月満州国軍軍官学校入学
1942年満州国軍軍官予科、首席卒業
1950年陸英修と再婚
(ユク・ヨンス
1925年11月29日~1974年8月15日)
↓
時代は「韓民族主義、国家主義」では毛頭なく、本質は格差の中で「プチブル意識」満杯の「人々の国」である。
現実格差が拡大した「恨みの矛先」は「カネへのシステム」であるハズだが・・・もはや「赤い鰊」では「プチブル民主国家」は維持不可能である・・・「キムチ」ではどうにもならんだろう、「事大主義の姐さん」・・・早晩、大陸中国の属国・・・かも・・・
ーー
だが、
国家主義的政策の終盤は
戦争商売によって克服される・・・?
↓
ニューディール政策(New Deal)
アメリカ合衆国大統領
フランクリン・ルーズベルトが
世界恐慌を克服するために行った
「経済政策」だった・・・
市場への政府の介入も
経済政策も限定的にとどめる
古典的な自由主義的経済政策から、
政府が
市場経済に積極的に関与する政策
第二次世界大戦後の
資本主義国の経済政策に大きな影響・・・
ケインズの理論の導入
原案は、
日本の
高橋是清が考えた政策と同じ・・・?
↓↑
銀行券(裏面白紙の見せ金の札)を増刷し
銀行のカウンターに陳列・・・カミの救済
↓↑
交換価値物(信用紙幣)、
貯蓄代替物(金兌換券)、
投資の商品券(株券・証券)の
価格下落からハジマル
↓↑
「カミ」への信用不安の心理的動揺
↓↑
世界恐慌は
銀行の取り付け騒ぎからハジマル
↓
ルーズベルト
1933年3月4日
大統領にルーズベルト就任
翌日に「対敵通商法」に基づき
国内の全銀行を休業させ、
ラジオ演説で一週間以内に
全ての銀行の経営実態を調査し
預金の安全を保障することを約束
銀行の取り付け騒ぎは収束
緊急銀行救済法
↓↑
その他
TVA(テネシー川流域開発公社)の公共事業
CCC(民間資源保存局)による大規模雇用
NIRA(全国産業復興法)による
労働時間の短縮や超越論的賃金の確保
AAA(農業調整法)による生産量の調整
ワグナー法(全国労働関係法)による労働者の権利拡大
↓↑
1935年
第二次ニューディール
失業者への手当給付・生活保護から
失業者の雇用へという転換
WPA(公共事業促進局)を設立
失業者の
大量雇用と
公共施設建設や
公共事業を全米に拡大
対外的には
保護主義貿易から
自由主義貿易に転じ、
大統領権限による
関税率の変更や
外国と互恵通商協定を結ぶ権限の承認
公共事業促進局の実施する
対数表プロジェクト (Mathematical Tables Project)
対数表の精度向上は
弾道計算や近似計算の精度向上に寄与
第二次世界大戦時の
米軍の着弾命中精度の向上や
マンハッタン計画における
爆縮レンズ(ZND理論)に影響を与えた・・・
↓↑
不況の克服は戦争であった
↓↑
第二次世界大戦に参戦
アメリカ合衆国史上最大の
軍需歳出の増大により、
アメリカ合衆国の経済と雇用は
恐慌から立ち直り拡大した・・・
ーーーーー
諸国家間の「自由貿易(ドル決済)」で「不況=好況」が左右される・・・「自由貿易」とはダレのタメのモノか・・・
国家間の戦争での「人殺し」と「破壊」、ヒトの命と軍事品の消耗・・・そして、「難民」が「不況を救う=労働市場(雇用)拡大=軍需産業←金融(金貸し)産業→復興事業・難民救済事業」・・・
・・・NHK「クローズアップ現代」・・・「2014年1月30日(木)放送・東大紛争秘録~45年目の真実~」・・・相手の発言中の画面を突然変えたとしか思えない・・・
