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コジキジゲン

セイジ-ゴロ

2017-09-30 21:22:21 | 古事記字源

 ・・・「理不尽」・・・「李夫人(リフジン)=中国の皇帝の夫人(側室)、孝武李夫人(前漢の武帝の夫人、李延年と李広利の妹)」、「北魏献文帝の献文帝の夫人・孝文帝の生母」、「李夫人 (北斉武成帝) 北斉の武成帝の夫人、元は東魏の孝静帝の嬪」・・・なんか「リフジン」・・・植物の名・・・
 李夫人=リフジン(rifujin)
    =ツルナ科の園芸植物
     学名 Lithops salicola」
     なんか、マーガレットに似ている・・・
 ・・・「恐竜(キョウリュウ)=恐龍」・・・「今日留」・・・「乎訳諏=オトス=落す=おとす=音素」・・・「オトシどころ=もめ事や話し合いの妥協点・双方が納得する決着点・双方が要望を少しずつ譲歩し、妥協し合って決めた、両者とも納得できる条件」・・・「カンシンごと」・・・?・・・「ニンゲンのコトバ」・・・
ーーーーー
 「政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来る (リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です?) Y軸 Libertarian(自由・市場主義=小さな政府)-Statist(統制主義=大きな政府) X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)」・・・?
 ↓↑
 「リベラル(英:liberal)とは、英語で「自由な」、「気前のよい」という意味を持つ言葉」・・・?
 ↓↑
 「自由主義(英:liberalism・リベラリズム)とは、国家や集団や権威などによる統制に対し、個人などが自由に判断し決定する事が可能であり自己決定権を持つとする思想・体制・傾向などを指す用語」・・・?
 ↓↑
 「尚、日本では、昔の自由至上主義(自由放任を基本とする)と異なる個人の自由意思や行動に基づいた福祉・環境・人権などの公共活動を基本とする、社会自由主義のことを特にリベラリズムと呼ぶ」・・・?
 ↓↑
 「日本国憲法第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」・・・?
ーー↓↑ーー
 「韓信(カンシン)」
 漢の名将
 若い頃、
 町の
 ゴロツキ・・・「ごろつき(破落戸)=ならず者・住所や定職を
         もたず人の弱みにつけいる、ならずもの
         荒くれ者・無頼漢・企業対象暴力を行う者
        「rogue state=ならずもの国家」
        「愚連隊」ってのあったが・・・
 に喧嘩を売られ
 争うことを避け
 ゴロツキの命令のまま
 股の下をくぐらされた
 ↓↑
 目の前の
 小さな侮りを忍ぶべき
 「感心=カンシン=韓信」
 「カンシンの股くぐり(史記)」
 「堪忍辛抱は立身の力綱
  堪忍の足らぬは心の足らぬ人
  堪忍の忍の字が百貫する
  堪忍は一生の宝
  堪忍は万宝にかえ難し
  堪忍は無事長久の基
  ならぬ堪忍するが堪忍
  なる堪忍は誰もする
  忍の一字は衆妙の門
  忍は一字千金の法則
 ・・・屈辱を我慢(我満・臥瞞)、忍耐(認他意)するコトが
 「衆妙の門」・・・プチブル意識で忍の一字?
 「無事長久の基」・・・プチブル意識で長生きの基?
 個々人、状況次第ではそうはイカナイカモ・・・
 ↓↑
 「韓信」
 中国秦末~前漢初期の武将
 劉邦の元で数々の戦いに勝利
 劉邦の覇権を決定付け
 張良
 蕭何・・・蕭何(ショウカ)
      秦末~前漢初期にかけての政治家
      劉邦の天下統一を輔けた
      韓信を劉邦に推薦した
 などと漢の三傑の一人
 ↓↑
 同時代に
 戦国時代の
 韓の王族出身の
 同じく
 「韓信」
 という名の人物がおり
 劉邦によって
 「韓王」に封じられ
 「韓王信」
 と呼んで区別される・・・?、「韓信」が二人?
 ↓↑
 マタクグリの「韓信」
 ↓↑
 淮陰(江蘇省淮安市)の出身
 秦の始皇帝の没後
 陳勝・呉広の乱
 紀元前209年
 韓信は
 項梁、
 甥の
 項羽に仕えて
 郎中の
 劉邦
 配下
 紀元前206年
 秦の滅亡後
 韓信は
 項羽の下から離れ
 漢中に左遷
 漢王
 劉邦の元へと移り
 連敖(接待係)となる
 ↓↑
 垓下の戦い
 垓下を脱出した
 項羽は
 烏江(安徽省・・・・暗記=アンキ=安企・安危
     和県の・・・和を懸る
     烏江鎮)・・・ウコウチン
 で自決
 楚漢戦争終結
 ↓↑
 紀元前202年
 項羽の死が確認され
 劉邦は
 「本来
  楚王となるべき
  義帝には
  御子が居ないので
  韓信は
  楚出身であり、
  楚の風土・風習にも馴染んでいる」
 として
 韓信を
 斉王から
 楚王へと移し
 故郷の
 淮陰に凱旋させた
 ↓↑
 酈炎
 酈食其の子孫と称した
 范陽(河北省保定市定興県)の人・・・范陽は地名
                   范蠡は人名
 字は文勝
 霊帝の時代に存在
 弁舌爽やかで
 文辞と詩に巧みで
 親孝行で音律に長じていた
 彼を州郡の官吏として招聘したが
 酈炎はこれに応ぜず
 後、酈炎は病に倒れてさらに母が死去
 酈炎の妻が子を産んで産熱で亡くし
 妻の実家は女婿の
 酈炎を訴訟
 175年に州郡は酈炎を逮捕投獄
 酈炎は獄死
 酈炎の師、
 盧植は彼の死を惜しみ
 彼を称える
 徳行の詩を謳った
 ↓↑
 紀元前201年
 韓信は
 「狡兎死して良狗烹られ、
  高鳥尽きて良弓蔵され、
  敵国敗れて謀臣亡ぶ。
  天下が定まったので、
  私もまた煮られるのか?」
 と
 范蠡(ハンレイ)・・・范=艹+氾(氵+㔾)
              㔾=字彙に「卽ち卩」
            蠡=ひさご・レイ・ラ・リ
              にな・ほらがい
              巻貝の一種
              蠡測(レイソク)
              木の芯を食い荒らす虫
             =「彖+虫+虫」
              彑+豕
    ハンレイ・・・・凡例・判例・反例・範例
 范蠡(ハンレイ)・・・春秋時代の越の政治家
            氏は范・諱は蠡・字は少伯
            越王の勾践に仕えた
            越が呉王夫差に敗北した後
            再建、夫差23 (前473) 年
            呉を破って
           「会稽の恥」をそそいだ
 の言葉を引いた
 劉邦は謀反の疑いについては保留し
 韓信を兵権を持たない
 淮陰侯へと降格させた
 ↓↑
 陳豨・・・「豨=豕+希=猪野子(イノシシの子)」
            「豨=楚人呼豬也」
         狶・㹷・猪突豨勇
         豨薟(キレン)=めなもみ
            キク科の一年草
            秋、黄色い花が多数咲く
            花を包む総苞に
            腺毛があり、粘液を出す
            漢方で全草を腫瘍などの薬用
            もちなもみ
 が
 鉅鹿太守に任命され
 韓信を尊敬していた
 陳豨は
 長安の韓信の屋敷に挨拶にきた時
 韓信は
 陳豨に
 冷遇され
 劉邦への忠誠はなく
 私(韓信)が天下を取るまで
 と言い
 一計を授けた
 劉邦の信頼が篤い
 陳豨が謀叛すれば
 劉邦は必ず激怒して自ら討伐に赴き
 長安は空になる
 しかし鉅鹿は精兵のいる要衝であるから
 容易には落ちないだろう
 その隙に
 自分(韓信)が長安を掌握する
 反乱の頻発に現れているように
 天下には不満が渦巻いているので
 諸国も味方に就く
 と・・・
 ↓↑
 紀元前196年
 陳豨
 は
 鉅鹿で反乱
 劉邦は
 鎮圧のために親征し
 都を留守にし
 韓信は、
 長安で反乱を起こし
 囚人を解放してこれを配下とし
 呂后と皇太子の
 劉盈(恵帝)
 を監禁して政権を奪おうとしたが
 韓信に恨みを持つ
 下僕がこれを
 呂后に密告
 呂后に相談された相国の
 蕭何は
 韓信に
 劉邦からの使者に仕立て
 「陳豨が討伐された」
 と報告をさせ、
 長安中に布告を出した
 韓信は計画が頓挫したとし
 自邸に引篭もるが
 蕭何は
 「病身であることは知っているが、
  自身にかけられた疑いを晴らすためにも、
  親征成功の祝辞を述べに参内した方が良い」
 と招き
 韓信はおびき出され、捕らえられた
 自分を大いに買って引きとめ
 大将軍に推挙してくれた
 蕭何だけは信用していたため
 誘いに乗ってしまった
 韓信は劉邦の帰還を待たずに
 長安城中の未央宮内で斬られ
 死ぬ間際に
 「蒯通の勧めに従わなかったことが心残りだ」?
 ↓↑
 蒯越(カイエツ?~214年)
 後漢時代末期の武将
 字は異度(イド)
 荊州南郡中廬侯国の人
 楚漢戦争期の説客である
 ↓↑
 蒯通の子孫・・・後漢末に
         劉表や曹操に仕えた武将
         蒯越・蒯良は蒯通の子孫
 ↓↑
 韓信が斉王になった時
 蒯通(カイツウ)=蒯徹(カイテツ)
 ↓↑ 韓信に「今なら、漢王へ
    『斉を慰撫のため治めたい』
    と言えば王になれる」と説き
    劉邦に斉王即位を認めさせ
    さらに韓信を大国斉を地盤として独立させ
    劉邦(漢)、項羽(楚)に対抗出来る
    第三勢力の首領にし
    天下を狙わせようと図るも
    韓信は悩んだ末、
    これに乗らなかった
    で、韓信に劉邦への謀反を勧めたと
    誅殺されかねないとして
 ↓↑ 発狂を装って韓信から離れた・・・
 が
 「天下三分の計(蒯通=蒯徹)」を唱えた
 「劉邦(漢):項羽(楚):韓信(斉)」
 独立を拒否する韓信に直言
 「計誠知之、而決弗敢行者、百事之禍也。」
 (よく謀りよく承知していながら
   決断できないのは、全ての禍根)
 「夫功者難成而易敗、時者難値而易失
  『時乎時、不再來。』」
 (それ功業は成し難く失敗しやすい
   機会は得難く失いやすい)
 ↓↑
 「天下三分の計(諸葛亮孔明)」
 「曹操(魏):孫権(呉):劉備(蜀)」
 ↓↑
 と言い残し
 韓信の三族も処刑された
 ↓↑
 韓信の死後、
 陳豨の討伐を終えて帰ってきた
 劉邦は、
 最初は韓信が死んだことに悲しんだが
 韓信の最期の言葉を聞いて激怒し
 蒯通を捕らえて殺そうとしたが
 蒯通が堂々と抗弁し
 命は助けられた
ーーーーー
 ・・・???・・・希望、トウ?・・・

