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コジキジゲン

「白(素人)+石」の「?」・「黑(玄人)+石」の「?」・・・イシ?

2024-11-30 16:28:21 | 古事記字源
 前回からのツヅキ・・・「白+石」の「?」・・・
 今朝は家の周りは「真っ白な雪」で埋め尽くされていた・・・
 「蘇生(ソセイ)」なのか
 「再生(サイセイ)」なのか・・・
 ↓↑
 「白人(素人)+石(いし・いわ)」の「?」・・・
 「黑人(玄人)+石(いし・いわ)」の「?」・・・
 「黄人」・・・褐色・東洋人
 「赤人」・・・亜米利加インデアン
 ・・・インドで出会った富豪の家族の姿態、容貌は
    ボクには「灰色」に視えたけれど・・・
 最初に口にしたのは母親の母乳・・・
 歯が生えて
 食べれるようになるモノは・・・
 野菜、穀物・・・果実・・・
 ・・・ナゼ、アダムとイヴは「林檎」を喰ったんだろ・・・
 ・・・「林檎」は「知恵の実」だったからだ・・・
 ・・・カミは「人類の先行き」を
    「人間」で試してみたかった・・・創造と破壊を・・・
 ・・・カミは「全能」ではなっかった・・・
 「AI」は
 人間がリンゴを喰って以来
 「過去から得てきた総合知識の結果的な産物」
 である・・・
 ↓↑

 野菜(やさい)・・・🥬・・・耶哉夜也
 野=里+予(マ+了)
 菜=艹+采(爫+木)
   ・・・🐡・・・
   肴・餚・茉菜(マナ)
   魚菜・真魚・真名=漢字
   空海=クウカイ=喰う会(會)=宴会
        カイ=𠃐=乙+乙=會・会
        カイ=X・貝・魁・回
    カイ=甲斐・下意・改・解・歌意
         カイ=悔・・・懺悔・後悔
       晦(カイ・ケ・みそか・つごもり)
        =日+毎
         毎日
        阿毎・・・
        隨・唐時代の「倭國」
        阿毎王朝=阿輩雞彌
        あまい
        アブ=阿部・阿倍・・・あま・アフ
        阿武・虻     贏=嬴  蛙附
      ーーー↓↑ーーー
       則天武后・・・纏足=テンソク=天則
       貞観十一年(637年)
       太宗の
       後宮に入り 
       「才人(身分階級名)」となった
      姓諱 武媚→武照(武曌)
      諡号 則天大聖皇帝
         則天順聖皇后
      生年 武徳7年1月23日
         (624年2月17日)
      没年 神龍元年11月26日
         (705年12月16日)
      父  武士彠
      母  楊夫人
    あまい
    甘い・天井・天意
    雨衣=簔(みの)・・・raincoat
      =雨合羽(かっぱ)
       河童(かっぱ)
       魁罜(カイコウ)
      (河馬)=河川・湖沼の神
       瀛=氵+嬴=灜=氵+贏
        (満ちる・余る)
       灜(エイ・ヨウ
         大海・池・沼・沢)
 嬴(エイ・ヨウ)
       贏(あまり・もうけ)
   カッパ=喝破
   ・・・漢字音の「?」・・・和字音だけでは意味意義不(無)明
   ・・・漢字形の「?」・・・漢字形の構成部品の意味意義は有明
  「有明」って、何処・・・有明海・・・有明灣・・・
 ↓↑
 「白菜(はくさい)」なのか
 「甘藍(キャベツ)」なのか
 「玉菜(キャベツ)」なのか
 それとも
 「萵苣(レタス・カキョ)」なのか・・・
  萵苣=ちさ=萵=艹+冎+口・・・渦
          ワ・lettuce
          異体字
            「萂 ・莴」
        苣=艹+巨
          ゴ・キョ
          ちしゃ・ちさ・たいまつ
   乬=巨+乙
     乙部(おつ・おつにょう・つりばり?)
     訓読 かける・つるす  釣針
        架ける・吊るす  吊り橋??? 
 「大根」なのか、「牛蒡」なのか・・・
 「人参(🥕)」なのか、「蕃茄・赤茄子・苫斗(🍅)」なのか・・・
ー↓↑ーー
 野菜(やさい)類の
 漢字表記

 あ
 アズキ    小豆
 アスパラガス 石柏
 インゲンマメ 隠元豆
 エノキタケ  榎茸
 オクラ    陸蓮根

 か
 カブ    蕪
 カボチャ 南瓜
 カリフラワー 花椰菜
 キクラゲ 木耳
 キノコ   木之子・茸
 キャベツ 甘藍
 キュウリ 胡瓜
 グリーン
 ピース  青豌豆
 クワイ  慈姑
 ゴーヤー 苦瓜
 コショウ 胡椒
 ゴボウ  牛蒡
 ゴマ   胡麻
 コンニャク 蒟蒻
  イモ 芋

 さ
 サツマイモ 薩摩芋・甘藷
 サトイモ   里芋
 サヤインゲン 莢隠元
 サヤエンドウ 莢豌豆
 サンショウ  山椒
 シイタケ   椎茸・香蕈
 シソ     紫蘇
 ジネンジョ  自然薯
 シメジ    湿地
 ショウガ 生姜
 スイカ    西瓜・南蛮瓜・燉煌瓜
 セロリ    清正人参・和蘭三葉・塘蒿
 ゼンマイ   薇
 ソラマメ 空豆・蚕豆

 た
 ダイコン  大根
 ダイズ    大豆
 タケノコ  筍・笋
 タマネギ  玉葱
 チンゲンサイ 青梗菜
 トウガラシ  唐辛子・蕃椒
 トウガン 冬瓜
 トウモロコシ 玉蜀黍
 トマト    蕃茄・赤茄子

 な
 ナス      茄子
 ニラ     韮
 ニンジン 人参・胡蘿蔔
 ニンニク 大蒜・葫
 ネギ     葱
 ハクサイ  白菜
 パセリ 和蘭芹
 バレイショ  馬鈴薯
 ヒョウタン  葫蘆・瓢箪
 フキ     蕗
 ブロッコリー 芽花椰菜
 ヘチマ    糸瓜・天糸瓜
 ホウレンソウ 菠薐草・法蓮草・鳳蓮草

 ま
 マメ     豆
 ミョウガ   茗荷

 ら
 ラッキョウ   辣韮・薤
 レタス    萵苣
 レンコン   蓮根

 わ
 ワサビ    山葵
 ワラビ     蕨
ー↓↑ーー
 明日は12月の1日・・・
 例年のゴトク
 「White Christmas(Xmas)」へ向かう
ー↓↑ーー
 白=white=素・・・黑=black=玄
 ↓↑
佐賀県
杵島郡
白石町
 ↓↑
 杵島山系
 白石町
 佐賀平野の中に位置
 町の南から東にかけて
有明海に面する
 六角川河口の
住ノ江の湾奥部で
 大潮時
 最大約6mで
 日本一の干満差となる
 ↓↑
 白石 通泰
 (しろいし・しらいし みちやす・道泰)
 鎌倉時代中期
 肥前国
 白石(佐賀県杵島郡白石町)の武将
 通称 六郎
 鎌倉幕府御家人
 ↓↑
 「文永の役」
 「蒙古襲来(元寇)」
 1274年(文永十一)11月11日
 ~
 26日
 「竹崎季長」
 ら主従五騎が
 「赤坂の戦い」
 で破れた
 「元軍(元寇)」
 を追って
 鳥飼潟まで進出
 麁原山に陣を敷く
 元軍も
 「鳥飼潟」
 まで進出し
 これに先駆けを行った
 「竹崎季長」
 以下三騎は負傷
 後続より
 肥前国御家人
 「白石通泰」
 の手勢百余騎や同国御家人
 「福田兼重」
 筑後勢など日本軍が到着し
 元軍を破った(鳥飼潟の戦い)
 「竹崎季長」
 らはかろうじて助かり
 通泰と季長は
 お互いの戦功の証人になった
 ↓↑
 「白石通泰」
 は後
 「竹崎季長」
 を頼り
 肥後国
 海東郷(熊本県宇城市海東地区)
 に移り住んだ
 「竹崎季長」は
 「白石通泰」を
 海東
 阿蘇神社の神職として迎え
 白石家は現在に至るまで
 海東阿蘇神社の
 社家を代々勤めている
ー↓↑ーーーー
 宮城県
 白石市
 アイヌ語で「シュラウシ=石の多いところ」
 ↓↑
 白石は
 中世
 白石氏の拠ったところからつけられた地名
 「しろ」は
 「白い」のではなく
 「四郎・城・代」の転?・・・新羅・斯蘆

 岡山県
 笠岡市
 「白石島」
 は江戸時代に記録

 奈良県
 奈良市
 都祁
 白石町
 鎌倉時代に記録
 平安時代に
 「白石忌寸」の氏姓・・・帰化人

 佐賀県
 杵島郡
 白石町発祥
 南北朝時代に記録
 シロイシ

 鎌倉時代にあった
 長崎県
 南島原市
 有家町
 原尾
 では
 長崎県の島原半島で
 1637年(寛永十四年)
 1638年(寛永十五年)
 「島原の乱」後に来住し
 明治新姓時に
 出身地の地名から
 「白石」称した・・・
 ↓↑
 福島県
 石川郡
 浅川町里
 白石・山白石発祥
 室町時代に記録

 宮城県
 白石市
 室町時代に記録
 シロイシ

 宮城県
 仙台市
 青葉区
 川内(センダイ)
 藩庁の
 仙台藩士名
 江戸時代に記録

 埼玉県
 児玉郡
 美里町
 白石
 戦国時代に記録
 シロイシ、シライシとも発音

 埼玉県
 秩父郡
 東秩父村
 白石
 戦国時代に記録
 シロイシ

 宮城県
 仙台市
 泉区
 根
 白石
 戦国時代に記録
 シロイシ

 福島県
 郡山市
 白岩町
 戦国時代に記録
 シライワ
 「白石」とも表記

 高知県
 高岡郡
 津野町
 白石
 甲
 安土桃山時代に記録

 熊本県
 葦北郡
 芦北町
 白石
 江戸時代に記録
 シロイシ

 熊本県
 葦北郡
 芦北町
 白岩
 江戸時代に記録

 熊本県
 天草市
 天草町
 下田
 南
 白石
 
 広島県
 呉市
 広
 白石

 福島県
 田村市
 大越町
 上大越
 白石
 シロイシ
 姓はシライシ、シロイシ

 青森県
 上北郡
 七戸町
 白石
 シロイシ

 善隣
 鹿児島県
 霧島市
 溝辺町
 有川
 小字
 白石

 善隣
 愛媛県
 今治市
 宅間
 小字
 白石

 善隣
 愛媛県
 松山市
 石手
 白石
 ↓↑
 コリア(朝鮮・韓国)系
 比率は約1%
 「白」+「石」の改姓
 鹿児島県
 鹿児島市(旧 鹿児島県
        西桜島村)・・・桜(櫻)島
 1954年12月11日
 帰化の記録
 本姓は
 「白=ハク」
 ↓↑
 「神石=白い石に因む名称」
 ↓↑
 白石(しろいし)
 北海道
 札幌市
 白石区
 ↓↑
 仙台藩家老
 白石城主
 「片倉」家によって開発された
 「戊辰戦争」
 で敗れた仙台藩の
 白石城主
 「片倉小十郎」
 の元家臣たちが
 明治四年(1871年)
 北海道に集団移住した土地
 ↓↑
 地名の由来
 アイヌ語
 「シュラウシ(石の多い所)」
 市街地の
 字調練場に
 純白で光沢のある大石があり
 これを白石の「神石」といって
 伝承ではこの石の根の深さは
 宮城郡
 根白石(ねのしろいし)
 までつながっていると伝え
 この石が「白石」の地名の起こり・・・
 ↓↑
 白石駅(しろいしえき)
 宮城県
 白石市
 沢目 JR東日本・東北本線。
 東白石駅(ひがししろいしえき)