「ナニが大学の自治」なんだかを問う前に「常に国家権力の介入」に晒されている「NHK公共放送の責任」とはナニか?を問いたいね・・・ブログの「The Huffington Post・2014年1月30日15時25分 JST」の記事には「万能細胞STAP(スタップ)細胞を世界で初めて作った小保方晴子(おぼかたはるこ)さんは、お風呂のときもデートでも四六時中、研究のことを考えていた」らしいが・・・TVニュースでは「10年後、100年後を見据えて人類社会の貢献」とも言っていたが・・・「人類社会」って?どんな「社会」なのか・・・ボクには彼女の顔が「イモト」に、背後の男性の顔が「ソフトバンクの某」にダブッて視えた・・・
ーーーーー
「1960年代後半・・・東大紛争・・・NHKは昭和史に残るこの大事件にまつわる第一級の資料を独自に入手・・・「45年前の安田講堂陥落の直後、当時の大学執行部が紛争の顛末を極秘裏に語り合った座談会の600頁におよぶ議事録」・・・
ーー
・・・「学問とはナニか?」、「大学とはナニか?」、「自治とはナニか?」を問う前に、「ニュースとはナンなんだか?」を訊いてみたいもんだ・・・なんか、国谷さんの質問にゲストは「・・・当時は産学協同反対とかのコトバもあった・・・」とか、それ以前に、「中華思想の学問」には「社会」のため、「人」のためとかも言っていたが、こいつの「社会」、「人」とはナンなんだか・・・画面が突然変異である・・・
・・・ナニが「戦後史の空白を埋めるスクープドキュメント」なんだか・・・「記録」を「未来」に残す、残さないが「問題」なんだか、ネ・・・「問題は今ゲンザイ(現罪?)」なのに・・・残しても「秘密」にされて、未来の「学問屋の学問シリョウ(死霊?)」になる、ッてか・・・
「トウダイ闘争」は「地球領域分割後」の冷戦時代を背景にした、1950年6月25日~1953年7月27日の「朝鮮戦争」、1956年の「ハンガリー動乱」、1968年の「チェコスロヴァキア動乱」、そして1960年12月~1975年4月30日の「ヴェトナム戦争」の「国際状況の流れの中」に位地する「事件」だったのだ・・・そう、地球上の「分割領域の階級社会の一部支配者同士の利害思惑」と、それに踊らされた「分割領域の階級分化された人々の生活利害」の「事件」・・・欲張りな「利権社会」と、欲張りな「人々の生活確保と維持」はミンナの「常識」だから・・・
ーーーーー
・・・全国の医学部で学部生と研修医によって、全学連医学協や青医連が始めたインターン制度廃止、研修医の待遇改善運動・・・
東京大学医学部は、1968年1月、医学部学生大会は登録医制導入阻止や附属病院の研修内容改善などを掲げて無期限ストライキに突入・・・
2月
学生と医局員の衝突事件で大学当局は学生・研修医17名を処分・・・学生の1人が誤認処分され学生側は処分撤回を要求・・・
6月
一部学生が、自治会の統制を離れて安田講堂を占拠
大河内総長は
6月17日
警視庁機動隊を学内に導入・・・占拠学生を退去・・・
6月20日
法学部を除く全学部の自治会は、
機動隊導入に抗議する一日スト
安田講堂前の抗議集会に約6000人が参加・・・
7月2日
反日共(反共産党)の新左翼系の学生ら、
250人が安田講堂をバリケード封鎖
7月5日
東大全共闘結成・教養学部、無期限スト突入
8月28日
全学共闘会議学生約200人、医学部本館占拠
9月22日
全共闘の学生約250人、
医学部附属病院外科系医局・研究棟を封鎖する
10月12日
法学部無期限スト突入・10学部「無期限スト」
11月4日
法文2号館で文学部学生の処分を巡る「大衆団交」
11月6日
教授側は「不法監禁」と掲示
11月8日
教官有志、
「基本的人権の重大な侵害。
大学を無法地帯とする愚挙」の声明