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「天空の城ラピュタ」の「バルス」

2017-09-29 23:51:33 | 古事記字源

 ・・・「give and take」・・・「疑部 安堵 綴句」・・・「岐阜(義父)安土(蛙務努)帝宮(定句)」・・・「万歳=バンザイ=両手を上げて降伏する」・・・「give up=権力または他の者の所有物を諦(あき)らめ、手放すことに同意する・降参・投降・帰伏・降服・屈伏・帰服・降る・観念・屈服・下る ・伏する・降伏・望みを欠いて・万歳・降参・絶念・思断つ・観念・ 断念・参る・諦める・棄権」・・・「take up=再び始める・再開する・~を取り上げる・~を手に取る・~に乗客を乗せる・天気、景気などが回復する・よくなる・再開する・続ける・授業などが始まる」、「take up=~を取り上げる・~を取る・~を始める」・・・「希望を取り上げる」って?・・・「希望をトウ」か?・・・「ラピュタ」・・・
 「天空の城ラピュタ」の「バルス」・・・「bans(バルシュ)」・・・「葉留蘇(子)」・・・
ーーーーー
 「対策を取る手立てがなく危機に陥るさま」
 「万事休す・絶体絶命・万策尽きた・もう打つ手がない
  手立てがない・最大のピンチ・追い詰められた
  何もかも終わりだ・後がない・崖っ縁・命運が尽きる
  打つ手なし・破綻・お仕舞い・終い・打つ手がない
  追い詰められて・八方塞がり・行き詰まり・お手上げ
  ギブアップ・手も足も出ない・絶体絶命の・万事休すの」
 「八方塞がりの
  戦いに敗れたことを認めること
  降参・参った・ギブアップ・降伏・降服・投降
  白旗・帰順・お手上げ・降旗
  問題が解けないまま回答を棄権するさま
  わかりません・降参です」
ーーーーー
 ・・・