 宮城県
 白石市
 白川
内親
 字
安久戸 JR東日本・東北本線
 ↓↑
 アイヌ語由来
 ↓↑
 白石(しろいし)
 埼玉県
 児玉郡
 美里町
 白石
 「しらいし」とも
 県北西部
 松久丘陵に位置
 大半が山林で
 天神川に沿った地域に集落と耕地
 地名は
 「天神川(白石川)」
 の
 「白い石」に由来・・・
 ↓↑
 白石(しらいし)
 神奈川県
 川崎市
 川崎区
 白石町
 武蔵白石駅(むさししらいしえき)
 JR東日本・鶴見線
 神奈川県
 川崎市
 川崎区
 白石町
 日本鋼管の創始者の
 「白石元治郎」
 に由来
ー↓↑ーーーー
 アキレス、呆れた
 トロイ、タワケの戯け
 他訳の巫山戯
 2015-02-20
 古事記字源
 ↓↑
 第二編
 聖パウロ(サウル)の事蹟
 第一項
 パウロ第一回の傳道旅行
 ↓↑
 使徒行録・・・ペトロ(日本語表記)
 本名はシモン(シメオンの短縮形)
 イエスにより
 「ケファ」
 (アラム語で
  岩の断片、・・・・・岩の断片・欠片(かけら)
  石という意味)・・・磐余彦=神武天皇???
            維和のアマリ
            維新の倭(大和・やまと)
 という
 「アダ名」
 で呼ばれた
 ギリシア語は「ペトロス」・・・経訳賂諏?
 『使徒言行録』・・・・・・・・使途原稿録?
 は
 『ルカによる福音書』の続編・・瑠可⇔珂瑠
 『ルカによる福音書』と
 『使徒言行録』は別々の本
 『ルカ福音書』の著者は
 「パウロ」の弟子の医師の
 「ルカ」
 『路加傳(ルカの福音書)』
 ↓↑
 新約聖書翻訳
 1875年
 『路加傳(ルカ伝)』刊行
 1876年(明治9年)
 『羅馬書(ロマ書)』
 『希伯来書(へブル書)』
 1877年(明治10年)
 『馬太傳(マタイ伝)』
 『馬可傳(マルコ伝)』
 『約翰傳(ヨハネ伝)』
 『使徒行伝』
 『約翰書(ヨハネ書)』
 『加拉太書(ガラテヤ書)』刊行
 1878年(明治11年)
 『哥林多前書(コリント前書)』
 『哥林多後書(コリント後書)』
 1879年(明治12年)
 『以弗所腓立比書(エペソ書、ピリピ書)』
 『帖撒羅尼迦前後書(テサロニケ前後書)』刊行
 1879年(明治12年)11月3日
 新約聖書の翻訳作業終了
 1880年(明治13年)
 『哥羅西書(コロサイ書)』
 『提摩太前後・提多・腓利門書
 (テモテ前後書、テトス書、ピレモン書)』
 『雅各・彼得前後・猶大書
 (ヤコブ書、ペテロ前後書、ユダ書)』
 『約翰黙示録(ヨハネの黙示録)』刊行
 ↓↑
 翻訳作業者
 ヘボン・・・経本(凡・汎・梵・煩・品・犯)?
 ブラウン・・分等云(運・雲・有無)?
 グリーン・・具理意務?
 の3人
ーーーーー
 つづく・・・
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「𣎆+α」のカンジの・・・ヘン・・・

2024-11-29 16:19:01 | 古事記字源
 ナゼ、「白石」なのか?
  ↓↑
 「白石」の地名、姓名・・・由来
 「新井 白石」・・・お白砂・・・?
 「シドッチ」・・・伊太利亜人神父
   ↓↑

「𣎆+α」のカンジの・・・ヘン・・・
 秦→辰韓
  →斯羅
   斯蘆(シロ・サロ)
   斯盧
    ラ・𣎆 𧝹 羸
    嬴 贏 蠃 䇔 驘 臝
      𩼊 鸁 𣜄 𥢵
      𧄿 𨰠 𢺑 䌴
      㱻 𡰠 㱻 𡰠
    ↓↑
   斯驘(ラ・らば)・・・馬卂
    臝(ラ・裸)・・・・果卂
    蠃(ラ・蜾蠃=カラ)・虫卂
    𣎆(ラ)・・・・・・月凡
   =異体字
    𦝠(ラ)・・・・・・月卂
    𦟀(ラ)・・・・・・月丮
  騾=䯁(ラ)・・・・・・月羊
    𧝹(ラ)・・・・・・衣凡
    贏(エイ・ヨウ) ・・・貝凡
    䇔(エイ) ・・・・・立凡
    ↓↑
   斯瀛(エイ)・・・・ ・氵女凡
   ↓↑
   前57年~935年
   新羅(しらぎ・シンラ・シルラ)
   秦支配下にあった人民が逃亡し
   当時
   馬韓(百済)の支配下にあった
   辰韓十二国のうちの
   斯蘆国
   に移民し
   古代朝鮮半島
   南東部に
   独立国家を建国
   503年
  「新羅」を正式な国号とした
   ↓↑
   新羅(ラ・あみ・網羅)
   660年
   唐が
   百済を滅ぼし
   663年
   新羅は唐と連合し
  「白村江の戦い」で
   倭・百済残党を壊滅させ
   668年
   高句麗
   を滅ぼした
   新羅は
   唐軍指揮下で
   参軍(羈縻支配)
   後
   唐が
   吐蕃と戦争を始め
   新羅は
   唐に反乱し
   旧百済領全土
   旧高句麗の南半分を
   統治する
   唐の役所を襲撃
   唐の官員を殺戮(唐・新羅戦争)
   朝鮮半島の中南部を統一
   首都を
   金城(慶尚北道慶州市)とした
   9世紀末
   百済・高句麗
   の再興を図る勢力が出て
   後百済・後高句麗
   との
   鼎立による
   後三国時代となった
   後高句麗の
   高麗に帰順し
   新羅は滅亡
 ↓↑
 金氏始祖=金閼智
 第13代味鄒(味鄒尼師今)の
 7世祖・・・
 脱解の治世
 首都金城の西方の
 始林の地で
 鶏の鳴き声を
 聴こえたので
 夜明けになって
 倭人の
 瓠公に調べさせたところ
 金色の小箱が
 木の枝に引っかかって
 その木の下で
 「白い鶏」が鳴いていた
 脱解は役人に
 小箱を回収させ開かせると
 中から小さな男の子が現れ
 容姿端麗で
 脱解はこれを育てた
 長じて聡明であったので
 「閼智(知恵者の意)」
 と名づけ
 金の小箱に入っていたので
 「金」を姓とし
 同時に
 「始林」の地を
 「鶏林」と改名
 後に
 金氏が新羅王となると
 その始祖である
 「閼智」
 にちなんで
 国号を
    「鶏林」とした・・・鷄の囃子
     ↓↑      邇芸 速 日命
     ↓↑    櫛玉饒  速 日命
     ↓↑     (ニギ ハヤヒ)
   阿輩雞彌=開皇20年(600年)
        大業 3年(607年)
        隋王朝に遣隋使を送った
  「俀王 姓 阿毎
      字 多利思北孤
      號 阿輩雞彌」
  「王妻 號 雞彌
   後宮 有 女六七百人
   名 太子 爲 利歌彌 多弗利」
     ↓↑
    「鶏が鳴く前に3度
     私を知らない、と云うだろう」
    「天の国の鍵」
         鍵穴の墳墓=前方後円墳
     をイエスから受け取り
     ローマ司教
     ローマ教皇とされた
    ・・・??・・・
   ペテロ=シモン・・・諮問・試問
             指紋(渦文)
  ヘブライ語シメオン・・〆音
   アラム語ケファ=懸附蛙()
          =岩の断片・巖石
           嵒(品+山)の欠片
             ホン+サン
             本  纂・簒
           嵒=山のような品
         大国主⇔大物主

  ペテロ=シモンの援助者・協力者
    ↓↑
    パウロ=サウロ=サウル
       =パウロス
       =パヴロス
       =パウェル
 ポルトガル語 パウロ(Paulo)
  イタリア語 パオロ(Paolo)
  スペイン語 パブロ(Pablo)
   ドイツ語 パウル(Paul)
   ロシア語 パーヴェル(Pavel)
   ラテン語 パウルス(Paulus)
  ギリシャ語 パウロス(Paulos)
        ↓↑
     「小さな」の意味=小人
      スクナビコナ
      少名毘古那
      宿奈毘古那
      スクナヒコナ
      少彦名
      スクナヒコネ
      少彦根
      小比古尼
      少日古根
      少日子根
      スクナヒコ
      須久奈比古
      小彦
      小日子
      少名彦
      スクナミカミ
      須久那美迦微
      ↓↑
  『古事記』 神産巣日神の子
       (かみむすびのかみ)
  『日本書紀』高皇産霊神の子
       (たかみむすびのかみ)
   ↓↑
  『古事記』
  大国主の国造りに際し
  「天乃羅摩船
  (アメノカガミノフネ
   ガガイモの実)
   に乗り
   鵝
  (ヒムシ=ガ)
   の皮の着物を着て
   波の彼方より来訪
   神産巣日神の命で
   国造りに参加
  『日本書紀』
   ミソサザイの皮の着物を着ている
  『播磨国風土記』
  『伊予国風土記(逸文)』
  山陰や四国
  北陸などの地方伝承・・・
    ↓↑
    希臘語意訳  いわ=維和の談編?
      「ペトロス」
  イエスが「私は
       この岩
      (ペトロ)
       の上に
       私の教会を建てる」と言った・・・
     英語ピーター
     仏語ピエール
     伊語ピエトロ
     獨語ペーター
   西班牙語
   葡萄牙語ペドロ
    ・・・へどろ=流れの緩やかな
       河口・沼・湾などの底に
       堆積した泥上の物質
       沈殿したデイ泥の
      「淀・澱・泏」泥
         