三島由紀夫、阿川弘之ら
学者・文化人グループは
「緊急の訴え」を出す
12月29日
加藤学長代行と坂田道太文相が会談
「現状のままでは入試中止。
1969年1月15日までにスト解除・授業再開の
見通しが立てばその時点で再考」と意見一致
文部省が、1969年度の東大入試中止を発表
1969年(昭和四十四年)
1月9日
加藤総長の要請で機動隊大学構内へ入る
1月10日
全学集会で加藤代行と統一代表団、
「確認書」を取り交わす
確認書10項目
医学部処分の白紙撤回
自治活動の自由化
大学改革の方向性
各学部・院系のストは相次いで解除
東大生の多数派が紛争離脱
1月16日
加藤総長が機動隊に
本郷キャンパスのバリケード撤去を要請
1月18日~19日
安田講堂封鎖解除実行
逮捕者は600名以上
1月20日
東大当局、入試中止を受け入れ
ーーーーー
・・・
止めてくれるな、おっかさん、
背中の桜が泣いている。
とめてくれるな、おっかさん、
背中の銀杏(公孫樹・イチョウ)が泣いている。
男東大どこへ行く・・・
・・・「鏡の中のアリス」・・・「魔鏡!?」 of 「卑弥呼」・・・「魔鏡!?」・・・
ーー
「銅鐸・銅鏡・前方後円墳」へのボクの妄想の「家頁」デス・・・
↓
http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/hime06b.htm
ふしぎの国のアリス02 白ウサギを追って ーーーーー↓NHKニュース
「卑弥呼」の「魔鏡」の機能・・・?
三角縁神獣鏡に「魔鏡現象」 最新技術で判明
1月29日 18時35分・NHKニュース
古墳から出土した古代の鏡、「三角縁神獣鏡」を復元して光を当てると、反射した光が裏に描かれたものと同じ文様を映し出す現象が起きることを、京都国立博物館などの研究グループが明らかにしました。
研究者は、当時の権力者が神秘的な鏡を使い権威を高めたのではないかと注目しています。
京都国立博物館の村上隆学芸部長などの研究グループは、古代の鏡の三角縁神獣鏡が、作られた当時、どのような性質を持っていたのか調べました。
発掘された実物はさびついてほとんど光を反射せず、磨くこともできないため、比較的保存状態のいい愛知県犬山市にある「東之宮古墳」から出土した三角縁神獣鏡にレーザー光線を当てて、形を精密に計測しました。
そのうえで、実際と同じ銅などを使い、3Dプリンターと呼ばれる装置で複製し、表面を磨いて、作られた当時の姿に仕上げました。これに太陽の光などを当てると、反射した光が、鏡の裏に描かれた物と同じ文様を映し出すことが分かりました。
この現象は「魔鏡現象」と呼ばれ、鏡にごく薄い部分と厚い部分があることで、反射面にごく僅かな凹凸ができて起きるとされています。魔鏡現象を起こす鏡は、最も古いものでは紀元前1世紀ごろ、古代中国の前漢の時代に作られたとみられる「透光鑑」と呼ばれる鏡が見つかっています。
日本では江戸時代、キリシタンの人たちが、ひそかにキリストの像などを映す鏡を信仰に使っていたことが知られていますが、復元した古代の鏡でこの現象が確認されたのは初めてです。
.高度な技術が必要
「魔鏡現象」は、鏡に光を当てたとき、反射した光が鏡の裏側の文様を映し出す現象です。
この現象が起きるようにするには、鏡の裏に立体的な文様を作ったうえで、光を反射する表の面を丁寧に磨きます。
表と裏の間の厚さが薄いところで1ミリ程度になるまで磨くと、文様のために分厚くなったところは、薄い部分よりもよく削れるようになり、1000分の1ミリ単位という、目では見えないごく僅かなくぼみができます。
ここに光が当たると反射した光が収束し、壁などに投影したとき、裏の文様が映し出されるというわけです。