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三段論法・・・三段の瀧・・・

2017-09-27 20:26:58 | 古事記字源

 ・・・九月二十六日(火曜日)・・・朝、三笠の従姉の息子が車で迎いにきてくれた。何処へ行くのかって、三笠市立博物館の「三笠アンモナイトの化石」を見学にです・・・場所は「三笠市・幾春別・錦町」・・・巨大な「アンモナイト(Ammonite)」、さらに圧巻の「エゾミカサリュウ(蝦夷三笠龍)=モササウルス」・・・それに「岸輝子(1895-1990)」氏の展示・・・帰宅後、ブログで調べると「新劇女優・本名 伊藤キシ・三笠市幌内生まれ・北海高等女学校卒業後上京・看護婦勤務の傍ら新劇研究所の研究生」、「1944年(昭和十九年)に青山杉作、千田是也、東野英治郎らの10人で俳優座」を結成、映画「野良犬」に出演とあった・・・「スリのお銀」役・・・「野良犬」って黒沢明監督・三船敏郎・木村功・志村喬・・・それに「空知集治監(政治犯の監獄)」・・・当時の炭鉱事情などの資料や写真、炭鉱で石炭運搬に使用されたトロッコや道具などの展示があった・・・
 1906年4月1日
 空知郡
 幌内村
 幾春別村・・・アイヌ語
        「イクシュンペッ=イ・クシ・ウン・ペッ」
        (それのむこうにある川・あっちの川)?
         幾春から別(別れたあっちの川)
         「キのハのル」のあっち(選別)の幌内
         元々
        「郁春別」
         と書いたが
         明治二十二年
        「幾春別」と改めた・・・
         幾が郁(有+阝)
             阝=「阝(右)邑(むら・くに
                      ユウ)」
               「阝(左)阜(おか・フ)」
        「郁=右に
           有る
           邑(むら・くに→久爾・久邇)」
           ↓↑
           三笠宮←・→久邇宮
           明治時代前期に
           伏見宮邦家親王の第四王子
           朝彦親王が創立した宮家
           1873年(明治六年)7月23日
            ~
           1929年(昭和四年 )1月27日
           東久邇宮(ひがしくにのみや)
           久邇宮朝彦親王の第九子
           稔彦王が創立した宮家
           1947年(昭和二十二年)
           GHQの指令により10月14日
           皇籍離脱した一代限りの宮家
           久邇宮良子女王(香淳皇后)=昭和皇后
           東久邇宮家の
          「旧蔵本・源氏物語」
           ↓↑
         郁=あや・い・か・かおり
           かおり・かおる
           くに・たかし・ふみ・ゆう
           香気の盛ん・芳しい
           文化水準が高い、さかん
           あたたかい
           あや模様
           中国に昔存在した地名
           彧(イク)という漢字と
           同じ読み、同じ意味
           香気が盛んな様」
         ↓↑
        「幌向(ほろむい)」というのは
         曾(かつ)て
         国鉄
        「万字線」・・・萬字撰・太安萬侶→古事記?
         が走っていた
         万字線=国鉄運営の鉄道路線
         北海道
         岩見沢市の・・・磐を見て作和
               佐和(佐波・茶話・騒・左和)
        「志文」駅で・・・志(こころざす)文(ぶん)
              地名はアイヌ語の
             「シュプン・ペツ(ウグイの居る川)」
              に由来する・・・鯎(鯏・うぐい)
         室蘭本線から分岐し
         空知郡栗沢町(岩見沢市栗沢町)の
         万字炭山駅までを結んでいた
         万字駅=北海道空知郡栗沢町万字仲町
            (岩見沢市栗沢町万字仲町)
        (いくしゅんべつ)・・・幾春、別・・・
          良寛の漢詩
          還鄕(帰郷)・・・環境?
          出家離國訪知識
          一衣一鉢凡幾春・・・一衣一鉢凡幾春
          今日還鄕問舊侶
          多是北邙山下人
          ↓↑
          閒庭(カンテイ)
          百花 発(ひら)き
          余香 此の堂に入る
          相対して共に語る無く
          春夜
          夜将に央(なかば)ならんとす
          家を出で國を離れて
          知識を訪ね
          一衣一鉢、
          凡そ幾春ぞ・・・・・政治犯の歎きカモ?
          今日、鄕に還りて
          舊侶を問はば
          多くは是れ
          北邙(ほくばう)山下の人・・・墓の人
 市来知村
 (いちきしり)・・・イチのキを知る=一衣一鉢の凡幾春
 の一部が合併
 二級町村制
 空知郡
 三笠山村
 となる(三村合併)
 1882年(明治十五年)
 空知(そらち)集治監(監獄)が置かれ
 囚人は近くの
 幌内(ほろ ない)・・・「ポロ・ナイ(親の川・大きい川)」
 炭山や道路建設などに従事
 北海道開発初期の労働力となった
 監獄中心に市街が形成された「監獄町」・・・
 ↓↑
 1890年(明治二十三年)
 三笠(市来知村)から、富山の人、「福島磯次郎」が美唄川南岸に移住し、渡し守を開業し「美唄(沼貝村)」を誕生させたらしい・・・「美葉意の唄」ではなく、「沼の貝=カラス貝」だった・・・
 「1926年(大正十五年)6月11日に沼貝村は美唄町に改称」されたんだ・・・そう、昔のハナシではない・・・
 1921年(大正十年)
 12月13日
 ワシントン会議
 日本・米国・英国・フランスの四か国条約が調印
 日英同盟が廃棄
 12月24日
 第45議会召集
 1921年(大正十年)
 10月
 国際ペンクラブ、ロンドンにて結成
 12月
 出隆「哲学以前」
 魯迅「阿Q正伝」・・・なんで、「阿のQの正伝」なんだか?
 西南学院高等部ができる
 浜松市で
 ナウマン象の化石が発掘
 宮中某重大事件の決着・・・
 宮中某重大事件
 裕仁親王(皇太子、昭和天皇)
 の妃に内定していた
 「久邇宮良子女王(香淳皇后)」・・・久邇の宮の良い子
 家系に
 色盲の遺伝があるとし・・・色盲=シキモウ=史記望
                =色覚異常
                色覚の三要素(赤・緑・青)
                ある系統の色覚を欠く状態
 元老
 山縣有朋
 らが女王及び同宮家に婚約辞退を迫った・・・
 12月25日
 宮田輝誕生、NHKアナウンサー・参議院議員
 ・・・28日にはオフクロも生まれたが・・・
ーーーーー
 博物館見学の後は
 「三段滝(サンダンダキ)」への見学だったが、山中の山道の景色はまるで「葛飾北斎」が生きていたらきっと描くだろうと思われる「北海道三笠~桂沢の富嶽三十六景」・・・それにドライブマニアだったらキット、この上下、左右彎(湾)曲、トンネルが続く山道を走ってみたくなるだろう。まるで遊園地のジェットコースターなみのミチ・・・「ふたまたやま(二股山)」を挟んで視える峠の光景は「北斎のアングル」そのもの・・・雪が降ったら、冬の景色はどうなるのか?・・・こんな山道は冬は閉鎖だろう・・・?
 ↓↑
 三段滝(瀧)
 北海道芦別市
 奥芦別の滝
 石狩川の支流の
 芦別川の源流近くにある滝
 堅い岩盤が地殻変動で
 上下にずれ
 河床が階段状
 落差10m、幅7m
 芦別川と空知川との合流点から
 23km川をさかのぼった場所に存在
 複雑に層を成した岩盤を縫って
 激しい勢いで流れている
 10個以上の滝の集合体
 ↓↑
 芦別=アイヌ語の「アシベツ」の意味は
    「アシ=灌木
       =立つ」
    「ベツ(別)=河川」
 「三段滝」=由来は
       下流から眺めると
       川が立つように見える
 ↓↑
 ・・・北海道で生まれながら、あまりにも「北海道」に無知なコトが多いけれど・・・
 インターネットの地図で「三段滝」の位置を確認したが、「北緯43度21分0.0秒 東経142度9分2.0秒」、平野の「美唄」とほぼ東西に並んでいたが山の中。で、この山中に耕した畑。一体何を植えているのか、マメ(豆)?・・・三笠=市来知=イチキチ=位置記知・位地紀知・・・ちなみに「美唄=沼貝」の地名はアイヌ語で「カラス貝の多く棲む沼=ピパ・オ・イ(pipa-o-i)=カラス貝・多い・もの(沼)」らしい・・・石炭もカラス(鴉・烏)も色は黒いが・・・「美唄」の地名は元々が「沼貝(ぬまがい)=カラス貝」だったが・・・「ピパ=沼貝・烏貝(ウバイ)・鴉貝(アバイ)」で、「かい=カイ=歌意・甲斐・改・繪・灰」、「セイ=貝殻」・・・「貝=目+八」・・・「三葉虫」は「巻き貝」だが、由来は「三葉虫(Trilobite・トリロバイト)=カンブリア紀に現れて古生代の終期( ペルム紀)に絶滅した節足動物・トリロバイト(trilobite)=tri(三)+lobe(葉)+ite(石)を意味・真上から見て縦に三つに割ると葉っぱが3枚ならんでいるように見える」・・・
 ↓↑
 「ite(イテ)」が「石(イシ)」って、「石井=いわい=磐井」の「乱(527年・継体二十一年六月三日(近江毛野は6万人の兵を率いて新羅に奪われた南加羅・喙己呑を回復するため進軍したが磐井に阻止)~528年・継体二十二年十一月十一日・磐井は物部麁鹿火に斬られた)」で、「移和意の覧」だが、「磐余=いわれ=神武天皇」・・・
 「イト」は「糸・怡土・伊都・井戸・伊土・異土・緯度」と云うコトだ・・・
 「ITE(ite)=…の(に)住む人の・…の信奉者の・名詞、形容詞の語尾でIsrael-ite、Sem-ite・化石・塩類・爆薬・商品などの名称」
 「ite=接尾辞で名詞をつくり、場所、部族、指導者、主義、組織などに関係する人(Campbell-ite,Israelite,labor-ite)」
 「ite=接尾辞で名詞をつくり、石・鉱石・化石名(ammon-ite,anthrac-ite.)・…薬・爆薬名(cord-ite,dynam-ite=ダイナマイト=ノーベルの発明)」
 「ite=名詞をつくり、…薬品(vulcanite)」
 「ite=名詞をつくり、手足、体の一部、器官(somite)」
 ↓↑
 「サルはアイヌ語で湿原や泥炭地・葦原を意味。サルの地名=沙流・斜里・猿払・サロベツ・佐呂間・長流川・サルキ・サルキ=湿原に生えている葦」・・・「トォ=湖や沼」・・・「ル=道」・・・「ピ=石、小石」・・・「ぺ=水」・・・
 ↓↑
 で、豪快に飛沫を上げて流れる「三段滝(瀧)」と、その瀧に引っ掛かっている巨大な流木、まさに自然を畏怖せざる得ない光景・・・
 瀧の見学後、戻る途中で「新桂沢ダム(dam)」建設現場をカってホテルが存在していたと云う山の中腹から眺めてみる・・・
 従姉の運転中の息子が「きつね」と云って車の外に発見したのは「北キツネ」だった。車道に藪から出てきて逃げようともせず、ゆっくりと動く車の後からついてくる・・・子狐でした・・・


 「桂沢ダム(dam)=北海道三笠市・一級河川・石狩川水系幾春別川に建設されたダム・国土交通省北海道開発局が管理する多目的ダム・北海道で1909年(明治43年)~1957年(昭和32年)にかけ初めて多目的ダムとして建設された・戦後の石狩川水系総合開発計画の出発点となったダム」・・・モチロン、北海道の原生林が繁る山中だからヒグマもシカも存在しているのはアタリマエだが・・・キツネの御挨拶にには感激・・・
 「ダムの目的は幾春別川・石狩川の洪水調節、美唄原野への灌漑、三笠市・美唄市・岩見沢市等への上水道供給、芦別ダムやキムン取水堰堤によって取水された芦別川の水を芦別湖より芦別水路を通して桂沢ダムへ送水し、認可出力15,000kWの水力発電・発電事業は日本発送電の後身となった電源開発株式会社が受け持ち、桂沢発電所を管理」・・・
 「ダム湖=桂沢湖=湖上を国道452号が通り、北上すると芦別市方面、南下すると夕張市方面に至る」
ーーーーー
 ・・・