     露語ピョートル=磐余=神武天皇
             磐井・石井・医師意
        漁師出身=ペトロ=海の人
        ↓↑   ↓↑
   大海人皇子=天渟中原瀛真人天皇=天武天皇
  (あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)
             瀛(おき・沖・大洋)は
             ↓↑
    道教における東方三神山の一
             瀛(エイ)州・蓬莱
               方丈⇔方丈記
       古典日本三大随筆・隨=随時
      『方丈記』鴨長明
      『徒然草』兼好法師
      『枕草子』清少納言
             瀛=氵+嬴
   始皇帝の弟の子=「(嬴)嬰」・・・?
            「嬴政(エイセイ)」
   始皇帝      =嬴(エイ)
             or
             趙(チョウ)
   始=女+台(臺)
     女+ム+口
   異体字
   乨=台+乚(乙)・・・邪馬台の始めは乙(乚)
       𠃐=乙+乙=會・会
「乙(乚)」=「骨篦(べら)」
   兘=元+ム+口・・・・ 二の儿はムな囗(國)
     二+儿+ム+口・・・二の丿の乀はムな𡈁
       丿=ヘツ(経津)・ヘチ(伯津)?
       乀=フツ(布津・府津)=大宰府?
  ↓↑
   囗=くに=久邇・圀・𡈁
九州
  古代、中国全土を九州に分けた
 『尚書』禹貢による九州
  冀州・兗州・青州・徐州
  揚州・荊州・豫州・梁州
  雍州

 『爾雅』釈地による九州
  冀州・豫州・雍州・荊州
  揚州・兗州・徐州・幽州
  営州

 『周礼』職方氏による九州
  揚州・荊州・豫州・青州
  兗州・雍州・幽州・冀州
  并州

  三者すべてあわせたもの
  禹貢による九州に
  幽州・并州・営州
  の3つを加えたものを
  十二州と呼ぶ

  戦国七雄
  秦と
  六ケ国
  韓・魏・趙・燕・楚・斉

  =六合
  =六ケ国
   韓・魏・趙・燕・楚・斉

   紀元前288年
   韓・魏・趙・燕
   斉
   の5か国が合従して
  「秦」を攻撃

   紀元前284年
   秦
   韓・魏・趙・燕
   の5か国が合従して
  「斉」を攻撃

   時代は
   秦・斉の二大強国時代
  「蘇秦」は
   燕のために諸国を糾合し
   斉を攻撃すべく活動した
   外交官・間者

  =合従=縦横家
  「蘇秦」の説
   後は弟の
  「蘇代」が継承

  =連衡
  「張儀」が秦を中心に
   韓・魏・趙・燕・楚・斉
   を懐柔させる戦略

  =遠交近攻
   後に
  「范雎」が遠方の国と手を組み
   近隣の国を攻撃する事で
   秦の領土を拡張
   ↓↑
   始=女+ム+口=乨=兘
     女+台(ム口)
       台⇔吉
       ム=士(十一=壹が拾うイチ)
  士=十字架の一
    イチ(位置・意知・移置)
    ゴルゴタの丘=東エルサレム
    Jerusalem 付近の丘
    Calvary=墓地・受難の地
  墓地=grave・tomb・cemetery
         墳墓・・・古墳
     前方後円墳=keyhole-shaped tomb
           鍵穴形態(形状)墳墓
  an ancient Japanese tomb
  of a circular shape
  with a rectangular frontage
・・・横sideから視たら
    Mickey Mouseが履いている
   「沓・舃・靴・くつ」に見える
    Dress shoe
    leather shoes.

  羨=𦍌+㳄
 ↓↑
  羨=羊+㳄=涎=氵+廴+ノ+止
    羊+氵+欠
    異体字
   「羡=羊+次」
 ↓↑ ↓↑
   「㳄」=物が欲しくて涎を垂らすこと
      うらやむ・うらやましい
      エン
      セン
      ゼン
      よだれ
      よだれ・つば
      ねばりけのある液体
 ↓↑     ↓↑
    ・・・なめこ(滑子)汁・・・
       名女子?・鞣子?
    ・・・摺ったトロロ芋?・・・
          トロイ奴?
    ↓↑
    1851年1月~1864年8月
    清 で
    1851年1月11日
   (道光30年12月10日)
   「金田村」で
    拝上帝会は国号を太平天国とし
   「洪秀全」は天王と自称し
   「馮 雲山(フウ ウンザン)」を
   「南王=七千歳」とし任命
    キリスト教の紐帯組織
   「太平天国の乱」
   「長髪賊の乱」
   「マフディー戦争
   (英埃vsスーダン)」
    で活躍した
   「ゴードン」・・・?
    チャールズ・ジョージ・ゴードン
   (Charles George Gordon)
    1833年1月28日~1885年1月26日
    英国の軍人
    中国名
   「戈登」
    戈(ほこ)で登る?
    戈=弋+ノ
      弋=𢍺(ヨク・イク)
        いぐるみ
        くい
    異体字
   「𢍺 隿 𨾍 𩾢
    㚤 杙 黓 ⼷ 樴 𣖿」
    㚤=女+弋
        弋=「𢍺=七+丶」
    1863年
    李鴻章の要請で
    常勝軍を率い
   「平天国の乱」を鎮定
    後
    スーダン反乱軍討伐中に戦死
    ↓↑
   「ゴードン」
   の影響で
   「されこうべの丘」=ゴルゴタの丘・・・説
   「髑髏(どくろ・されこうべ
       しゃれこうべ・しゃりこうべ
       Skull)
       白骨化したヒトの頭蓋骨
       晒(さら)された
       頭(こうべ)・・・神戸・河邊」
   「丘」は
       「ゴードン カルヴァリー」
     英語:Gordon's  Calvary
             キャルヴァリ
             ゴルゴタ
             受難の丘
         アラム語 gulgōthā'
             頭蓋骨
    (古代希臘語: Κρανίου Τόπος
     拉丁語・拉語: Calvariae Locus
     羅甸語・羅語: Calvariae Locus)

     英語=ラテン=Latin
        ローマの南東にあった
        古国ラティウム(Latium)の
        形容詞形 latinus に由来

     台=臺=吉+冖+ー+ム+十+一

   皇=白+王=白+三+l
   帝=亠+丷+冖+巾
     民間で
    秦王を
「白帝子」と呼んだ
    「白帝」は
    「金徳」を司る
    天帝
    「少昊」で
    秦国の祭祀では
    「白帝」の地位が高いため
    秦皇室は
    「白帝子」と呼ばれた

    趙の首都
    邯鄲で生まれ
    「趙政」と呼ばれた

    実父
    韓の商人であった
    「呂不韋」・・・の説
         
    実母
    「呂不韋」の妾
    「趙姫」

    養父・・・?
    「趙姫」を譲り受けた
    「異人=秦の荘襄王」・・・の説
    「荘襄王=子楚=異人」・異邦人?

     氏 趙(チョウ)国の人質の子
     諱 政(セイ)・正(セイ)

    「秦王政=始皇帝=嬴政」は
     韓国の公子
     韓非の思想「王資」に共感

     法が教え
     師は官吏
     勇は私闘ではなく戦
     民の行動は
     法と結果に基づき
     有事での勇敢

     国に巣食う蟲は
    「儒・俠・賄・商・工」
     の5匹(五蠹)

     紀元前259年2月18日
     ~
     紀元前210年9月10日
     秦初代皇帝
     在位
     紀元前221年
       秦王政 26年 39歳
     五行相克思想で
      「火=赤=周」
       を討ち滅ぼす
      「水=黒」
       とし
       儀礼用衣服
       皇帝の旗(旄旌・節旗)
       黒色を使用
       秦の始祖
       大費(柏翳)が成功し
       舜に黒色の旗を貰った
       五行=水=北=冬=六
       を象徴とした
     ↓↑
     紀元前221年 中国統一
     ~    紀元前220年 天下巡遊
     紀元前210年
     ↓↑
     秦の
     第31代君主
     在位
     紀元前247年
     ~    呂不韋=仲父
          と呼ばれ
          秦王政8年
         (紀元前239年)
         『呂氏春秋』編纂完了
     紀元前210年
     ↓↑
     6代目の王
     在位
     紀元前247年
     ~
     紀元前221年)
     49歳(数え年50歳)で急死
     ↓↑
 α+嬴
 㜲・瀛・攍・䕦・𣟅・䑉・䃷・籝

 嬴(エイ・盈・満・充・勝・餘)
 贏(ヨウ・余)
 羸(ルイ・疲労)・・・披露・拾う・卑陋
 臝(ラ・裸)
 蠃(ラ・蜾蠃=カラ)
   =ジガバチ(似我蜂・穴蜂)科
「ジジジ」と啼き
   「ジガ(似我)、ジガ(似我)」
    と聞こえ
   「我に似よ」
と呪文にのように聴こえ
   「ジガバチ=自我辱(恥・羞)」
      ・・・乞食鉢修行
    になった・・・???
ーーー↓↑ーーー
 肥前白石駅(ひぜんしろいしえき)
 佐賀県杵島郡白石町大字福田
 九州旅客鉄道(JR九州)
 長崎本線の無人駅
 1940年
 福治駅から改称
 ↓↑
 1930年(昭和5年)3月9日
 福治駅(ふくじえき)として鉄道省が開設
 1940年(昭和15年)4月1日
 駅舎が改装
 肥前白石駅(ひぜんしろいしえき)に改称
 他に白石駅があるため
 肥前がつけられた
 ↓↑
 佐賀県
 杵島郡
 白石町
 大字
 福田1993-5
 北緯33度11分14.92秒
 東経130度8分9.48秒
 ↓↑
 白石町(しろいしちょう)
 佐賀県の中南部に位置
 有明海の広い干拓地と干潟で知られる町
 杵島郡に属する
 ↓↑
 廿治・福田・福吉
 旧六角村:今泉・東郷
 旧須古村:堤・馬洗・湯崎
 旧北有明村:築切・遠江
 大渡(旧橋下村)・横手(旧南有明村)・新拓
 ↓↑
 廿治・福吉
の2大字は
 白石町・六角村にまたがり
 六角村は4大字から成り立っていた
 ↓↑
 町の木
   桜=櫻
 町の花
   つつじ(躑躅)・・・
   躑=足+鄭(奠+阝
  酋+大+阝)=郑
奠=テン・デン=关
          さだめる(定)
          そなえる(供)
          まつる(祭・祀)
          決める
          据える
          遵法・遵奉・遵守
   鄭=郑=关+阝・・・咲・送・朕・関
       丷+天+阝
       丷+一+大+阝
      =鄭=奠+阝
       乞巧奠(キコウデン)=七夕
     香典・香奠(コウデン)
        釈奠(セキテン)
         奠都(テント)
        奉奠(ホウテン)
   鄭=周の宣王の弟
    「桓公友」
     が、西周末
     鄭(陝西 (センセイ) 省華県)
     に封じられた
   ↓↑ ↓↑
   躅=足+蜀(罒+勹+虫)
     蜀=ショク
       あおむし(青虫)
       いもむし(芋虫)
       とうまる(唐丸・鶤鶏)
       ニワトリの品種の一
       長鳴鶏
       蝶や蛾の幼虫
       古代中国の国名
       ひとつ・ひとり
       獨=犭+蜀(罒+勹+虫)
       独逸・独断
       独身
       bachelor(バチェラー)
            修学学士
     蜀山人(ショクサンジン)
    玉蜀黍(とうもろこし)
     蜀黍・唐黍(もろこし)
     蜀犬吠日(ショクケンハイジツ)
  得隴望蜀(トクロウボウショク)
   巫雲蜀雨(フウンショクウ)
    望蜀之嘆(ボウショクのタン)
     蜀犬、日に吠ゆ
    望蜀(ボウショク)
 隴を得て蜀を望む
ー↓↑ーーーー
 つづく
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「円満=圓満」なカンジだけれど「㘣=囗+肙」って?