今回の研究成果について、国内でただ1か所、魔鏡現象が起きる鏡の制作を手がける京都市下京区の工房の職人、山本晃久さんは、「古代のことを想像するのは難しいですが、限られた道具で作るには高度な技術が必要で、すごいことだと思います。当時どういう目的でこの技術が生み出されたのか、興味深いです」と話しています。
最先端技術で鏡を復元
今回の研究は、最先端の技術を使って古代の鏡を複製し、作られた当時の姿に復元して行われました。
はじめに2枚の三角縁神獣鏡にレーザー光線を当て、形を精密に計測しました。
また、もとの鏡を傷つけない方法で成分を詳しく分析し、使われた銅やすずなどの比率を明らかにしました。
そのうえで、「3Dプリンター」と呼ばれる、立体的な物を指示どおりの形に作る装置を使い、計測したままの鏡を複製します。
さらに、姿を映す表の面を手で磨いて仕上げ、作られた当時の形や輝きを復元しました。
これに光を当てると、鏡の裏の文様が映し出されることが分かったのです。
研究を行った京都国立博物館の村上隆学芸部長は、「古代の鏡の研究はこれまで文様を中心に行われてきたが、最新の技術を使うことで鏡の性質が分かり、新たな研究の方向性を提案できたと考えている」と話しています。
「信仰や神話の源流につながる成果」
三角縁神獣鏡は、3世紀を中心に作られた直径20センチ前後の青銅製の丸い鏡で、近畿地方を中心に初期の古墳などから出土しています。
裏側は三角形で縁取られ、神や想像上の獣の文様が描かれていることから、この名で呼ばれています。中国の歴史書『魏志倭人伝』には、邪馬台国の女王・卑弥呼が中国の皇帝から100枚の鏡を贈られたという記述があり、三角縁神獣鏡はこの鏡だとする説があります。 一方、これまで国内では500枚余りが出土していますが、中国では1枚も見つかっていないことから国内で作られたとする説もあり、論争が続いています。
また、1つの鋳型から複数の鏡が作られるため、同じ文様の鏡が離れた場所の古墳から出土することがあり、鏡の分布を分析することで当時の権力構造などを明らかにする研究も進められてきました。今回の研究成果について、古代の鏡に詳しい大手前大学の森下章司准教授は、「高度な技術で作られた神秘的な鏡を当時の権力者が祭りで使い、権威を高めたのではないか。鏡の用途を知る手がかりになる」と話しています。
また、日本の宗教の歴史に詳しい国際日本文化研究センター名誉教授の山折哲雄さんは「日本人の信仰や神話の源流につながる成果だ」と評価し、鏡の用途については「魔鏡現象が起きる鏡で太陽を反射させ、人間の力を超えるものを感じさせる役割を果たしたのではないか」と話しています。
ーーーーー↑NHKニュース
・・・「リュウグウノツカイの漂着や捕獲は大地震の前兆」・・・一概に「迷信」とは云えないだろう・・・深海魚「竜宮の使い」生け捕り・秋田沖・地震の前兆ではありません・・・秋田県男鹿半島沖の日本海で深海魚のリュウグウノツカイ(竜宮の使い)が捕獲され、28日に男鹿水族館GAOに運ばれた。海岸に打ち上げられることはまれにあるが、生きたまま捕獲されるのは極めて珍しい(産経ニュース・1/28)」・・・
「竜宮城の乙(音)媛様のお使い」は浦島太郎の「カメ(亀・日目・甕・瓶・鹿目・噛め・咬め)」だろう・・・深海魚の「リュウグウノツカイ」は、白い肌と赤い髪を備えると描写されている日本の「人魚伝説」の根拠らしい・・・
ウイッキペデアによれば、
ーー