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「リセット=再起動・初期化」でキボウ・・・

2017-09-25 17:34:45 | 古事記字源

 ・・・「貮阡参陌漆拾壹」比目(比売・比賣)・・・「売り日=近世、遊女が必ず客をとるように決められていた日・物日(ものび→摸之備)・紋目(もんび→意図の文の目=馬・女・埋)」・・・「約定日(訳綴比)は、株式(下部史記・歌舞識)の買い注文や、売り注文が成立した日。受渡日(従訳比)は、売買(葉意這)の決済(決裁)をする日。売買が成立した場合、約定日から起算して四営業日目が受渡日」・・・もう、9月の24日の日曜日ですか・・・20日は隣の街の病院へ朝からバスで通院・・・
 コンピュータで調べて、メモ帳に文字を貼り付けていたら固まってしまった・・・キイボードもマウスも反応はウンともスンとも・・・電源を落とせば、スベテが消滅するのは承知だが・・・
 「リセット(reset)=初期状態に戻す、強制的に再起動させること(システムエラーを起こして画面がハングアップした場合などに使用するがハードディスクのデータなどが損傷する可能性がある)」・・・
 「すべてを元に戻すこと・最初からやり直すこと・状況を切り替えるためにいったんすべてを断ち切ること」・・・
 「reset=置き直す、再び置く、目盛りをセットし直す、はめ直す、組み直す、継ぎ 合わせる、整形する、刃をつけ直す、とぎ直す」ですか・・・
 電源を切れば、「陽侯氏(陽胡氏)=隋王朝の煬帝の末裔」の「倭(日本)王朝」に喰い込んでいった状況の「消滅?」である・・・
 元々、記憶力が散漫な「妄想人のブログ日記」・・・過去の経験から同じことの繰り返しは「想定(ソウテイ)内」・・・「装丁=ソウテイ=草薙・叢綴」の内(うち・ナイ・ダイ)の「内裏(ダイリ)」・・・「丙(ヘイ・ヒョウ→豹→彪→虎)=一+人+冂=ひのえ=陽=煬」・・・兎に角、デンキを切らなくちゃぁハジマラナイ・・・で、終(糸+冬)わりの始(女+台→ム口・臺→吉冖至)まり・・・「始=女+臺(十一口冖一ム十一)」・・・政治的リセットって「ムシゴロシ」・・・ダレの「希望=キボウ=鬼謀・既望・公望・喜望」、「喜望峰(Cape of Good Hope・Kaap de Goede Hoop)←嵐の岬」・・・
 「多武の峰=とうのみね・おほのたけるのみね・タブのホウ」・・・