2024-11-26 16:26:03 | 古事記字源
 インターネットでの
 翻訳「漢字辞典」検索での結果のボクの理解度では・・・
 「漢文語 ≠ 日本語」・・・「日本語」になっていないみたい・・・
 「英 語≒日本語」・・・「日本語」になっている・・・?
 ↓↑
 「円満=圓満⇔㘣」なカンジ?・・・
 「圓=㘣」を調べてみた
 ↓↑

 㘣=囗+肙・・・圓(エン)=囗+員=円
   囗+口+月
   ケン・セン・ゼン
   規則・規制
   从(從)囗,肙(エン)聲
     従がう=随う・遵う・順う・从
   圓規
  《說文解字.囗部》:規也
  《古文苑.卷一七.蔡邕篆勢》
  :摛華豔於紈素・為 學藝之範」
   摛=扌+离
     扌+㐫+禸
     扌+亠+凶+冂+厶
     扌+亠+凵+㐅+冂+厶
    =攡=扌+離
     チ
     述べる・しき述べる・・・しき?
     広める・広く伝える
  【出處】
  《晉書·衛恒傳》
  :摛華艷於紈素,為學藝 之 范先
    華艷=華美艷麗     「范蠡(ハンレイ)」
      素紈=白く美しい
      光沢のある練絹(ねりぎぬ)
      緇=緇衣(シエ)
        黒い衣を着た僧
      素=素衣(ソイ)
        白い着物を着た在家者
   ↓↑
   天(テン)勾践(コウセン)を
   空(むな)しゅうすること莫(なか)れ
   時(とき)に
   「范蠡(ハンレイ)」
   無(な)きにしも
   非(あら)ず
   ↓↑
  《勾践は
   中国春秋時代の
   越の王
   范蠡は
   呉に敗れた勾践を助け
   呉を滅した忠臣》
   ↓↑
   天は勾践を見捨てない
   時がくれば
   范蠡(ハンレイ)
   ↓↑  ↓↑
      范(ハン)=艹+氵+㔾
      いがた・かた
      のり
      草の名
      虫の名
      蜂
      かた・鋳型・鋳造の型
      のり・法則・規範
      蠡(レイ)=彖+䖵
        彑+豕+虫
       =蟸=豕+䖵(蟲)
       =䗍=彖+虫
        レイ
        かい
        にな
        ひさご
        ほらがい(法螺貝)
        むしばむ・虫が食う
        木食い虫
        巻き貝の一種
   のような忠臣が出て助けてくれる
   南北朝時代
   児島高徳 (こじまたかのり) が
   捕らわれの
   後醍醐天皇に
   自分の志を示すため
   桜の幹に書いた
  「太平記」巻4の詩句
   ↓↑
   詩
   児島高徳が
   後醍醐天皇の
   隠岐に遷幸されるのを
   奪還しようとして
   院庄の
   行在所に忍び込み
   桜の幹に
  「天莫空勾践
   時非無范蠡」
   の二句を書き
   忠誠を奏上した図を見て詠じた
   詩
   児島高徳が
   後醍醐天皇の
   隠岐に遷幸されるのを
   奪還しようとして
   院庄の
   行在所に忍び込み
   桜の幹に
  「天莫空勾践
   時非無范蠡」
   の二句を書き
   忠誠を奏上した図を見て詠じた
   詩=シ=詞
   院庄の・・・韻(音・員・陰・蔭・允・寅)状?
   行・・・・・行文?
   在所に
   忍び込み
   桜の幹に・・・櫻=さくら=佐句等?
  「天莫空勾践
   時非無范蠡」
   の二句
   忠誠を
   奏上した
   ↓↑
  参照、参考は
 「https://dictionary.goo.ne.jp/word
  出典:デジタル大辞泉(小学館)」
   ↓↑
   宋・章樵・・・章=あや・あきらか・ショウ
          樵=きこり・ショウ・ジョウ
    ・注
  :「音旋・規也・所以 為 圓・圓規
    音旋=音の旋律
       ・・・円(まろ)やかな
          滑(なめ)らかな音?
    音の響きの規則性
 ↓↑
 㘣=囗+肙・・・圓(エン)=囗+員=円
   囗+口+月
   ケン・セン・ゼン
   規則・規制
   从囗,肙聲
   圓規
  《說文解字.囗部》:規也
  《古文苑.卷一七.蔡邕篆勢》
  :摛華豔於紈素・為 學藝之範」
   宋・章樵・注
  :「音旋・規也・所以為圓・圓規
    音旋=音の旋律
   規則性・ルール・音声の響き
 ↓↑
 異体字
  「円・圓」
   圓=エン
     まる・まるい形・円形
     まるい・まどか・まろやか
     角のないさま
     つぶら。つぶらか
     るいさま。まるくて可愛らしいさま
     まったし・完全な
     かけているところがない
     日本語
     えん・日本の貨幣単位
     そのあたり一帯
 ↓↑
 肙+α
 剈娟悁捐涓狷埍弲㘣
 䧎琄梋焆罥㾓睊瓹裐
 䅌鹃蜎䣺鋗鞙䬼駽鵑
 ↓↑
 㘣=囗+肙・・・圓(エン)=囗+員=円
   囗+口+月
   ケン・セン・ゼン
   規則・規制
 ↓↑
 涓(ケン)=氵+口+月
  しずく(滴)
  わずか(僅か)
  水の小さな流れ・細く流れるさま
  水のちいさなしずく
  水滴・小さい・わずか・微小なさま
  清らか・潔い・はらい清める
  選ぶ・より分ける
  除く・捨てる
 ↓↑
 娟(エン)=女+肙
  ケン
  うつくしい
  しなやか・みめよい・うるわしい
  動作がしなやかなさま
 ↓↑
 肙(エン)=口+月(冃)
       小さな虫の名
       ぼうふら(孑孑・孒孑)
       蚊の幼虫
 ↓↑
 㾓(エン)=疒+肙
   関節が痛む。
   憂鬱(ユウウツ)になる・だるくなる
 絹(ケン)=糸+肙
   きぬ・絹糸=ケンシ=繭糸
 ↓↑
 員(イン)=貟=ム+貝(目+ハ)
   イン・エン・ウン
   かず(数・數)
   人・モノの数
   係・役人・ある組織団体に属する人
   まわり・囲・幅
   まる・まるい形=円
   増す・増やす・増える 
   冗員淘汰(ジョウイントウタ)
   員数を揃える
   員に備わるのみ
  ↓↑
 「大員=Tai-uan=ダイワン」
    =台湾=臺灣・台灣・Táiwān)
台湾語=台湾総人口の7割を占める
    「閩南人」の言語で
     大陸の中国語(官話)とは異なる
     台湾語・客家語・日本語・オランダ語
     原住民語の要素が加わって形成された
     多民族間の共通語
     「台澎金馬=台湾を統治する政治的実体概念」
     台湾の語源
     原住民シラヤ族の言語
    「Tayouan(ダイオワン=来訪者)」
    「Tai-Vaong=海に近い土地」
    「Tai-oan=牛皮の土地」
    「Tayw-an=人間の場所=Tayw-an」
    「大員(台湾語発音:Tāi-uân=台南=ダイワン」
     オランダ人が入植し原住民の言葉が起源
     漢語の由来ではない
     中国の文献に
    「台湾(Tâi-uân)」
     と呼称されるようになったのは
     清朝統治からのこと
 ↓↑   ↓↑
     別称
    「台湾島=フォルモサ(Formosa) 」
    「美しい」という意味のポルトガル語
     16世紀半ば
     ポルトガル船の
     オランダ人航海士が
    「Ilha Formosa
    (イーリャ・フォルモーザ=美しい島)」
     と呼んだことに由来
    「フォルモ=中国語
          意訳・美麗島
          音訳・福爾摩沙」
 ↓↑  ↓↑
    日本
    高山国(コウザンコク)
    高砂国(たかさごこく)
    商船の出入した
    台湾島西南岸の
   「打狗山(高雄)」
    由来の
   「タカサグン」
    の訛り
   「タイオワン事件」
    原住民が
   「高山国からの使節」として
    江戸幕府3代将軍
    徳川家光に拝謁した
 ↓↑  ↓↑
    1628年6月(寛永五年五月)
    タイオワン事件
   『Oud en Nieuw Oost-Indiën』
    フランソワ・ファレンタイン
   「タイオワン(台南・安平)」
    の
   「ノイツ」は帰国した先住民達を
    全員捕らえて贈り物を取り上げ監禁
   「浜田弥兵衛」の船も渡航を禁止し
    武器を取り上げ
   「弥兵衛」は激しく抗議し
    拒否し続ける「ノイツ」を組み伏せ
    人質にし実力行使
    オランダ東インド会社は
   「弥兵衛」らを包囲
    その後の交渉で
    互いに5人ずつ人質を出しあい
    互いの船に乗せて長崎の港に着いたら
    互いの人質を交換することで同意
    長崎に着くと
    オランダ側は日本の人質を解放
    長崎で迎えた代官
   「末次平蔵」らは
    そのままオランダ人達を
    拘束、大牢に監禁し
    ランダ商館を閉鎖
 ↓↑  ↓↑
    オランダ領東インド総督
    ヤン・ピーテルスゾーン・クーン
    はバタヴィア装備主任
    ウィルレム・ヤンセン
    を特使として日本に派遣
    平戸藩主
   「松浦隆信」と
   「末次平蔵」は
   「ヤンセン」が江戸幕府3代将軍
   「徳川家光」
    に会うため江戸へ行くことを許さず
    将軍家光の名を騙った返書を作成し
   「ヤンセン」に渡した
    その内容
   「先住民を捕らえ
    日本人の帰国を妨害したことは遺憾である
    代償として
    タイオワンの
    熱蘭遮(ゼーランディア)城を明け渡すこと
    受け入れれば
    将軍は
    ポルトガルを憎んでいるので
    オランダが
    貿易を独占できるように取り計らう」
    とし
    ヤンセンは将軍に会えないまま
    バタヴィアにこの返書を持ち帰ったが
    クーンは病死しており
    新たな総督は
    かつて平戸オランダ商館長(カピタン)の
    ヤックス・スペックス
    で長年日本で暮らし
    日本と日本人を研究していた
    スペックスは
    これが偽書であることを見抜き
    ヤンセンを再び日本に派遣した
    長崎通詞
   「貞方利右衛門」
    がオランダ側に語ったのは
   「平蔵は近いうちに死ぬだろう」
    というもので
   「末次平蔵」
    獄中で謎の死
    オランダ側の記録には
    将軍が閣老達に
    貿易に関わる事を禁じていたが
    閣老は平蔵に投資をして
    裏で利益を得ていたため
    切り捨てられたらしい・・・
 ↓↑  ↓↑
    オランダは
   「この事件は経験の浅い
    ノイツの対応が原因で
    ランダ人を解放してさえくれれば良い」
    とし
   「ノイツ」を解雇し
    日本に人質として差し出した
    日本側はこの対応に安堵し
    これが鎖国体制を築いた時に
    オランダにのみ
    貿易を許す一因ともなった・・・
   「ノイツ」は
    1632年~36年まで日本に抑留された
    1636年(寛永十三年)
   「ニコラス・クーケバッケル」
    の代理として参府した
   「フランソワ・カロン」は
    5月3日
    将軍家光に拝謁し
    銅製の灯架を献上
    家光は返礼として
    銀300枚を贈った
    この時、以前より平戸藩主から
   「ノイツ」の釈放を頼まれていた老中の
   「酒井忠勝」が
   「ノイツ」の釈放を願い許可され
   「カロン」が献上した灯架(燈籠)は
    日光東照宮に飾られた
    1632年(寛永九年)
    閉鎖されていた
    平戸オランダ商館再開
    1634年(寛永十一年)
    日本人が
    台湾に渡ることは正式に禁止
    その後は
   「鄭氏政権」が誕生するまで
    ネーデルラント(オランダ)が台湾統治
 ↓↑  ↓↑
    安永四年(1775)
    オランダ商館の医師として
    長崎に滞在した
    スウェーデン人の
   「カール・ツンベルク」は
   『日本紀行』
    の中で本事件について触れて
    日本人は自尊心が高く
    西洋人の滑稽さや不正は忘れて
    許してくれるが
    傲慢な軽蔑的態度は
    許しがたい罪を犯したとみなすと評し
    本事件に関する
   「ケンペルの『日本誌』」
    の記述を引いて
    本事件は
    日本人商人に対する
   「ノイツ」の扱いが非常に酷く
    日本君主および国民に対する
    甚だしい侮辱であると
    憤慨した侍臣たちの
    復讐である・・・とし
    日本人は
    正義の念あつく
    自負心強く
    勇敢な国民であるため
    侮辱を加える者には容赦なく
    普段は
    怒りや憎しみの情を表さず
    侮辱に対して憎厭の念を心中にため込み
    機が至れば
    直ちに殺傷に至る復讐に出ると
    注意を喚起
 ↓↑  ↓↑
    中国による「台湾」呼称の変遷
   『漢書地理志』
   「会稽海外 有 東鯷人
    分 為二十余国
    以 歳時 来献見・・・」
   「東鯷=台湾」を指す・・・?
     鯷=魚+是=鮀=魚+它・鯰=魚+念
              它=蛇=虫+它
                  虫=中+ム
              它=宀+匕=羽生・蝮
     魚=まな=真魚・茉菜
          真名=漢字」の
       「是非」の
       「是=日+一+ト(占)+人」?
     鯷=⺈+田+灬+日+一+龰
       テイ・しこ・ひしこ
       大鯰(おおなまず)=淡水魚
       カタクチイワシ科の海水魚
       硬 口 鰯・鰮=いわし=違和史(詞)
    漢代の中心地は
    中原=長安・洛陽
    で
    福建省や広東省の
    沿岸地帯(河洛)にまで至ることは稀で
   「東鯷」・・・鯷(テイ・ひしこ)
    とは海上の島嶼群を漠然とした名称
   「台湾」の呼称とすることは困難・・・
    三国時代
    沈瑩著『臨海水土志』
    陳寿著『三国志』呉志の孫権伝
    の部分に記述が見られ
   『臨海水土志』に
   「夷州在浙江臨海郡的東南
    離郡二千里
    土地無霜雪、草木不枯、四面皆山
    衆山夷所居。
    山頂有越王射的正白、乃是石也。」
   「部落間互不相属、各号為王、分割土地・・・」
   「夷洲在臨海東南、
    去郡 二千里。
    土地無霜雪、草木不死。
    四面是山谿。
    人皆髠髮穿耳、女人不穿耳。
    土地饒沃、既生五穀。
    又多魚肉。
    有犬、尾短如麕尾状。
    此夷舅姑子婦臥息。
    共一大牀、略不相避。
    地 有銅鐵、
    唯 用鹿格 爲矛以戰闘、
    摩礪 青石以作(弓)矢鏃。
    取 生魚肉雜 貯大瓦器中、
    以 鹽鹵之、歴月所日、
    乃啖食之、以 爲上肴