深海魚「リュウグウノツカイ」は全身が銀白色で、薄灰色から薄青色の線条が側線の上下に互い違いに並ぶ。背鰭・胸鰭・腹鰭の鰭条は鮮やかな紅色を呈し、和名である「竜宮の使い」にふさわしい外見となっている。全長は3mほどであることが多いが、最大では11m、体重272kgの巨体が報告されており、現生する硬骨魚類の中では現在のところ世界最長の種である。
体は左右から押しつぶされたように平たく側扁し、「タチウオ(太刀魚)」のように薄く細長い。体高が最も高いのは頭部で、尾端に向かって先細りとなる。下顎がやや前方に突出し、口は斜め上に向かって開く。鱗・歯・鰾をもたない。鰓耙は40〜58本と多く、近縁の Agrostichthys 属(8〜10本)との「鑑別点」となっている。椎骨は143〜170個。
背鰭の基底は長く吻の後端から始まり、尾端まで連続する。すべて軟条であり鰭条数は260〜412本と多く、先頭の6〜10軟条は鬣のように細長く伸びる。腹鰭の鰭条は左右1本ずつしかなく、糸のように著しく長く発達する。腹鰭の先端は「オール(櫓・櫨)状」に膨らみ、本種の英名の一つである「Oarfish」の由来となっている。この膨らんだ部分には多数の化学受容器が存在することがわかっており、餌生物の存在を探知する機能をもつと考えられている。尾鰭は非常に小さく、臀鰭はもたない。
ーー
深海魚「リュウグウノツカイ」はそのインパクトの強い外見から、西洋諸国におけるシーサーペント(海の大蛇)など、世界各地の巨大生物伝説のもとになったと考えられている。その存在は古くから知られており、ヨーロッパでは
「ニシンの王 (King of Herrings)」と呼ばれ、
漁の成否を占う前兆と位置付けられていた。
属名の Regalecus もこの伝承に由来し、
ラテン語の
「regalis(王家の)」と「alex(ニシン)」を合わせたものとなっている。
中国・台湾では
「鶏冠刀魚」や
「皇帯魚」と呼ばれる。
ーーー
「alex」が「ニシン」?・・・「にしん(鰊=魚+東(ひがし・トウ)」→「魚+柬(えらぶ・カン・ケン)」で、異名、別名が「春告魚(はるつげうお)」であり、異字は「鯡=魚(まな・真名→漢字)+非(あらず)」である・・・「二心」か、「二進」、「二審」で、「似振」の、「似る榛名(はるな)」→「似る榛(はしばみ・はり・シン)」だろう。「はるな(榛)」は軍艦の名でもある・・・一般的にはアレクサンドロス3世(Αλέξανδρος, AlexandrosⅢ)大王(前356年7月〜前323年6月、位前336〜前323年)の名前の短縮されたニックネームの「Alex」である。
「イスカンダル (Iskandar)」とは、「アレクサンドロス」大王を指すアラビア語・ペルシア語で・・・もともとは「Aliskandar」であったが、語頭の「al-」が「定冠詞」と勘違いされ、「Iskandar」 と呼ばれたらしい・・・アラブでは、「ズルカルナイン=Dhū al-Qarnayn(二つの角をもった王・双角王)と呼ばれる・・・
そもそも、「にしん」は「鰊・鯡、学名:Clupea pallasii)・ニシン目ニシン科の海水魚」で、欧米で
「ヘリング(Herring)」とは
「にしん」も含むが、普通は
タイセイヨウニシン(C. harengus)のこと
二種を区別する時は、
「にしん」は
「パシフィックヘリング(Pacific herring)」
「タイセイヨウにしん」を
「アトランティックヘリング(Atlantic herring)」
という。
種小名は、ドイツの生物学者
「ペーター・ジーモン・パラス」にちなむ・・・とある。
「経得他亜・字異文・ばらす」である・・・かな・・・
ーー