 中臣鎌子・・・中臣=口+礀+匚+¦+コ
 ↓↑     鎌子=金+兼+子
        ↓↑
        中の目を見張っての監視、監督
        中→中大兄の皇子?
        金を兼ねる
        子(一+了)
          始終(シジュウ)
          と
 ↓↑       終始(シュウシ)
 藤原鎌足(中臣鎌子)とは異なる人物?で改名(子→足)
      ナゼ、同姓同名なんだか?→鎌で刈る足
                   カマを懸けるアシ
      「カマをカケる」=「囂し(かまし)+引っ掛け」
       相手を引っ掛けコトバで
       誘導し
      「喧(やかま)しく=煩(五月蠅・うるさ)く
       相手に喋(しゃべ)らせ
       ホンネ(本音)を訊き出す意」
      「甑(こしき)や桶(おけ)を作る時に
       寸法を計る道具をカマと呼び、
       カマで寸法を確認することの意で
       相手を自分の思惑に誘導(訊問)し
       白状させるコト」
       ・・・ココは「かま・がま」の同音異字漢字の
      「鎌=かま=釜・窯・罐・缶・嘉麻・蒲・竃」
      「鎌=がま=蝦蟇・臥眞」で、
       動詞の
      「かま・かみ・かむ・かめ・かも」
       の同音の異字漢字のスベテである・・・
 ↓↑
 飛鳥時代の豪族
 中臣真人の子
 中臣黒田の父
 欽明天皇の時代の連
 仏教に強く反対
 ↓↑
 藤原鎌足=中臣鎌子・・・ナゼ、
            「中臣鎌子」とは異なる人物なのに
             同姓同名なんだか「?」は
            「カマのアシ」をカケルである
 中大兄皇子の側近
 645年
 大化の改新(乙巳の変)
 中大兄皇子・
 蘇我入鹿を暗殺・・・・入鹿=いるか=海豚
 蘇我蝦夷を討つ・・・・蝦夷=カイ=甲斐・改・解・海・蟹
            蝦夷=毛人=モウジン=盲人
                  けひと=気人   
 ↓↑
 左大臣
 阿部倉梯麻呂・・・阿部の
          倉梯(ソウテイ)麻呂
           梯=木(十八)+弟・・・乙・妹
             おとうと=音(於訳)得訳
           梯=かけはし・懸橋・掛橋・書葉詞
             はしご・テイ・タイ
 右大臣
 蘇我倉山田石川麻呂・・・蘇我の
             倉山田(ソウサンタ)
                 総纂(簒)拿(他・多)
             石川(セキセン)
                籍 撰
             麻呂(麿・馬賂)
 と対立
 647年(大化三年)
 新冠位制度で
 大錦冠(ダイキンカン)を授与・・・大=一+人
                  錦=金+白+巾
                  冠=冖+元+寸
 649年(大化五年)
 阿部倉梯麻呂
 蘇我石川麻呂
 が薨去・失脚した後
 654年(白雉五年)頃
 大紫冠(ダイシカン)・・・大
              紫=此+糸
              冠
 に昇格
 669年(天智天皇八年)
 天智天皇が彼の病気を見舞った時
 「生きては軍国に務無し」
 と語った・・・「白村江の戦い」の敗北の言辞?
 「白(しろ・ハク・ビャク)い村(むら・ソン)の戦(いくさ・たたかい・セン)」・・・「百済・新羅」の「夢等の移句差」・・・
  白→伯・拍・泊・栢
    ↓↑
  ハク・ヒヤク・ビャク
 をさ・かしら(首長)
 伯氏は一番の兄・長兄
 をぢ(伯父)、父の兄
 をっと(夫)・婦人、其の夫の稱
 五爵位(公・侯・伯・子・男)の第3位
 馬の藭・馬祖・「天駟房星」の藭、其の祭
 白馬・天馬
 太白=タイハク=多井伯=太伯=金星
    李白が生まれた時
    母が懐に
    長庚星(宵の明星・太白)
    が入る夢を見て名づけられた
 伯=みち(道)・ちまた(巷)・陌
 伯趙は鳥の名・伯勞(百舌鳥・鵙・鴃)
        春之在者
        伯勞鳥之草具吉
        雖不所見
        吾者見将遣
        君之當乎婆(作者 不明)
 方伯は州の長・後世は藩司の異稱
 歡伯は酒の異名
 一藝に長ずる者の稱「詩伯・畫伯=画伯」
 はたがしら・諸侯の盟主=霸・五霸、五伯
 侯伯の
 「伯」と紛るるを恐れ、
 「霸」の字を借りて之を別つ
  ↓↑
 方伯(Landgraf、landgrave)
 ヨーロッパで
 封建諸侯に与えられた称号の一つ
 古代中国で諸侯の長
 「千里之外設方伯(礼記・王制篇)」
 王都より千里内は「王畿」
 その外部を「方」
 殷(商)は諸国を
 九州にわけ
 八州それぞれに方伯を置いて諸侯を束ねさせた
 伯=覇で、後の「覇者(諸侯の盟主)」
 「方伯の称は
  漢代の州牧、刺史、
  唐の観察使などの
  雅号として後代まで使用」・・・
 ↓↑
ーーーーー
 藤原鎌足は
 天智天皇の払い下げの女性、
 「采女-安見児(やすみこ)」
 を貰って
 「われはもや、安見児得たり・・・吾者毛也、安見兒得有
  皆人の得難にすとふ・・・・・・得難尓為云
  安見児得たり・・・・・・・・・安見兒衣多利」
 と、歓喜したとか・・・「吾者毛也=吾は毛(蝦夷)也」?
            「安見兒得有=八角示を恵有」?
             ↓↑
             八角子(やすみス)
               =乾燥させた
                唐樒(トウシキミ)の果実
             あみじえう=編 字を重烏
 そもそも
 「安見児(やすみこ・あみこ・アンケンジ)」
 とはナニか?・・・・編み拠・案件の字・・・???
 ↓↑
 「多武峯-縁起-絵巻」・・・多(おおの)武峯(ブホウ)
 鎌足が生まれたときに
 鎌をくわえた
 白い狐が現れ・・・白狐=白拠=ビャッコ=百個・百戸
 生まれた子の
 足元に置いたため・・・足元=拾(十)+元(二儿)
 その子を
 「鎌子」と名づけた・・・鎌子=金+兼ねる+子(始終・終始)
 と描かれ、逸話にちなみ、
 談山神社では鎌を
 銜(咥・くわえ)た・・・銜=彳+金+亍
 ↓↑          咥=口+一+ム+十+一
             加=力+口
             啣=口
               +
               卸(午止卩)
 ↓↑            ↓   ↑  
         卩=割符・セチ・セツ
           異体字は「㔾・𠁾・卪」
       瑞信なり
       國を守る者は玉卪を用ひ
       都鄙を守る者は角卪を用ひ
       山邦に使する者は虎卪を用ひ
       土邦の者は人卪を用ひ
       澤邦の者は龍卪を用ひ
       門關の者は符卪を用ひ
       貨賄には璽卪を用ひ
       道路には旌卪を用ふ
       相ひ合するの形に象る
 ↓↑    凡そ卪の屬は皆な卪に従ふ(説文解字)
 白狐のお守りが売られている・・・
 ↓↑
 「多武峰墓=藤原鎌足の墓」?
 阿武山古墳(あぶやまこふん)・・・阿武  の山
                  則天武后の纂(簒)
 大阪府
 高槻市
 奈佐原
 茨木市・・・茨木=いばらぎ=茨城
          茨城=常陸國→水戸藩
                 徳川光圀→「伯夷伝」
                 彰考館
                「大日本史」の編纂
 安威にある古墳
 阿武山の山腹に位置
 被葬者は藤原鎌足(中臣鎌足)・・・?
ーー↓↑ーー
 中臣-可多能祜・・・藤原鎌足(中臣鎌足)の祖父
ーー↓↑ーー
 中臣御食子・・・・藤原鎌足(中臣鎌足)の父
 ↓↑
 父は
 中臣可多能祜
 母は
 那爾毛古娘(山部歌子の娘)
 妻は
 智仙姫(大伴咋の娘)
 子は
 藤原鎌足(614-669)・・・藤原鎌足(中臣鎌足)
 生母不明の子
 中臣-久多
 中臣-」垂目(八男)
ーー↓↑ーー
 藤原鎌足(中臣鎌足)の
 父は中臣御食子・・・御食子(みけこ)
           名は彌気=美気古
           中臣-可多能祜の長男
           冠位は小徳冠
 母は大伴智仙娘
  (大伴囓子の娘)の長子・・・囓子
                齧(かじる・噛)
 正妻は鏡王女(?~683年)・・・鏡(金立日儿)王女
   (元々、中大兄皇子の妃)
 妻は車持与志古娘・・・車の持を
            与え志(こころざす)古の娘
 長男は
 定恵(真人・644年~665年・僧侶)・・・定惠(定慧)