   『孫権伝』に
    二年春正月
    魏作合肥新城。
    詔立都講祭酒,以教學諸子。
    遣將軍衛温、諸葛直將甲士萬人,
    浮海 求 夷洲及亶洲。
    亶洲在海中,
    長老傳言
    秦始皇帝 遣
    方士 徐福
    將 童男童女數千人入海,
    求 蓬萊神山 及仙藥,
    止 此洲不還。
    世相承有數萬家,其上人民。
    時有 至 會稽 貨布,
    會稽 東 縣 人 海行,
    亦有 遭風流 移 至 亶洲者。
    所在 絶遠,卒不可得至,
    但得 夷洲 數千人還。
    夷州=台湾島

    隋末~宋までの600年間
    中国文献に台湾の記事が無い
    元代
    記録に「台湾」が出現
    明代
   『東西洋考』
   『閩書』
   『世法録』で   「台湾=東蕃」
   「周嬰在」が表した
   『東蕃記』で   「台員」
   「何喬遠」が表した
   『閩書島夷誌』で 「大員」
   「張燮」の
   『東西洋考』で  「大円」
   「何喬遠」の
   『鏡山全集』で  「台湾」
   「沈鉄的奏折」で 「大湾」
    福建沿岸の民衆は
    台湾南部を   「毘舍耶」
    中原の漢族は
    台湾北部を   「小琉球」
    と呼んでいる

    明の太祖
   「朱元璋」の時代
   「琉球」という呼称は
   「沖縄・台湾」双方を指す語として使用
    両者の区別に混乱し
    沖縄を大琉球
    台湾を小琉球
    と呼ぶ
    台湾=小東島・琉球・北港・東番

    明末
   「鄭成功」
    台湾に鄭氏政権
    台湾を
   「東都」「東寧」などと呼ぶ
    なお
   「大員Tai-uan=ダイワン」
    の呼称が用いられ
    台湾近くにある
    琉球嶼(屏東県琉球郷)を指して
   「小琉球」と呼ばれ
    台湾と「琉球嶼」との間で
    両者の区別に混乱が生じた

    清の
    台湾を統治後
    原住民の言語を語源とする
   「台湾」が使用

    16世紀以前の台湾島
    南部に
   「大肚王国」地方政権が存在

    17世紀前半
    ポルトガル・スペイン・オランダ
    などの西洋諸国は台湾を開拓建設し
    キリスト教の教会
    赤崁楼
    洋風な赤レンガの建築を多く建設
    大航海時代の影響で開発され
    オランダを中心とし
    西洋文化を取り入れ
    文明が発展

    1662年
    漢人
   「鄭成功」
    は台湾のオランダ植民者を追放し
    台湾島を
    明朝再興派の拠点とし
    台湾島初の政治的実体である
    東寧王国を設立
    1683年
    漢民族国家
    明に代わって
    満洲民族の
    清は
   「東寧王国」も征服
    台湾を併合
    1662年~19世紀まで
    中国大陸から多くの漢人が台湾島へ移住
    原住民の総数を超えて
    台湾の過半を占めた
    仏教・道教・中華料理
    繁体字などこの時期に台湾へ持ち込まれた

    1895年(明治二十八年)
    日清戦争で日本が清に勝利
   「下関条約」が締結
    台湾島・澎湖諸島が
    日本初の植民地として
    神社や和風の木造建築が建設

    1945年(昭和二十年)
    第二次世界大戦で
    日本はアメリカや中華民国に降伏
    台湾は
    当時中国大陸の政府
    中華民国国民政府の統治下に入った
    1943年にカイロ宣言で
    台湾(台湾島・澎湖諸島)を
   「日本が清から盗取した
    中華民国に返還すべき地」と定め
    中華民国は台湾総督府を解散させ
    台湾島と澎湖諸島を合わせて
   「台湾省」として中華民国に編入

    1949年
    中華民国は
    第二次国共内戦で
    中国共産党に敗れ
    台湾に撤退し
    最終的に中国大陸の領土は
    金門島・馬祖島の2つしか維持できず
    政府を南京から台湾の台北へと移転
   「台湾地区(台澎金馬)」となった
    1971年
    国連
    アルバニア決議によって
    中国共産党の
    中華人民共和国へ継承
    中華民国政府は
    国連から脱退
    中華民国の
   「中国を代表する資格」
    は中華人民共和国に継承されたが
   「中華民国の領土」
   「台湾の帰属」
    に関しては何の法的結論も出さない・・・
    1992年
    台湾民主化以降
    中華民国は
    中国大陸での主権を取り戻すことを完全に放棄
    台湾での発展のみを専念
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再三再四のブリ返し・・・阿𡡉

2024-11-24 22:49:00 | 古事記字源
 2021-08-21・・・再参考・・・
 古事記字源
 煬帝(ヨウダイ)の
 小字の名はナゼ
 「阿𡡉」なんだろう?
 ↓↑

ーーーー
 楊廣(廣=广+黄)
   (広=广+ム)・・・黄=ム
      応神=應神
 一名 楊英
 小字・・・小字(ショウジ・小文字)
      小さい文字・細かい文字
      幼時の呼び名
      幼名 
            日本語
            小字(こあざ)
            市町村(特別区を含む)内区画
            字(あざ・大字除いたもの
            小名(こな)
            一筆耕地が集合したもの
 小字=幼名
    阿𡡉・・・「阿(ア・おもねる・媚びる)」
         「𡡉(マ・しびれる・母親)」

 華陰(陝西華陰)人

 父 隋の文帝
   楊堅の次子
 母 文獻皇后
   獨孤伽羅
 北周
 天和四年(569年)生れ
 ・・・天(あま・二+人)の
    和(やわらぎ・禾+口)が
      わ=環・話・把・倭・和・禍
   四
   肆(つらなる・ シ)ことを
   䦉=镸+四・・・ 肆=镸+聿=連なる
     ⋿+ㄊ+四  陳列・軒を連ねる
     ⋿+云+四
      「 + = +ㄊ+四
      丨+ ≡+ム+四
      「 + = +厶+囗+儿
      四=シ=史・詞・誌・始
        巳・子・市・視
    撚(ネン・よる)
    ・・・紙を撚る=紙縒り=こより
    念(おもう・ねがう・ネン・デン)?
 ↓↑
 長安(陝西省・・・陜=阝(邑)+亠+人+人+人
     西安市)・西の宀の女   众
      从(從・従)・丛・众(衆)・𠈌
     㐺(人从)
     仌(氷)
     人们从四面八方向火堆走来
     人々が四方八方から
     たき火(焚火)のところへ
     やって来た
     从⇔𠈌⇔人
    「爼=爻+且
       㐅+㐅+且
       㐅+丿+丶+且
       㐅+丿+丶+月(肉)+⸏
     俎=仌+且=爼=俎板
       人+人+且」
       且=冃(月=肉)+⸏
       ショ
       かつ
       しばらく
       まさに
       そのうえ・さらに
       物事の同時進行、並列の意を表す
       しばらく・ひとまず・とりあえず
      「まさに~せんとす」
      「今にも~しようとする」
       もし・仮に
    仌=ひとがしら・ひとやね
      ヒョウ
      こおる・こおり=冰=冫
 ↓↑
 䦉=镸+四・・・肆=镸+聿=連なる
   ⋿+ㄊ+四  陳列・軒を連ねる
   ⋿+云+四
   「 + = +ㄊ+四
    丨+ ≡+ム+四
   「 + = +厶+囗+儿
   シ