明治末期から大正期の最盛期には北海道・サハリン系を主対象として「百万t(屯)」近くの漁獲高があり、北海道のニシン漁の漁獲量は1897年に、百三十万石(約97万5千トン)を記録し、ニシン漁での成金漁師による「ニシン御殿」が建ち並んだ・・・
ーー
英語で「にしん」の「燻製(Red herring)」とは、「注意をそらすもの、偽の手がかり」という意味で、これは燻製が強い臭いを発して、猟犬が獲物の通り道を間違えたり、見失ってしまうことによる(燻製ニシンの虚偽)・・・
燻製ニシンの虚偽(くんせいニシンのきょぎ・red herring)は、重要な事柄から受け手(聴き手、読み手)の注意を逸らそうとする修辞上、文学上の技法を指す慣用表現・・・
「Red herring」は
「人の注意を別の方に向けるもの」という意味
議論と無関係なもっともらしい考えを出して人を誤謬に誘導したり、
推理小説で読者の推理を惑わせたり、
国民の関心を別の方に向け、問題の本質をズラして人々を別の方向へ誘導する意味・・・
いわば、国内問題を国外問題にすり替える手口である・・・
ーー
「red herring」の直訳は「赤いニシン」だが、
「燻製ニシン(smoked herring)」のコト・・・訓所為(くんせい)のニシンである・・・紅い乾物かも・・・
魚種の名ではなく、濃い味付けの「キッパー(イギリス料理で、塩漬けや燻製の加工料理)」のこと
加工によって、
魚には独特の鼻につく臭いがつき、
濃い塩水を使うことで魚の身が赤くなる
この、濃い味付けのキッパーという意味での
「red herring」
英語における慣用表現の
「red herring」は
猟犬の訓練手法に由来する表現であると考えられていた
ーー
「本題から目をそらさせるための偽情報、本題からかけ離れた紛らわしい情報」というような意味
「人の注意を他へそらすもの・人を惑わすような情報」
ーー
英語 herring
ドイツ語 Hering
オランダ語 haring
古英語の har 「灰色」
古高ドイツ語 heri 「多数」
語原は・・・「速い(hurry up!! )」か「髪の毛(hair) 」、あるいは、「兎(うさぎ・rabbit・hare・coney・cony)」の「hare」だろう・・・「the Hare and the Tortoise.」は「ウサギとカメ」のモノガタリで、「ウサギとサメ」は「因幡の白兎」である・・・
そして、ニシンは「白波」のように押し寄せて来るから・・・カモメもウルサク海の上で空中を飛び回り急降下してニシンを捕獲するだろう・・・
ーー
フランス語 hareng
イタリア語 aringa
スペイン語・ポルトガル語 arenque
ルーマニア語 hering
セルボ・クロアチア語 haringa
アルバニア語 harenge
ギリシャ語 regga(ρεγγα)
トルコ語 ringa
スカンジナビアでは
「種をまくもの・seitlo-」を語源とする語が
「にしん」を意味
デンマーク語・ノルウェー語・アイスランド語 sild
スゥエーデン語 sill
フィンランド語 silli
ロシア語 seljdj (сельдь)
チェコ語 slei
ポーランド語 sledz
ブルガリア語 selda(селда)
ケルト語属
アイルランド語 scadún
スコットランド語 sgadan
ウェールズ語 ysgadenyn
マンクス語 skeddan
・・・以上は「eigo21」さんのブログ記事からの抜粋でした・・・
ーーーーー
北原ミレイ
石狩挽歌
作詞:なかにし礼
作曲:浜圭介
海猫が鳴くから
ニシンが来ると
赤い筒袖の
ヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた
番屋の隅で
わたしゃ夜通し
飯を炊く
あれからニシンは
どこへ行ったやら
破れた網は
問い刺し網か
今じゃ浜辺で
オンボロロ
オンボロボロロー
沖を通るは
笠戸丸
わたしゃ涙で
にしん曇りの
空を見る
燃えろ篝火
朝里の浜に
海は銀色
にしんの色よ
ソ-ラン節に
頬そめながら
わたしゃ大漁の
網を曳く
あれからニシンは
どこへ行ったやら
オタモイ岬の
ニシン御殿も
今じゃさびれて
オンボロロ
オンボロボロロー
かわらぬものは
古代文字
わたしゃ涙で
娘ざかりの
夢を見る
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石狩挽歌(語り付) 北原ミレイ 1985
・・・ナニを確認したいんだか、「ゆうちょ銀行」・・・母が死亡したコトでの「母の通帳相続」で、「母の本籍」がある、ここの町役場での「戸籍謄本」が必要だというので「1・戸籍謄本」を取得したら、「法的改正前の旧い戸籍謄本が必要だ」と言う。この「2・改正前の戸籍謄本」を取得したら、以前、母がこの町に「3・移籍する前の町の戸籍謄本が必要だ」と言う。それで今日は子供時代に過ごした町役場へ出かけて、母がこの町に「3・移籍する前の戸籍謄本」を取得した・・・このタメにマルッと、朝から夕日が傾くまで一日を過ごしたのだが・・・すると、今度は母が生まれる前に住んでいた「4・祖父母の移籍した前の町の戸籍が必要だ」と言う・・・?・・・北海道に東北の宮城(祖父)、福島(祖母)から移民した「4・祖父母の住んでいた町の戸籍を取得」するタメにはカナリの遠い町である・・・ボクは生まれてから一度も行った事のない場所である・・・
・・・「母のナニ」を確認したいのか「ゆうちょ銀行」・・・?
ボクが育った故郷、山間部に存在していても過っては活気と賑わいのあった炭鉱町・・・雪に埋もれ、ヒッソリしていた。ムカシは立ち並んだ長屋の煙突から黒い煙をモクモクと吐き出して、降り積もった白い雪を煤けさしていた光景はなかった。ミンナ、今現在、高騰している「灯油」で「ストーブ」を燃やしているらしい。
・・・街は寂びれているようだが、家屋はカラフルでモダンに立ち並んでいる。それにしても農地も無い山間部のココに住んでいる「ヒトビト」はどんな職業で生計を立てているのか・・・
幼少年時代の子供から高校時代には、本線から外れた支線の汽車が通って、石炭を積み出し、街の人々を都会へ吐き出したり戻したりしていたのだが、その鉄道駅は無い。その駅の場所にはカラフルな鉄骨を屋根に突き出したバス停の休憩室と、意外と綺麗なトイレが存在していた・・・隣の街から一時間に一本のバス・・・ボクを含めて乗客は3人・・・
この駅前には当時、町一番のカネモチであったらしい本と玩具、それに化粧品などを売っていた雑貨店があったのだが、2階建ての派手なオレンジ色のレンガの建物は、可愛らしい絵が描かれているシャッターが閉め降ろされ、その前の空間の歩道は未だ除雪されずに雪が積もったまま、シャッターに寄り添って建物の入り口を塞いでいた。積もった雪の背丈より少し高い場所にあるシャッターポストの穴が淋しく見捨てられたように萎えた茶封筒を銜えていた・・・
その隣は電気屋さんなのか、まったく人通りが無い街に向けられたスピーカーからは歌謡曲が流れていた・・・
この町の本屋といえば、もう一軒あったのだが、少年時代に何度も何度も立ち読みをする為に足を運んだ本屋、そして少年月刊雑誌が発売される日の放課後には急いで、その本屋に向かった・・・今は金物屋になってしまったらしい・・・
・・・いずれの町役場の担当者は懇切で、親切であった・・・もちろん、「ゆうちょ銀行」のヒトも、であるのだが・・・