 二男は
 藤原不比等(659年~720年・尊卑分脈)
ーー↓↑ーー
 藤原不比等の
 母は
 鏡王女(興福寺縁起)・・・
ーー↓↑ーー
 藤原鎌足(中臣鎌足)
 母未詳の
 娘
 氷上娘(?~682年)(天武天皇夫人、但馬皇女の母)
 五百重娘(天武天皇夫人
      後に
      不比等の妻、新田部親王・藤原麻呂の母)
 耳面刀自(弘文天皇夫人、壹志姫王の母)
 斗売娘(とめ・とねのいらつめ)
    (中臣意美麻呂室、中臣東人の母)
ーー↓↑ーー
 藤原鎌足(中臣鎌足)の祖は
 天児屋命
(あめのこやねのみこと
 テンジヤメイ=典字哉名)
 天児屋根命とも
 春日権現=春日大明神
  居々登魂命
 (こごとむすび)の子
 妻は
  天  美津玉 照 比売  命
 (あめのみつたまてるひめのみこと)
 天押雲命の父
 岩戸隠れの際
 岩戸の前で祝詞を唱え
 天照大神が岩戸を少し開いたときに
 太玉命とともに
 鏡を差し出した
 天孫降臨の際
  天津彦彦火
  瓊瓊杵(ににぎ)尊
  ↓↑
  天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能
  邇邇芸(ににぎ)命に随伴
 中臣連の祖となった(古事記)
ーーーーー
 「陽胡」はトンボ(蜻蛉)の幼虫「水蠆(やご)」・・・
 「ヤゴ(水蠆)=トンボ目(蜻蛉目)、トンボ亜目(不均翅亜目)の幼虫を指す通称(俗称)・肉食性の水生昆虫・トンボを表すヤンマの子を略してヤゴと称された」
 「成虫とは外見や生態は全く異なるがトンボ目の幼虫」
 「幼虫の期間は数週間のものから数年に及ぶ」
 「トンボ類はよく似た姿で、外見上の差は大きくない・トンボ亜目かイトトンボ亜目は判別できる以外は、変わらない。しかし、ヤゴでは、姿は大きく異なり、分類群的に明確な差がある・ギンヤンマ、オニヤンマ、コオニヤンマを並べると、成虫ではこれらが別の科に属することは分からぬほど似通っているが、幼虫だけを並べて見れば、甚だ異なっている・外見上では、イトトンボ亜目とトンボ亜目との差が大きい。ムカシトンボ類の幼虫は、トンボ目の、特にサナエトンボ類のそれに近い」
 「イトトンボ、カワトンボ類のヤゴは、外見が一般的なヤゴとははっきり異なる。頭は左右に長い棒状で、体は前後に細長い棒状、あるいは管状になっている。短い体のものもあるが、幅広くはならない。足は細長く、それを使って歩くが、全身をくねらせて泳ぐものもある。一般にイトトンボ類は体が細長く、柔らかな感じで、褐色から緑に近い色をしている。カワトンボ類は細いがやや短い体で、がっしりとしており、茶褐色から黒っぽい色をしている。
 特に目立つ特徴は、腹部末端に細長くて扁平な気管鰓があることである。この鰓は背中側に一つ、腹側左右に一つ、合計三つあって、内部には気管が入り込み、細かく枝分かれしている。この鰓は自切することができて、捕まえた時など、たやすく外れてしまうが、幼虫の生存には影響ないようである」
ーー↓↑ーー
 陽胡玉陳
 飛鳥時代の学者
 陽胡(陽侯)氏の祖
 推古天皇十年(602)
 百済から渡来した
 僧観勒(かんろく)に暦法をまなんだ
 陽胡氏は
 百済の楊侯氏を祖とする・・・
 後
 隋王朝の
 煬帝
 の子孫と称する
 名は
 王陳
 ↓↑
 陽侯 麻呂(やこ の まろ)
 奈良時代の官人
 姓は史
 官職は大隅国守
 陽侯氏(陽侯史・陽侯忌寸)
 隋の
 煬帝の子孫である
 達率
 楊候
 阿子王
 の末裔を称する渡来系
 ↓↑
 陽侯氏(陽侯史・陽侯忌寸)
 隋の煬帝の子孫で
 達率
 楊候
 阿子王の末裔を称する渡来系氏族
 楊候・楊胡・陽候・陽胡
 とも記される
 文武天皇四年(700年)
 僧侶の
 通徳が還俗して
 陽侯史の
 姓と
 久爾曾
 の名を与えられ
 勤広肆
 に叙せられた
 ↓↑
 陽侯麻呂
 国司に任命
 大隅国守在任中
 養老四年(720年)
 反乱を起こした
 隼人によって殺害
 2月29日
 大宰府から朝廷に報告され
 戦闘勃発
 ↓↑
 鹿児島県鹿屋市の伝承
 陽侯麻呂が最期を迎えたのは
 鹿屋市永野田町付近であった
 ↓↑
 大隅国の国府は国分市にあった
 陽侯麻呂は地方巡検で
 現地逗留中に襲撃を受けた
 鹿屋にはかつて国司山(国司城)があり
 そこが官衙の跡であった・・・
 国司山を馬で脱出
 陽侯麻呂は、
 大姶良町横山まで駆け抜け
 名貫川を越え山上で自害を図ったが
 死に切れず
 水を求めて泉のほとりで絶命
 ↓↑ 
 陽侯 令璆(やこ の れいきゅう)
 奈良時代の貴族
 姓は史(毘登)、のち 忌寸
 但馬守
 陽侯真身の子
 官位は外従五位下・豊後介
 「陽侯令璆」
 ↓↑
 天平感宝元年(749年)
 東大寺大仏建立に際して
 陽侯令珍
 ら兄弟3人とともに
 千貫の貢銭を行い
 令璆は従八位上から外従五位下に叙せられた
 ↓↑
 天平宝字三年(759年)
 越後守に任ぜら
 天平宝字四年(760年)
 渤海使の
 高南申
 を渤海に送り届けて帰国
 内位の従五位下に叙せられた
 天平宝字七年(763年)
 内匠助
 ↓↑
 後、
 神護景雲二年(768年)
 一族64名が
 毘登姓
 から
 忌寸姓
 に改姓した際
 弟の
 人麻呂が一族の代表とされ
 令璆は兄たちの没後に存命にかかわらず
 一族を代表する立場になく
 加えて位階を剥奪された形跡がある
 淳仁朝から
 称徳朝にかけて政争に巻き込まれた・・・
 宝亀九年(778年)
 外従五位下に復され
 宝亀十一年(780年)
 尾張介
 天応元年(781年)
 尾張守
 天応二年(782年)
 豊後介
 と
 光仁朝末から
 桓武朝初頭にかけて地方官を歴任
 ↓↑
 陽侯 真身(やこ の まみ/むざね)
 奈良時代の貴族
 官位は従五位下・但馬守
 養老六 年(722年)
 矢集虫麻呂
 らとともに
 養老律令撰修の功労により
 功田を与えられた
 真身の功田は4町
 天平二年(730年)
 通訳養成のために
 粟田馬養
 ら4人とともに
 それぞれ弟子を
 2人取り漢語を教授した
 天平七年(735年)
 外従五位下に叙せられた
 天平十年(738年)
 豊後守
 天平十三年(741年)
 但馬守
 聖武朝後半は地方官を歴任
 天平二十年(748年)
 外従五位上次いで従五位下に昇叙
 ↓↑ 
 東大寺大仏建立に際し
 銭1000貫
 牛1頭
 を献上
 ↓↑
 父は不詳
 母は不詳
 生母不詳の子女
 男子は陽侯令珍
 男子は陽侯令珪
 男子は陽侯令璆
 男子は陽侯人麻呂
ーーーーー
 阿倍大麻呂=阿倍目
 ↓↑
 阿倍 鳥=鳥子
 (あべ の とり)
  父は阿倍大麻呂
   または
   阿倍目
   母は不詳
   生母不詳の子女
   男子は阿倍内麻呂(?-649)
   男子は布勢耳麻呂
 ↓↑
 阿倍 内麻呂
 ↓↑
 阿倍 内麻呂
 別名
   麻呂(摩侶)
   倉梯麻呂
   大鳥大臣
 ↓↑
 子供は
 阿倍 御主人
 布勢 耳麻呂・・・阿倍の布勢耳麻呂(ふせ の みみまろ)
           阿(阿毎王朝=熊本・肥後)
           邉の伏せ字巻賂?
          和銅元年(708年)三月十三日
          左京大夫
 小足媛
 橘娘
 ↓↑
 阿倍 御主人(あべ の みうし)
 氏は
 阿倍布勢(ふせ)
 阿倍普勢(ふせ)ともされ・・・伏せ・臥せ・附せ
                富施・布施
 ↓↑
 阿倍御主人=阿倍普勢=阿倍布勢(あべのふせ)・・・?
 ↓↑
 推古天皇16年(608年)
 日本に渡来した
 隋使
 裴世清
 に対して
 物部依網抱
 とともに
 導者(案内役)を務め
 裴世清
 から受け取った
 隋の国書を
 大伴咋に伝達した
 推古天皇18年(610年)
 新羅・任那の使人が来朝した際に
 大伴咋
 蘇我豊浦蝦夷
 坂本糠手
 とともに
 四大夫の一人として対応
 ↓↑ ↓↑
 阿倍 鳥=鳥子
 推古天皇二十年(612年)
 皇太夫人
 堅塩媛(推古天皇の生母)
 を
 檜隈大陵に改葬した際
 軽の街中(奈良県橿原市大軽)
 で誄を奏上
 一番目として
 阿倍鳥
 が天皇への言葉を宣べた
 三番目に
 大臣
 蘇我馬子への言葉を宣べた
 中臣
 宮地烏摩侶
 四番目に
 氏姓のもとについて宣べた
 境部摩理勢
 はよく誄を宣べたが
 「阿倍鳥」のみはうまくできなかった・・・
 ↓↑
 阿倍帯麻呂(あべ の おびまろ)
 奈良時代前期の貴族
 名は
 意比麻呂
 とも記される
 父は
 中務大輔
 阿倍船守
 阿倍仲麻呂・・・唐名を「朝衡・晁衡(チョウコウ)」
 は長兄
 官位は従五位上・美作守
 ↓↑
 阿倍氏同族
 久努・引田
 の諸氏である
 布勢氏の
 布勢臣耳麻呂
 布勢朝臣色布智
 があげられる
ーーーーー
 ・・・???・・・