 ↓↑
 隋  煬帝 楊廣
(569年~618年4月11日)
 名  英  楊=poplar(ポプラ)
 小字 阿𡡉
    楊=やなぎ
     =柳=木+卯
      poplar(ポプラ)
    willow・weeping willow
    ウィロウ
    ポプラ=poplar
    白楊=白楊樹
    ラテン語
   「populus」
   「民衆・人々」を意味
    人々がこの木の下で
    集会を開いたことに由来
    真正双子葉類
    キントラノオ目
    ヤナギ科ヤマナラシ属
    ハコヤナギ属(Populus)
 父
 隋文帝 楊堅
 母   和文獻(献)・・・
      文献皇后
     皇后 獨孤伽羅
     本貫「雲中」郡
     伽羅は
     北周の大司馬
     独孤信の七女
     北周の
     阿史那皇后
     の菩提のため
     寺を建立
 の
 次子
 唐高祖 表弟
 隋朝  二位皇帝
 ↓↑
 隋  煬帝 楊廣(569年~618年4月11日)
 又名 英
 小字 阿𡡉
・・・阿の𡡉(麻+女)=痲
       蕁麻疹・ 麻痺
 ↓↑
 隋
 文帝 楊堅
 皇后 獨孤伽羅=和文獻
 の次子
 ↓↑
 唐の
 高祖の従弟
 ↓↑
 隋朝の第二位皇帝
 高祖 李淵
 諡  楊廣を
    煬帝とする
 ↓↑
 夏王 竇建德
 諡  楊廣を
    閔帝とする
 皇泰主
 楊侗
 諡  楊廣を
    明帝と為す
 廟號 世祖
 煬帝 十三歲で
    晉王と為す
    兼任 并州の主管
 ↓↑
 煬帝(ヨウダイ・ヨウテイ)
 隋朝の第二代皇帝
 在位604年8月21日~618年4月11日
 本名 楊広
 別名 英
 小字 阿𡡉・・・ナゼ
   「阿𡡉」なんだろう???
     𡡉=麻+女
     嬷=女+麻+么
     嬷=女+广+林+么
     嬷の変形
     嬷=バ・マ
       母・女・老婦
     麽=バ・マ・モ
       かすか・小さい・細かい
       か・や
       疑問をあらわす助字
       接尾語・疑問詞
       などの後につけて
       語調を整える
       怎麽(そも)
      =麼・嚒・庅・尛・・・尛
  異体字
    「𤹴」=「痲=痳」+女
      ・・・痺(しびれる)
         痹(しびれる)   
         痲(しびれる)
         痲=疒+𣏟
  ・・・麻酔薬=朝鮮朝顔
  で痺(しび)れて
  メクラ(眼冥・盲目)になったは
  大映映画
 「華岡青洲(市川雷蔵)の妻」・・・?
 「加恵(若尾文子)」
  彼の母
 「於継(高峰秀子)」・・・
 「𤹴」の
  異体字
 「痳・麻
  痺(しびれる)=疒+卑」
         病垂の卑弥呼 
 「痲(しびれる)=疒+𣏟」
 ↓↑ ↓↑
   「𤴷=疒+木
      シュツ
     =㾁=广+冫+ヽ
      疒+木=𤴷
      気が狂う
      突然狂ったように
      走り出す病気の症状
 ↓↑   ↓↑
  𣏟=𣎳+𣎳
    𣎳(ヒン・ビン・ハイ・へ)
    𣎳≠朩≠ホ・・・異字?
    𣎳=あさ(麻)?
    𣎳=麻片⇔阿片?
    𣎳=生麻(あさ)の皮?
      剥取枲茎之皮
      枲
     不結子實的大麻
     其莖皮纖維可織夏布
     枲(ゲ・シ)
      =台+木
      =ム+口+十+八
       イラクサ科の多年草
       イラクサ
(刺草・荊草・苛草)
     方言で
    「アイコ・アエコ
     イラナ・アエダケ
     エダケ・イタイタグサ」
     英名
     nettle(ネトル)
     needle(針)と同語源
     別名 イタイタグサ
       (痛 痛 草)
     蕁麻疹=urticaria
        (アータィカリア
         アーティケァリア)
        =hives(ハイブズ)
     鳥肌になる
     茎や葉に
     蟻酸(ギサン)を含む
     細かい刺(とげ)がある
     生薬では
     ジンマ(蕁麻)
蕁=艹+尋(ヨエロ寸)
    尋
 枉尺直尋(オウセキチョクジン)
    尋言逐語(ジンゴンチクゴ)
    尋章摘句(ジンショウテキク)
    尋常一様(ジンジョウイチヨウ)
   千尋之谿(センジンノタニ)
   千尋之山(センジンのやま)
  問柳尋花(モンリュウジンカ)
    一寸延びれば
尋延びる
   金の草鞋で
尋ねる
  尺を枉(ま)げて
     尋を直くす
  七度尋ねて人を疑え
   七尋の島に
   八尋の船を隠す
蕁=ジン・タン
  いらくさ・はなすげ
  葉を煎じて
  抗アレルギー・利尿作用
  炎症軽減・前立腺肥大・花粉症
  血圧低下・血糖コントロール
  小児のひきつけ
  などの薬用とし
  草皮は編んで
  脛巾
  脚絆(キャハン)
  からむし=枲=台+木
       苧=艹+宁
       苎=艹+宀+一
  苧麻(からむし)
 ↓↑  ↓↑
    𣎳=分枲莖皮也
      分枲莖皮者
      謂剥取枲之莖皮也
      分枲茎之皮、即麻片
      《廣韻•震韻》
    𣎳=麻片・・・阿片?
      欠片・木屑・柾木
 ↓↑ 
 文字霊日記
 3551日目 再考
ーー↓↑ーー
  虻 (あぶ)
  安部(あべ)
  阿部(あべ)
  阿毎=阿輩雞(鷄・鶏)彌
     安房・沫・泡・粟・安和・阿波
  阿𡡉=煬帝(楊広=楊廣・英)
       「楊=willow(ウィロゥ)」
  阿武=則天武后
ー↓↑ーー
 隋  煬帝 楊廣 (569年~618年4月11日)
 名  英  楊=やなぎ=柳=poplar(ポプラ)
 小字 阿𡡉(アマ)・・・「小字 阿摐」
   摐⇔𡡉・・・?
    =扌+從=㧿         
     扌+彳+从+龰
     扌+彳+人+龰
     从=從・従
       从=䒑
   摐=ソウ
     打つ・叩く
     太鼓などの楽器を叩く
     高くそびえるさま
ー↓↑ーー
 古事記=こじき=乞食=コツジキ
     ↓↑     ↓↑
     故事記    忽 時期・爾季
     古寺記    骨 時季・次記
     古字記    惚 磁器・磁気
     古示紀    匫=匚+曶
     固持記      匚+勿+日
     庫司記     =匢=匚+勿
     子時季      コツ・コチ
     虎児記      古代の器
     誇示記    曶=コツ
     居士記      速やかであるさま
              急であるさま
              あなどる
              うっかりする
 㳷=コツ・コチ・ブン=𣷤
   モン・タイ
   青黒いさま
   水がなくなるさま
   さらす・ひたす
   ひたして色を取り除く

 忽=勿+心
   勹+〃(丿+丿)+心
   コツ
   たちまち・にわかに・突然
   ゆるがせ・ゆるがせにする
   いいかげんにする・おろそかにする
   こつ・数(數)の単位
   一の十万分の一 

   怳忽・怳惚(コウコツ)
   慌惚・慌忽(コウコツ)
   忽遽(コッキョ)
   忽怳・忽恍(コッコウ)
   忽荒(コッコウ)
   忽慌(コッコウ)
   忽地(コッチ)
   忽易(コツイ)
   忽焉(コツエン)
   禍生於忽(カショウオコツ)
   恍恍忽忽(コウコウコツコツ)
   孜孜忽忽(シシコツコツ)
   飄忽震蕩(ヒョウコツシントウ)
   飄忽淜滂(ヒョウコツヒョウホウ)

 勿=勹+〃
   ブツ・モチ
   ない・なし・否定
   なかれ・禁止
   「~するな」
   勿怪・物怪(もっけ・もののけ)
   勿体(もったい)
   勿論(もちろん)
   忘れな草・勿忘草(わすれなぐさ)
   過ちては改むるに憚(はばか)ること勿れ
   過ちては則ち改むるに憚ること勿れ
   己の欲せざる所は人に施すこと勿れ
   己の欲せざる所は人に施す勿れ
   人に施しては慎(つつし)みて念うこと勿れ
   勿怪(もっけ・物怪)の幸い

 兀=ー+儿
   たかい・高く突き出ているさま
   コツ・ゴツ
   高くて上が平らなさま
   草木がないさま
  「はげ(禿=禾+儿)た」さま
   動かないさま
   一心に物事にうちこむさま
   あしきる・足切りの刑罰
   矻矻・兀兀(コツコツ)
   矻=石+乞
    =丆+口+𠂉+乙
    =丆+口+𠂉+乙(オツ・イツ)
     一+丿+口+𠂉+乙(乚=イン)
     矻
     部首 石部(いし・いしへん)
     画数 八画(石5+3)
     音読 コツ
     訓読 はたらく(働く・泰樂・仂・拮・挊)
     矻矻(コツコツ)=はたらく・努力するさま
              勤め励む
     ナゼ、石を乞うが「勤め励む」なのか?
     「コツコツの擬音」とは
     硬い物同士が触れ合う、ぶつかり合う様子、音
    「石」を「乞」なら
    「石工」の
    「つち(槌・鎚・磓)」と
    「鑿(のみ)」での作業
     石を掘り出す音か
     石柱に碑銘を刻む音か
     石壁に彫刻する音か
     石像に加工する音・・・
     ならば
    「兀兀(コツコツ)」が
     山の山頂の平な様子・・・
     火山の噴火口、山頂の形象
    「あしきる・足切りの刑罰」は
     左右両足を切断された人物と原石
    「卞和(ベンカ)の璧」
    「和氏(カシ)の璧」
    「連城(レンジョウ)の璧」

 ・・・そもそも
 「和(カ・ワ)」って
 「何(カ)」?
  和=禾+口
    ㇒+十+八+口  
    異体字
   「咊・龢・惒」
  ワ・カ
  なごむ・やわらぐ・おだやかになる
  なごやか・おだやか
  やわらげる・おだやかにする
  あえる・まぜる。調合する
  仲良くする・争わない
  二つ以上の数を足したもの
  車の軾につける鈴
    軾=前部についている横木
  応える・声で反応する
  声を合わせる・調子を合わせる
  日本語
  わ・やまと・日本
  なぎ(凪)
  風がおさまり波がおだやかな状態
  α+和 
  俰・萂・𣷓・啝・惒

  日和(ひより)
  大和(やまと)
  和え物・韲え物・虀え物(あえもの)
  和える・韲える・虀える(あえる)
  秋日和(あきびより)
  違和感(いわかん)
  応和(おうわ・おうか)
  和尚・和上(おしょう)
  大人しい
  温和しい(おとなしい)
  温和(おんわ)
  穏和(おんわ)
  一団和気(いちだんのわき)
  温慈恵和(おんじけいか)
  温和篤厚(おんわとっこう)
  温和怜悧(おんわれいり)
  和気香風(かきこうふう)
  和氏之璧(かしのへき)
  制緩和(きせいかんわ)
  協和万邦(きょうわばんぽう)
  琴瑟相和(きんしつそうわ)

  秋日和半作(あきびよりはんさく)
  氏の璧(かしのたま)
  和氏の璧(かしのへき)
  金の貸し借りは不和の基
  琴瑟相和す(キンシツあいわす)
  君子は和して同ぜず
    小人は同じて和せず
  心安いは不和の基
  衣ばかりで和尚はできぬ
  地の利は人の和に如かず
     
  乙(Z)=乚(Ⅼ)・・・?
  字形の変形なのに
  音が異なるのは何故?
  字形の変形は
  意味の変意ではない・・・?
  音の変声は
  意味・意義の変異ではない・・・? 
  意味・意義の変異である・・・?
  同音同義もある
  方言・外国語の異音声でも
  同意義のモノはワンサカ・・・
  類似音ならナオサラ・・・
  同字なのに
  意味が異なるモノがワンサカ

 几=机=木+ 几
   キ
   つくえ・台=ム+口
   ⺆
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フヨウの同音異字をカンジる

2024-11-24 10:04:10 | 古事記字源

 この「日記ブログ」の
 参考、参照の
 「原文」は
 過去から現在
 未来まで・・・
 「書き込んだページ」
 の殆どが
 『ウィキペディア(Wikipedia)』
 +
 インターネットの
 他のブログも検索し
 下敷きにしたモノと
 他は私有の
 「大修館・漢字辞典」
 「古語辞典」
 中学校~高校時代に買った
 「国語辞典」
 「英和・和英辞典」
 「世界地図帳・日本地図帳」
 です
 ボクの書き込み「箇所」にある
 「原文コペピ」に対する「?」の記載は
 極々、僅か
 文章、文言、文字に疑問ならば
 ほとんどが
 「ウィキペディア」
 での検索で
 「原文・源字」を確認できますので・・・
 あしからず、ご容赦ください
 最近は「AI」に訊ねれば即座に
 「色々な回答」をしてくれるカモ

ー↓↑ーーー
 ボクのオフクロの名前が
 漢字では
 「芙蓉(ふよう)」で
 6人兄弟姉妹の末っ子で
 家族、親類、友人たちからは
 「フヨさん」と呼ばれていた・・・
 お爺さんの最初の嫁さんの名前も
 「ふよ」さん・・・
 ご先祖さまは
 宮城県・・・・宀呂土成懸
 刈田郡・・・・乂刂囗十君阝
 七ヶ宿町・・・漆化宀佰田丁
 字・・・・・・宀ー了
 関・番地・・・
 ↓↑
 関=關=闗
 門+关
 門+丷+天
 門+丷+一+大
 北緯37度59分35秒
 東経140度26分30秒
ー↓↑ーーー
 七ヶ宿ダム
 滑津大滝
 長老湖
 宮城 蔵王
 七ヶ宿 スキー場
 ↓↑
 関=カン
   かかわる
   せき
   からくり(絡繰り)
   かんぬき(閂・楗)
   せきしょ(関所)
   国境や交通の要所に設置し
   通行人の出入りを検閲
   門の戸をしめる横木
   とざす・しめる・ふさぐ
   しかけ(仕掛)・しくみ(仕組)
   あずかる(預かる)
   関係する
 关=丷+天
   丷+一+大
   ショウ
   关关=和声也
      閑关、设舝皃・皆於音得义者也
   門・ドア・窓・ひきだしなどを
   閉める・閉ざす
   ・・・開=門+开
   郑=关+阝
    =鄭(ジョウ・ヂャゥ・テイ・ティ)
    =奠(テン・デン・まつる)+阝
     ジョウ・テイ・ねんごろ(懇・諄)
     关=奠・・・尊・猶
   咲=口+关
   送=关+辶・・・送迎
 関=門+䒑+大
   門+䒑+一+人
   門+丷+一+大
 關=門+幺+丱+幺+丱
 闗=門+幺+灬+幺+灬
 ↓↑
 設舝皃(貌)
 舝(カツ・ゲチ)
   車輪を車軸に留める楔(くさび)
   異体字「𢮟・𩎲・轄」
ーーー
 阿芙蓉(アフヨウ)
 ↓↑
 ケシの果実(ケシ坊主)
 に傷をつけて
 アルカロイド樹脂を採取
 アヘン(阿片・鴉片・罌粟
     opium=オピウム
        オウピアム
        オゥピィアム)
 ケシ(芥子・opium poppy=ポピイ)
    芥川(カイセン)龍之介?
   塵芥(ちりあくた・ジンカイ)
 罌(罌粟・ケシ)
  =賏+缶=甖=甇
   貝+貝+缶
 甖=賏+瓦
 甇=𤇾+瓦
   炏+冖+瓦
   火+火+冖+瓦
   オウ
   かめ・もたい
   腹が膨らみ
   口が
   つぼんだ甕(かめ・瓶)
 粟=覀+米=䅇
   西+米
   襾+米
   一+儿+口+米
   䅇=覀+禾
   ショク・ソク・ゾク
   あわ
   ふち=扶持米
   もみ=籾・穀物の外皮のままの実
   あわ=イネ科の一年草
   つぶ・あわの実の粒
   粟立つ(あわだつ)
   粟粒(あわつぶ)
   罌粟・芥子(けし)
   粟(あわ)
 雛罌粟(ひなげし)の歌・・・?
   ↓↑
   アグネス・チャン(1955年8月20日)
   香港出身の日本の歌手
   本名 陳 美齡(チン ミレイ
      チェン・メイリン
      Agnes Meiling Kaneko Chan
      日本名
      金 子 陳   美 齢
      かねこ チャン メイリン)
  ↓↑
  貫朽粟陳(カンキュウゾクチン)
    財産が極めて多いこと
   「貫朽=穴の開いた銭に通して
       まとめておく
       銭差しの紐が朽ちること」
   「粟陳=保管中の粟が腐りかけること
       貨幣を溜め込みすぎて
       銭差しの紐が切れ
       粟を溜め込みすぎて
       腐りかけること
  尺布斗粟(シャクフトゾク)
    兄弟の仲が悪いこと
   「斗粟=一斗の粟・少しの食べ物」
   「尺布=一尺の少しの衣服
    漢の
    淮南王
    と
    文帝は
    腹違いの兄弟だったが
    文帝はおごり昂って
    法に背く行いをしたために
    淮南王に王位を奪われ
    流罪にされ
    その道中で悶え苦しみ
    食を断って死んだ
  斗粟尺布(トゾクシャクフ)
    兄弟の仲が悪いこと
    一斗の粟=少しの食べ物
   「尺」は長さの単位=一尺の布
    少しの衣服
   「一尺の布でも一斗の粟でも
    分け合えば
    互いの寒さと飢えをしのげるのに
    何故仲良くできなかったのか」
    と歌ったという故事
   「尺布斗粟」ともいう
  滄海一粟(ソウカイのイチゾク)
    非常に大きな物の中にある
    極めて小さいもの     
  粟散辺地(ゾクサンヘンチ)
    辺境にある小さな国
    粟の粒が散らばっているように
    世界の果てにある小さな国
    中国やインドから見た日本
   「辺地粟散」
  粟散辺土(ゾクサンヘンド)
  粟粒一炊(ゾクリュウイッスイ)
    人の世界での繁栄は儚い
   「粟粒」は穀物の粟
   「一炊」は一度飯を炊くこと
    唐の盧生が
    旅の途中の邯鄲の町で
    道士から
    出世が叶うという枕を借り
    寝ると出世して
    財力や権力を
    手に入れる夢を見たが
    目が覚めると
    宿の主人に頼んでいた
    粟のかゆ(粥)が
    出来上がっていないほどの
    わずかな時間だった
  布帛菽粟(フハクシュクゾク)
    人が生きる上で
    欠かすことのできないもの
    常識的な有益な物事のたとえ
   「帛」は絹
   「菽」は豆
   「粟」は穀物
    衣食をする上で必要なもの
  辺地粟散(ヘンチゾクサン)
    辺境にある小さな国
  粟一粒は汗一粒
  滄海の一粟(イチゾク)
  濡れ手で粟
  肌に粟を生ず     
 ↓↑
 阿芙蓉
 阿片・・・
 阿の片割れ?・・・
 阿毎王朝⇔あま=贏・塰
      海部・海女・海士・海人
      あま=白水郎
      阿萬
      阿麼
      阿𡡉(アマ)=隨王 煬帝
 ケシの実から
 採取される果汁を
 乾燥させたもの
 麻薬の一種
 ↓↑
 ケシの実から採取
 アルカロイド=オピエート
 合成されるものが
 オピオイド
 麻薬(narcotic)
 オピエート
 オピオイド
 ↓↑
 合成される化合物は
 鎮痛、陶酔作用があり
 高用量の摂取で
 昏睡や呼吸抑制を引き起こす
 アルカロイド
 合成化合物は
 モルヒネ・ヘロイン
 コデイン・オキシコドン
 を含む
 ↓↑
 名の由来
 英語名 opium
 の中国語の音訳
 阿片(a piàn アーピエン)
 を音読み
 明代の中国
 江戸時代
 「阿芙蓉(アフヨウ)」
 ↓↑
 ケシの実の汁
 鎮痛・鎮静作用
 医薬品として用いられた
 習慣性
 濫用で健康被害
 ↓↑
 1912年
 ハーグ阿片条約
 1961年
 麻薬単一条約の
 国際統制下
 ↓↑
 アヘンの収穫法
 「ヘラ掻き」
 ケシの開花後
 10~20日経って
 花弁の落ちた
 未熟果(ケシ坊主)の表皮に
 朝のうち浅い切り込みを入れ
 乳液状の物質が分泌
 夕方
 掻き採って集め
 乾燥させ
 黒い粘土状の
 半固形物になる
 生アヘン
 約10%ほどの
 モルヒネなどの多くの
 アルカロイド類
 (アヘンアルカロイド)
 を含有
 ↓↑
 1kgのアヘンを得るのに
 ケシの実が約2000本必要
 アヘンは産地で薬研で粉末にし
 ブリキ(錻)缶
    ブリキ=鉄葉
    阿蘭陀語「blik」
    ブリキ=錻=国字
        錻=金+武
    ↓↑  ↓↑
    金春秋=武烈王(603年~661年)
    ↓↑  ↓↑
       天武天皇=大海人皇子
       天渟中原瀛真人天皇
       ?~686年10月1日
       (朱鳥元年九月九日)
       第40代天皇
       在位673年3月20日
       天武天皇2年2月27日
       ~
       686年10月1日
       (朱鳥元年九月九日)
    ↓↑  ↓↑
    新羅 第29代王(在位654年~661年)
    姓 金
    諱 春秋

    父 第25代 真智王の子の
      伊飡(2等官)の
      金龍春(文興 葛文王)
    母 第26代 真平王の長女(次女)
    天明公主(文貞太后)
      実父は金龍春の兄の金龍樹
     『旧唐書・新唐書』には
      真徳女王の弟と記録
     『三国史記』新羅本紀
      太宗武烈王紀の分注で
      誤りと指摘