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「Star-dust」・・・「宇宙塵」・・・

2017-09-22 22:25:59 | 古事記字源

 ・・・前回、肝心(肝腎・カンジン)な「スターダスト (star-dust)=星屑」を書き込んでいなかった。ダストはクズ・・・「Star-dust」・・・「宇宙塵」、「スターダスト (探査機) =アメリカの彗星探査機」・・・
ーーーーー
 NHK「歴史秘話ヒストリア」
 「おんなは赤で輝く
 北斎の娘・お栄と名画のミステリー」
 世界の巨匠・葛飾北斎に「影武者」
 葛飾応為(かつしか・おうい)こと
 娘のお栄(おえい)
 多くの北斎の絵にはお栄の手が…
 天井絵
 「八方睨み(はっぽうにらみ)鳳凰図」
 岩松院 蔵
 信州・小布施
 巨大天井絵
[
ーーーーー
 ホーギー・カーマイケル
 Hoagy Carmichael
 Stardust
  (original vocal version)
ーーーーー
 「Stardust」と「夜来香(夜來香)」の曲が似ているって(?)ブログ記事があった・・・ボクには似ているか、どうかは判らんけれど・・・「音声ことば」が「文字化」されたモノ(単語)はドウなんだろう・・・
 ↓↑
 夜来香
 作詞 金玉谷(黎錦光)・・・金の玉の谷(八人口)?
 日本語↓↑
 訳詞 佐伯孝夫・・・佐伯(作重記?)は・・・孝の夫?
 ↓↑ ↓↑    「空海」の姓=佐伯眞魚→眞名=漢字
 ↓↑ ↓↑     ↓↑ ↓↑
           さいき・さえき
           さへき・さはく
          「大伴」氏の支族
           西日本に移住した蝦夷族の
           佐伯部を率いて
           宮廷の警備にあたった
           職種(部)=さえぎる
           ↓↑    外敵を遮る者
                 さえぎる→さえき
           ↓↑    佐伯=古語で騒ぐこと?
 ↓↑        佐伯=朝廷に逆らって
              抵抗するもの→佐の伯(人は白)
                     人のナのエは新羅?
             「景行記」に
              蝦夷を播磨など
              五ヵ国に配したのが
             「佐伯部」の始まり
              奈良時代は蝦夷監督の家系
              佐伯=物部、大伴氏の支族
              5~6世紀に
              大和朝廷の俘囚となった蝦夷が
              部民として属した
              蝦夷俘囚を
              伊予国など西国に住まわせた
              佐伯部の祖
              陸奥の俘囚144人が
              伊予に移された(続日本紀)
              古代豪族の讃岐国造の一族に
              佐伯姓が多
              讃岐国造は景行天皇の後裔
              佐伯姓を賜って
              瀬戸内海一帯に移された
              律令国家に帰属した
              奥羽地方の蝦夷
              課役を免除し諸国に配置
              首長には位階を与え
              懐柔した
              平安時代初期
              俘囚計帳の作成を行なってから
              弾圧政策をとり
              出雲、上総、陸奥、出羽などで
 ↓↑           反乱が起った
         弘仁五 (814) 年の出雲
         嘉祥一 (848) 年の上総
         斉衡二 (855) 年の陸奥
         元慶二 (878) 年
          と
         天慶二 (939) 年の出羽
         元慶二年三月
         出羽国俘囚の反乱は大規模(元慶の乱)
         俘囚が大挙して
         秋田城、郡院、城辺の民家を焼き
         出羽守
         藤原興世から宮廷に報告され
         陸奥国、
         上野国、下野国
         に派兵
         藤原保則の出羽権守
         小野春風の鎮守府将軍
 ↓↑ ↓↑   らの任命によって乱は鎮定 
 作曲 金玉谷(黎錦光)
 ↓↑
 あわれ春風に
 嘆くウグイスよ・・・ウグイス(鶯)=春鳥・春告鳥・報春鳥
 ↓↑                花見鳥・経読み鳥
                   人来鳥(ひと くどり)
           スズメ目ウグイス科ウグイス属
          「ホーホケキョ(法法華経)」が縄張り宣言
           巣にエサを運ぶメスに対する
          「危険なし」の合図
          「ケキョケキョケキョ」
           が侵入者、外敵への威嚇
          「チャッチャッ」
           は「地鳴き」で、秋から春にかけて
           藪(やぶ)や笹原の中を移動する声で
          「笹鳴き」とも呼ばれている・・・
          「ケケケケケッキョケッキョ」
           は「谷渡り」と呼ばれる鳴き声
           繁殖期の雄が、縄張りの上空を飛ぶ
           鷹(たか)を警戒して鳴く声・・・
           日本三鳴鳥の一
          「Bush Warbler」=藪で囀(さえず)る鳥
           警戒心が強く
 ↓↑        声が聞こえても姿が見えないコトが多い
 月に切なくも
 匂う夜来香
 この香りよ
 長き夜の泪
 唄うウグイスよ
 恋の夢
 消えて残る
 夜来香
 この夜来香
 夜来香
 白い花
 夜来香
 恋の花
 ↓↑
 「夜来香(イェライシャン)」
  作詞 黎錦光(金玉谷)・・・金の玉の谷?
  訳詞 佐伯孝夫
  作曲 黎錦光(金玉谷)
 1944年(中華民國三十三年)・・・1+9=拾・4+4=捌
         参拾参
 ↓↑
 李香蘭(山口淑子)の歌で
 上海
 百代唱片公司から発売
 中国歌謡曲
 ↓↑
 何日君再来・・・天海祐希 獻唱「何日君再來」
       Yuki Amami sings "When Shall You Return?"
       解放の軍隊は何時戻って来るの?
 ↓↑
 蘇州夜曲
  ↓↑
 「文字の獄」=明、清王朝の著作文字(暗号化)疑惑の弾圧
ーー↓↑ーー
 ・・・なんか、「漢詩原文」とは異なる「日本語の訳詞」。アタリマエで、当然だよなッ・・・視覚的には視えなくなるが香りが漂って、臭覚は幻の如くの残像を、脳裏には心象としての映像で想い出させる?・・・確かな感覚は「視覚」だが、記憶として確実に脳ミソに刻みつけられているのは「臭覚」かも・・・そして、「聴覚」としての「声の記憶」かも・・・昔、名古屋に居た時、「カーテン」のTVCMの女性の「声」がボクの「オフクロの声?」にそっくり似ていたので驚いたことがある・・・
 「ドッペルゲンガー(独語 Doppelgänger)
  努通経留元 我蛙?
  自分自身の姿を自分で見る幻覚
  自己像幻視現象」
 ・・・
 幻覚(hallucination)
 対象なき知覚
 「実際には
  外界からの入力がない感覚を
  体験してしまう症状」
 「聴覚、嗅覚、味覚、触覚」
  などの幻覚も含むが
 「幻視」の意味で使用
 実際に入力のあった感覚情報を
 誤って体験する症状は
 「錯覚」
 ↓↑
 幻聴(auditory hallucination)
 聴覚の幻覚
 実在しない音や声が聞こえること
 要素的
 人の話し声、数人の会話
 など程度は様々
 癲癇(テンカン)などでも起こる
 会話の場合は
 統合失調症の可能性が高い
 統合失調症では
 意識障害時ではなく
 意識清明期におこり
 耳から聞こえてくる
 頭の中に直接響く
 腹部から聞こえてくる
 統合失調症では
 単なる音
 知り合いの声
 悪口や命令や
 自分自身の声
 他者との会話で
 内容は様々
 妄想に結びつくのが特徴
 急性期は鮮明に聞こえるが
 軽快するにつれ不鮮明となるため
 陽性症状の指標ともなる
 聞こうとすれば聞こえる
 聞こうとしなくても聞こえる
 声に逆らうことができない
 といったことも重症度の目安となる
 壁を叩く音が聴こえる等
 ↓↑
 幻視(visual hallucination)
 視覚性の幻覚
 実在しないものがみえる
 単純なモノ、複雑で具体的なもの
 など程度は様々
 意識混濁という意識障害時に起こる
 アルコール中毒
 中毒性疾患や
 神経変性疾患で認められる
 アルコール中毒での
 幻視は典型的には小動物が認められ
 これらは意識変容によっておこる
 特殊な例としては
 脳幹病変の際に
 幻覚様体験が起こることがあり
 脳脚性幻覚と言われる
 脳幹は意識において重要で
 大脳と脳幹の連絡の障害が
 金縛りと考えられている
 ↓↑
 統合失調症で幻視が認められることは
 極めて稀
 存在しない人、モノ、建物
 が本当に存在するかのように見える
 視覚障害者の1割程度は脳の過活動から
 精神に異常が無いにもかからず
 幻視を見る(シャルル・ボネ症候群)
 ↓↑
 遭難中に幻視を見ることが多い
 救助者や飲み物、帰る家など
 自分の期待するものを
 脳が作り出す
 ↓↑
 幻嗅(olfactory hallucination)=嗅覚の幻覚
 頭部へのダメージなどで
 無嗅覚症になった人や
 鼻炎などで嗅覚を失った人が
 視覚など
 他の感覚からの情報と記憶から
 幻臭を感じる
 嗅覚があっても
 偏頭痛やPTSDなど
 他の疾患と関連して発症する場合もある
 不快な幻臭
 悪臭症と呼ばれる
 幻臭は状況やヒントに影響されて
 相応の臭いが生じる場合もあるが
 場違いな臭いを感じたり
 本来の臭いから
 変容してしまう場合もある
 現実の経験では
 嗅いだことのない
 説明困難な臭いを感じる人もいる
 ↓↑
 幻味(gustatory hallucination)=味覚の幻覚
 幻肢=触覚の錯覚
 ↓↑
 せん妄(譫妄・delirium)
 意識混濁に加え
 奇妙で脅迫的な
 思考や幻覚や錯覚が見られる
 健康な人でも
 寝ている人を強引に起こすと
 同じ症状を起こす
 ICUやCCUで管理されている患者によく起こる
 ↓↑
 高熱とともに
 せん妄を体験する
 子供に多い
 大半の患者は
 せん妄を覚えており
 意識障害だから覚えていない
 というのは全くの誤解・・・
 ↓↑
 せん妄(譫妄)・・・譫=言+袪=言+厃+八+言=セン
 ↓↑         =囈(うわ言)を多く話す
             とりとめなく言葉を発する
             擔=担→袪=旦(代用)
             たわごと・うわごと・セン
             くどくどと言う
 ↓↑          譫言・譫妄・譫語
 と
 認知症との区別は、
 血管障害を除き、
 認知症は緩徐に進行するのに対して
 せん妄は急激に来る
 ↓↑
 認知症、高齢、男性、重症患者、うつ状態、複数薬物
 聴視覚障害(難聴や白内障)、感染症、アルコール常飲
 疼痛、手術後、身体抑制
 などが
 リスクファクター