    妃 角干(1等官)金舒玄の娘の
      金文姫(文明王后)=金宝姫
     『三国史記』金庾信列伝には
      金庾信の妹
      金庾信は中国黄帝の子
      少昊の子孫
       昊=日+天=昦=日+一+介
         日+一+人
        =コウ・そら・大空
       淏=氵+昊
         コウ
         水が清らかなさま
       䆨=穴+昊
         デイ・ニョウ
         空・天国・虚無
         自然・神様
         大きい・素晴らしい
 ↓↑      軽い・明るい
 ブリキ缶
 に入れ
 製品として出荷
 生アヘン
 不純物を大量に含み
 モルヒネやヘロインより数段劣り
 さらに煮出して乾燥精製
 ↓↑
 東南アジア
 タイ・ラオス・ミャンマー
 の
 「黄金の三角地帯」で生産
 2009年
 国連薬物犯罪事務所の報告
 アヘンの94%は
 アフガニスタンで生産
 2011年10月
 ロシア
 セルゲイ・ラブロフ外務大臣は
 「アフガニスタンの
  アヘン畑を一掃することに
  アメリカが消極的である」
 とアメリカ批判
 ↓↑
 紀元前3400年頃
 メソポタミア
 ケシ栽培
 紀元前3000年頃
 イランで発見の
 石版に
 シュメール人の
 乳液の採取が記述
 紀元前2000年頃
 ヨーロッパ
 中央アルプス
 にケシ栽培は伝わり
 紀元前1500年頃
 エジプトでアヘン製造の記録
 アヘンは
 当時のエジプトで
 鎮痛剤として使用
 メトロポリタン美術館の
 アッシュールナツィルパル2世
 の宮殿の
 紀元前879年
 の浮き彫りの
 有翼神獣が運ぶ
 ザクロと解説しているものは
 ケシの未熟果の束
 ↓↑
 紀元前300年頃
 ギリシャ
 哲学者
 テオプラストスの著書
 アヘンの記述
 ギリシャ神話
 アヘンの発見者は
 女神
 「デメテル」
 ローマ帝国
 ネロ帝時代
 医師
 ディオスコリデス
 アヘンの採取法
 及び
 薬効を著で記載
 アヘンは鎮痛剤、睡眠剤として利用
 英語名「opium」
 ラテン語名「opium」が原語
 アヘンの使用は
 西ローマ帝国の滅亡で一時廃った
 ↓↑
 5世紀前後
 イスラム圏の交易網発達で
 インドや中国、アフリカの中部
 などの各地にアヘンがもたらされ
 アラブ商人は
 医薬品アヘンを商品とみなし
 東アジアにも伝来
 500年頃
 薬学者の
 「陶弘景」
 の
 『唐本草』
 に医薬品として記述
 それ以前
 シルクロードで持ち込まれた
 医薬品
「底野迦(てりあか)」
 にはアヘンが含まれていたと指摘
 11世紀前後
 イスラム圏との接触で
 アヘンはヨーロッパに再伝来し
 医薬品として使用
 15世紀頃
 麻酔薬として使用され
 20世紀初頭まで
 民間療法の薬剤として使用
 ↓↑
 大航海時代
 西欧諸国の
 海上貿易で
 アヘンは重要な商品
 中国で
 西欧諸国
 イギリスにより
 アヘンがもたらされた
 イギリス交易
 「三角貿易」
 アヘンで資産を獲得
 ↓↑
 清国
 上海など
 運搬船の停泊船内や宿場などで
 煙草に混ぜて吸入されていた
 19世紀
 アヘン蔓延に
 清国が
 イギリス商人のアヘンを焼却し
 「アヘン戦争(1840年)」
 が勃発
 市中では半固形の
 「阿片膏」
 を煙管(キセル)に入れて吸入
 携行阿片膏によって
 清国内広域へ
 アヘンが浸透
 アヘン窟も伝播
 20世紀初頭
 清国の上流層にもアヘン禍
 清滅亡後
 1930年代
 「大煙」
 と看板を掲げた煙館の店が各地にあった
 ↓↑
 ヨーロッパ
 「アヘンの危険性の認知」
 19世紀
 反アヘン運動
 アメリカ・カナダ
 への中国人労働者の流入ともに
 サンフランシスコ
 をはじめとする地域で
 アヘン窟
 1875年
 反ドラッグ法制定
 などで対策
 ↓↑
 20世紀初頭
 国際間で
 アヘン統制
 1912年
 「ハーグ阿片条約」調印
 アヘン貿易の制限
 1920年
 国際連盟成立し
 統制職務を負い
 国際機関が設置
 1926年
 「第一・第二阿片会議条約」
 1928年
 「麻薬製造制限条約」
 アヘン貿易禁止
 国際連合に移行後
 1961年
 「麻薬に関する単一条約」で
 アヘンは統制
 ↓↑
 「梶原性全(かじわらしょうぜん)」」
 1265~1337
 『頓医抄』で
 「罌粟」の用語使用
 室町時代
 南蛮貿易てケシの種が
 インド
 から
 津軽地方(青森県)にもたらされ
 「ツガル」が
 「ケシの俗称」となった
 江戸時代
 山梨県、和歌山県
 大阪府付近で栽培
 用途として
 麻酔の医療用
 投獄者への
 自白剤などに使用
 「寺島良安」
 『和漢三才図会』
 (1713年頃)巻百三
 「阿片」や
  他の生薬
 「辰砂」などと調合した
 「一粒金丹」
 なる丸薬が
 止瀉薬として紹介
 この処方箋
 備前岡山藩藩医
 「木村玄石」・・・玄(黒・黑)石
 の手による
 元禄二年(1689年)
 弘前藩藩医
 「和田玄良」
 に秘薬として伝わった
 「和田玄春」による
 寛政十一年(1799年)
 効能書に
 鎮痛や強壮剤として記載
 歌舞伎
 『富岡恋山開』
 には
 「一粒金丹」という台詞
 江戸市中で売られていた・・・
 天保八年(1837年)
 摂津道修町の
 薬問屋奉公の
 「太田四郎兵衛」
 が種子を持ち帰って栽培し
 アヘンの製造に成功したと記述
 ↓↑
 幕末
 16世紀半ば
 明朝末期
 イギリスの三角貿易で
 インドから大量のアヘンが
 中国内に流通
 清となった中国から
 長崎貿易を通じ
 吸煙用途の安価な
 アヘン(煙膏)
 生アヘン
 が知られ
 海外の情報は
 「オランダ風説書」
 によって得ていた
 ↓↑
 19世紀
 オランダ以外
 欧米諸国が
 日本に開国を迫り出し
 1839年(天保十年)
 「アヘン戦争」
 風説書とは別に
 詳細な
 「別段風説書」としての報告書
 「阿片招禍録」を作成し
 欧米が関わる動乱を詳細に報告
 その3年後
 清がイギリスに大敗
 「異国船打払令」を取り消した
 「佐久間象山」
 らによって
 「魏源」の
 『聖武記』
 『海国図志』
 などが研究(斎藤竹堂『鴉片始末』)
 アメリカ全権
 「タウンゼント・ハリス」
 が日本にアヘンの危険性を説いた
 鎖国を解いた4年後の
 安政五年(1858年)
 「安政五カ国条約締結」
 で
 いずれの国からも
 「アヘンの輸入を禁制」条文が記載
 1822年
 コレラが江戸でも大流行
 蘭方医学者
 「ポンペ」
 は患者に
 キニーネとアヘンの製剤を与えた
 典医
 「松本良順」
 が心労で倒れた
 「徳川慶喜」
 にアヘンを処方して不眠を収めた
 ↓↑
 明治期
 外国商人が料理人として
 中国人を雇い
 彼らが密輸により
 アヘン煙膏を持ち込んで問題
 長崎では
 中国人が
 日本人に
 アヘンの煙膏を大量に売りつけ
 遊女などが中毒死する事件・・・
 「あへん御禁令」の高札
 1868年6月(慶応四年閏四月)
 明治政府
 アヘン禁令
 「阿片烟ヲ禁シ府藩県
  高札ニ掲示セシム」
 を布告
 1870年9月4日(明治三年八月九日)
 「販売鴉片烟律」布告
 使用や売買を含めて
 罰則規定を設け重罪とした
 「あへん煙に関する罪
 (刑法136-140条)」
 「生鴉片取扱規則」
  ・・・鴉片(黒片)?
 を同日発布
 法律は在留清国人にも適用
 ↓↑
 1877年
 イギリス商人による
 「アヘン密輸事件」
 「ハートレー事件」
 治外法権を行使され
 「ハートレー」
 は無罪
 イギリス領事館から
 逆に
 法制度の未整備を指摘され
 1879年(明治十二年)5月1日
 薬用
 阿片売買竝製造規則
(阿片専売法)施行
 国内外におけるアヘンを
 独占的に購入
 許可薬局のみの専売とした
 購入は医療用途のみとし
 購入者及び栽培農家は
 政府による登録制とした
 利益は
 日清戦争の戦費
 ↓↑
 日清戦争後
 「下関条約」
 清から
 「台湾を割譲」
 台湾で
 アヘンの製造と消費が
 一大産業なっており
 台湾総督府衛生顧問
 「後藤新平」
 は
 「伊藤博文」
 に日本による
 アヘン専売を建議し
 1897年
 「台湾阿片令」が敷かれ
 常用者である台湾人は
 登録のうえアヘン購入を許可
 日本人、中毒者でない
 台湾人の医療目的以外の
 アヘン使用は禁止
 1898年
 「阿片令」
 台湾総督府専売局
 の専売
 後藤は
 台湾のケシ栽培を課税対象とし
 段階的に課税を厳格化することで
 40年をかけ
 台湾のケシ生産を消滅させる一方
 内地では
 二反長音蔵
(にたんちょう おとぞう)
  1875年(明治8年7月1日
  ~
  1951年(昭和26年8月7日)
 などの
 ケシ栽培を積極的に後援し
 1935年頃
 日本の
 アヘン年間生産量は15t
 台湾総督府
 日本産アヘンの
 台湾への輸出・販売により
 莫大な利益を得た
 ↓↑
 昭和
 日本は
 朝鮮や
 満洲の
 熱河省
 遼寧省
 内モンゴル
 などで
 ケシ栽培を奨励
 第二次世界大戦中は
 満州産アヘンに
 高額の税をかけ戦費を調達
 ↓↑
 中華民国
 アヘンの全面禁止政策
 四川省・雲南省
 などで密造の
 非合法のアヘンが闇で流通
 軍閥の重要な資金源
 中国産アヘンの末端価格は
 日本産の約半分で
 日本産アヘンを市場から駆逐
 日中戦争
 関東軍
 「影佐禎昭」大佐の指導のもと
 「里見甫」が秘密結社の
 「青幇・紅幇」
 と連携し
 「里見機関」設立し
 中国の
 通貨法幣を獲得するため
 上海などで
 アヘンやモルヒネを大量に密売
 ↓↑
 日本
 「麻薬及び向精神薬取締法」
 「あへん法」
 でアヘンやヘロインの使用
 所持等を禁止
 ケシの栽培自体も禁止
 ↓↑
 阿片・芥子・罌粟
 ↓↑
 阿𡡉
 ↓↑
 2021-08-21
 古事記字源
 煬帝(ヨウダイ)の
 小字の名はナゼ
 「阿𡡉」なんだろう?
 ↓↑
 干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
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 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8



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 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?




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