 ↓↑
 患者自身が
 「自分は今どんな状況、状態なのか」
 を認識できる状態を保つコトが必須
 ↓↑
 Doppel(doubleと同語源)
 「二重」
 「生き写し、コピー」
 という意味
 「独語 Doppelgänger」を逐語訳すると
 「二重の歩く者・二重身」
 英語では「ダブル」と言う
 漢字では「復体」
 ↓↑ 
 ドッペルゲンガー現象
 古くから神話・伝説・迷信
 などで語られ
 英米圏では
 「double(ダブル)」
 中国では
 「離魂」
 日本では
 「分身・影法師・影の病・影の煩い」
 などの名称で呼ばれ
 肉体から霊魂が分離・有形化したものとされた
 ↓↑
 医学
 自分の姿を見る現象(症状)は
 「autoscopy」
 日本語で
 「自己像幻視」
 自己像幻視は
 純粋に視覚のみに現れる現象で
 短時間で消える
 現れる自己像は
 自分の姿勢や動きを真似する鏡像であり
 独自のアイデンティティや意図は持たない
 しかし、まれな例として
 ホートスコピー(heautoscopy)
 と呼ばれる自身を真似ない自己像が見えたり
 アイデンティティをもった自己像と相互交流する
 症例もある・・・
 ホートスコピーとの交流は
 友好的なものより
 敵対的なことのほうが多い
 ↓↑
 説明のつくものとつかないもの
 「第三者によって目撃されるドッペルゲンガー」
 (たとえば数十名によって繰り返し目撃された
  エミリー・サジェなどの事例)
  は、
  脳の機能障害では
  説明できない・・・
 ↓↑
 エドガー・アラン・ポー
 ドッペルゲンガーを主題にした怪奇譚
 『ウィリアム・ウィルソン』(1839年)を書き
 オスカー・ワイルド
 幻想文学的な
 『ドリアン・グレイの肖像』(1890年)を描いた
 ↓↑
 芥川龍之介の短編
 『二つの手紙』(1917年)
 ドッペルゲンガーを扱っている
 大学教師の佐々木信一郎を名乗る男が
 自身と妻の
 ドッペルゲンガーを三度も目撃し
 その苦悩を語る警察署長宛ての
 二通の手紙が紹介される、という形式の短編
 ↓↑
 梶井基次郎
 心境小説『泥濘』(1925年)
 の終章で
 夜の雪道で偶然に体感した不思議な
 ドッペルゲンガー現象を綴っている
 梶井はこの実体験を主題にして
 発展させ幻想的な
 『Kの昇天』(1926年)を描いた
 ↓↑
 中国の『唐代伝奇集』の中の
 遠くに離れた2人の娘の話で
 紆余曲折の末、寝たきりとなった
 娘(肉体)が
 遠くで暮らすもう1人の自分の話を聞き
 起き出し
 最後に一体化して
 ハッピーエンドとなるという
 離魂した娘の話の類型・・・
ーーーーー
 アレレレレッ、「只有那夜来香」のハナシが、飛んだ・・・ 
 ↓↑
 那南風吹来清涼・・・あわれ春風に・・・清涼がアワレって?
 那夜鶯啼声細唱・・・嘆く鶯(うぐいす)よ
        ・・・嘆くではなく「啼」はワメキに近い?
          「素戔男=素戔嗚=須佐之男」も
           母の国へ行きたいと「啼いた」・・・
 月下的・・・・月に切なくも?
 花儿・・・・「儿」・・・形容詞、動詞の後に置き
 都入夢         比較として名詞化する
 ↓↑   「かわいい・小さい・すくない」を意味
       本来の「儿」は 
      「儿=児・人=子供・小児・児童」の意
       儿童=児童・儿子=息子
       小孩儿=子供
 ↓↑     ↓↑
       这儿=ここ
       那儿=そこ、あそこ
       哪儿=どこ
       这=これ
       那=それ、あれ
       哪=どれ
       这里=ここ
       那里=そこ、あそこ
       哪里=どこ
 ↓↑     ↓↑
       玩儿=遊ぶ
       花儿=「花+儿」
          紋様・花柄(がら)
          綿花
          弹花
          綿打ちをする.
          金や時間を費やす・消費する
          だます.
          まだらの・色とりどりの
          这块布太花=この布はカラフルすぎる
          花猫=三毛猫.
          目がかすんだ・ぼんやりした
          猫儿
 ↓↑       歌儿    
 只有那夜来香・・・只、匂うかな夜来香
 吐露着芬芳
 我愛這(这=文+辶)夜色茫々・・・長き夜の泪
 也愛這(这=文+辶)鶯歌唱・・・・唄うウグイスよ
 更愛那花一般的夢
 擁抱着夜来香
 吻着夜来香・・・吻は「接吻」ですか・・・
 夜来香
 我為你歌唱
 ↓↑
 我為你歌唱
 我為你思量・・・思っている量(かさ)です
            質ではないって・・・量は質も兼ねるデス
 ↓↑
 那南風吹來清涼  南風が涼しげに吹き
 那夜鶯啼聲悽愴  夜鶯が悲しげに鳴き・・・威喝の聲、悽愴
                      凄惨=悽惨
                      凄み
                      愴然=悽愴=悲愴
 月下的花兒都入夢 月の下で花がみな夢の眠りに就いても 
 只有那 夜來香  ただ夜来香の香りのみを漂わせ
 吐露著芬芳    芳しい香りを吐き出し
 我愛這夜色茫茫  私は夜景の茫々な這を愛し
 也愛著夜鶯歌唱  鶯が歌を唄う著の夜を愛し
 更愛那花一般的夢 更にこの花がいつもみる夢も愛し
 擁抱著夜來香   夜来香をそっと抱き寄せ
 吻著夜來香    夜来香に接吻する
 夜來香
 我為你歌唱    私はあなたの為に歌を唄い
 夜來香
 我為你思量    私はあなたの為に思い
 啊啊啊      あ ゝ ゝ・・・
 我為你歌唱    私はあなたの為に歌を唄う
 我為你思量    私はあなたの為に思う
 夜來香      イェ・ライ・シャン
 夜來香
 夜來香
 ・・・???・・・「夜來香=花=植物」・・・「世来、禾(退き)日(日本)」・・・
ーーーーー
 ↓↑
 夜来香
 キョウチクトウ科
 (Apocynaceae
  夾竹桃科)・・・和名由来
  ↓↑      葉が竹に似
          花がモモ(桃)に似ているから
          竹に挟(夾)まれた桃(木兆)の科
         「タケ」に挟まれた「モモ」の「トガ」
          たけ=武・他家・長け
          倭迹迹日百襲姫命
         (やまとととひももそひめのみこと
          やまとととびももそひめのみこと)
          桃=意富加牟豆美命
           (おおかむづみのみこと
            おほかみづみのみこと・古事記)
           ↓↑
          夾竹桃
          夾=大(だいかんむり・だいがしら)
           =大+人+人
           =一+人+人+人
            はさむ・キョウ・コウ
            𦚰(わき)ばさむ
            両腋(脇・わき)からはさむ
            はさまれて、せまい
            おとこだて
            表地と裏地とを
 ↓↑         併せて仕立てた着物
 真性
 双子葉
 植物科
 高木から草本まで含み
 蔓(つる)性のものが多い
 乳液に毒
 ↓↑
 強心配糖体(Cardiac glycoside)
 心房細動、心房粗動等の
 上室性頻脈や浮腫を伴う
 鬱血性心不全
 不整脈
 に用いられる
 ステロイド配糖体の総称
 ジギタリスは
 イギリスで民間療法薬として使用
 1785年
 スコットランドの
 ウィザーリング医師が
 心筋の機能低下に伴う
 水腫、浮腫の治療薬として導入
 ↓↑
 花言葉は「親友」
 誕生日は「七月十一日」
 ↓↑ ↓↑
 作曲家の服部良一
 この曲を元に
 『夜来香幻想曲』を作り
 1945年(中華民国34年)
 6月23・24・25の3日間
 李香蘭は
 上海の
 大光明大戯院(Grand Theatre)で
 昼夜2回の演唱会を開き
 「夜来香の香りもやがて消える。
  今の内に楽しみましょう、
  その香りを」
 と観客に語りかけた
 1945年8月15日
 に戦争は終結・・・
ーーーーー
「スターダスト(Stardust)」
 ホーギー・カーマイケル
 (Hoagy Carmichael)作曲
 マイケル・パリッシュ
 (Mitchell Parish)作詞
 1929年の歌曲
ーーーーー
 ナット・キング・コール
 Nat   King   Cole
 Stardust 1957
ーーーーー
 And now the purple dusk of twilight time
 今、たそがれ時の紫の夕闇が
 Steals across the meadows of my heart
 私の心の草原を覆い尽くす
 High up in the sky the little stars climb
 空の高みに小さな星たちが登り
 Always reminding me that we’re apart
 いつも離れている私たちを思い出させる
 ↓↑
 You wander down the lane and far away
 あなたはあの道を行き遠く離れてしまった
 (wander=歩き回る・ぶらつく・徘徊する
      彷徨・さまよう・迷う・迷子になる)
 Leaving me a song that will not die
 私に消えることない歌を残して
 Love is now the stardust of yesterday
 恋は、今や、昨日の星屑
 The music of the years gone by
 過ぎ去りし年の音楽
 ↓↑
 Sometimes I wonder why I spend
 時々何故か過してしまうのは
 The lonely night dreaming of a song
 淋しい夜の夢の歌
 The melody haunts my reverie
 そのメロディーが妄想に憑(とりつ)く
 And I am once again with you
 あなたともう一度いること
 When our love was new
 私たちの恋が芽生えたころ
 And each kiss an inspiration
 キスにはいつもときめき
 But that was long ago
 しかしそれは過ぎ去った昔
 Now my consolation
 今、私の慰めは
 Is in the stardust of a song
 星屑の歌の中にある
 ↓↑
 Beside a garden wall
 ガーデンウォールの傍らで
 When stars are bright
 星が輝くころ
 You are in my arms
 あなたは私の腕の中
 The nightingale tells his fairy tale
 ナイチンゲールはおとぎ話を語る
 of paradise where roses grew
 バラが花咲く楽園の
 Though I dream in vain・・・甲斐の無い、無駄な夢
 けれど見果てぬ夢
 In my heart it will remain
 私の心にこびりついたままの
 My stardust melody
 私の星屑のメロディー
 The memory of love’s refrain
 恋の思い出の曲
ーーーーー
 ・・・???・・・ヨミガエル・・・ホシクズのメロディー・・・

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